第14話 勇気の行進⑤
◇◇
翌朝。
――クレアは安全なところで待機していればいいのよ?
ミレーヌは何度もそう言ったが、クレアは聞こうとしなかった。
彼女は村で採れた農産物を台車で引いて、隣町へ続く街道に入った。
クレアの引く台車を囮にしてゴブリンをおびき寄せる作戦だ。
クレアの前をピカピカのクワを担いだミレーヌがいく。
俺はクレアの右に、彼女の父カルロスは左にいる。
そして俺の手には収穫用の鎌。カルロスにとっては大事な農具だが、
――娘の命には代えられませんから。
と何の躊躇もなく差し出してくれた。
彼自身もスコップを手にしている。
もしミレーヌが怪我をしてクレアがゴブリンに襲われそうになったら、彼女たちを引っ張って逃げることくらいならできる……かもしれない。自信はないが。
「あはっ。リオ、なかなか様になってるじゃない。案外、ちょっと鍛えれば強くなるかもしれないわ」
後ろを振り返ったミレーヌが屈託のない笑顔を見せる。
そうか。様になっているか。ふふっ。
……って、違う。
「お、俺は戦うつもりは、これっぽちもないぞ!」
ミレーヌからふいっと顔をそらす。
すると村の大人たちが遠巻きに俺たちの様子をうかがっているのが目に入った。
村長のバルガスも苦々しい顔つきでこっちを睨みつけている。
――俺は何度も止めたんだ! 危険なことをやるなってな! それなのにコイツはろくすっぽ言うことを聞きやしない。だから死んでも俺のせいじゃないからな! 勝手にしろ!!
クレアがせっせと旅支度をしている間、バルガスが甲高い声で喚き散らしていた。
けど俺には「危ないから行くんじゃない!」としか聞こえなかったな。
その証にすごく心配そうな目をしているのが遠目からでもよく分かる。
彼は単なるツンデレだったということか。
さて……そんなどうでもいいことを考えているうちに、敵のおでましだ。
「ケケケ」
灰色の体に布の腰巻。尖った耳と大きな鼻。背は10歳の子どもくらい。右手には小型のナイフを持っている。
「前方に4体。それにボスね」
一番奥にいるボスだけは人間の大人よりも背丈があり、鍛え上げられた体に鉄の胸当てをしている。通称『ボスゴブリン』ってやつだ。
「どうだ? 倒せそうか?」
「あはっ! 倒せそう、じゃなくて、倒すのよ!!」
そりゃ、そうだ。
「さあ、かかってきなさい!」
ミレーヌがクワを構える。
1体のゴブリンがナイフを突き出しながら飛びかかってきた。
ミレーヌは「はっ!」という短い掛け声とともにゴブリンの一撃を柄の部分でいなす。
――カツン!
反動でゴブリンが両手を上げて大きくのけぞった。
ミレーヌはそこを見逃さなかった――。
「夢幻流。二乃型。天誅!!」
頭上に持ち上げたクワを垂直に振り下ろす。
青白い光に包まれた刃がゴブリンの脳天を直撃した。
ザクッ! という鈍い音。直後に刃が砕け散った。
ゴブリンはそのまま仰向けに倒れていく。
しかし……!
「ミレーヌ! 前!!」
渾身の一撃によってミレーヌに隙が生まれることを、残りの4体は分かっていたようだ。
「ケェェ!!」
一斉にミレーヌへ襲いかかる。
それでもミレーヌは慌てない。
腰を低くした彼女は顔を前に向けたまま、右手を俺の方へ差し出してきた。
「リオ!」
「ああ!」
鎌を手渡したとたんに、刃が青白く光る。
「夢幻流。三乃型。一閃!!」
ミレーヌは真横に鎌を振るう。
光を帯びた半円が衝撃波となってゴブリンたちを吹き飛ばした。
残るはボスゴブリン1体。
明らかに驚き、戸惑っている。
ミレーヌはカルロスに手を差し出した。
無論、彼が手にしているスコップを渡してほしい、という合図だ。
しかしミレーヌの圧倒的な雰囲気に飲まれっぱなしの彼は、ポカンと口を開けたまま、身動きが取れないでいる。
「カルロスさん!」
「は、はいっ!」
ミレーヌの鋭い一言でようやく我に返ったカルロスが、慌ててスコップを手渡す。
しかし、その一瞬の遅れが致命的だった――。
「えっ!? そんなぁ」
なんと両脇の茂みからゴブリンたちが次から次へと出てきたのだ。
ざっと数えても10体はくだらない。
スコップ1つでどうにかなる数ではない。
「ミレーヌ! 撤退だ!」
「嫌っ!」
ミレーヌは一歩も下がろうとしない。
ゴブリンたちが容赦なく彼女に襲いかかった。
それをミレーヌはスコップ1本でことごとくはじき返す。
だがはじき返すだけで、ダメージを与えることはできていない。
このままだとジリ貧だ。
俺はミレーヌからクレアに目を移した。
「クレア! 君が引けばミレーヌも引くはずだ!」
ところがクレアは退くどころか、なんと前に進み出したのだ。
「あの大きなゴブリンを倒せば、小さなゴブリンたちは去っていくはずです! だから大きなゴブリンのそばまで進みます! そしたらミレーヌさんが倒してくれますから!」
引き締まった表情からは一点の曇りも感じられない。
透き通った瞳からは悲壮な覚悟がうかがえた。
「どうしてそこまでやるんだ? 命が惜しくないのか?」
俺の問いに、彼女は青い空の向こうまで突き抜けるような声で答えた。
「私には何もできない。大好きな村を守るための力もない。厳しい冬を乗り越えるための知恵もない。だから『勇気』だけは失いたくないんです! たとえ目の前の現実が絶望的だとしても、私は負けたくない! だって村のみんなの笑顔が好きだから。たとえこの身が傷だらけになろうとも、前に進みたいんです!!」
ズンと胸に響く言葉だ。
つい先日まで、俺は生きる『勇気』すら失っていたからな。
くっそ……。
そんな風に言われちまったら――。
「キイッ!!」
ゴブリンの1体がミレーヌの隙をついて、クレアに飛びかかった。
「俺だってやるしかないだろーがよ!!」
怖いなんて感じる間もなく、俺はそいつに体当たりをかます。
右肩に鈍い痛みが走る。
ゴブリンは派手に吹き飛んだ。
……が、次は正面ではなく、右から別のゴブリンが飛び出してきた。
「うちの娘に指一本触らせるものかぁぁ!!」
大人しかったカルロスがけたたましい声をあげてゴブリンにタックルした。
クレアは顔色ひとつ変えずに一歩また一歩と野菜の入った台車を前に進めていく。
ゴブリンの攻撃はますます厳しさを増す。その数も20体くらいまで増えている。
俺の服はヤツらのナイフのせいでボロボロだよ。
隣のカルロスもシャツを血で染めている。
ミレーヌはいっぺんに10体以上を相手にしても息一つ乱れていない。
スカートをふわりと浮かせながら、華麗なステップでゴブリンたちを翻弄していた。
それでも限界はある。
ついにクレアの出足が止まり、俺たちは彼女を中心としてただひたすらゴブリンの攻撃に耐えるだけになってしまった。
「絶体絶命だな……」
「あはっ。『死中に活あり。あきらめたら死あるのみ』って師匠が言ってたわ」
「死あるのみ、かよ。シャレになんねえっつーの」
あきらめる、なんて微塵も考えちゃいない。
だがこの状況を打開する術がまったくないのも事実だ。
どうする?
このままだと本当に『死』あるのみだ。
……と、その時だった。
「うわああああああ!!」
「いけえええええ!!」
「クレアちゃんを助けるんだぁぁぁ!!」
村の大人たちが一斉にこちらに向かって駆け出してきたのである。
皆一様に顔を真っ赤にして、目を腫らしている。
さらに大事な農具を固く握りしめていた。
――ガッッ!!
ゴブリンの群れと村の大人たちがぶつかり合う。
「みんな……」
クレアの目から大粒の涙があふれ出す。
彼女はその涙をゴシゴシと袖で拭いて、引き締まった顔つきになって前進を再開した。
しかしいくら加勢が増えたからといって、劣勢なのに変わりはない。
すぐに前進が止まる。
中には傷ついて動けなくなってしまった村人も出始めた。
怪我人が出たことでクレアの顔が曇る。
悔しそうに唇を噛みしめた彼女の膝が震えている。
いよいよ撤退か……。
仕方ないよな。
ろくな武器もないのによくここまで頑張ったよ。
ん……?
待てよ。
逆に言えば『武器さえあればこの状況を打開できるかもしれない』ということか――!
イチかバチかだ!
こうなったらやってみるしかない!
死中に活あり、だ!!
「おい! みんな! 持っている農具をここに置いてくれ!!」
農具なしでゴブリンの群れと戦うのは危険なのは分かってる。
でも逆転のチャンスはもうこれしか残されていないんだ!
俺の気迫に押されたのか。
村人たちが農具を俺の足元に放り投げ、素手でゴブリンたちとの戦いに戻っていく。
「うぐっ!」
「ぐあああ!!」
傷つく人たちが増えてきた。
だが誰も恐怖におののくことなく戦いに挑んでいる。
バルガスの取り巻き二人も先頭に立って奮闘していた。
「負けるか!」
「もうゴブリンどもにおびえて暮らすのはまっぴらゴメンだ!」
クレアの健気な勇気の炎が村の大人たちの心の中で燃え続けている証だ。
ならば俺も負けていられない。
見せてやるよ!
『不壊の天才鍛冶師』と呼ばれた実力を――!




