第四話 普通のお昼
私とコハルさんがしばらく話をしていると、玄関の方から鍵の開く音がした。
そして、ツトムさんと、最初に私に話しかけた男性が一緒に入ってきた。
二人はそれぞれ大小の紙袋を持っていた。
私も座ったまま玄関の方を向く。
「ちょっと遅くなった。どうだ?落ち着いたか。」
ツトムさんが廊下を歩きながら私に話しかける。
「は、はい。すいません。」
「いや、謝ることはない。ほい。これ。」
ツトムさんは持っていた小さいほうの紙袋を私に渡してきた。
「これは・・?」
紙袋は茶色の無地だった。
何かと思って折り目を開いて中をのぞくと、中には丸い包みがいくつか見える。
「ハンバーガーですか。」
私はツトムさんに尋ねる。
「ああ、昼飯まだだろう。コハルのも入ってるから。」
私が中を見ていると、コハルさんも私の方に顔を伸ばす。
「お、いいじゃん。それ貸して、並べるわ。」
コハルさんがそういうので私は紙袋を渡す。
コハルさんがガサガサと袋に手を突っ込み始めると、もう一人の男性が私に話しかけてきた。
「えっと、どうもさくらさん、ムラタです。さっきは初対面ですいません。あ、あの怪しいものではなくてですね。」
腰が低そうな話口調で自己紹介をしてきた。どうやら私が犯罪者のように見ていると思っているようだった。
「あ、いえ、私もすいません。全然わからなかったもので・・。」
私は少し申し訳ないなと感じた。しかし、ムラタさんは、それを聞くと「よかった」と言ってホッとしていた。嫌われたと思っていたのだろうか。
「あ、そうそう。これを。」
ムラタさんはそういうと、手に持っていた大きな白い紙袋を私に見せた。
そこには家紋のようなマークと紫で『井村屋呉服店』と書いてあった。
「呉服店、ですか?」
私は顔を上げて聞く。
「そんな恰好じゃ外も歩けないだろうからって、コハルさんが。取り合えずの外行きの服装だけど、サイズは一応あってると思う。」
「そんな、わざわざ。」
その紙袋を受け取ると、コハルさんが「開けていいよ。」といったので、中身を取り出す。
中には薄い赤紫色をした点模様の着物と、赤い帯など、和装の一式が入っている。
普段はみない服に、私は少し心が躍っているような、そんな高揚感を覚えた。夢の中にいるようなぼんやりしたここの空気感が、私にそう思わせたのかもしれない。
「きれい。」
私は少し笑みを浮かべながらつぶやく。
「店の人はこれがいいだろうと。本当は洋服にしたかったんだけど、洋服屋は淡海の方まで出ないとなくてね。どっちにしてもその服はとりあえずなんで、またあとでその呉服屋さんに一緒に行きましょう。」ムラタさんは笑ってそう言った。私は両手で、折りたたまれた着物をもちながら、何度も見回していた。
だが、あることに気づいて私はツトムさんの方をむく。
「あの、お金って。」
「お金?それは心配ないよ。全部経費で落ちるから。」
ツトムさんはそう答えた。
「そ、そうなんですか。」
経費で落ちるとはどういうことなのだろうか。
「そう。まあ、お金のことは気にしなくていい。」
「そう、ですか。」
私とツトムさんがそんな話をしていると、コハルさんが話しかけてきた。
「あの、食べましょう。冷めちゃうし。」
振り向くと、机にはハンバーガーとポテトが並んでいる。
「ああ、そうだな。」
ツトムさんもそういって机の方に回る。
私もそちらに向きなおすと、手を合わせてから食べ始めた。
ハンバーガーはこっちのものとは何も変わらなかった。
このスピード重視の雑さ加減と、塩っぽい感じも変わらない。
相変わらず、私は天国にいるという実感がなかった。
昼を食べ終わると、早速着物に着替えることになった。
さすがに男二人の前で着替えるわけにはいかないので、私は、コハルさんと一緒に最初に寝ていたベッドのある部屋に入った。
中に入って扉を閉めると、紙袋を置いてから桃色の病院着を脱ぐ。
そして、袋の中から、一式を取り出して床に広げた。
しかし、ここで問題が起きた。
「着方わかる?」
コハルさんが私に聞いいてきた。
着方が分からない。
そういえば、そうだった。和服なんて片手で数えられるぐらいしか着たことがない。
コハルさんを前にして急に顔が熱くなるのを感じる。
やばい。どうしよう。
いや、わからないものは分からないと言えばそれで済む話で、そんな恥じるほどでもないのは分かっている。しかし、実際に物を前にすると、なんだか一般常識がないように感じてしまう。
私がしばし手をオドオドとさせていると、コハルさんが少し笑って話しかける。
「分からないならそれでいいのよ。別にそれで怒ろうってわけじゃないし。逆に知ってる方が不思議なくらいよ。私が見た人はみんな最初はそうだったから。」
「す、すいません。」
恥ずかしさからかなんだかすごく耳が熱い。
「謝らなくていいのよ。じゃあ、説明していくね。まず、薄い、白いやつ。これが一番下。」
「は、はい。」
「まずそれを着る。それで紐を結んだら、次がこの無地の。あ、それは左が上。」
「えっと、左手・・・」
私は少し急ぎ気味に、言われたとおりに羽織っていった。
そんな感じでとりあえず、模様のついたほうの着物を羽織るまでは出来た。
コハルさんが立ち上がって一通り見まわす。
「えーと、あとは腰ひもと帯なんだけど、さすがに出来ないよね。」
「蝶々結びではないんですか?」
「ん~。浴衣ならそれでもいいんだけど。よし、わかった。私がやったげる。腕上げて。」
コハルさんはそう言って帯を手に取る。
「あ、ありがとうございます。」
私がとっさにそう言ったと同時にコハルさんは私の腹に手を回す。
「一応教えるけど、分かんなかったら聞いてね。どうせ短い間だし、言ってくれたらやったげるから。」
コハルさんは意外と乗り気なようで終始なんだか楽しそうに私に話してかけていた。
「あの、コハルさん。一つ聞いていいですか。」
「なんでもきいていいよ~。」
私はコハルさんが帯を結んでいる時にふと話しかけた。
「どうして外行きの服装が着物なんでしょうか。」
「ああ、こっちではね、基本寿命がないのよ。だからいろんな意味でものが変わらないで、融合していっちゃうのよ。あとで外に出るけど、その時に見たら意味が分かると思うよ。」
コハルさんは手元を見ながら答えた。
私はとりあえず「そうなんですね。」というだけしかできなかった。
この後、私はコハルさんに色々と結び方を教えてもらいながら、少しずつ様にしていった。数十分かかって着替え終わった。着付けの勉強はしとくものだと、ひしひしと感じた。
着替えを終えて、リビングに戻ると、そこには寝転がっているムラタさんがいた。
「おう。終わりました?さくらさん、きれいじゃないですか。」
ムラタさんはクルッとこちらに体ごと向ける。
「そ、そうですか。」
私はそう言うと、自分の袖を持ち上げてみてみる。
普段着なので派手さはないが、普段着ない分、新鮮に感じる。言われると恥ずかしいが、少し口元がゆるむのが分かった。今思えば、こんな感情もいつぶりだろうか。
「いやー、すごく写真を撮りたいわ。」
「ムラタ君、不用意にそんなこと言うもんじゃないよ。こっちも最近厳しいんだから。」
ムラタさんがそんなことを言うと、すかさずコハルさんが割って入ってきた。
「へいへい。レディー、レディー。」
仲がいいのか、悪いのか。
私も、そんな関係だったらよかったな。
ムラタさんの絡みもひと段落したところで、ツトムさんがムラタさんに話しかける。
「今、何時だ?」
ムラタさんは腕を一回上げてから、腕時計を見る。
「ん~三時くらいかな。」
「もうそんな時間か。」
「昼が遅かったからね。何か用事あったの?」
ムラタさんはまた向き直る。
「国庁にいって色々と彼女の手続きがしたかったんだけど。」
「そうか、申請がいるのか。でもこっからだったら汽車のってだろ?」
「間に合わんな、今日は。まあ、明日でもいいから、いいか。」
一体何の話なのか。私に関することのようだが。
私もきいてみないと。
「あの、私ってどこかいかなきゃいけないんでしょうか。」
すると、ツトムさんが答える。
「ああ、まだ正式にこっちに来たわけじゃないから、ってこの話してなかったな。」
「いや、私がしといたよ。一応、ね。」
そういってコハルさんは私の方に目配せする。
「は、はい。全部は分かってないですけど。」
「そうか。じゃあ、いいか。いや、君は正式に来たわけじゃないから、仮証明書を発行しないといけないんだよ。」
「そうなんですか。」
「決まりだからね。役所が面倒くさいのはこっちも向こうも変わらんもんよ。」
ツトムさんは皮肉っぽく笑って言った。
「さて、どうしようかな。今日やることなくなったな。」
ツトムさんがそうつぶやくと、コハルさんが何かを思い出したように「あっ」といった。
「井村さんとこ行くっていう話だったわよね。どっちにしても彼女の服がないわ。」
ツトムさんも思い出したように言う。
「ああ、そうだったなあ。そうか。じゃあ、そっちに行くか。話はつけてあるのか?」
「ええ、だから行くだけ。」
井村さんというのは服に関するらしい。
もしかしてさっきの着物の袋の呉服屋さんのことだろうか。確かに今の私には何もない。全部おんぶにだっこしてもらって申し訳ない。
「じゃあ、先にそっちに行こうか。いいかな。」
ツトムさんはそう私に聞いてきた。
「は、はい。」
私はとりあえずそう返事をしておいた。
それにしても、私は一体これからどうなるのだろうか。コハルさんが言っていた決めることは結局どういうことなのだろうか。ひと段落するとそんな疑問がたくさん浮かんでくるのだった。