第7話 銀貨1枚に夢を託して③
◇◇
「ねえ、リオ。本当に大丈夫なの?」
食堂を出てしばらく歩いたところでミレーヌが心配そうに問いかけてきた。
俺は足を止めずに答えた。
「さあな」
「えっ? どういうこと?」
「勝てるかもしれないし、負けるかもしれない、ってことだ」
「勝てる見込みがないのに勝負を挑んだの!?」
ミレーヌが呆れたように目をパチクリさせている。
ビリーもまた不安げだ。
「ミレーヌはこの町に着く前に言ってたよな?」
――せっかく私には私しかない能力があるんだもの。それを使って楽しまなきゃ損でしょ?
「うん。確かに言ったけど……」
「俺にしかない能力を使って楽しまなきゃ損ってもんだ。それに勝つのが分かっている戦いを挑んでもインチキなだけじゃないか」
「何よ、それ……」
ミレーヌの表情がわずかに曇る。
これまでの天真爛漫な姿は影をひそめ、自信なさげにうつむいた。
ボロボロの剣を修復したところで、武器としての性能はたかが知れている。それを私に託されても……。
そう言いたいけど、ビリーを前にはっきりと口にすることはできない、といったところか。
「心配するな。俺たちならやれるさ。だってあのレッドドラゴンですら怯ませたんだぜ? それに超一流ってのはな。逆境を楽しむもんなんだよ」
俺がそう言い放つと、ミレーヌは目を細めながらニコリを笑顔を作った。
「うん! そうね!」
うむ。やっぱりミレーヌにはこの笑顔が似合うな。
爽やかな風が通り抜けたような心地だ。
やってやるぞ、という気持ちが強くなったところで、ビリーに話しかけた。
「さてと。じゃあ、案内してもらおうか」
「えっ? どこへでしょう?」
「おまえの家に連れていってくれ」
「え、いや……うちは、その……きたないから……」
ビリーが露骨に嫌がっている。
だが彼の家を訪れれば『推測』が『確信』に変わると信じている。
俺は彼の両肩を掴んで、力強く言った。
「いいか、ビリー。この武器を『完成』させるんだ! そうすればこの勝負、絶対に勝てる!」
と――。
◇◇
王都にも貧民街はある。
というよりも、大きな都市ならどこにでもあるものだ。
だが存在自体は知っているものの、多くの人はその実態を知らないのが現実だろう。かく言う俺も同じだった。
クロスマーケットの外れにある貧民街に足を踏み入れた瞬間、まるで異世界に迷い込んでしまったかのような衝撃を覚えた。
暗く、あちこちにゴミが散乱し、ネズミが駆けまわっている。
多くの人が路上に座り込み、俺たちをまるで怪物を見るような目で見ていた。
ここは一度はまったら二度と抜けられない沼だ。
泥が口や鼻の中に入り、息ができなくて苦しくても、誰も助けてくれない。
そんな悲惨な場所のように思えてならなかった。
「……ここが僕の家です」
ビリーに案内されたのはいかにもすぐに朽ちてしまいそうな、木造の家だった。
それでも『家』になっている分、他と比べるとまだましか。
彼の妹と思われるやせ細った少女がいたが、俺たちを見るなりどこかへ姿を消してしまった。
「ちゃんと整理されているわね。素晴らしいわ」
ミレーヌの言う通りだ。
外の様子さえ知らなければ、一般的な家と何ら遜色はない。
兄妹の意地というか……「貧困に負けないぞ」という強い意志みたいなものを感じる。
「あの……。ところで何をするつもりなんですか?」
「そうよ。リオ。理由もなくお宅を訪ねるなんて失礼よ」
「理由ならあるさ。ええっと……。なあ、ビリー。親父さんの持ち物は残っているか?」
「えっ? ええ、こっちに……」
案内されたのは家の奥にある物置き。
ビリーの父が使っていた仕事道具がそのまま放置されているらしい。
「親父がいつでも鍛冶の仕事に戻れるように、と思って、ここだけはそのままにしておいたんです。まあ、結局は無駄になっちゃったんですけどね」
たしかに様々なものが雑多に置かれていて、ここだけは違った家を訪れているかのようだ。
だが、いや……だからこそ、ビリーの父親がまだ生きていて、夕方にはひょっこり戻ってくるのではないか、と錯覚させるようなリアル感が漂っている。
「ねえ、リオ。いったい何を探しているの?」
「口で説明するよりモノで見せた方が早いからな。ちょっとそこで待ってろ」
ガラクタの山の中をかき分けて探す。
すると部屋の隅に『設計図』が置かれているのが目に飛び込んできた。
「あった! やっぱりそうだったのか!!」
ミレーヌとビリーが目を大きくする中、俺は早くも次のことに頭の中を移した。
「じゃあ、今度は鉱石を売買している商人のところへ行くぞ!」
そろそろ冒険者たちとベレス・ガープの戦いは始まっている頃だ。
そう易々と討伐されてしまうようなモンスターではないが、のんびりするつもりはない。
ビリーの家を出た俺たちは貧民街を抜けて、市場の方へと戻っていった。
◇◇
剣――そう一口に言っても、様々なタイプがある。
片手で扱える『短剣』はもっともオーソドックスで、市場によく出回っているものだ。
鍛冶師としては少ない素材で済むから、比較的手軽に作れる。
だがその分、『攻撃力』という意味では、他の武器に比べると劣るのは無理もない。
『耐久性』に優れるが『切れ味』に難のある『銅』であればなおさらだろう。
だが剣は剣でも『グレートソード』では性質がまったく異なる。
『グレートソード』とは両手で持つ幅広で刀身も長い、大きな剣のこと。
『斬る』というよりは『叩く』に近い攻撃が特徴だ。
そして何よりも『短剣』と比べれば、攻撃力が桁違いに高くなる。
「つまりビリーのお父様が作ろうとしていたのは『グレートソード』だった――リオはそう言いたいの?」
「ああ、そうだ。実際にグレートソードの設計図がビリーの家に残されていたしな」
「ならどうしてビリーのお父様は『短剣』を作ったのかしら?」
「お金だよ。『グレートソード』を作るにはそれなりに金がかかる。けど、その金がなかった。だから『短剣』しか作れなかったんだ」
ビリーにしてみれば情けないことだ。彼の顔がわずかに歪む。
だが話はまだ終わりじゃない。
「けどな。物置の中には使われていない銅の塊があちこちにあった。つまりビリーの親父さんは武器を完成させようと必死に金を貯めては銅を買い集めていたってことだ」
「えっ……!?」
ビリーがハッとなって目を丸くする。
「俺の見立てでは、あと『銀貨1枚分』の銅があればグレートソードを作れるだけの量は集まるな」
「そんな……」
――あいつがたった『銀貨1枚』欲しさに死んだせいで、僕とローザはこんな辛い目にあっているんだ! きっとその『銀貨1枚』だって、酒場で使うつもりだったに違いない。
吐き出した父親への憎悪が、今のビリーの頭の中によみがえっていることだろう。
そしてその憎悪に無数の亀裂が走っているに違いない。
「親父さんはな。無茶をしてでも叶えてあげたかったんだよ。ビリーの夢を」
俺はてのひらに銀貨1枚を乗せたまま、彼に右手を差し伸べた。
「さあ、こいつで親父さんの……いや、ビリー自身の夢の続きを叶えるんだ」
「僕の……夢の続き……。ううっ……。うわああああああ!! 親父、親父!! ごめんなさい!! うああああああ!!」
ついに堰を切ったように泣き出したビリー。
ミレーヌが彼の背中を優しくさする。
そうしてしばらくしたところで、ビリーは震える手で俺の右手を握った。
その力は俺が思っていたよりずっと強かった。