56、無垢からモンスターへ
そこは見覚えのない、古い家の中だった。
微かにカビの臭いがする、毛羽立った畳。
6畳くらいの広さだが、出窓が付いているのでもう少し広く感じる。
磨硝子のはまった窓はサッシじゃなく、木の枠で出来ていて、かなりガタついていた。 壊れた回転式の鍵の穴に、あり合わせのドライバーが突っ込んである。
赤ん坊の泣き声がした。 ホヤァ、ホヤァと頼りない、新生児の声だ。
部屋の隅に敷かれた布団の上に、人影が起き上がった。
優亜だ。
泣き出した赤ん坊を慣れない仕草で抱き上げて、授乳しようとする。
「先にオムツを替えてあげるのよ」
初老の女性が、隣の部屋(たぶん台所だ)から顔をのぞかせて注意した。
「めんどくさい。 オムツくらい替えなくても死なないし」
「でも、それじゃ授乳中に漏れてきちゃって、あなたが大変よ」
「ならもうやらない。 お乳なら絞って冷凍したのがあるからあんたがやってよ」
「お母さんの役目でしょう?」
「あたしはお母さんなんかじゃない! あんたがやるのよ、オムツもおっぱいも」
ひやりと底冷えするような声で、優亜が言い放つ。 赤ちゃんの泣き声が鋭くなる。
「どうだ? なにか喋ったかい」
あたしの隣でサイモンさんが声をかけ、優亜が黙って首を振った。
能面みたいな顔だ、と思った。
もともと豊かではなかった優亜の表情が、更にのっぺりしている。
「なんでそいつ連れてきたのよ」
ボソリと言ったのはあたしのことだろう。 そのまま返事を待たず、体を投げ出すように横になった。
「あたしが頼んだの。 あなたがどこにいるか教えてって」
あたしは慌てて説明した。
「あの、あたしとしては単に場所を教えてもらえたら良かったんだけど、一瞬でここに」
大誤算だ。 まさか連れてこられるとは考えてなかった。
あたしの腕はサイモンさんにキツく掴まれたままで、要するに身動きできないほど羽交い締めにされている状態だ。
突然過ぎる舞台変更は、サイモンさんお得意の瞬間移動なんだろう。
「見てのとおり、優亜も赤ん坊も元気だよ。 子供は女の子だ」
「ですね。 あの……おめでとうございます」
他にどう言っていいかわからないから渋々言ったんだけど、途端に優亜の布団から、丸めたタオルが飛んできた。 この分じゃ、赤ん坊を見せてはもらえないだろうな。
「サイモンさん、ここはどこ? かなり遠くなんですか」
「教えると思うかね? 隠れ家なんだよ?」
「そうじゃなくって、帰りたいんです。 元の場所に戻してもらえますか」
「来たばっかりじゃないか」
来るつもりじゃなかったのに、いきなり連れてきたのはそっちじゃない!
あたしは手品師を睨みつけたが、彼はあたしの腕を離す気はなさそうだった。
「きみ、そう急かずに、もう少し我慢して、ここにいてもらえないかな。
おめでとうと言ってもらったが、このままじゃ優亜はただの未婚の母だから、現時点でめでたくもなんともないわけだよね。
この赤ん坊がすぐに喋ってくれたら万々歳だったんだが、それも多分無理だろう。
爺さんが死んで、この子が生まれるまでにタイムラグが生じてしまったのが、そもそも計算違いだった。 その隙に『くだん』はコロちゃんが飲み込んでしまったからね。
となれば、コロちゃんにあいつを吐き出してもらうしかないだろう?」
「……この赤ちゃんを、『くだん』にしようっていうの?」
「そうだよ。 なんのために産ませたと思ってたんだい?」
サイモンさんはにっこり笑って、あたしの手にスマホを握らせた。
「今は生放送中だから、コロちゃんは忙しい。 連絡が取れるまで待機だよ。
さあ、君はここで番組が終わるまで、おとなしく愛しいカレシの姿を見ていてくれ」
握ってたはずのスマホをあたしはいつ取り落としたんだろう。 少しも覚えていなかった。
でもそんなことよりもっとショックなのは、あたしがまた、ウィズをおびき出す人質として扱われているという事実だった。
スマホの画面の中では、あたしの世界一愛しい人がインタビューをうけているところだった。
静かな音楽が流れ、落ち着いたデザインの部屋の壁をバックに、椅子に座ったウィズに男性アナウンサーが話しかける。
「如月さんのような特殊能力があると聞くと、僕なんかは凡人ですから、さぞや便利と思うんですが、ご本人にとってはどうなんですか?」
「よく言われます、便利だろうって。 でも、僕にはよくわかりません」
「わからない?」
「他の人がどう見えているかわからないので、比べられないんです。
僕にとっては察しがつかないので逆に不便です」
「はあ、それは例えばどういう時?」
「例えば、着替えをするとき、カーテンを閉めたり衝立の陰に隠れる意味が、初め分からなくて。
思春期に何回も大恥をかきました」
「人前で脱いだんですか」
「逆です。 隠れてる人に、ひょいと声をかけちゃうんです。 嫌がられます」
「相手が人目を避けてることが、わからないわけですね?」
「だって丸見えなんですよ!」
はははは、とサイモンさんが画面を見ながら笑った。
あたしは笑えなかった。
思えば長い付き合いと思っていたけど、こんな話をウィズから聞いたことはなかった。
ウィズがこの能力のために、お得な人生を歩んでなんかいないことはとっくにわかっていたから、わざわざ聞かなかったのだ。
「話しているうちに、突然相手が怒り出すこともしょっちゅうでした。
僕が何かとんでもない事を言うらしいんですが、僕には何が悪いのかわからない。
相手はいきなり、僕が盗聴のようなことをしたとか何かを盗んだとか疑って、やってもない罪状を突き付けてくるんです。 僕はかなり幼い頃から、会話はとても危険なものだと思うようになりました。
何日も誰とも話をしなかった時期もありました」
「ご家族とも?」
「厳密には僕は孤児なので、家族はいません」
「あ。 ああ、失礼しました」
アナウンサーは恐縮したが、ウィズにはどうでもいいことだったようで、すぐに言葉を繋いだ。
「家族はいませんが、親しい人との会話の方が苦痛でした。
事実と相手の言ってることのズレがわかると怖いので」
「つまり、相手が嘘をつくと、わかってしまうってことですね」
「いや、そんなの滅多にわかりませんよ」
「はい?」
「僕が見てるのは一瞬の画像なんで、言ってみればフィルムのひとコマみたいなものです。
一瞬で全体を説明するような言葉とは違う次元のものです。 それが相手の説明とどれだけ違うかわかるには、時間をかけて全コマ集めてみないと。
会話の最中に、いちいちそんな作業はやらないです。
でもね、相手は僕にバレてると思い込む。 そうすると避けたり怖がったりするんです。
僕は相手を見下してるつもりも、選んでるつもりもない。 相手がそれをやるんです」
椅子に腰掛けて下を向いたウィズの全身が画面に取り残された。
その周囲に、街の雑踏が映し出される。
楽しそうに会話したり、つつき合ったりしながら歩く人々が、声のない状態でウィズの後ろをただ流れて行く。
誰ともつながっていられる能力がありながら、誰ともつながる事が出来ない。
何故なら、相手のほとんどが、そこまで強烈なつながりなど求めないからだ。
だから常にひとりぼっち。
そう、これがウィズなんだ。
ルックスが良くて女の子にモテて、未来が見える上に博才があって大金持ち。 友達はよくあたしを羨ましがるけど、それはあたしにとってのウィズじゃない。
あたしの知ってるウィズは、いつも子供みたいにうずくまっている。
見えすぎる目を闇に伏せて、膝を抱えて。
泣くことも喚くことも、文句を言うことさえしないで。
大きすぎる能力を持った者は、大きすぎる代価をたったひとりで支払っている。
肩越しに同じスマホを覗き込んでいるサイモンさんを、あたしはふと振り返った。
この人だってウィズと同じ「超人」のはずだ。
そしてそれなりに、「くだん」がらみのエライ目にあって来たはずなのだ。
なのにこの人はウィズと違う。 もっとたくさんのモノを持ちたがってる。
「ずいぶん文句が言いたそうだね」
紳士ぶって笑う手品師の、整った顔が憎たらしい。
「サイモンさんは何を望んでるの?
もともと優亜の罪を若松に擦り付けたのもおかしいけど、とにかく殺人罪は、もうなくなったんでしょう? この上、『くだん』を手に入れて何をしようというの」
「何かをしようと言うんじゃないよ。 手に入れとかないと、また他人に利用される。
三瀬はまだ探してるよ。 爺さんが死んだあとの『くだん』の行方をね」
「待って。『くだん』は雷太さんじゃなかったの?
あたしはてっきり、雷太さんが誰かに憑依して、力を発揮するのかと思ってたわ。
違うの? あの人も、ほかの赤ちゃんと同じように、『くだん』が憑依しただけだったの?」
混乱してきた。 雷太さんの歳から考えて、彼が「くだん」に憑依されていたとしたら、その間にウィズやほかの赤ちゃんたちが犠牲になることはなかったはずだからだ。
スマホの画面の中では、ウィズが目隠しのままでスタジオに到着したところだった。
司会者とゲストに拍手で迎えられた魔術師は、まるで見えているかのように全員と握手をし、カメラに向かってお辞儀をしてみせていた。
番組はあと20分程で終わる。
「『くだん』が何者であるかは、昔から三瀬の連中の研究課題になっていた。
コロちゃんや私を見てもわかるように、三瀬はもともとそういう特殊能力者が多い家系だ。
でも、『くだん』の力は桁外れだし、一度に何人も現れないところを見ると、これは憑依に属するものだろうということになっていた。
並外れた能力を持った精神体が、無垢な赤ん坊を利用するんだ。
狐憑きみたいな「憑き物」であるとか、神の「巫女」であるとかいう説から、個人の「霊魂」説まで、いろんな仮説があったが、科学的に裏付けが取れたものはなかったらしいね」
あたしの腕を掴んだまま、サイモンさんは畳の上に胡座をかき、説明をしてくれた。
「あの雷太って爺さんが、生後4ヶ月で『くだん』として監禁されたのは、昭和12年のことだ。
『くだん』の能力は、正確無比な予言だ。
その年に日華事変が勃発して、日本はその後、戦争一色に塗り替えられて行った。
もともと食品で会社を起こした三瀬だが、『くだん』のおかげでいろいろな産業に手を広げていてね。 当時の三瀬は、軍需産業にも携わっていた。
『くだん』の役割も変わったよ。 戦果の予告を的中させると儲かるんだ。
三瀬にとって、その日の空襲があるかないか、どこに集中するかは重要な情報だったから、『くだん』からの予言は彼らにとって不可欠な物だった。
予言が当たるっていうのが一番有難かった時代に、三瀬は驚異的にのし上がったんだね。
大戦のさなか、日本の国民意識自体が狂っていた。 戦争に勝つためになんでも犠牲にしたし、それをやらない奴は非国民だった。
三瀬は、憑坐である雷太の拘束を徹底させた。
絶対に外部と接触しないように見張りを付け、逃げ出そうとした赤ん坊の手足を切断した。
今考えたら馬鹿げた行動だが、当時の感覚で言うと、くだんなんて化物だからね。
ただ、死なれたら困るから必死で看護はしたらしい。 当時では最高の医療措置を取ったそうだよ。
その結果、赤ん坊は高熱を発して生命の危機に陥ったが、命は取り留めた。
雷太が「予言」以外の能力を発揮するようになったのはそのあとだ」
「それは、彼の進化なのかしら。 不自由な体になったから、必要に駆られて?」
「進化ねえ」
サイモンさんは明言しなかった。 はっきりとは解らなかったが、鼻で笑ったようにも見えた。
「そう思うのは、幸せに育って来た証拠だね。
私は思うんだ。 彼は、復讐したかったんじゃないかと」
「復讐」
「巨大な力で、これまで自分を虐待してきた三瀬の連中を翻弄する。 それが彼の復讐だったんじゃないかな。 それが証拠に、それ以来、彼に誰も触れなかった。 スタンガンが販売されて、半殺しにしなくても体の自由を奪えるようになって初めて、彼に近づくことができたんだね」
「それまでは、予言はなし?」
「違うよ。 役に立たなくなったら、殺されてしまうことを雷太も知ってたのさ。
だから、自分の分身として、赤ん坊を表に立たせるように要求したんだ」
か、書いても書いても説明部分が終わらなーい!
今回のうちに、ウィズが登場する予定だったんですが、会話だけでページ食っちゃいました。
もう少しスマートに展開したかったのに、時間と己の能力に限界が。




