秋よ鯉
我が名は、すみれ。
バイオレットの瞳を持つ飼い猫である。
飼い主は、苦労を重ねて一角の財を築いた実業家で、現在は、この鄙びた日本家屋で楽隠居している。
「このたびは、ぬさもとりあへず、手向山、紅葉のにしき、神のまにまに」
縁側で墨と硯を用意した飼い主は、菅家の和歌を諳んじながら、短冊に筆を走らせている。
「あーきのゆうひぃに、てーるぅやーまーもーみぃじ……」
塀の外では、小童どもが習ったばかりの歌を輪唱している。
これらの事象から自ずと導かれるように、季節は、すっかり秋を迎えているのである。
「おや。もう、学校が終わる時間か。では、餌をやるとするか」
飼い主は、よっこらしょっという掛け声とともに座布団から立ち上がり、居間の茶箪笥から袋を取り出した。
そして、口を留めてある目玉クリップを外すと、袋を持って庭の池の畔へと向かった。
「そぉら、餌の時間だぞ、もみじ」
袋の中から白玉のような麩を取り出すと、飼い主は鶏ガラのように骨張った手でカサカサと砕き、水面にバラ撒いた。
すると、その名の通り、楓の葉のような赤い模様を持つ錦鯉がのっそりと姿を現し、受け口をパクパクさせながら平らげていく。
その様子を、飼い主の温もりが残る座布団に丸くなりながら、じっと観察するのが、ここ何年かの日課である。
「おぉ。すみれにも、餌をやらんとな」
戻ってきた飼い主は、袋の口を留めて茶箪笥にしまうと、つっかけを履いて土間へと降りた。
そして、鍋と釜の中でスッカリ冷めて食べ頃になっている白米と味噌汁を、杓文字と玉杓子で皿に盛ると、縁側に戻ってきて我が鼻面の前に皿を置いた。
「さぁ、たんとおあがり」
この年寄りの頭の中には、キャットフードという概念がスッポリ抜けているらしい。
贅沢を言うとキリがないが、たまには猫まんま以外の餌にありつきたいものである。
内心で、そんな想いを秘めつつも、目を細めて美味そうに食べてみせる。
そうすることで、飼い主は安心し、頭や背中を優しく撫でてくれるからである。
さて。
腹が膨れたところで、密かな野望を告白しよう。
実は、今も視界の端で呑気に泳いでいる、あの「もみじ」を、いつかは我が臓腑に収めたいと考えているのである。
そのための計画も、入念に進めている。
まず、池の畔に陣取り、尻尾の先でチョンチョンと水面に波紋を広げる。
そうすれば、もみじは餌がバラ撒かれたと思って水面近くに浮かんでくるはずだ。
そこを、すかさず牙と爪でガブリとひっ捕らえ、地面へと引き摺り上げる。
フッフッフ。我ながら、涎が出るほど完璧な作戦である。
タイミングとしては、飼い主が餌をやり忘れた時が最良であろう。
腹が減って、池の鯉に目が眩んでしまったのだろうという理由付けが、容易に出来るのだからな。
そう思って、いつか餌を忘れやしないかと楽しみにしているのだが、あいにく、頭の方は、まだまだシッカリしているらしい。うーむ。
「うーむ、幸せそうな顔じゃな。何を考えておるんじゃ?」
気にするな、飼い主よ。取らぬ錦鯉の鱗算用をしてただけである。
それより、撫でるなら腹も撫でてくれ。ただし、古傷には触れるでないぞ。
あぁ、そこそこ。そこが気持ちいいんだニャーッ!