6 旅立ちの時
返事がない。気を失っているようだ。一刻も早く島に連れて行くしかなかった。
ピピはモモが海面より沈まないよう触腕で支えながら急いだ。腹がゴツゴツと海底の骨に当たるのも構わず、噴水管から水を吹き出して進む。骨は徐々に細かくなっていき、ピピが気が付くと、白い浜辺に着いていた。
そこは、骨が風雨にさらされてできた白い砂に覆われた島であった。ピピは信じられないほど重くなった自分の体を必死に動かし、モモの体を砂浜に横たえた。
すぐに息苦しくなり、波打ち際に戻ると半身だけ海水に浸し、触腕を伸ばしてモモの体をゆすった。
(モモ、モモ、返事をして!)
モモはゲホゲホと海水を吐き、しばらく苦しげに咳込んだ。
(だ、大丈夫よ、ピピ。ありがとう……昨夜きみの体に入ったとき、ちゃんと泳げたから、……自分の体でもできると思っちゃったの……ごめんなさいね)
(気にしないで。それより、モモの心の声がすごく聞こえにくいんだけど、本当に大丈夫なの?)
(ありがとう、ピピ……とても……楽しかったわ……外に出られたし、……白い島にも来れた……でも、わたしは……もうすぐ……)
(どうしたの、モモ、息が苦しいの?)
(そうじゃないの。クローンは……長くは……生きられないのよ……昨日、姉妹の一人が……だから、わたしも、もう……だから……どうしてもここに来たかった……)
ピピは心配でたまらなかったが、どうしてあげたらいいのか、わからなかった。
(わたしたち姉妹が全部いなくなったら……次の世代のクローンが……ずっと繰り返されて……わたしも姉妹たちのように……何も知らなかった方が良かったかも……いいえ、いいえ……きみに会えたから……幸せだった……この島には仲間も大勢眠っている……だから、気にしないで……ピピはちゃんとお家に帰ってね……ケートスには頼んであるから……わたしのことは、もう忘れて……)
聞こえない。
ピピは苦しいのを我慢して陸に上がり、モモの体に近づいた。すると、モモの声が微かに聞こえてきた。
(……ありがとう、ピピ……さよう……)
ゆっくり上下に動いていたモモの胸が、いつのまにか止まっていた。
ピピが覗き込むと、モモはとても穏やかな顔をしていた。その閉じられた目蓋から、頬に一筋の涙が流れていった。
「モモ、モモ、死なないで! お願いだよ!」
ピピは、眼柄から何か熱いものが溢れるのを感じた。それは、ピピが生まれて初めて流す、涙だった。
その時。
ピピは急に大きな影に覆われたことに気付き、眼柄を上に向けた。
今まで見たこともないような巨大なケートスが、二人の上に浮かんでいるのが見えた。その白い腹に小さなガラス玉のような突起が現れ、そこからモモに向けて青い光線が発射された。
「やめろ! 何をするんだ!」
上空のケートスの腹から、大きな声が響いてきた。それは、クラーケン族の言葉であった。
《心配せずとも良い、クラーケンの少年よ。その少女の心とDNAデータは、こちらに転送した。肉体を再生できるかどうかはわからないが、このままニューアースへ連れて行くことにする》
「どういうことなの、ですか?」
《地球に残していた経過観察用のケートスから緊急連絡があった。知性を持った人間がいた、とね》
「ニンゲン?」
《ああ、ヒトのことだよ。ヒトはこの惑星を捨て、火星へ移ったのだ。残された生物の行く末を見守るため、数十頭のケートスだけ置いてね》
「でも、でも、ヒトは滅んだって」
《きみたちと接触したケートスは、記憶の一部に障害があったようだ。確かに、残念ながら多くの人命が失われてしまった。しかし、わたしのような人工知能型宇宙船、すなわち『宇宙の方舟号』に乗って、数億人がニューアースへ移住したのだ。今では、それなりの文明が再建されている。それでも、自らの故郷である地球のことは常に気にかけて、定期的に観測を続けている。ケートスからの連絡が、わたしが観測を終えて帰路につく前で、本当に良かった》
ピピは息が苦しくなってきたが、聞かねばならないことがあった。
「あなたの話は知らない言葉ばかりで、正直、ぼくにはよくわかりません。それより、モモはどうなるのですか?」
《この少女のDNAはかなり傷んでいる。おそらく、何度もクローン再生に使われたのだろう。もっとも、そのおかげで突然変異が起こり、テレパスになったわけだがね。このままでは、ニューアースで肉体を再生するのは、難しいかもしれない。しかし、心はわたしの電脳空間の中で、ちゃんと生きている。それに、辛かったことを思い出して苦しまないよう、陸族館での記憶は封印してあげたよ》
「モモは、モモは、幸せ、でしょうか?」
《さあ、どうだろう。それは、わたしにはわからない。それより、ずいぶん苦しそうだね。早く海に戻った方がいい》
「ぼくは、大丈夫、です。それより、すみませんが、あなたに、お願いが、あります……」
そこは一面の花畑だった。
モモは、なぜ自分がここにいるのかわからなかった。
(どうしてかしら、何も思い出せない)
自分が服を着ていることにも違和感があった。
(なんだか、動きにくいわ)
「おーい!」
向こうの方から声がし、モモはビクッと震えた。
花畑の向こうから、誰かが走って来た。金色の巻き毛の、可愛らしい少年だった。
「きみは、誰なの?」
少年は、含羞んだように笑った。
「ぼくは、ピピだよ」
そう言って、手を差し出した。
モモは、自分でも驚いたことに、ごく自然に握手して微笑んだ。
「はじめまして、わたしはモモよ」
「いい名前だね。ぼくと友達になってくれない?」
「え? 友達? そう、ね。いいわ、友達になりましょう」
モモは何故か、温かな思いで胸がいっぱいになるのを感じた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ショートショートや短編の時には悲しいだけのエンディングでしたが、連載中にこのラストシーンを思いつきました。やっと、この物語を完成させることができたと思います。ありがとうございました。