02.少女モニカとテオ語録 ~虚構と現実~
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「テオ語録」とは。
あらゆる面で完全無欠な英雄騎士・テオの超絶的な英雄譚をまとめた一大叙事詩の名称。後の世においてベストセラーとなり、あまねく冒険者に憧れる人々を虜にしたとされる。
……実は、この物語の現時点においては、製作者の気まぐれによって発行されたばかり。全世界の人々の知るところとなるのは、もう少し先の話だったりする。
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「素敵っ! 本当にテオ様ね! お会いできるなんて夢みたいっ!」
興奮し続ける女の子。
熱烈な視線が突き刺さるその先にいるのは……男装したリコルであり、もちろんテオではない。もっとも姉弟ではあるから、似ていると言われれば、似ているかもしれないが。
というか、当のリコルにおいては現状が理解不能であった。
なぜ自分の弟が「様」付けで呼ばれ、目の前の女の子が夢中になるほどの人物になっているのだろう?
英雄騎士? 確かにテオは騎士であるし、かつてリコルらと共に地下迷宮を戦い抜き、世界を滅ぼそうとした「天使」を撃退した。英雄と呼べなくもない。
しかしここまで憧れられるほど、弟は人気があったのだろうか? 傍目で本人を見てきた実の姉としては、どう贔屓目に見ても答えは「否」である。何しろテオの外見は美形ではあるのだが、何故か目立たなかった。騎士の最強装備である「君主の聖衣」を身に着けていない時、仲間以外は誰一人としてテオをテオだと気付かなかったという──嘘みたいな本当の悲しき逸話が存在するぐらいなのだ。
どこをどう間違えた情報を、この女の子は鵜呑みにしてしまったのか。
そもそも人違いである。その事実を伝えテオの虚像を否定するのは簡単だが……ここまで純粋に尊敬の眼差しを一身に受けている手前、女の子の抱く夢を壊すのはさしものリコルもいささか気が引けた。
その気持ちは隣のセニアも同じだったのだろう。どう受け答えしたものか、決めあぐねている様子だった。
「……えっと、お嬢さん。お名前は?」
リコルはやや緊張した面持ちで、できる限り男っぽい口調を心がけて、女の子に尋ねた。
わざわざ演技する必要はないのかもしれないが、なんとなく自分は「英雄騎士のテオ」を演じなければならない、という強迫観念にかられてしまう。何より、今のリコルは姿も声も男性そのものであり、真実を伝えようとすれば余計な混乱を招きかねない。
憧れの「テオ」の言葉を受けて、自分がまだ名乗ってもいなかった事に気づいた女の子は、丁寧な仕草で頭を下げ……リコルに負けないくらい緊張した面持ちで、言った。
「あ、あたしっ……モニカ・バスカールと言います!
バスカール商会会長、グラン・バスカールの一人娘ですっ!」
「えっ……あの、バスカール商会の!」
リコルは驚き、思わず目を丸くした。
「知ってるの? リコ……じゃなかった、テオ」
隣で様子を伺っていたセニアが、小声でリコルの脇をつつく。即座に調子を合わせてくれるあたりが実に彼女らしい。
「西方の商会の中じゃ5本の指に入るほどの大きな交易商よ。グラン・バスカールと言えば、そこらの海賊よりも豪快な人物として知られてるんだから」
「……そーなんだ。っていうか商人が豪快って何」
「今まで、無謀とも言えるような危険な航海や貿易を何度も成功させてるの。
例えば大嵐の夜に、単身船を漕ぎ出して……見事に目的地まで辿り着いて、高騰した利益を独占したりとか。それで一代で成り上がったのよ」
「へえー……なんか本当にすごいんだね」
「まぁ! 高名な英雄騎士さまが、父の名前をご存知なんて!
身に余る光栄ですわっ!」
当のモニカはといえば、まるで自分の事を褒められたかのように頬を赤らめて、恍惚とした表情をしている。
「テオ様の素晴らしいご活躍ぶりはっ、この書物でよっく存じておりますのっ!」
宝物のように、しっかと大事に抱えて離さない。
そんな巨大な装丁の本を誇らしげに掲げるモニカ。
表題には「テオ語録」と、金属の装飾が施された文字が掘り込まれている。
(この訳の分からない本のせいで、テオったら、とんでもない誤解をされて……いったいどこの誰が、こんな非常識な本を書いたのかしら)
リコルは顔も見えぬ誇大広告の著者(実は彼女もよく知っている人物なのだが)に、恨めしい気持ちを抱かずにはいられなかった。
しかし、今はそれよりも……気になる事があった。
このモニカという女の子。嘘は言っていないようだが、バスカール商会という大金持ちの娘にしては、周りにお付の者すら見当たらない。
「……モニカ、と言ったね。ここには一人で来たの……かい?」
ぎこちない微笑みを浮かべ、テオっぽく(?)喋るリコルに対し、モニカは少し表情を曇らせて、ためらいがちに頷いた。
「き、君みたいな小さな女の子が、一人で出歩くのは……その、うん。
感心しない、な」
表情もキリッとさせているつもりで……傍から見ればものすごく引きつっているが……諭すリコル。その様子を爆笑寸前といった表情でセニアが横目で見ているのが見える。
「……ご、ごめんなさいっ」
モニカは気恥ずかしさのせいか完全に俯いており、限界ギリギリといったリコルの形相は幸いにして見えていなかった。その不自然な空気に気づいた様子もない。
「テオ様のおっしゃりようは、いちいちもっともです。でも、あたしっ……テオ様が近くにいらっしゃっていると聞いてっ……居ても立ってもいられなくてっ。
アル爺に無理を言って……その。こっそり、船を離れちゃったんですっ! 昔、事故に巻き込まれたことがあって……それ以来、お父様、あたしの外出を許可してくださらないもの、だから」
なるほど。リコルもセニアも、おおよその事情は飲み込めた。
それなら二人でモニカを伴って、バスカール商会まで送ってやればいい。モニカもテオ(リコルだが)と話せて満足するだろうし、万が一の心配もないだろう。
別れ際に「テオとして」ちょっぴり諭せば、この娘も今後無茶はしないはずだ。
リコルがそう考えた矢先の事だった。
「……待って、くださ~~~~い」
随分と間延びした、女性の叫び声が、その場の三人の耳に届いた。
振り向けば、市場の向かい側から……異様に乙女チックな、ひらひらしたフリル付の服を身に纏った妙齢の女性が、息を切らせまくって駆け寄ってくる。
すっかり憔悴し疲れきった様子で。モニカの姿を認めるや、その場にへたり込み肩で大きく息をしている。
その姿を見て、リコルとセニアは顔を見合わせた。見知った顔だったからだ。
「……ちょっと、ジン。何へばってんのよ。フユウオはどーしたのよ」
口を最初に開いたのはセニアだった。いやに冷ややかに聞こえたのは、気のせいではないだろう。
この女性……実はジンという名の男性であり、セニアの恋人である。
だが今は、見た目も声色も、体型すらも女性にしか見えない。それもそのはず、セニアの秘伝の忍術による「変装」を無理矢理施された結果、ほとんど性転換完了な状態にまで女性に化けてしまっているから、なのであった。
リコルは思った。確かにジンも命は狙われている。でも、明らかに「やりすぎ」だ。
セニアの声を聞き、その場にいる仲間二人にジンも気づいたようだ。
「……いえ、その……そこの女の子が……買い占め、ちゃった……らしく……」
「なーに言い訳してんのよ!」
居丈高な口調で問い詰めたのは、セニア……ではなく、モニカだった。先ほどのリコルに対するしおらしい態度とは、まるで別人のようだ。
「あなた、テオ様の下僕でしょう! ジュンの癖に生意気よっ!」
「…………へ?」リコルは完全に目を丸くした。ジュンって誰?
(つづく)