第26話 グラスターのキング①
◇◇
ミレーヌはこの日も上機嫌で風呂場に入った。
ブロンドの長い髪を洗い終えたところで、侍女のモリーが「お背中を流します」と、メイド服姿のまま入ってくる。
ミレーヌは「うん、お願いね!」と明るく返事をした。
モリーはミレーヌの透き通るような真っ白な背中を、蒸したタオルで優しく拭きながら問いかけた。
「お嬢様、今日は一段と嬉しそうですね。もしかしてリオ様との間で何か進展があったのですか?」
「うふふ。実はそうなの!」
「まあ! ど、ど、どんな進展でございますか? もしかしてお二人はあんなことや、こんなことも……!?」
「あんなことやこんなことが何なのか分からないけど、私たちついに『Bランク』に昇格したの!」
「そっちでしたか……」
モリーはあからさまにガッカリしたように声の調子を落とす。
しかしミレーヌはまったく気にしていないようで、ますます声を弾ませた。
「目指すは『Sランク』よ! そしたら世界中を許可証なしで旅できるようになれるの! すごいと思わない?」
どの国も国境を越えるには『許可証』がいるが、Sランク以上の冒険者は免除されるのだ。
「すごいですね……。って、そういうことですか! お嬢様はリオ様と海外旅行をしたいのですね!」
「うん! 色んな国を飛び回りたいわ!」
「はぁ……。海外でハネムーンなんて素敵ですわ。私もしてみたいですぅ」
「ふふふ。世界の辺境にはまだ見たこともないモンスターが潜んでいるはずだわ。ああ、楽しみ!」
相変わらずまったく話のかみ合わない二人だったが、互いにうっとりした表情に変わりはない。
背中を流し終え、湯船に向かうミレーヌを見て、モリーは何か思い出したように言った。
「そう言えば、グラスターには『Sランク』の冒険者がいないと、この前ラナさんがおっしゃってました。ですからお嬢様が『Aランク』を目指しているとなれば、否が応でも目立ちます」
「それがどうしたの?」
湯船につかりながらミレーヌが小首を傾げる。
「グラスターは大きな町ですが、それでも王都に比べれば田舎です。目立つよそ者に対しては、厳しいところもあるでしょうから、お気をつけください」
「うふふ。モリーは気にしすぎよ」
「だといいんですが……。では私はここで失礼します」
「うん、ありがとう!」
「いえ、ではごゆっくり」
モリーがその場を後にしてからも、ミレーヌは幸せな気分で風呂の時間を堪能したのだった。
◇◇
ミレーヌがBランクに上がってから、10日が経った。
……が、経過は思わしくない。
今日も俺とミレーヌはギルドのカウンターまでやってきたのだが、ラナが心底申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。今日も『Bランク』のクエストは全部、他の人が受けちゃってぇ……一つも残ってないんです」
「あら? クエストが残ってないのはラナちゃんのせいじゃないわ。だから謝らないで! 私たちなら平気よ。Cランクのクエストだってかまわないんだから」
ミレーヌに励まされて、ラナが表情をやわらげる。
だが俺は納得がいかなかった。
なぜならAランクに上がるためにはBランクのクエストを何回かクリアする必要があるからだ。
このままではいつになってもAランクに上がれない。
「待て待て。それは困る。どうにかならないのか?」
ラナが再び顔を曇らし、シュンとなる。
彼女のことをかばうように、ミレーヌがむくれた。
「リオ! 無茶を言う殿方はモテないと聞いたわ」
「ふん。無茶なもんか。絶対に何か理由があるはずだ。自分のランクに合ったクエストを受けられないなんて聞いたことないからな」
「王都とグラスターでは違うかもしれないでしょ」
ミレーヌがそう返したところで、背後からだみ声が聞こえてきた。
「だったら王都に帰ったらどうだい? お嬢ちゃんよう」
振り返ると、灰色のゴツイ鎧をきた短髪の男がニヤニヤしながら俺たちを見下ろしていた。歳は俺より少し上だろうか。ガタイがやたらいい大男で、鎧の上からでも筋骨隆々であることが分かる。
そして彼の後ろには4人の男女。いずれも風貌からして冒険者だ。
「この町が気に入らねえんだろ? だったら早く帰れや」
「そうだ、そうだ。よそ者が調子こいてんじゃねえ!」
「あんたたちの居場所なんかこの町にはないわ!」
「帰れ! 帰れ!」
あからさまな敵意が俺たちに向けられている。彼らの腰には冒険者のバッジ。色からして全員Aランクか。
「ああ、なるほどね……。そういうことか」
クエストは自分のランクよりも低いものは、優先的に受けられる。
自分のランクに合ったクエストに比べれば、報酬は低いし、ランクアップにも影響しないので、冒険者にはメリットがない。
しかしクエストの依頼主にしてみれば、支払う報酬が同じなら高いランクの冒険者に頼んだ方が確実だし、ギルドにとっても冒険者が負傷する恐れか低くなるから都合がいい。
つまりグラスターにあるBランクのクエストは全部彼らが受けてしまうから残っていないのだ。
なぜか?
理由は明快。
よそ者のミレーヌをAランクに上げさせないためだ。
しかし人の悪意というものをまったく信じていないミレーヌにしたら、そんなことを想像すらしていないのだろう。キョトンとした顔で首を傾げた。
「どういうこと?」
俺は無表情のまま、目の前の鎧を着た男に目を向けて答えた。
「こいつらが俺たちのクエストを横取りしてるってことだ」
「え?」
ミレーヌが目を丸くする。
俺は自分の視線が自然と鋭くなっているのを感じていた。
「横取りとは人聞きがわりいじゃねえか。俺たちはルールを守ってクエストを受けてるんだぜ? 依頼主の期待に応えるためにな」
「ルール通り、ねぇ。俺には単なる『幼稚な嫌がらせ』にしか見えないけどな」
「てめえ、俺たちをバカにしてるのか?」
目の前の男の顔から笑みが消え、俺を睨みつけている。
……と、そこに割って入ってきたミレーヌが、とんでもないことを言ってのけたのである。
「ふふ。分かった! あなた、Aランクのクエストを受けるのが怖いのね!」
ちょっ……!
見るからに挑発に弱い相手に、なんてことを言うんだ!?
案の定、我に返った大男はミレーヌに怒声を浴びせた。
「てめぇぇぇ!! ふざけやがって!! こうなったら勝負だ!! 俺が勝ったらてめえらはこの町から出てってもらうからな!!」
眉をひそめたミレーヌは平然と返した。
「ごめんなさい。私、Sランクまで上がって、リオと一緒に世界中を冒険したいの。それまではこの町を出たくないわ。
それに倒す相手はモンスターだけって決めてるしね」
ああ……。
ミレーヌはなんで火を見たら油を注ぎたくなるのだろうか?
しかも悪意も嫌味もなく、無意識のうちに。
「なんだとぉぉ!? てめえ!!」
「エドガー、やめなさい!!」
カウンターから出てきたラナが二人の間に入る。
「売られた喧嘩から逃げるわけにはいかねえ!!」
いやいや、喧嘩売ってきたのはそっちだろ、と言いたくなるのをぐっとこらえる。
「あなた、こんなことしたくて冒険者になったの? 違うでしょ!」
ラナの制止も聞かず、エドガーと呼ばれた男は背負っていた大きな盾をかまえた。
どうやら鉄壁の防御を固める『重装歩兵』のタイプのようだな。
「うっせえ! ラナ! 俺はグラスターのキングだ! この町をよそ者から守るためなら何だってするんだよ!!」
――グラスターのキング? この国の王様は王都にしかいないはずだわ。
放っておけばそう言いかねないミレーヌの肩に手を置き、目を合わせて首を横に振る。そしてラナをちらりと見やった。
――ここは彼女に任せよう。
と合図を送る。
口をきゅっと結んだミレーヌは、大きくうなずいた。
お、ちゃんと分かってくれたようだ。
もうコンビを組んで数か月たつからな。
目と目を合わせただけで、俺の言いたいことは伝わるってもんだ。
……え?
ちょっと待て。
なぜラナの横に立って、エドガーと向き合ってるんだ?
すごく嫌な予感がする。
その予感はものの見事に的中した。
「エドガーさん。その心意気に感動したわ! 分かった。ここで勝負してあげる!」
ミレーヌが腰に差した短剣に手をかけた。
「へっ。なかなか話の分かるお嬢ちゃんじゃねえか。おもしれえ。だったらここで伝説を作ってやろうぜ。決闘だ!」
「望むところよ」
俺は慌てて二人の間にダイブした。
「ちょっと待て! こんなところで決闘を望むな! 伝説どころか黒歴史になるだけだから!」
俺がミレーヌを制し、ラナが「エドガー! 私の言うことが聞けないのぉ!?」とエドガーの分厚い胸を両手で押す。
「心配しないで、リオ。決闘の後には友情が生まれる、というのがお約束なんだから! これも仲良しになるための試練よ!」
「ラナ。止めてくれるな! 男には引いちゃダメな時が一生に一度はある。それが今なんだよ! 分かってくれるだろ?」
ダメだ。二人とも話にならん。
俺はちらっと他の4人に視線を向けたが、彼らはすぐにそっぽを向き、他人の振りをしだした。
あいつらめ……。
名もなきムカつくモブキャラで終わるつもりだな!?
「そこまで言うなら分かったわよぉ。ギルドが責任を持って、あなたたちの勝負を認めます! だからぁ、ここで暴れるのはやめてぇ!」
ラナの言葉にミレーヌとエドガーの動きがぴたっと止まった。
「ほう。ギルド公認の勝負か。いいねえ」
「うん、それなら文句はないわ」
俺の「勝負なんて馬鹿げたこと止めて、話し合いで解決しようぜ」という平和的な意見はまったくの無視に終わった。
こうして『グラスターのキング』ことエドガーと勝負することに決まった。
まあ、こういうのは白黒はっきりさせないと、いつまでも尾を引くからな。
きっちり勝って、実力でミレーヌのことを認めさせてやる!




