【第6章】「保護費の実態――腐敗の闇」
グレイヴァルド本都市圏から北へ続く街道をしばらく歩いた先に、小さな領地との境界を示す石壁が見えてくる。
そこには木製の頑丈な門が構えられ、門の上には領主の紋章が誇らしげに掲げられていた。
その紋章を眺めつつ、ケイたち一行は荒れた土の街道を踏みしめる。
荒野を思わせる地形とは違い、この辺りは微妙に起伏が続き、山の麓から吹き下ろす風が冷たく頬を打つ。
「ケイさん、あの門が隣の領土との境目ですね。馬車なら半日もかからないんですが、こうして歩くと結構ありますね」
アリアが地図を手に小走りで追いついてきた。
道中は街道と呼べるほど整備されておらず、所々に穴が開いていて、雨が降れば泥沼になるのが容易に想像できる。
「本都市圏の結界が届かない地域は、基本的に自領の結界で守られているわけか……」
ケイは門の前で二人の兵士が警戒しているのを見て、言葉を飲み込む。
兵士たちは書類らしきものを手に、旅人や商人の列を一組ずつ止めては、保護費と称する通行料を徴収しているのだ。
「保護費は『領内の結界維持費』として集められるもの。領地を取り囲む壁の内側には『結界石』が配置され、一定の魔力を供給していると聞きます。けど、ここの領主はすごく厳しい徴収をするってウワサです」
アリアが門番たちの動きに視線を走らせながら小声で言う。
彼女の表情にはわずかな緊張が見て取れた。
ケイたちの番が回ってくると、門番の一人が淡々とした口調で声をかけてくる。
「通行税じゃない。保護費だ。領地を守る結界維持のため、入域者は全員納めなきゃならん」
その背後には『結界石』と呼ばれる大きな水晶が埋め込まれた台座があり、兵士たちはそこに『簡易的な魔力検知の陣』をセットしているようだ。
どうやら、門を通過する者が所持している魔力量や、もしもの『呪詛』などを検知する仕組みを備えているらしい。
「領地の外から入るたびに、お金が必要になるのか……?」
ケイが思わず眉をひそめると、アリアはやや緊張気味に頷く。
「ええ。ここの結界は頻繁に整備が必要だとかいう理由で、ことあるごとに追加徴収される場合もあるそうです」
彼女がそう説明する間にも、前方では旅人や商人が一人ずつ銅貨を取り出している。
門番が首を横に振ると、今度は銀貨を要求される人までいて、明らかに不平が洩れていた。
「領主様が決めた徴収率だ。文句があるなら領外で暮らすか、自力で魔物と戦うしかないぞ」
門番の言葉に、旅人は泣く泣く銀貨を渡す。
外にはモンスターが徘徊しているという恐怖があり、皆が仕方なく金を払わざるを得ない状況が作られているのだ。
やがてケイたちの順番が来る。彼らも数枚の銅貨を差し出して門をくぐるが、そのとき兵士の一人がケイの仮登録証を見て訝しむ。
「魔力ゼロ? なるほど。領主様の耳に入れとくか。余計なことをするなよ」
その目は警戒の色で満ちていた。ケイは黙って小さく頭を下げる。
ブラック企業でも感じた『上には逆らうな』という圧力――ここでも同じ空気が漂っているように思え、背筋が寒くなる。
門をくぐると、簡素ながらも一応は整備された石畳の町が現れた。
露店や屋台が並び、一見すると活気があるようにも見える。
しかし、よく目を凝らすと人々の顔に疲労の色が濃く、商人たちも笑顔の裏で神経を張り詰めているようだ。
「領地の境界を取り囲む結界は、定期的に『結界石』へ魔力を注入しないと維持できないとか。だから保護費が必要になる……建前は分かるんですけど」
アリアが路地を歩きながら、以前に学んだ知識を思い出すように話す。
結界石には大量の魔力を蓄えるための特殊加工が施されており、領主や役人が定期的に『整備の儀式』を行うことで結界の強度を保っている。
しかし、その『儀式』のたびに住民や通行人から保護費を集めるのが、この領地のやり方らしい。
「問題は、それが本当に結界整備に使われているかどうか……ですよね」
フレイアが学者然とした冷静な視線であたりを見回す。
壁沿いには亀裂が走り、明らかに放置されている。
結界そのものが弱っている可能性すらあるというのに、門前では相変わらず保護費を取り立てているのだ。
やがて、中心広場を覗くと、そこでは『追加徴収』の場面が目に飛び込んできた。
みすぼらしい服装の人々が列を成し、役人らしき人物の前に銅貨や銀貨を差し出している。
「こんなんじゃ、うちの家計はもう限界だよ……。おい役人さん、本当に結界は強化されてるのか?」
ある中年男性が必死に訴える。
だが役人は鼻で笑うように答えた。
「領主様の厳命だ。結界石に魔力を補う費用が急騰している。文句があるなら、領主様に言うんだな」
後ろには衛兵が控えており、もし反抗しようものならあっという間に連行されるのは明らかだ。
エレナはその光景に我慢ならないのか、剣の柄を握りしめて声を震わせる。
「ふざけてる……。結界石がどれだけの魔力を必要としてるかなんて、庶民には分からない。それをいいことに金をかき集めて……」
アリアも唇を噛み、ケイは無言のまま拳を硬く握る。
さらに視線を移すと、領主の高官と思しき人物がきらびやかな衣装で立っていた。
金の装飾が目立ち、周囲を見下ろす態度は高圧的だ。
「結界維持は尊い義務だ。みな平等に負担するのが当然だろう。納得できないなら外へ出るがいい……もっとも、モンスターの餌食になるだけだがね」
高官の声に、住民たちは下を向き、苦々しい沈黙に包まれる。
逃げようにも、外にはさらに危険が待ち受けているのだ。
「ブラック企業以上の悪徳だ……。命に直結するだけにたちが悪すぎる」
ケイは胸中で呟く。
彼が経験したブラック企業でも、労働者は過酷な環境で搾取されたが、ここでは住民全体が保護費の名目で絞られている。
しかも結界がなければモンスターが侵入する恐れがあるため、誰も逆らえない構造になっているのだ。
ケイたちは裏路地へ足を運び、そこで更に悲惨な実態を知ることになる。
破れかけの屋根を布で覆った家が並び、子供たちは痩せこけてうずくまっている。
役人への賄賂を払うか、さもなくば公式の徴収で重税を課される――どちらも地獄だと住民は嘆いた。
「領主の『結界整備』なんて嘘ばっかりさ。実際にはろくに儀式をせず、魔力石は放置。下手したらモンスターが入ってくるかもしれないって話だよ」
苦しげに語る中年女性は、周囲を警戒しながら、ケイたちに小声で打ち明けた。
「でも、保護費を払わないと住民登録を剥奪される。そうすると商売ができなくなるし、領地内の職にも就けなくなる。結局、従うしかないんだよ……」
ケイはその言葉に強い既視感を覚える。
以前の世界でも、会社の言い分を飲まないとプロジェクトから外され、仲間が次々に辞めていった。
それと同じ理不尽をここで再び見るとは。
「役人は『結界整備』という経費をでっち上げて領主に報告し、巨額の保護費を吸い上げる。その一部を役人や衛兵にも回して、組織ぐるみで住民を脅してるわけね」
フレイアが冷静に事態を整理する。
それを聞いたエレナは、「すぐにでも叩き斬ってやりたいわ」と怒りを押し殺す。
「斬るだけじゃ問題は解決しないですよ、エレナさん。でも、放っておけば住民たちはさらに追い詰められる」
アリアがか細い声で言うと、ケイは唇を引き結んだまま胸を熱くしているのを感じた。
「これ、ブラック企業なんてもんじゃない……。住民全員を奴隷にしているようなものだ」
ケイは苛立ちを抑えながら呟く。
しかしいまここで武力や強硬手段に出ても、領主が隣接する強大な自治都市と繋がっている可能性もあり、容易に叩きつぶせる相手ではない。
「ケイさん……。どうにかして、保護費制度を根底から変えられないんでしょうか?」
アリアの声には涙混じりの焦燥がある。
彼女は暗記式の呪文が苦手ながらも、必死に魔法を学んできた。
何より『人を救う力』を身につけたくて魔法を学んだのだ。
その純粋さが、住民の悲哀を見ていられない気持ちを煽っているようだ。
「結界石の整備と保護費の関係を透明化できれば、こんな汚職を防げるかもしれない。俺たちが結界術を効率化して、領主や役人が言い訳できないくらいの技術を示せれば……」
ケイはIT的発想での対策を頭の中に思い描く。
結界維持のログを共有し、『魔力供給量』を可視化する仕組みを作れば、どれだけ費用が本当に使われているか証明できるかもしれない。
「それこそ、コード魔法による『結界術のバージョン管理』だな。どのタイミングでどれだけ魔力が注入されたかを記録し、改ざんを防止する」
エレナは腕を組み、「あたしにはよく分からないけど、要するに汚職を隠せなくなるんだな?」と納得したように呟く。
住民の嘆きや子供たちの痩せた姿を目にし、ケイの胸に再び強い炎が燃え上がる。
会社では仲間を守れなかった苦い思い、ブラック企業の闇をぶち破れなかった悔しさ……ここにいる住民たちを見捨てるわけにはいかない。
「これほど悪徳な仕組みがまかり通っているなら、俺たちが『改革』の象徴を作るしかない。誰もが納得する仕組みを提示して、腐敗に風穴を開けるんだ」
ケイの声音には確固たる意志がこもっている。
アリアは「私もできること全部やります!」と即答した。
「……辛い道になるかもしれない。それでもいいか? この領地だけじゃない。大厄災を防ぐために世界規模の結界が必要だし、腐敗はどこの領地にも根深く存在する」
ケイが視線を落とし、仲間たちを順に見回す。
「構わないさ。あたしはもう、目の前の弱い人たちを放っておけないから」
エレナが剣の柄に手を添え、静かに頷く。
過去の村の悲劇を、二度と繰り返したくないのだろう。
アリアも「魔法を人助けに使いたいんです」と強くうなずく。
フレイアは「それが世界を救う鍵になるなら、学者としてこれほど魅力的な挑戦はないわね」と笑みを浮かべた。
こうして、隣接領地で目の当たりにした保護費制度の闇――腐敗役人と領主の横暴、そして住民が追い詰められるリアルな苦境。
それらはケイにとって、まるでブラック企業の再来以上の絶望感をもたらした。
しかし、その分だけ彼の決意は強まる。
「コード魔法で結界運用を効率化する。そして、汚職が横行できないよう可視化する仕組みを作る……やるしかないんだ」
ケイは夕陽に染まる城下町を見回しながら、小さくつぶやく。
いつかこの地の住民が、恐怖や不安に怯えず笑って暮らせる日が来ると信じて。
この世界で、ブラック企業以上の悪徳を打ち破るために――ケイたちは再び拳を握りしめ、それぞれの思いを胸に領地を後にするのだった。