第2話 無双の貴族令嬢、出現!②
鎌のような鋭い目、研ぎ澄まされた巨大な爪、そして岩をも嚙み砕いてしまいそうな凶悪な口……。百戦錬磨の冒険者が束になっても討伐できない伝説のドラゴン――。
死を覚悟していたはずなのに、いざその瞬間が間近になると悟った瞬間に、恐怖が胸をすくう。
自然と立ち上がり、唯一の脱出口である扉の位置を確認した。
「距離があるな……」
今から逃げ出してもすぐに追いつかれてしまう。
「どうしたらいい?」
そう自問していると、ミレーヌが手にした『リオ・ブレード』が青白い光に包まれた。
「魔法剣か?」
魔法剣とは武器に魔法をまとわせることで、武器の攻撃力を増加させる戦い方だ。
しかし剣と魔法は対極の立場。
剣術に優れた戦士は魔法を使うのが苦手、というのがこの世界では常識だ。
だから魔法剣は『炎』や『水』といった『属性』だけを付与して相手の弱点をつくのだ。それくらいなら剣士でもトレーニングを積めばできるようになる。
ところが目の前の現象は明らかに俺の理解の範疇を超えていた。
リオ・ブレードを包んだ光は剣の2倍……いや3倍以上に長く伸びている。
「すごい魔力だな」
もしかして彼女は『魔術師』なのか?
だったら今の状況は納得できる。
しかし、そうなると剣をまともに振ることはできない。
魔法剣は剣術ありき。すなわち『剣士』として剣を使いこなすことができなければ、相手にまともなダメージを与えられない。
つまり魔術師が剣に魔力をまとわせただけでは、単にハッタリをかましているだけ、ということだ。
ところが彼女は違った――。
レッドドラゴンをギリギリまで引きつけ、剣の間合いに入った瞬間に、大きく左足を踏み出した。
「夢幻流。一乃型……『彗星』!」
上段にかまえた剣を下へ振り下ろす。
剣のスピードがあまりに早くて、まったく目が追いつかない。
「これが夢幻流か……」
『夢幻流』ーーはるか東方の孤島で生まれた伝説の剣術だ。高いランクの冒険者ですら習得した者はいないらしい。
それなのになぜ無名の女の子がそれを使えるんだ?
――ズガアアアアアアン!!
剣にまとっていた青白い光が『彗星』のように宙を翔け、レッドドラゴンの大きな腹にぶつかる。
「ギャアアアアア!!」
無敵の怪物とは思えないほどに俗な叫び声をあげたレッドドラゴンは、腹から真っ黒な血を噴き出しながらうずくまった。
「すごいわ……」
驚きをあらわにするミレーヌ。
なぜ彼女のことを知らない俺よりも先に驚くのだ?
いずれにしてもちょっと変な女の子であることは間違いなさそうだ。しかしそんなことがどうでもよくなるくらいの驚愕の光景を目の当たりにした。
剣の威力を数倍……いや数十倍にまで高める魔法の力。
その威力を余すことなく敵にぶつけることができる剣術。
その両方を兼ね備えているなんて……。
まさに『無双の戦乙女』と言ってもいいじゃないか!
この子と俺のリオ・ブレードがあればレッドドラゴンに勝てる!
あの『クソ野郎』ですらかなわないモンスターを倒せるだなんて!
「ははははっ! すごいな!! 君は天才だ!!」
しかし天にも昇るほどに上がった俺のテンションは、次の瞬間に奈落の底まで落ちた。
「あはっ! やっぱりダメみたい」
ペロッと舌を出しながらこっちを振り返ったミレーヌは右手を軽く上げる。
その手には柄だけになったリオ・ブレード。
「剣身がない……だと?」
「うん。今の一撃で木っ端微塵になっちゃった。てへっ」
「は……? もはや芸術と言っても過言ではないリオ・ブレードが『木っ端微塵になっちゃった。てへっ』だとぉぉぉ!?」
いったい本当に何者なんだ、この子は!?
目を点にして突っ立っていると、彼女は
「今のうちに逃げよう!」
と、俺の手を取ってフロアを出るドアに向かって駆け出した。
しかしピンチはまだ終わっていなかった。
「ドアが開かないわ!」
鉄のドアは押しても引いてもビクともしない。
まるで巨大な壁のように俺たちの行く手を阻んでいた。
「生き延びるにはこのドアをぶち破るしかなさそうだな」
冗談交じりに苦笑いを浮かべる。
しかしミレーヌは目を大きくした後、
「それよ!!」
とても嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
不謹慎だが、素直に「可愛い」と感じてしまった。
だが面食らっている隙に、ミレーヌは俺の腰から『もう一つの命』と言っても過言ではない商売道具のハンマーを抜き取ったのである。
「ちょっと! 待て! 何をするつもりだ!?」
当然、俺の制止など聞くつもりはなさそうだ。
彼女がぐいっと後ろに引くと同時に、小型のハンマーは青白い光に包まれる。
「夢幻流。十三乃型。粉砕!」
そしてミレーヌはドアに向かってハンマーをフルスイングしはじめた。
「せーのっ! ドーーーーン!!」
ミレーヌは俺の商売道具を大きく振り回して、固く閉ざされたドアを思いっきり殴りつけた。
――ズガアアアアアアン!!
強烈な爆発音がフロア中に響き、ドアにポカリと小さな穴が空く。
しかし俺の視線はずっと自分のハンマーに注がれていた。
この10年。いついかなる時も手元にあった。
苦しいことも、楽しいことも分かち合ってきた、言わば相棒だ。
そのハンマーが粉々に砕け散っていく――。
それでも不思議と憤りや悲しみは生まれなかった。
むしろホッとしている。
なぜならようやく決心がついたのだ。
これで鍛冶師を心置きなく辞めることができる、と……。
ミレーヌはそんな俺の感傷など気にせず、喜びをあらわにした。
「やった! これなら大人ひとりは通れそうよ!」
彼女は持ち手だけになったハンマーの残骸をポイっと投げ捨てて、ドアの穴に体を突っ込んだ。小さなお尻がプリっとこちらに向けられ、細い足がバタついている。
レッドドラゴンに深手を負わせたのは「たまたま」ではない。
彼女は『本物』だ。
夢幻流の使い手にして、極限の魔法力の持ち主……。
「一撃で武器を壊してしまう……【一撃必壊】の無双令嬢か。やっぱり君はすごいよ」
こんなとんでもない女の子の存在が俺の耳に届かなかったのは、彼女がまだ『駆け出し』のうえに「武器を絶対にぶっ壊してしまう」という、どうしようもない欠点があるからだろう。
鍛冶師である俺に対して、ギルドから紹介されるのは決まって『ハイランク』以上でかつ『まともな』冒険者だったからな。
そんなことを考えているうちにミレーヌは穴の向こう側へ通り抜けたらしい。
「ねえ! ボケっとしてないで、早くこっちへきて! そろそろレッドドラゴンが向かってくるわ!」
背後に目をやると、レッドドラゴンがフラフラしながら立ち上がっている。その目は真っ赤に燃えているのが分かった。
確かにのんびりしている暇はなさそうだな。
俺は彼女の言われるままに穴からフロアの外へ出たのだった。