苦言は薬なり、甘言は病なり
マンガ、作曲、小説、色々な創作物がありますが、
何故、作家は己の創作物を、公の場へ発表するのでしょうか?
誰の為に、発表しているのでしょうか?
褒められたいから?
厳しい意見を求めて?
同好の者を求めて?
又は、世間へ何かを周知したいから?
色々ありますが、作品発表において、作品の向こうに、他人がいる事は、確かです。
作品を通じて、誰かとコミュニケーションする事。
もっといえば、作品を通じて、己の主張を、誰かに振りまくこと。
これが、作品発表です。
特に公の場であるなら、不特定多数の人々に対して、作品という主張をしている事になります。
賛否両論あって当然なのです。
もしも、『自分の為だけ』に作品発表しているなら?
――その人は相当なエゴイストですね。
作品の向こう側にいる読者のことを、これっぽっちも意識していない事になりますから。
◆
芸術に正解はない!
芸術は自由だ!
こうした言い方で、あらゆる作品を肯定される方がいますが、
ならば、批判する事も自由な意見の一つになりますよね?
アドバイスと称したおせっかいは、ウザイ場合もありますが、誹謗中傷じゃない限り、一つの意見です。
中には、押しつけがましさを越えて、いちゃもんに近い場合もありますが、作品への愛があるなら、なんとか理解できなくもありません。
そして、内容について、率直なまともな批判であるなら、それは甘んじて受ければいいだけの話です。中には自尊心が傷つく人もいるかしれないですが、でもまっとうな意見を言われて、傷つく自尊心であるなら、そっちの方が問題だと思います。己を無謬視している訳ですから。
感想と言うのは、その読者の立場を示しているにすぎません。
ある人の立場では、共感できても、ある人の立場では、反感をかうこともあるでしょう。
賛否両論があって当然なんです。いろんな人がいるんですから。
そこにおいて、難しく考えることはありません。
あたりまえですよね?
なんだろう、
個人的にカチンとくるのは、
一部の作家において、読者の感想に対し、
『作家の(モチベーションの)為に褒めるだけでいい』
といった主張する事です。
読者は作家の為のボランティアではありませんし、担当編集者でもない。
――褒めるにせよ、批判するにせよ、それは読者が決めることです。
基本的には、読者は、中立の鑑賞者でしかありません。
読者がその作品を読んで、不快に感じたならば、批判していい。
それが許されないなら、
――作品という一方的な主張において、作家はまさに独裁者となるでしょうね。
◆
なんだろうな……、批判を怖がるのはわかりますけども、
でもね、
「自分の作品が誰かを不快にさせているかもしれない、傷つけているかもしれない」
と、考えられない方が、怖いと思います。
「自分と違う立場や考え方の人がいる」
「自分と他人は、同じ人間ではない」
「人と人が分かり合うのは、易しいようで、難しい」
あたりまえですよね?
そして、
理解されること、共感されること、それが喜びになるのは、
それが、当たり前じゃないからです。
本物の作品ってのは、普遍的な、多くの人が立てる場所を、物語に描く。
だから、すばらしい。
もちろん、普通は趣味でやるのが大抵だし、誰もが傑作なんて書ける訳でもない。
でも、作品を公の場所に発表する際、
そこに自分とは違う人々が、たくさんいる事を、意識することは、
誰にでもできます。
◆
最後にマキャベリの言葉で終わりたいと思います。
マキャベリ
――「君主はへつらいによって大事を誤るか、多すぎる忠言に困惑するかである」
その感想が、
善いものになるか、悪いものになるかは、
受け取り方によって、違ってくる、
と思います。