表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新タイムスリップ自衛隊  作者: 暁 楓
プロローグ
2/14

プロローグ2話

2/26日に大幅な改稿を行いました。

 





 北朝鮮の主導者は、アメリカ大統領バラクオ・バマーの言葉を無視し続けた。


 韓国は、北朝鮮による進撃を許していた。首都であるソウルを失った韓国は、まともに軍隊を動かす事が出来なかったのだ。その為、韓国軍の基地は北朝鮮軍に攻略され、その基地で奪われた武器が韓国人に対して使われるという悲惨な事が起きていた。



 アメリカ軍は、韓国を助けるべく北朝鮮が突如韓国を攻めてから三日目の9/6に平壌爆撃作戦を行った。米軍の岩国基地から平壌まで戦闘機で30分で行けるのだ。その近さを利用しての奇襲作戦であった。しかし、目標である平壌で国の上層部を殺す事には失敗してしまったのである。


 その後もグアムのB-52ストラトフォートレスや岩国の基地から飛び立ったF/A-18E/FスーパーホーネットにMk.84 汎用爆弾を搭載した部隊が何度も爆撃を行ったが国の主導者を殺す事は出来なかった。





 戦争が始ってもなお日本の国会では集団的自衛権の在り方について話われていた。

 日本では、韓国軍が北朝鮮軍に負けるはずないと思っていた。それはそのはず、アメリカの力を借りた軍隊がこんなにも早く負け、南部まで追い詰められる事態を想定していなかった。

 これは、韓国軍は多くの兵士が我先に逃げ出す事が多発し、戦列を維持することが困難になってしまった事が原因であり、わずか1日でソウルが陥落させられてしまった理由であった。だが、この事を知るはずの無い日本の議会、世界中の国々は、ただこの負け様に驚くしか出来無かった。



 さらに日本中を驚かせる事が、北朝鮮が韓国を攻撃して三日目に起こったのだ。韓国からの漁船等を使って日本に避難民が、押し寄せたのだ。マスコミを巻き込み、アメリカから止められるまで問題に取り上げた慰安婦問題があるにも関わらず、日本に逃げて来たのである。

 戦争が起こってしまった以上、避難民が押し寄せてくるという事なら、まだ多くの人が納得できるであろう。

 だか、この国は一味違っていたのである。韓国海軍の艦船が佐世保に逃げてきたのだ。イージス艦の一番艦世宗大王と駆逐艦5隻とドクト級ドッグ型揚陸艦が逃げてきたのだ。

 本来戦わなければならない軍が逃げてしまったのである。


 その船には、軍人とその家族が乗っていた。自身と家族だけで軍を使い逃げてきたのである。

 そればかりか、彼らは船から降りてくるなり文句をいい始めたである

「なぜ、日本人は我々を助けに来ないのだ!!」

「何で日本人は、隣人を見捨てるのんだ!」

「日本人が助けに来ないから我々は、戦えないのだ」

「ふざけるな日本人」

「出ていけ日本人、ここはもともと我が領土だったのだ。」

 などなど、いろいろ文句を韓国語で言い、彼らは避難してきた先の日本を罵倒し、文句を言いはじめたのであった。それは誰が聞いてもおかしいと思うような事であった。


 この様子をテレビで見ていた日本人達が唖然としたのは言うまでもなく、世界中の人々もこの内容をニュースを見て驚いたのであった。そして、こんな国にホントに救う価値はあるのか世界中の国々に思わせたのであった。






 この時、国会では集団的自衛権だけではなく、これからの事が話し合われていた。

 これ以上戦闘が激化し、何らかのミスで日本に火の粉が舞って来るかもしれないのだ。そうなってしまえば個別的自衛権の問題である。日本が決して安全とは言えなくなってしまっているのだ。



 この時陸上自衛隊は、万が一に備え、第七師団を中心とした多くの部隊を南下させていた。

 さらに海上自衛隊は、もしもに備え弾道ミサイルを迎撃するためにイージス艦5隻を日本海にむけて出撃させた。

 舞鶴からは、

 こんごう型護衛艦のみょうこう

 あたご型護衛艦のあたご

 佐世保からは、

 こんごう型護衛艦のこんごう、ちょうかい

 あたご型護衛艦のあしがら


 さらにそれらのイージス艦を守るための艦も多数出港していった。






 9/9には北朝鮮軍は、未だ抵抗するアメリカ軍基地を除き首都ソウルを陥落させ、韓国第3の都市の仁川も陥落させ、南部の世宗を攻略中であった。


 9/10に日本の政府は、北朝鮮に声明を発表した。

 それをまとめると「このような戦争行為を行う北朝鮮は許せない、このような行為を止めなさい、日本人の人質解放を願う」という内容だった。


 これを受けた北朝鮮政府は、無視を続けると思われたが人質解放の事にだけ反応をした。

 特使を派遣した日本政府との会談で北朝鮮兵に捕まった捕虜は、大量の食料との交換する事が条件となった。


 この事は、世界中の誰が考えても、なぜ北朝鮮の上層部が何を思ったか分からなかった。まさか北朝鮮が交換するとも思えなかったからだ。過去の拉致事件は未だ解決していないのにである。




 北朝鮮の攻撃は、一回の攻撃による強硬突破を狙ったものであった。その為、一般の歩兵は食糧の補給を受けられなく、補給が受けられるのは砲弾だけであった。そう彼らは、侵略した値での略奪によって生きているといってよかったのだ。

 その為、北朝鮮にとって食料と人質を交換することは、非常にありがたかったのだ。


 そして、日本は、護衛艦と共に輸送艦を連れて仁川まで食料を運ぶことを決めた。そして食料と引き換えに日本人の人質の身柄を引き渡すことになった。


 また、日本はそのどさくさに紛れ韓国の釜山に自衛隊を派遣する事を決定した。自衛権を派遣するのは、まだ北朝鮮の攻撃の及んでいない釜山から速やかに日本人の避難を行う為であった。




 これに対して、いまだに中国に滞在して、母国に帰れない韓国の大統領は、猛反発した。


「日本人は、また同じ過ちを繰り返すのか!

 100年前と同様にまた我が韓国の神聖な領土を踏みにじるのか!

 彼らに上陸させてはならない!

 我々の国は我々が守り抜くのだ!」


 せっかく助けてくれる国を怒らせてどうすると多くの人が思った。さらにこの国は救いようの無い国だと世界中の国々から思われた。中国にすら呆れられたそうだ。



 韓国大統領は猛反対したが、アメリカ大統領の説得により、韓国大統領は黙り、日本は自衛隊を派遣する事となった。


 この時、アメリカは中東での戦闘を中心とした政策とっている。その為、アメリカ自身も既に厄介だと考え、世界的にも現在避難されている韓国を助ける事に価値を多く見いだせなかった。だが、同盟国である韓国をただ見捨てる事は、アメリカ人のプライドが許さなかったのだ。

 その為、アメリカは北朝鮮にソウルから撤退するという条件で艦艇を派遣した。


 当然アメリカ艦艇は、北朝鮮にとって攻めて来たら厄介な相手である。そこで北朝鮮は、アメリカのソウルからの撤退の代わりに、人を連れていく事を許したのである。

 ただでさえ、食料が無くて始めた戦争であるだけに北朝鮮には、捕虜を生かしておくだけの力がないのである。


 時の日本の政権は、集団的自衛権を国会で採決し、可決した。これによって日本は、堂々と軍事行動をとれるようになった。



 この15日後、つまり9/23に日米両艦隊は、出撃した。

 米艦隊と共に食料を積んだおおすみ型輸送艦のおおすみ、ひゅうが型護衛艦のいせ、その他イージス艦を含む護衛艦7隻、潜水艦も公表されないが出撃した。

 日米合同艦隊は、北朝鮮の攻撃を警戒しなが仁川を目指した。


 日本の残りの艦隊は佐世保で補給を受けた逃げてきた韓国艦隊と共に釜山を目指した。

 この釜山へ行く部隊には、おおすみ型輸送艦のしもきた、くにさき、ひゅうが型護衛艦のひゅうが、いづも型護衛艦のいづもを中心としたした輸送力の強い艦が選ばれた。

 しもきたには、10式戦車を15両とその整備部隊

 くにさきには、96式装輪装甲車30両など

 ひゅうが、いづもには、普通科の隊員らが乗り込んだ。



 仁川にいった部隊は、無事に捕虜を交換することに成功した。自衛隊が北朝鮮軍と取引した食料は、一部が横流しされ、ほとんどは北朝鮮の上層部に持っていかれた。


 また、アメリカ軍も多くの人々を助けることができた。そして、アメリカ軍はソウルからの撤退を決意した。既に基地はほぼ陥落しかかっているのだ。その中で戦う兵力はアメリカに残っていないのだった。





 それに対して、釜山では、日本人の救助はほとんど無事に成功した。しかし、救助に行った部隊は、なぜか韓国陸軍の戦車部隊に攻撃されるという事態に陥っていた。

 これには、自衛隊だけでなく世界中の人々が驚かされた。


 自衛隊側は韓国軍対してに無線で警告したが攻撃をやめないので、自衛隊は仕方なく10式車は威嚇射撃を行った。だが、韓国軍の戦車部隊は攻撃を止めるどころか、さらに攻勢に出た。そこで自衛隊の戦車中隊は、自らを守る為に倍の数の戦車との戦闘になってしまっていた。

 自衛隊の10式戦車は、K-1戦車に対して砲撃を行い一撃で葬りさった上に、被弾をする車両は数量しか無かった。その被弾した箇所も10式戦車の優れた装甲を貫通することもなかった。

しかし、韓国陸軍の対戦車兵器であるパンツァーファウスト3によって側面を攻撃された一両が行動不能になってしまった。自衛隊は自らこの一両を爆破し韓国側の手に渡らないようにした。

 自衛隊は、この事件があった事でこのまま韓国にいれば、新たな戦争の火種になると考え、直ぐに釜山からの撤退を決めた。

 これが戦争開始から1ヶ月後の事だった。





















 戦争が始まってから約3ヶ月たった12/5に北朝鮮軍は、韓国最後の大都市である釜山まで50kmに陣を張っていた。

 この位置は、アメリカ軍、韓国軍が設置した最終防衛ラインと対立する位置であった。この位置を境に両軍とも動かなかった。北朝鮮は保有する核兵器を使用する事も無くそのまま、戦線は硬直していった。


 北朝鮮には、中国が密かに支援をしていたのだ。最初は戦争が起きる事を知らされて無かったが中国は、北朝鮮に対して恩を売っておいたのだ。


 アメリカ軍は、ソウルから撤退した兵士らを釜山に再上陸させ抵抗をしていた。しかし、中東での紛争と韓国の両方に兵力割いたアメリカは財政が厳しく戦争を長続きさせられないと考えた。

 そこでアメリカは、中国経由で北朝鮮に密使を派遣した。



 朝鮮半島は、北朝鮮に統一されたわけではない。しかし、ほぼ統一された。





 アメリカが韓国には何も言わずに決めた北朝鮮との協定では、釜山郊外の硬直している防衛ラインからは中に入らないという事である。



 アメリカが決めたこの北朝鮮とのラインは、韓国大統領は納得しなかった。戦争が終わっても徹底抗戦を叫ぶ元韓国大統領は、北京のホテルで何者かに暗殺された。


 これによって占領された都市で反北朝鮮の制力は、ほとんどなくなっていった。反対しているとばれれば、殺されるか、鉱山送りになることは、わかっているからだ。



 唯一残った釜山には、新韓国政府が誕生した。

 そこの釜山政府は、アメリカ軍がかえってしまえば、北朝鮮にいつでも占領される事となるのは目に見えていたのでアメリカ、さらには日本に媚びをうって自国を守ろうとしたのだった。















 年が明けて2017年に。日本政府は戦争が終わり、事後処理で大忙しだった。さらに 事後処理だけでなく、次年度の予案など多くの問題あったのだ。


 

 その後、日本政府が行った主なことは、


 ・日朝基本条約を結び、戦後70年初、朝鮮民主主義人民共和国と国交を成立させた

 ・食品、日用品を除いた品物の消費税の増税。増税は、消費税は10%とされた。

 ・年金の審査の改革

 ・国防費の増加---2017年度には国家予算の6%に増加した。(4%から2%増加)

 ・自衛隊を軍する憲法9条を改めた

 ・自衛隊の海外での行動をする法律を整えた。

 特に国連PKO等に参加する時のために

 ・自衛隊の装備品の販売開始

 ・人口増加計画

(子供が四人以上の家族には、高校、大学にも補助金を出すなど)

 ・防衛大学の定員増加。

 ・一般募集の兵士の定員増加。

 ・軍事衛星の打ち上げ計画。


 などなど行った。






  そして2020年になると自衛隊の予算は、国家予算の9%まで増加した。



   2020年から始まった10式戦車改と言われる10式戦車Ⅱ型の販売では、シンガポール、インド、台湾などアジアの国に向けての販売が成功を納めていた。

 従来の10式戦車は、Ⅰ型と呼ばれ区別されるようになった。

 この通称10式戦車改こと10式戦車Ⅱ型は、55口径120mm砲を装備し、正面装甲は装備をした55口径120mm砲を耐える装甲に変えられた。その他にも装甲が増加したした事で増加装甲を外した状態での重量が40tから90式と同等の50tにまで増加した。従来の外付けのモジュール装甲は、このⅡ型でも採用されている。

 この10式戦車Ⅱ型は、従来の10式戦車の軽量で北海道以外での運用というコンセプトからかなり外れてしまったが、朝鮮戦争での市街地における戦闘により発覚した個人の対戦車兵器より攻撃など弱点を克服したものである。

 更に新たな増加装甲としてルーフアーマーやベリーアーマーが開発され、サイドスカートも従来の約1cmの圧延銅装甲板から厚さ約25cmのセラミック装甲が採用される事となった。その他にもIED妨害装置などの追加装備が可能となった。

 それらの各種増加装甲すべてを装備すると、この10式の戦車Ⅱ型は、約58tにもなるのだ。

 このⅡ型は、まず九州を中心に配備された。




   2020には、2016、17、18年の間に配備された16式機動戦闘車は、99両に達していた。

 平成26年度(2014年度)に計画された陸上自衛隊の機動旅団の四個機動旅団の内一つが完成する見込みがたった。この年四国に配備されている第14旅団は、74式戦車を配備する第14戦車中隊に代わり、16式機動戦闘車一個大隊が配備された。さらに、新たに編成し直された二個歩兵連隊、旅団本部と本部中隊への96式装輪装甲車を集中的に配備が完了した。

 残りの機動師団、機動旅団も計画が進んでいる。

 開発の遅れによって装輪155m榴弾砲は実践配備が遅れ、今年2020年に20式装輪155m榴弾砲として制式採用が決定した。その為未だにFH-70を使用している第14特科中隊は、ついに機動旅団の完成に漕ぎ付くこうとしていた。





 新たなる装輪装甲車として開発されていた装輪装甲車(改)だが、2019年突如小○製作所が防衛産業から撤退を発表し三○重工に売却した為、開発は三○重工に移った。

 三○重工は、16式機動戦闘車と小○製作所の96式装輪装甲車のノウハウをもとにした、新たなる装輪装甲車である2021年に完成させた。

 この21式装輪装甲車は、順次機動旅団化が進む各師団に配備されて行った。初年度である21年に21両調達した後、基本モジュールを登載したものを年間約40両ずつ調達を急いで進めて行った。

 更にこの21式は、96式装輪装甲車と同じ八輪の装輪装甲車で、基本の23tという戦闘重量は16式機動戦闘車より少し軽いだけであり、諸外国の現代の八輪装甲車両よりも重くなっている。車両自体も96式装輪装甲車と比べ大型化している。

 全長×全幅×全高 8.6m×2.92m×2.73m

 この基本車体にすべての増加装甲を装備した場合約32tにもなる。

 この21式装輪装甲車は、「ベース・シャーシ」(基本車台)とは別に設計された、多様な任務に応じて作られ交換可能な多種の「ミッション・モジュール」によって、様々な要求に柔軟に対応できる。ベース・シャーシはモジュールとは独立しており、各モジュールは1時間以内に交換が可能になっている。それぞれのモジュールは3重床と共に、最初の安全セルが組み込まれている。また屈曲形成された防弾鋼板で構成されており、外部に追加装甲を取り付けることで必要な防御力を得る構造になっている。

 モジュールは、八種類の以下のモジュールが三○重工を中心とした企業の合同で開発が行われた。


 装甲兵員輸送モジュール(基本モジュール)(21式装輪装甲車)

 移動司令部モジュール(通信指揮車車)

 医療モジュール(移動野戦病院車)

 兵站モジュール(トラック)

 救急搬送モジュール(装甲救急車)

 戦闘被害修理モジュール(戦闘工兵車)

 120mm迫撃砲モジュール(自走迫撃砲)

 44口径120mm滑空砲モジュール(機動戦闘車)


 この21式の基本となる車体は硬質鋼で作られ、この基本車体と車両のセルとの間には、モジュラー装甲が挟み込まれ、これら3つがボルトで固定される。

 モジュラー装甲は今のところ特殊なセラミックス複合体であるが、将来、その厚板を交換するだけで容易に新たな装甲技術へも対応が可能となっている。地雷・IED対策として車内にはフローティング・シートが採用され、車体底部にもV字型の増加装甲を装着できる。また、ERAも開発されている。乗員は車長、操縦士含め11名となってい。

 車体装甲は、トップアタック子弾や対人地雷に対しても防護し、自衛隊が初めて採用した衝撃吸収機能の備わった「吊り座席」によって車体下での爆発から乗員を保護するよう設計されている。与圧式のNBC防御装置と改良型空調装置が標準搭載され、動力室と乗員・兵員室には自動消火装置が標準搭載される。

 更にこの21式装輪装甲車には、熱・レーダー・音響に対する高度なステルス技術が用いられ、排気管は車体左側の第2輪と第3輪の間に下方に向けられ熱放射を低減しており、走行音は小さくなるよう配慮され、車体形状もレーダー反射特性が考慮されている。


 この21式装輪装甲車は、急速に近代化を進めるインド陸軍に300台の納入が決定した。





 また、朝鮮での戦争の事を踏まえて、襲揚陸艦の必要性を感じたので、おおすみ型の発展型となるとドック型輸送艦の計画が始まった。


   尖閣諸島を守るための航空母艦の必要性も感じられた為に、アメリカから原子力空母ジョージ・ワシントンとその艦載機としてF35-C搭載する機数分を購入した。

   名前は、あかぎ型戦闘機搭載原子力護衛艦とされた。名前に航空母艦と入れなかったのは、あくまでも侵略の意図は無いと世界に示したかったからだ。












 2020年を境にアメリカ軍は、徐々に日本からの撤退を開始した。

 もともと同盟国であった韓国は、既にアメリカとの同盟を解除しているのでそれは気にされなかった。

『日本は、アメリカ軍が守らなくてももう大丈夫』という勝手な理由をつけて撤退していったのだ。

 撤退をすると言ってもすべての部隊が撤退するわけではなく、横須賀を母港とする第7艦隊などはそのまま配備され続ける事が今の所決まっている。最も日本で問題とされる沖縄の海兵隊もグアムやその他の土地に移動となった。


 これには、アメリカの財政再建の為という理由でアメリカの過激な大統領ジャック・ポーカーが行った。さらに「日本に原子力空母も売ってやっただろ。」という勝手な理由をつけてである。

 実際に原子力空母は、買わされたと言ったほうが本当は正しいのであるが。



また、アメリカ軍が撤退をした事により、自衛隊員の増員が行われた。

その為に出来た部隊の幹部を確保するや、組織の細分化などにより、幹部が増えた。そこで、旧来の幕僚長(将)、将、将捕と言った階級が見直された。

幕僚長は一等○将、その下に一等○将、二等○将、三等○将、という形になった。






 2038年になる。


 朝鮮民主主義人民共和国は、韓国を占領したことによって、多くの技術を手にいれた。

 そして平壌やその外都市に日本企業を受け入れ、新たな工業地帯として発展した。

 北朝鮮は、ハンガンの奇跡の再来とまで言われるほど急成長した。中国製品よりも安い北朝鮮の品々によって、多くの市場を確保していった。

 また、軍事製品も大量に大量生産し、多くの国に売られて行った。数を揃えるなら中国製より北朝鮮製、いい質のものがほしいなら日本製、金が足りないなら諦めて中国製とまで言われるようになった。




 また、極東の軍事情勢は、

 中国、朝鮮、日本、ロシア、台湾.....韓国となっていた。





 北朝鮮の発展により中国経済は、大打撃を受けてしまっていた。

 そのなかで、追い討ちをかけるように1/23に中国を発展に導いた土地バブルが崩壊した。中国は、旧正月どころではなくなっていた。

 中国政府は、経済混乱を防ぐためにいろいろ行ったがどうしようもなかった。結局中国は、軍を動かし暴動を沈めた。中国政府としては、自国の経済に大打撃を与えた北朝鮮を攻撃し、民衆を押さえようと考えていた。

軍は、もし北朝鮮に攻撃をして主導者を怒らせた時の核を防ぐことは難しいと判断した。あまりにも北朝鮮とでは、距離が近すぎるからだ。

 何とか民衆を納めようと政府が慌てている間に軍が暴走した。


 5月3日日本人がゴールデンウィーで浮かれていた日にこと起こった。沖縄が突如中国空軍によって攻撃された。

 第二次朝鮮戦争の時と比べると半分もない米軍基地、新設された国防軍基地は、大多数のミサイルにより壊滅的な被害を受けた。


 そして、それから7時間後には、中国軍による揚陸作戦が始まった。

 中国軍は、新型の航空母艦2隻を作戦に投入し、沖縄の制空権を確保していった。さらに大陸からの支援もあり、日本はすぐに沖縄を確保できず、沖縄を奪われてしまった。




 5/10に日本の自衛隊は沖縄奪回作戦を決行。


 艦隊は二つに分け、前衛艦隊は通常の護衛艦を中心とした部隊、主力艦隊は空母と民間フェリーなどを借り陸自の上陸部隊、それを守る為の部隊である。

潜水艦は、前衛艦隊よりも更に先行した位置から、主力艦隊後方まで工大な面積に展開していた。

空自は、低気圧の中を抜けるこどが困難なため、低気圧から離れた所、つまり艦隊から大部離れた位置を早期警戒管制機の他に数機の護衛しか飛んでいなかった。


 その中、艦隊は低気圧の中進んだ。





投稿一日目にして45件もブックマークが付き嬉しく思ってます。

これからも頑張って行きます!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ