【第5章】「魔力ゼロへの偏見とその歴史」
翌朝の空はどんよりと曇り、グレイヴァルドの街を覆う結界の輪郭さえ霞むほどに薄暗い。
廃墟を拠点として整備する作業が急務ではあるものの、如月ケイの表情はどこか沈んでいた。
「……ケイさん、おはようございます。眠れましたか?」
見習い魔術師・アリアが小走りでやって来る。
ローブの裾を押さえながら、やや息を切らしている様子だ。
ただでさえ作業や研究に追われて睡眠不足なのに、彼女の瞳には微かな光が宿っていた。
「おはよう、アリア。うん、正直あまり眠れなかったよ」
「やっぱり……昨日、フレイアさんが発見した文献のこと、ずっと考えてますよね?」
二人がテーブル代わりにしている朽ちかけの木箱の上には、フレイアが翻訳したメモが広げられていた。
そこには、『魔力ゼロの者が大厄災を解放した』という、衝撃的なフレーズが記されている。
ただでさえ「魔力ゼロ」への差別が根強い世界で、こんな文献が発見されたらケイに対する風当たりはますます強まるかもしれない。
――昨夜。
フレイアは埃まみれの木箱を開封し、そこから出てきた古文書を慎重に広げていた。
ろうそくの揺れる灯火の下、彼女は古代ルーン文字を一字ずつ読み解き、顔を強張らせている。
「ケイ、これ……見て。直訳すると『いにしえの災いは、魔力なき者より解き放たれた』となるわ」
「『魔力なき者』って……やっぱり『魔力ゼロ』と同じ意味ですよね」
「可能性は高いわ。大厄災が起きた当時、封印術を破壊したのが魔力ゼロだった――そういう見方もできる」
ケイは苦々しく眉を寄せる。
大陸中で忌まわしい存在とされる『魔力ゼロ』だが、文献の裏付けが強いほど人々の差別意識は加速するだろう。
フレイア自身も「これは多様な解釈がある」と言いつつ、当時の人々がそう記録した事実に変わりはないのだと説明した。
その日の昼、ケイは仲間のために食料や日用品を買い足そうと街へ出た。
しかし、そこで目の当たりにしたのは、これまで以上に露骨な差別だった。
街の人々はただケイが『魔力ゼロ』だという理由だけで敬遠する。
ある露店では、店主がケイの姿を見るなり頬を引きつらせて奥へ引っ込んでしまった。
別の古道具屋では、子供がケイを見て怯えたように親の後ろに隠れ、「お母さん、あの人怖い……魔力がないんだって……」と消え入りそうな声でつぶやく。
その母親も「あっちへ行ってちょうだい」と、ケイをまるで疫病神のように遠ざけた。
「すみません、ただ物を買いたいだけなんですが……」
必死に取り繕おうとするケイ。
しかし、『呪いが移る』というウワサを耳にした客たちが「やめて、近寄らないで!」と悲鳴まじりに声を上げる。
最後に立ち寄った道具屋では、さすがにケイも黙っていられず「事情を説明すれば理解してもらえる」と信じて交渉を試みたが……。
店主は神経質そうに周囲を見回しながら、苦渋の表情で首を振った。
「悪いね、俺だって本当は売りたいさ。だけど、もし『魔力ゼロ』に品物を渡したなんてウワサが広まったら、今度は他の客や商人組合から睨まれるんだ。そうなれば商売続けられなくなる」
「でも、俺はお金も払えますし、呪いなんて単なる迷信じゃ……」
「迷信だろうがなんだろうが、お偉方にらまれちゃ商売人は生きていけないんだよ。すまないが帰ってくれ」
店主は絞り出すように言い、ケイを追い返した。
そこには差別意識だけでなく、商売を守るための切実な事情があるのだと、ケイも感じ取るしかなかった。
――夕方
仮拠点へ戻ってきたケイの手提げ袋はほとんど空だった。
アリアが目を丸くし、エレナが憤慨する。
フレイアも「想像以上ね……」と胸を痛める表情だ。
「……ごめん。ほとんど売ってくれなかったんだ。店主さんにも事情があるらしくて……俺の存在が周囲に不安を与えるんだろう」
「なんなのよ、それ。あんたが何をしたっていうのさ」
エレナは苛立たしげに剣の柄を叩く。
彼女の過去――保護費を払えず結界を張れなかった故郷を思い出し、さらに怒りを煽られているようだった。
「ねえ、ケイさん。あまり自分を責めすぎないで。差別はひどいけど、ケイさんは何も悪くないんです」
アリアが寄り添うように言葉をかけても、ケイはうつむく。
「『悪くない』って言われても、こうやって街の人たちを困らせる存在なのは事実だよ。商人組合やお偉いさんに睨まれて店を潰すよりは、俺を拒絶するのが正解ってことになる」
「それは制度や社会が歪んでるから……」
「分かってる。でも、こうして嫌な目に遭うと、やっぱり堪えるよ。なまじ『世界を壊したのが魔力ゼロだった』なんて文献も見ちゃったしさ」
ケイの声にはどうしようもない悲哀が滲んでいる。
エレナも心なしか言葉を飲み込み、目を伏せた。
彼女自身、仲間を守れなかった過去があり、理不尽な現実が痛いほど分かるからだ。
そのとき、フレイアが静かに巻物を抱え、三人のもとへ歩み寄ってきた。
彼女の瞳は、学者らしい冷静さと、どこか温かみを感じさせる光を帯びている。
「ケイ、差別をなくすのは一朝一夕じゃ無理。でも、だからこそ私たちが新しい魔法技術を提示できれば、『魔力ゼロは忌まわしい存在』なんて見方を覆せるかもしれないでしょ?」
「フレイア……」
フレイアは巻物をそっとケイの前に広げる。
そこには結界術や封印術に関する古代図式がびっしり書き込まれている。
ルーン文字の横には、彼女が独自に記したメモが目立つ――『既存術式の構造、部分的コード化の可能性』など。
「大厄災を『魔力ゼロ』が解放した、という記述が事実だとしても、逆に言えば『魔力ゼロ』が再び封印や結界を強化する道を開く可能性だってあるの。学者としては、むしろその可能性に賭けたいわ」
そこでアリアが意を決したように、声を張る。
彼女の頬はわずかに上気し、周囲を巻き込むような熱を帯びている。
「ケイさん、私も暗記式をさらに分割してみます。暗記式を丸暗記するんじゃなくて、呪文を小さなブロックごとに分けたり、ケイさんが教えてくれた<“if” “else”――>をつかった条件制御みたいなの使って!」
アリアの言葉をきき、ケイはかすかに笑みを浮かべながら、手元のメモ帳を開く。
そこには前の世界の記憶を頼りに、呪文の構文を一行ずつ区切って管理するアイデアが走り書きされている。
「たとえば、炎呪文の詠唱なら、`if(ターゲットが目の前) {短呪文=発射} else {待機}`みたいに条件分岐を入れれば、暴発を防げるかもしれない。暗記式が苦手なアリアでも、途中で噛んだら『そこまでの呪文』をキープできるとか」
「そうなんです。小さな成功を積み重ねて、最終的に大きな火球なり結界なりを作る!」
アリアが夢中で語るうちに、ケイの暗い顔にも生気が戻ってきた。
エレナは「呪文がどう変わるか分からないけど……あたしにとっては、どっちでもいいさ。モンスターを斬るしか能がない身だから」とそっけなく言うが、その横顔には仲間を守りたい気持ちが読み取れる。
「……ありがとう、みんな。俺、一度は挫けそうになったけど、新しい魔法を編み出すことで『魔力ゼロ』への差別をぶち壊せるかもしれない……もう少しだけ頑張ってみるよ」
ケイはゆっくりと立ち上がる。廃墟の床から舞い上がる埃が、ぼんやりとした陽光に照らされていた。
そんな彼らの背後で、フレイアは巻物をじっと見つめている。
そこには、『封印の綻びが各地で報告されるとき、災厄の門が再び開かれる』という暗い予言めいた文言が書かれていた。
「実は……大陸の各都市で小規模な『結界異常』が増えてるという話があるの。ギルドや領主は隠してるみたいだけど、本当に大厄災が再来するかもしれない」
「大厄災の再来……!? そんな……」アリアが息を呑む。
エレナは剣の柄を握りしめ、「だったらますます、モンスター退治だけじゃ追いつかないわね」と低く唸る。
「だからこそ、今『コード魔法』を確立すれば、封印や結界の補強がもっと効率的になる可能性がある。ケイの発想が、私たちを救う鍵になるかもしれないわ」
フレイアは学者特有の落ち着きを保ちながらも、その声の奥に焦燥を感じさせる。
ケイは差別の現実と世界規模の危機が重なり合うことに、戸惑いながらも使命感を抱きはじめる。
自分を否定するだけの日々を終わりにして、ここで自分の新しい力を証明したい――強くそう思った。
「なら、やるしかないな。差別とか保護費とか、いろんな問題を乗り越えて、みんなで世界の再来する危機も防いでみせる!」
ケイが宣言すると、アリアは嬉しそうに笑みを浮かべ、エレナは「大げさなやつ」と半ば呆れながらもやる気を隠せない。
フレイアは「私も封印術の研究を続けるから、協力しましょう」と目を輝かせる。
こうして、深い差別と過去の災厄を乗り越えるために、そして迫り来る大厄災の兆しに対処するために――ケイたちは『コード魔法』という新たな道を本格的に切り拓き始めるのだった。
廃墟の拠点にはまだ穴だらけの屋根や壊れかけの壁があり、風がビュウッと吹けば砂埃が舞う。
それでも『差別を超えた魔法技術で世界を変える』という彼らの誓いが、この場所を温める灯火になりつつあった。