11.夢見る少女の戦乙女(ヴァルキリー)
「待っててモニカちゃん! コイツを倒したらお夕飯にしましょう!
さあ、かかってらっしゃい焼き豚ッ!」
「さりげなく私を焼き豚呼ばわりしないでいただきたい!
しかし……真面目な話、私の突進にどう対処するおつもりですかな?」
だが気がつけばリコルは──オークロードから逃れている内に、一本道の袋小路に追い詰められていた。
「ふッ……確かにすばしっこいお嬢さんだ。ですがここまでです。
この狭い場所では、私の突進を躱す余裕はありませんよ?」
「くッ…………!」
リコルは壁を背にし、冷や汗を浮かべ立ちすくんだ。
オークロードは炎を纏った両腕を広げ、再びリコルに向かって突進を仕掛ける!
「残念だけど──わたしもただ、逃げ回ってた訳じゃあないのよね」
「何!?」
「気づかない? 貴方はわたしを追い詰めていたんじゃない。
わたしに誘い込まれていたんだって事を」
リコルは槍を構えつつも──精霊術式発動の為の詠唱を終えていた。
(何かと思えば──カウンター狙いだろうが、そんな貧弱な呪文で私は仕留められませんよッ!)
オークロードは魔法を浴びる事おかまいなしに、リコルに突き進む。
しかし──彼女の狙いは敵ではなかった。自分の立っていた床だ。
「なッ!」
魔法剣士の操る《戦姫の槍》を床板に向かって放ち、大穴を開ける!
しかもその反動を利用してリコルは軽快に壁を蹴り、三角跳びの要領で天井まで駆け上がった。
さらに突進するオークロードの頭上を飛び越え──すれ違いざま竜槍の穂先を、たっぷり肉のついた亜人のうなじへと叩き込んだ!
「がッ…………!?」
肥満体の紳士は軽い脳震盪を起こし、ふらついた結果──リコルが呪文で空けた穴に足を取られ、すっぽりと下半身が嵌ってしまった。
何とかもがいて脱出しようとするオークロードの首筋に、リコルはすかさず槍を突きつけた。
「──これで勝負あったわね?」
「ぐぬぬ──お見事です、美しいお嬢さん。
このオークロード、素直に敗北を認めるとしましょう」
「ありがとう。モニカちゃんを丁重に扱ってくれてたみたいだし。できるなら殺したくはなかったのよね。
じゃあ──あの子は責任を持って、バスカール商会の下へ連れて帰らせてもらうから」
リコルの凛とした勝利宣言に、オークロードも大きく息を吐いて、決着がついた事を認めた。
「ふッ……槍をこよなく愛する美しき魔法剣士、ですか。
貴女に脂肪分・糖分・塩分の『余分三神』の加護があらん事を──」
「ごめんそんな呪い要らない。やめて」
そして彼は下半身が嵌った穴から抜け出そうとし、力を込めたが──いっこうに抜けない。
「──美しいお嬢さん。頼みがあります。
どうか私をこの穴から、引き上げる手伝いをしてくれないでしょうか?」
オークロードの懇願に、リコルはにっこりと笑顔を浮かべて言った。
「無・理♪ だって重すぎるもの」
「デスヨネー」
モニカは縛られていた両手を解かれると、リコルに抱きついた。
「……ありがと……お姉ちゃ……怖かった、ずっと怖……うわぁ~!」
「うん、うん……もう大丈夫だから、ね。モニカちゃん」
オークロードに優しくしてもらったとはいえ、海賊に攫われた事じたいは恐ろしかったのだろう。
リコルは泣きじゃくるモニカの頭を優しく撫でた。
昔を思い出す。小さい頃のテオも泣き虫だった。よくこうしてなだめていた……もっとも、泣かした原因の大半はリコル自身にあったりしたが。
「……お姉ちゃん、すごいね……テオ様みたいに、強かった……」
「……リコルよ」
「……え?」
「わたしはリコル。モニカちゃんの憧れの『テオ』の……姉よ」
「…………リコルお姉さま!」
「……えっと、『様』とかつけなくてもいいから、ね?」
「かっこよかったですリコルお姉さま! すっごい槍さばき! 尊敬しますわ!」
「できれば、あんまり他の人に言いふらしたりしないでね?」
「秘密の活躍ですのね! 了解いたしましたわっ!」
興奮の度合いを強めるモニカ。
リコルは辟易したが……それほど悪い気はしなかった。
ニセモノ同然の『テオ』に憧れられるよりは、幾分健全な気がしたし、何より弟のファンを自分に鞍替えできたというのは、理屈抜きで気分が良かった。
しかし──ひとつだけ気になる、未だ船倉を漂う香ばしい匂い。
リコルもモニカも、腹の虫が鳴った。
未だ下半身が嵌ったままの肥満体の姿を見て──ついリコルはボソリと呟いた。
「……茹でない豚は生の豚だ」
「ヒイッ!?」
「モニカちゃん。今日の夕飯、ポークソテーにする?」
「ブヒイッ!?」
哀れな豚はたまらず悲鳴を上げた。
「た、食べないで下さいッ!?」
「…………………………………………食べないよ?」
「エライ溜めた上に何故疑問形!?」
脂汗を垂れ流し続ける亜人に対し「冗談だから」と言い含め、リコルとモニカは船倉を後にした。
「せっかくだし、モニカちゃんが買い占めたっていうフユウオ。
珍味だって聞くし、食べてみようかしら」
「リコルお姉さまがそうおっしゃるなら、喜んでっ!
うちの商会に是非いらして下さい。きっとお父様も感謝してくれますわっ!」
二人が看板に上がると、丁度セニアとジンが全てを終わらせていた所だった。
* * * * * * * *
匿名の通報を受けた町の警備隊が、波止場の海賊船に乗り込むと、30名からなる船員たちは全てが倒れ伏し、気絶しているか縮こまって震え上がっていた。
彼らはいずれも怯えた様子で「ちんちくりんの仮面の女がっ」「ノーブル仮面──奴は悪魔だッ」などと、意味不明のうわごとを呟くばかりであったという。
ちなみに船倉に豚の亜人の姿はなかった。どうやら逃げおおせたらしい。
やがて風の噂で、モニカが父親グランに直談判して、外出の許可を求めたらしいという話をリコル達は聞いた。
さまざまな町の風俗や特産・商売の風聞を広め、バスカール商会の将来を背負うための礎にしたい、と決然と宣言されては──さしもの豪快なグランも折れるしかなかったらしい。いつの世も、父親は娘には弱いものだ。
但し外出の際には、執事や侍女たち、そして護衛の同行が条件とされた。当然と言えば当然である。なお護衛の任に当たったのはイザリ家の忍び──セニアの働きかけによるモノであった事は言うまでもない。
「……ジン。あたし決めた」セニアは独りごちるように呟いた。
「…………え?」
「リコルとの旅が終わったら……もっと姉上の手伝い、しようと思う」
姉上とは、現イザリ家の当主・スズセの事だ。
「どういう風の吹き回しで?」
「イザリ家が好きじゃないのは、今でも変わらない。シノビの汚い仕事や醜い争いは嫌というほど知っている……だからあたしは家を飛び出した。
でも……守るべきものの為には、そーゆー嫌なモノ全部ひっくるめて、受け入れないといけないんだって。最近知ったから」
微笑むセニアの横顔は、いつになく誇らしげに見えた。
「……セニアがよく考えた上で、そう決断したのなら。いいと思うよ」
ジンなら、いつだって自分を肯定してくれる。
セニアにとって彼の言葉は予想通り。だがそれ故に、心強かった。
「……ありがと、ジン。
そろそろ出発の時間ね。リコルもあんまり待たせちゃ悪いし。行こう!」
今までとは、ほんの少し変わった気持ちを抱き、セニアとジンは、リコルの待つ場所へと向かった。
真の「竜槍」を求める三人の旅は、まだまだ続く。
* * * * * * * *
後にバスカール商会の手により「テオ語録」は世界各国に広められる事となる。
その中に登場する「英雄騎士テオ」は、冒険者を夢見る多くの人々の憧れの対象となった。
しかしながら同時期にモニカ・バスカールが密かに著した手記に関しては、その存在を知る者はほとんどいない。
その手記の中で語られているのは、神話の戦乙女にも比肩しうる槍の使い手。
彼女が幼き日に巡り合った、彼女だけの「英雄」の姿である。
(おわり)
《 主な登場人物 》
リコル 魔法剣士の少女。真の「竜槍」を求めて奮闘中。
セニア 忍者。イザリ家の現当主スズセの妹。放蕩娘。
ジン 侍。空気が読めない男。セニアの恋人。
モニカ バスカール商会グランの娘。「テオ語録」の愛読者。
オークロード 豚鬼の貴族階級。脂肪界随一の紳士。
ワーアメーバ ライカンスロープ。強酸性の流動生物に変身する。




