3、告発
「ヤッてない」
魔術師は最高に不機嫌だった。
イラついた動作で、病院の駐車場に停めた車に乗り込み、自分の手荷物をあたしの膝に放り投げる。
「シてないからね」
その露骨表現やめんか! と突っ込む余裕はあたしにもない。 こっちの気分も最悪なのだ。
車のドアを閉める音が、やけに大きくなってしまう。
「あたしが彼女をウィズに紹介したのって、ちょうど今から3か月くらい前よね」
「何が『ちょうど』なのさ?」
「その後に会ってないの?」
「ない」
「夢の中でも?」
「知るもんか。 彼女が嘘ついてるか、勝手に思い込んでるだけだろ。
大体、僕はクライアントに向かって、夢の中に自由に行けるなんて話はしないんだ。
あの優亜って子にそんなことバラしたのは、美久ちゃんだろ?」
「わかった、悪かったわ。 そんなに怒った声出さなくったっていいじゃない」
「だって、美久ちゃん信じてくれてないじゃないか!」
ハッとして見直すと、ウィズの漆黒の瞳は、怒りや悲しみを通り越したもっと重い光を放って、あたしの上に注がれていた。
彼は見てしまったのだ。
あたしの胸の中を一瞬よぎった不安、絶対にありえないと思いながらも、つい思い浮かべてしまった想像上の浮気シーン、たったワンシーンの気の迷いを。
「ウィズ、あたしは疑ってるわけじゃないわ」
「そうは思わない。 美久ちゃんは疑ってる」
「違うわ。 悪い想像をしたりもするけど、少なくとも信じようって決めてるわ。
普通の人はそういう状態を、信じるって言うのよ。 あなたみたいに見て来てから判断することが出来ないから、そりゃ100%じゃないかも知れないけど」
「それって、お腹の中じゃ疑ってても、口じゃ信じてますって言ってるだけだと思うけど」
「違うわよ! 大きな間違いよ!!」
走り出す車の中で、あたしは一生懸命今の状態を伝えようとした。
「ウィズの見る映像は、一瞬限りの物だったりするでしょう。
でも信じるって一瞬のことじゃないわ。 時間や問題のくくりが違うじゃない。
例えばこうよ。 ある人が駅に行く途中、信号やお空や地面や、いろんな関係ないものを見ていろんなことを考えても、誰かにそのことを伝える時は『ただ駅まで歩きました』って言うわよね。
ウィズの理屈は、『そうじゃない、君はその時空を見ていたくせに』って言ってるのと同じことなのよ」
自分ではわかりやすい言い方をしたと思ったけど、ウィズの気には入らないようだった。
返事をしないでステアリングを握る表情が、岩のように不機嫌。
ああもう、なんでいつもこうなるんだろう。
ショックなことを聞かされたのはあたしの方なのに、どういうわけか責められてるのも、疑われてるのも、その上、最終的に謝らせられるのまであたしだったりするのだ。
ウィズに冷たくされると、あたしは南極あたりに置き去りにされたような気分になる。
このまま一度も振り返ってもらえずに、段々衰えて死んじゃいそうな自分が怖くて、寒くて、悲しくて。
それでついついこっちから歩み寄ってしまい、いつも怜さんに「美久ちゃんは甘い」と叱られるのだ。
悔しいくらい、バカバカしいくらい、あたしはウィズに惚れている。
険悪な車内の雰囲気を一瞬で破壊したのは、急停車の衝撃だった。
ブレーキ音。 シートベルトが胸に食い込むほどのショック。
「何かいたの? 轢いた!?」
猫でも引っかけたのかと思ったのだが、尋ねた時にはもう、ウィズの姿は車外にあった。
大通りからは入り込んだ生活道路だった。
線路と用水路に挟まれた細い道だ。
ウィズは地面に腹這いになり、車の前輪の下敷きになった路面に手を当てて震えていた。
「ウィズ、か、顔が真っ青だよ!」
覗き込んだあたしを押しのけ、魔術師は立ち上がって唐突に走り出した。
用水路を辿って、下流に向かう。 水はお世辞にもきれいな物とは言えず、鈍色に濁った水面からは、かすかな腐臭が立ち上って来る。
魔術師が足を止めたのは、1分か2分走ったガードレール沿いだった。
用水路が別の水路と合流して、そのあと道路の下へ入り込んで見えなくなっている。
合流地点で、水は一旦深い溝へ流れ落ちて混ざり合う。 深い溝の奥にコケや水草が生え、水はそれを激しく揺らして地獄の黒煙のように掻きまわしていた。
ガードレールに手をかけて水面を覗き込んでいたウィズが、ゆっくり崩れて路上に座り込む。
「ここだ、ここにいた。 ここに沈んでる……」
ウィズの細い指先が、黒煙のような水の揺らめきを指している。 口から流れる抑揚のない声は、まぎれもない「ご託宣」だった。
「僕が馬鹿だった。 止めればよかった。 あの時もっとちゃんと見ておけばよかった。
ごめんね……ごめんね……ごめんね……」
それから20分後。
あたしたちの通報で、その用水路から小さな女の子の遺体が上がった。
まさか千里眼で見たと言って「どぶさらい」をやらせるわけに行かなかったので、「一瞬、人の手のような物が見えました」と嘘をついて探して貰ったのだ。
その女の子には既に捜索がかかっていた。
朝からニュースでもバンバン放映されている「時の人」だったのだ。
母親が何度もテレビ画面に出て来て泣いていた。
買い物に行く途中の公園で、遊ばせている間に母親がトイレに入ったら、その間に居なくなったのだと言う。
目撃情報を求めて、ニュースタイムのたびに母親の泣き顔が映った。
ウィズの話では、その母親はずっと以前、結婚相手について相談の予約をウィズのHPにくれた人らしい。 でも、あまりにも本人の熱意を感じなかったので、返信しなかったと言うのだ。
そういう訳であたしとウィズも、あっという間にテレビカメラに懐かれてしまった。
マスコミは、ウィズが以前、「百発百中の占い師」としてワイドショーに出演した時のことをしつこく覚えていて、喜び勇んでマイクを突き付け、なんとかそれらしいことを言わせようとした。
「如月さん、今回の事は前もって予見なさっておいででしたか」
「予感がしてここに来られたんでしょうか」
「川の中を透視されたんですよね?」
ウィズは最初、プライベートですからとやり過ごしていたが、ある質問でピクリと眉を吊り上げた。
「お母さんとはぐれた公園とここでは結構距離がありますが、これはいわゆる誘拐でしょうか?
もしかして、犯人の目星もついていらっしゃるのでは?」
「そうだ、ここで予測してくださいよ。 誰がどうやって、ここまで連れて来たんですか?」
ウィズの冷え切った視線が、無責任なリポーター達の顔を一瞬でひと薙ぎした。
「誘拐なんかじゃない。 うそつきが一人芝居してるだけです」
「と言うと?」
「あの母親が、自分の車でここまで連れて来て。 ……あ、ここじゃなくてもう少し上流ですが、連れて来て川に落としてから公園に行ったんだ。 子供はここまで流されて来た」
あッと気付いた時には止めるタイミングを過ぎていた。
そう、ウィズは証拠もなく母親を告発してしまったのだ。
リポーター達が一瞬、絶句した。
その場の人間が全員、凍りついたように黙り込むさまは、当然ながらテレビニュースで流れた時にはカットされていた。