第八話 陸軍の進化
陸軍は、改造が特に大変だった。
なんせ、部隊を率いる少将・大佐クラスの一部は、精神論を武器にしていたからだ。
日露戦争で行われたような銃剣突撃や無闇な突撃では、勝てないと教え込むのに時間がかかった。何よりも火力が大事だと教えた。
新小銃は、自衛隊と同じ弾を撃てるようにするため、5.56mNATO弾となった。敵が未来に使う弾を使うとは皮肉なものだと自衛隊の兵士達が思ったのは言うまでもない。
新小銃は、AK-47を元にして作られた。
まぁ、弾薬の口径を変えただけなのだが。
AK-47と言えば、有名なのはご存知だろう。
AK-47は、ミハエル・カラシニコフが1947年に開発した小銃である。この小銃は、ロシアのみならず全世界に普及した。その素晴らしい基本設計から80年以上を経た1938年においても、この銃とその派生型は、砂漠やジャングル、極地など、あらゆる紛争地帯における軍隊や武装勢力の兵士に使用され続けている、最も信頼される基本装備になった素晴らしい小銃である。
制式名称:42式小銃
種別 アサルトライフル
口径 5.56mm
銃身長 415mm
ライフリング 6条右回り
使用弾薬 5.56x45mm弾
装弾数 30発
作動方式 ガス・ピストン式 回転ボルト閉鎖 セミ/フルオート切替射撃
全長 855mm
重量 3,900g(マガジン無しの状態で)
発射速度 600発/分
銃口初速 730m/s
有効射程 650m
追加装備 二脚/42式狙撃用スコープ(実際には、ほとんど使用されなかった。)
この42式小銃は、全兵士に配らなくてはいけないので、生産が急がれた。
その為、本土だけでなく、満州にある工場でも作られ、毎月約5500挺が作られた。
これと同時に兵士の輸送用のトラックを作ることになった。日本軍には、自転車が採用されているがこれでは、遅いからだ。
自転車は、新設された部隊に回された。
新なトラックは、自衛隊時代に使っていた73式大型トラックである。この73式トラックを改良して生産されたのが42式大型輸送車である。この42式大型輸送車は、まず国内に配備され、その後に満州の関東軍へと配備がされていった。
制式名称:42式大型輸送車
全長 7,450mm
全幅 2,585mm
全高 3,180mm
車両重量 8,570kg
積載量 悪路3.5t、道路6.5t、兵士22名
最高速度 105km/h
この高性能のトラックの登場よって、国内では自動車による輸送がより活発になり、満州では鉄道から外れた地域での輸送で活躍した。
戦争が始まると、輸送機白鳳とこの42式大型輸送車の組み合わせにより補給が迅速に行われた。
この42式大型輸送車は様々なバリエーションが作られた。
・42式移動式指令本部(後部は、75mmの戦車砲に耐えられる作りになっている)
・42式大型レーダー車
・42式燃料輸送車
・42式装甲車(この42式装甲車は兵士輸送用の車両である。これは、トラックの荷台に薄い装甲板が張られ、前面のフロントガラスを撤去し、12,7mm重機関銃の射撃に耐えられるよう鉄板が張られた車両である。最もこのタイプが多く作られた。この42式装甲車には、車両上部にア式12,7 mm重機関銃が取り付けられたタイプなどもある。)
1942年時に帝国陸軍が配備していた99式軽機関銃は、分隊支援火器であって主力兵器では、なかった。
そこで、開発されたのが前話に出てきたのが42式小銃である。ただ、この42式小銃は、400mを越えると弾のばらつきがひどくなりるという欠点があった。それを補うために1小隊ごとに狙撃銃が配られることになった。
それは、史実のロシアで作られたAK-47を元にして作られたドラグノフ狙撃銃を元にして作られた。
この新狙撃銃は、42式小銃と同じ弾を用いる為、補給で混乱が起こりにくくなった。
制式名称:42式狙撃銃
種別 セミオートマチックライフル
口径 5.56mm
銃身長 850mm
ライフリング 4条右回り
使用弾薬 5.59x45mm弾
装弾数 30発(箱型弾倉)/ 42式小銃と同じ弾
作動方式 ガス圧利用(ショートストロークピストン式)、ターンロックボルト
全長 1,385mm
重量 4,450g
銃口初速 830m/秒
有効射程 1500m
追加装備 42式狙撃銃用スコープ / 二脚 / 4式消音機
スコープを付けた状態で無風なら1000mまでは人に当てられた。それは、うまい人ならだが。各小隊の一般兵士は、800mぐらいが限界とされた。
42式狙撃用スコープは以下のような性能だった。
拡大率 4x
対物レンズ経 24mm
射出瞳 6mm
アイレリーフ 80mm
照準線蛍光用電源 42式充電式バッテリー1個
重量 0.6kg
全長x全幅x全高 375x70x132mm
また、10小隊につき1小隊は狙撃小隊を配備した。
狙撃時には、観測手と狙撃手が一組になり、撃つことが徹底された。
新戦車に関して国防軍は、悩んでいた。国防軍は、74式戦車を作ろうとしていたが、技術的に無理があったのだ。20年も先の技術を生産するには無理があったのだ。そこで出来たのが新戦車である。たしかに74式戦車と同様の形をしていた。しかし、コンピューターなど搭載されておらず、近代化されていなかった。
1942年時の日本軍に配備されている戦車に比べれば遥かに良い装備だったが。自衛隊から見れば雑魚な戦車にかわりは無いのだか。それは言ってはいけないお約束である。
唯一最新式の無線が装備され、味方戦車どうしの連携がしやすくなった。
74式戦車の特徴的な油圧式サスペンションも整備が複雑な為、装備されなかった。その代わりに車体横側の装甲が35 mmから50 mmになり、さらに、50mmのスカートが付けられた。これにより弱点の横側をカバーしようというのだ。
この2式戦車の性能を見た陸軍の工兵達は、驚いた。自分達の開発した新型の戦車の性能を遥かに上回っているのだ。
制式名称:2式戦車
全長 9.45m
車体長 6.70m
全幅 3.18m
全高 2.45m(スカート装備時)
重量 38t
懸架方式 油気圧式
速度 53km/h
行動距離 300km
主砲 52口径108mmライフル砲
副武装 車載ア式12.7mm重機関銃(砲塔上面)
エンジン 三菱10ZF22WT 空冷2ストロークV型 10気筒ターボチャージド・ディーゼル 720PS/2,200rpm
排気量 21,500cc
乗員 4名(車長・射撃手・操縦士・装填手)
ここでア式12.7mm機関銃についてしるしておきたい。これは未来で使用されているブローニングM2重機関銃である。この時もアメリカ軍では、使われているが。
制式名称:ア式12.7mm重機関銃(ア式十三糎機関銃といわれる事が多かった。)
種別 重機関銃
口径 12.7mm
銃身長 1,143mm
ライフリング 8条右回り
使用弾薬 12.7x99mm NATO弾(通常弾、焼夷弾、徹甲弾など)
装弾数 ベルト給弾(1帯110発)
作動方式 ショートリコイ
全長 1,645mm
重量 38.1kg(本体のみ)・58kg(三脚を含む)
発射速度 485~635発/分
銃口初速 887.1m/s
射程 2,000m(有効射程) 6,870m(最大射程)
追加装備 42式狙撃用スコープ
これは、日本軍の主力兵器となっていくのだった。
ちなみにこのア式12,7m重機関銃は、爆撃機等の機体にも使用されている。
この2式戦車は、車体を流用した35mm機関砲を2門搭載した高射機関砲車も作られた。
これは、自衛隊の87式高射機関砲とは完全に別物である。87式のような高価なレーダーなど作れないからだ。そこでL-90に搭載されているシステムをそのまま作った。もちろん搭載されている砲は、90口径35mm対空砲機関砲KDAx2門であるが、KDAは省略された。
制式名称:2式90口径35mm高射機関砲搭載車
主砲 2式90口径35mm高射機関砲2門
砲弾 35x228mm
口径 35mm
仰角 +85°~-5°
旋回角 360°
発射速 550発/分( 1門あたり )
初速 1,175m/s (弾種により変化)
有効射程 4km( 有効射高 )6,000m( 焼夷榴弾 )12,600m( 曳光弾 )
この高射機関砲搭載車は、2式戦車に随伴することを目的に作られた為、同様の性能をもつ。
最高速度は、この2式高射機関砲搭載車の砲が少し早いのは、砲が軽いからなのだ。
この機関砲は、海軍でも採用され、戦艦、空母から、駆逐艦までの多くの艦に装備された。
さらに、2式戦車の車体は、2式弾薬補給車となった。これも2式戦車に随伴して行動がとれるように設計せれた。
戦車と高射機関砲だけでなく、歩兵も必要だったが、歩兵は42式装甲車で同様に行動が出来るので問題なかった。
野砲の開発についてだ。日本陸軍の野砲は、日露戦争後から使用している物や馬で引く物など、どれも時代遅れだった。そこで新型野砲を配備する事が決まった。
そこで選ばれた野砲が、自衛隊の装備でもあるFH-70、81 mm迫撃砲、105 mm無反動砲であった。
FH-70は、2式カノン砲として配備された。この2式カノン砲を牽引する為に牽引車の74式特大型トラック(通称7tトラック)も製造され2式カノン砲専用牽引車として運用された。
制式名称:2式カノン砲
種別 榴弾砲
口径 155mm
砲身長 39口径長
重量 7,800-9,600kg
全長 9.8m(牽引状態) / 12.4m (射撃状態)
全幅 2.56m(牽引状態)
全高 2.56m(牽引状態)
砲員数 8名
砲架 開脚式
最大自走速度 20km/h
俯仰角 -5.6゜~ +70゜
旋回角 左右に56°ずつ
砲口初速 827m/秒
最大射程 24km
発射速度 3発/15秒(最大)3-6発/分(持続射撃)
弾薬 砲弾・薬嚢分離装填式
砲弾 2式155mm榴弾/2式155mm徹甲弾
輸送は、2式カノン砲専用牽引車が行った。牽引車の性能は省略します。
続いて迫撃砲について。当時日本陸軍で運用されていた九七式曲射歩兵砲は、その軽量さや発射速度の速さ・発砲時の音や煙が少ない点が高い評価を得ていたが、ストークブラン式迫撃砲の本質的特徴である射撃精度の低さからくる弾薬消費の多さが好まれず、当初は二線級師団の代用兵器として中国戦線の警備部隊ぐらいにしか配備が進んでいなかった。
こんL1681mm迫撃砲は、砲身など主要3部分に分解することで人力でも運搬が可能であり、歩兵に追随して山中などでも運用が容易になっている。さらに、砲身は滑腔砲身を採用しているほか放熱の為その下部外面にはフィンが設けられている。81mmクラスの迫撃砲としてはずば抜けて軽量であり、自衛隊が採用した利用の一つとなっている。
制式名称:2式迫撃砲
種別 迫撃砲
口径 81mm
砲身長 1280mm
重量 36.6kg
銃身 12.7kg
マウント 12.3kg
ベースプレート 11.6kg
砲員数 3名
旋回角 全周
砲口初速 225m/s
有効射程 100-5650m
最大射程 5650m発
射速度 20発/分(最大)/12発/分(持続)
弾薬 81mm迫撃砲弾
この迫撃砲は、歩兵連隊で運用され、戦闘では、歩兵の心強い味方となった。
続いて、105 mm無反動砲である。これは、対戦車用の砲として重要な装備とされた。歩兵部隊の移動時には、43式大型輸送車の荷台に2門乗せられ、歩兵と共に移動した。
陸軍の戦車の配備不足を補う為大量に配備された。この105m無反動砲は、歩兵連隊にも配備され敵車両を撃破するために使用された。
制式名称:2式無反動砲
種別 無反動砲
口径 105mm
砲身長 31.75口径長(3332.7mm)
砲身構造 特殊鋼製
ライフリング 36条右回り(20口径/1回転)
重量 209.5kg(三脚付き)
全長 3,404mm
全高 1,220mm
砲架三脚式 性能
俯仰角 -17°~+65° -17°~+27°(砲身後部が三脚の真上にあるとき)
旋回角 360°
砲口初速 503m/s
有効射程 1,580m
最大射程 7,700m
発射速度 1発/分
弾薬 2式105mm榴弾/3式105mm徹甲弾
これらの野砲は、満州の平野でロシア軍を圧倒するだけでなく、迫り来るアメリカ軍にも効果があるものが選ばれた。
装備では、世界最強の陸軍となったのは間違いない無かった。ただ、どの装備も43年現在配備が完了していないのが現状であった。
旧式装備のおお多くは、中国の蒋介石率いる国民党に渡された。
戦車などの車両は、国内に持ち帰らせ、国内の発展に使用された。ダムや高速道路などの建設に使用された。
高速道路は、計画はすぐにたてられた。そして、建設も急いで初まった。
そのお陰で、戦争の始まるより前の1943年1月26日東京から東海道を通り、大阪、山口を繋ぐ『東山高速道路』が完成した。その先は、関門海峡があるために出来なかった。現在の様トンネルを掘ることは不可能であり、ここから先に行く場合は、船となった。
さらに、同年4月15日東京と岩手、青森を結ぶ『東森高速道路』が開通した。この2つの高速道路は、合わせてやまもり」高速と言われるようになっていく。
なぜ青森までかと言うと、岩手には第六次海軍軍備補填計画で新たに建設された地下三陸海軍基地があるので重要だったのだ。そこを隠す為に、本州の端から端までという名目で高速道路を作ったのだ。呉から三陸まで一本で行けるようになったのである。三陸海軍基地は、自衛隊が協力し出来た最新の基地である。中には、造船所もあり、最高の設備が整っている。
三陸海軍基地は、自衛隊の本拠地でなくある父島諸島と定期的に月に2回輸送潜水艦が行き来しているので、さらに重要なポイントなのだ。その輸送潜水艦は、自衛隊からのアドバイスを受け作られた最新の艦である。ただ、見た目を伊号潜水艦と似せているので、最新の潜水艦とは、気づかれないように配慮されている。
三陸海軍基地は、基地の外周を陸軍が新たに建設した練習場となっており陸軍のチェックをまず通り、基地に入る為には海軍からのチェックも受けなければならず、さらに戦略諜報軍が行うチェックのトリプチェックによりスパイを排除しているのだ。
ここは、横須賀の司令部よりも厳しいチェックがあると言われている。
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