受動的自殺をする僕と夢にいた少女のマッドエンド
真夜中。
自宅。3階の自室。
暗く、ほとんど何も見えない状況で、規則的に、いつものほうに足を運ぶ。
僕は3階の窓のサッシに腰掛ける。
今日も今日とて、現実という絶望に対して、希望を求めるように死にたいと思う。
だけど、能動的に死ぬことは人間として抵抗の絶対値が高い。だからこそ、なるべく受動的に自殺する――少し風に当たりたいという嘘の理由でサッシに座っている。
太ももから足先はすでに家の外側にあり、支えは何もない。
この状況なら、強風に晒されれば身体のバランスを崩し死ぬかもしれない。あるいは眠くなり、意識が飛んで前かがみになり、落下して死ぬかもしれない。あるいは誰かが僕の姿を見て驚き、急に大声で叫んで僕はそれに驚き、落ちて死ぬかもしれない。
死ぬ。
冷静に考えれば怖いのだろうが、真夜中のこの時間帯は冷静さを欠き、矛盾だらけの行動を取る。
「…………」
実際のところ、死にたくないのだろう。だけど、現実に嫌なことがありすぎて、今この瞬間を、現実ではない時間に――それこそ夢のような時間にして、現実を忘れている。
夢。そう、これは一時の夢だ。死にたいという願望があと一歩で叶ってしまうかのような、そんな夢を僕は見ている。
夜が明ければそんな気は失せるというのに。
寝るか。
そう思って踵を返そうとしたとき、夜闇の中に光が現れた。
車のライトかと空見するほどの小さかった光は、大きく、大きく光り輝き、僕の視界は光で埋めつくされた。
あまりの眩しさに、平衡感覚を失う。
ゆえに、落ちた。
光は消え、時間は遅く、されど確実に時は進む。走馬灯だろうか? 20年も経っていない人生の、過去の出来事が高速で映像化されながら切り替わっていく。これが走馬灯なのだろうか。
その走馬灯に見知らぬシーンがあった。
白髪で透き通る白い少女がいた。少女は一面草原だらけの場所で大樹によりかかりながら、木陰のもと、僕に笑顔を見せていた。
――存在しない記憶だった。しかし存在すると思えるほどの、脳が焼き付かれるほどインパクトある走馬灯。
その鮮烈な映像は有象無象の映像とともに流れ去っていく。
僕はその走馬灯に違和感を覚えつつも、落下していく現実で、身体に恐怖が刻まれる。
平衡感覚を失っていたからか、頭から落ちていた。
間違いなく、ただでは済まない。
きっと死ぬのだろう。
ああ、死ぬのか。
人生、こんなものだった。
主役にも脇役にも補佐役にも、全ての役になれず、がらんどうの日々。後悔だらけで、何ものにも代え易い人生だった。
そのまま僕は意識を――
「意識を失うのは現実よ。つまり今は夢よ」
「え?」
隣に白髪の少女がいた。走馬灯で見たあの少女だ。
白い無地のワンピース姿。手足の細く、華奢と断言でき、しかしながら可憐な少女。
あまりの現実離れした透き通ったきれいさに、てっきり死んで地獄に落ちて少女に会ったのかと思ったが、そんなことはなかった。
辺りを見渡しても、なんら日常と様変わりなしの風景だった。なんなら、僕は自室3階の窓に腰掛けたままだった。
少女はおしとやかに笑いながら、僕を凝視していたようだが、僕はそれどころではなかった。
死んだと思っていたが、生きていた。その現実が、あまりに意味不明すぎた。
「君は現実逃避の中でも自殺したいなんて馬鹿なの?」
「夢? 今のが夢だったのか?」
正直、夢という感覚は全くなかった。自殺しようとしているのは、ルーティンのように毎日してると言ってもいい。それが夢などと、僕は心底信じられなかった。
「そうよ。夢じゃなきゃ、貴方は本当に死んでるところ――いえ、少し語弊があるわね。夢だからこそ、死んでもいいやって思ってたんでしょうね。愚鈍さんは自殺する勇気なんてないんだから」
なにかこう、神経を逆撫でるのが非常に上手い奴だった。
透き通った肌と白髪。手を膝にちょこんと置き、如何にも優等生のような佇まいのまま、僕を愚かしい存在として見下して話す。
「でもね、愚鈍さんにも生きたい理由の一つや二つあるはずよね? だから、なるべく適当かつテキトーに生きて、人生を楽しんだほうがいいとは思うよ。夢でも自殺するなんて、それこそ何も楽しくないんじゃない?」
「……人生って本当に楽しいことなんてあるのか?」
僕の正直な感想だ。
生きたい理由は少しある。ほんの少しだ。
ただ、そんな生きたい理由を捨ててもいいくらいには、人生は楽しくなく、それどころか苦しいことだらけだ。
勉強も突出した成績はなく、スポーツもイマイチな成績。同級生からいじめられ、オマケに先生からも無視される始末。
ゲームが多少楽しいくらいで、だけどそんなのは嫌な出来事に勝ることはない。
ほら、やっぱり人生なんて楽しく――
「楽しいことはあるよ。視野は広く持つべきよ。今だって、死にたい理由を思い出しているだけで、私との話で死にたくなっているわけじゃないでしょ?」
「まぁそりゃあ、初対面の君と出会って、死にたいと思うのはよく分からないよ」
正直な気持ちを語ると、少女は、ニッと笑いかける。
「そう! 愚鈍さん、貴方は死にたいってことだけを考えちゃってるのよ。もっと、別のことで自信を持ったほうがいいわよ。そうね、例えば、私と付き合うなんてのはどう?」
「え?」
あまりにも突拍子もない言葉に、僕はその場で固まった。
付き合うというのは恋人同士での交際の話だと思ったが、しかし、少女が何か伝え間違えをして、挙げ句、僕が変な解釈をしているのかもしれない。
「ね? どうかな?」
妖艶な笑みを見せながら少女は顔を近づける。
あまりにの近さに僕は思わずのけ反って、部屋の床に落ちてしまった。
少女は、本気で僕と付き合おうとしているのだと理解した。
少女はサッシから降り、僕の部屋の中で、僕をじっと見て、笑顔を振りまいて、僕の口元を見て、今か今かと返答を待ちわびていた。
付き合う。
高校生活の今まで、一度もしたことがなかった。なんなら、イジメられすぎて、そんな高校生の当たり前にある『彼女がほしい』などと言った感情が心の奥底にしまい込まれていた僕の感情は、今まさに復活というべきか、急速に恋心が湧き上がってきた。
少女は僕よりも年下だと思う。どこか大人びたくなりたくても、口ぶりから、口の悪さの直球性から、少女は少女なのだとわかる。年齢差としては3歳差くらいだろう。
だからこそ、別に付き合うのはやぶさかではなかった。
彼女は言動こそうざったいところはあれ、僕のようなやつを気にかけてくれている。何より、少女がいなければ、このネガティブにネガティブを重ねた結果、再び自殺しようとしていたのかもしれない。
自殺することばかり考える人生だったが、少女と出会って心が軽くなった気がする。
「いいよ。付き合うよ」
それまで頭の中で否定した考えはすっ飛び、結論をそのまま口にした。
「ありがとう。これからよろしくね!」
少女は、まるでそれが予定調和かのように特に驚かず、けれど笑みを浮かべた。
「じゃあ、聞けたいこと聞けたし、別の場所に移動しよっか」
少女にいわれ、少女に流されるまま、僕の部屋をあとにする。
「どこに行くんだい?」
玄関を出て、鍵を閉めながら僕はそう問う。
「そりゃあ楽しい場所よ。だって折角付き合えたんだから、面白いことしないとね」
付き合っていきなり面白い場所などと、漠然とした話に、僕は具体性を見出したくなってしまうが、それは少女が今からその正体を明かしてくれるのだろう。その問いを直接するのは憚れた気がしたため、グッと堪えて、少女とともに歩いていく。
真夜中の道を僕と少女で歩く。……あれ? 何かおかしくないか?
「どうしたの?」
「いや、何かこの状況がおかしくてね」
そう。何かおかしい。何がおかしいのか、僕の頭の中がふわふわしており、イマイチ結論が見いだせない。
「別におかしなところなんてないんじゃない?」
しかし、少女の発言を聞くと、確かにおかしなところはないのかもしれない――そういう考えに陥っている感覚がある。
果たして、どちらの感覚が本物なのか、自分自身でさえ分からない。
だからこそ、別にこれ以上深く考えることはしなかった。
今から僕は少女……否、彼女とデートをするんだ。
そして彼女とともに歩き、着いた先は病院だった。
「なんでここなんだ?」
よくある総合病院だ。いや、僕は総合病院に入ったことなど皆無だったから、10階をもゆうに超える高さ、学校のグラウンドが小さく思えるほどの広大なこの病院が、普通の総合病院なのかは分からない。
まぁ、それは些事な話で。
本題は、なぜ彼女がこの場所を選んだのかだ。
「実はね、君に話し損ねたことがあってね」と、彼女は悪びれもなく話しを続ける。
「私はね、入院中の身なのよ」
「入院中の身でって……それは大丈夫なのか?」
純粋な心配をしてしまう。
つまり彼女は入院するほどの病を患っておきながら、夜に病院を飛び出し、僕の家まで来たのだろう。
……僕の家まで?
「それは大丈夫よ。だって、今は夢だからね」
「ああ、そういえばそうっだったね」
そうか、そういえばこれは夢か。だったらまあ、何かと齟齬はあった気がするけど、別におかしくはない。
「それじゃあ行こっか」
彼女に言われるがまま着いていき、そして着いた先は、
「ここは病院の屋上だよね?」
「うん、君にこの景色を見せたかったんだ」
彼女がそちら側――金網さえもない外の景色を見て、僕も彼女の言葉につられて、そちらを向いた。
圧巻といえるほど、素晴らしい景色だった。
山から見下ろした景色と同様なのだろうが、街並みと山の近さではなく、街並み内にある建物の屋上から見ているため、光り輝く街並みが広大に続いていると分かる。
この病院は、僕たちの住んでいる街から見たら、それこそかなり高さのある病院だった。だからこそ、ここまでの絶景が見ることができるのだろう。
「綺麗だ」
「そうね。月もきれいですね」
「え」
それって――
「あはは! ホントに分かりやすいね」
彼女は僕をからかうように笑う。
「だとしても、そんなに笑わないでくれよ」
顔を赤くしながら僕は反論した。そんな反論はむなしく全く意味がないように、彼女は笑い続けた。
彼女は「はー笑った笑った」と涙をこぼしながら続けた。
「私ね、この景色が見たかったの。だけど現実じゃあね、入院している身だから見られなかったのよ。ありがとうね」
「僕もこんなにいい景色が近辺にあること知らなかったよ」
これは、この景色は自殺を考えていた今までの僕には全く見ることができなかった景色だ。ただ一つの、死にたいけど死にきれないこんな中途半端のいくじなし――そんな状態の僕であれば見に行こうとも考えないし、さらにはこの景色が頭に入らないほど気が滅入っていて、この景色に先ほどの感動は感じられなかっただろう。
と、そこまでの感想があって、同時に視野が広がった僕は思うところがあった。
「話は変わるんだけど、これって夢なんだよな?」
「うん、夢だよ。それがどうかした?」
確認して、だからこそ疑問に思うことがあり、素直に口にする。
「僕の夢だと思うのに、どうして君がいるんだ?」
夢の中だからということで様々な矛盾はある程度なあなあにできた僕ではあったが、この状況で最も気がかりなのは、彼女がなぜ僕の夢の中で自由に――僕の予想だにしない行動、及び意思を持っているのかだ。
彼女は夢で現れたものの、明らかに僕の意思で現れた人でもない。走馬灯で会うまで彼女のことは知らなかったし、何よりも、この夢は少しばかり明確性が高い。移動を無意識でできるというよりかは、多少意識しないと移動できない。
彼女は少し逡巡して何かを思っていたようだったが、決心したらすぐに言葉にした。
「気づいたんだね。そうだね、分かりやすくいうなら夢遊病の逆、かな。夢遊病は知ってる?」
「……知ってる」
知っている。夢遊病は、寝ている人が自覚症状なしで行動――勝手に歩き出したりすることだ。
だからこそ、イマイチ分からない言葉があった。
「夢遊病の逆?」
「寝ていない人に仮初の夢を見せる。それが私なのよ」
夢遊病が寝ながらも現実で行動を取るなら、その逆は寝ずに夢で行動を取る。そういうことだろうか。
「それ、超能力じゃない?」
「超能力というか病気よ。夢操限死病って言われているわ」
「夢そうげんし病……病院にいる理由ってその病気のせいか?」
「それもあるわね。この病気があるから人との接触は基本的には禁止されている。相手に触れたら、私が夢に介入していろいろできちゃうからね。夢の中だとしても、それはあまり気持ちがいい行為ではないからね」
「え? 触れたら?」
彼女の発言がよくわからなかった。
彼女に触れる。それはこの夢の中では何度もあった。
だけど、現実で彼女に触れたことは一度もないはずだ。少なくとも、僕の記憶には存在しなかった。
彼女はキョトンとしていたが、やがて得心がいったかのように何かを思い出し、僕の疑問を解消するようにいう。
「自殺してる人間に限ってなら、触れずに夢に入ることはできるわよ」
「何言ってるんだ……。僕は君に助けられて、自殺しなくてここまで来たんだ――」
「それは夢の中での話でしょう?」
「いや、夢の中で助けられたかは置いといてくれ。僕は自殺なんてしたくもなくて、そして実際に自殺なんてしてない――」
「自室から飛び降りて死んだことが確定しちゃってるわよ。だから私が貴方の夢に入れたのよ?」
「何を言っている? 僕が自殺しようとしたとき、あのときは夢だっていってたじゃないか」
「真実を話したら、絶望していて心を助けられないことに気づいたわ。過去、そういう人は多かったからね。だから、私は仕方なく嘘をついたのよ」
「嘘だ」
「その嘘はごめんね。私は、貴方が幸せな状態で天国に行けるようしたかったんだけど――」
少女の言葉を何も理解できない。
少女の言葉を何も理解したくない。
少女の言葉を何も考えたくない。
少女の言葉を何も聞きたくない。
少女の言葉を何も聞かなかったことにしたい。
「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
「ごめんね、この言い方は駄目だったみたいね。私、せめて自殺する人の心くらいは助けて天国に行ってほしいんだけど、人の心がよく分からない病も持ってるのよね。ただね、愚鈍さん。貴方と一緒にいた時間は楽しかったわよ。ありがとうね」
目の焦点は十分に合わず、
しかし小さな光が発光し、
その光は大きくなって、
光で埋め尽くされた。
目覚めた現実で、
世界は反転していて、
僕は落下していて、
そのまま意識を失っ――
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「私、自殺する人の心を助けたいけど、なんかこうなっちゃうのよね。今度こそ、自殺する人の心を救えるように頑張らないと!」
少女は病院の地下、窓も何もない部屋で、冷たい壁に寄りかかりながらそういった。
これは僕が少女と邂逅して立ち直り、僕が自殺しただけの物語。