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出遅れ

作者: ダイチ

ジュンハオとジモは、都に住む独り身の兄弟であった。


彼らの家では、兄のジュンハオがいい加減に嫁をもらえと、両親にせっつかれ、 弟のジモががそれをとりなすがいつもの風景であった。


弟は、とても優秀な一家の稼ぎ頭だったが、実のところまるで恋愛経験のない初な男で、まるで子供のようにふるまう兄を見て、こいつよりはマシだろうと、自分を慰めていた。ところが彼はある日偶然、兄が女を抱きしめている場面に出くわす。 大変な衝撃を受けた彼は、慌てて恋人探しにいろいろな女性に声をかけるのだが…

「君子は義にさとり、小人は利にさとる」という。

事実、子供の恋はどこまでも、自分本位で恐ろしい。とはいえ、恋を知らねばいつまでも、大人になることは叶わぬもので…。


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ジモは天地がひっくり返る心地であった。


眼前の光景が現実のものとは思えずに、何度も目を擦ったが、網膜に映る像に何一つ変化はない。先程から脚は震え、その場から立ち去ることも叶わぬ。幼き頃、神童と称された頭にて、それを説明し得る理屈を何度となく打ち立てるものの、即座にその全てが否定された。


嫉妬か動揺か、それとも焦りか、内から溢れる複数の気が、彼の許容量を越えたところで、ようやく這々の体でその場から逃げ出した。


「兄者が女を抱いておった…」


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俊豪ジュンハオと李 子墨ジモは、ある農家に生まれた4つ歳の離れた兄弟であった。


兄は昔より外で駆け回ることをひたすらに好み、体中を擦り傷だらけにしては母親の世話を焼かせた。その性質は両親からどこまでもかけ離れ、父親のタレ目と癖毛を受け継いでおらねば、その血の繋がりすら疑われたことであろう。


一方の弟は対象的に陽の光を嫌い、狭いところに閉じ籠もる癖があった。幼き頃より書に親しみ、内容を尽く覚えていることから、神童よ、将来の進士よと、持て囃されて育った。


それ故に、二人の扱いは家庭内ではっきりとしていた。「ジュンハオには土でもいじらせておけばよい、問題はジオだ」と、父親は、なけなしの家財を売り払い、その金で書を買ってはジモに覚えさせた。もし一字でもジモが誤ろうものなら、罰として飯を抜いて、代わりに墨を飲ませた。最高の教育を施すために、両親は手間と金を惜しまなかった。


農家の身でありながら、即ちロクな教育を受けぬ身でありながら、子供に狂気じみた教育を受けさせたのは、彼らが非凡であったが故か、それとも一族全員の栄華が約束される、進士の待遇に夢を見たが故か。


結果として、ジモが進士となることはなかった。科挙に身分の制限はないが、進士となるには若くとも三十路となるまで書に向かわねばならない。必要な金は如何ばかりか。所詮はただの農家である彼の家に、そこまで待てる余裕は無かったのだ。


代わりに彼はある商家に拾われた。悲嘆に暮れる両親を尻目に、家を飛び出した後のことである。優秀さを買われ、機会にも恵まれた彼は数年で、家族一つ養うのに何の不便もない額を稼ぐようになった。実家に帰ったとき、両親は彼を諸手を挙げて歓迎し、家族揃って都にある、彼の家に引っ越すこととなった。ジモが、兄に対して歪んだ感情を持つに至ったのは、それまでの背景があってのことだった。


近くの家の子供と遊ぶことを禁じられ、ロクに外にでることのなかった彼にとって、ひたすら山、川を駆け回り、笑顔の絶えることのなかったジュンハオは憧憬の的であった。ジモが、陽の光を嫌うようになったのは、実は「外で遊ぶなど子供のすることよ」と兄を見下すことで、自分を保つためでもあった。現在でも、大した稼ぎのない兄を蔑視しているのは確かである。


加えてジュンハオは、やることが子供の頃とまるで変わらぬ。街に行けば周りをキョロキョロ見渡して跳び回り、釣りにメンコに、裏道を歩けば喧嘩を楽しむ。そして擦り傷だらけの体で、ヘラヘラ笑って帰宅するのだ。


故に年々、彼に向けられる目は厳しくなっていた。特にこの頃は、「いい加減お前も嫁を貰って落ち着け」と、両親に口を酸っぱくして言われておった。本人にまだその気はないようで、うんざりして説教を受けておった。畑を耕すこともなくなった両親は時間を持て余し、他に気を回さねばならぬことも多くはない。だから説教が始まれば長い長い。下手に飯時前に捕まれば、せっかく薪を入れて温めた汁物も、すっかり冷めきってしまう。この頃は、適当なところでジモが間に入り、話を終わらせるのが日常の風景となりつつあった。


無論、ジモがそうするのは親切心からではない。ジュンハオのその様を見て、ジモは心から安心しきっておったのだ。この女っ気のない兄に、伴侶など到底望めまい、と。表向きこの兄弟の仲は悪くはないが、実のところ彼によってジュンハオは、自らに勝るものを何一つ持たぬ、軽蔑の対象に他ならなかった。


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そんな日常にあってその出来事は、彼にこの上ない激震をもたらした。その日は別に特別な日でもなく、ジモはただいつもの散歩道を、昨晩読んだ書を空に浮かべながら、歩いていただけであった。見慣れた顔が視界に入らねば、否、見慣れた顔が別の人物を連れていなければ、気づくことさえなかったろう。


「兄者か?」


人目を偲ぶように、狭い路地の裏に入っていく彼らを、ジモはつい追ってしまった。建物の角から顔を覗かせて見たのは、兄が女を両手で、しっかりと抱きしめた姿であった。ここで冒頭の場面に舞い戻る。


「何故だ!何故、あの兄者が」その場から逃げ出した彼は、現実からの逃避を求めて自室に籠もった。何時間も経過し、とうに日は落ちていたが、未だ彼は膝を抱えてブツブツと、兄への不平不満を述べ続けた。


二人は確かに抱き合っていた。女のほうは背を向けておったため、はっきりと顔を見たわけではないが、兄の胸板に頬を擦り寄せ、微笑をたたえた表情には、唾を飲み込むほどの女の艶があった。着物の質から見ても、決して凡百の、どこにでもいる町娘でないのは明らかだった。


兄に先を越されることなど、絶対にあってはならぬことだった。薄汚れた不器量な娘ならばまだしも、自分でも声を掛けるのが憚られる美人と兄が一緒になるなど、到底認められることではない。


怒りにてカーっと頭が熱くなる。が、その後訪れたのはこの上ない焦りであった。秉燭ヒョウソクの明かりだけがテラテラと、急に青白くなった彼の顔を照らしていた。


このままだと当然、兄はあの女を両親に紹介するだろう。両親は感激し、あっという間に式が進められ、そしてどうなる?四つ下だとはいえ、ジモも既にいい年なのだ。現在、兄に向けられている目は、そのまま自分に向くこととなるだろう。


兄が家庭を築く隣で、「結婚せよ」と自分が説教を受けるのか?嫌だ、とても耐えられぬ。何とか私も相手を見つけねばならぬ。


一晩苦しみ続けた上で、彼は行動を起こす決意をした。兄にできたことが私にできぬはずがないと、必死に自分を鼓舞し続けた結果であった。なに、女など簡単なものである。自分には頭がある、稼ぎもある。体力も、まあ人並みにはあるであろうし、満足させられぬことはないはずだ。問題だったのは受け身の姿勢である。要するに、私のような知性溢れる人間に対し、皆気後れしていただけに違いないのだ。こちらから声を掛ければ、誰でもすぐに靡くに違いないのだ。


日の出とともに、家を飛び出した彼は、勤め先の商家にて、下女の一人に声を掛けた。

「朝から感心なことではないか?」

「李様、早上好おはようございます

この下女、掃除全般を得意とし、重宝されているが、見た目もなかなかの美人であり、人当たりも良いと、商家の男の間では人気がある。こやつなら、隣に置いてもそれなりに絵になるであろう。

「して、そなた、今晩は暇か?」

「はあ…なんでしょうか突然。何か急な要件でも?」

「いやなに、確か君は恋人の一人もいなかったろう、食事でもと思ってな」

彼女は明らかにムッとした表情を浮かべると、「結構ですので、お気遣いなく」と、足早に立ち去ってしまった。何かまずかったのであろうか?いや、他に予定でもあったのかもしれぬ。が、こう邪険にすることはないはずではないか、失礼な話である。


ジモは傷ついた気持ちを即座に女に責任転換し、次の女に声を掛けることとした。この屈辱は早々に晴らさねばならぬ。ところが計四人に声を掛けたところで、異変に気づく。どういうことが、誰とも予定が合わないのだ。暇な時間を聞いても、誰も彼も忙しいと、話を断ってくる。


おかしい、自分が声を掛ければ、女の一人や二人、誘いに乗ってくるはずであった。何故こうも苦戦するのか?同僚に相談するか?馬鹿な、笑いものにされるだけだ。職場全体に話が広まろうものなら、たまったものではない。待てよ、そうか。女共も、他の女に噂されることを嫌がったのか?ならばここ以外の場所に行けば、すぐにいい女が見つかるはずだ。


ジモはこうして、街中の女に、次から次へと声を掛けた。しかしいくらそれなりの稼ぎがあろうとも、プライドの塊で、女を見下すような男に、飛びつく女がいるはずもない。その口説き文句は、はっきりいって滑稽の極みであり、その戦果は惨憺たるものであったが、彼は歩みを止めることはなかった。


もしここで引き下がれたなら、まだ傷は浅くて済んだであろう。だが、兄以上の女を見つけぬことには彼は自分を保てなかったし、異性に好かれぬ現実を受け止めるには、その精神は脆すぎた。既に不審な男として、人々の噂になっていることに、彼は気づいているのだろうか?恐らく気づいているのだろうが、それでも気づかぬふりをして、声を掛け続けねばならないところが、彼の最大の欠点であった。


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「これなら、当分は出遅れることもなかろう」

道端で、腫れた頬をさすりながら、そう呟く男がいた。ジュンハオである。幽鬼のように歩き回り、すれ違う女に声を掛ける弟を見て、彼は心の底から安堵のため息をついていた。


実は彼、恋人にこっぴどく振られた直後であった。いや、恋人とは言い難い。彼女は花街の女であり、ジュンハオはただの客だったのだから。資産家の息子であると嘘を付き、いずれ身請けして贅沢三昧させてやる、とホラを吹いていたのが、遂に嘘がバレたのである。もっとも、弟に恋人を見せつけるという目的は達した後だったので、然程困りはしなかったのだが。


何故、彼はこのような行動に及んだのだろう?実のところ、兄弟に劣等感を抱いているのは弟だけではなかった。兄にとっても弟は、目の上のたんこぶにほかならなかった。表情にこそ現れぬものの、感情の強さは負けず劣らずで…


農家の倅が、土いじりしか能がなくて何が悪い。ただ書き物の内容を覚えていることがそんなに偉いか、お陰で俺はほとんど両親に目を向けて貰えなかった。お前の教育とやらのため、うちは借金まで重ねた。家族がひもじい思いをしたのはお前のせいだ。家を飛び出し、帰ってきたと思ったら、ただ自分のケツを拭いただけのことで英雄扱い。なぜお前ばかりが幸せになる?


そうして彼は女に走った。家の金をちょいちょいつまんで花街に通ったのだ。弟は女を知らない。俺は知っている。それを知らしめてやるのだと、馬鹿な計画を練ったのは丁度一年前のことであった。


計画が見事に成功し、弟の姿に胸のつかえが取れたジュンハオであったが、彼も目下彼女ナシであると、頭からスッカリ抜け落ちているところが、彼の愚かさの証左であった。


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ところで、彼らとはまるで関係のない話であるが、ジモの勤める商家では、今年で十と八になる大旦那の娘と、二十と三の出世頭がくっついて、来月には盛大な宴会を開く予定だそうだ。また、彼らの生まれ故郷では先月、三つ子が生まれたそうで、子無しで悩んでおった家庭だけに、村の者が総出で祝い、村長も「若者世代がみな親となって、儂も役目を終えた」と肩を撫で下ろしたという。


実のところ、彼らの知り合いに、独り身はもう殆ど残ってはいないのだが、彼らが二人揃って、致命的に出遅れていると気づくのは、もうしばらく時が経ってのことである。(終)


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