46、だから魔術師は甘いものが苦手
重力がないかのようだった。
子供サイズのハイヒールを履いたあやめちゃんの足が宙を蹴ると、あたしたちの体はぐんと力強く天井まで跳ね上がった。 衛兵たちが大声で叫びながら、てんでに手を伸ばすのだがまるで届かない。
近づいてきた扉の上の透かし彫りを、あたしが思い切り蹴破ると、そこから廊下に脱出することができた。
「すごい!」
扉をガチャつかせて廊下へ飛び出して来た衛兵が、瞬く間に後方へ遠ざかる。 あたしの手を引くあやめちゃんの小さな体が、この上なく頼もしく思えた。
ただし、楽に脱出させてもらえそうにないことは直ぐにわかった。 ウィズが、あの裏切り者のウィズが、魔術師のあの技で、きらきら光る粉の浮いた空間を踏んで追いかけて来たのだ。 黒いマントをたなびかせてサクサクと距離を詰めて来る姿は、どう見ても地獄からの使者、アニメでよく出る美貌のルシフェル。
「お、追いつかれちゃうよ!」
あたしの言葉に、あやめちゃんは直ぐに振り向いて、追って来るウィズに挑んだ。 片手で黒いドレスの裾を掴むと、高速で上下させたのだ。 簡単だが衝撃的な技だった。 要するにスカートで「扇いだ」わけだ。
空中に撒かれた金粉が舞い上がった。
ウィズの足取りが乱れ、踏み出そうとした足が宙を掴み損ねて止まる。 その間にあやめちゃんはあたしを引っ張って跳躍し、城外へと逃れた。
「あなたすごいわ、あやめちゃん。 ほんと助かった、ありがとう!」
城の裏通りへ抜けたところで、追っ手らしき人影はなくなった。 木立の陰に隠れながら、あやめちゃんの小さな手を取ってお礼を言う。
「でもあなた、どうしてそんなことができるの? あたしのウィズも他のキャラも、魔法なんか使えなかったわ。 あ、サイモンさんは別だけど。 それと「くだん」の側に走ったあの魔術師ウィズだけは、魔法使えたけど」
「ぼくは、ちょっと違うから。 もともとここの人間じゃないし……」
「あ」
「『ふぶき』じゃないから。 だからちょっと混じりきらなくて」
淡々とした口調だったけど、あたしの胸は痛んだ。 そう言えばあやめちゃんは、某精神科医が人工的に作ってウィズの中に設置したキャラなのだ。 融合しているようで融合しきれていないということなのだろう。
でも、そのおかげで『くだん』に取り込まれずに済んだのだ。
「ね、他にも残ってるキャラがいるの?」
「いるけど場所はわからない、隠れてるから」
「そう」
あたしはとにかく、森の中で待っているあたしのウィズのところに、あやめちゃんを連れて行くことに決めた。 まず合流する方が戦力になる……はずだ。 根拠はないけどたぶん……。
森へ踏み込んだとたん、体中の毛が逆立つのを感じた。
銃声がする!
耳元を、チュンと熱いものが掠めて行くのがわかった。 銃弾だ。 しかも鉄じゃなくて光線系?
慌てて木の陰に隠れるあたしたちの目の前で、城の衛兵がバタバタ倒れるのが見えた。
草の隙間から覗き見ると、少し先に例の「お菓子の家」がある。 その正面に薪の束を積み上げて塀のようなものが作られていて、そこから銃口だけ覗かせて、誰かが衛兵を狙撃しているのだった。
「どうだ兵士諸君、超力念銃・総力装備の威力は? さあ来れるものなら寄って来てみろ!」
どこかで聞いた声、そして懐かしいほどにオタクネーミング満載のこのセリフは。
「白井さん!!」
赤い戦隊ヒーロースーツを着た肥満体を、塀とお菓子の壁の間に無理やり押し込んで、白井さんは嬉しそうに光線銃を撃ちまくっていた。 黒光りするゴーグルをつけた顔は汗でびしょびしょ、後ろの壁のクッキーは兵士たちの放った矢でヤマアラシの背中みたいになっている。
弓矢対光線銃ってのは、言っちゃなんだが倒錯的にズルい話なので、勝負は直ぐについた。
最後の一人が地面に倒れるのを確認した白井さんは、重い体を苦労して直立させ、あたしたちを手招いた。
「白井さん、すごいわ! めちゃめちゃ強いじゃない!」
駆け寄って褒めちぎる。 夢なんだから、いつどうやって来たのかとかそういう愚問はもう発さない。
「やっとわかってくれた? オタクってのは、こういう時のために日々精進してんの!」
「で、ウィズは?」
「中に入ってるよ」
「こ、この家の中に!?」
「追い詰められて仕方なくね。 泣いて嫌がるのを僕が無理に押し込んだんだ。 しょうがないだろ、他に安全なとこがなかったんだから」
甘ったるい匂いを振りまく、お菓子の家。 ウィズは相当抵抗したはずだ。
あたしは急いでチョコレート菓子のドアを開き、中に駆け込んだ。 明かりがないので薄暗い室内は、バターとクリームの匂いが充満しておいしそうだったが、空気は粉っぽくて、とりあえず体にはよくなさそうな感じがした。
部屋の中にウィズはいなかった。 その代わり、部屋のまん中に敷物を丸めた小汚い塊がひとつあった。 あたしはあやめちゃんと一緒にその塊に近づき、そっと敷物を持ち上げてはがしてみた。
敷物の下から現れたのは、2歳くらいの小さい男の子。 頑なにこちらを見上げないように縮こまって、両手で鼻と口を覆っている。
「あ。 吹雪こいつ、なんでこんなちっちゃくなってんの」
白井さんが叫んで家の中に入ろうとしたが、ドアが狭くて巨体が通らない。 強引に体をねじ込んだら入口が削がれて大破し、しかも足元の床が、踏まれる端からザクザク割れて傾くではないか。 怪獣並みだ。
白井さんに敷物を引き剥がされると、小さなウィズはやせ細った腕で頭を抱えて丸くなってしまった。
あたしはかがみ込んでその顔を確認した。 間違いない、ウィズだ。
その子はあたしが見た中で、一番幼い頃のウィズだった。
半ズボンから出ている足が異様に痩せて痛々しい。 顔を覗き込むと、震えながら明らかに泣いているのだけど、表情はほとんどないし、全く声を出そうとしない。 こんな小さいのに、大人にアピールする泣き声や顔を持っていないのだ。
守られたことのない2歳の子供。 それがどんなに弱い生き物か、あたしはもう知っている。 施設の子供たちの弱さは、体だけじゃなく心だけじゃなく、その子達の存在自体を蝕んでいる。 その恐ろしさを、そのことにたいするオトナたちの罪を、あたしは知ってる。
「怖かったね。 こっちおいで」
あたしは軽すぎるウィズの体を抱き上げ、しっかり胸に抱いて頭を撫でた。 匂いの攻撃から少しでも解放されるように、あたしのセーターに小さな鼻を押し当ててやる。
「白井さん、はやくここ出よう。 この匂い、絶対ウィズに良くないんだよ」
「わかった。 しっかしなんでこんないい匂いが苦手かなあ」
すぐに動き出してくれながらも文句を言う白井さんに、あやめちゃんが小声で意外なことを言った。
「蟻が来るの」
「アリ?」
「甘いものは、蟻が集まるの。 外で寝ていたら、手とか、口の周りに蟻が」
「あー……それは嫌かもなあ」
「真っ黒になるほどたかられたことがあったの。 蟻を食べたことはある?」
「ないけど、不味そうだな」
「そんなことない。 苦いけどすごく甘いの」
「ほんとか?」
「ほんと。 だから、死ぬほどお腹がすいたとき、食べてたことがある。 蟻は庭にいくらでもいたから、溶けたアイスや落ちたクッキーを餌にして集めた。 口に入れると砂がじゃりじゃりしたけど、腐ったバニラの匂いは、虫の苦さが消してくれた。 お腹も少しマシになった。 蟻は甘かった。 でも2度と食べたくない」
あたしたちは黙り込んだまま、お菓子の家を飛び出した。 よく見たら甘いクッキーの壁にびっしりと、蟻が群がって食べていた。 地面には放射状の黒い筋ができていて、その中心にあるのがお菓子の家だった。 黒い筋の正体は、細かい蟻の行列だった。
「おい、いたぞ!」
追っ手の声は、思いがけない至近から起こった。
森の奥からわらわらと衛兵たちが集まってくる。 それは蟻の行列と同じように、こっちへ放射状に広がる列を作ってどんどん人数が増えてくる。
「走って。 僕が止めるから」
白井さんが男らしく叫んで、太い木の陰に光線銃を固定した。
「早く逃げて!」
走り出す。 足元に黒蟻が殺到する。 光線銃の閃光が森を照らしつける。
腕の中の小さなウィズは、青い顔をしたまま全く動かなかった。 あたしはその体をしっかり抱きしめて走った。 すぐにあやめちゃんが追いついて来て、あたしたちを引っ張って空中へ舞い上がる。
ウィズのことを、彼の苦しみを、あたしは今まで表面上でしか理解していなかったのかもしれない。 本当に触れ合わなければならない部分は、こんなふうにウィズの心のひだの中に隠されてしまっていて、本人に対してさえも顔をのぞかせることを拒んでいる。
そして、そんな心の裏の裏まで、あの「くだん」は見通すことができるのだ。 ウィズが欲しいもの、心の底から喜ぶことを、ピンポイントで与えてくる。 逆に嫌いなものを与え続けることも思いのままにできるのだ。
神様。
もしいるのなら、あたしにもっと時間をください。
あたしがこの人を本当に理解して、何が必要なのか掴むだけの時間を。
森を駆け抜けたところで、不思議な光景があたしたちを待っていた。
森の木々がなぜかいきなり、針のように痩せてまばらになっている。 その先は柴草が緑の絨毯を広げ、なだらかに起伏を繰り返しながら彼方まで広がっていた。
緑の中に次第に赤や黄色の花が混じり始め、寒々と吹いていた風はそこで穏やかな日差しに温められて、春風になってそよいでいた。
その風の中から、かすかに聞こえてきたもの。
歌声だった。
どこかで聞いた、素朴な子守唄。 女性の声で、細いけれども優しくゆったりと歌いかけてくる。
しばらく記憶をたどって、あたしはその歌を以前どこで聞いたのか思い出した。
これ、レイミ先生が、ウィズの治療の時に歌った子守唄だ!!
あたしは周囲を見回して、歌声の主を発見した。
花畑の中を流れる小さな小川に足を浸して、1人の女性が静かに歌っていたのだった。
金色の髪と白い肌。 うつむいた顔は、まだ成人にもなってない若さだろう。
その人に近づいて話しかけようとしたけど、できなかった。
一瞬早く、あたしの横からあやめちゃんの小さな体が飛び出して、女性の方に走り寄ったのだ。
「おかあさあああん!」




