別離の日
目を覚ました。おっぱい様は既に居られぬらしい。無念。
昨晩は、年甲斐もなくみっともない姿を晒してしまった。顔から火が出るとはこの事か。まあ、旅の恥はかき捨てとも言うし、今のこの身は幼き少女である。許してもらうとしよう。既に日は高いらしく、汚れを落とされた貫頭衣が寝床に置かれていた。
元給食エプロンをすっぽりと被る。おかえり。さて、ゼリグはどこであろうか。こちとらご厄介になっている身であるからして、まずは挨拶に伺うべきだろう。と、思ったが、勝手がわからぬ。私が一人で家の中をうろついても良いものか。プライベートなスペースに無断で入り込むわけにもいかぬ。考えた末、先日馳走にあずかった、この家の居間に向かうこととした。あそこまでならば問題あるまい。
居間では、ゼリグの母親と思しき女性が糸を紡いでいた。おお、糸紡ぎなぞ始めて見た。上手いものである。この村では羊を飼っているのだろうか。あるいは、お蚕様やもしれぬ。
そういえば、食事の席で彼女に自己紹介をしておらなんだ。まな板の存在感に飲まれて失念していたようである。さぞ、礼儀知らずと思われたことだろう。今からでも遅くはない。心証は良くしておかねば。
「おはようございます。おば様。」
にっこりと、笑みを顔に張り付ける。出来れば、カーテシーとやらも試してみたかったが、給食エプロンではどうにもならぬ。
彼女は、ぎょっとした目でこちらを見た。なんぞ、やらかしてしまったろうか。その顔からは、よそ者に対する不信の色がありありと見て取れた。これはよろしくない。もっと好感度を稼がねばならぬ。
「昨夜は、お食事にお招きいただきましたのに、ご挨拶もできず申し訳ございませんでした。私は、ノマと申します。過日は、危ういところを助けて頂いたと伺いました。なんとお礼を申し上げてよいやら、感謝の言葉もございません。」
言葉をたたみかけ、胸に手をあて、深々と頭を下げる。んむ、決まった。今の私は、さぞ育ちの良さそうな良い子ちゃんに見える事だろう。ゼリグは、言ってはなんだがガサツそうである。きっと山猿のような女児であったに違いない。その対比で私の良い子ちゃんパワーが増幅されるのだ。ふはは。さて、仕上げだ。
顔を上げ、彼女に視線を合わせ、たおやかに微笑みかける。どうだ、我が身が超絶美少女である事を、私は熟知しているのだ。勝った!パーフェクトコミュニケーション!!
ゼリグの母は、不気味なものを見るような、それでいて悲しそうな、なんだか微妙な表情になった。あっるぇー。
しまった、もっと女児らしい言葉を選択すべきであったか。10歳そこそこの子供が吐くには、いささか固すぎたやもしれぬ。だが、吐いたつばきは飲み込めぬ。このままごり押しするしかない。
引きつりかけた笑みを、どーにかこーにか支えていると、不意に、彼女に抱きすくめられた。セーフであろうか。よくわからぬ。
彼女は、私と視線を合わせぬまま、なぜか私に対して謝罪の言葉を述べはじめた。やはり、よくわからぬ。続けて、ゼリグの名をあげられる。あの子は、私を助けようとしているのだと。だからそんな無理をせず、もっと子供らしく、あの子を頼っても良いのだと。私の頭を撫でながら、そう、優しい調子で、言い含められた。
なぜ、謝罪をされたのだろう。心あたりは、私が裸族になった事に対してである。しかし、その原因は食事を零した私にあり、馳走になった身でありながら、すいませーんもっと食べやすいのお願いしたいんですけどーなどと、言えるはずもなし。気にしないで頂きたいものだ。
それよりも、無理をしていると言われてしまった。ショックである。やはり、らしくない言葉使いであったようだ。TPOに合わせた言葉の選択も出来ぬとは情けない。もっとビジネス会話を学んでおくべきであった。とはいえ、ゼリグを頼れと御母堂から許しが出たのはありがたい。ゼリグからは、この世界の理を、もっと教えて貰わねばならぬのだから。
状況に進展を感じ、思わず口元が歪む。抱きすくめられたまま、ゼリグの母へ感謝の言葉を述べた。ありがとうございます。心細かったんです。ゼリグさんを頼ってみますと。私の頭上で、彼女が小さく、声を漏らすのが聞こえた。
ゼリグは、外で何やら荷造りをしているそうであるので、そちらへ足を向ける。いやあ気分が良い。御母堂は実に良い方であった。つい先ほどまで、私は招かれざる客では無いかと不安に潰されそうであったというに、今は晴れやかな心持ちだ。まさに雲散霧消である。
スキップの一つでもしたい気分で、機嫌よく、扉をきぃこと開けて外へでた私は、お日様に顔面を焼かれてぶったおれた。
うごごごごごご! 忘れておった! 日光は私の大敵なのだ! いや、大敵というほど致命的では無いのであるが、なんかもう駄目なのである。ふぁいっ嫌いだバァーーカ!
ぶすぶすと、煙を上げる己を幻視しながら、べちゃりと地面にへばりついていると、ゼリグがなにやら慌てた様子でこちらへ向かってくるのが見えた。
ゼリグに抱き起こされ、屋内に入れられる。私は彼女に訴え出た。肌が弱く、日の光に触れるのは苦痛である故、なにか羽織るものが欲しいと。もう全裸マントは辛いのだ。
嘘では無い。何も嘘は言っておらぬ。ただちょっと吸血鬼なだけだ。
彼女は、ほらよ。と言わんばかりに、私に布を投げてよこした。布地が顔にばふりとあたる、重くて息が出来ない。やはりガサツな女では無いか。
広げてみれば、それは丈夫そうな厚い布地の、ややダボついた衣服であった、おあつらえ向きにフードまでついている。あるでは無いか、服。私はなにゆえ裸族を強要されねばならなかったのか。
じとりを目をやると、彼女は私の抗議を察してくれたのであろうか。先ほど、行商人から買い取ったばかりであると教えてくれた。
王都から共にやってきた、塩を商う行商人が、今朝ほどまで村に滞在していたらしい。何でも売るし、何でも買う男だそうで、駄目で元々、子供の着れる旅装は無いかと問うてみたところ、これを売りつけられたのだそうだ。
なんと、私の為に金子まで使わせてしまったとは。自分の都合しか考えておらなんだ、己の浅はかさに恥じ入るばかりである。ありがたく、使わせて頂く事としよう。感謝の言葉を述べ、袖を通そうとしたが、はたと、下着が無い事に気が付いた。じとりと抗議を再開する。
彼女は、私の目ぢからに戸惑ったようであったが、やがて、あー。と納得した様子を見せると、私の尻肉をわっしと掴んだ。何が起こった。抵抗もできず、目を白黒させていると、またぐらに包帯のような白い布をくるりと巻き付けられる。
レースの下着とは言わぬが、俗にいうかぼちゃぱんつが出てくるのだろうと思っていたので、これには面食らった。まるでさらしの如しであるが、しかし、なるほど。これはこれで効率的である。見れば、白い布地はところどころ赤黒く汚れており、何度も何度も、洗っては使いまわされているようであった。
おい、ゼリグさんよ。これ、生理用品じゃ無かろうか。
女の子になってしまった。いや、元からこの身は幼き少女であるのだが、もっと精神的なものである。己の変身願望に抗えず、女性の身となってしまったのはいささか浅慮であったやもしれぬ。そういえば、この身体に月のモノはあるのだろうか。なんせ不死者である。そもそも成長するのかもわからぬ。
益体も無いことを考えつつ、頂いた衣服を着こむ。さながら旅人の服といった装いだ。どこぞへ出かけるのであろうか。そういえば、ゼリグは先ほどから荷造りをしているようだ。見れば、外には大きな背負い袋が置いてあり、背負子のようなものがくっついていた。
どこへ行くのか、と問うてみれば、王都へ戻ると返事が返ってきた。はて、確か彼女はその王都からお里帰りしたばかりでは無かったか。私に遠慮せず、もっとゆっくりしていけば良いのに。と、思っておったところ、両脇をむんずと掴まれ、ひょいと持ち上げられると、背負子の上にぽすんと座らされた。
どうやら私はお持ち帰りされてしまうらしい。いや、まだまだゼリグに聞いてみたい事はあるので、この際それは構わぬのだが、荷物扱いは如何なものか。再び、己の目ぢからに頼ろうと思ったが、ゼリグは私の視界から出て行ってしまった。そのまま後ろに回り込むと、背負子に座った私ごと、背負い袋をぐわりと担ぎ上げる。
なんと、彼女もまた、マッチョであったか。しかも私とは違い天然ものである。というか、揺れる、めっちゃ揺れる。思わず背負子の端にしがみついた。シートベルトをください。
何ともまあ、慌ただしい事である。王都へ戻るとは聞いたが、もう発つというのか。まるで何か、厄介ごとから逃げるかのようである。考えてみれば、私はゼリグを頼ることしか考えておらなんだが、彼女は未だ、二十歳を超えるか超えぬかの若輩者であるのだ。私には齢70を超える歳月を重ねた矜持がある。なんぞ悩みを抱えているようであるのなら、年長者として相談に乗ってやらねばならぬ。
腕を組み、若人を導く己の姿に酔いながら、うむうむと頷く。ふと気が付けば、お見送りであろうか。ゼリグの母と、見知らぬ男が立っているのが見えた。父であろうか。鬼籍に入られたわけでは無かったようである。くるりと視線を巡らせたが、他に見送りの姿は見えなかった。
ゼリグは背負い袋を下ろし、母親と何事か話しているようだ。背負い袋と背負子が陰になって見えぬので、ひょいと頭を出してそちらを窺うと、ゼリグの母は、その目に涙を湛えていた。
まるで今生の別れのようである。大袈裟な、と思ったが、私も、先ほど彼女に抱きしめられたのを思い出した。きっと情の深い人なのだろう。
ゼリグの父は、何やら怖い顔をしてゼリグの事を睨みつけていたが、そのうちに一歩歩み出ると、彼女に向かって酒瓶を突き出した。
ゼリグは何も言わずにそれを受け取ると、懐から何やら高価そうな酒瓶を取り出し、同じように、己の父に向かって突き出した。
二人とも、何も言わなかった。ゼリグの母も、その様子を、ただ静かに見つめていた。言葉こそ無かったが、みな、どこか満足気に見えた。
いや、いや、いや。意味がわからない。なんだこれ。思わず困惑したが、きっと私には窺い知れぬ、家庭の事情があるのだろう。部外者が余計な詮索をするのも良くないと思い、覗き見は辞めて空気に徹することとする。
目を閉じて大自然と調和せんとしていると、突然背負い袋が持ち上げられ、バランスを崩した私は大地にべちょりと突っ伏した。どうやら出発するようだ。
背負子に背負われて歩く。まあ歩いているのはゼリグであるのだが。ゆらゆらと揺れる視界のなか、どこまでも田畑が広がっていた。なんとも、のどかな光景である。酔いそう。
素人目に見ても、作物の育ちは良くないように見える。なんだか元気がない。今思えば、ゼリグの父も母も線が細く、やつれてしまっているように見えた。私を背負ってのっしのっしと歩いているマッチョは別として、村の栄養状態は良くないようだ。
田畑をじっと見やる。土が良くないのだろうか。ふと、思い立ち、亀五郎を蘇生した要領で、精気吸収を逆噴射してみる。
肥えろー、肥えろーと念じながら両手を突き出し、小さなおててをゆらゆらさせていると、田畑の土が黒々と色づきだしたかのように見えた。成功であろうか。なんだか楽しくなってきた。良い事をするのは気持ちがいい。
ゆらりゆらりと運ばれつつ、肥えろ肥えろと念じ続ける。やがて田畑が途切れ、村の外に出るまで、私はずぅっと、そうして精気を送り込んでいた。
こえろー、こえろ。こえろー、こえろ。と。
ぶっ倒れた。ゼリグが慌てて私の事を抱き起こす。調子に乗り過ぎたようだ、当たり前だが、自分の精気を田畑に送っていたのだ。使ったら減るのである。
この力は、もっとよく考えて使うことにしよう。がくり。
書けば書くほど主人公さんが残念になっていく。