5、連続郵便受け放火事件
不本意としか言いようがないが、あたしたちはノーフレーム男を、仲間のカメラマンと一緒に、ウィズのマンションの占いルームへ引っ張り込んだ。
とにもかくにも、ストロボとテレビカメラから退散したかったのだ。
ベレッタさんは、ウィズがいいと言ったのに、私室の冷蔵庫から、人数分のコップとペットボトルのお茶を持って来て、希望者にお茶を配った。
こんな風にキッチンを荒らしていると、刑事じゃなくて普通のおっさんに見えて好都合ではある。
「さて、あなたって何屋さんなのかな。
名刺が刷りたてで、なんにも『読め』ないや」
ノーフレーム男にもらった名刺を手に、ウィズがぼやいた。
刷ったばかりの名詞は、印刷屋さんの残留思念しかついていない。
おまけに、そこに書かれている「プロモーション」だの「プロデュース」だの「ディレクター」だのの横文字から、仕事内容を正確に把握するのは、素人のあたしやウィズには難しかった。
わかったのは、ノーフレーム男の名前は若松と言い、テレビ関係の仕事をしているという事くらいだ。
その若松が、人を小ばかにしたような笑いを浮かべたのは、ウィズの口調が25歳にもなろうという男性の物としては幼すぎたからだろう。
開放度の低いときのウィズは、子供っぽいしゃべり方をする。
幼児語なんかもバンバン出る。
ちなみに、これまでであたしが一番気に入ったフレーズは、
「美久ちゃん、ここ、半分ずっこ座ろ?」だ。
「これを見ると、あなたはテレビ局の社員さんじゃないけど、番組を作るのがお仕事の人のようだ。
ではまず、持ってる情報を公開してもらいましょうか」
ウィズはテーブルに、さっきの写真を放り出した。
「この写真が、さっきおっしゃった行方不明の子供と関係があるようには思えないんだけど。
一体どういう意味で僕にこれを見せたのか、説明してください。
あ。 勝手にカメラ回さないで。 止めないと没収しますよ」
ベレッタ刑事が、撮影をしようとしたカメラマンの腕を掴んでにっと笑った。
「そう気色ばまんでくださいよ」
若松が両手を上げて、降参の表明をした。
「もともと我々は、ネットで起きた面白い現象や事件を特集する番組を作ろうと取材してたんです。
で、ネット通の人に、これまで起きた印象的な事件を上げて貰っていたら、2年前の『バレンタインウィルス』の話が出て。 印象的だと感じてる人がたくさんいましたよ。
あのウィルス、面白半分に作ったいたずらにしては、実害がなさすぎる。
セキュリティを通過するだけの難しい条件をクリアして作るには、真面目すぎる代物なんですね。
だいたいこういういたずらをするやつってのは、人の困った顔を見るとスカッとする、ってクチの人間が多いんで、パソコンのデータを全部だめにしたり、映像全部にふざけた物がくっついてきたり、つまりはどっか、はた迷惑な後遺症が残るもんなんです。 でも、このバレンタインマンは、あまりに引き際がさわやかで何も迷惑な物が残らなかった。
2月14日の朝、画像と音楽が突然始まってしばらくすると消えて、その後は何の痕跡も残らない。
その代りに、こいつらは一斉発動するんじゃなくて、潜伏期間を置いてバラバラに発動する、という、ランダムかつ複雑なプログラムが組んであった。 つまり、一日中、オフィスの誰かが問題の映像を見ている可能性がある。 でも、手を休めなきゃならん以外は実害がないんです。 珍しいウィルスでしょう?
だから、これは何かのメッセージなんじゃないかと言う意見が、ネット通の間では定説になっていた。
そこで我々は、問題の映像を入手して、画像から音声からしっかりと調べてみたわけなんです。
すると、静止画像の一部から、ある男を告発する文章が発見されました」
背筋に氷の棒を差し込まれたみたいに感じた。
もうとっくに映像なんて残ってないと思っていたのに、若松の取り出したコピー用紙には、ミヤハシ父の拡大写真と一緒に、見覚えのある印刷文字があった。
あたしと寺内まどかが、ミヤハシ父へのささやかな復讐として作文した文章だ。
「このおじさんはエッチです」
「近付いて来たら、逃げて下さい」
「女の子にいたずらをします」
よく今まで、やり玉に挙げられずにいたものだ。 静止画像を拡大した文字は、はっきりと悪口が読み取れた。 もっとも、誰にも読めなかったら復讐にもならないわけだけど。
「へー、面白いですね。 で、これって犯罪になるんですか? 実名は出されてませんけど」
ウィズがそらっとぼけて若松に聞いて見せた。
「いや、刑事告訴になるようなものじゃないでしょうけどね。
でも、例えばこの写真の人物が、これがもとで社会的立場を悪くするようなことがあって、起訴などすることになれば、また話は別でしょうがね」
若松はいやらしいニヤニヤ笑いを始めた。
「この写真の人物を調べたら、ネットで一時噂になってて、うちの学校の先生だったって話が出てました。
で、そこの卒業生に当たってみて、写真を提供したのは自分だという女の子を突き止めまして。
こっちの写真の、とってもハンサムな女の子が、写真を受け取った寺内まどかさんで、趣味はパソコンのプログラムだという事もわかったんです。
彼女は、こちらのお嬢さんの同級生だそうですねえ」
あたしを見て意地悪く笑う若松を、ウィズはギリシャ彫刻みたいな顔に剣を宿して、キッと睨んだ。
若松はひるまず、しゃあしゃあと報告を続ける。
「写真の人物は宮橋浩二さんとおっしゃって、今は退職して家にいらっしゃる人だったので、会って話をしてきましたよ。
ずいぶんと怒ってらっしゃいました、相手がわかったら訴えてやると。
やはり、顔を知ってる本人や家族や知人の間では、ウィルスが相当の波紋を呼んだようで、奥さんと離婚もされたと言っておられた。 お気の毒です」
「それで? あなたは、誰がウィルスの犯人かと言う話を、この宮橋さんにしたわけですか」
「いやまだですよ、今のところはね」
「今のところ?」
「さっきも申しあげました通り、うちはあなたの能力で行方不明者を探す番組を組みたい。 あなたが出演をOKしてくださるなら、地味なネット犯罪の取材なんか、即刻ボツにしますよ」
「オーケーしなかったら?」と、ウィズ。
「ネットの特番を作らざるを得ません。 その際、宮橋さんに起訴の準備をしてもらって、犯人捜しをするという事で、オムニバステーマの1本を作ることになります。
その際に、寺内まどかさんには覆面で取材させてもらうことになりますね。
彼女、お友達でしょう?
あんまり迷惑かけたくないんじゃないですか?」
ベコベコと大きな音がした。
場面にそぐわない、間抜けすぎる音だ。
空になったお茶のペットボトルが、テーブルの上で変形してペッちゃんこになっている。
ああ、この瞬間の脳波が欲しかっただろうな、姫神教授。
「つまり、こいつが番組の出演を断れば、お嬢の友人を告発するぞって脅しかね?」
刑事が若松の後ろに立って、不必要に力を入れて肩を揉んだ。
「お、脅しだなんてとんでもない」
顔をゆがめて若松が作り笑いをする。
「私のとこが諦めたとしても、こういう依頼は次々と来ますよ。 避けてばかりいられませんよ。
で、同じ出演をされるなら、お友達も助かる方がいいでしょうと申し上げて、る、わ、け、でッ!」
若松の台詞が途中から乱れたのは、ウィズが唐突に指先で額を小突いたからだ。
「何をする」
カメラマンが立ち上がって止めようとするのを、刑事が牽制する。
ウィズは触れた指先から、素早く相手の思考映像を盗み取っていた。
「宮橋さんから10万円。 へえ、もう口止め料まで受け取ってるのに、今更特番組めるわけないじゃないか。
で、うちから出演OKを取るか、二重にまた口止め料を取る気だったんだね。
所沢刑事、これって罪になるんですか?」
「おお、なるなる恐喝罪だ。 調査して立証されればだがな」
「け、刑事!?」
目を向けた若松の肩を、ベレッタ刑事が更に強烈に揉みあげた。
こうしてあたしたちは、出演依頼をめでたく撃退して、取りあえずコーヒーで祝杯を上げた。
ただし、まどかのことがばれてしまっているのは問題だという事で、みんなして眉間のしわは隠せなかった。
そんな中、新たな衝撃が訪れた。
母が携帯に慌てふためいて電話をよこしたのだ。
「美久ちゃん、今どこにいるの? 吹雪さんち?
だったら、すぐ家に帰って見てくれないかしら。
うちの郵便箱から火が出たって、警察が来てんのよ」
「ええ?」
「火事にはならずに済んだんだけど、燃えたのがうち宛の郵便だって言うんで、管理人さんが警察を呼んだらしいの。
母さん、まだ仕事中なのよ。 なるべく早く駆けつけるけど、美久ちゃん出来ればそれまで家で、警察の人とお話しててくれない?」
慌てて携帯を閉じたあたしに、ウィズが叫んだ。
「美久ちゃん、まどかちゃんに電話して。
郵便受けが燃えてるって!」
「まどかん家も?」
すぐに電話をかけたが、まどかは外出中で、火事の事を知らなかった。
でも実際にこの時、まどかのマンションでも、郵便物が燃える事件があった事は後でわかった。
あたしは急いで、ウィズの車で自宅まで送ってもらった。
真っ青になっているあたしの横で、魔術師はしきりに残念がっていた。
「なんで僕んとこの郵便受けを狙ってくれないかな!
灰になって欲しい郵便物があれだけあるのに!」
……事件だけじゃなくって、たまには空気も読んでね、ウィズ。