表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新タイムスリップ自衛隊  作者: 暁 楓
開戦まで
12/14

第十話 戦争へ

 


 戦争の切っ掛けは不幸な事故から始まった。

 日米間の交渉は進まず、ただ時間だけ過ぎていき早一年半。

 それは1943年10月4日の事だった。


 フィリピン沖で日本の輸送船団を護衛している駆逐艦、軽巡洋艦の上空をフィリピンの米軍基地から飛び立ったP-38四機がいつも通り、日本の輸送船団の直上を挑発しながら飛行していた。


 この日はどうしてそうなってしまったのか原因は分からないが、毎回反撃もせずに耐え続けていた海軍の艦艇に激突した。超低空で軽巡球磨の後方から接近したP-38が、高度が低すぎた為に軽巡洋艦球磨の艦橋に激突したのだ。

 この時、艦橋激突したP-38の爆発で53cm魚雷に誘爆しその爆発で残りの53cm魚雷三本が続けて爆発した。その爆発で軽巡洋艦球磨は船体が真っ二つに割れ、P-38が激突してから、完全に球磨が沈むまで15分とかからなかった。

 残りの艦艇で必死の救助作業が行われたが、乗員384人中84名しか救助出来なかった。

 艦橋に激突したため、この輸送船団の司令の大佐も亡くなってしまった。


 この輸送船団は、旗艦を軽巡洋艦球磨の他に

 軽巡洋艦阿武隈が

 第17駆逐隊の浦風、磯風、谷風、浜風が

 第32駆逐隊の桑、桐、杉、槇が

 輸送船22隻を守っていたはずだった。そう、守っていたはずだったのだ。だが、軽巡洋艦球磨は沈んでしまった。


 残りのアメリカの戦闘機はその事故を目撃するとすぐに逃げて去って行った。

 このアメリカの戦闘機の行動は、軽巡洋艦阿武隈からビデオで撮られていたのだ。

 これは、繰り返すアメリカの挑発に、日本が世界にとった対抗策の一つで世界に向けてこの録画された映像を公開していたのだ。

 今までは、イギリス、ロシア共に無視をし、反応したのは中国国民党、ドイツ、イタリアだけだった。


 今回の映像を見たアメリカは、日本が勝手に作った物で事実ではない言い張った。

 イギリス、中国(国民党北京政府)は、無言を貫いた。

 ロシアは、この事には触れないから武器のさらなる支援しろと要求した。

 ドイツ、イタリアは、同盟国としてアメリカに批判の言葉を浴びせた。

 中国(国民党南京政府)は、日本に対して軽巡洋艦が沈没したこの事件で多数の水兵ぎ亡くなった事に哀悼の意を示した。


 この時中国は、日本から支援を受けていた(汪兆銘率いる)北京政府と、アメリカから支援を受けていた(蒋介石率いる)重慶政府では日本との対応を巡り対立は有るものの、反共産主義という面で協力をしていた。その面では蒋介石率いる重慶政府も日本との関係があったがそれ以上でもそれ以下でも無かった。




 この事件を境に日本とアメリカは、国交が断絶と言っていいような状態になっていく。そこから戦争に発展するという最悪の事態を回避するために日本は、外務大臣を派遣しハワイのホノルルでの会談を望んだ。過去に一度近衛首相とルーズベルト大統領の首脳会談がでもし話がまとまらなければ真に憂慮すべき結果を生むという理由で行われなかったので、今回日本側は、外相会談を望んだのだ。

 これにアメリカ側も賛成した。

 日米外相会談は、1943年12月2日から行われる事が決定した。

 日本側は、今回の外相会談に派遣する東郷外相を乗せた戦艦陸奥を旗艦とする日本艦隊がホノルルに入ったのは、軽巡洋艦球磨沈没事件の約2ヵ月後の11月29日だった。




 日本艦隊は、

 戦艦 陸奥

 重巡洋艦 青葉、衣笠

 軽巡洋艦 川内

 駆逐艦 吹雪、白雪、初雪、叢雲、東雲、白雲、磯波、浦波、敷波、綾波、天霧、朝霧、夕霧、狭霧

 補給艦、給油艦



 ハワイに寄港した日本艦隊に歓迎があるはずも無かった。

 今や敵とまではいかないが、そうなりかねない関係であるからだ。

 アメリカ軍の関係者の中では、旧式の日本艦隊を馬鹿にするものが多かった。今回の派遣された日本艦隊は、1920年代に作られた艦が多数だったからだ。

 一部軍人は、これだけの装備でしか来ない日本に舐められと激怒する兵士もいた。逆に日本では石油が不足しているためこれだけ艦隊が限界だったのだと冷静に分析をする者もいた。


 そんな中、12月2日から国務長官コーデル・ハルと外務大臣東郷茂徳との外相会談が行われた。

 それから3日たっても交渉は全く進まず、何も進展がなかった。

 アメリカのハル国務長官は大統領からの戦争を日本側から起こさせよという密命を与えられていた為、戦争回避しようとする日本の東郷外相の提案に賛成する事は無かった。

 それだけでなく軽巡洋艦球磨轟沈事件の事を一切認めなかった。

 アメリカ側が日本側がかなり譲歩した提案を認めず、対米開戦反対派である東郷外相も許容範囲の超えたアメリカから要求を認める事は出来なく、外相会談では何の解決の手がかりさえ産まなかった。

 それどころかハル国務長官は、戦争開戦の用意がこちらにはあるなどと日本側を脅した。



 この会談の報告は即座に日本に伝えられた。この会談でハル国務長官の提案を日本側は、再び最後通牒と捉えた。

 日本ではああ、この日米外相会談に賭けていただけあり、この結果に失望した。

 この結果を受け日本では対米開戦をついに決めた。これに自衛隊サイドはまだ事を起こすには早いと反対したが時は待ってくれなかった。


 この外相会談で日米の亀裂は決定的な物となり、この交渉が決裂し外交交渉は打ち切りとなった。

 そして今ハワイで交渉を行った東郷外相だけでなくすべての外交官の帰国を決定した。日本側からは、12月31日を期限とする事実上の最後通牒となる文書を手渡した。


 以後日本とアメリカの国交は断絶状態になる。





 アメリカと比べ戦力の少ない日本は、戦争を起こす場合の優先目標はハワイのアメリカ太平洋艦隊とされた。ハワイはアメリカが日本を攻撃する場合全ての艦艇が立ち寄る港といっても過言ではない超重要拠点だからだ。

 作戦は、自衛隊によって作られたコンピューターでシュミレーションが行われた。

 だが、公になっていない自衛隊艦艇も多数参加することが決まっていた為、一部修正が加えられた。


 作戦は、この日米外相会談の破綻後すぐに準備され、作戦決行は1月2日とされた。

 この作戦は、二年前に海軍が行う事を計画した真珠湾攻撃作戦に基いて作られた。


 このオアフ島占領作戦に参加艦艇は日本海軍の戦闘艦艇の半数が当たり、この二年間の間に新設された艦や部隊が多数参加する事が決まっていた。この作戦には、海軍だけ出なく陸軍も参加する事が決まっている。









感想とブックマーク登録お願いします!

評価もしていただけると励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ