4章のような初めて本を開く時は
ようやく俺がふと我に返ったとき、辺りは夕方だった。
「やべぇ…結局何も情報が手に入ってねぇ…」
軽く絶望して頭を抱える。というかこのままでは、さっきの疑念が現実になってしまう…。それだけはどうにか避けたいので、俺はフルに頭を回転させる。
「マイブレインよ…廻れ…いい閃きを…いいアイデアを…」
どうでもいい余談だが、彼の機関車でない方のトーマスは、『発明とは1%の閃きと99%の努力である』と言ったそうだが、あの言葉の意味は、たとえ努力していても閃きが無ければ発明はできない、というのではなく、閃きなんて1%でいいから、99%努力しなさいという意味合いが強いらしい。俺はエジソンではないから、これがほんとの話かどうかは知らんが、とても今は耳に痛い話だった。
どうにも閃かないので、広場にある都市のマップを見ながら思考に耽る。…『考える』よりも『思考に耽る』っていう方が、かっこいいよなぁ。意味間違えてたら、恥ずかしいどころの騒ぎじゃないが…まぁ多分あってるだろ。
結構細かく書き込んである地図なので、思ったよりも早く盗難現場の場所を見つけることができた。そういえばなんか前に見た小説で、事件現場を中心に円を描いて、その円が重なったところが怪しい…みたいなことをやってたな…。
試しにやってみると、宮環と被木の間の海に浮かんでいる少し大きめの島がその範囲に入った。ダメもとで行ってみるかぁ…俺はそう思うが早いか全力で船乗り場に走り出した。
お久しぶりです、リングです。
魔導取締局クレッセンで受付嬢をしています。かなり長いこと出番がなかったので暇でした!メタくてすいません!とまあそんな前置きは置いておいて、今日の報告を。
今日の出入りした人は合計四人、回数にして7回の出入りがありました。
7時にbrownが出発
8時にblueとemeraldが出局
10時にblueとemeraldが出発
12時にsilverが出発
16時にbrownが帰局、それと同時に図書館入館を希望、入館
現在17時の報告に至る。
そう端末に打ち込んで肩をたたく。これで今日の仕事は一応終了したが、それでも私は受付の席から離れない。
「早くみんな無事に帰ってこないかなぁ…」
ふぅと小さくため息をつく。
今日は新しく入った新人にプロポーズされた。恋愛経験も恋愛感情も抱いたことがない私だが、あれが冗談なことくらいわかっている。ただ、嫌われているわけではない、とわかるととても安心できた。少しちょろいようにも感じるが、好かれることでいやな気持になる人などそういないだろう。また無事に帰ってきて冗談を言ってくれたり、emeraldさんとギャアギャアと騒いでほしい。おもわず今朝の風景がよみがえる。
『あ、本日から!ここに配属される東亜せす!』
新人が来ると連絡をされていて分かってはいたが、ついからかってしまった。まぁ名前を名乗られたのは初めてで、少してんぱってしまったというのもあるが、なんか一生懸命そうな人だと思った。一所懸命ではない、一生懸命だ。多分あの人は自分のためにある、一つの場所に命を懸けるのではなく、ドタバタ走り回りながら懸命に動きそうだ、そう思った。
特に理由も根拠も確信もない、女の勘だ。そんな彼をもう一度迎えたくて私は受付の椅子に座る。
なんだかハチ公みたい。こうして諦め悪く待っている自分を柴犬と重ねる。ふとそう思うと、少し笑みがこぼれてしまう、そうしてどうにか気持ちを落ち着ける。
「今回もハッピーエンドで終わりますように…」
彼女は熱を帯び始めた指輪を不安げに見つめながら、胸騒ぎを落ち着ける。
息を整えながら俺は船頭に話しかける、夕日が沈むにはまだ1時間くらい猶予がありそうだ。
「あれ?あんちゃん舟乗るのか?」
「あ、はい。まだいけますかね?」
「いやぁ、これから出るのが最終だが…ただ島で用があるなら、これに乗ったら島に泊まることになるぞ?工場跡地とか開発地だから碌に泊まるとこもねえしな」
正直、確認したらすぐにでも報告に帰りたいのだが…うーむ…。悩んだ顔をしていると船頭さんが助け船を出してくれた。……いや駄洒落じゃないからな?船頭だけに船を出すとか考えてねーからな?
「うーむ…なんか訳ありって顔だな、よし、廃棄する予定の手漕ぎ船がある。そいつを貸してやるよ!なに廃棄する直前といっても、観覧船として使えないだけでまだまだ現役だから安心しな。」
一も二もなく感謝の念と謝辞とお礼を述べ、用意していただいた手漕ぎ船に飛び乗った。
…まあ手漕ぎだから小さいわな、公園とかの湖で貸し出してるやつを想像してくれればいい。そうそう、あの足で漕ぐアヒルのボートの隣とかにおいてそうなやつだ、なんかリア充がキャッキャウフフと乗ってそうなアレな。一人で乗るのつれぇ…そう思いながら俺は島に向かって舟先を向けた。
…………なんで舟先にタイタニック号の先っちょのあれがついてんだよ…沈む気満々かよ…。
あれ?ここはどこだ?俺は気づくと湖に立っていた。校門を目指していたはずだが、辺りには霧が立ち込めている。さっき見た地図を思い出してもここに着くのはおかしい。
そして妙な点は他にもある。湖だ。確かに大きな湖ではない、畔に立てば向かい側の人間が、何となくどんな服を着ているかはわかる、せいぜいそれくらいの大きさではある。ただそれでも『波紋が立たないのはおかしい』。まるでこの湖が巨大な水溜まりの様にすら感じる。
そしてまぁこれが一番現実逃避したい事柄ではあるのだが、
どうして俺は湖の真ん中に立っている?
そう考えた瞬間に俺の体は、微かな胸の痛みを感じながら沈み始めた。水面に反射する夕日が眩しい。
湖は対して深そうにも見えない、いや深いはずはないのに底は全く見えなかった。俺は泳げないわけでもない、だが手足は自由に動かない。極めつけは、感じる魔力だ。どうやらまんまと捕まってしまったらしい。体中に鈍い痛みが走る、そうする度に俺に魔力がたまっていくのが感じる。
「全く。この経験のおかげで、また俺の人生は豊かになる」
そう言ったつもりがごぼごぼと泡になって上へ上がる。俺はどうにか手を動かして、翡翠色の石板に手を触れた。
どうにか苦労して島まで着くと、俺は船着き場に船についているロープをひっかけた。
「とりあえずは巨大な水晶や機械を隠せるところを探さんとなぁ」
そうぼやきながら適当に探して回ったが、それらしいところを探しても微塵も出てこない。日も落ちて暗くなってきたので、ブラウンさんから渡されていた携帯食料をほおばりながら、増築を重ねた結果、かなり入り組んだ構造になっている従業員寮を探索しているときに気が付いた。
窓からのぞいた風景にぼんやりと人の姿が見える…?今は夜だ、廃工場や開発地くらいしかないこの島で、灯りの元はほとんど無い。探索だって闇に眼は慣れはしたものの結構苦労している。
そんな状態で遠目に人の姿が見える『はずがない』。
背中にうすら寒いものを感じながら俺は窓の外をのぞく。…やはり人の形をしている、ここで『形をしている』といったのには訳がある。まぁ最初は遠くにいる一体だけだと思って、窓の外を見渡したんだが……
よく見ると5,6体いる。しかもそのうち数体は俺のいる建物の近くにいる。だからこそ詳しくソレの様子が分かったんだが……
ぎこちなくヨタヨタ歩いていた、ゾンビの様に。
ここでゾンビの様にとは言ったが、姿形もまるきりゾンビだった。そしてまぁ近くにいるから光っている要因もわかったんだが、そのゾンビの体中に鎖が縫い付けられ緑色に燃えていた。胸からだらんと鎖の端が垂れている、正直、鎖が通ってできた穴から肉がはみ出したり、内臓が見えたりしているので、とても気分のいいものではなかった。グロテスクだし大変気持ち悪い。
とまあ冷静に事態を静観していた…のはここまでで…。マイ・ブレインが事態を認識できたらそれどころじゃなかった。
なんだよあれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?!?
とりあえず近くにあったベッドを引きずり、ドアが開かないように立てかける。自分でも予想外の怪力だった。その上あれをみかけたときからやけに頭が痛む。何というか異物を注射で、目から流し込まれたような…ドロドロしたものが頭の中で溜まっていく。眩暈がする、吐き気がする、頭の中に色のないペンキを過剰に流し込まれているような感覚に陥る。
「なん…だよぉ…これぇ…」
自分の中の正気を保っていた基礎のようなものが変わらず塗りつぶされる。例えば写真に全く同じように、油絵の具で書き重ねるように、俺の中の何かが変わらぬまま更新される。
たまらず膝をつく、いやもうついていたのか。そんなことすら認識できない、今自分が手をついているのか、倒れているのか、立っているのか、仰向けなのか、うつ伏せなのか、座っているのか、眼を開けているのか、閉じているのか、手を開いているのか、閉じているのか、口を開けているのか、閉じているのか…。全ての感覚が曖昧だ…
「…………………………………………?」
いや一つだけ確かな感覚がある。俺の視界に深い蒼色をした表紙の本が映る、いやそれ以外が映らない。それがとても恐ろしく感じる、とっくに手遅れなのに、これを開いてしまえばもう戻れない。そんな恐怖に支配された恐ろしい感覚に陥る。
だが、ふとそんな恐ろしさも消えた、優しく手を伸ばされているような感覚になった。とても懐かしい感じがする、その感覚に導かれるように俺は表紙に手をかけた。
『大丈夫、君は変わらないよ』
そんな懐かしい声がした、誰かはわからない微睡の中で聞くような声。恐怖は消えた、まだ五感は定かではないがパニックでもない。きっと本を開けば後戻りはできないのだろう、変わってしまうのだろう。
だがきっとそれでも俺は変わらない。そう確信して俺は本を開いた。
長いことだらだらコメディ臭いことやってましたが
ようやく舞台が整いました。
読んでくださってありがとうございます。
次話もよろしくお願いします。