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「お前なんて、産まなれてこなければよかった」
吐き捨てるように呟く母。
それを聞かされて、私は本来なら傷つくべきなのにどこか冷めた気持ちで受け止めていた。
私が聖女だと認められた瞬間に手のひらを返すくせに……。
そう思った瞬間に違和感を覚えた。
なぜ、そう思ったのか、聖女は今の時代にはいないはずだ。
それなのに。
なぜ、私は自分が聖女だと知っているの?
いや、この光景すら既視感があるのだ。何かで見たようなそんな感覚なのだ。
「聞いているの!?アイオラ!お前は取り替えられたのよ!私の本当の子供を返しなさい!」
母は言いながら手を振り上げて私を叩こうとした。
チラリと視界の端に私の髪の毛が見える。
それは、ピンク色の母のそれとは違い。老婆のように真っ白だ。
母だけではない。藍色の父の髪の毛とも違う。というよりも、両親の家系に白い髪と赤目の人間はいない。
けれど、顔立ちは父によく似ている。色が違うただそれだけで、私は取り替えられた子供だと疑われていた。
しかし、私はカドラ伯爵家の長女だ。
それなのに、私は仲間はずれだ。
そう思った瞬間に、母の手が私の頬に振り下ろされた。
頬に火が灯ったような痛みを感じて、この既視感の正体をようやく捉える事ができた。
これは、悪役聖女アイオラの走馬灯だ。
それを理解したら、私の頭の中に膨大な量の情報が流れ込んでいった。
私はここよりも文明が進化していて、神秘的な力など存在しない世界で生まれて育った。
ここは、「愛され聖女の物語」というチープな本の世界だ。
私は、この物語の中でいずれ登場する。異世界の聖女カオリと敵対する悪役聖女だ。
この世界のアイオラは、悪事の限りを尽くして処刑されそうになる。
その際に、家族からの減刑を求められて、実は自分は愛されていた事に気がつき改心したことで処刑は免れた。
しかし、ざまぁは、それを許さない。
結局、カオリを愛しすぎて闇堕ちした男の手によって殺されてしまうのだ。
上げておいて落とすのってどうなの。
そもそも、こんなことを平気で子供に言えるような親の「愛している」なんて信用できるわけがない。
あの時は、ああ、言ってしまったけど。貴女は、誰にも似ていなかったし、不貞だと疑われて私も辛かったの……。
牢屋の中の私に泣きながら弁解する。母の姿が浮かんだ。
生まれてきた私が、どの家系の色も持たなかったせいで不貞を疑われて辛かった。成長するにつれて父に似てきた私を自分の子供だと認める事ができなかった。
魂を取り替えられた子供だと、思い込む事しかできなかった。そして、そのせいで傷つけてしまった。
と、母は話していた。
そんなのそちらの都合で私も知ったことではない。
「お前なんか消えてしまえ!」
言いながら再び母が私に手を振り下ろしてきた。
叩かれる。と、思ったらすぐに一人の使用人が庇うように私の前に飛び出してきた。
「奥様、やめてください」
母の暴力を止めてはくれたが、それは純粋な優しさからではない。
「そこを退きなさい」
「今日は、クロード様との面会の日です。そのようなことは……」
彼女が私を庇ったのは、婚約者との面会があるからだ。
虐待されていると知られると外聞が悪いからだ。
いくら、私がわがままでどうしようもないほどに手のつけられない子供であったとしても、見える場所に傷があるのは問題がある。
「……そうだったわね。仕方ないわ。さっさとそれをどこかにやってちょうだい。目障りなのよ」
吐き捨てるように母に言われて、私はメイドの手によって立たされて部屋へと連れて行かれた。
外聞なんて気にしたところで、クロードは、私のことなんて気にしたりなんてしないわ。
今日から私は、家族のことを血が繋がっているだけの人たちだと思うことにした。
私は心の中で苦笑した。
メイドに連れて行かれて、私は部屋へと戻った。
使用人は、私に対して最低限のことはしてくれるが、優しいわけではない。
それは、私が貴族だからだ。
不貞の子供だと疑われてるが、それは、あくまでも疑惑があるだけ。
そもそも、私の顔立ちは父によく似ているので、不貞などあり得ないのだ。
微妙な立ち位置ではあるけれど、どの方向へ転がるかわからないからこそ、最低限の礼儀はつくしてくれている。
……物を盗んだり、危害を加えないだけマシよね。
私を部屋へと連れてきたメイドが身支度を整えてくれているが、「仕事」としてそれをこなしてくれている。
母に叩かれた頬は、赤く腫れているが化粧のおかげで赤みは目立たなくなっていた。
「アルシェ家のクロード様がきました」
声がかかり、私は応接間へと向かった。
「久しぶりだね。アイオラ嬢」
クロードが人好きのする笑みを浮かべる。
アルシェ家の爵位は、カドラ家と同じ伯爵だ。
祖父同士が仲が良く。生まれた子供の年齢があえば婚姻させよう。という、口約束から私とクロードの婚約は生まれる前から決まっていた。
クロードは金髪碧眼の彼は心優しき王子様のような見た目をしている。
実際に、彼は「婚約者だった時のアイオラ」に対しては、冷たく接することはなかった。
どちらかというと優しかったと思う。
だから、アイオラはクロードに執着してしまった。
この物語のヒーローはクロードだ。
「クロード様。お久しぶりです」
私が笑みを浮かべると、クロードは笑みを崩すことなく私の顔を見ている。
腫れがあっている頬に気がつかないはずがないのに。
「お元気そうですね」
クロードは、何も見えていないかのようにそう言った。
「何一つ変わらずです」
母は私に辛く当たり。他の家族はそれを見て見ぬふりをしている。
そして、婚約者ですら心を通わせるつもりもない様子なのが見て取れる。
何一つ変わらない地獄みたいな状況だ。
今なら、物語の中でアイオラが傲慢で性悪な女だった理由がわかるような気がした。
孤独だったのだ。誰からも愛されず。人の愛し方も知らない。
見せかけの優しさに縋りつき執着した。アイオラは、どれだけ寂しく悲しい思いをして生きてきたのだろうか。
彼女はなるべくして悪女になったのだと私は思う。
「クロード様!」
私の思考を遮るように、明るい声が応接間に響いた。
妹のシエナの声だ。
「クロード様!お会いしたかったです」
シエナは、私など見えない様子でクロードの隣に座る。
クロードは少し戸惑った様子で、笑みを浮かべる。
「シエナ嬢。お久しぶりですね」
こうして、二人だけの時間が始まった。
私はそれを冷めた目で見ながら立ち上がる。
「気分が悪いので部屋に戻ります」
シエナは、ようやく私の存在に気がついた様子で、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「あら、いらしていたの?」
彼女が私を透明人間にするのはいつものことだ。
人前でそれをするのはどうかと思うのだけれど。
「ええ、ずっといました」
「アイオラ嬢、大丈夫ですか?」
私がにっこりと笑い返すと、クロードが気遣わしげな顔で問いかけてきた。
これも、いつものことだ。
婚約者が交代する可能性は高く。だから、どちらに対してもいい顔をしないといけないのだ。
シエナの顔が悔しげに歪むのがわかる。
本当に最低な男だ。誰に対してもいい顔をしようとする。
「お気になさらず。では失礼します。ごゆっくりお過ごしください」
部屋に戻り。ベッドに横になり目を閉じる。
これから自分はどうしたらいいのか考えなくてはいけない。
傲慢な聖女にならなくても、このままでは「悪役」に仕立て上げられる可能性が高い。
なぜなら、この物語そのものが、カオリのための物語になっているからだ。