そのつぐ
五月の時雨。
世界はまた壊れてしまった。
ここは終わってしまった世界。
そんな世界で。
睡蓮の花がひっそりと咲いた。
その花が見るのはいったいどんな色なのだろうか。
水面に浮かびぷかぷかと無気力に。
傷だらけのその花に、送るとしたらどんな言葉がいいのか。
あぁ、睡蓮の花がまた遠ざかる。
僕は今、水の中。
学校に慣れて、みんなが入学当初の興奮や新鮮味を無くし、落ち着き始めた頃。
いまだに落ち着かない人が約1名、俺の隣の席で騒いでいた。
「ねぇねぇやなは!これ!これ!」
そう言って楓璃が見せてきたのは何かの雑誌だった。
所々に付箋がはられており、今はその一つであるグルメ特集ページが開かれている。
しかもご丁寧に、ここだよ、という落書きと共に赤丸でお目当ての店を囲っている。
…まぁ、こいつの事だ。
連行されるのが目に見えている。
「おお、確かに美味そうだな!」
「でしょでしょ!」
「おう!この厚みといい匂いといい、一級品だな。ページをめくった時のペラペラ感も最高だ。」
「そうそう。このカラー印刷特有の匂いと厚み、指を切りそうなくらい薄い、ギリギリまでやってやったぜと醸し出してるページ1枚1枚が――――ってばかぁ!どこ見てんのさ!ここだよここ!というかこれ!」
そう言って指さしたのは案の定、学校の近くにあるカフェだった。
「あぁ。確かにその部分、黄色のインクを惜しみなく使った最高の一品だな。」
「………………」
「――?」
「………………」
「………………」
「―――へぇ」
しばらくの沈黙の後、そう言うとまるで汚物でも見るかのように俺を見下し手元にあったシャーペンを素手でへし折った。
今日は随分とペースがはやいな。
着実に近づく死を感じながらそんなどうでもいいことを考えていた。
「そっかぁ。やなはくんはそっちがお好みかぁ。それじゃあ仕方ないなぁ。」
濃淡のない声でそのまま雑誌を俺の口元に押し付けてくる。
「ほら、クエヨ。美味しそうなんだろ?一級品何だろ?」
「いや、ちょ、まっ―――――」
無言で押し付けてくる楓璃。
必死に抵抗する俺。
「――――何してんの、あんた達.....」
あきれを含んだ澄んだ声が耳を通る。
「新輿?新輿か!?新輿なのか!!ちょうどいいところに!助けてくれ!頼む!!俺はまだ――――」
「なに。また楓璃ちゃん怒らせたの?」
「いや、違うんだ。俺はただ日本の製本技術の素晴らしさを説いていただけで――――」
「はぁ?イミワカンナイ。」
「そんな事言わずに!タースーゲーテー」
「ーーー楓璃ちゃーん、そのままやっちゃって〜」
「ちょ、まっ、ぅんグフッッッ!!」
ーー少々お待ちくださいーー
ーー少々お待ちくださいーー
ーー少々お待ちくださいーー
「ふっ―――ふふっ――――
さすが日本製。この口に残留し続けるペーパー臭、嘔吐を促進させる非食品感!!
やべぇ、さすが日本製。惚れたぜ。」
「そっかー、じゃあ、もういっちょいっとく?」
そう言って新輿が取り出したのは教科書だった。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
「―――ごめんなさい。」
静かに俺の懺悔が教室の雑踏に消えていく。
それと同時に―――――
「あーー!!私の雑誌ーー!!」
楓璃が絶叫する。
「やなはのせいでページ破けた!汚いヨダレがついた!!最低!不潔!ばっちぃ!!」
「お前が勝手に突っ込んだんだろうが!」
「うわぁ、やなはくんさいてー」
「お前まで便乗するなよ!」
「どう考えても俺は無罪だ!冤罪だ!」
「いやぁ、これは良くないよーやなはくん?
いやぁ、実にいけないなー。うん、これはいけないですなー。」
「そうだよ!やなはが悪い!」
「もうこれはあれですな。ここのカフェはやなは氏の奢りですなー。」
「おいやめろその喋りかた。最後のあれはオタクか?もしかしてオタクの真似なのか?オタク舐めんなよ!?てか、いつの間にここに行くことになってるんだよ!聞いてねぇぞ!」
「じゃあ、やなはは財布だけ置いて先に帰っていいよ。」
「楓璃さん!?何いってんの!?ねぇ!!」
「もしくは今から楓璃ちゃんにそこのシャーペンのごとくへし折られるか―――」
「理不尽な暴力!」
「はたまた、ななせちゃんよる技かけか。」
「実験台!?」
「もしくは梓穂ちゃんによる試食会?」
「食という名の惨劇!」
「ちょっと待って、楓璃ちゃんそれどういう意味?それじゃあまるで私の料理が―――――」
「さぁ、どれを選ぶ!」
「救いはないのですか。」
「ない。私の雑誌を破ったやなはが悪い。」
「ふむ――…………。
それならばーーーー。
―――逃げるが勝ち!!」
「させるか!!」
首元を掴まれる。と、同時に羽交い締めをされ身動きが取れなくなる。
「ちょ、と。まっ…首がしま……」
すぐに意識が朦朧としてくる。
遠くでなにか聞こえるがそれどころではない。
すると楓璃の力が弱り、するり、と力なく抜け落ちる。
……死ぬかと、おもった。
咳き込む俺に手を振る楓璃。
それじゃあ、また後で。
そう言い残し嵐のように去っていった。
「……新輿。俺、たぶんさっきの一瞬、この世にいなかったわ。」
何いってんの、とでも言いたげにまた呆れ顔を見せてくる新輿。
そんな新輿はさっきのショックから未だに抜け出せてないようで。
「まぁ、なんだ。気にするな。ちゃんと作れば結構うまかったぞ。あー、あと、楓璃ってどこいったんだ?」
「………その、ついでみたいに慰めるのやめてくれない?楓璃はたぶん委員会でしょ。」
そう言う新輿は意外と満更でもないようで。
これで誤魔化されちゃうからダメなんだよね、なんて一人ぼやいてた。
それにしても、委員会か。
それじゃあ、さっきふうりを呼んでいた男は委員会仲間か。まぁ、別にどうでもいいんだけど。
「そろそろ、帰ろうぜ。なんか妙に疲れた。」
「何言ってるの。楓璃ちゃんは?ななせちゃんは?置いてくつもり?」
「じゃあ、校門ででも待ってよう。そろそろこの教室、吹奏楽部が使うだろ。」
新輿は少し悩んだ後、そうだね、って言ってかるく微笑んだ。