第五話 改革
色々と忙しく一週間以上空いてしまいました。
翌日、12月5日各大臣が招集され、自衛隊についての話を東条首相から受けた。その後に自衛隊の艦隊の司令官の川上一等海将とその副官の神田二等海将、上陸部隊の司令官斎藤三等陸将は、各大臣との会談を行った。
その日の夕方には、急遽予定を変更した天皇陛下と3人は会談を行った。天皇陛下は、未来から来た自衛隊を歓迎した。
天皇陛下の意向によって、更なる会談を行う事が決定した。
今まで開戦派だった東条首相も自衛隊の事をうけ、色々と考え直していたのだ。自分が回りに出来ると言われ勝てる気がしていたのだ。
この東条が開戦反対派に回った事で、陸軍参謀本部総長の杉山率いる主戦派は反発した。
これに、東条首相と嶋田海軍大臣と天皇陛下は、御膳会議を開き開戦を避けようとした。
しかし、陸軍参謀本部総長の杉山率いる主戦派は、一度陛下が決定した事を覆すはずが無いと宣言し、配下の陸軍を使い東条などの開戦反対派を襲撃した。
この襲撃に、東条を含む要人の幾人かは対応が出来ず襲撃されてしまった。
この襲撃を行うという情報をいち早く掴んだのは、自衛隊の旗艦やまとであった。傍受していた無線から気がついたのである。
事が起こる前から自衛隊は、作戦を行う事を決定した。
自衛隊の部隊は、その襲撃から川上一等海将らを守る為に、部隊を派遣した。ついでにその原因を取り除く為、特殊部隊を派遣した。
ぼうそう型揚陸艦二番艦おしか、三番艦あつみが主力艦隊から離れ東京湾方面に向かった。
揚陸艦おしか、あつみからは、次々と二個分隊を特殊作戦群の兵士らを乗せた大鷲が飛び立った。
この当時の東京は2038年と違い灯りが煌々と輝いている訳でもないので、部隊は余裕を持って空挺を行う事が出来た。
大鷲は多少のステルス機能を有している為か、日本軍に気付かれる事なく、全機揚陸艦に帰投した。
揚陸艦おしかの大鷲から空挺した特殊作戦群の兵士らによって無事に川上一等海将ら幹部は保護された。空挺降下した特殊作戦群の兵士にとって、個人用暗視装置を装備しない日本陸軍の兵士など敵では無かったのだ。
さらに、揚陸艦あつみの大鷲から空挺した特殊作戦作戦群の兵士の半数が捕らえられている東条を確保した。それと同時に残りの半数が参謀本部総長杉山宅を襲撃し、杉山本人を確保した。そして杉山派に属する軍人を次々と捕まえていった。
この杉山一派の反乱から5日後、天皇陛下は会見を開き宣言した。
このように天皇陛下自らが会見を行うということは普段あまり無い事であり、多くの報道陣が集まった。
「 記者の皆様、どうか私の言葉を一言一句残さずに新聞に載せて、国民に伝えて下さい。
私は、今回の陸軍参謀本部総長の反乱という行為を誠に遺憾思います。今回の反乱でアメリカに対して戦争をしようとする人々を捕らえました。
日本の臣民に対して、アメリカはハル・ノートを出しました。これを私は、許すことはできません。
ハル・ノートとは、先程配ったものに載っています。
しかし、私に戦争をするつもりはありません。アメリカに攻め混むつもりもありません。
この反乱がなければそのようになっていたとしか言えません。
わたしは日本の天皇なのです。そのような臣民の過ちを直すための存在なのです。
私たち大日本帝国は軍拡を行い過ぎたところもありました。必要だったから仕方ないと言うつもりはありませんが、間違いを犯したと言うわけでもありません。私たちは、今後しかるべき措置をと取るつもりです。
今この国は、大日本帝国として在るべき姿になろうとしています。
その事を忘れないで欲しい。今、戦争などという愚かな事を起こさないでほしい。」
日本の天皇は、そう言った。
アメリカに日本国内で反乱が起こったという知らせが届いた。アメリカでは、日本の海軍の暗号を解読していたのでもうすぐ真珠湾が攻撃されるはずだったのだ。それがいきなり反乱が起こり平和にと言われたのだ。
自身の目論みが狂った大統領のフランクリン・ルーズベルトは激怒していた。大統領は、中国の蒋介石と日本の対話を邪魔したり、石油の輸出を妨害したり、日本と戦争の準備に必死になっていたのだから。そして、ついにその時が来ると思っていたところだったからである。9回裏にピッチャーに逆転ホームランを打たれた気分であったのは言うまでもない。
さらにルーズベルトを起こらせていたのは、日本で起こった反乱によってで目指している事が平和だという事である。
日本の天皇陛下は、会談から半月後に天皇陛下はまた会見を開いた。その会見て天皇陛下自ら中国に行き、今までの必要以上の攻撃を行った事を謝罪するために蒋介石に断られようとも中国へ行くと宣言した。
日本が重点的に攻撃を行った重慶を訪れ、中華民国の蒋介石と会談をしていた。
天皇陛下と蒋介石では、以下の様なことが話し合われ、日本は中国と合意した。
・重慶の日本軍による包囲を解き、元々決定してい万里の長城より南より撤退する事
・中華民国の首都北京を中華民国に返還する事
・多額の賠償金の代わりに朝鮮半島の利権を受け渡す事
(北側の満州よりの地帯は、未来の知識により資源があることが分かっていたので渡されなかった。)
・さらに、日本と共に極東ロシア軍が南下した場合に備えて対ロシア用の同盟を結ぶなら、日本軍の最新鋭戦闘機の零式艦上戦闘機、九六式陸上攻撃機、一式戦闘機など、対アメリカ戦に備えていた航空機を売る代わりに資源と交換する事
・日本軍が南下する場合の街道の通行許可を必ず発行する事
などであった。
そして天皇は、中華民国の国民に迷惑を掛けたという謝罪は、ラジオによって全土に伝えられた。
いくら本土を安全にするためというがそれでもアメリカと敵対する日本とその様な条約を結んだという事がアメリカ軍を中国から撤退させるきっかけとなった。
その反乱後に天皇陛下が一つ勅命を出した。。そして、以下のようなことを言われた。
『そもそも軍隊とは、この帝国を守るために存在しているものである。それには、陸軍も必要であるが海軍も必要である。その理由は船がなければ陸軍は、海の上を移動できないからである。これは、分かりきった事である。戦車は海を走れないのだから。
それだから海軍なのだ。日本の周りは海しかないので、海軍は必要なのである。
陸軍は、最後の盾であり、最大の矛でもあり、日本の最大の弱点でもある。
どういう事かと言うと陸軍は、移動が出来なければ矛に成れないし、盾にも成れないからである。現にそれを分かっていない彼らがこの間、開戦をしようとしていた。
現在、彼らの様な人々はいなくなったが、私に不満のあるものもいるとも思う。不満のある者の話を私が直接聞こうではないか。そして、詳しく説明して上げよう。納得できるはずである。
(一部省略)
そこで私は、陸軍と海軍を統合することにした。
陸軍省、海軍省を廃止し、陸軍、海軍、そして、新たに作られる空軍を管理する軍務省を設立する事をここに宣言する。
そしてこの軍は、臣民の為にあるものである。
臣民がいるからこの国は発展する。その国の宝の臣民を守るために軍は存在する。これは、男も女も関係ないのだ。全ての臣民の為に国が豊かになるために、軍は臣民を守らねばならない。
そして最後に人事を発表する。これは、この国にとって最も良いと思われる人である。彼らが平和を導いてくれるであろう人だ。
軍務省 永野修身大臣
陸軍 牛島 満 大将 長官
海軍 山本 五十六 大将 長官
空軍 大西 瀧治郎 中将 長官
戦略諜報軍 川上 翔 特務中将 長官
とする。』
本来は、特務大佐までしか無いが、勅命による例外として作られた。
何故、自衛隊のトップがこの様な役割を与えられというと、国防軍艦艇では、世界中の飛び交う暗号解読する事ができるからである。そして、公に活動するためにこの様な方法が必要だったからである。
また、2038年の日本国防軍には、日系2世以降の人々の部隊があり、それにより、各国の情報を得られると判断されたから。
表向きは陸軍中野学校を継承し、スパイを育成する機関である。だが、真の理由は国防軍の存在を隠す為である。
また、内務省の管轄下に置かれている特別高等警察がこの戦略諜報軍の管轄下に入った。
※本来は特務大佐までしか無いが今回は、勅命による例外である
これによって、史実のように大本営と参謀本部、大本営と軍令部の命令違いのようなことが無くなり、一つの組織として動くようになっていったのである。
また、別の勅命も出された。
『軍を強化するために父島、母島諸島を軍の土地とする。現在すんでいる住民には、新な土地に移って貰い、賠償金を支払う。
迎えに出した輸送船で引っ越ししてもらう』というものだった。
こは、国民はなんとも思わなかった。軍の関係だとしか気がつかなかった。
それもそのはずである。まさか未来の軍艦を収容する施設を造るとは思わないはずである。
さらに、別の勅命で新憲法が発布された。
『
(省略)
』
内容は、未来の日本国憲法を参考にして作られ、軍隊は臣民を守為にあり、国家の存在を危うくする場合に行動をすると記されていた。
また新憲法の発布に伴い、東条首相や各大臣は大忙しだった。
新憲法になり新たに作られた法律に以下のようなことがあった。
・男女雇用平等法
・土地総合開発計画
・港湾発展計画
・消費税導入計画
これは天皇が、未来の知識から得た事を国の為にと考えたものであった。
1942年4月24日にモスクワまで出向いた日本の東条首相とソビエト連邦ヨシフ・スターリンとの間で北樺太北西満州交換条約が結ばれた。
これにより、大日本帝国は、樺太全島を得て満州の北西を失った。この条約の裏には日本陸軍の一部が満州から撤退が条件にあったが日本は認めた。ロシアにとっては、対ドイツ戦に割ける兵士が多くなるので損は無かったのだ。
これにより日本は、北樺太油田を手にいれた。
この頃、三陸リアス海岸と呼ばれる地帯に新たなる地下造船所ができていた。これは、旧式戦車をブルドーザーに変え国内の発展に使用した為に早くできていた。
また、各港の造船所も新たにドックを増築するなど、戦争に備えていた。
この頃自衛隊は父島を要塞化していた。
その諸島の島々には、地下ドックがあり本格的な修理から造船まで何でも可能な未来的なのドックができていた。
父島列島だけでなく母島列島にも同様に島々に基地が作られていた。どの島も上空から、見ただけでは分からないようにカモフラージュされていた。
そして、その要塞の一部はコンピューター管理の全オートの機械工場ができていた。そこでは、日本各地の工場向けの工作機械を作っていた。
それができるのは、ふじ型ドック型工兵艦があったお掛けである。
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この間ネットショッピングをしていたら
’お一人様56点限り’という商品を見つけました。
誰がそんなに買うんでしょう(笑)