23、くだんの父
身動きできない空間で、あたしと母は2人してオロオロしていた。
ウィズと姫神教授、まどか、優亜の4人がいきなりなだれ込み、あたしんちの狭い2DKが、突然怜さん搜索の対策本部になってしまったのだ。
「まどかちゃん、怜から何か預かっているんじゃないか?」
玄関に踏み込むが早いか、ウィズがまどかを捕まえて尋ねた。 母が出てきて話しかけているのを後回しだ。
「今、チラッと見えたよ。 囮になる時に、何か預かっただろ」
「ああ、これか」
まどかが取り出したのは、マジックで大きく「2」と書かれたディスクだった。
姫神教授が、巨体に似合わぬ機敏さで室内に走り込むや、ウィズのノートパソコンにディスクをセットして再生を始める。 あたしが母に事情を説明する間に、優亜以外の全員が、室内で画面に見入っていた。
おかしなことに、当事者である優亜は画面の前からはじき出されて、キッチンでぼんやり立っている。
というわけで、目を白黒させていた母が、気を取り直して最初にやったことは、この嘘つきの友達にお茶を入れてやることだった。
キッチンテーブルで、借りてきた猫みたいにおとなしくお茶を飲んでいる優亜に、あたしは尋ねてみた。
「塩谷さん、襲われた理由に心当たりないの?」
優亜は無言で首を振った。
「ほんとにないの? 相手がどこの誰かも?」
「知らない」
優亜の声は堅い。 うつむいた顔は、見覚えのあるあの頑なな表情だ。
なるほど、ウィズと姫神教授が、一番に聞くべき相手である優亜にそのことを質問しなかったのは、どうせまともに答えないと分かっていたからなのだ。
おかしな話だった。 優亜はあたしともウィズとも、ちゃんとコミュニケーションをとる気がまるでない。 だったら、何のためにわざわざウィズに近づいてきたんだろう。
パソコンの前から、おーっと歓声が上がった。
「出た。 第2人格がやっと出た。 朝香先生、うまく誘導したな」
姫神教授がわめきたてながら、マウスを忙しく操作している。 同時にウィズが立ち上がって、こっちにやってきた。
「おーい、吹雪くんは見んのかね」と、教授。
「もう見終わったんですよ。 肉眼と一緒にしないでください」
開放指数が上がって俺様モードになったウィズが、可愛げのない声音で答える。 そのままテーブルの椅子を引き、優亜の隣に腰を下ろした。 しかも、ものすごく接近して……、もとい、完全に密着して!
「あの……」
優亜が思わず体をそうとする。 ウィズはその腕を捉えて、自分の胸元に握り込んだ。
「え。 あの、やめてください」
ほんとにやめてください。 あたしの目の前で何やってるの!?
「如月さん、離してください」
「どうして? 夢の中ではもっといいことしたんじゃなかった? 僕たち」
「今は夢の中じゃないんです」
「なのに赤ん坊は現実にいる。 君はこの子が必要だったから、妊娠することにしたんだね?」
ウィズは、逃げようとする優亜の手をつぶさんばかりに握り締め、重ねて問いただす。
「優亜ちゃん、あの時、君の依頼に僕は予言した。 階段下の子供は、未来のきみの子供だってね。
だからきみは子供を産むことにした。 ……その子供は何に必要なの?」
優亜が絶句して下を向く。
「パパがそうしろって言ったの?」
畳み掛ける魔術師の言葉は、すでに確認だった。 優亜が答えを口にすることさえ、魔術師は必要としていなかった。
彼は優亜の頭の中から、自分に必要なことを勝手に選び取って盗み、相手に電話をかけた。
その結果、ただでさえ満員御礼だった我が家は、更に2人もの成人男子を客に迎える羽目になったのだった。
「こんな夜中に、ほんとによかったのか、お嬢」
盛んに恐縮しながらやってきたのは、ベレッタ刑事。
その横で、確保された犯人みたいに青い顔をして連行されてきたのは、同じ店で飲んでいたはずのサイモンさんだった。
「もう座るところはないから、母さんは寝るわよ。 コップもティーカップも品切れ。
悪いけど美久、あとは好きにやって」
「ごめんね、母さん」
母は降参して寝室に入ってしまった。 接客を投げたのではない。 ほんとに座るスペースもなかったので、自分が部屋にいても邪魔なだけだと気を使ってくれたのだ。
「分かってしまったんだね」
サイモンさんは深く息をついて、狭すぎるキッチンテーブルに無理やり集まった一同に、深々と頭を下げた。
「ホントのことを話してください。 優亜ちゃんのお父さんは、サイモンさんですね?」
あたしの魔術師の言葉に、奇術師はゆっくりうなずいた。
驚くあたしたちに、優亜ははじめて泣きそうな顔をさらけ出していた。
「みなさんは、『くだん』という妖怪をご存知ですか」
サイモンさんの身の上話は、冒頭から荒唐無稽なものだった。
「にんべんに牛という字を書いて、件と読みます。
その名のとおり、人間の顔に牛の体を持つ、日本の古い妖怪です」
「古いと言っても、その格好と妖怪としての名が、一般に認識されたのは江戸時代後期のことで、鬼だの鵺だのに比べたら、わりと新参のうちに入るんだがな」
たちまち本来の趣味を発揮して、姫神教授が生き生きと説明に乗り出した。
「幕末に流布した有名な説によると、件は牛から生まれ、生まれてすぐ人語を話すと言う。
その言葉は予言で、それも凶作、飢饉、流行病、戦争などの大きな凶事を予言する。
生まれて数日で死ぬという説もあるし、凶事の前に生まれて、凶事が収束すると死ぬという説もある。 そして、生きている間は、その凶事から逃れる術を教えてくれるとか、絵姿を肌身につけて持つと、厄災から逃れられるとか、守り神的な存在としても扱われたらしいな」
「でも、生まれることは凶事の前兆なんです」
サイモンさんが、苦々しい口調で言い切った。
「私の姓は三瀬と言います。 三瀬の家は、江戸時代からの商家で、サイセイドウで有名な食品メーカーはじめ、各種の会社を経営しています。 私の父は、8代目の当主でした」
「老舗の財閥じゃねえか」
ベレッタ刑事が感心して見せる。
「はい。 ですから順当に行けば、長男の私が9代目の当主になるはずだったのです。 実際そのつもりで、父親の会社に就職し、親の勧める相手と結婚しました。 翌年に優亜が生まれました。 でも、ある伝承によって私の幸せは阻止され、私は娘を連れて逃亡しなければならなかったのです」
「それが、件の予言によるものなのかね」
姫神教授が尋ねると、サイモンさんは悲痛な表情で首を振った。
「そうではなく、優亜自身が件と言われたのです。 生後2ヶ月でしゃべったので」
サイモンさんの話によれば、幕末のある年、三瀬家に生まれたその男の子には角が生えていたらしい。
その子は生後まもないというのに、人の言葉である予言をしたというのである。
「3日後、おじさんと父さんがたくさんの人にぶたれて死ぬ」
その年は飢饉がひどかった。 飢えて暴徒となった民衆が、米屋を襲う事件が相次いでいた。
果たして3日後、予言通り暴動が起き、街の米屋が襲われた。 隣接する店で米菓子を売っていた三瀬の店も、暴徒の標的となり、その子の叔父は亡くなった。
しかし父親は助かった。 父は店に出ていなかったのだ。
その子の父は、呪われた姿のその子を人目にさらさぬよう、某所に離れを建てて篭っており、それで命を救われたのだ。
三瀬の家系には、時おりそういう子供が生まれると言われていた。
実際には妖怪の姿ではなかったらしいが、そういう「しゃべる赤ん坊」を、三瀬の家では「くだん」と呼んだ。
「くだん」が生まれると、父親は決して人に見せないように隠して育てる。 そのご託宣を独り占めする者だけが成功するからだ。 予言は凶事の始まりであり、預言者を擁護する者だけが凶事を回避できる。
一族全体にとっては凶事でも、直系の親にとっては、邪魔者を消すチャンスになる場合もある。 従って「くだん」の出現は、お家騒動の始まりでもあった。
「くだん」が生まれると、親は必死でその存在を隠す。 一方で一族のライバルたちは、「くだん」を誘拐するか、あるいは、いらぬ予言をしないうちに、この世から抹殺してしまおうと画策する。
サイモンさんには、弟がひとりいた。 その子が赤ん坊の頃喋ったので、父親はその子を地下室に幽閉して育てた。 幽閉といっても衣食住は足りていたし、付き人もいて、教育も受けさせてはいたらしいが、親の愛情に触れられなかったその弟がまともに育っていたはずはないと、サイモンさんは言う。
彼自身は、長い間、弟の存在を知らなかった。 彼がその事実を知ったのは、結婚して子供が生まれると親に伝えたときだそうだ。
「弟さんは今どうしているんだね」
姫神教授が尋ねると、サイモンさんは眉間のしわを深くした。
「死にました。 幽閉されていた地下室で、5歳の時に。 私の父の話では、他殺かもしれないと。
それで、生後3ヶ月で優亜がしゃべるのを聞いた時に、幽閉よりも逃げることを選んだのです。
顔を変えて、名前も変えて、何もかも捨てて逃げたのです」




