遺書 (ショートショート70)
夕方の五時前。
男はアパートに帰ると、郵便受けにあったものをコタツ台に放り投げ、力なくドタリと座りこんだ。
ここ一年、まともに働いていない。
今日もハローワークに足を運んだのだが、四十を超えた男に仕事がそうそうあるはずもなく、肩を落し帰ってきたのである。
昨日、金がついに底をついた。さらに家賃は三カ月前から滞納していた。
電気を止められた冷蔵庫はすっからかんで、今夜の食事さえままならない。
――これからどうすりゃいいんだ。
男にはいちるの希望もなく、もはや絶望しか残されていなかった。
――疲れたな。
ふと、目がコタツの上に向かった。
そこには睡眠薬の入った紙袋があった。以前、通院していた病院で処方されたものだ。
――死のう。
男は思った。
袋から手の平に睡眠薬を移す。
手の平の上に、男が永遠に眠れるほどの薬の山ができた。
男は台所に立った。
コップを手に蛇口をひねる。……が、水が出てこない。今朝まで出ていた水道は、料金の滞納により止められていたのだ。
滞納は水道だけではなかった。公共料金のほとんどを、ここ数カ月ほっといてある。
――死ぬための薬も飲ませてくれんのか。
おかしくて笑えてくる。
やむなく大量の薬を口に放りこみ、男は歯でかみくだいて飲みこんだ。
それからガス栓をひねって全開にした。
――これで楽になれるな。
シューとガスの吹き出す音とともに、イヤなにおいが男の鼻孔をついた。
男はコタツの前に座った。
ボールペンを手にすると、コタツの上にある紙の束から余白のあるものを選んだ。死ぬ前に、せめて母親へ遺書を残そうと……。
――母さん、ごめんな。
心の中であやまり、それをそのまま大きな文字にして書いた。
男は寝転がり目をつぶった。
――もう、目をさますことはないんだな。
睡魔が男に忍び寄る。
翌日の昼すぎ。
男の目に見なれた天井が映った。深い眠りから目をさましたのだ。
なぜだかガスの異臭がしない。
――死ぬこともできなかったのか。
男は自分の運命をのろった。
コタツの上には、今となっては無駄になった遺書が残っている。
「母さん、ごめんな」
読むようにつぶやくと、田舎で一人暮らす母親の顔が脳裏に浮かんだ。
――母さん、オレに死ぬな、まだ生きろと……。
母親に、むしょうに会いたくなった。
――帰ろう。
男が決心し、遺書を破ろうと手にしたとき、裏面にガスと記された赤い文字が透けて見えた。
男は紙を裏返してみた。
ガス会社からの「料金未納によるガス供給停止のお知らせ」だった。そして、それにはこう書かれてあった。
本日の十五時までにお支払いのない場合、十七時をもちまして、ガス供給を停止させていただきます。




