第1話「奇跡の出会い!? マジカルハート誕生!」
窓を開けると、そこに広がっているのは満天の星空だった。4月に吹く涼しい風が頬をなでる。延ばしている長い黒髪が、さらりと揺れた。
「素敵な空」
宝石を散りばめたような美しい夜空を見つめて、感動するように言ったのは少女の名前は夢野百合子。もうすぐ14歳になる。
2月2日、時刻は23時55分。あと、5分もすれば日付が変わる。早寝早起きを習慣としているいつもの彼女だったら、すでに布団の中でぐっすり眠っている時間のはずだが、今日ばかりは事情が違う。
明日は、夢野百合子の誕生日なのだ。
誕生日には必ず、一番最初にお月様を見つめるのが彼女のお約束だった。昔から月を見ているとなぜか心が安らいだ。辛いときや悲しいときに見上げれば心が安らいでいき、楽しいときや嬉しいときに見上げればその気持ちがさらに膨れ上がる、そんな不思議な気持ちになれるのだ。乙女チックとよく友人には笑われるが、百合子はそんな気持ちにさせてくれる月が大好きだった。
だから、特別な日には月が浮かぶ夜空を見つめたかった。
一年間でたった一日しかない特別な日。だからこそ、この日は月を見つめることから始めたかったのだ。そして、その月に願い事を祈るのだ。そうすれば、願い事が叶うかもしれない、そんな気持ちにさせてくれるからだ。
「今年は願い事、叶うといいなぁ」
去年、気になっているクラスメイトに自分の気持ちを伝えられるよう願ったのだが、残念ながらその願いが叶うことはできなかった。もちろん、勇気が出せなかった自分が悪いことも理解している。
「圭司君……」
誰かの名前をつぶやいて、テーブルの上に置かれている写真を見つめる。去年の体育祭の時に撮ってもらったもんだ。そこには、顔を真っ赤にして移っている百合子と隣で楽しそうに笑顔で移っている男子生徒の姿が映っている。思うように彼と話せない彼女に、友人が気を利かせて撮ったものだ。百合子にとって大切な写真である。
百合子は、決して活発な女の子ではなかった。どちらかといえば、大人しく教室で本を読んでいるような、そんな大人しくて地味な少女だ。もちろん、年頃の女の子だからお洒落にも興味はあるし、化粧もしてみたいとも思う。だが、クラスで化粧をしている子たちに話しかける勇気もないし、ピアスなどをあけている姿を見てちょっと気後れしてしまう。そんな彼女のことを友人は可愛いと言ってくれるが、そんな自分のことがあまり好きではなかった。
(……それに)
百合子は腰掛けていたベッドから立ち上がると、自分の体を見つめた。あまり起伏の少ない自分の体を見て、気持ちが重くなる。まだ中学生、これから先まだ希望はあると思うのだが、友人などに比べると明らかに大人しめな自分の体もコンプレックスの一つだ。焦る必要はない、と友人は言うのだが、どうして同じ年齢なのに彼女の方が成長しているのか不思議だ。
(でも……)
男の子はやはり、胸が大きい方が好きなのではなかろうか。百合子は頭の中で自分の思い人を浮かべる。野球部のピッチャーでエース、少し焼けた肌と爽やかな笑顔が特徴的な少年。もちろん、彼女だけではなく多くの女子生徒たちの憧れの的だ。ライバルは非常に多い。
もう一度、自分の体を見つめる。
平々凡々で、とくに特徴らしい特徴もない体。化粧も知らず、髪の毛も全く手を入れていない。性格だってそんなに明るくもない。そんな少女にあの少年が見向きしてくれる要素がどこにあると言うのだろうか。
「はぁ〜……」
大きなため息をつく。悪いことを考え出したら止まらなくなってしまうのも彼女の悪い癖である。友人にもよく注意されるので自覚はしているのだが、なかなか直らない。考え方の問題なので、そう簡単に直せるものでもない。だからこそ、今年の彼女の願い事は決まっていた。
新しい自分になる。
もちろん、月に願ったからといって、そう簡単に代われれば苦労はしない。けれども、節目になる今日にそう願い事で自分の中の何かが変わるかもしれないと言う淡い期待。それこそ、友人が乙女チックだと笑うようなものなのだが、きっかけは大事だと彼女は思っている。
「あ、いけない」
ふと、時計を見れば、もうすでに58分を過ぎている。考え込むと周りが見なくなってしまうのも彼女の悪い癖の一つだ。すぐに窓際によると、月を見上げる。
「……綺麗」
思わず、微笑む。幸いにも満月で雲一つない晴天のおかげで隠れることもなく、漆黒の夜空を煌々と輝いている。太陽のような力強い光ではなく、星空の下の人々を優しく見守るようなその光が大好きだった。先ほどまで彼女の心の中を覆っていた曇天のような暗い気持ちが消えていく。
教会で祈りを捧げるシスターのように、彼女は膝を付けると手を胸の前で組んだ。そして、ゆっくりと頭を垂れる。月の光に照らされながら祈りを捧げているその姿は、まるで物語にでてくる聖女の用であったが、残念ながらその姿を見つめるものは誰もいなかった。
(新しい自分に、生まれ変われますように……)
心の中で自分の願いを反芻する。それは、誰かに聞かせると言うよりは、自分に言い聞かせるように。静かな時間が流れて、時計の針の音だけが響いている。
カチッ、と時計の針が0時を指した。
……て
小さな声が、聞こえた。否、それは聞こえたと言うにはふさわしくないのかもしれない。一つも音はなっていないはずなのに、まるで心の中に直接話しかけてくるような、不思議な声であった。
「え……?」
思わず顔を上げ、あたりを見回す。だが、周りには誰もおらず、彼女の部屋があるだけだ。だけど、確かにあの声は聞こえた。立ち上がり、声のした方向へと歩いていく。
……けて!
「誰、誰なの!?」
……助けて!!
はっきりと声が聞こえた。なぜだか、その声がする方向がわかった。百合子は壁に掛けてあった上着をつかんで素早く羽織ると、寒さの厳しい外へと飛び出していく。
……誰か、助けて!
飛び出した後も、その誰かの声は聞こえていた。その切迫した叫びは、まるで残りの命を削り出しながら叫んでいるようで、聞いているだけで身が切り裂かれているような気持ちになる。だから、百合子はいても立ってもいられずに感情のままに飛び出してしまった。
2月の夜は冷える。口から吐き出される息は白く、心臓もすでに早鐘を打って苦しい。そういえば、自分は運動はあまり得意でなかったことをいまさら思い出す。それでも、止まるわけにはいかなかった。
誰か、助けて!
この声の主を助け出すまでは、どれほど苦しくても止まるわけにはいかないのだ。
住宅地を駆け抜け、彼女がたどり着いたのは近所の小さな公園だった。住宅地の空いた土地に作られた、遊具も二つほどしかない公園と呼ぶには少し小さい広場。街灯もついていないために、この時間になるとまるで街の光の中にポッカリと空いた落とし穴のように闇に閉ざされており、不気味な印象を与える。まるで、獲物を待ちかまえて口を開けて待っている怪物のようだ。
踏みだそうと足が思わず止まる。彼女はどこにでもいるただの女子中学生だ。この異常ともとれる現象をそう簡単に受け入れられるほど、人生経験は深くはない。
けれども、
誰か、助けて!
助ける求める声を聞いて、迷いを捨てて飛び込む程度に、彼女は善人であった。
まるで巨大な蜘蛛の巣を突っ切ったような不快感が全身を包み、思わず瞳を閉じる。不快感がようやくとれた頃に瞳をあけると、そこはすでに”彼女の知っている世界”ではなかった。
空は確かに夜のように薄暗かったか、そこには黒ではなく紫色の夜空が広がり、そこには輝く星はなく、妖しく光る深紅の月が浮かんでいる。そして、その下には彼女の想像を超える光景が広がっていた。
「なんで、ここにサイエンワールドの人間が……!?」
この場所に飛び込んできた少女の姿に驚きの声を上げたのは、”猫”であった。まるで夜の黒をそのまま毛色にしたかのような吸い込まれるような漆黒の毛並みに、ただ一点、額の部分だけ丸い月の色をした部分がある。おそらく可愛らしい顔だと思うのだが、今は驚きで目を見開いている。それは、百合子も一緒である。
「ね、猫がしゃべったぁ?!」
あまりのことに驚き、その場に尻餅をついてしまう。その姿を見て、人語をしゃべることのできる猫は叫ぶ。
「早く逃げて、ここは危険だ!!」
黒猫の言うとおりに、その向こう側はさらなる異世界が広がっていた。
最初に目に見えるのは、3メートルは越えるであろう巨大な巨人である。まるで闇が集まったかのような光のない黒が人型になっている。特徴的なのは顔と思われる部分で怪しく光っている赤い光だ。人間で言うならば瞳の部分にあるその光は、まるで獲物を探しているかのようにギョロギョロと動いている。その一点だけが生物的で、よけいに不気味さを増長している。
漆黒の巨人の向こう側に見えるのは、この公園においてある数少ない遊具、ブランコと滑り台だ。しかし、ブランコは溶けた砂糖菓子のグニャリと中心が折れ曲がっている。その隣では滑り台が根本のアスファルトごと引き抜かれて無惨に横たわっている。その現実離れした光景に、百合子は言葉を失ってしまう。
「早く逃げるんだ、そうじゃないと君もハートを奪われてしまう!」
「で、でも、あなたが……」
「僕のことはいいから!」
ゆっくりと、闇の巨人が黒猫へと近づいていく。かなりの質量を持っているはずなのに、足音一つ響かせない。血のように赤い瞳が黒猫を見つめる。百合子をかばうように、黒猫は立ち上がると、その巨人に向かって牙をたてて威嚇する。だが、それは誰がどう見ても無謀な戦いだった。
「早く、逃げろ!!」
ゆっくりと近づいてきた巨人は、その腕を振りあげる。百合子は自分の想像の範疇を越える出来事に対応できるほど器用な人間ではない。ましてや今の状況では、彼女の心は恐怖に支配されて、動きがとれない。今すぐにでも背中を向けて逃げ出したい。
(でも……でも……!)
百合子は確かに覚えている。あのとき、自分に向けて助けを呼んでいた声を。そして、その声の持ち主があの黒猫であることも。怖い、恐ろしい、逃げ出したい、でも、
必死に助けを呼んでる声を見捨てることなど、できない。
「ぅうわぁあああああああああ!!」
自分を奮い立たせるように叫び声をあげて、百合子は非日常へと飛び込んでいった。自分の胸の中に隠すようにに黒猫を抱きしめると、そのまま勢いで地面を転がる。砂埃が舞い上がり、口の中へ砂が入るがそんなことを気にしている余裕はない。
すぐに立ち上がると、汚れを払うこともなく公園の外を目指して走り出す。彼女のそのまさかの行動に、腕の中の黒猫は驚きの声をあげる。
「何をしているんだ君は! どうして逃げなかった!?」
「今、必死に、逃げてる!」
「そうじゃない、なんで僕なんかを……!」
矢継ぎ早に声をかけられるも、残念ながら走りながらしゃべるほど百合子は器用でもないし、そんな心の余裕も今の彼女にはない。運動が苦手なりに必死になって逃げるのが手一杯なのだ。
再び、公園の外に飛び出す。再び、蜘蛛の巣を突っ切るような不快感がおそうが、やはりそれを気にする余裕は彼女になかった。だが、彼女が飛び出すと同時にガラスが砕けるような音が響く。
「いけない、結界が……!」
「え……?」
見てみれば、夜空は公園に入る前の満点の星空に戻っており、月の色も見慣れた色だ。どうやら、いつもの百合子の知っている世界に戻ってきたようだ。もしかしたらあの巨人も消えているのではないかと淡い期待を抱いて振り返るが、
「消えてなーい!」
「いけない、ダークハートがサイエンランドに……!」
「もう何を言ってるのー!!」
目尻に涙をためて、声を震わせながら百合子は走る。後ろからはゆっくりと歩いているはずなのにちっとも距離が広がらない巨人に、腕の中には人語をしゃべる黒猫、しかも何を言っているのか全くわからない。すでに彼女の処理能力では対処できない限界にきていた。どこに逃げたらいいのかもわからずに、自分の家へと向かう。
「君、僕を離して! 僕と一緒にいると、君もねらわれる!」
「できないよ!」
「どうしてさ!」
腕の中で暴れる黒猫を必死に押さえ込みながら、百合子は叫ぶ。その変わらぬ気持ちを。
「だって、あなた助けてって、言ってたじゃない!」
「……!」
百合子の言葉を聞いて、黒猫は目を再び驚きで目を見開いた。そんな変化を気付く余裕もなく、彼女はなんとか喋りながら口を開く。
「見捨てることなんて、できない、もん!」
堪えきれなくなった涙が頬を伝う。それでも、彼女は足を止めることなく走り続けている。決して、その胸の中にいる黒猫を離さずに。
「聞こえていたというの……僕の、念話が!?」
この少女に、何度驚かされるのだろうと、黒猫は思った。彼女には、素質があるのだ。それは、この世界を救えるかもしれない存在なのだ。
「君、名前は?」
「私、は、夢野、百合子!」
「ユリコ、落ち着いて聞いてほしい!」
走りながら喋る体力も途切れ途切れに答える。もうすでに答えることもできないのか、百合子は必死になって走り続けている。そんな彼女に、黒猫は淡々と話を続ける。
「僕の名前はルーナ。月の向こう側にあるマジカルランドからやってきた、妖精なんだ」
「月の、向こう、?」
「月の向こうといっても、宇宙からやってきたわけでじゃなくて、こことは違う時空の世界、異世界からやってきたんだ」
正直な話、普通に考えれば信じられない話だが、今現在の状況を考えると信じずに入られない。そもそも、喋る猫がいる時点でもはや彼女の常識は通用しないようだ。
「あれは、なん、なの!?」
「誰は、ロストハート。絶望の魔法から生み出された怪物だ」
「絶望の、魔法?」
ルーナと名乗った黒猫は百合子の腕の中でうなずいた。
「ダークハートが使う魔法だ。彼らはその絶望の魔法を使って全ての世界を闇に包み込むつもりなんだ」
後ろから迫ってくる闇の巨人を睨みつけながら、ルーナは続ける。
「僕の住んでいたマジカルランドは、昔からダークハートと戦いを繰り広げてきた。だけど、彼らの手によって……」
「どう、なったの?」
思わず言い淀むルーナに、百合子が訪ねる。沈痛な顔を浮かべ、視線を下に落とし、彼は答える。
「全ての人々から心が奪い取られ、みんな石に変えられてしまった……女王様も、国民も、妖精も、みんな」
「どうして、そんな!」
「彼らは絶望の魔法を生み出すために、人の心を奪うんだ。あの怪物も、その一つだ!」
それじゃあ、もし自分が捕まってしまったら……と思うと冷たい汗が背筋に流れる。しかし、どれほど急いで走っても、闇の巨人との距離は縮まりもしなければ、開くこともない。
だが、彼女の体力にはやがて限界が訪れる。
ただ逃げるために必死に動かした足は、体力の配分などもちろん考えてもおらず、すでに3分以上も経った追走劇は、百合子の限界をとうに超えていた。ついに足がもつれ、その場に倒れ込む。それでも、ルーナを下敷きにしないように配慮することはできた。
「っ痛……」
「ユリコ!」
ルーナが叫び声をあげる。そこには、彼女の追いついた闇の巨人、ロストハートが深紅の瞳をギラつかせて見下ろしていた。ゆっくりとその手が開かれて彼女へと延ばされる。逃げようとするも、転んだ際に足を挫いてしまい、すぐに立ち上がることができない。
「い、いや……」
彼女の顔が恐怖でゆがむ何とか逃げ出そうと必死に足を動かすも、足は悲しく滑るだけだ。彼女に多い被さるようにその巨大な手が迫る。せめて、ルーナだけでも守ろうと彼を覆うように自分の体の下に隠し、襲いくるであろう恐怖に堪えるために目を瞑る。漆黒の腕がその体に触れた、瞬間。
強く輝く光が天へと走った。
吹き飛ばされるように弾かれるロストハートの腕。まるで、恐れおののくかのように後ずさりする。
誰かに抱きしめられているような温もりを感じて、百合子は瞳をあけた。見てみれば、周りは暖かな光で包まれている。
「ここは……」
「やっぱり、君がそうだったんだね」
ルーナが何かを確信したようにつぶやく。それにあわせるように、彼と百合子の間に光が集まっていき、一つの形となる。
「何これ……杖?」
現れたのは、一本の杖。桃色の棒の先にはハートがついており、その真下には黄色のリボン。そして、先端についているハートは虹色の輝いている。
「希望の宝石、レインボーホープ」
「レインボー……ホープ?」
「人々の希望によって生み出された絶望の魔法に対抗できる希望の魔法の杖だ」
空中に浮かんでいるその杖は、まるで意志を持つかのように百合子のもとへと動く。
「え、何、なんなの!?」
「百合子、お願いがあるんだ」
ルーナは何かを迷うような仕草をしてから、決意するかのように顔を引き締める。
「マジカルランドを征服したダークハートは、君たちの世界、サイエンランドを狙っている。このままだと、君たちの世界も僕たちの世界のようにすべての人から感情が奪われてしまう」
「そんな……!」
「だけど、君にはそれを止める力がある」
「え?」
突然の言葉に驚く。だが、ルーナは真剣な眼差しで彼女を見つめている。
「理由は僕にもわからない。でも、君にはこの世界の人が持たないはずの魔法の力を持っている」
「魔法の力?」
「強い希望の力だ」
彼の言葉に応えるように、杖の先端が虹色に光り輝く。それにあわせるように、百合子の胸も光を放つ。まるで、互いに共鳴しあっているかのように。
「君の魔法の力ならダークハートの絶望の魔法を打ち破ることができる」
ルーナは頭を下げる。彼には、この程度しかできない。
「お願いだ、このサイエンランドを守るために、そしてマジカルランドを救うために……僕に力を貸してほしい!」
百合子は困惑していた。無理もない、いつものように誕生日を迎えるはずが、謎の声に呼ばれ、喋る黒猫に出会って、正体不明の巨人に追いかけられ、挙げ句の果てに世界を守るために戦ってほしいとまできた。もう彼女の許容できる範囲をとうに超えている。何度も言うが、彼女はこれまで平凡に生きていたただの女の子だ。
だけど、
「……私しか、いないんだよね」
百合子の言葉に、ルーナは頷いた。その姿を見て、彼女は微笑んだ。
「わかった」
怖くないわけではない。今でも手は震えている。でも、この気持ちを”自分以外の誰か”にしてほしくなかった。
「私、戦うよ」
少女の決意に答えるように、レインボーホープはさらなる輝きを放つ。
「ありがとう、ユリコ。だけど忘れないで、君は一人で戦うんじゃない。僕も一緒にいるから」
「わかった」
迷うことなく、目の前で輝いている杖をつかんだ。それと同時に、脳内へと膨大な情報が流れ込んでくる。魔法の概念、使い方、知識……しかし、まるで水を吸い込むスポンジのようにすんなりと入ってくる。
「行こう、ルーナ。この世界を守るに!」
「ああ、ユリコ!」
もう、”やり方”は理解している。光り輝く虹色の杖を、自分の頭上にかざし、魔法の言葉を唱える。
「マジカル☆チェーンジ!」
光が、爆発する。
ロストハートの前で、その現象は起こった。それまで天に伸びていた光の柱が、突如破裂すると、太陽のように明るい光が夜の町を照らす。膨大な光の波の中から、一人の少女が姿を現す。
「愛の光で照らす希望のマジック!」
女の子らしい明るいイエローを基調としたパフスリーブに、中がパニエになっているプリーツタイプのミニスカート、手首はちょうちょ結びのリボンがつけられ、足はニーハイブーツ、そしてその胸にはハート型の虹色に光る宝石。そしてその右手には、魔法のステッキ。
「魔法少女、マジカル☆ハート!」
空中でクルリと回ると、杖の先端をロストハートに向け、愛らしくウィンク一つ。
「あなたの心にラブリーマジック、届けてあ・げ・る♪」
今ここに、希望の魔法少女が舞い降りた。
全ての世界を絶望の魔法により暗黒へと染めようとするダークハート、それに対抗するために生まれた希望の魔法少女、マジカルハート。
この日から、魔法少女の伝説が始まる!!
「魔法少女マジカル☆ハート、1stシーズン”ダークハート編”ブルーレイボックス好評発売中!!」
「……懐かしいわね、ルーナ」
そんな、テレビから流れてくる映像を見つめながら、懐かしそうに一人の女性は言った。右手にはまだ半分ほど中身が入っている、少しぬるくなったビール。左手には半分ほど平らげた焼き鳥の串。タンクトップに短パンという非常にラフな格好をして、髪はヘアゴムで無造作に纏められている。
「本当だね」
それに答えるのは、美しい黒の毛並みと、額だけ丸い月色の違う場所がある。彼の足下には二つの窪みのある猫用の餌入れだ。猫から見て左側にはキャットフードが、反対側には黄金色の液体……ビールが入れられている。黒い毛並みに隠れて見えないが、顔は少し赤い。
「懐かしいわぁ……もう15年も経ったのね」
焼き鳥にかじり付きながらそう答えた女性は、夢野百合子。かつて、絶望の魔法使い集団、ダークハートと戦った希望の魔法使い、マジカリハートである。彼女はビール缶に口を付けると、そのまま流し込むようにビールを一気のみ。
「プハァっ! やっぱビールはアサメに限るわぁ!!」
大人しそうだった少女の姿はどこに行ったのか、現在の彼女はあぐらをかいて焼き鳥片手にビールを流し込む、立派な女性になった。
「おやじ臭いよ、ユリコ」
そんな彼女を白い目で見つめながら、横でビールをちびちびと舐めているのはルーナである。元々成人であったためにそれほど代わりはないが、それなりに年齢を重ねた故に昔に比べたらどこか貫禄のようなものを身につけている。
「良いじゃない、私たちしかいないんだしぃ♪」
百合子は鼻歌を歌いながら未開封のビール缶に手を伸ばすと、片手で封を開ける。空気の抜ける音が響き、嬉しそうに口に運ぶ。喉を鳴らしながらビールを体へと入れていき、
「プハァっ! この為に生きてるって感じだわ!!」
そんな良い意味でも悪い意味でも成長してしまった彼女の姿にルーナはため息を一つ、大げさについた。ムッと顔を膨らませる。
「なによルーナ、なんか文句でもあるの?」
「いや、君も一応は女性なんだから淑女としての嗜みを持つべきではないかな。そんな半裸のようなあられもない姿で酒を飲む姿を君の母親が見たら泣くよ」
「あんた本当に、可愛げなくなったわよね」
まるで口うるさい教師に注意されているかのようにいやそうな顔をする。
「昔は可愛かったのになぁ」
「それはお互い様だよ」
良くも悪くも時が流れたのである。TVでは未だに彼女の活躍を収録したブルーレイボックスの宣伝が流れている。迫力のある戦闘シーンが流れている。
「そっか、もう15年もたったんだね……」
「早いような、短いような、不思議な気分だね」
百合子はまだ中身の残っているビール缶をテレビにおくと、ひざを立てて体育座りをする。ルーナの方に顔を向けながら膝の上に顔を乗せる。どこか、大人の色気を感じさせる。
「ねぇ、ルーナ」
「何だい、ユリコ」
それに対して、ルーナは特に興味なさげにTVを見つめている。
「……私、魔法少女卒業したい」
「却下」
夢野百合子
29歳(満30歳)
会社員
独身
魔法少女歴15年
現在”現役”
第1話「奇跡の出会い!? マジカルハート誕生!」
改め
第789話「魔法少女は辛いよ」
「なんでよ!」
百合子は大声を上げて立ち上がる。しかし、ルーナは涼しい顔でキャットフードを食べている。
「もう良いでしょう、私もう29よ! 魔法少女っていくら何でも無理があるでしょう!!」
大声で叫んでいる彼女の言葉を聞いているのか、ルーナは何も答えずに今度はビールに口を付ける。その姿を見てますます怒りがこみ上げてくる。
「ちょっと、聞いてるの!!」
「落ち着きなよ百合子、女性がそんな大きな声を出すもんじゃない」
再び、ため息をつくと、自分の前に置いてある餌用のさらを前足でどかすと、怒りの形相でこちらをにらみつけている彼女を見つめる。
「あのね、ユリコ。君がいなければ誰がこの世界を守るんだい?」
「う……」
口をつぐむ百合子に、さらに続ける。
「今だってマシーンランドの機械帝王が侵略してきている最中じゃないか」
「うう……」
ダークハートの首領、ロストキングを倒したのはよかった。だが、彼女の戦いはそこで終わることはなかった。
闇魔女ダークウィッチーズ、暗黒響団ネガシンフォニー、魔界貴族サターンズ、深海神殿ダダゴンズ、冥界王国ハーデュース等々、毎年のようにやってくる様々な侵略者たち。彼女はそれらの侵略者と戦い続け、そして全て退けてきたのだ。
まさに、歴戦の猛者である。
「だったら、どうやったら私は魔法少女やめれるのよ」
ちょっとジト目で恨めしそうに睨みつけながら、百合子が訪ねると、ルーナは器用に前足を組み合わせて、考え込むようなポーズを取る。それから、
「そうだね、負けない限りは辞めれないじゃないかな」
「……それ、嫌み?」
夢野百合子ことマジカル☆ハート。15年間、無敗。
「でもほら、4回くらい負けたことあるじゃないか」
「ええ、そのたびにパワーアップして強くなったけどね」
最近では苦戦することが難しいぐらいになっている。ここ数年ほど、ピンチに陥った記憶がないレベルだ。残念ながら期待できそうにない。
「あるいは、結婚して子供ができるか」
「……」
百合子は耳を塞いで、背を向いてしゃがみ込む。
夢野百合子、独身。
独身、である。
希望の魔法少女なのに、夢も希望もない話である。
「あきらめなよ、後継者もいない状態で止められる分けないだろう?」
何回目かわからないため息をつきルーナ。その言葉に、さめざめと涙を流しながら床に崩れ落ちる。しかし、いつの間にかその手にはしっかりろとビールが握られている。
「なんで、こんな年になってまで魔法少女やらなくちゃいけないのよ……」
「同情はするけど、僕にもどうしようもできないよ」
やれやれと言った感じで彼は再びエサ皿を手元に寄せると、食事を再開する。そのどこか余裕のある姿が逆にちょっと腹が立つのだが。
「あーあ、白馬の王子様現れないかなぁ……」
「魔界貴族の王子ルシファーから言い寄られてなかったっけ?」
「暗黒龍に乗る王子様はちょっとね……」
ていうか、そもそも人間ですらないし。玉の輿なのかもしれないが、さすがに魔界に住む勇気はない。
「常に硫黄臭いし、雑草レベルで肉食植物が生えてるし、気を抜いたら10メートルクラスの怪鳥に食べられそうになるし」
「罠にハメられて魔界に落とされたときは死ぬかと思ったね」
「死に物狂いだったわよね、あの半年間」
ケラケラと笑いながらいうが、実際にはいつ死んでもおかしくない状況であった。生きて帰れたから笑い話にできるのであって、もう二度とあの場所には行きたくないと思っている。
「しかも帰ってきたら留年の危機だったしね。いやマジでピンチの連続だったわね」
「なんとか四大貴族の一人を倒して帰ってこれたんだよね」
「いやぁ、強かったわあいつ。名前なんていったっけ。ベルゼ……ベルゼ……」
「ゼルベブード、だろ」
暴食の貴族”ベルゼブード”、四大貴族の一人であり、四人の中でも最強と呼ばれる実力者である。もっとも、彼女たちがそのことを知ったのは倒して半年ほど経ってからだが。
「そうそう、あいつに負けたのよね一回」
「ああ、すべての魔法を無効化されて手も足もでなかったね」
運がよく、逃げることができたが、もし逃げることができなければ命はなかっただろう。
「あの頃からよねー、フィジカルの重要性を感じだしたの」
ビールを口に含む。ぐびぐびと冷えたビールが喉を通る感触が気持ちいい。
「でも、悪い奴じゃなかったわよね」
「そうだね、ちゃんと約束は守ってくれるし、正々堂々と戦ってくれたし」
魔界では不意打ちや約束ごとの反故などは日常茶飯事であり、むしろそれが美徳とされる独特の道徳感を持っている。その中ではベルゼブートは異端の存在であり、魔界貴族には大いに嫌われていた。しかし、そのお陰で彼女は帰ってこれたのだ。
「あの人を倒すためにエンジェルモードを二人で開発したんだよね」
「まぁ、堕天使のサリエールさんの手助けもあったけどね……あの人、元気かなー」
百合子は両腕をあげるとともにそのまま後ろに倒れ込む。ひんやりと冷たい床の感触が、アルコールで火照った体には気持ちがいい。
流行のアイドルグループの曲が響いた。見てみれば、テーブルの上の彼女のケータイがメールの受信を伝えている。手にとってメールを確認する。ピンク色の折り畳み式の古い携帯だ。駄菓子屋のマスコットキャラクターのストラップが付けられている。
「あら、噂をすればサリエールさんからだ」
「なんだって」
ケータイを開き、メールの内容を確認する。同時に、感嘆の声を上げた。
「へぇ、サリエールさんスマホにケータイ変えたんだって」
メールの中には、新しいスマートフォンを買ったという内容の文章とともに、一枚の写真が貼付されていた。
そこに移っているのはまるで蝋人形のように病的なまで白い肌と、神秘的な光を放つ銀髪。美しいとしか言いようがない美しい顔の輪郭、それに対して異彩を放っているのが目を多い隠している血の色をした革製の仰々しい目隠しだ。そんな物を付けていながらも、人を惹きつける神秘的な美しさを持つ絶世の美女。彼女の名前は堕天使サリエール、相手に絶望の未来を見せる邪眼を持つが故に魔界に落とされた天使だ。それでも、誰も憎まなずに神を信じ続ける誇り高き信心を持つ堕天使。
そんな天使が、スマートフォンを手に、空いてる手でピースをしている写真だ。目こそ見えていないが蝋人形のように白いはずのその頬が少し赤くなっており、その口はうれしそうに笑顔を浮かべており、誰からどうみても嬉しそうだった。
「すごい、楽しそうだね」
ちなみに、メールの内容は、「祝☆スマートフォンデビュ〜〜!(絵文字が並んでいる)」という非常に人間味あふれた文章である。とてもじゃないが写真の人物が書いたようには思えない。
「いつも思ってたんだけど、彼女はどうやってケータイを買っているんだい?」
ルーナがそう思うのも無理はない。なにせ、サリエールは神により冥界へと落とされた堕天使だ。どうやってケータイを入手しているのだろうか。
「ああ、なんか人間界まで買いにきてるらしいわよ」
「え?」
予想を超える答えに思わず思考が停止する。
「なんか最近、日本へのプチ旅行にはまってるんだってさ」
「へ、へぇ〜……」
冷や汗を流しながら、ルーナは答える。そう簡単に魔界の住民が人間界に来てしまってもいいのかはわからないが、止められないって事は許されているのだろう。
「えーっと、おめでとうございますっと、送信」
簡潔な電子音が響き、メールが送られる。
「そういえば、ユリコはスマホにしないの?」
未だに旧式の折りたたみの携帯を使っている彼女に、ルーナは訪ねる。その言葉に、百合子は苦笑を浮かべながら、
「私はいいわ。今のケータイでもぜんぜん使えこなせてないのに、スマホみたいな最新のものはちょっとね」
元々、機械にはあまり強いほうではない。職場のパソコンを使うので精一杯なのである。そんな彼女にとってスマートフォンなど夢のまた夢だ。とてもじゃないが使いこなせる自信はない。そのために、買う踏ん切りがつかないのだ。
「サリエールさんに今度使い方教えてもらおうかな」
堕天使にスマートフォンの近い方を教わりにいく魔法使いの絵はすごいシュールな光景になるのではないかとルーナは思ったが、口には出さないでおいた。
百合子はビールを飲もうとして、手に持っている缶の中身が空であることに気づく。つまらなそうにゴミ袋へと放り投げると、今度は笑顔を浮かべて未開封の缶へと手を伸ばし。
「はい、ストップ」
ルーナによって阻止された。彼はビールの前に立ちふさがると、その前足で百合子の手を払う。
「ちょっと、ルーナ邪魔」
「邪魔してるんだよ」
不機嫌そうに見つめる彼女に、ルーナは平然とそういった。
「いいでしょ、もう一本ぐらい」
「駄目。いくら何でも飲み過ぎだよ」
「缶ビール二缶ぐらいで飲み過ぎなわけないでしょう!」
「飲み過ぎだよ、自分の体のことを考えなよ!」
ルーナは器用に二本足でたつとさらに前足で腕組みをする。
「いいかい、お酒にはアセドアルデヒドっていう発ガン性を持っているんだ。そしてユリコのように日本人はこの毒の分解能力が弱いんだ。だから、ガンのリスクはもっと高くなる。さらに、アルコールは脳を萎縮させるし、自殺のリスクまで高くすると言う研究結果まであるんだよ。僕もね、なにも飲むなって言ってるわけじゃないんだ。飲むなら飲むでいい。だけど、適量って言うのをだね……」
(またルーナのお説教が始まったなぁ)
彼はこうなるとすごく長い。自分のことを心配してくれることは嬉しいのだが、この長ったらしい説教はどうも苦手であった。
「それにだね、アルコール依存症にでもなったら悲惨だよ。まともな生活が送れなくなっちゃうし、アルコール依存症は立派な精神病の一つだからね。体だけじゃない、精神の病気にまでなっちゃうんだ。君はそんな風になりたくないだろう。僕はそんな君をみたくないんだ。だからこんなことを……」
とりあえず百合子は聞いてるフリをしつつ、床に投げおいていた自分の鞄をとると、引き寄せる。ボタンをあけて中に手を突っ込むと、ガサゴソとあるものを探す。説教に夢中になっているルーナはそれに気づかない。
(みっけ……)
探していた物を見つけると、鞄の中から取り出す。でてきたのは手のひらに収まる程度のサイズの白い箱。その箱にはこうかかれていた。「Marlboro」と。
タバコの中でもかなり有名なマルボロである。
彼女はライターを取り出すと、手慣れた手つきで箱を人差し指でトントンと叩き、出てきた一本を加えるとライターをつかんで火を、
「って、何してるんだよ!!」
付けようとしたところで、激高したルーナがタバコとライターをたたき落とした。
「え、なに、びっくりした!?」
突然のことに驚く百合子。そんな彼女の前でルーナは怒りのオーラを放ちながら低い声で訪ねる。
「君は僕の話を聞いていたのかい……?」
「え、だから、もうこれ以上お酒を飲むなって」
「ちがぁーーーう!!」
全身の毛を逆立てて怒りを露わにする。せっかくの美しい毛並みも怒りに震えているために逆立っっている。
「僕は、君に、体を大事にしろって言ってたんだよ!」
正直なところ、話を聞き流してるだけだった百合子はそんなことを言ってるとは思いもしなかった。
「なのにそんな僕の前でタバコを吸うなんて、喧嘩売ってるとしか思えなんだけど!!」
「とりあえず落ち着いてよルーナ」
「ていうか君、先週から禁煙しているじゃなかったのかい?」
百合子は高速で目を反らした。そんな彼女の姿をジト目で見つめているルーナ。その威圧感から逃れるようにジリジリと後ろに下がろうとするも、彼はひょいと飛んで彼女の足の上に乗った。
「ねぇ、ユリコ。僕の記憶がただしければ先週の日曜日に禁煙するって聞いたんだけど?」
ちなみに本日は火曜日である。まだ2日しかたっていない。いくら何でも早すぎる。
「いや、その、職場で先輩に誘われて……」
「誘われて?」
「いつもお世話になってる人だから断れなくて……」
「断れなくて?」
ルーナの返す声が低く、怖い。誤魔化すのは得策ではないと判断し、頭をうなだれて、
「吸いました」
素直にそういった彼女の姿に、黒猫は大きなため息をついた。正直な話、彼自身もそんなに長く続くとは思っていなかったが、こんなに早いとは思いもしなかった。
「そうやって思いつきでやるから長続きしないんだよ。ちゃんと計画を立ててやらないと」
「はーい」
わかっているのかわかっていないのか、中途半端な返事をすると。彼女はたたき落とされたタバコとライターを拾い上げると再び口にくわえて火を付ける。タバコの臭いがあまり好きではないルーナは膝の上から降りる。美味しそうにタバコを吸っている彼女を見て、
「でも程々にしておきなよ。大酒飲みでヘビースモーカーな女性が好きな男性はあまりいないよ」
ルーナの言葉は、百合子の心の急所に当たった!
「わ、わかってるわよ、そ、それぐらい……」
「なら、いいんだけどね」
言うだけ言って、彼は自分の食事に戻る。残ったのは心がボロボロになれた孤独な独身女性だ。
「あんた、いつか覚えておきなさいよ……」
いつの間にかTVはニュース番組に変わっており、全国のニュースをキャスターたちが伝えている。山奥で発見された身元不明の死体の話や、政治家の失言、アイドルの熱愛報道など、いつもと変わらぬ光景だ。
「平和ねー」
「それに越したことはないよ」
タバコの灰を机の上に置いてある灰皿に落としながら、百合子が言ったときであった。
「臨時ニュースです」
キャスターの元へスタッフが走ってきたかと思うと、一枚の紙を手渡す。それを見た瞬間、顔色が変わる。平静を装った声で彼女は言った。
「新宿駅前広場でマシーンランドが出現しました。現在、警察が周囲の封鎖を行っております、市民の皆さんは……」
「ユリコ!」
ルーナの言葉が耳に入るよりも早く、すでに百合子は立ち上がっていた。すぐに脱ぎ捨ててあってズボンと上着を羽織る。
「行こう、ルーナ!」
「ああ!」
彼女たちは迷うことなく、外を目指して走り出す。それは、玄関からではなくベランダから。彼女が住んでいるのは二階建てのアパート、ベランダは鉢植えを置ける程度の幅しかないが、そこにためらいなく足をかける。その肩にルーナが飛び乗る。
躊躇いなく、彼女は夜空の星へと飛び込んだ。重力が彼女を捉えて、落下していく。このままでは地面に叩きつけられる。だが、彼女は焦りも恐怖もしない。
空中に手を伸ばすと、肘から先が消える。決して、消失したのではない。こことは違う空間に手を差し入れたのだ。通称、魔次元ポケット。彼女が作り出した、魔法の杖を入れるための異空間である。もちろん、それ以外の物も入れることができるが。
引き抜かれるのは魔法の杖、レインボーホープ。唱えるのは、昔から変わらぬ魔法の呪文!
「ミラクル、チェェェェンジッ!!」
光が彼女を包み込み、その姿を変えていく。纏うのは闇を照らす希望の色のドレス。長き戦いで少しだけ形を変えたその衣装は、より洗練された衣装へと変わっている。
「……この年でミニスカも正直、辛い」
「大丈夫、似合ってるよ」
「そういうのはよけいに惨めになるからやめて」
そんなやりとりをしながら、音もなく地面に降り立つ。目指すのは新宿駅。
「飛ばすよ、ルーナ!」
「ああ!」
光がマジカルハートの足へと集まっていくと、小さな可愛らしい翼へと変わる。その翼が羽ばたくだけで、彼女の体がふわりと上空へと浮かび上がる。だが、そのスピードは数秒で音速を突き抜けてマッハまで到達する。本来ならば衝撃波が巻き起こるはずだが、それを魔法の力で無理矢理押さえ込む。流星のごとき早さで、天空を駆けていく。
新宿駅は、阿鼻叫喚に包まれていた。駅前の少し開けた場所では、一人の男が立っていた。いや、それは男なのか、あるいは人ですらないのかもしれない。
「……」
そこにたっているのは一体の機械であった。人型をしたそれはガラスで出来た青い瞳に、鉄の皮膚、間接からはコードが見え、頭部には左右からつきだした角がある。
マシーンランドの三幹部が一人、鋼鉄将軍。最も忠義の厚い幹部である。
彼の後ろにいるのは3メートルを超える巨人だ。扇風機の羽を思わせるような体に、その体とほぼ同等はあろうかという巨大な腕が特徴的だ。それに対して足は棒のように細いのにも関わらずにその巨体を支えていた。その周りのは全身黒タイツ手に光線銃を持った集団が取り囲んでいる。
「コメッカー!」
彼ら独特の声を上げながら、新宿駅に集まって人たちへと襲いかかる。駅前の店に入れば店内をめちゃくちゃにし、通りがかった人には暴力を振るい、そして手に持った光線銃で建物を破壊していく。その姿を鋼鉄将軍はただ黙って見つめている。
「いやぁあああああ!」
リクルートスーツ姿の女性が悲鳴を上げながら逃げるも、ハイヒールであるためにうまく走れず、急な運動についていけずにかかとが折れてしまう。バランスを崩して、地面に倒れ込む。
「コメッカー!」
女性のそんな姿を逃すわけがなく、黒タイツの戦闘員が武器な声を上げながら女性へと襲いかかる。何とか逃れようと必死に体を動かすも、あまりの恐怖に腰が抜けてしまい、思うように動かない。そんな彼女に、ゆっくりと全身黒タイツの戦闘員がゆっくりと近づいてくる。その姿を見て、全てを諦め、襲い来るであろう痛みにこらえるために瞳を閉じる。
だが、痛みは彼女に襲い来ることはなかった。
「マジカル☆パーンチッ!!」
雄々しい言葉とともに、響く打撲音。恐る恐る、瞳をあけてみれば、そこに立っているのは金色の髪を持つ少女。その背中を見て、絶望に染まっていた女性の顔が安堵に染まる。
「マジカル……ハート……!」
女性の言葉に応えるように、彼女は名乗りを上げる。
「愛の光で照らす希望のマジック!」
クルリと体を回転させ、魔法の杖、レインボーホープを構える。
「魔法少女、マジカル☆ハート!」
キラリンッと謎の擬音をならしながら、可愛らしくウィンクすれば、☆が瞬く。
「あなたの心にラブリーマジック、届けてあ・げ・る♪」
巨大なハート型の光が彼女の背中を照らす。とても可愛らしい名乗りのポーズであった。
(あ〜……死にたい)
―――正直なところ、百合子はこの台詞を言うたびに死にたくなる。30歳手前の女性がするべきポーズではないし、言うべき台詞ではない。しかし、なぜだかわからないが反射的に敵の前ではこのポーズを取らされるのである。こればかりはどれほど魔法が上達しても改良できなかった。
「さ、早く逃げてください」
「はい!」
瞳を輝かせながら、その場を去っていく女性。その光景を、鋼鉄将軍はただジッと見つめ、
「……来たか、マジカル☆ハート」
それまで無言で身動き一つ取らなかった彼がようやく声を発した。そこには、ようやく目的の人に会えた喜びのような感情がこもっていた。
「また、あなたなのね、鋼鉄将軍」
ハートのほうも、彼の姿を見て呆れたように言った。
「貴様を倒すまで、私は諦めん……!」
鋼鉄将軍。初陣にてマジカルハートに倒されて以来、彼女にリベンジを果たそうと何度も戦いを挑んでいるのだ。
「ゆけ、コメッカー!」
「コメッカー!!」
全身黒タイツの集団が一人の女性を飲み込まんと一斉に襲いかかる。圧倒的な数の前にその体はつぶされる運命しかない。それが、ただの女性であるならば。
「マジカル☆リリカル☆」
マジカルハートは魔法の呪文を唱える。魔力が彼女の持っている杖の先端に集まっていく。虹色の光があふれだし、それは奇跡を引き起こす。
「ギガストーム!」
直後、魔法が風となり渦を巻いて巨大な竜巻と化す。襲いかかろうとした戦闘員たちは風に煽られた小さな木の葉のように宙を舞っていく。彼女の遙か上の頭上で、小さな爆発が連鎖する。爆発の炎が夜の街を照らしていく。
「この程度の雑魚で、私を相手に出来ると思ってるの?」
爆発の光に照らされながら、やれやれとため息混じりで彼女は告げる。だが、あくまで鋼鉄将軍は静かに見つめている。
「いや、ここからが本番だ……タイフーンゴリラ!」
彼の後ろに立っていた巨大なロボットが動き出す。相当な重量なのか、歩く度にタイルが砕けていく。うめき声のようなくぐもったうなり声をあげながら、腹部の扇風機のような羽を回転させる。突風が吹き荒れ、マジカルハートへと襲いかかる。地面にこすれた風が、そのままタイルごとコンクリートを抉り取った。まるで猛獣の鋭利な爪のように触れたもの全てを切り裂く鋭利な風が、その柔肌へと襲い掛かる。
だが、
「無駄だって」
手を払う、それだけの動作で突風は霧散した。優しいそよ風がふわりと彼女をなでる。まるで、先ほどまでの突風が存在しなかったのように。
「こんどは、私のばんね」
タンッとタイル張りの地面を蹴る音が一回だけ鳴った。それだけで、マジカルハートの体は機械の巨人の前に現れる。
「マジカル☆フィジカル☆」
唱えるのは、もう一つの魔法の呪文。
「爆裂拳!」
空気が破裂するような音と共にタイフーンゴリラの扇風機のような羽根がつけられた腹部から炎が吹き出した。
魔力を圧縮した拳を音速で4発、連続で叩きつける。コークスクリューのように拳を回転させることにより攻撃力を倍増させるだけではなく、インパクトと同時に魔力を爆発させることにより、破壊力を増加させている。
魔法が聞かない相手、ベルゼブードを倒すために彼女が編み出した技……もとい、魔法である。
それでも、なおも機械の巨人は動き出す。その巨大な腕を振りあげて襲いかかる。全体重を乗せて重い一撃が地面に叩きつけられた。大地に衝撃が走り、その威力の前にタイルが砕け、地面が窪む。だが、拳はマジカルハートをとらえることは出来ない。
「遅いわ」
声が聞こえたのは真後ろ。振り向く隙など、あたえない。
「マジカル☆フィジカル☆」
彼女の右足に、魔力が集まり輝く。
「旋風脚!」
爪先に魔力が集まり、一枚の刃となる。それを相手の首先に音速で叩きつけた。その刃は鋼鉄の皮膚を豆腐のように易々と切り裂き、その首を飛ばす。切り離された首が空中でクルクルと回っている。
だが、それでもまだ動きを止めない。切り口から火花を散らしながら、それでもマジカルハートを捕らえる。
対する彼女も、一切油断などしていなかった、
「マジカル☆フィジカル☆」
今度は右腕に魔力が集まっていく。その指先に再び、刃の形を生み出していく。さらに魔力が電気へと変換されていき、電撃を纏う。
「魔神斬!」
その剣と化した手を地面に垂直に叩きつける。雷が落ちたかのような轟音が響きわたり、タイフーンゴリラの体を真っ二つに切り裂く。ゆっくりと左右に崩れ落ちていく体。マジカルハートが背中を向けると同時に、爆炎が上がった。背中に立ち上った炎の熱を感じながら、ハートは口を開く。
「この程度で私を倒せると思ったの、鋼鉄将軍」
「ふ、まさか……」
彼女の言葉に小さく哂って答えると、鋼鉄将軍は腰に挿されている剣をゆっくりと引き抜いた。鋼鉄剣、超振動によりどんなものも切り裂くことができる刃を持つ彼の愛刀だ。
「今日こそは、貴様を倒す」
「はいはい、できるといいいわね」
気力に満ちあふれている相手に対して、マジカルハートのほうは冷めた感じだ。
「その余裕も、今日までだ……見よ、これこそが私の生み出した新しいフォームをっ!」
彼のメインアイが光り輝き、装甲が弾け飛んでいく。切り離された装甲は、重々しい音と共に地面に落下する。機械の生命線ともいえる内部機構を丸見えにした状態で、彼は剣を構える。その姿をマジカルハートは面白そうに見つめている。
「今までのと、ずいぶんと違う姿じゃない?」
彼の変化を見ても、マジカルハートの余裕の態度は変わらない。そんな姿に、鋼鉄将軍はにやりと笑う。
「これこそが、貴様を倒すために会得したソニックフォームだ!」
その言葉を言い終わると同時に、その姿が消える。一瞬とはいえ、彼女が相手の姿を見失う。
「てぇぇぇいっ!」
「!」
真後ろからの袈裟切り。それを紙一重で回避する。彼の動いた余波の風が彼女の髪を引く。
「たぁっ!」
今度は真っ正面から真横に刃が走る。それを、後ろに飛んで回避。
「逃がさんっ!」
鋼鉄将軍はさらに足を踏み込む。高速の刃がさらに数回、振るわれる。厚さ10ミリの鉄板さえもバターのように容易に切り裂く驚異の切れ味を誇るその剣。だが、マジカルハートはその刃を恐れずに、踊るように回避していく。その剣先は、体はおろか髪の毛一本さえ触れることができない。
マジカルハートが後方へ飛び距離をあけると、鋼鉄将軍もゆっくりと剣をおろす。
「流石だなマジカルハート、我が高速の剣を全て回避するとはな」
「この程度でソニックは、言い過ぎ何じゃない」
涼しい顔をしているマジカルハート。だが、鋼鉄将軍の剣は時速80キロを超えており、普通の人ならば捕らえることも出来ずに切り捨てられてしまうだろう。回避できるのは彼女ぐらいだ。
「ふ……流石だな、マジカルハート。しかし、これが私の最速だと思われては困る」
まっすぐ正面に剣を構える。まるで時が止まったかのように動きを止め、精神を統一する。全てを次の一太刀に全てを込めるために。
「見せてやろう、私の究極の早さをっ!」
瞬間、彼は光となった。その体は時速130キロにまで達し、そのスピードのままに剣を乗せてマジカルハートの細い首筋へと叩きつける。―――手応えは、あった!
「取った!」
鋼鉄将軍は、勝利を確信した。魔法少女のか細い首は切り裂かれ、鮮血が吹き出すころだろうと振り向き、
「確かに、早かったわね」
全く無傷の少女の姿に驚愕する。
まるで何事もなかったかのように、少女は立っている。その首筋は切り傷は愚か、傷跡さえも見当たらない。
「馬鹿な、どうして……!」
「確かに回避できないスピードだったけど……”受け止めること”は出来る」
彼女の右手、人差し指と中指の間に見覚えのある剣が捕まれていた。
「……まさか?!」
驚いて己が掴んでいる剣を確認する。そこには、柄の根本からポッキリと叩き折られていた。マシーンランドの科学力の粋を集めて生み出した超合金の刃は、硬度7を誇る。その刃が根元から折れているのだ。
「馬鹿な、あのスピードで放たれた刃を受け止めて折ったというのか?!」
「鋼鉄将軍」
ただただ、驚愕している鋼鉄将軍へ、静かに告げる。
「魔法少女、舐めるな」
直後、高速の拳が両肘、両膝に叩きつけられる。鉄がひしゃげる鈍い音とともに、彼の体は地面に落ちた。自分の四肢が破壊されたことに気づいたのは、完全にボディが落下したときだった。
「……また、私の負けか」
「そうよ」
静かに、鋼鉄将軍はつぶやいた。それを、マジカルハートは静かに肯定する。
「まだまだ、精進が足らないようだ……」
嘆息するようにそういうと、彼はある装置を起動させる。
「次こそは私が勝つ。それまで、その首を洗って待ってるがいい、マジカルハート!……さらば!!」
直後、そのボディが弾けた。巻き起こる炎と熱風を魔法で包み込みながら周りの被害を食い止める。全てがやんだときには、もう彼の姿は欠片も残っていなかった。
いつものごとだが、鋼鉄将軍は自分の記憶データを本陣に飛ばしたのだ。また、敗北の情報を元に新しい体を生み出すのだろう。
「やっぱり、完全に倒すには元からつぶさないとだめかぁ」
マジカルハートは頭を抱える。人をライバル視するのは勝手かも入れないが、された側は大迷惑なのである。ストーカーも同然なのだが、警察が対応できる相手でもない。
「ハート、大丈夫だったかい?」
ため息をついた彼女の元へ、黒猫のルーナが帰ってくる。
「私を誰だと思ってるのよ。そっちは?」
「けが人には治癒魔法で治しておいたよ」
「ありがと」
彼女の肩へと飛び乗る。そのまま、再び空へと飛び上がろうとしたときだった。
誰かが服を引っ張った。顔を向けてみると、そこには一人の女の子。5、6歳程度の女の子だ。少し離れたところで、母親と思われる女性が微笑んでいる。
「あ、あの!」
頬を赤く上気させて、少女は一枚の色紙とペンを取り出す。
「だいすきです、サインください!」
幼い少女の精一杯のお願いだった。マジカルハートは色紙を掴むと、サラサラとサインを書くと屈んで微笑む。
「いつも応援ありがとうね」
そういって、色紙を渡すして頭を撫でる。少女は瞳を輝かせ、嬉しそうに笑っている。その手が頭から離れると、少女はペコリとお辞儀すると、後ろで見守っていた母親のほうへと駆けて行く。その姿に心が和まされる。女の子が母親と無事に帰っていく姿を確認してから、空へと舞い上がる。彼女に、少女が手を振っているのを確認すると、微笑みながら手を振り返す。
少女の姿が見えなくなる高度まで上がると、ため息をついて自分の家の方向へと向く。
「さて、それじゃあ家に帰って……飲みなおしますか」
背筋を伸ばしてストレッチするハートの姿にルーナがジト目を向ける。
「あれほど飲んでおいて、まだ飲むつもりなのかい?」
「だって、魔法少女に変身したら酔いが覚めちゃったし」
見つめてくるルーナに逃げるように顔を逸らす。それでも、ジーッと見つめ続ける。その視線に耐えかねたのか、作り笑いをしながら、
「い、一本だけ……」
「駄目です」
「えーっ!? なんでよ!」
夜空に二人の言い合う声が響く。念のために、下からは見えないように魔法を使っているものの、互いに容赦のない言い合いの言葉が夜空に響いていく。そんな二人を微笑ましそうに月が見守っていた。
―――この物語は、最強になってしまった魔法少女、マジカルハートこと夢野百合子の物語である。