【第1章】「魔力ゼロ判定――異端への第一歩」
「……う、ううん……」
薄暗い石床の上で、如月ケイは顔を伏せたままうめき声を漏らした。
まるで誰かの呼び声に誘われるように、ゆっくりと意識が浮上していく。
周囲では、見慣れない衣装をまとった人々があれこれとささやいていた。
「おい、こいつ、息してるぞ!」
「衛兵を呼んでこい。怪我人かもしれない」
そう叫ぶ声とともに、誰かがケイの身体をそっと横向きにしてくれた。
ケイはゆっくりと目を開けるが、石造りの天井と重厚な扉が視界に飛び込んでくる。
まるで中世ヨーロッパの古城にでも迷い込んだかのような光景だった。
「ここは……どこだ?」
かすれた声でつぶやき、ケイは床に手をついて上体を起こす。
すると周りの人々が一斉に視線を向けてきた。
傍らにいる女性が、ケイの顔を覗き込んで声をかける。
「大丈夫ですか? 街外れで倒れているところを衛兵が見つけて、ここへ運んできたんです」
「そうだったんですか……助けてくださって、ありがとうございます」
まだ頭がぼんやりしている。
ほんの数分前まで、ケイはビルの灯りが消えないオフィスでデスマーチに追われ、上司にタスクを詰められていたはずだ。
いつもの机とディスプレイが並ぶ殺風景な風景から、一転してこんなファンタジー風の空間にいるなんて、理解が追いつかない。
「立てそうですか?」
「ええ……なんとか……」
周囲の手を借りながら立ち上がると、そこは広い石造りのロビーのようだった。
壁際には木の看板らしきものが掛かっており、そこに刻まれた文字はケイにとって見慣れないものだった。
しかも、奥の方には奇妙な紋章が飾られていて、戦士や魔術師らしき人々が行き交っている。
「ここはグレイヴァルドのギルドだ。もし意識がはっきりしているなら、あんたの身元を確認したい」
カウンターに立つ男が、ケイにそう告げる。
グレイヴァルド――その名前だけではピンと来ない。
「ギルド……? えっと、すみません、どういう場所なんでしょう……?」
首をかしげるケイに、筋肉質の男やローブ姿の女性たちが怪訝そうな顔を向ける。
カウンターの男は、少し困ったように眉を寄せた。
「おいおい、まさか知らないのか? ここは大陸の中央部にあるグレイヴァルドのギルドだ。この街は王都から少し離れてはいるが、封印術の要となる『結界石』を管理し、防衛や魔術の研究も行う要の街だ。住民から徴収した保護費で結界を維持している」
「保護費……? 結界……?」
聞き慣れない単語ばかりで、ケイの頭は混乱する。
周囲の冒険者やギルド職員が「何も知らないのか?」とひそひそ話を始めるのが分かる。
「とにかく、まずは魔力測定を受けてもらわないと、ギルドで何も手続きができない。こっちへ来てくれ」
男の言うがまま、ケイは石造りの小部屋に案内された。
台座の上には大きな水晶球が鎮座し、その傍らに木製の端末のようなものが置かれている。
聞けば、この世界には、独特の魔術技術が発達しており、魔力の強弱を調べるための装置が一般化しているのだという。
「これに手をかざすだけで、魔力の大きさがわかるんですか?」
「そうだ。これは比較的新しい技術でね。魔術師ギルドが運用していて、魔力検査をすればどの程度の術が使えるかが分かる。もっとも、魔力が弱い者はギルドに所属できないがな」
男は当然のように言うが、ケイには全く理解できない。
それでも指示どおりに手を乗せると、やや冷たい表面が手のひらを包む。
水晶球の内部で淡い光が動き出すが、すぐにまた消えてしまった。
「あれ? おかしいな」
受付の男が端末を覗き込んで首をかしげる。
もう一度念のため、と言われ、ケイは再び手をかざす。
数秒ほど光が揺らめきかけるものの、またしてもすぐに途絶え、端末からは赤い文字列がいくつも流れていく。
「まるで反応がない。こいつはもしかして『魔力ゼロ』の可能性があるぞ」
「魔力ゼロ……?」
ケイの戸惑いとは裏腹に、男の声には重苦しい響きがあった。
大厄災の頃、『魔力ゼロ』の者が禍を招いた――そんな伝承が広く信じられているらしく、周囲の職員や冒険者が一斉にケイを見つめ始める。
「おい、本当に魔力ゼロなのか?」
「嘘だろう、そんな奴はじめて見たぞ……」
ささやきが耳に飛び込んでくる中、ケイは訳も分からずまばたきを繰り返す。
まさか『魔力』などというものが自分にあるなどとは思いもしなかったが、ゼロだとこんなにも騒がれるとは予想外だった。
「魔力ゼロはこの世界では不吉とされている。理由は大厄災にさかのぼるんだが……三百年前、魔力の流れが乱れ、巨大なモンスターの群れが大陸を襲ったとき、『魔力を持たない者が封印を破った』っていう古い伝承があってな。それ以来、民衆は『魔力ゼロが厄災を招いた』と信じていて、公的支援を受けづらくなってるんだ。保護費の優遇もほぼ期待できない」
男が説明するほどに、ケイの胸は重くなる。
大厄災――それは、いくつもの国や街が破壊され、多数の人命が失われた大事件らしい。
再発を防ぐために各都市では結界を張り、その維持費用を住民から集める制度が根付いたという。
「じゃあ、俺はここで生きていくのが難しいってことですか?」
「うーん……方法がないわけじゃないが、正直、魔力ゼロとなればギルドに所属もできないしな」
受付の男が同情気味に言葉を落とすと、ケイは不安を押し返すように一歩前へ出る。
会社でも、自分を含め、仲間を『能力不足』と蔑まれ過酷な労働を強いられた記憶がよみがえった。
もう二度と同じ思いをしたくない――その願いが、彼を行動へ駆り立てる。
「でも……なんとかして生きていかなきゃいけない。宿だって必要だし、食事だって……」
「ギルドとして用意できる支援は限られてる。街には宿屋があるから、まずはそこへ行ってみるんだな。皿洗いでも雑用でも、働き口がまったくないわけじゃない」
「わかりました。あきらめるわけにはいかないので……やれることを探してみます」
ケイがきっぱり答えると、男は少しだけ目を見開いた。
「強いな。普通は魔力が弱いとわかった時点で絶望する奴もいるんだが……俺はダレンって言う。困ったら相談に来い」
「ダレンさん……ありがとうございます」
ケイが頭を下げると、ダレンは苦笑いしながら書類を取り出す。
ギルド規定上、冒険者登録はできないが、仮の身分証だけなら発行できるという。
「魔力ゼロと知れたら嫌な顔をされるかもしれない。それでも、ギルド公認の『調査対象』としてなら、一応の言い訳は立つ。無茶なことはするんじゃないぞ」
「……はい。とにかく、やってみます」
手渡された紙を胸ポケットにしまい、ケイは石造りのロビーへ戻る。
外へ出ると、抜けるような青空と活気ある街並みが目に飛び込んできた。
石畳の道には荷馬車や露店が並んでいる。
そして街の空を覆うように、薄い透明の結界が確かに揺らめいていた。
ケイは立ち止まりながら、周囲の様子を観察する。
聞けば、ここグレイヴァルドは多くの領主が連合を組む『アルド王国』の一都市で、古くから魔術研究が盛んな土地だという。
だが大厄災によって人口は激減し、かつての繁栄からは程遠いらしい。
その復興策として生まれたのが『保護費制度』――街を守るために莫大な資金を集め、結界維持や冒険者の派遣にあてるのだ。
「魔力ゼロが不吉、大厄災の引き金を引いたとされる伝承か……」
口元で小さくつぶやきながら、ケイは険しい思いを抱く。
差別的な扱いを受けるかもしれないと分かっても、もう立ち止まるわけにはいかない。
「よし、とにかく宿へ行ってみよう。皿洗いでも何でも、まずは生きる手段を見つけなくちゃ」
そう決意を固めると、ケイは石畳を一歩ずつ踏みしめて歩き出した。