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2、モルモットは黙らない

 そもそもの始まりは、もっとずっと前の事だったのだろう。

 でも、あたしたちは、とりわけあたしと来たら、異変の匂いさえも感じずに毎日呑気に生活していたのだ。

 大学生活も2年目に入って、自分の本当にしたいことが考えられるようになって来ていた。


 何かが起こり始めた、と感じた時は、既に状況がピークに達したあとだった。

 こういう異変はガスのように低地に溜まって、充満してからある日突然爆発するのだ。

 晴天の霹靂をもたらしたのは、ウィズの親友で精神科医の朝香 怜さんだった。


 彼は白衣を着たまま、大学の研究室に飛び込んで来た。

 実験ブースの前にいた研究生たちを押しのけ、ガラスの前で携帯を振りまわす。

 「コロの馬鹿はどこだ!」

 あたしは黙って、ブースの中の寝台を指さした。 魔術師はそこに横たわり、電極をいっぱいつけてモルモットをやっていたのだ。


 ブースの中では、相沢教授がモサモサの頭をパソコンにおっかぶせてデータを取っていた。

 その相沢教授とマイクで連絡を取りながら、ワゴンの上のビーカーをかき回しているのは、最近ではウィズに次ぐ変人代表と名高い、姫神 億人(きしん おくと)教授だ。 大変な長身の持ち主なので、ブース内をモニターしている大きな画面が半分隠れ、あたしのところからはウィズの様子がほとんど見えない。

 聞こえて来るのは、愚にもつかない内容の会話ばかりだ。 

 

 「吹雪君、あんたもうちょっとこう、ぐわーっと盛り上がらんもんかね。

  さっきチラっと出た波形が、ぜひもう一回見たいもんだ」

 せわしなくビーカーの中の液体をかき混ぜながら、姫神教授がマイクに向かって能天気な声を出した。

 「盛り上がるのは僕じゃなくて、その微生物がでしょう」

 人を見下したような口調で、ウィズの声がパソコンのスピーカーから流れて来る。

 「何回も言ってるように、僕の方はとっくに全開なんです。

  一回全開したら、いちいち盛り上がって見るわけじゃない。 こういうのは、普通の人がまぶたを開けたら何も努力しなくても見えるのと一緒なんですから」

 「そういうもんなのかね?」

 「大体、教授は誤解してますよ。

  僕が普段見えないものを、努力で能力を引き上げて全開にして、それで見えるようになると思ってらっしゃるんでしょう」

 「違うのかね」

 「逆なんです。 情報が流れ込み過ぎて処理が追いつかなくなるんで、普段は苦労してゲートを閉じてるんだ。

  こうして全開してる方が、テンション的には自然なんです」

 「でも情報が混乱してるんだろう」

 「要りもしない物が見えるんで疲れるだけですよ。

  例えばあなたの下着の正面に、奥様がマジックでそんなに大きく名前を書いてらっしゃるのを見たら、こっちもついつい理由が知りたくていろいろ考えてしまうじゃないですか」

 姫神教授はうーんと唸りながら、熊手みたいなでっかい手で頭をかいた。 

 つられてブースの中の相沢教授も頭を掻き始めると、ボリボリと不潔そうな音が、スピーカーから流れる。 

 

 全開時のウィズは小生意気なしゃべり方をする。

 いつもより3割くらい早口になり、いつもの20倍くらい高飛車になる。

 まあ、この状態で実験をさせてくれと言ったのは教授連の方なので、今更文句は言わないだろうけど。 



 「何やってるんだよ、あれは」

 すぐに中に入るのは無理と判断したのか、怜さんが携帯を畳んであたしと並びながら聞いた。

 「実験に呼ばれたのよ。 例のオニバサリの水が、ウィズの脳波に反応するかどうか見たいって」

 「姫神教授が? なんでそういう無駄なとこに食いつくかな。 

  せっかく人が親切に、放浪の旅から呼び戻してあげたのに」

 「ええ? 怜さんが呼んだの? なんのために?」

 怜さんは、さっきの携帯をちょっと持ち上げて肩をすくめた。

 「聞きたいことがあったんだ。 急ぐから割り込んでいいかな」

 「で、でも大事な実験なんじゃないの?」

 「なわけないって」

  怜さん、フンと鼻で笑って吐き捨てた。

 「姫神教授はバクテリアなんかに興味はないぜ。 なんだかんだ言って、あの人が見たいのは、コロ助の頭から出てる脳波にESP波が含まれているかどうかだろ」

 「ええ? そうなの?」

 「そうさ。 こないだ一回、普通に脳波だけ取った時には、開放しても余分な波は出て来なかった。

  だから、今回は刺激をプラスしようという事で、相性がよさそうだったオニバサリの水を持って来たわけだ」

 「そうだったんだ……」


 怜さんは何故か不機嫌な顔で、しばらくウィズと姫神教授の漫才を見ていたが、埒が明かないと思ったらしく、不意に大声を出した。

 「姫神教授!」

 「お。 朝香先生、今仕事中じゃないのか」

 怜さんの上司に当たる相沢教授が、咎めるように尋ねる。 自分は抜け出して実験に参加してるのに、勝手なものだ。

 「手が空いたんで応援に来たんですよ。

  コロのテンションを上げるのは怒らした方がいいんです。

  おーい、コロ助こっちこっち」

 怜さんはブースの中のウィズに手を振って見せ、それからやにわにあたしに襲い掛かった。

 「きゃああっ」

 抱きすくめられ、後ろのソファに押し倒されて、無理やりキスされた。

 ……ように見える姿勢になっただけで、実際には顔を近づけられただけだったけど。

 それでも心臓が躍り上がり、あたしは3度悲鳴を上げた。

 ブースの中で、横たわったウィズの瞳が大きく見開かれるのが見えたような気がした。

 その白目の部分が、暗い室内で一瞬光るのも……。


 バシンと大きな音がした。

 同時にあたりが真っ暗になった。 暗幕を引いた研究室の中が、完全な闇に落ちる。

 

 「うわうわうわ」

 「ぱ、パソコン逝っちゃってねえ?」

 立ち会っている研究生たちが、慌てた様子で駆け寄って行く気配がする。


 あたしはソファの上にひっくり返って硬直していた。

 眼の前に信じられない光景があった。 といっても、真っ暗で鮮明には見えなかったのだが、至近距離なのであたしにはわかった。

 ウィズは驚異的な速さでブースを駆け出し、今しも怜さんの胸倉をつかんでいた。

 脳波を測定するためのコードがいっぱい頭にくっついたままだ。

 事情を知らない人が見たら絶対、ウィズの能力は瞬間移動だったのかと思っただろう。


 怜さんはひるむ様子もなく、顔を近づけて来たウィズに、さっきの続きで携帯を突きつけた。

 「おいコロ、この女と寝たことはあるか?」

 ガタガタといろんなものが床に転げ落ちる音がした。

 室内の全員が動揺している。


 あまりに急な質問に、目を瞬かせて絶句してしまう魔術師に向け、怜さんは更に携帯でにじり寄った。

 「うちの患者なんだが、最初は妊娠したと言って産科を受診した。 現在3か月だ。

  で、言動がおかしいので精神科(こっち)に回されて来たんだ。

  彼女の主張では、赤ん坊の父親はお前で、エッチした場所は夢の中、だそうでね。

  絶対妊娠なんかしないよと言われたのに、だまされたと言ってご立腹だぜ?」


 携帯の小さな明かりに照らされたウィズの顔は、驚きの余り、かえって無表情に見えた。

 あたしは怜さんの腕にぶら下がるようにして、無理やり携帯を覗き込んだ。

 うそだ。

 誰か嘘だと言って。 いや違う、誰かじゃなくてウィズが言って!


 携帯に映し出されていたのは、あたしの同級生だった。

 塩谷 優亜(しおたに ゆあ)

 占いの客として、彼女にウィズを紹介したのはあたしだった。


 凍りつく以外に、あたしに何が出来ただろうか。

 真っ白になってしまったあたしの頭の中に、情けなくわめき始めた姫神教授の声が空しくこだましていた。  

 「なんてことだ、消えてしまった!

  今、たった今、針が振り切れるほど出たのに……」

 「姫神教授、今のは絶対、ESPウェーブじゃありませんって」

 「じゃあなんだったと言うんだね」

 「知るわけないです、でも絶対もっと、なんていうか下世話なパワーですよ。 あーあ……」

 相沢教授が大きく息をついて、ゆっくりと椅子に崩れ落ちた。

 パソコンは回復しそうになかった。 


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