彼女は妖狐で俺は人間で ~夏休み1日目-13~
ーひきずりい、ひきずら、ひきずられえ。
部屋に引きこもるとほぼ同時に、彰の頭の中におかしな幻聴まで聞こえてくる。小夜狐の行動にストレスを感じていたが、「幽霊や妖怪にとり付かれると神経がおかしくなる」という優作のくだらない怪談話は、あながち間違っていないかもしれない。彰はどんどん負のスパイラルに引きずり込まれ、疑心暗鬼の状態に陥ってしまう。
「もう、俺に構うなよ」
「えっ……」
「しんどいんだよ! ……勝手に家上がって、自分の感情こっちに押し付けて、俺のことを振り回しやがって!」
たった2日、もっと言えば1日と半日の付き合いである。しかし、彰にとってこの2日間は一か月以上の長い時間のように感じられ、その凝縮された時間は彼に疲労感を与えるも考える時間を与えなかった。まるで迷路テストを繰り返したネズミのようなもので、キャパはすでに超えていたのだ。
「いきなり嫁に来たとか言い出すだけでなく、ふざけたかくれんぼ、ベッドへの不法侵入、既成事実を言いふらす、風呂というプライベート時間の搾取……。俺のことなんて何も考えず、所かまわず好き勝手なことばっかやりやがって。精神がもたないっつうの!」
「いや……。ベッドやお風呂に関しては、高校生的にはラッキーイベントんじゃ」
「そんなので喜ぶのは、漫画とかアニメの世界のキャラクターだけだ!」
小夜狐は彰の余裕のない叫び声に、それ以上言葉をつなげられなかった。一瞬の沈黙の後、彰は絞り出すようにポツポツと言葉をぶつけていく。
「お前は愛情表現のつもりでやってたんだろうな、色々と。お前がこっちに来るまでに得た知識を使った、自慢のアプローチなんだろうよ。でもな、現実世界でそんなことされても、重いだけなんだよ。それにな」
「……それに?」
「お前は俺のことを覚えていたんだろうけど、俺はお前のことを覚えてないんだよ。申し訳ない話だけど、俺にとってお前に関する記憶は夢のようなもので、残酷かもしれないけれど、俺の中では『無かった』話なんだよ」
「それは辛いけどさ……。でもほら、覚えられていない可能性については、『かくれんぼ』のときに覚悟してたって言ったじゃん。だから、そのことについては気にしなくていいから」
「そういう問題なんじゃねえんだよ」
もう我慢が利かなかった。小夜狐の身の上話を聞いて、あの笑顔の裏側に潜む「悲しさ」を知りたい。そう思う瞬間は確かにあった。でも、あまりに自分と彼女では歩幅が違う、思考が違う、思いの軽重が違う。そしてー。
「あのな、この際はっきり言うけど。妖狐と人間が一緒の家で暮らすなんて、やっぱ無理なんだよ。お前の勢いに乗せられて一瞬は大丈夫かなって思ったこともあった。でも、やっぱ無理なんだよ。俺たちは、違い過ぎるんだよ」
ドアの向こうからは何も聞こえない。ひどいことを言っていることは理解できていた。なのに、どうして彼女は何も言い返して来ないのか。それがわからなかった、理解できなかった、把握できなかった。あるはずの反応が返ってこない沈黙がこんなにも苦痛であることを、彰は知らなかった。
「……どうして」
やっと帰って来たのは、少し涙ぐんでいる声。
あの騒がしい小夜狐の小さくて、消え入りそうで、そのままどっか旅立ってしまいそうな涙声。苦しさから逃れたいばかりに付いた悪態に、当然とも思える反応がやってきて安心している自分がいる。安心というよりも、やっと自分から脅威が去っていくという安堵感が広がっていた。
しかし、小夜狐はドア越しに佇み彰にコンタクトを取ろうと語り続けてくる。
「どうして、あのとき受け入れてくれたあんたが、そんなこと言うのよ。源造さんと同じ言葉で、約束してくれたあんたが……」
祖父の言葉はいくらでも残っていた。まるで耳なし芳一が身体中に経文を書かれたように、彼の言葉は彰の中に刻まれていた。しかし、小夜狐の言う「祖父と同じ言葉」というのは、身体をひっくり返したところで出てこないだろう。
2日前まで彼女は彰にとって夢の住人で、その言葉も存在しないのと同じだったのだから。
彰は自分にそう言い聞かせた。
「悪いけどさ。お前にとっては大切な言葉も、俺の中には微塵も残ってないんだよ」
「10年も経つと人間って、中身が入れ替わるの? あたしの知っている彰は別のどこかにいて、ドア越しにいるあんたは、彰の着ぐるみを来た別人?」
「……そうかもな。もしそう思うなら、探しに行ってくれば?」
「知らなかったわ。人間って、妖狐よりも化けるが上手いのね」
小夜狐は冗談とも思えない言葉を残し、足音がドアから遠ざかっていく。彰は自分の行いによって思い通りの結果を手に入れた。なのに、どうしてだろう。どうしてこんなにも胸がモヤモヤして、目頭が熱くなってしまうのだろうか。
今の彰では、自分に起きている現象を受け入れることができなかった。




