疾風怒涛
「ぎぃぃやああああぁぁぁぁっ!!? う、腕! 腕が抜けたああああぁぁぁぁっ!!!!?」
「えぇい! この際脱臼くらい我慢なさいっ! ひき肉の出来損ないになるよかぁ万倍もマシでしょうよっ!!!」
お空の彼方からやってきた巨大な岩が、落ちて砕けて弾ける刹那。咄嗟に蔦の如くに伸ばした髪で、哀れその下敷き寸前であった騎士達の手足を掴み、巻き取って強引に手前の側へと引っ張り込む。あまりの力づくに骨が軋み、腱が千切れる嫌な感触が伝わってくるが、対する謝辞は今しがた述べた通りである。辛抱しろぃ。
「誰かっ! この方達を後方へ下げてくださいっ!!! それとキティーっ! メルカーバさんっ! 最善手を掴みかねますっ! 指示をっ!!!」
「ノマちゃん! 鳥を飛ばして頂戴っ! 見えたものを教えてっ!」
「合っ点っ!!!」
わたくし正面からぶち破るのは得意であるが、そこに至るまでの状況判断には自信が無い。餅は餅屋。わからない事をわからないと言い放ちながら、まるっとぶん投げた初手の対応の如何に対し、返ってきたものは索敵を実行しろという、単純明快なその一言。
そして指示が貰えれば話は早い。周囲の仰天にも構わず自らの手によって抉り出され、天高く放り投げられた右の目玉が変じますは、何時ぞやと同じ三本の足を持った一羽のカラス。さぁて、鬼が出るか蛇か出るか。そんな碌でもない期待を胸に、空をゆく分身へと移された私の意識が捉えたものは、事前の予想を遥かに上回る負の壮観。畜生め、少しは期待を裏切ってくれてもよかろうものを。
頭上は青。眼下では肌を剥き出しにした山々の茶に囲まれる中、広がる一面の緑を飲み込む巨大な『黒』が、北に陣取る私達の小さな『黒』へと向けて迫っている。絶えず蠢きながらも大小いくつかの長方形を為したそれは、既に瓶の口であったはずの山間を遥か踏み越えて浸透しており、もはや素人目で見ても、双方の接触が避けられないであろう事は明らかであった。
見ればそれら、黒い長方形の中にはところどころに大物が混じっており、その姿は一見して八本の脚を持つ巨象の如し。増してその図体だけでも十二分に脅威であろうに、たちの悪い事に彼ら、あるいは彼女らは大きなバネ仕掛けが如何にも目立つ、これまた巨大な木造カラクリを牽引なさっているのである。
投石器。おそらくは長大な射程を誇るのであろうそれこそが、先の岩塊を打ち出した下手人で相違はあるまい。こちらはとうに射程内。このまま手をこまねくは論外であるが、かといって手ぐすね引いて待ったところで好き放題に、連中雨あられを振らせてくるだろうは目に見えている。一刻も早く排除をせねば。
「……キティーっ! 南に敵軍、投石器も多数っ! 物凄い数ですよこれぇっ!!?」
「物凄いじゃあわかんないわよっ! もっと具体的に言って頂戴っ!」
「黒が七分っ! 緑が三分っ!!!」
「…………ありえないわっ!!?」
いや、ありえないと申されましても事実は事実、それで眼下の現実が覆るはずも無し。そう口を尖らせようとした私の身体は即座に横からかっ攫われて、それを為したメルカーバ嬢の小脇に抱えられたままにするするすると、軽快にゴリアテ君の身体をてっぺんに向けて登っていく。
伏せだの伸びだのと命じられて、巨体のティラノが犬の真似事をさせられるのは滑稽であるが、生憎とそれに笑みをこぼしているような余裕はない。彼の必死の背伸びによって出来上がった、ぷるぷる震える物見やぐらのそのまた先端。空に突き出た鼻先にまでよじ登った私達の、遠く視界に入ってきたものはやはりというか、まるで分厚い絨毯のように展開された敵兵達の姿である。なんてこったい。
何故に今の今まで気づかなかったか。そう歯噛みをする私達を左右に退けて、次いで顔を出したのは遅れて登ってきたピンクのもこもこ。その彼女は両手の親指と人差し指で以って四角形を形作り、彼方の敵軍に向けたそれを覗き込んで画家の真似事を始めたかと思ってみれば、今度はひ、ふ、み、よと何かを数えて盛大に舌打ちをなさるのだ。ちょっとやめて唾が飛ぶ。
「……ありえないっ! 連中軽く十万は超えてるじゃあないのっ! あれで補給が持つわけがないわっ!!!」
「キリー、私も同感ですが、文句をつけても始まりません。奴らあのまま数に任せた横陣で以って、一息にこちらを押し潰す算段と見えます。ノマさんというカードの切り方、ここで貴方ならどうしますか?」
「ふんっ! 腹案ならもう描けてるわよ。ただこの切羽詰まった最中にあって、逐一ドロシア様に裁可を仰ぐような時間は無いわ。そこのところ、アンタから上手い取り成しはして貰えるんでしょうね?」
「……私に、その是非を決められるような権限はありませんね。」
「なにさ、お役所女っ!」
「今は貴方も同じでしょうがっ!」
間に挟まれてむにむに潰れる私をよそに、激しい応酬を始める我ら王国軍の頭脳が二人。その丁々発止を切り裂いたのは、張り詰めた何かが爆ぜる乾いた音で、次いで頭上を飛び去った飛翔体を目で追いかけた私達は、それが彼方の敵陣に飛び込んで串刺しを作り上げるまでを見て取った。矢羽根のついた極太の槍、大型弩砲バリスタから打ち出された弾体である。
「メルっ! キルエリッヒっ! 生憎と私に切った張ったの機微はわからんっ! よってお前達に一任する故、気兼ねなく仕切ってみせいっ! それと近衛っ! 次だ次! 早う弾を持ってこんかっ!!!」
「ひ、姫様ぁっ! 危のうございますっ! 馬車の中へお戻り下さいっ!!!」
「やっかましいわっ! 私の姿が見えなくなれば、兵達が動揺すると言っておろうがっ! それに王族の価値ってのは、くぐった修羅場の数で決まると父上も言うておったっ! いいから早う弾よこせやっ!!!」
「ご、ご乱心っ! ドロシア様ご乱心~~~っ!!!」
続けて眼下からびりびり叩きつけられるのは、いつのまにやら鋼鉄馬車によじ登って弩砲の取っ手に取り付きました、我らが姫様からの発破の声。諫める近衛兵に啖呵を切るその様は、もはやお姫様というよりも完全に任侠映画のそれであるが、ともあれこちらの裁量に任せて貰えるのであれば話は早い。快刀乱麻。反撃は一気呵成に為すべきである。
なにせ今こうしている間においても、放たれる巨石の弾丸はほうぼうに落ちて穴を穿ち、少しずつ軌道を修正しながらその正確性を増し続けているのだ。特に先ほど眼前に落着した一発などは、正に真値そのものと言える軌道を描いたもので、近く放たれるであろう次弾が惨禍を巻き起こす事は間違い無い。
さぁさ、腹案があるというのであれば、今すぐ私に指示を寄越せ。早く寄越せ今寄越せ。疾く疾く疾く疾く、疾く寄越せ。そんな焦りを明確に態度へと表しながら、ぐいぐい袖を引っ張る邪魔っけな私をばしりと払い、キティーの奴は遠く敵軍を視界に収めたままに身を乗り出す。まさかまさか、彼女に限って先の言の葉が、はったりの類などという事はありはすまい。さぁてどう差配をしてくれる?
「ったくもう! 姫様にあぁまで言われちゃあ否やも無いわねっ! ノマちゃんっ! まずは連中の出鼻を挫くわっ! 貴方の獣をありったけ、前方へ扇状にばら撒いて頂戴っ!!!」
「しかし、おそらくそれだけではあの大軍勢の衝撃力は殺せませんよ。貴重な伝家の宝刀です。キリー、彼女自身の事はどう用いるつもりで?」
「メル、まだ待機よ。この子には大将を仕留めて貰わなくちゃあいけないからね。適当に放り込んでも戦線を切り裂くくらいはしてくれるでしょうけど、その間にこっちが粉砕されてたんじゃあ意味が無いわ。」
「なるほど。ところで私は先に、連中はこのまま横陣で押し潰すつもりだと口にしましたが、ソシアルという蛮族について一つ思い出した事があります。奴らはその末端に至るまでが正確無比。複雑な作戦行動も完璧にこなしてみせる、カラクリ仕掛けのような兵達であると。仮にです。貴方がそんな優秀な手足を操ったのならば、ここからどう布陣を動かしてみせますか?」
「ふふん、アンタもわかってるんじゃあないの。私だったら間違いなく鶴翼に移行して、そのまま包囲殲滅を試みるわね。それが一番効率的。そして効率を貴ぶという南方の蛮族達が、自ら前方に張り出させた両翼の存在で以って、中央の本陣をさらけ出してくれる事は十二分に期待が持てるわ。」
「っくくく。常道であればだからといって、そこから一撃で本陣を粉砕せしめるような存在などと、考慮の内に置いたりはしないでしょうからね。」
文字通りに当の本人の頭上を越えて、敵の優秀さを逆手に取って巡らされた謀略は手早く終わり、次いで王女直轄の権威で以ってその命を下すべく、メルカーバ嬢はデカいトカゲの恐竜肌を滑り落ちていく。
決まってみれば簡明明瞭。まずは私の眷属達を先頭にゼリグとフルートちゃんを突っ込ませ、敵軍の進行を遅らせると共に、あの厄介な投石器を重点的に破壊させる。その間に本隊は長槍持ちを方形に並べ、不意の突撃を阻みながらひたすらに防御へ徹し、キティーが敵将本陣を割り出すまでの時間を稼ぎ出すのだ。
意に反して『待て』を命じられてしまった私であるが、しかしそれを反故にする事が出来るほどに自由奔放、唯我独尊を名乗るまでにはまだまだ遠い。よって出来る事といえばひたすらに逸る心を押さえつけつつ、狼だの蝙蝠だのパンダだのと、この人外の身の内より湧き出ずる眷属達をめったやたら、とにかく最前線へ送り出し続けるばかりなものである。
しかしながら如何せん、此度はこれまで私が経験してきた『戦い』に比べ、その規模というものの桁が違う。勿論キティーやメルカーバ嬢の采配を信じないというわけでは無いが、やはり相応の犠牲というものは避けられまい。それが、敵味方のいずれにおいてであったとしても。
そうして一しきり仕事を終えて溜息をつく、そんな私に向かって浴びせ掛けられたのは、『田舎娘ぇっ! 敵だぞ敵っ! どっちがたくさん倒せるか勝負だなっ!!!』などという、剣呑極まる呑気な歓声。なんともまぁ、本当にあの三人娘は空気が読めない。とはいえ既に、私はかつてとは生きる世界を違えた身である。ならばこの世界の流儀に染まり、闘争に身を慣らす事もまた必要であるのだろう。
熱気と紫電を振り撒きながら、眷属達に続いて駆けてゆく衆国の小童たちの背中を見つつ、私は息を吸い込むとより一層の暗澹を以って、深々と溜息を吐いたものであった。
不穏と不安、その双方に満ち満ちた、対ソシアル第一戦の幕開けである。
ようやっと仕事が落ち着きました。生存報告も兼ねた次話投稿です。




