第43話「想いよとどけ! クリスマスプレゼント大作戦!」
薄暗い雲に覆われた空から、はらりはらりと雪が降る。道路には薄い雪で覆われて、歩くとサクサクと軽快な音が鳴る。子供たちは友達とはしゃぎながら歩いていく。
「……はぁ」
そんな、幻想的な光景を目の前にしながら、大きくため息をつく少女が一人。
夢野百合子、中学2年生。
雪の舞う12月24日、世に言うクリスマス・イブ。一年の中でもかなりの盛り上がりを見せるこの日に、町もクリスマス一色だ。町ゆく誰もが、今日という日を待ちわびていた。
魔法少女になってすでに10ヶ月もたち、魔法の使い方も上達している。ダークハートとの戦いもそれなりになってきたと思う。
だが、百合子の気持ちは重い。
「ため息なんてついてると、幸せが逃げるよ」
「そんなこと、言われても」
横に並んで歩いていた黒猫、ルーナの励ましも、気休めにも鳴らなかった。
「大丈夫だよユリコ。喜んでくれるよ」
「そうだと、いいんだけど」
百合子は自信なさげに視線を落とす。
そこには両手で抱きしめるように持っている少し大きめの紙袋ある。この中には、あるものが入っており、それが彼女の悩みの原因でもある。
「ゆ、り、こぉー!」
不意に底抜けに明るい声が響くと同時に、百合子の胸が鷲掴みにされる。
「い、いやぁー!?」
突然のことに顔を真っ赤にさせて悲鳴を上げる。それを気にもとめずにもみくだす。
先ほどまで横に並んでいたルーナは身軽な動作で近くの石ブロックの塀に上る。その間に、なんとか百合子は自分の胸をつかんでいる人物をなんとか引き離す。
「んー、まだまだ成長段階ってところかなぁ」
「って、みどり、なにするのよ!」
胸を押さえ、顔を真っ赤にする。彼女の視線の先には、手を鷲掴みの形をしながらニヤついている少女。百合子と同じ学校の制服を着ているボブカットの少女は、花村みどり。同級生であり、親友だ。
(ユリコ、それじゃあ僕は適当にブラブラしてくるよ)
(あ、うん。終わったら呼ぶね)
ルーナは念話で話しかけると、さっと姿を消していく。そんな黒猫に気づかずに、みどりは話を続ける。
「ほら、揉んだら大きくなるって言うじゃない。百合子ったら気にしてるみたいだからさ」
「だからって何もこんなところで揉まなくてもいいでしょう!」
顔を真っ赤にして憤慨する百合子に、みどりは笑顔でなだめている。この親友は面倒見もよくいい人ではあるのだが、どうもオヤジのようなセクハラをする悪癖がある。
「だって、せっかく素敵なクリスマス・イブだってのに、百合子ってば暗い顔してんだもの」
「それは……」
その言葉に、百合子は紙袋を抱きしめる。クシャっと、紙袋が鳴った。
「ちゃんと、出来たんでしょう。圭司君へのプレゼント」
「うん……」
紙袋の中に入っているのは手編みのマフラー。今日の日のために彼女が四苦八苦しながら編んだものだ。想い人のことを考えながら。
「じゃあ、後は手渡すだけじゃない!」
「そう、だけど……」
それが、一番の問題なのだ。恥ずかしがり屋で引っ込み思案な彼女にとって想い人に対してプレゼントを手渡すというのは大問題なのだ。
自信なさげな親友の姿に、みどりは大きなため息を一つ。彼女のことをよく知っているが、知っているからこそ今日こそは勇気を出させねばならない。
「いい、百合子。今日がどれだけ大チャンスなのかわかってるよね?」
みどりの言葉にうなずく。
友人でのクリスマス会、みどりが百合子のために企画したイベントだ。普段、人気の高くファンに囲まれているためにプレゼントを渡すのは至難の業だ。そのためにみどりが圭司の仲のよい友人と結託して開催したイベントだ。
友人間でのイベントなので、普段は高い壁となって立ちふさがっているファンがいないために、彼にプレゼントが渡しやすくなると言う寸法だ。
「今日こそ、プレゼントを渡して想いを打ち明けるのよ……圭司君、貴方のことが好きです、て!」
雪の上で器用にクルリと回転すると、膝をつけて大仰に言うみどり。それはどちらかと言えば王子様の姿に思うのだが、百合子は突っ込まないでおいた。
「でも、自信、ないよ……」
その光景を想像しただけで顔を真っ赤にして、紙袋で顔を隠す。
「大丈夫だよ、百合子は充分可愛いんだから、自信持たなきゃ」
「うん……」
実際、みどりの言うとおりだと百合子も想っている。何よりも、自分のために今日のイベントを計画し手くれたことも感謝している。だから、がんばって手編みのマフラーを作ったのだ。
「がんばる……」
「ようし、その意気だ! ファイト、百合子!」
友人の言葉に、小さく微笑む。
「ありがとうね、みどり」
「いいのいいの、友達でしょ私たち」
微笑みあいながら二人はイベント会場へと向かっていく。
「「「メリークリスマース!!」」」
互いのお小遣いを出し合って買ったそこそこのごちそうを前に、男女がコップを掲げる。百合子を含む女子四人と、男子四人の小さなクリスマスパーティー。
「えー、今日はお忙しい中、お集まりいただいて……」
「なに授業参観の教師みたいなこと言ってんだよー」
「雰囲気よ、雰囲気」
みどりのボケに男子からヤジが飛ぶ。場所は参加者の家のリビングだ。もちろん、コップに入っているのはアルコールではなくただのジュースだ。
「まぁ、それは置いておいて、今日はみんな楽しむぞー!」
参加者から歓声があがる。百合子も控えめながら声を出している。彼女の席は女子の組の中で一番の左端。ソファーの形に合わせてUの字のように座っているために、唯一男子が隣にくる組み合わせだ。そして、彼女のとなりには、
「相変わらずだな、花村のやつ」
笑顔を浮かべている男子、百合子の想い人である杉山圭司が座っている。実はこの座席も意図的なものであり、参加者が示し合わせて二人が隣どうしになるように座らせたのだ。
「夢野も大変だな」
「な、なにが?」
不意に名前を呼ばれて心臓が跳ね上がる。顔が真っ赤になるのを感じながら、顔を上げることも出来ずに答える。
「花村だよ。あいつ落ち着きないから付き合っていくの大変だろう?」
「なんだとー、人をお猿か何かみたいに言わないでよー」
圭司の言葉に、みどりが文句を言う。その姿に小さく笑いながら、百合子は答える。
「そんなこと、ないよ。みどりは確かにちょっと落ち着きがないけど……」
「え、百合子まで!?」
百合子にまでそういわれ、がっくりと肩を落とす。その姿に、周囲から笑いがこぼれる。
「でも、いるだけでその場を明るくしてくれる、素敵な女の子だよ」
笑顔で、そう答える。一瞬、ピタっと時間が止まるかのように笑いが収まった。急に静まり返った場に、なにか変なことを言ってしまったのか、と百合子は不安を感じるも、
「もう百合子大好きぃ!!」
「ふぇっ!?」
感極まったかのようにみどりが彼女の首へと抱きついてくる。突然の行動に気が動転する。
「この子は本当にいい子! もう男子にやるのがもったいないくらいいい子!」
「ちょ、ちょっと、みどり……」
「おーい中村、夢野がひいてんぞー」
男子生徒からヤジが飛び、再びその場が笑いに包まれる。それにつられるように、百合子も笑う。だが、その中で一人だけみどりはまじめな顔をしながら圭司を指さす。
「いいか、杉山。こんないい子泣かしたらタダじゃすまさないよ!」
「へ?」
みどりの言葉に誰よりも驚いたのは他ならぬ百合子である。
「な、なななにを言ってるのよみどり!!」
「え、なにって釘を差してるんだけど」
「そういう意味じゃなくて!!!」
顔真っ赤にさせながら叫ぶ百合子。今にも湯気が立ちそうだ。その反応を見て、周りのクラスメイトたちも楽しそうにからかい始める
「え、なに、夢野さんと杉山君ってそういう関係なの?」
「ふぇっ!?」
突然の言葉に素っ頓狂な声を上げる百合子。もちろん、想い人であることには変わりないのだが、まだ、そんな関係にはなっていない。というか現状ではなれるかどうかも怪しいのに。
「い、いいいや、そ、そののの!?」
「いや、違うよ」
テンパって言葉がでてこない百合子の代わりにと言わんばかりに、圭司はあっさりと否定する。それはそれで、ちょっと悲しい気持ちになってしまうのだが。だが、圭司はそんな細かな気配りが出来るような人間でもない。
「じゃあさ、杉山君は夢野さんのことをどう想ってるの?」
「え?」
女性との一人が、楽しそうにそう訪ねる。
「あ、それ私も聞きたい!」
「え、ええ!?」
さらにはみどりまでそれにのっかり始める。百合子は想ってもいなかった展開に動揺し、制止することさえもできない。
「夢野ことか、そうだな……」
圭司のほうも、女子の言葉を真に受けて神妙な顔つきで考え始める。しかし、百合子からしてみればどんな言葉が出てきても罰ゲームみたいなものだ。
「す、杉山君、そんなこと無理して答えなくても」
「はーい、百合子は黙ってようね」
「むがっ!?」
必死に止めようとする百合子をみどりともう一人の女子生徒が羽交い締めにして口を手で封じる。必死に体を動かして逃れようとするも、悲しいかな、ひ弱な彼女では脱出することはできそうにない。
「そうだな、俺は……」
「むーっ! むーっ!」
必死になって百合子が声を上げるものの、残念ながら想いは彼には届かず、無情にも答えてしまう。
「俺は、夢野のこと好きだぜ」
爆弾と共に。
炸裂する黄色い声。主に女子生徒たちが歓声をあげてこれ異常な胃ほどに盛り上がっている。
「夢野さんのどんなところが好きなの!?」
女子生徒の言葉に、圭司は少しだけ考え込んでから答えた。
「そうだな、何事に関しても一生懸命に取り組む姿はすごいと想うし、尊敬しているよ」
再び、歓声が沸く。女子だけではなく、男子の方も興味深げに聞いている。やはり、この年代にとって恋愛については誰でも興味があるようだ。その場にいる全員が、楽しそうに圭司の次の言葉に耳を傾けている。
「だから、夢野は俺の大事な友達だよ」
が、直後に放たれた言葉に、冷水を叩きつけられたかのように一瞬で黄色い声がやんだ。
「え、友達? さっき、好きだって……」
「ああ、尊敬している友達だからな。そりゃ好きだよ」
みどりが、確認するように言うと、圭司はうなずいて答えた。盛り上がっていた空気が一瞬にしてさめていく。
「なんだよそれ」
「紛らわしい言い方しないでよー」
クラスメイトたちからあがる非難の声だが、当の本人はどうして非難されているのかもわからないようで、首を傾げる。その姿に、みどりは大きなため息を一つ。
「もう、本当に紛らわしいんだから。ねぇ、百合子」
みどりは苦笑しながら言う。だが、肝心の話しかけた百合子のほうから反応が返ってこない。
「百合子?」
不思議に思い、自分の腕の中にいる百合子へと顔を向ける。そこには、みどりの腕の中で目をグルグルとしながら気絶している親友の姿があった。
「って、百合子気絶してる!?」
残念ながら圭司の爆弾発言は百合子の処理能力を完全に越えており、強制的にシャットダウンされてしまったのだった。
数時間後。
「ん、んん……」
暖かな毛布の肌触りを感じて、百合子は目覚める。目覚めたばかりでちゃんと動いていない頭で周りを見回す。すでに、クラスメイトたちの姿はない。
「あれ、みんなは……?」
「もう、かえちゃったよ」
ゆっくりと覚醒していく頭を動かしながら、つぶやくように言う。すると、後ろから声が聞こえる。振り返れば、そこには申し訳なさそうな顔をしているみどりの姿があった。
「ごめん、百合子。私が悪のりしちゃって……」
沈んでいる彼女に、百合子はあわてて立ち上がると首を振る。
「そ、そんなみどりが悪いんじゃないよ。私が、勝手に気絶しちゃっただけだし……」
乾いた笑いをする百合子。本当に、彼女はみどりを責める気持ちはなかった。相変わらずふがいない自分に対する小さな失望はあるが。
「そっか、みんなかえちゃったんだね……」
きれいに片づけられてしまった会場を見つめて、少し避け残念そうに百合子はつぶやいた。せっかく作ってきたマフラーは、結局渡せなかった。そのことを、少しだけ残念に感じる。
「百合子」
そんな彼女の両肩を、みどりがつかむと体重を預ける。彼女は耳元でささやく。
「杉山だけは、まだいるよ」
「え……?」
驚きに表情を染める百合子に、みどりは嬉しそうに笑顔を浮かべている。
「百合子のことが心配だからって、外で待っててくれてる」
優しく、彼女は告げる。
「だから、渡してきなよ。せっかく作った、プレゼントなんでしょ?」
「うん……」
百合子は紙袋をつかむと、外に向かって走り出す。その後ろ姿を、母親のような優しい顔で見送るみどり。
「がんばって、百合子」
小さな、声援と共に。
ドアを開けると、すでに外は太陽が沈み、暗くなっていた。玄関のドアのすぐ隣で、壁にもたれ掛かるようにして、圭司はいた。
「あ、杉山君」
ボーッと空をみていた圭司は名前を呼ばれて気づいたように顔を向ける。元気な百合子の姿を見て、安堵の表情を浮かべる。
「ごめん、心配かけちゃって……」
「いや、俺の方こそごめん。なんかいろいろ誤解させちゃったみたいで」
「違うの、私が早とちりしちゃって、その……」
百合子の視線が徐々に足下へと落ちていく。彼女のいつもの悪い癖が、出てきてしまう。
「私って、臆病だからいつだって後込みしちゃって、みどりや杉山君にまで迷惑かけて。本当に、迷惑だよね……」
せっかく楽しいはずのクリスマス会でさえも、自分のせいで台無しにしてしまった。いつだって、自分は人にばかり迷惑をかけてしまう。そんな自分がどうしようもなく惨めに、見えてしまう。
「なぁ、夢野。覚えてる? 俺が初めて出た野球部の試合」
「え、覚えてるけど……」
急に振られた言葉に戸惑いながらも、百合子は記憶をたどる。
確か、一年生でありながらスタメンには言った大型新人でエースである杉山の入部でそれなりの結果を残せると期待されたものの、結局、一回戦負けになってしまった。
「あのとき、俺ガチガチに緊張しちゃってさ、上手いことプレーできなくて……結局、俺のせいで負けちゃったんだよね」
視線を落としていた百合子は気づかなかったが、圭司は何か大切な思い出を語るような、穏やかで優しい瞳をしていた。
「みんなに、酷く責められちゃって、落ち込んでたんだよ。陰口も聞こえるっように言われたし、すっげぇ辛かったんだよ」
圭司の話を聞きながら、百合子も少しずつ思い出してきた。そう、初試合に負けてから、才能あふれる彼を妬んでいた生徒が中心になってイジメのようになったのだ。
「そのときさ、いつもおとなしい夢野が涙流しながら言ってくれただろ」
『精一杯がんばった人を馬鹿にしないで!!』
覚えている。あのとき、あまりにも酷い言葉を言った生徒がいたものだから、ついカッとなって叫んでしまったのだ。
「俺はすっげぇ嬉しかったんだ。だから、またがんばることが出来たんだよ」
視線を、あげるとそこには優しく微笑んでいる圭司の姿があった。
「夢野、お前は俺に希望をくれたんだ。どんな辛いときでも、一人じゃないってことを教えてくれたんだ」
かつて、一人の少年を救ってくれた少女がいた。
「お前は決して迷惑な奴なんかじゃない。お前の優しさは、いろんな人の心を救ってる。だから、その……なんていうのかな」
珍しく、頬を赤く染めて言いにくそうにする圭司。
「お前は、凄い、と俺は思う」
その言葉を受けて、思わず百合子も頬を染める。少しだけ、その口元が微笑む。自分でさえも忘れていたことを、彼はなによりも大事にしていてくれたことが、嬉しかった。
小さな深呼吸を一つ。
勇気を出さなければならない。なによりも、自分のことをこんなに評価してくれるのだから、それに答えなければならない。彼の前で、無様な姿をさらすわけにはいかないから。
「杉山君、これ……」
「ん、何これ?」
「その、クリスマス、プレゼント」
最後の方はほとんど消え入りそうな声だった。その言葉の意味を理解するのに、少しだけ時間を要した圭司。驚きの表情を浮かべる。
「俺に?」
顔を真っ赤に染めながら百合子はなんとか頷いた。戸惑いながらも、受け取る。
「開けてもいい?」
やはり、頷くことしか出来ない。圭司は綺麗に包装された紙袋を丁寧に開いていく。中を確認すると、驚きで顔が染まる。
「これ、手作りの……?」
「あの、頑張って、編んだの」
顔が燃えているように熱くて、とてもじゃないが圭司の顔を見ることが出来ない。何よりもその反応を見るのが怖かった。
「あの、赤いのは、杉山君に似合いそうだから、その……」
沈黙が怖くてどうでもいいことを口走ってしまう。本当はすぐに走って逃げ出したかったが、それだけは必死に堪えていた。
「……夢野」
名前を呼ばれる。一生分の勇気を使って、顔を上げた。その先に待っていたのは、
「ありがとう。すげぇ嬉しいよ」
笑顔の圭司の顔だった。その表情に、心の中で渦を巻いていた不安が消えていき、安堵が広がっていく。
「大事に使わせもらうよ。本当に、ありがとうな」
「……うん!」
そして、互いに微笑みあった。
「んあっ!?」
ところで、目が覚めた。頭上でけたたましく目覚まし時計がなっている。むくりと体を起こすと、時計の位置を確認、手を振りあげ、
「うるさい」
容赦のない空手チョップ。鈍い音をたてて時計は沈黙する。それを満足そうに確認。
「じゃ、もう後5分だけ」
「ダメです」
「ブギャッ!?」
一部始終をみていたルーナが容赦なく顔面へと頭突きを放った。その衝撃に、ベッドからたたき落とされる。
「いったぁ、何すんのよルーナ!」
「朝だよユリコ。早く起きて僕の食事をだして」
こんな堂々とかつ偉そうにエサの要求をするネコはこいつぐらいなものだと百合子は思う。頭突きをされた頬をなでながら、立ち上がる。
「そこまでアグレッシブなら自分で準備しなさいよもう……」
「残念ながら猫缶は猫に開けられるように作られていないんだよ」
夢野百合子29歳(満30歳)の、朝の光景である。
まだしっかりと覚醒していない頭をシャワーを浴びることで無理矢理叩き起こす。頭が覚醒すればすぐに出て、髪を乾かす。乾いたのを確認してから猫缶とゼリーを取り出し、ルーナと一緒に朝食。
「ユリコ、もう少しちゃんと取った方がいいと思うんだけど」
「これが一番やすくて手間がかからないのよ」
食事が終わったらすぐにレディーススーツに着替えてメイクをする。ここが一番時間が長い。メイクが追われたさっさと出勤だ。
「それじゃ、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい」
―――夢野百合子は魔法少女である。
多くの魔法少女を扱っている作品の主人公たちが、日常生活と魔法少女の活動に折り合いをつけて生活しているように、百合子も普段は一般人と同じように生活している。
残念ながら、どれほど魔法少女と活躍しても、お金は一銭も入ってこない。何回世界を救おうとも、一円も入ってこない。それが魔法少女の辛いところである。
むろん、お金がなければ生活できない。なので、百合子も普段は社会人として働いている。今日も、限界まで人が押し込まれた満員電車で、加齢臭のする中年サラリーマンにサンドイッチされながら通勤するのだ。
(こんな狭い車内で新聞読むなよ……)
そんな風にマナーのなってないサラリーマンに心の中で悪態をつきながら、通勤する。魔法少女ではない時間の彼女は、どこらへんにもいる女性でしかない。
目的の駅について、ようやく肉の缶詰から解放される。駅から自分の会社へ向かって歩きだす。すると、きらびやかに着飾れた多くの店が目に入る。
「クリスマス、か」
今日は12月17日。クリスマスの一週間前である。すでに11月からこの日の宣伝を始めていた各店は、迫りくる一大イベントへの準備を始めている。店だけではない、多く人々もどこか浮き足立っている。
そして、夢野百合子はいうと、
「またカップルどもが調子付く季節がきたか」
おもいっきり嫌そうな顔を浮かべながら悪態をついた。
夢野百合子、独身、彼氏なし。当然のことながらクリスマスの予定は悲しいまでに空白であった。
(ユリコ、自分に予定がないからってそんなこと言うものじゃないよ)
(……急に話しかけるんじゃないわよ)
そんな彼女に念話でルーナが話しかける。
(そもそも、クリスマスなんてのはキリスト教でもなんでもないのにイチャツきたい男女が盛り上がりたいだけでしょ)
どこからどう聞いてもそれはただの僻みでしかないのだが、ルーナはそれを優しく諭すように言う。
(そうかい、僕は嫌いではないよ。この国のなんでも楽しもうという姿勢は)
ため息が漏れる。確かに、彼女だって日本のとりあえず楽しもうという考えは嫌いではないし、彼女も楽しいことは大好きだ。
だが、夢野百合子本人は、
「あー、バカップルに不幸にならないかなー」
(希望の魔法少女がそんなこと言わないの)
第43話「想いよとどけ! クリスマスプレゼント大作戦!」
改め
第790話「クリスマスは寂しいよ」
彼女はキャリアウーマン、というのかはわからないが、働き者であるのは確かだった。彼女の仕事は居宅のケアマネージャーだ。昔からお婆ちゃんっ子だったのもあるし、誰かに接している仕事に就きたかったからだ。
「おはようございます」
「おはよー」
小さな事務所に入れば、同僚たちが笑顔で迎えてくれる。まだ、女性ばかりの業界故に、男性職員はまったくおらず出会いがないといえばない。また、職員の半数は既婚者である。
「おはよう、夢野」
「おはようございます」
隣の席の先輩職員、小西まり(48歳・既婚)だ。女性らしくないサバサバした性格で、つき合いやすい。仕事場でもっとも仲が良い相手と言える。
「今日も寒いですね」
「まーな。冬だからしょうがないけど、利用者さんの体調が心配だな」
「本当ですね。この時期は怖いですからね、お風呂とか」
席に座り、仕事の準備をしながら他愛のない会話を続ける。毎日繰り返されている光景だ。
「ところで夢野」
「何ですか」
「お前、クリスマスの予定は?」
ビタっと、動きを止める。それをみて、まりは答えを得たと言わんばかりに納得した。顔を逸らしながら言い訳じみた事を言う。
「私、仏教ですから」
「それは去年も聞いたぞ」
百合子は力なくひざを突いた。
「なんていうか、どんまい」
「クリスマスなんか……クリスマスなんか……」
その姿を見ながら、まりは頭をかきながら、不思議そうに首を傾げる。
「不思議だな、お前そんなに悪い女じゃないのにな」
「そうですよね、私悪くないですよね!!」
ぽろっと言ったまりの言葉に、エサをぶら下げられた馬が如く食いつく。だが、そんな彼女に対して、まりはジト目で冷酷に告げる。
「いい女でもないけどな」
「うぐっ」
「いいから、仕事っすぞ仕事」
動きを止めた百合子の頭をポンポンと叩きながらさっていく。その後ろ姿を打ちひしがれながら見送る百合子であった。まだ一日が始まったばかりなのに、すでに彼女のハートのライフは0に近かった。
とはいえ、ずっと落ち込んでいるわけにはいかない。社会人として仕事とプライベートは切り離さなければならないのである。そういうことは、だてに15年も魔法少女をやってはいない。そういう切り替えしにおいてだけは、彼女は歴戦の兵士の如きであった。
「はい……はい……すいません、主介護者の奥さんが入院されまして急遽、ショートの利用をお願いしたいのですが」
首と肩で受話器を挟みながら、百合子は両手でパソコンを操作する。
「大丈夫ですか? ……はい、ありがとうございます」
相手からは見えないかもしれないが、笑顔でそう答えると受話器を戻し、パソコンに再び入力。一息をつく。
「長瀬さん、大丈夫だった?」
「はい、はなまるさんが偶然にも空いてたので。なんとかなりました。平日だったのも助かりましたね」
隣の同僚に笑顔で答えながら、電話帳を素早く引いて家族の電話番号を調べる。すぐに入力すると、家族へと電話を入れる。
「もしもし、長瀬さんですか。有明ホットのケアマネの夢野ですが。先日のショートステイ利用の件ですが……」
ケアマネの仕事は簡単に言ってしまえば利用者と介護サービスの仲介者のようなものである。人と人との関係を結ぶために、高いコミュニケーション能力が求められる仕事である。
こと、コミュニケーションにおいては、百合子は得意な方であった。
魔法少女マジカルハートが救うのは何も地球だけではない。結果的に、侵略者が支配していた世界を解放することも少なくはなく、そうなった場合、英雄として呼ばれることも少なくはない。
15年という長い戦いの間、彼女が渡航した異世界は10を越え、異世界との交流をしていくことも多い。また、侵略者と戦いを止めるために話し合いを行う場合もあり、そういった経験が自然と彼女のコミュニケーション能力を磨いていく結果になったのだ。
彼女曰くどんな相手だろうが「侵略者を相手にするよりは随分とまし」とのこと。
「夢野、そろそろ飯にしないか」
「あ、そうですね」
まりに誘われて、丁度、きりのいいところだった百合子は仕事を切り上げる。行きしなの途中にあるコンビニの袋を取り出す。入っているのはコンビニで売られている総菜パンだ。
「なんだ、かた買ってきたのか。栄養偏るぞ」
対するまりは女性用の小さな二重の弁当を取り出す。中には、色とりどりで、栄養バランスの考えられたおかずが並んでいる。
「先輩、本当に顔に似合わずに可愛らしい弁当作りますよね」
「うるさいよ」
百合子は、湯沸かしポッドからお湯を取り出して、紅茶を入れる。安物のアップルティーのにおいが広がっていく。
「夢野も料理できるんだから、作ればいいじゃないか」
「そんな時間あれば寝ますよ」
そんな彼女の言葉に、まりはため息を一つ。
「おまえ、本当にかわいげがねぇな。モテないぞ」
「放っておいてください」
お茶を置きながらふてくされる。よく他の人にも言われることだ。
「だってお前、映画を見に行ってもほとんど無反応だから面白くないんだよ」
「そんなこと言われましても……」
これには、理由はある。
そもそも、魔法少女として長年戦ってきた彼女にとって、人の想像しうることは大抵経験してしまっている。
50メートルクラスの怪獣との殴りあいや、成層圏の超高高度の戦い、市街地での空中戦、深海での水中戦など、おおかたの戦いを経験しているためにアクション映画では盛り上がれず。むしろ主人公の苦労に感情移入してしまう始末。
魔法少女という立場上、妖怪や物の怪と言った怪物には一通り出会っており、フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男、雪女、鬼等々、名だたる怪物と戦い、魔界に落とされたために常軌を逸する怪物と半年間も同じ世界で過ごしたためにホラー映画では驚くこともできず。
ファンタジーに関して言えば存在そのものがファンタジーやメルヘンの代表のようなものなので、魔法にたいするあこがれはほとんどないに等しく、むしろ大抵の主人公の魔法レベルの低さに失笑してしまうレベル。
ガンアクションや陰謀についても、彼女の魔法少女としての能力を狙った闇の組織との抗争を経験しており、弾丸飛び交う中、逃げ回った経験もある。二度と経験したくないために映画でも見たくない。
SFに関しては数少ない楽しめるジャンルだったのだが、月面上の戦いや宇宙戦闘、あげくには大気圏突入まで経験しており、最近ではマシーンランドという機械生命体まで登場しており、若干、脅かされつつある。
そう、大抵のジャンルが楽しめないのである。
フィクションは作りものだからこそ楽しめる、とは彼女の言葉である。
「でも、恋愛ものはいまでも好きですよ」
「変なところでお前は女性らしいよな」
極端すぎる彼女の趣味にもまりは呆れ果てている。
そう、恋愛映画に関してだけは彼女が唯一楽しめるジャンルでだった。その理由が、魔法少女として戦ったがためにごく普通の生活を送れなかっただけという非常に悲しい理由ではあるが。要するに、恋愛映画のような普通の日常を送った経験がないのだ。
普通が一番、とはやはり彼女の言葉である。
「でも、お前ももうすぐ三十路だろ。そろそろ本気で結婚考えないと危ないんじゃないか?」
「……先輩」
心配するまりに対して百合子は全てを悟ったような穏やかな表情をうかべると、
「結婚を考えて結婚できたらこの世に独身女性なんて存在してないですよ!」
鬼の形相に変わった。ただ、その言葉に込められているのは怒りと言うよりも、追いつめられた独身女性の悲痛な叫びが含まれていたが。
「落ち着けよ」
「う、うう……私だって私だって……」
泣き崩れ始めた百合子の背中をさすりながらまりはなだめる。
「うう、白馬の王子様に迎えにきてほしい」
「30手前でそれはないわー」
ただ、つっこみだけは忘れなかった。
仕事も終わり、帰宅ラッシュでいっぱいの電車に揺られながら、自分の家近くの駅に着く。定期券をかざして駅から降りると彼女を待ってたのは、
(お帰り、ユリコ)
「ただいま、ルーナ」
同居人である黒猫がわざわざ駅まで迎えにきてくれていた。彼女とならんで歩き始める。もちろん、人前で猫と話すわけにはいかないので、念話で会話だが。
(なんだか、クルスマスに近づくほど町が華やかになっていくね)
すでに一週間前で飾り付けはほぼ完成しているが、来週に控えた本番に向けて、さらに細かな部分まで余念なく飾り付けが行われていく。
店だけではない、普通の住宅でさえもクリスマスを待っているかのように綺麗に電飾を飾られて様々な色で輝いている。まるで、いつも見ているはずの町並みが別世界になったように思える。
光り輝いている町並みを歩くだけで、なぜか楽しくなれる。クリスマスという名前の魔法のようだ。
(クリスマスごときで浮かれちゃってみんな幸せものね)
(ユリコ……)
残念ながら、その魔法が通用しない人間も存在するのだが。
百合子のあんまりな言葉に思わずため息が漏れるルーナ。気持ちは分からないでもないのだがあまりにも僻みを隠そうとしないその姿にはむしろ哀れみすら感じてしまう。
(そんなんだから男も寄りつかないんだよ)
(喧嘩うってる?)
小石を蹴飛ばして当てようとするも、黒猫は小憎たらしくもひらりと交わす。
(だいたい、最近の君は女を捨てすぎなんだよ。だから男性も寄ってこないのさ)
(わかった風に言っちゃって)
(そんな風になる前はそれなりに男性とのつきあいもあったじゃないか。ほら、野球部の……)
ルーナの言葉に、百合子は足を止める。突然、足を止めた彼女を不思議そうに振り返る。その顔はどこでもない遠くを見つめているようで、複雑な顔だった。
「杉山君、ね」
忘れられない名前だった。
(そうそう、杉山君。いつの頃か、君の口から名前を聞かなくなったけど……)
杉山圭司。中学の想い人で、彼女にとっての初恋の人でもある。友人のみどりの応援もあってそれなりに良い関係になった。今、想えば、相思相愛だったのかもしれないと自負するほどには。
(高校が、別々になっちゃったからね……)
野球部の推薦で他県のスポーツ進学校に進むことになった彼。いくら、百合子が思いを寄せていても他県に追いかけていけるはずもなく、それで別れたっきりである。
あの時期の学生にとって、違う学校に、しかも他県に行く事はほぼ別離に近いとも行って良い。当時、携帯電話も今ほど復旧しておらず、彼女も相手も持っていなかった。
彼女自身も、魔法少女として毎日が忙しかったために、連絡も途切れてしまった。
「ま、初恋は甘酸っぱいってね……」
少しだけ寂しげにそう笑いながら、百合子はつぶやいた。
その後、彼の姿を見たのはテレビだった。彼の高校は甲子園で決勝戦まですすみ、惜しくても敗退してしまったが、優秀を成績を残したので期待の新人として球団入りしたまでは覚えている。普段、野球をみてない百合子が覚えているのはそこまでだ。
彼と別れてから、何人かの男性と付き合いをしたものの、結局、彼ほど熱を上げた人はいなかったのかもしれない。いや、もしかすれば心のどこかで彼と比べていたのかもしれない。
「あー、やめやめ!」
暗くなりそうだった自分の心を吹き飛ばすように、百合子は大きな声を上げた。突現の大声に周りにいた人たちが驚いて彼女を見つめるが、彼女は気にしない。
「ウジウジ悩むぐらいなら、さっさと飲んで忘れよう!」
そういって、百合子は笑顔を浮かべる。その姿を見て、ルーナも微笑みを返す。
彼女は、強くなったと、ルーナは想う。
引っ込み思案で恐がりだった少女は、魔法少女となってからだいぶ前向きになったと感じる。
(僕は、君のそういうところは女性として非常に魅力的だよ想うよ)
(何よ急に。損なこと言っても何もでないわよ)
(別に)
不思議そうな顔をする相棒に、黒猫は微笑みを浮かべたまま答えるのであった。
(ま、何はともあれ、まずはビール♪ ビール♪)
目の前に見えてきたコンビニに向かってスキップで向かう。その姿に、さすがに再びため息をつく。前向きになったのはいいが、これはこれで問題のようなきもする。
(ほどほどにしなよ、ユリコ)
(わかってるわよ)
コンビニの中に入るわけにはいかないので、ルーナは外で待ちながら入っていく百合子に釘を差す。それに対して、彼女は笑顔を向けながら答える。視線はルーナのほうを向いており、前を見ていない。
だから、コンビニからでてくる人影にまったく気付かず、真っ正面からぶつかってしまった。
「うわ!?」
「うぎゃ!」
女性として少し問題のある声を出して、百合子は臀部を堅いコンクリートの道へとたたきつける。あまりの痛みに言葉を失い、涙がにじむ。
「すいません、大丈夫ですか!?」
百合子がぶつかってしまった男性があわてて駆け寄ってくる。相手が差しのべた手をつかみ、痛むお尻をさすりながら涙目で立ち上がる。
「すいません、ちゃんと前を見てなくて……ってあれ?」
「いえ、私こそよそ見してたからって……え?」
互いの顔を見たとき、二人は同時に動きを止めた。
時間が止まったように相手の顔を見つめて動きを止めた二人。その顔はどちらも奇跡に遭遇したかのような驚きの顔で染まっている。
百合子にぶつかった男性は、スポーツマンのようながっちりとした体格に、四角い顔にスポーツ刈りの髪型が欲に合っている。そして、その顔を彼女は知っている。
「……夢野?」
「……杉山君?」
それは、奇跡のような再会であった。
「驚いたよ、まさかこんな場所で夢野に会えるなんてさ」
楽しそうにそう話す杉山圭司。二人は近くにあった自販機で缶コーヒーを買ってから、近くの公園にきていた。
「それはこっちのセリフだよ。まさか、こんな形で杉山君に再会できるなんて、まるで漫画みたい」
百合子も少し頬を赤く染めながら答える。
「中学卒業以来だから、14年ぶりってことか」
「もう、そんなになるんだね」
改めて、時の流れを感じた。あのころは、まだまだ互いに子供だったのだが、今では大人の仲間入りをしてだいぶたってしまった。
あの、中学時代が懐かしくさえ思える。何事にも精一杯で、全てが全力だった。それも、幼さ故だったのかもしれない。
「夢野は今、何してるんだ?」
「私は今、介護の仕事。居宅のケアマネやってるんだ」
百合子の言葉に、圭司は感心したようにうなずく。
「介護、か。夢野らしいな」
「そう?」
「ああ、夢野って昔から優しいから、そういう仕事向いてるよ」
その言葉に、思わず赤くなる。まるで中学生みたいな反応だなっと心の中で苦笑しながら、誤魔化すようにコーヒーを流し込む。
「そういう杉山君だって、野球選手になるなんて凄いよ」
その言葉に、圭司は苦笑する。
「俺にはさ、昔から野球ぐらいしかできなかったからさ」
照れくさそうに笑ってから、今度は真摯な顔つきで百合子を見つめる。突然の仕草に、思わず百合子の心臓がひときわ大きく跳ねる。
「それに、応援してくる人がいてくれたからさ」
「何、奥さんとか? 妬けちゃうなぁもう!」
顔が熱くなってくるのを感じて、あわてて視線を逸らす。心臓の鼓動が激しくなってきているのを感じ、心の中で落ち着くように言い聞かせる。
「俺、結婚してないし、恋人もいないよ」
だが、その百合子の努力を越える衝撃がさらに襲いかかる。圭司からの視線を感じるのだが、顔が熱すぎて見ることができない。
「その子はさ、雨の日も雪の日でも練習を見に来てくれてて、俺が落ち込んでくれるときは励ましてくれて……その子がいたから、俺はがんばることができたんだよ」
必死に心の中で自分のことではない、と百合子は言い聞かせる。だが、そう思えば思うほどに意識してしまう。
「その子は、何事にも一生懸命に頑張る奴だったから、高校が違って離ればなれになっても、その子に恥ずかしい姿だけは見せたくないから、俺頑張ってきたんだ」
心臓がまるで耳の隣にあるのではないかと思うほどに、鼓動が激しく大きな音で聞こえる。それを押さえ込むに必死で、百合子は言葉を発することができない。
「……夢野は、いま付き合っている人はいるのか?」
直球の質問だった。顔を向けることもできずに、なんとか口を開く。
「い、いないよ……」
「そっか」
圭司の声は、どこか安堵したような声だった。それが、よけいに百合子に淡い期待を抱かせる。そんなはずはない、と必死に自分に言い聞かせる。
「それじゃあ、来週の……24日の予定はあいてる?」
「うん」
もう、短く返すのが限界だった。
「その、美味しいフランス料理の店があるんだけど、一緒に行かない?」
「……いく」
百合子はうつむいて気付かなかったが、実は圭司の方も顔は真っ赤になっており、なんとか言葉を繋いでいた。彼女の答えを聞いて、喜びに顔を染める。
「じゃ、じゃあ、来週、新宿駅前の広場に、7時で大丈夫?」
「大丈夫」
「おっけ、決まりだな!」
そういって、圭司は立ち上がると、手を差し出す。
「家まで、送っていくよ」
「い、いい、大丈夫だから!」
あわてて立ち上がると、距離を離すように後ろに下がっていく。とてもじゃないが、今の顔を見せることはできない。
「でも……」
「本当に、本当に大丈夫だから! それじゃあ、来週ね!!」
逃げ出すように百合子は走り去っていく。思わず圭司は手を伸ばすも間に合わず、空ぶった。走り去っていく彼女の背中が見えなくなるまで見送ってから、
「よっしゃ!」
圭司は、一人ガッツポーズを取った。
ある程度、走ってから百合子はようやく足を止めた。気付けば、自分の住んでいるアパートの目の前だ。
「ルーナ、いる?」
「ああ、いるよ」
どこに隠れていたのか、どこからともなく黒猫が現れる。
「これ、現実よね。私、夢見てないわよね」
「大丈夫、現実だよ」
その言葉を、聞いて百合子はしばし、沈黙。
「……きた」
「え?」
「私の春、きたぁあああああああ!!」
そして、絶叫。
「凄くない、こんな、漫画みたいなこと。しかも、相手はプロ野球選手、まさかの玉の輿!?」
「百合子、落ち着いて」
「落ち着ける分けないでしょ! 相手がまさかの杉山君だよこんな奇跡あり得る!? まるで夢みたい!」
それなりに夜遅いにも関わらずに黄色い声を上げ、踊るように歩きながら階段を上っていく。一滴もアルコールは入っていないのだが、それはまさに酔っぱらいのような姿だった。
「ありがとう神様! 私、幸せになります!!」
「ユリコ、近所迷惑だよ!」
ルーナの言葉も耳に入らずに、ただ一人、気持ち悪いぐらい浮かれたハイテンションで歩き続ける。そのまま、鼻歌を口ずさみながら、自分の部屋のドアに鍵をいれたところで、
「あ、携帯番号聞いてない」
とんでもない大ポカをやらかしたことに気付いた。
「君らしいというのか、なんというのか」
呆れ果てるようにそういったルーナの目の前でユリコはビール片手に机に突っ伏している。
「だって、夢みたいな展開だったから浮かれちゃって」
「気持はわかるけどね」
初恋の人のことを思い出していたら、まさかその人物と再会した上にデートに誘われたのである。女性ならば誰でも舞い上がってしまうだろう。
「でも、約束はしたんだし、そこへ時間通りに行けば大丈夫だよ」
「そうよね、そうよね!!」
顔をガバっとあげてつかみかからん勢いでルーナに迫る百合子。その必死さに思わず顔がひきつっている。
「これはずっと魔法少女として戦い続けてきた私に対する神様の贈り物なのよ! 私に幸せになりなさいっていう啓示なのよ!」
「君、無宗教だったよね?」
ルーナが冷静に突っ込むのだが、舞い上がっている彼女の耳には一言も入らない。ビール片手に部屋の中で踊る三十路直前の女性の姿は正直、直視できなかった。
直後、ピタっと足を止めると何かを決意したかのように顔を引き締める。
「目指せ、できちゃった婚!!」
「お願いだから魔法少女がそんなこといわないで」
この日、酔いつぶれるまでルーナは舞い上がっている百合子の相手をしなければならず、寝不足に陥ったのはいうまでもない。
年を重ねると時間が経つのを早く感じるというが、それでも百合子にとってクリスマスまでの一週間は長く感じた。
「ねぇ、変じゃない? 大丈夫?」
鏡の前でくるくると回りながら百合子はルーナに訊ねる。その言葉に、相棒の黒猫は。
「似合ってる似合ってる」
非常にやる気のない返事であった。ソファーに寝そべりながら、その視線は百合子にではなく、TVのニュースのほうをみている。
「ちょっと、人がまじめに聞いてるんだからちゃんと答えなさいよ」
「3時間も付き合わされている僕の身にもなってよ」
元々、24日は休みを入れていた百合子(デートの為ではなく、街でイチャつくカップルを見たくないために)、今日のデートのために服装のチェックにルーナを付き合わせていたのだ。
「何言ってるのよ、私の一生がかかってる問題なのよ、文句言わないの」
「はいはい」
ちなみに、百合子がきているのはロイヤルブルーのふんわりミニスカートに薄いブルーのニットにブラウンのジャケットだ。髪型は美容室に行ってメルティウェーブにしてもらっている。
「それよりも、急がないと待ち合わせに遅れるよ」
「あい、やば、急がないと!」
ルーナに指摘されてようやく時間に気付く。急いでハンドバックをつかみ、玄関に向かう。焦りながらもなんとかブーツを履く。
「ユリコ!」
「何?」
出ようとドアノブに手をかけた瞬間、ルーナが話しかける。
「頑張ってね」
「……うん!」
相棒に激励されて、笑顔で答える。そして、いざ外に足を一歩踏み出したときだった。
『臨時ニュースです、池袋にマシーンランドが現れました。現在、警察が現場の封鎖を行っております。市民のみなさんは速やかに避難をしてください。繰り返します……』
非常に、重たい沈黙がその場に流れた。無言で動きを止めている百合子に、その姿にどう声をかければいいのかわからずに固まっている。
「あ、あの、ユリコ……?」
バキンッと、ドアノブが鈍い音をたてて外れた。妖精であるルーナには、彼女の手に魔力が集まり強化され、それが鉄製のドアノブを引きちぎったのだとわかる。
「いい、度胸じゃない……」
ベキ! メキ! バコ! と百合子の腕の中でドアノブ”だったもの”が形を変えていく。変形した部品が彼女の足下に落下していく。正直、現在の彼女の顔を見る勇気はルーナになかった。
「行くわよ、ルーナ……あいつらぶっ殺す……!」
地獄の底から響いてくるようなドスの聞いた声とその言葉遣いはあまりにも魔法少女からかけ離れたものだったのだが、それを突っ込むほど命知らずではなかった。
池袋、マルキューと呼ばれ愛されている109前の交差点は悲鳴に包まれていた。
「泣け、叫べぇ!」
その中央では、クリスマスツリーに手足をはやし、目玉を付け加えた子供のラクガキのような怪人が叫んでいた。
彼の名前はクリスマスキライナー。今回の作戦を任されたマシーンランドの刺客である。
彼の周りではコメッカーと呼ばれる全身黒づくめの戦闘員が人々を襲っている。その姿を見つめながら、クリスマスキライナーは声を張り上げる。
「貴様等のあげた悲しみがエネルギーとなって、我らが暗黒機神デウスマキナ様を蘇らせるのだ!」
それこそが、マシーンランドの目的である。自らの神であるデウスマキナを蘇らせるためには、悲しみのエネルギーが必要なのだ。それを集めるために地球へと攻めている。
「さぁ、もっと泣け! 叫べ! そして絶望しろ! フハハハハハッ!」
悲鳴の上がる街でクリスマスキライナーの邪悪な高笑いが響く。人々の悲しみのエナジーが彼の手によって暗黒機神へと捧げられてる。
絶望に染まる街。だが、一筋の光が輝く。
「マジカル☆フィジカル!」
「む、この声は……!」
響く声にあたりを見回す、だが、どれほど見回してもこの声の主は見あたらない。
「どこだ、どこにいる!」
「マジカル☆キック!」
直後、クリスマスキライナーの背後の空間が口を開くように漆黒の穴が開き、そこから魔法少女こと、マジカルハートが現れ、相手の背中の中央に”必殺”の蹴りを叩きつける。
「死ねぇええええええええ!」
気合いの籠もりまくった叫び声を上げながら。
残像すら見える高速で叩きつけられた蹴りは、容赦なく相手の背骨を容赦なく砕き、サバ折りにするだけに飽きたらず、地面に体を叩きつける。そのまま波乗りの要領で相手の背中に乗ると、地面を数十メートル滑走する。
「うぎゃあああああああああ!?」
接触面から激しく火花を散らし、絶叫を上げるクリスマスキライナー。そのまま、雑魚の戦闘員をけちらし容赦なくビルへと突っ込ませる。もちろん、直撃の前にマジカルハートは素早く離脱している。轟音とともに砕けたコンクリートが奮迅となって舞い上がる。
その風を受けながら、マジカルハートは空中で華麗に弧を描きながら、音も立てずにふわりと地面に着地。
「愛の光で照らす希望のマジック!」
そして思い出したかのようにクルリと回転、
「魔法少女、マジカルハート!」
可愛くウィンクすれば☆が煌めき、
「あなたの心にラブリーマジック、届けてあ・げ・る♪」
そしてビシッと決めポーズ。同時に、背中からハート型の光が弾けた。
「あのさ、ハート」
「……なに?」
後ろからゆっくりと歩いてきたルーナが若干、引き気味に名前を呼んだ。
「いくら何でも、背中から不意打ちってのはどうなの?」
先ほどの現象を説明すると、マジカルハートは転移魔法を行うことで相手の背中に転移し、そこから0距離で必殺の蹴りを叩きつけたのである。
背面から強襲という非常に合理的な方法とはいえ、とてもじゃないが正義の味方が行う手段ではない。
「いいのよ、相手は悪党なんだから。勝てばいいの勝てば……時間もないしね」
最後にぽつりと言った言葉がおそらく本心なのだろう、とルーナは思いつつもあえて黙っておいた。
「ぐ、背後からとは卑怯な……!」
崩れ落ちてきた瓦礫をかき分けながら、なんとか這いだしてくるクリスマスキライナー。あれほどの攻撃を受けなあらも、まだ動いているとは驚きである。
「貴様、それでも魔法少女か……!」
「まだ、生きてるのね」
相手が動いていることを確認すると、無言で接近。その姿になにか恐ろしいものを感じつつも、黙って見送る。倒れ伏している相手を見下ろす。
「貴様に誇りは……」
「マジカル☆パンチ」
そして、容赦なく顔面に魔法で強化された剛碗を顔面に叩きつけた。
「うがっ!? 貴様なにを……」
「パンチ」
「ぐぎゃ!? 待て、人の話を……」
「パンチ」
「ぎゃぴ!? だから待てと……」
「パンチ」
「たわば!? 待て、頼むま……」
「パンチ」
「ぺげら!? やめてくれ!?」
「ストップストップストップ!!」
繰り返される惨劇を見ていられずにルーナはマジカルハートの腕に抱きついた。それで、彼女のようやく動きを止める。
「待ってルーナ。こいつの息の根もうすぐで止まるから」
「落ちつこう、君の怒りは理解しているから、とりあえず落ちつこうマジカルハート!!」
顔は笑顔を作っている瞳がいっさい笑っていないためによけいに恐ろしさが増している。ちなみに、先ほどまでのとてもじゃないがお茶の間に放送できない光景は、素早くルーナが認識阻害の魔法をかけたことによりテレビカメラはおろか、間近で見ている人でさえもなにをいていのかわからないようにしてある。
「こいつらが悪いのよ、人がせっかく手に入れた千載一遇のチャンスを! こいつがぁ!!」
「わかった! 気持ちはよくわかった! だから落ちつこう!!」
「おまえに、おまえに三十路手前なのに結婚できない女の気持ちがわかるかぁ!!」
「いいから、落ちついて!」
自分の手には負えないとすぐに判断し、束縛魔法を使ってなんとか押さえ込む。魔法のリボンが彼女の四肢に巻き付き、なんとかその動きを止める。だが、これでもおそらく10分は持たないだろう。
「まぁ、いいわ。どうせ、その怪我じゃもって数分でしょうけどね」
なんとか、冷静さを取り戻したマジカルハート。それを確認してから束縛魔法を説く。魔法のリボンが解かれていき、彼女の四肢を解放する。
「時間を食ったけど、まだ間に合うわ急いでいけば……」
近場の時計を確認し、安堵する。
「ふふふ、これで終わりと思ったのか」
だが、不適にクリスマスキライナーは不適な笑いを浮かべる。その顔面は激しく歪んでおり、原形を留めていないが、なんとかしゃべることはできるようだ。
「なに、あんたまだ生きてたの?」
冷ややかな視線を向けるマジカルハートであったが、それでも相手の余裕を持った態度を変えることはなかった。
「今日の作戦は私だけではない」
「は?」
突然の言葉に、理解が追いつかない。
「今日はクリスマス、世界中の人間がこの日を楽しみにしている。それを台無しにすることによって多くの悲しみのエネルギーが手に入る……私は”日本担当”だ!」
「まさか、ルーナ!!」
彼女の叫び、ルーナはすぐに魔法で衛星回線にアクセス、そこから情報を取り込む。
「確認したよ、マジカルハート! 日本だけじゃない、アメリカ、ブラジル、フランス、イタリア、ロシア、中国、この六ヶ国にマシーンランドが現れてる!」
「な、嘘でしょ!?」
「ふははは、どうだ、これが我らの……」
「うるさい!」
「グピッ!?」
高笑いをするクリスマスキライナーへ一撃を叩き込み粉砕。こんどこそ完全に沈黙したのを確認しから、時計を再度確認する。
18:30。―――残り30分。
「手段を選んでいる暇は、ないわね」
だが、やらねばならない。
「どうする、マジカルハート」
「……跳ぶわ」
「飛行魔法かい、それでもだいぶ時間が……」
「違うわ」
静かに、首を振る。
「転移魔法を使うわ」
「え、でも、転移魔法は……」
ルーナが何かをいうよりも早く、彼女は自分の杖を構える。
「リリカル☆マジカル! マジカルテレポート!」
瞬間、光に包まれると同時に彼女の体が跳んだ。足下の地面が消えて、一面の海が広がる光景へと変わった。
「やっぱり、テレポートじゃ届かない!」
本来、転移魔法は高等魔法であり、その距離もせいぜい数メートルが限界である。だが、彼女の場合はおよそ100キロもの距離を跳ぶことができる。これは、破格の距離である。
だが、日本からアメリカまでおよそ1万キロメートル。100キロでは当然のように足らない。
だが、
「魔法少女、舐めるなぁ!」
ならば、届くまで繰り返せばいいだけのこと。1万キロメートルあるというのならば、100回繰り返せばいいだけのことだ。
「マジカルテレポート!」
マジカルハートの長い戦いが始まった。
アメリカ、ニューヨーク。
「む、日本担当が倒されたか」
悲鳴が上がる町並みでアメリカ担当のクリスマスキライナーが日本にいる同胞が消えたことに気づく。おそらく、マジカルハートもこちらに向かっているか、あるいは中国のほうに向かったかのどちらかだろう。どちらにせよ、彼のやることは決まっている。
「マジカルハートが来るまで、可能な限り悲しみのエネルギーを!」
「もう来ているわよ」
「え?」
真横を向けば、そこには笑顔で魔法の杖こと、レインボーホープを向けている。
「バカな、まだ日本担当が倒されてから数分しか……!」
日本からアメリカまでおよそ1万キロをたった5分という驚異的なスピードで到着したのだ。驚くも無理はない。
「時間がないから手短に済ますわよ」
ふわりと空中に浮かび上がると、ゆっくりと杖を真上に構える。
「リリカル☆マジカル」
魔力が集まり巨大なエネルギーを生み出していく。
「終焉之光」
1億度を超える強力な熱火球が降り卸されるように頭上から叩きつけられた。
「え、これオーバーキ……」
悲鳴を上げる暇もなくアメリカ担当のクリスマスキライナーは欠片も残さずに蒸発した。
「……」
あまりにも容赦のない攻撃に、思わず絶句するルーナ。今の攻撃は敵の親玉、いわゆるラスボス相手に振るうような大技だ。とてもじゃないが、今の相手に出すような技ではない。
相手の消滅を確認してから、マジカルハートは爽やかな笑顔を浮かべる。
「さ、次にいくわよ♪」
その笑顔が怖い、と彼は思ったのだがとてもじゃないが言えなかった。
場所は変わりブラジル、リオデジャネイロ。
「なに、もうアメリカ担当の反応が消えたっ!?」
ブラジル担当のクリスマスキライナーが驚きの声を上げる。日本担当の反応が消えてから、アメリカ担当の反応が消えるまでおよそ六分。ほぼ同時に倒されたようなものだ。
「どういうことだ、なにが起こっている!」
この世界の科学力で倒せるような柔な機械ではない。倒されるとしたらマジカルハートぐらいだが。
「まさか、たったそれだけで日本からアメリカへ……?」
「そのまさか、なんだなぁ」
背後から聞こえた声に、すぐ振り返る。
「貴様、マジカルハート!?」
「マジカル☆リリカル」
手を天にかざすと、そこへ光が集まっていく。光は一筋の槍の形となる。それを握りしめ、
「絶対必中之槍」
そのまま投擲。同時に槍は光へと姿を変えると一瞬で相手を貫いた。
「ぐぅ……!」
一撃で重要機関を完全に破壊された相手はそのままガクリと倒れ機能を停止した。
「次は、フランス!」
フランス、パリ。
「聖光之剣」
その手に光の聖剣を生み出し、そのまま脳天から叩きつけて一刀両断する。
「ぐわぁあああああ!?」
「次、イタリア!」
イタリア、ローマ。
「天罰」
数千という雷の矢を生み出し一転に集中させ降り注ぎ。
「ぎゃぁあああああ!?」
「次、ロシア!」
ロシア、モスクワ。
「永久凍結」
一瞬にして-276度にすることで相手を凍り付かせる。
「ガッ……!」
「次、中国!」
中国、北京。
「鬼神方天戟」
レインボーホープに魔法の刃を付け加えて、真横に薙ぎ払う。
「うぎゃあああああ!?」
「これで、ラスト!」
最後の一人をようやく倒し終えたマジカルハート。流石にほぼ地球一周はしたのは体に堪えたのか頬は赤く上気する。額から流れる汗を拭う。
「ルーナ、今の日本時間は!」
「18時53分だよ」
「後、7分……!」
北京から東京までの距離はおよそ2100キロ。アメリカとの距離に比べれば断然短い方だ。
「リリカル☆マジカル!」
杖で弧を描くように回転しながら、魔法の呪文を唱える。
「マジカルテレポート!」
だが、魔法の杖をかざしても光は輝くことはなく彼女の体が転移することもなかった。
「な、まさかこんな時に……!」
そう、魔力切れである。
最強の魔法使いとは言え、無限に魔力を持っているわけではない。希望という感情をエネルギーにするとは言え、感情にも限界はある。
「だったら……!」
だが、まだ手段がないわけではない。
魔法の杖、レインボーホープで踵をたたけば、鈴の鳴るような音とともに桃色の羽が生み出される。そのまま、ふわりと空中へと浮かび上がった。ルーナは置いていかれないようにその肩に飛び乗った。そこから、徐々に上昇スピードは加速していく。
「く、思ったよりもスピードが出ない!」
消費した魔力が余りにも大きすぎて、いつものような速度が出ない。それでも、マッハ1まで加速しているのは流石と言うべきなのか。ありとあらゆる科学の壁はマジカルという言葉の元にねじ伏せている。
「マジカルハート、いくらこのスピードでも時間には……!」
「うるさい、諦めたらそこで試合終了なのよ!!」
マッハ1、その速度は時速にして約1200キロ。だが、それでも北京から東京まで1時間以上はかかる。さらに言うなら、すでに魔力と体力を両方とも消費している今の彼女では、日本に着くまでに魔力が持つかどうかもわからない。
だが、諦めるわけにはいかないのだ。
「せっかく……せっかく舞い込んできた婚期、逃してたまるかぁ!!」
切実な願いのために!
むろん、ただ飛ぶだけでも、UFO扱いされたり領域侵犯で国家間で外交問題が起こったりなどわりにシャレにならない事態になるので、不可視魔法とステルス魔法を使用しながら隠れつつ、空中で飛行機にぶつかるわけにもいかないので管制塔などにハッキングして飛行機の位置情報もリアルタイムで把握している。
誰にも気づかれずに空を飛ぶというのも一苦労なのである。
もちろん、それを行うための魔力は容赦なく減っていく。残り数少ない魔力、が枯渇するのが先か、それとも東京に着くのが先か。
「マジカルハート、君はどうしてそこまで……!」
「決まってるでしょう!」
魔法少女になって、様々な侵略者と戦い、青春らしい青春も送ることも叶わず、まわりが結婚していく中でただ一人、独り身という孤独に耐えながら頑張ってきたのだ。
「結婚して幸せになるためよ!!」
幸せをその手に掴むために!
同時刻、原宿駅前。
杉山圭司は期待に胸を膨らませて待っていた。腕時計を見つめて時間を確認する。すでに、約束の時間は過ぎている。
「大丈夫、だよな……?」
電話番号を聞いていなかった自分の失態を悔やみながらも、少しだけ心配そうにそうつぶやくのであった。
「マジカルハート、日本が見えてきた!」
北京を離れて、1時間半ほどたち、ようやくマジカルハートたちの視界に見慣れた景色が見えてきた。
「このまま、一気に行くわよ!」
徐々に陸地が近づいてくる。それが、彼女の心をより急がせる。
(あと、少し……!)
距離にして、残り1メートル。もう、一歩踏み出せば届く。彼女の顔が花開くように笑顔が輝き。
フッと彼女の体を包んでいた不思議な力が消えた。
「え……?」
驚きで自分の体をみてみれば、自分の服装はいつもの可愛らしさを全面に押し出した服装ではなく、出かける前に確認したデート用の服装だ。
「ユリコ」
重力にとらわれて落下する速度を感じながら、ルーナは冷静に告げる。
「完全な魔力切れだよ」
「嘘でしょぉぉおおおおおおお!?」
絶叫を響かせながら水面に叩きつけられる夢野百合子。盛大な音とともに立派な水柱が立った。
「えー、何、今の音ぉ」
「酔っぱらいでも落ちたんじゃねーの?」
偶然、港でデートしていたカップルが不自然な音に興味を持ったのか、様子を見に来たようだ。
「えー、帰ろうよぉ、ケンちゃん」
「大丈夫だって、俺が守ってやるからよ」
「もー、ケンちゃんかっこいー」
端から見ると鬱陶しくなるような会話をしながら海辺に近づいてくる様子をうかがう。
「何も浮いてねーな。気のせいだったか」
近づいてきて、海面を見る。少し波打っているだけで特に代わりはないようだが。
はし、とその足を何かが掴んだ。
「ここは……」
「え?」
見てみれば、そこには海面からのびている女性の手が、男性の足をしっかりと握りしめていた。
「ここはどこだぁああああああああ!」
直後、ガバッと海面からずぶ濡れの女性が姿を現す。地獄のそこか響いてくるような低い叫び声と飛び散る水しぶき。完全にホラーである。
男女は突然、海面から現れたずぶ濡れの女性に悲鳴を上げると、男性は走っていく。それに対して、女性は完全に腰を抜かし、その場に尻餅をついた。
「あ、い、いや……」
ガタガタと震えながら、涙を浮かべる女性に、海から現れたずぶ濡れの女性……お気づきだと思うが海に叩きつけられた夢野百合子である。
無言で近づくが、それが余計に恐怖を助長させている。動けない女性に近づき、胸ぐらを掴む。小さな悲鳴が口からこぼれる。
「ここは、どこ?」
「え……」
「ここは、どこ? 何県?」
「と、鳥取です、鳥取!!」
ずぶ濡れのまま近づいてくるその顔のあまりにも恐ろしさに、恐怖を顔に歪ませながら女性は堪える。その答えを聞くと、胸ぐらをパッとはなす。女性は逃げ出すように走り去っていく。
「と、鳥取……」
一方でずぶ濡れの百合子は驚きに顔を染めている。
「東京まで直線距離で500メートルぐらいだね」
体を振るわせて濡れた体から水分をはじきながら、ルーナは告げる。すでに変身する魔力も残っていない今、電車で行こうにも数時間は必要だろう。
現在、20時12分。すでに1時間もオーバーしている。
これ以上、遅れるわけには行かない。
「く、どうすれば……!」
「ユリコ、もう諦めなよ」
まだ、諦めきれずにいる百合子に対して、ルーナはさっさと諦めて慰めムードになっている。
「君は頑張ったよ。たった2時間ちょっと6ヶ国も救ったんだから」
しかし、百合子もここまで来て諦めるわけには行かないのだ。彼女の輝かしい結婚生活(予定)のために。
「どうにか、魔力さえ生み出すことが出きれば」
「時間が置かないと無理だよ。それこそ、ダークハートみたいに人から奪わない限りは……」
それが、失言だった。
ルーナの言葉に、ピタっと動きを止めます。何かを思い出すように、口を開く。
「ねぇ、ルーナ。あなたまだ魔力残ってるわよね?」
「ああ、今回はそんなに魔法使ってないしね」
不意にそんなことを訪ねる彼女に怪訝そうな顔をするも、律儀に堪える。
「たしか、妖精って見た目は小さいけど人の何十倍も魔力をもっているのよね」
「君ほどじゃないけどね……て、どうしてそんなこと聞くんだい?」
何か、身の危険を感じて距離を取ろうとしたルーナの首根っこを彼が反応するよりも早く掴んで捕獲する。
「そうよね、無かったら貰えばいいのよね。せっかくルーナもいるんだし」
「待って、待つんだユリコ! 魔力って言うのは感情のエネルギーで人の生きる源なんだよ。それを奪うなんてこと、希望の魔法少女がやることじゃないよ!」
必死に説得を試みるも、それに対して百合子は穏やかな笑顔を浮かべる。だが、その瞳はいっさい笑っておらず、恐ろしいほどまでに本気であった。
「大丈夫、優しくするから」
「そういう問題じゃなくて、僕は倫理的なことを……あ、やめて、ダメ……ダメ、あーっ!」
ルーナの悲痛な叫びが、港に響いた。
「よし、元通り!」
数分後、そこには元通り魔法少女に変身したマジカルハートの姿があった。
「うう、こんなのってないよ。こんなの絶対おかしいよ」
その横では魔力を奪われて力無く倒れている。
「これなら、飛んでいくぐらいは持つ!」
ルーナを抱きかかえると、再びステッキで踵を叩く。桃色の羽が出たことを確認すると、いざ空へと飛び上がろうと力を込めたとき。
「見つけたぞ! マジカルハート!」
聞きなれた声が響いた。ゆっくりと、振り返るとそこに立っていたのは、
「あんた……鋼鉄将軍!?」
最悪のタイミングで、最もややこしい相手が剣を引き抜いた姿で現れたのだ。
「なんでアンタがこんな場所に……!」
「ふ、卑怯、そう思うかもしれんな」
自嘲気味に彼は笑う。非常に真面目な雰囲気なのはいいのだが、正直、今のマジカルハートは彼を無視して飛んでいきたい気分であった。
「だが、我がマシーンランドの憂いを断つべく手段を選んでいる暇はない。そのために、たとえ卑怯と罵られようと貴様を倒すために私はやってきた!」
「えーっと、嫌なことは無理してする必要はないと思うの。自分が納得できる方法でやるべきじゃないかな!」
どうにかしてこの場をやり過ごしたい彼女は無駄だとわかりつつも説得を試みる。その言葉を聞いて鋼鉄将軍は首を振る。
「心配は無用だ。私はマシーンランドの剣、任務に私情をはさみはしない!」
「あの、せめて、深夜になるまで……」
「問答無用!」
「お願いだから私の話をきいて!!」
鋼鉄将軍の装甲が展開し、各部のブースターが姿を見せる。エネルギーが体中を巡り、体に付けられているモーターが低重音を響かせる。
「いざ、尋常に勝負!」
「あーもー、このバトル馬鹿ぁ!」
話をまったく聞く気にない相手に半ば自棄になりながら右腕に魔力を込める。
「雷光爆砕拳」
自分の体へとめがけて叩きつけられる剣の刃へと真っ正面から拳を叩きつける。バキン、と漆黒の刀身は砕け散り、その拳は鋼鉄将軍の胸部を貫く。
そのまま魔力が爆発。内部から鋼鉄の体をふきとばす。
「ぐぅ、見事っ!」
爆散していく自分の体を冷静に見つめながら、すぐさま自分のデータを本国へと転送し、完全に死ぬことを防ぐ。吹き飛んでいく相手の残骸を、無言で見つめる。
「……終わった」
小さく、呟くように彼女がいうと、それにあわせるようにマジカルハートの衣装が解けていく。今の一撃で、ルーナから預かった分の魔力も使いきってしまったのだ。
「私の人生、終わった」
そのまま真後ろへと倒れ込んだ。
「ユリコ!?」
計300回を越える転移魔法、7回に及ぶ戦闘と、これまで張りつめていたもの全てが疲労となって彼女の体に襲いかかったのである。気力だけでもっていた体はすでに限界を迎えており、スイッチが切れたかのように倒れこんだのだ。意識も途切れる一歩手前である。
「ユリコ、大丈夫!?」
「あはは……終わった……私の人生……終わった……」
「し、しっかりするんだユリコ! 気を確かに!!」
壊れたように笑い出しながらつぶやき続ける百合子に顔を真っ青にしながらルーナは話しかけ続ける。ユリコの悲哀に満ちた笑い声が、夜の港に響いていく。
「ユリコぉおおおおおお!」
これが、夢野百合子のあまりにも残念すぎる、クリスマス・イブの一日であった。
同時国、杉山圭司はというと。
「ええ、残念ながらフられちゃいましたよ」
家のソファーに腰掛けて、ケータイ片手に苦笑いを浮かべる。話している相手は同じチームの同僚だ。彼が約束をすっぽかされたという話を、どうも相手は信じられないらしい。
「いや、本当だよ。イケる、て思ったんだけどな」
電話口の同僚は、慰めの言葉をはなす。だが、それに対して彼は強い意志を感じさせる瞳で答える。
「ま、でも諦めるつもりはないよ」
部屋の片隅に飾られた、一枚の写真を見つめながら。
「15年間もずっと片思いしてるんだしな」
そこには、体育祭の時に取った写真が飾ってある。楽しそうに笑っている彼の横で顔を真っ赤にしている彼の”想い人”の姿があった。
「だから、俺……諦めないよ」
この二人が再会するのは、もう少し、先の話。
続く。