第12話 勇気の行進③
◇◇
クレアは4人家族で、下に小さな弟がいる。
両親はとても温厚な人たちで、深夜の急な来客にもかかわらず、俺たちを温かく迎え入れてくれた。
弟もとてもいい子で、正直言ってクレアが彼らを置き去りにしてまで村を抜け出そうとした意味がよく分からない。
クレア自身も家のことをよく手伝い、家族との仲も良好だ。
もしかしたら他にも事情があるのかもしれない。別れた恋人がクロスマーケットにいるとか……自分で言うのも何だが下世話な邪推だな。
朝食を終え、丁寧に礼を言ってから旅支度をはじめたのだが、今日は空が分厚い雲で覆われている。
「雲行きが怪しいわね」
窓の外を見ながらミレーヌがぼそりとつぶやいた。
しかし雲行きが怪しいのは空だけじゃないようだ……。
破裂するような音を立てながらドアが勢いよく開いた。
杖をついた男が鬼のような形相で、ずかずかと家の中に入ってきた。
「カルロス! クレアはどこだ!? 早く、あいつをここへ引っ張ってこい! 昨晩も村を捨てようとしたと聞いたぞ! 今日こそはあいつを厳しく罰せねば、俺の村長としての面目がたたん!」
カルロスとはクレアの父親のことだ。
突然怒鳴り散らされて、どうしたらよいか分からずに目を泳がせている。
だが男はえらく短気のようで、椅子にドカリと腰をかけると、
「おい! 俺の言うことが聞けんというのか!!」
手にしていた杖でカルロスの肩をバシッとはたいた。
うわぁ……。絶対に絡まれたくないタイプだな。
歳は30前後か。着ている服からして貴族っぽい。
杖の素材も『木』ではなく、叩いた音からして『フェザー鉱石』という軽くて丈夫な高級素材。形状からして腕の立つ鍛冶師による特注品だろう。
だが、こんな辺ぴな村の村長をしているくらいだ。ならず者で実家を追い出された、といったところだろう。しかも取り巻きの男二人もコワモテで、いかにも喧嘩っ早そうな感じである。
赤の他人の面倒に巻き込まれるのはゴメンだ。
俺は気づかれないように、そっとリビングを後にしようとする。
しかし、ミレーヌはそのつもりがないようだ……。
「ちょっと、あなた。他人の家に無断で立ち入っておきながら、その主人に手を上げるなんて、無礼にもほどがありますわ!」
ミレーヌめ。
また自分から厄介ごとに首を突っ込みやがって!
俺は関係ないからな。
だからここは一人だけでコッソリ外へ……。
「なんだぁ? お前らは?」
あ、やっぱり俺の存在もバレてるよね。
かくなるうえは角が立たないようにしなくては。
「ああ、俺らは通りすがりの旅人――」
そう俺が言いかけたとたんにミレーヌが口を挟んだ。
「あら? 相手に素性を聞く前に、自ら名乗るのが紳士のたしなみではなくて?」
外は雨が降り始めている。風も強くなってきた。クレアの家の中も嵐になりかけていた。
「おい、小娘! 村長に何という口の聞き方を! この御方をどなたと心得る!?」
取り巻きの一人が声を荒げると、村長の男が胸を張って、あごを上げた。
だがミレーヌは眉をひそめた。
「辺境の村の村長――じゃないの?」
その答えにもう片方の取り巻きがブチ切れた。
「我が国屈指の名家、マゼンタ家の血筋を引かれる御方ぞ! 頭が高いわ!!」
「まあっ! あのマゼンタ家の!」
ミレーヌの目が大きくなる。
俺も正直言って、ビックリしたよ。
マゼンタ家と言えば、『三大名家』と呼ばれているほどだ。
数百年前から続く貴族の家系で、かつて国王の側近として辣腕を振るった当主もいたとか。今は政治や経済の表舞台に立つことはないが、それでも本家は王宮のすぐそばに巨大な屋敷を構えている。
「ふふふ。ひざまずいて頭を垂れたら許してやろう。そこの男もな。どうせお前らなんだろ? クレアを村の外に出るようそそのかしたのは」
マゼンタ家に逆らうことは、すなわちこの国の貴族の代表に向かって唾を吐くのと同じだからな。普通の人なら素直に頭を下げざるを得ないだろう。
きっと村人たちに対しても『マゼンタ家』の権威を振りかざして屈服させているに違いない。
簡単に言えば、クズな村長ってことだ。
けどな。
残念ながら俺は、もう失うものがないんだ。
かけられた泥は、きっちり倍にして返してやるぜ――。
「ああ、自己紹介が遅れたが、俺はリオ・ラクール。ちょっとした商売をやっててな。おたくの本家、セドリック・マゼンタ卿は俺の客でもあるんだ」
「んなっ!?」
本当は貴族に武器を作るなんて嫌だった。
どうせ部屋に飾って来客者に自慢するためにしか使わないのだから。
でも王都で商売をしていくには貴族たちと上手くやっていかないといけない。
だから週に1度は貴族の家に出向いて、新作の武器を納めるとともに、彼らの話し相手になってやるのが、『一流鍛冶師』のつとめなのだ。
「彼が苦々しい顔して教えてくれたよ。分家の三男坊にバルガスという『はみ出し者』がいるってな。そのバルガスとやらは戦場に娼婦を連れ込んで、敵の奇襲に気づかず、足を悪くしたらしい。今では杖なしではまともに立っていることすらできないそうだ。
さらに部下の兵たちが何人か犠牲になったらしくてな。彼の尻拭いのために莫大な金がかかったとか。
バルガスは一族の面汚しだから、辺境の村に飛ばしたのだ――と。いったい誰のことだろうな?」
村長の顔が真っ青になった。
やっぱりそうか。こいつがバルガス・マゼンタだな。
彼が何か言い出す前に、すかさず話に割り込んできたのはミレーヌだった。
「その話なら私も聞いたことがあるわ。あ、私はミレーヌ・ハネス。ハネス家の長女ですの」
彼女がスカートのすそを掴んで、ちょこんと頭を下げる。
「あのハネス家の?」という驚きの声がバルガスの口から漏れる。
腐っても名家の端くれか。王国一の豪商、ハネスの名を耳にしたことくらいはあるらしい。
「セドリック様には小さい頃から可愛がってもらってましたの。とても優しい御方でした。そんな卿が珍しく怒りをあらわにされて『バルガスのクソ野郎め! 杖を餞別に追い出してやったわ!』と大声を上げておられたのを、今でもよく覚えてるわ」
まるで懐かしい昔話をするように、にこやかな顔のミレーヌ。彼女は目の前にいる男がバルガスであることに気づいていない。
一方のバルガスは青い顔が白くなってきた。
じゃあ、ダメ押しといくか――。
「んで? 村長殿はいったい何者でしょう? 無知な俺たちにも分かるように、名を名乗っていただけませんか」
明らかに「ギクッ!!」と顔を青くしたバルガスは、ずりずりとドアの方へ退いていく。
するとそこに顔を泥で汚した少年がやってきて、場の空気にそぐわない明るい声をあげた。
「バルガス様! 昼ごはんの支度が整いました!!」
場がしんと静まり返る。
ミレーヌが「まぁ」と裏返った声を出して目を大きくする一方、バルガスは頬を引きつらせた。
俺は笑いをこらえるのに必死で、まともにバルガスの顔を見ることができない。
「あれ? バルガス様? 何か僕、悪いこと言いました?」
少年よ。あんたは悪くない。
あえて言えばタイミングと運が悪かったな――。
「てめえ! 呼ばれてもいないのにこんなところへ来るな!!」
顔を真っ赤にしたバルガスは手にしていた杖で少年をバシバシとはたく。
「うあああ! ご、ごめんなさい!」
少年が一目散に逃げていく。
それを追いかけるようにしてバルガスと取り巻きも去っていった。
少年が酷い目にあっていなければいいが……。
とりあえず難を逃れたのは確かだ。
すぐにキッチンで身をひそめていたクレアが母親とともに姿をあらわした。
全身震えており、顔は真っ青だ。
「もう大丈夫よ」
ミレーヌが優しい口調で声をかけると、クレアは涙ながらに一つうなずいた。
素直で、大人しくて、気が小さい――そんな彼女がどうして一人で村から逃げ出したのか……。ますます解せない。
「この雨と風だと旅に出るのは無理でしょう。娘を助けてくれたお礼と言っては何ですが、今晩もどうぞ泊まっていってくださらないか?」
俺たちはカルロスの言葉に甘えることした。
しかしその日の深夜……。
「クレアがいない!!」
クレアの母親の金切り声で、俺はベッドから飛び起きたのだった。




