19、怜さん失踪
その晩は賑やかな夜になった。
あたしはサイモンさんを誘って、喫茶「ウィザード」に行ったのだ。
育ての親に会って挨拶がしたい、とサイモンさんが言ったからだ。 あたしも、喜和子ママにサイモンさんを紹介したいと思った。
土曜日の夜とあって、「ウィザード」はお客さんがたくさんいた。 といっても、もともと4テーブルしかない小さな店なので、満席に近くても人数は知れている。
白井さんをはじめとして、常連のお客さんが一通り揃っていた。
大忙しの喜和子ママを、もともとは客で来ていたらしいベレッタ刑事が、不似合いな可愛いエプロンをつけて、カウンターの中で手伝っている。
記者に脅されてるところを助けてもらったこと、ウィズも幼い頃お世話になったらしいことを話すと、喜和子ママはとても感慨深い顔になって、サイモンさんに頭を下げた。
「あの子、昔のことはほとんど話してくれないんです。
そんなに楽しい時代もあったんですね。 なんだかほっとしました。
できればこれから先も、力になってやってください」
「や。 支えるだなんて、そんなおこがましいこと言うつもりは」
サイモンさんは、バツが悪そうに頭を掻いた。
「あの当時だって、私のほうがあの子に食わせてもらってたようなもんだったんですよ。 私も、チャラチャラしたいいとこボンだったですから。 恥ずかしい話、大学卒業してから、親の会社でふんぞり返ってた甘ちゃんでしてね。
両親が亡くなって借金だけ残ったあとは、まるで生活力のない無能な男だった。 自分でも情けなくなるくらいでした。 コロちゃんが生活費を稼いでくれなきゃ、1年もしないうちに日干しになってましたよ」
「まあ。 大人になってからご苦労なさったんですねえ」
喜和子ママが聞き上手ぶりを発揮して相槌を打つ。
「いや。 ほんとにとにかくコロちゃんのおかげです」
あたしは喜和子ママから、突き出しのお皿を受け取って、サイモンさんの前に置いた。
「競馬の予想ってどうやったんですか? 子供のウィズに競馬新聞を読ませたの?」
「まあ、最初は要領がわからなくて、そんなこともやりましたねえ。 でもあまり当たらなくてね。
なれない子供のやることだから、こんな小さい写真じゃ馬の見分けもつかないんです。
そのうち、どうでも実物を見たいから、競馬場に連れてってくれとコロちゃんが言い出してね」
「子供は入れないんじゃないですか?」
「そうそう。 で、結局、外で待ってるように言って、私一人で入るんだけど、気がつくといつの間にか、コロちゃんが隣に座って馬を見てるんです。
あれはどうやってたんでしょうかねえ。
周りの反応がおかしくてね、全然『あっ子供がいる』って顔をしないんですよ。
不思議な子でしたね。 私はあの子を見ていて、手品師になってやろうと思ったんです。 周囲の奴らの度肝を抜いてやったら、さぞ気持ちいいだろうなと」
言いながら、サイモンさんはひょいと右手を伸ばした。 するとテーブルの上の割り箸が、磁石に引かれるように彼の手に吸い込まれて行ったではないか。
「どうやったの!?」
あたしたちは目を丸くした。 白井さんがわざわざ駆け寄って、手品師の手元を覗き込む。
「糸が付いてるんじゃない?」
「手を見せてください、手を」
「こらこら、ネタを見たがるんじゃありませんよ」
サイモンさんが笑いながらブロックする。 喜和子ママはすっかり感心して目を輝かせている。
「面白いわねえ。 手品用の糸みたいなものがあるんですか?」
「まあ、専用の糸もありますけど、ストッキングの糸を抜いて使ったりもしますよ」
それでサイモンさんは、色々な物を自分の手元に引き寄せる手品を見せてくれた。
帽子。 ハンカチ。 ティッシュ。
店内に拍手が起こる。
「でもね、こんなものはただの小手先のごまかしですよ。
手品の真骨頂は、人心を操ることだ。 いかにして相手の予想を裏切るかという、構成力が問われるわけだね」
「構成力?」
「そう。 今、糸の存在をほのめかしたことで、みなさんは納得したでしょう? ああ、テグスかなんかがついてるんだ、とね。 それで方法についての興味は薄れたはずです。
だからそのあとは、『流石に手品師だね、それらしく見せるのが上手だな、まるで糸なんかないみたいじゃないか』 そんなことしか考えてない。
そこへ持ってって、仕上げの瞬間にその認識を裏切るような動作をドカンと入れて、オチみたいな演出をしてやるんです」
「例えば?」
「そう、例えば」
がころぽん、ころぽん。
そこまで話した時に、折りよくドアベルの音がして、店の入口からウィズが入って来た。
やっと今日のクライアントが全部さばけて、遅い食事を取りに来たのだろう。 いつものようにノートパソコンを抱えて、車のキーを指先に引っ掛けている。
店内にサイモンさんの姿を見つけたウィズは、嬉しいんだか戸惑ってるんだかわからない表情で、唇の端に笑いを浮かべた。
「あ」
その時誰かが、思わず声を上げた。
ウィズの指から、車のキーがするりと飛び出し、宙を飛んで吸い込まれるように、サイモンさんの手のひらの中に消えたのだ。
常連さん達が総立ちになった。
「今のどうやったんだ?」
「テグス無理だよね!」
「今入ってきたばかりの吹雪君に、どうやってネタを仕込んだんだよ?」
「もしかして、ウィズとグル? 前から仕込んであったとか」
「だけど、吹雪君は車で来たんだろう? どんだけ長いテグスなんだよ」
いくら聞いても、ネタはわからなかった。 サイモンさんに食いついて聞いても、笑ってばかりで答えてくれない。 常連さん達は首をひねりながら、自分のたちの会話に戻って行ったが、そのあとも何人かのお客さんが、ちらちらとサイモンさんの方を見ながら、首をひねっている姿が印象的だった。
がころぽん、ころぽん。
ドアチャイムを鳴らして次に入ってきたのは、中東の大入道だった。
日焼けした顔が天井近くからあたしたちを見下ろす。
でかい目玉がギョロギョロ動いて、店内を見回している。
「まあ姫神先生! いらっしゃいませ、お珍しいこと」
喜和子ママがひときわ高い声で挨拶をする。
確かに、オニバサリの件の前後で何度かここに連れては来たが、その後この店で、姫神教授を見かけることは滅多になかった。
「客じゃない。 用事があって人を案内して来たんだ。
あんたたち、朝香先生の行方を知らんかね」
そう言った教授の口調からも、本人の意思でこんなスナック喫茶に来るようなつもりは毛頭なかったご様子だ。
あたしたちは顔を見合わせた。
「朝香先生? 今日はいらしてないわよ」
喜和子ママがカウンターから答える。
「怜さん、今日はお仕事じゃなかったんですか?」と、あたし。
「今日は土曜日だから、基本仕事はないんだが、実は昨日から欠勤してるんだ。
昨日は朝香先生本人から、体調不良と言って電話で届出があったらしいんだが、その後、自宅に電話しても出んのだ」
「何か急用ですか?」
「吾輩ではなく、こっちの人がな」
こっちの人、と言われても誰もいない。
と思ったら、姫神教授の脇の下あたりから、人間の黒い頭がにゅっと出た。
大柄な教授の陰に隠れて、もうひとりいたわけだ。 その人はさっきから、盛んに頭を下げて挨拶をしていたらしかったが、巨人の体に遮られてさっぱり見えなかったのだ。
「どうも。 警視庁の者です」
「寝ててもオキさん!」
小柄で童顔、耳の目立つ漫画チックな顔が、ひきつるような笑いをたたえている。
「殺人課の刑事さんが、なんで怜さんを捜してるんですか?」
殺人課、という単語にわざと力を込めて言ってやると、店内の人の顔が曇った。 みんな、怜さんとはかなり親しい人ばかりなので、突然嫌なムードがあたりに広がる。
「いや、我々が捜しているのは、塩谷優亜さんです。
例の連続放火の調査から、その後のミヤハシさんの事件に関連して、優亜さんには、これまでにも何度か警察に来て頂いてお話を伺っているんですが、昨日から連絡が取れない状態でして。
ご自宅のマンションに伺ったらお留守で、行方がわからないので管理人さんに鍵を開けてもらったんですが、どうもゆうべ帰宅した様子がない。
で、玄関のセキュリティカメラの記録を見せてもらいました。
そしたら、昨日の早朝に、男性が一人で訪ねて来てるんです。 その後は誰も見えてませんでした。
ということで、その男性を探してまして、それが朝香先生だったというわけです」
怜さんが?
わざわざ仮病を使って、金曜日に欠勤してまで、優亜の家に行った?
そしてそれきり二人で、行方不明?
あたしはウィズの顔を見た。
魔術師は例によって無表情だったが、一瞬息を詰めて、カウンターの中のベレッタ刑事に助けを求めるような視線を送った。 ベレッタ刑事はペティナイフを持った手を完全に停めて、うつむいて何かを考えこんでいる様子だった。




