表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新タイムスリップ自衛隊  作者: 暁 楓
開戦まで
8/14

第六話 日本海軍の増強

 海軍の艦艇の建造計画は未来からの情報により大幅に変わらなければいけなくなった。

 これからの戦争は、海軍は戦艦ではなく空母と航空機で戦わなければならない、つまり航空主兵装論に移るということだ。

 これは、自衛隊のもたらした未来のデータから明らかだったのだ。


 これに大艦巨砲主義を唱える人々は落胆したが、現在建造中である第3次海軍軍備補充計画(マル3計画)の2号艦(後の戦艦武蔵)は引き続き戦艦として建造される事が決定した。

 大きな変更点として、第4次海軍軍備補充計画(マル4計画)の戦艦として建造中の110号艦、111号艦は、空母として建造される事が決まった。


 現在予算待ちであるあった第5次海軍軍備補充計画(マル5計画)は、すべて廃止された。そしてアメリカなど各国のスパイに向け、新計画として流された。

 実際に計画に書かれている様に大分県大神(現在の速見郡日出町)に工廠が建設され、一号、二号ドックが巨大な屋根付きドックとして建造された。さらに屋根付きドック以外にも三号、四号ドックが建造され実際に駆逐艦を多数建造した。実際にこの一号、二号ドックで新たに建造された艦船はないが、航空母艦へのカタパルトの取り付け工事やエレベーターの拡張工事が行われた他、戦艦ではなく駆逐艦が建造されたりもした。他にも二号ドックでは、敵の急降下爆撃を受けた戦艦長門がここで修理されるなどしている。



 それらの計画をまとめた真の計画である第6次海軍軍備補充計画(マル6計画)がスタートした。

 このマル6計画では、第4次海軍軍備補充計画(マル4計画)の戦艦として建造中の110号艦は、空母として作られる事が決定し、同じく建造中の111号艦も空母として建造される事が決まった。

 この2隻は、史実の110号艦(信濃)とは異なる艦になった。自衛隊の空母の影響を受け、現在建造中の空母大鳳に試作導入したエンクローズド・バウや、自衛隊の保有する5隻の空母全てが採用する9度傾きのアングルド・デッキ、また今まで一度取り入れられなかったサイドエレベーター等が採用された。更に、戦闘の指揮の一極集中を避ける為、中央部の戦闘指揮所(CIC)が作られるなど、今までの海軍の艦船とは大幅に異なるものになった。

 この110号艦として建造されているは空母信濃は、艤装の最終段階になると横須賀を出港し、二隻の護衛の駆逐艦と共に自衛隊によって建設された父島のドックへと向った。信濃の最終段階の艤装として自衛隊に監修された電子機器が搭載された。この電子機器は、アナログ式の計算機ではなく当時の日本の技術で作る事のできた最高レベルのコンピューターであった。






 駆逐艦は、自衛隊からの情報により、戦争が始まると当初の予想より遥かに大量に消耗する事が発覚したので、それを見越しての建造が必要となった。その為、今まで建造してきた大型化した駆逐艦を再設計し直し、機能に制限をつけられた低価格な駆逐艦として新型駆逐艦を大量生産をする事が決定した。従来の大型の艦隊型駆逐艦も建造数は削減されたものの、建造は続けられた。

 この新型の松型駆逐艦は史実では太平洋戦争中に失った駆逐艦を補う為の駆逐艦であったが、戦争により失われるである被害を見越しての生産が行われる事になった。この新型の松型駆逐艦の建造により、今までの建造されてきた大型で高価な駆逐艦と小型で比較的安価な駆逐艦の二本立てのハイ・ロー・ミックスで運用される事となった。


 この松型駆逐艦は、その機関配置についても在来の日本艦艇とは異なったものとなっている。

 通常、日本海軍の船の機関配置は、艦首側から見て「ボイラー・タービン・減速機」と言うのが標準的な配置であった。しかし本艦は国産化された艦では初めて「シフト配置方式」を採用している。これは、機関室を前後2室に分け、前室に左舷用「発電機+ボイラー+タービン+減速機」、後室に右舷用「発電機+ボイラー+タービン+減速機」と交互に配置する形式となり、この為に細身の2本煙突は前後に離れているのが外観上の特徴である。

 従来の機関配置ならば機関区の前後長を抑えられて船体の大きさを抑える事ができる代わりに、どこかに一か所にトラブルや被害を受けると全てがやられて航行不能になる可能性が高いのに対し、本形式ならば建造の手間がかかるが右舷もしくは左舷の機関が破壊されたとしても残りの機関での航行が可能となり艦の生存性が高められる。

 実際、戦争が始まると敵の砲撃によって前部機関室が被弾し破損したが、もう片舷の軸が生き残り、航行不能とならずに戦場から離脱に成功したという事がおっこている。



 この松型は、他の駆逐艦に比べ対空砲がたくさん取り付けられている。その為、装備された魚雷発射管は夕雲型駆逐艦の半数の二基だけだった。

 松型駆逐艦の目的は、秋月形と共に戦艦、空母、輸送船を守る為の駆逐艦なのである。

 史実では、戦時中の劣悪な環境の中5ヵ月で作られていたが、今は新たな機械を取り入れ、工期はさらに短くなり、一隻4ヵ月で建造されている。

 この松型は、造船所が横須賀、呉、佐世保、舞鶴といった海軍の工廠だけでなく、一般企業でも建造された。更には工期を早める為に、職人が兵士を指揮するという普通ではあり得ない事もあったという。




 また、必ず空母もしくは、戦艦と共に行動する防空駆逐艦も量産された。防空駆逐艦として作られた秋月型駆逐艦の既に就役していた秋月、進水していた照月、涼月、初月の他にも急いで建造が進められた。

 初月の次の予定の新月以降は、自衛隊の手が加わった為、形が少し異なり中身も無駄がなくなり復元力も高くなってる。その為、改秋月型防空駆逐艦(または、新月型防空駆逐艦)と呼ばれるようになった。


 この新月以降の艦は、最初から42式イ型対空電探が取り付けられ、コンピューターの導入により、電探連動射撃装置が取り付けられた。

 新たに取り付けられた陸軍と共同利用されている2式90口径35mm連装高射機関砲もレーダー管制の射撃により、破格の命中率を維持していた。

 この42式イ型対空電探は、42式ア型対空電探と違い、近距離(半径25kmまで)は、何機いるかまで判別できるのだ。ちなみに42式ア型電探は、半径120kmまでの大まかな位置と大まかな機数が判るというものだ。

 戦争中には、この電探と連動した射撃により多くの機体を撃ち落とし、秋月型には近付くなとの命令がアメリカで出されたほどである。


 多くの駆逐艦には、最新の43式61cm誘導酸素魚雷が採用された。これは、敵の推進音に向かって進む誘導魚雷である。この魚雷は、まず7000m直進し、そこから敵の音を探して最大3500mの範囲を探し攻撃するように作られた。




 従来の軽巡洋艦、重巡洋艦には、大空砲とし陸軍と共通の砲である2式90口径35mm連装高射機関砲が多数搭載された

 重雷装巡洋艦の北上と大井は、元々船体は軽巡洋艦の為、積載できるものは少なかった。そこで、雷装を各舷二基ずつを残し撤去し、後部にはヘリコプター着艦スペースが作られた。さらに甲板上に木造ではあるが航空機を指揮するための航空管制室が作られた。

各舷から三基づつ取り除かれた魚雷発射管のスペースには、2式90口径35mm連装機関砲が設置された。




 史実では、その低速さから活躍の場がなく戦争の大半を瀬戸内海で過ごす事となった戦艦扶桑、山城、伊勢、日向は、6つある主砲のうち、3、4番砲塔が外された。その代わりに89式40口径12.7センチ連装高角二基にと2式90口径35mm連装高射機関砲が多数取り付けられた。高射機関砲は、主砲の爆風に耐えるためにカバーがついている。

 どの戦艦も重量のある45口径41式36cm連装砲を外したことで、戦艦扶桑、山城は速力が25.8ノットに、戦艦伊勢、日向は速力が27.2ノットになった。

 また、最新の42式ア型対空電探、42式ア型対艦電探、42式イ型対艦電探、42式イ号対空電探が取り付けられた。

 イ型対艦電探と共に装備された電探連動射撃装置によって、今までに比べ遥かに良い命中精度をだす事に成功したのであった。




 戦艦長門、陸奥は、装備されている50口径14 cm単装砲を18基をすべて撤去し、新造された43式53口径12.7cm単装高角砲を12基装備した。ただの高角砲だが、駆逐艦にしたら堪らない威力を持っていた。また、4基の12.7 cm連装高角砲も同様に43式53口径12.7cm単装砲を連装砲に造られた砲に置き換えられた。

 さらに、2式90口径35mm連装高射機関砲が12基配備された。これは、新月型(改秋月型)と同じ様に42式イ型対空電探が取り付けられ、電探連動射撃装置によるレーダー管制射撃であり、新月型(改秋月型)と同様に良い命中率を誇っていた。さらに陸軍で使われているア式12.7mm重機関銃も10基付けられた。このア式のほうは、レーダーと連動しているわけではないが。

 戦艦長門、陸奥にも最新の電探が装備された。





 戦艦大和、2号艦(武蔵として就役するが現段階では儀装中の為名前が決まっていない)は、大幅な見直しが行われ、かなりの設計変更が行われた。

 装備は以下のようになった。


 45口径46cm三連装砲塔:3基

 60口径15.5cm三連装砲塔:2基

 53口径12.7cm連装高角砲:12基(戦艦長門、陸奥に装備された43式53口径12.7cm連装砲)

 90口径35mm連装機関砲:64基(秋月型など多数の艦船に取り付けられている2式90口径35mm連装高射機関砲にカバーを付けた物。)

 12.7mm連装機関銃:20基( ア式重機関銃の改造にカバーを付けたもの )

 12.7mm機関銃:10基( 艦橋に付けられた。これだけ完全な手動 )


 さらに大和、武蔵は、新型のコンピューターを取り入れ、12.7mm連装機関銃を除きレーダー連動射撃が可能となった。艦内に大日本帝国海軍初の戦闘指揮所(CIC)を作った艦ともなった。もちろん、他の戦艦同様に電探が付けられた。、





 航空母艦も大きく変更があった。

 第一航空戦隊の航空母艦赤城、加賀からは、20cm単装砲が全て外された。さらに赤城、加賀の12cm連装高角砲は戦艦大和や潜函長門と同様の53口径12.7cm高角砲に代わり、25mm連装機銃も全て2式90口径35mm機関砲に置き換えられた。

 その為、赤城では搭載機が予備を含めて

 三式艦上戦闘機三五型:42機

 彗星艦上攻撃機一七型:55機


 加賀には、搭載機の予備を含めて

 三式艦上戦闘機三五型:45機

 彗星艦上攻撃機一七型:59機


 以上のように搭載機が増えた。



 他の正規空母では、龍驤、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴でも、53口径12.7cm高角砲、90口径35mm機関砲に代えられた。

 また、上の空母全てには、電探が装備された。

 これらの艦には、新たに油圧式カタパルトが装備された。お陰で、発艦の効率が倍以上になった。



 潜水艦母艦、高速給油艦から、空母に改造が行われた。軽巡洋艦からの大井と北上も改装が行われて空母となった。

 瑞鳳型:瑞鳳・祥鳳・龍鳳

 千歳型:千歳・代田

 北上型:北上・大井

 の7隻の軽空母ができた。

 もちろんこの7隻の軽空母すべてに、油圧式カタパルトが搭載されている。







 などなど、続々と兵力を強化していった。

ブックマーク登録の評価お願いします

感想もお待ちしています

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ