第2話 戦国時代のサッカー選手?
やがて連れてこられた場所は、大きな堀に囲まれた屋敷だった。
現在ある駿府城跡。そこだったのだが、現在見られるような天守閣や石垣は後の世の1585年頃に建てられるため、この時代、永禄十一年(1568年)のそこは、「駿府館」と言っていい規模の屋敷だった。
堀に架かる木の橋を渡り、同じく木で造られた質素な冠木門をくぐり、彼女たちは館に入る。
そこで、
「しばし待て」
と男に命じられ、待機するが。
「マジモンのタイムスリップなのか? いや、確かにこれ見たら時代劇ってレベルじゃないけどさ」
高原が周りを見渡して、困惑したような表情を浮かべていた。
「永禄十一年と言ったな。西暦だと何年だ、まなか?」
中田が問うと、呼ばれた井原は瞬時に計算をしていた。
「西暦1568年。戦国時代真っただ中ね」
「私たち、元の時代に帰れるんでしょうか、中田先輩?」
「それは、わからん」
「そんなあ」
「だからこそこれから探すしかない」
「そうですね。それにしても前途多難ですね」
それぞれが不安を抱えながらも待つこと5分ほど。
「お館様がそなたらに会うそうじゃ。ついて参れ」
やがて再び奥から現れてそう告げた武士に従い、彼女たちは屋敷の奥へと導かれた。
そこで見たものは。
二十畳はあろうかという広い板敷きの座敷があり、上座に男が座っていた。
薄い口髭を生やし、細身で低身長の男で、服装は平安時代の貴族が着用するような、いわゆる束帯姿で、頭にも烏帽子をかぶっている。年は30歳くらいに見えた。いかにも貴族と言った感じの風体だったが、特徴的なのは、彼の傍らに小さな毬が転がっていたことだ。
サッカーボールよりも小振りな小さな毬が床に転がっていた。
そして、彼のすぐ隣には、着飾った赤と黄色のカラフルな小袖の着物を着て、その上に打掛を羽織った女性で、小柄で目が大きく、可愛らしい顔立ちをしていた。戦国時代の貴婦人らしく、背中まで伸びる長い艶のある黒髪が特徴的だった。年齢は20代前半から後半くらい。
「ほう。おぬしらが旅芸人か? 名は何と申す? いかなる芸をするのじゃ?」
と、問われ、中田を始め、5人は平伏しながらも、それぞれの名を告げたが。
「その前に、お館様のお名前をお伺いしたいのですが」
発したのは井原。彼女の頭の中ではすでに予測がついていた。
「これはすまん。わしは、従四位下、今川上総介、諱は氏真じゃ」
(やっぱり)
歴女の井原は、薄々思っていたことが、確信に変わり、満足していた。
そう。彼の名は「今川氏真」。この当時、駿河国(現在の静岡県東部)を治めていた戦国大名で、桶狭間の戦いで、織田信長に討たれた今川義元の長男で、後継ぎだった。この時、31歳。
「私たちは、この球を使い、芸を行います」
咄嗟の判断、機転を利かしたのは、リーダーの中田だった。「球」、つまりサッカーボールを指さして言った。
「ほう。確かに毬に似た変わった球を持っておるのう。おぬしらも、蹴鞠をやるのか? ならばわしに披露してみせよ」
そう言われて、「しめた」と思ったのは、歴女である井原まなかだった。
「葵。あなたが披露して」
「えっ。私が?」
「そう。リフティングをね」
蹴鞠。古くは紀元前の中国で行われた軍事訓練の一種らしいが、日本には平安時代頃に伝わり、鎌倉時代から室町時代に芸道として完成される。
歴女、特に戦国時代に詳しい井原まなかは知っていた。
(今川氏真と言えば、蹴鞠の名手)
と。
そして、蹴鞠の基本ルールは「いかに球を落とさないか」にある。
つまり、現代のサッカーで言えば、これはリフティングに当たる。
「兄上。何やら面白そうなことをやってらっしゃいますね」
その時だ。
奥から現れた、綺麗な声の女性がひょっこりと姿を現した。
「何じゃ、まつか」
まつ、と呼ばれた若い女性。
身長は、氏真の隣にいる若い女性より低く、小柄だが、どこか大人っぽい顔立ちをしている、京美人だった。先程の女性と同じように、こちらは鮮やかな黄色い小袖に打掛を羽織っていた。氏真の隣にいた女性と同様に、長い黒髪をまとめずに、背中に垂らしていた。
まつ、出家後の後の名は嶺松院。氏真の妹だった。
元々は、武田信玄の息子、武田義信に嫁いでいたが、その義信が家督争いと、謀反の疑いで実質的に殺されるように亡くなってから、今川家に戻されていた。この時、28歳。
「わらわも見て構いませんか?」
「構わぬ。千早も見るか?」
千早と呼ばれたのは、氏真の隣に座っていた小柄で、可愛らしい女性だった。彼女もまた頷く。ちなみに、この千早。後に小田原近くの早川に居を構え、「早川殿」と呼ばれることになる。相模国(現在の神奈川県)の戦国大名、北条氏康の娘で、氏真の正室に当たる。この時、27歳。
そうして、急きょ、今川氏真の前で、彼女たちは「リフティング」を披露することになった。
担当するのは、この5人の中で、最もボールコントロールが良くて、リフティングが得意なキャプテン、中田葵が選ばれた。
「頼みます、キャプテン」
「中田先輩」
「葵。頼むわ」
「お前に任せた」
チームメイトから口々に声をかけられ、中田はサッカーボールを片手に、座敷からすぐ近くの縁側に降り、その下の小さな庭のような部分に足をつけた。
そして、今川氏真、千早、まつたちが見守る中、
「ふっ」
勢いをつけて、一気にリフティングを開始する。
10回、20回、そして30回。
ほとんど寸分の狂いがなく、狙ったところにボールを上げて、それを足先の微調整だけで地面に落とすことなく、淡々と続ける中田葵。それはある意味、すごい集中力でもあった。
「おおっ!」
「見事じゃ」
「ほんに」
氏真、千早、そしてまつが見守り、歓声を上げていた。
結局、中田は128回もリフティングを成功していた。
しかも、それでも、
「今日はイマイチだな」
と、満足がいかない有様。本来はもっと出来ると主張しているような、強気の表情だった。
これを見た、氏真が、大喜びで自分も地面に立ち、手に毬を持つと、
「わしも負けてはおれん。やるぞ」
と、言ったかと思うと、その小さな毬を蹴り始めた。
「あり、やあ、おう!」
その特徴的な掛け声が響く中、氏真は足先で毬を器用に打ち上げ、しかも中田に負けないくらい、いわゆるリフティングを成功させていた。
「何か、変な掛け声ですね、井原先輩」
中村が思うことを口に出していたが、その井原は、知識として知っていた。
「あれが、蹴鞠の掛け声なのよ」
一同が見守る中、結局、氏真は126回成功。回数ではわずかに中田に負けていたが、その巧みなボールコントロールは見事な物だった。
しかし、
「おぬしら、やるのう。面妖な格好をしておる割には、実に見事な余興じゃった。褒美を取らすぞ」
上機嫌にそう言って、彼女たちに褒美として、金貨を与えるのだった。
「すげえ。マジモンの金貨か、これ?」
高原が興奮気味にはしゃいでいた。
結局、彼女たちは、この駿府館のすぐ近くにある、空いている屋敷の一つに「逗留」することを許されて、そこへ移ったのだが。
「良かったですね、キャプテン。あの殿様、のほほんとしてるお陰で、殺されずに済みました」
根が明るく、というより楽観主義者である、キーパーの川口が呑気な声を上げて、中田は頷いていたし、他のメンバーも満足そうにしていたが、一人、井原だけは表情を曇らせていた。
「いえ、まずいことになったわ」
と、彼女は呟いていた。
「何がまずいんだ? 少なくともここの殿様の氏真に好かれたんだからいいだろ」
と、中田は返していたが、歴女であり、戦国マニアでもある井原は、知っていたのだ。
「私の記憶が正しければ、この年、この今川家に不幸が襲うはずよ」
「不幸?」
「そう。恐らくこの城に攻めてくるわ」
「誰がだ?」
「武田信玄がね」
戦国時代、「甲斐の虎」、「風林火山」で有名な武将、武田信玄。その脅威が迫りつつあった。




