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機動駐在コジロウ  作者: あるてみす
番外編

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ファクターは天にあり

 スポーツ新聞の一面に、RECの文字が躍る。

 レイガンドー、世界王座奪還、との真っ赤で仰々しい煽り文句の下では、レイガンドーの肩に腰掛けている美月が満面の笑みでチャンピオンベルトを高々と掲げている。リングの四隅から放たれた金色のテープが鮮烈な照明を浴びて流星のように輝き、王者とその主人を彩っていた。小倉貞利は頬を緩めながら、何度も記事を見返す。

 細々と人型重機製造販売業を営んでいた小倉重機が、RECという名のロボットファイト興行団体を経営するようになって久しい。人型重機が一般に流通するようになってから、アンダーグラウンドな娯楽としてごく一部の人間だけが楽しんでいたロボットファイトを大衆娯楽に発展させたいという考えは昔から抱いていた。だが、小倉重機の経営を軌道に乗せるだけで精一杯で、格闘に特化した設計思想の人型重機の設計図も何枚も描いていたが、野望だけが燻る一方だった。高校時代からの友人であり同業者である佐々木長孝から、天王山工場で夜な夜な繰り広げられている人型重機同士の違法賭博に興味はないか、と誘われた時は天啓だとすら思った。

 今にして思えば、佐々木長孝は小倉ではなく、レイガンドーを表舞台に引き摺り出したかったのだろう。コジロウと同じムジンの破片を得たことで驚異的な演算能力と確固たる人格を持つようになったレイガンドーは、ただの人型重機として土木作業に準じているだけでは勿体なさすぎたからだ。そして、長孝がコジロウに続いて新たに造り上げた人型重機であり、地下闘技場の覇者、岩龍も同様だった。

 レイガンドーと岩龍は言うならば腹違いの兄弟機だ。どう足掻いても人間の価値観の枠組みからは逸脱出来ないがそれ故に安定感のあるレイガンドーと、人外であるが故に生まれる発想を惜しみなく詰め込まれた岩龍は、似て非なるロボット同士だった。ムジンの使い方も全く違っていて、レイガンドーはあくまでも情報処理能力を高めるためにムジンを行使していたが、岩龍は反射速度と状況適応能力を引き上げられていて、その結果、小倉が頭を絞って考え出した戦略や大技も次々に攻略されてしまった。RECはルールに則った格闘技だが、天王山工場での試合は金と意地を掛けた殺し合いだった。小倉と長孝の代理戦争とも言える。あの頃、小倉もだが、長孝も随分と荒れていたからだ。妻を失い、娘を奪われ、政府にニルヴァーニアンと遺産に関する情報を切り売りしながら日銭を稼いでいたのだから、いかに長孝であろうともストレスが溜まる。だから、岩龍で憂さ晴らしをしていたのだ。

「ねえお父さん、これ、新しい衣装なんだけど!」

 そう言って駆け寄ってきた娘は、自慢げに両腕を広げてみせた。一見しただけでは、どこにでもありそうな高校の制服だった。紺のブレザーにグリーンのチェックのスカート、クリーム色のベストの下にはブラウス、襟元には赤いリボンが下がっていた。スカートの裾にはアイドルじみたフリルが付いていて、ブレザーの胸ポケットに校章の代わりにRECのロゴが刺繍されているので、真っ当な制服ではなく、ステージ衣装として仕立てたもののようだった。美月はサイドテールに結んだ髪を靡かせながら、その場で一回転してみせる。

「来月から女子高生になるわけだし、制服着てリングに立たないと損ってもんでしょ!」

「いつのまに、そんな衣装を発注していたんだ」

 小倉が半笑いになると、美月は腰に両手を当てて胸を張る。

「先月だよ。いつまでも作業着のままでリングに上がるわけにいかないし、進学したのは通信制の高校だからリアルに制服を着られないから、せめて衣装だけでもって思ったんだよ。衣装の制作費は私の給料から出したから、その辺は心配しないで。まー、会社の経費で落ちるなら落としてくれてもいいんだけど?」

「スカートの中身は見せるなよ。それと、経費で落ちるかどうかは考えてやるから、請求書を寄越してくれ」

「そう来なくちゃ。パンチラ対策は完璧だよ、だから安心して」

 ほれスパッツ、と美月はスカートの裾を上げ、二分丈の黒いスパッツを見せた。いつのまにか肉付きが良くなっていて、伸縮性の高い黒い布地が貼り付いている太股は程良い筋肉の上に女性らしい脂肪が重なっていた。

「で、それは母さんに見せるために着たんだな?」

「もっちろん! 護にも見せてあげるの!」

 美月はもう一回転してから、レイガンドーの専用トレーラーに向かって駆けていった。その後ろ姿を見送ってから、小倉は読みかけのスポーツ新聞を折り畳んだ。高速道路のサービスエリアの駐車場の一角は、RECのトレーラー部隊によって陣取られていて、他のドライバーが遠巻きに眺めて携帯電話などで写真を撮っていた。美月の新衣装も撮られたかもしれないが、先月末の興行の最中に美月が中学校を卒業したことを報告したので、特に問題はないだろう。遠目から見れば有り触れた高校の制服なので、新衣装だとは思われないはずだ。

 小倉が携帯電話を起動させると、待ち受け画面には生まれて間もない第二子の寝顔が収まっていた。息子の名は護といい、三ヶ月前に生まれたばかりである。政府の療養施設で弐天逸流による洗脳を解かれ、緩やかな時間を過ごしたおかげで、妻の直美の精神状態は元通りになった。それから、佐々木つばめを始めとした、遺産を巡る争いの関係者が住まう集落に身を寄せることとなり、もちろん小倉と美月も一ヶ谷市に籍を移した。当初、直美は人間離れした住人達に戸惑っていたものの、田舎暮らしに慣れていくに連れて明るくなっていき、吉岡りんねの母親である吉岡文香と親しい間柄になった。RECの興行の合間に帰宅して妻と向き合ううちに夫婦仲も暖まっていき、その結果、息子が生まれたというわけである。

 順風満帆だ。



 小倉家の住まう家は、集落から少し離れた場所にある。

 他の皆と同じく、合掌造りの古い民家を安値で買い取り、直美の注文に合わせてリフォームした家である。外見は古めかしいが、台所や風呂場だけは真新しく異様に綺麗で、敷居の段差もなくしてある。床板もワックスの効いた新品に張り替えてあり、畳も同様だ。この家で最も長い時間を過ごすのは直美と護なのだから、その意見を最優先するのが当然だ。敷地もやたらと広いので、畑を均した地面にレイガンドー専用トレーラーを駐車しても、まだ余裕があるのだから田舎とは素晴らしいものである。

 トレーラーを降りた小倉は運転席で凝り固まった体を解してから、一ヶ谷市内の小倉重機支社工場に向かわせた社員と積み荷の様子を確かめるために電話を入れた。紆余曲折を経て一ヶ谷支社工場を一任されている佐々木長孝が電話に出たので、ロボットファイターをトレーラーから降ろしたか、社員達の様子の変わりはないが、整備作業はいつから始められるか、と問い掛けると、滞りもなければ問題もないと返ってきた。長孝を信用しないわけではないが、社長として現場を見ておかなければ気が済まないので、夕方には一度支社工場に行くと返した。

「たっだいまー!」

 美月は盛大に引き戸を開けて玄関に駆け込むと、女子高生風の衣装に合わせたローファーを脱ぎ捨て、廊下を駆けていった。小倉もそれに続いて自宅に入り、トレーラーから出てきたレイガンドーに振り返った。

「レイは庭から回れよ。駆動音は出来るだけセーブしておけ。でないと、また泣かれるぞ」

「そんなことを言われても、俺の静音装備を削ったのは社長の方だろう? 駆動音が大きい方が迫力が出る、とかなんとか言って。どんなに大人しくしても、ギアの軋みとモーター音だけは押さえられないんだがなぁ」

 ああやれやれ、と人間臭い仕草で関節を伸ばして肩を回しながら、レイガンドーは小倉家の敷地に入ってきた。岩龍と武公は先日の試合で受けた損傷が思いの外大きく、修理が終わりきっていないので、支社工場にて修理を行う必要がある。だから、今日は連れてこられなかったのである。

 陽気は春めいているとはいえ、日陰には冬の気配が色濃く残っている。小倉は冷え切った廊下を歩いていくと、居間から娘の歓声が聞こえてきた。半開きになっているふすまから居間を覗くと、美月は座布団に寝かされている弟を覗き込み、可愛いなあ可愛いなあ、と褒めちぎっていた。その隣では、妊娠出産を経て以前より顔付きも体形も丸くなった直美がにこにこしている。そして、メイド服姿のアンドロイド、設楽道子が控えていた。

「ただいま」

 小倉が妻に声を掛けると、直美は笑い返してくれた。

「お帰りなさい」

「お帰りなさーい。留守の間、何事もありませんでしたよ」

 道子は小倉に向き直り、一礼する。小倉は家族の傍に腰を下ろし、胡座を掻く。

「いつもすまんな、道子さん。俺達がいないばかりに、直美の傍に付いていてもらって」

「いえいえ、お気になさらず。寺坂さんと顔を合わせているだけじゃ飽きちゃいますし、護君、可愛いですから」

 道子は手を横に振ってから、姉に撫でられている護を見下ろした。

「ちょっと前は、この座布団の三分の二ぐらいしか背丈がなかったんですけど、座布団からはみ出ちゃいそうなほど大きくなりましたよー。赤ちゃんって本当に成長が早いですねぇ」

「お父さんに似てきたね、目の辺りとか」

 美月が父親と幼い弟を見比べたので、小倉は娘の肩越しに息子を見下ろす。

「そうだな。お前の小さい頃ともそっくりだよ、美月」

「そうかなぁ」

 訝しげな美月に、直美は頷く。

「そうよ、だって姉弟だもの」

「私の顔、覚えてくれるかなぁ」

 弟の小さな手に指を握らせながら、美月が不安がったので、小倉は肩を竦める。

「それを言うなら、俺の方が覚えてもらえんだろうな」

「俺は?」

 縁側から殊更不安げな声が掛かったので、皆が振り返ると、レイガンドーが腰を曲げて居間を覗き込んでいた。突如現れた巨体のロボットを見、護は小さく丸い目を瞬かせていたが、泣きはしなかった。美月は弟を抱き上げて首を支えてやりながら、レイガンドーに近付いた。

「ほうら、護、一番上のお兄ちゃんだよー」

「この前は俺を見ただけで泣いたが、今回は大丈夫そうでよかったよ」

 レイガンドーは余程不安だったのか、声色が弱り気味だった。姉に抱かれた護は巨大な金属塊が物珍しいのか、あうあうと言葉にすら至らない声を上げている。縁側に片膝を付いて大きな手を広げたレイガンドーに、美月は体を寄せ、レイガンドーの角張った指先に脆弱な弟を寄り添わせてやった。

「可愛いよねぇ」

「ああ、可愛い」

 レイガンドーは深く頷き、感じ入っていた。美月が離れるのを待ってから、レイガンドーは身を引くと、縁側の傍で胡座を掻いた。そうしなければ、座高が高すぎて小倉家の面々と視界の高さが合わないからである。美月は座布団の上にそっと弟を寝かせると、今回の興行でどんなことがあったのかを矢継ぎ早に話し始めた。直美は息子の様子を気にしながら、娘の話に聞き入った。小倉も話すことがあったが、美月がほとんど話してしまったので、敢えて口を挟まずに横から見ていることにした。レイガンドーは美月の話に相槌を打つだけで、率先して話題を振ることはしなかった。ロボットの領分を弁えているからだ。

 そうこうしているうちに夕方になり、美月はつばめとりんねに新しい衣装を見せに行くついでにお土産を持っていくと言ってレイガンドーを連れて出掛けていった。道子も浄法寺に戻っていったので、必然的に小倉と直美、そして護が残った。一度寝入ったがすぐに目を覚ました護はぐずったが、直美が母乳を与えてやると大人しくなり、うとうとし始めた。座布団から居間の隅のベビーベッドに移された護は、程なくして熟睡した。

「護は良い子よ。夜泣きはするけど、美月の時ほどじゃないから」

 直美はベビーベッドに手を入れ、息子の小さく丸い腹に薄い掛布を掛けてやった。

「あなたと美月がちゃんと帰ってきてくれて、本当に嬉しい」

「帰ってくるさ、俺の家なんだから」

 小倉が妻の肩に手を回すと、直美は小倉の手に自身の手を重ねる。

「あなたって、随分と変わった。前なら、絶対にそんなことは言わなかったし、言ってくれなかった。いつでも仕事のことしか考えていなくて、私のことなんか気にしてもくれなかった。若い頃は、あなたのそういうところが格好良いって思っていたけど、美月が生まれてからもそれだけは変わらなかった。今でも忘れたりしないわ、私の実家に美月を見せに行った帰り道に、部品の買い付けに行ったことは。美月の名前を一緒に考えようって言ったのに、結局私が全部決めたことも。私が貧血で起き上がれなかった時に、何もしてくれなかったことも」

「すまなかった」

「いいのよ。もう、過ぎたことだから」

 直美は夫の皮膚の厚い手の甲に爪を立てながら、目を伏せる。

「先輩がどうして私と結婚してくれたのか、解らなくなったのは一度や二度じゃなかったの。高校の時は接点なんてほとんどなかったし、東京で再会した時だってそう。先輩の周りで同じ年頃の人が結婚していたから、ってだけで、私に結婚してくれって言ったんでしょう? 確かに私は先輩のことがずっと気になっていたし、言い寄ったのは私の方ではあったけど、もう少しだけでもまともな理由が欲しかった。……好きになって、ほしかった」

 夫の肩に頭を預け、直美は語気を高ぶらせる。

「ずっとずっと、そう思っていたの。思っていたけど、そんなことを言うと我が侭だなぁって思われるから、言えなくて、言えない分が溜まっていって、溜まりすぎて、どうしたらいいのか解らなくなった。誰かに話せばよかったんだけど、そういうことを言える相手がいなかったから、余計に溜まっていった。だから、弐天逸流に話を聞いてもらったの。でも、それが一番の間違いだったの。ごめんなさい、本当に」

 肩を震わせて俯いた妻を、小倉は抱き寄せた。

「いいんだ。もう、過ぎたことなんだ」

「そうね。そうよ、そうなのよね」

 直美は何度も深呼吸してから、目元を拭い、夫を見上げた。

「だから、この話はこれでお終い。でないと、美月と護を困らせちゃうから」

 身を翻した直美は、息子を背にして夫に向き直る。

「美月の話は一杯聞いたから、今度は先輩の話を聞かせて。私も話すことが沢山あるから」

「その……言いにくいんだが、どうしてまた先輩呼ばわりなんだ」

「あら」

「無意識だったのか?」

 ばつが悪そうな直美に小倉が苦笑すると、直美は拗ねた。

「だって、それ以外の呼び方が思い付かないし。色々と考えてみるんだけど、いざ呼ぼうとしても恥ずかしくなって、結局はまた先輩って呼んじゃうし、だから……」

「解った解った」

「解ってない、全然解ってない!」

 不満げに唇を尖らせる直美の表情は若い頃と変わらず、それがなんだか可笑しかった。だが、ここで笑ってしまうと直美の神経を逆撫でしてしまうので、小倉は表情を押さえ、反論もせずに直美に喋らせてやった。喋るだけ喋ると直美は満足してくれるからだ。立ちっぱなしでは何なので向かい合って座ってから、小倉は直美の取り留めのない話を聞いてやった。それだけでも、充分な感情の捌け口になるからだ。

 政府の療養施設で直美が治療を受けている間、小倉は医師から懇切丁寧に直美との接し方を教えられた。直美は子供の頃から兄と比べられて育ってきたため、自分は誰からも蔑ろにされるものだと信じ込んでいるが、一方で誰かに認められたいという欲求が人一倍強かった。その自尊心の高低差を弐天逸流に付け込まれ、支配された。だから、直美は小倉と結婚してからも気後れしていて、本音を曝すことが出来ずにいた。素直になっていいのだと、夫と娘に甘えていいのだと開き直るまでに時間は掛かったが、開き直ってくれたおかげで、これまで以上に直美を知ることが出来るようになった。それまでは自分の意見を言わずに付き従うだけだった直美が、小倉に対して自分の意見を言ってくれるようになったからだ。

 直美が人間もどきにならなくて、本当に良かった。弐天逸流の信者の中では立場はかなり下だったため、直美は人間もどきの存在すら知らなかったからだ。もしも、直美が弐天逸流に全てを捧げてしまっていたら、直美と同じ顔をした偽物に愛想良く笑顔を振りまかれていたかもしれない。それは、考えただけでも総毛立つほどおぞましい。

「……なあに?」

 居たたまれなくなった小倉が直美を抱き寄せると、直美は照れながらも不思議がった。

「なんでもない。なんでもないんだ」

 これといった理由もなく、結婚するわけがない。高校時代から、小倉貞利は美作直美が好きだった。ロボット工学に熱中する一方で、二つ年下の下級生である直美に目が向いていたが、その頃は異性に興味を持つことがやたらと気恥ずかしくて表に出せなかった。高校卒業後に都内の機械工学専門学校に進学した後、二年遅れて上京した直美の動向をそれとなく地元の友人から聞き出すも、行動には移せなかった。直美の方から近付いてきてくれて、親しくなっても、どうしても自分から好意を示せなかった。好きだと言えなかった。無謀にも小倉重機を起業し、結婚してからも、文句も言わずに付き従ってくれる直美が誇らしい一方で、優しくする方法が解らなかった。

 だから、何度となく擦れ違った。行き違った。思い違いもした。だが、もう大丈夫だ。愛すべき妻の温もりを全身で味わいながら、小倉は胸中から迫り上がる様々な感情で呻いた。それを直美に訝られたが、なんでもない、と小倉は薄っぺらい意地を張ってやり過ごした。そしてようやく、積年の思いを込めた言葉を口にした。

 愛している、と言えた。


 小倉が支社工場に出向けたのは、翌朝になってからだった。

 感情を振り絞って思いの丈を伝えたからだろう、妻がどうしても離れてくれなかったからだ。それはとても喜ばしいことではあるし、友人達との邂逅を終えて帰宅した美月とレイガンドーも咎めるどころか煽ってきたが、そのせいで自宅を抜け出す機会を失ってしまった。社員達には夕方には支社工場に行くと言っていたのだが、予定が変わったと連絡をするだけで精一杯だった。なので、久し振りに家族揃って夕食を摂り、朝食も摂った。

 朝早くに登校した美月は分校で数日遅れの卒業式をしてきたので、紺のブレザーとジャンパースカートの制服姿で小倉とレイガンドーを送り出してくれた。その制服も今日で見納めとなると、感慨深いものがある。一人分だけの卒業式だったので手短に終わり、出勤時間前に済んでしまうほど簡素だったが、胸に迫るものはあった。つばめとりんねと一緒に卒業祝いをしたがっていたので、美月には休みを与えてやった。

 長女の卒業式に出席したスーツ姿のままの直美は、護を抱いて玄関先で見送ってくれたが、昨夜の一件のせいかそれが無性に照れ臭かった。レイガンドーを載せたトレーラーを運転し、支社工場に向かうと、社員達は早々に仕事を始めていた。昨日のうちに金属疲労の蓄積したロボットファイター達をばらせるだけばらしておいたのだろう、フレームだけとなった岩龍と武公の機体が天井から吊り下がっていた。

 レイガンドーを伴って工場内に入ると、社員達に挨拶された。小倉とレイガンドーは一通り挨拶を返してから、工場の最も奥の作業場で精密部品を眺め回している異形の男、佐々木長孝に声を掛けた。

「タカ、悪いな。昨日はどうしても抜けられなくてな」

「責めはしない。仕事とは家庭ありきのものだ。美月さんの卒業式も終わったんだろう」

「ああ、滞りなく」

「そうか。それならいいんだ」

 そう言って、長孝は凹凸のない顔を向けてきた。

「頼まれていた部品だが、仕様書のコスト内で収めるとなると性能が一段下がってしまうんだが」

「合金の配合に問題があるのか?」

「構造上の問題かもしれない。設計図を再検討するため、製作期間の延長を要求する」

「そいつは無理だな。その部品が出来上がらないと、新機軸の人型重機を製造ラインに載せられない。もう五機は受注済みなんだ、部品の発注も始めなきゃ納期に間に合わん」

「だが、この部品の強度が足りなければアクチュエーターのパワーゲインが0.2%低下するだけでなく、リコールが発生する可能性も否めない。それらのリスクを考慮すべきだ」

「そこまで言うんだったら、再検討後の設計図は上がっているんだろうな?」

「無論だ」

 長孝は小倉を手招き、事務室へと導いた。長孝はスリープモードになっているパソコンを復帰させると、赤黒く細い触手を使ってキーボードを叩きつつもコードレスマウスを動かし、ホログラフィーモニターに立体の設計図を展開し、立体映像の設計図を直接操作した。小倉が発注した部品の問題点とそれを改善した部品との違いを説明する長孝の口調は相変わらずの無機質さではあったが、心なしか態度が和らいでいる気がする。それもこれも娘と暮らしているからだろうな、と、小倉は事務机の隅にあるつばめの手作り弁当箱を一瞥した。

 長孝の話を聞き終えた小倉は、コストは掛かるがリコールを発生させるよりは余程マシだ、という結論に達したので長孝の意見を採用することにした。改善後の試作品も既に出来上がっており、長孝は実物を取り出して小倉に見せてきた。その部品を舐めるように見回してから、小倉は尋ねた。

「解った。これでいこう。それで、小夜子さんは仕事に出てこられないのか?」

「当分は無理だ。安定期に入ったとはいえ、まだ油断は出来ないからだ」

 長孝の報告に、小倉は苦笑する。

「小夜子さんがいればもっと効率良く仕事が回せると踏んでいたんだが、まあ、そればかりは仕方ないな」

「仕方ない。それらを含めて、小夜子さんの人生だからだ」

 長孝は肩と思しき部分を竦め、空っぽのままの事務机を一瞥した。本当ならば、その机は柳田小夜子が使うはずだったのだが、埃が積もる一方である。一年半前に武蔵野巌雄と結婚した小夜子は、アマラを奪取したことを始めとした遺産を巡る争い絡みの裁判が終わってから小倉重機一ヶ谷支社に就職するはずだったが、なかなか裁判の決着が付かなかった。そして、昨年末に裁判が終わったと思いきや、妊娠したのである。悪阻はそれほど重くはないようだったが、身重の女性に無理をさせるべきではないので、小倉重機一ヶ谷支社への就職は保留となった。本人はそれを惜しむ一方で、我が子の命には代えられないと笑っていた。

「コジロウの様子はどうだ」

 小倉がRECのレギュレーション変更に伴う機体の仕様書の入ったデータカードを渡すと、長孝はそれをパソコンのスロットに差し込んでデータを読み込ませながら、淡々と答えた。

「日を追うごとに、情緒に値する主観と判断能力を得つつある」

「いいことじゃないか」

「だが、その影響でコジロウの下位個体に対する情報処理能力が僅かに低下している。ムジンの演算能力を持ってしても、人間の感情を再現するのは並大抵のことではないからだ」

「下位個体というか、量産型の警官ロボット専用のサーバーとネットワークは作ってあるはずだろう?」

「そのサーバーとネットワークには重篤な問題は発生していないが、そのどちらも上位個体であるコジロウのムジンの演算能力に頼っている。だから、ムジンの演算能力がほんの0.1%低下するだけで、公務執行に支障を来す。つばめを守るためにはつばめを取り巻く社会全体を安定させる基盤を維持することが不可欠だと教えておいたはずなのだが……。困ったものだ」

「それだけ、つばめちゃんが好きなんだろうさ」

「ああ。だからこそ、責めるべきではないと思ってしまうんだ」

 本音を言えば責め倒してやりたいんだが、と長孝は口調をやや強張らせたが、父親特有の複雑な感情は顔には出さなかった。だが、長孝の心中はまるで読み取れないわけではない。なんだかんだで三十年近く付き合ってきた相手なのだから、長孝がどういう人格の男なのかは解り切っている。

 小倉貞利と佐々木長孝が出会ったのは、一ヶ谷市内の市立高校だった。その頃の小倉はロボット工学への情熱と多大な夢を抱いていて、学校生活の中では浮いていた。口を開けばロボットの話しかしなかったので、クラスメイトとは遠巻きにされるか、馬鹿にされるかのどちらかだった。だが、そんなことで傷付いている暇があれば機械部品をいじり回している方が良いと思える性分だったので、小倉は落ち込みはしなかった。ほとんど独学でロボットを作ろうと意気込んで、機械部品や基盤などを掻き集めていたが、工具だけは小遣いでは買えなかったので、高校の電子工作室に入り込んで使おうと画策していた。そんな折に出会ったのが、同じような夢を抱いている男子生徒、佐々木長孝だった。一人では使わせてもらえないかもしれないが同好会にすれば許可が下りるかもしれない、と長孝から提案されたので、小倉は即断した。クラスが離れすぎているので接点がなかった佐々木長孝については何一つとして知らなかったが、ロボットが作れるのであればなんでもいい、と思ったからである。

 そんな高校生活だったから、色気付くこと自体が恥ずかしい、情けないとすら思ってしまい、二学年下の下級生である美作直美に好意を抱いても素直になれなかった。おかげで、直美には迷惑を掛けてしまった。

 それから、小倉と長孝は人型二足歩行型機械同好会を立ち上げ、ロボット工学の理解のある教師が顧問として付いてくれたおかげで、放課後に電子工作室に入り浸ってロボットの製作に没頭出来るようになった。その結果、小倉と長孝の手で何体もロボットが出来上がったが、所詮は高校生の腕前なので基本すらも怪しかった。けれど、何度となく失敗と成功を重ねていくうちに、徐々にまともな人型ロボットが出来上がるようになり、高校を卒業する頃にはレイガンドーの原型とも言えるロボットを完成させた。

 佐々木長孝の正体を知ったのは、高校の卒業式を終えた時だ。小倉は都内の機械工学の専門学校に進学することになっていたのだが、長孝もまた都内にある機械部品工場へ就職することになっていた。だが、二人の新天地は遠く離れていて、同じ都内と言えどもそう簡単には会えない距離だった。桜の花吹雪の代わりに粉雪が降る中、長孝は制服を脱いで人工外皮を剥がし、素顔を見せた。人間離れした形相に小倉は心底驚いたが、納得もした。長孝の言動の端々から、常人ではない気配が滲んでいたからだ。赤黒く凹凸のない顔を露わにしながら、長孝は小倉に礼を述べてきた。俺と良い友人でいてくれたことに感謝する、と。その堅苦しい言い回しに小倉は笑い出し、当たり前じゃないか、これからも友達でいてくれよな、と返した。

 そして紆余曲折を経て上司と部下の関係にはなったが、小倉は生涯長孝を越えられないだろう。それが悔しいと思う瞬間はないわけではないが、長孝の才能を埋もれさせてしまうよりは余程いいと考えている。第一、長孝がいてくれなければ、小倉重機に警官ロボットなど発注されなかったはずだ。小倉重機が勢いを増したのは警官ロボットの大量受注が境目だと言っても過言ではないからだ。更に言えば、警官ロボット関連の収益がなければ、RECなどという興行団体を立ち上げることは不可能だった。だから、下手に妬むよりも、長孝が存分に触手を振るえる場所を確保してやるべきなのだ。それが自分の役割なのだと、悟っているからだ。

 そして、友人の在り方であるとも信じているからだ。



 一通りの業務を終え、社員達は宿へと引き上げていった。

 整備と部品交換を終えて再び組み上げられた岩龍と武公と変わる形で、今度はレイガンドーが分解された。RECを旗揚げした当初から、興行の度に必ず試合に出ては奮戦していたレイガンドーの機体は最も消耗が激しく、今回もまた両肩の関節の緩衝材が擦り切れていて分断する寸前にまで陥っていた。最近ではジャーマンスープレックスをアレンジした投げ技を何度も繰り出すようになったので、以前より消耗する速度が早まっている。機体が消耗した分だけ、レイガンドーの人工知能は発達してロボットファイターとしての強さも厚みを増していくのは確かではあるが、痛々しさは拭えなかった。本来の半分以下の厚さになった緩衝材を眺め、小倉は呟いた。

「いつもすまんな、レイ」

「気にしないでくれ。それで、俺も部品の交換だけで済むのか?」

 フレームだけを残して分解されたレイガンドーは、ムジンを始めとした基盤が収まっている回路ボックスもまた機体から分離されていて、スペアの各種センサーに直結されていた。なので、レイガンドーは外界も見られれば人間の声も聞こえ、彼自身が喋ることも出来るようになっているが、身動きだけが取れない状態だった。

「右腕と腰関節はフレーム自体を変える必要がある。試合中に折れなかっただけでもマシだと思え」

 小倉は作業机の上で大人しくしているレイガンドーの回路ボックスを軽く叩いてから、レイガンドーの交換用部品の在庫を確かめた。すると、二体の人型重機が背後から覗き込んできた。

「じゃけん、あがぁなスープレックスは連発するもんじゃないっちゅうたじゃろうが」

 岩龍が腕組みしながら頷くと、その肩に馴れ馴れしく肘を載せている武公が大技を掛ける手振りをした。

「上手く決まれば一発で3カウントが取れるかもしれないし、あれって格好良いもんねー。でも、僕は雪崩式の方が豪快だから好きかも。下手すると、リングごと潰れちゃうけどね!」

「岩龍はファイヤーマンズキャリーからのバックブリーカーを多用しすぎて、左足の膝関節がそっくり潰れていたそうじゃないか。もう少しパワーの制御を上手くしないと、相手のロボットファイターが真っ二つになっちまう。武公もだ、ウラカン・ラナを魅せ技にするためにはもっと練習しないか。相手の首を両足で挟むことに失敗したのなんて、一度や二度じゃないだろ。だが、勢い余って相手の首を飛ばすんじゃないぞ。絶対にだ」

 レイガンドーにきつく忠告されると、岩龍は気まずげにマスクを引っ掻いた。

「そがぁなことを言われても、のう?」

「ねえ? どっちも本気で戦っているんだから、手加減しろっていう方が無理だよ」

 岩龍と顔を見合わせた武公が片手を上向けると、レイガンドーは語気を強める。

「俺達は兵器でもないし、殺し合いをしているわけじゃない。だから、俺達は対戦相手を尊重しつつも戦い合うのが仕事なんだよ。ロボットファイトの原型はあくまでもプロレスと総合格闘技なのであって、戦争じゃないんだ。確かに昔はそうだったかもしれないが、今は違う。シナリオありきのショービジネスなんだよ」

「解っているじゃないか、レイ」

 小倉がレイガンドーの回路ボックスを小突くと、レイガンドーは少し笑った。

「伊達に何年もこの業界で戦っているわけじゃないからな」

「そんな綺麗事を言ってのけるベビーフェイスのくせして、ルーインズマッチではエグい凶器攻撃をするんだぁ」

 武公が毒突くと、レイガンドーは少々動揺したのか、声色を波打たせた。

「あれは美月の命令であって、俺の意志じゃない! 断じてだ!」

「すんごいノリノリで鉄骨を振り下ろしとったじゃろ」

「どぎついアンクルロックを決めながら、げらげら高笑いしていたじゃない」

「ルーインズマッチでいい加減なことをするわけにいかんだろうが、プロとして!」

 レイガンドーは弟達に言い返すも、身動き出来ないので抗えなかった。それをいいことに、岩龍と武公は日頃はあまり言えない不平不満を並べ立てた。レイガンドーがベビーフェイスとして大成し、主に子供や女性に大受けしている一方で、岩龍と武公はヒールキャラとして定着してしまった。それ故にファン層がくっきりと別れてしまい、岩龍は主に三四十代の男性ファンが多く付き、武公はヒールでありながらも少年じみた言動を取っているので、リングに上がるたびに女性ファンから悲鳴を浴びている。いっそのこと、武公はアイドルを意識した売り出し方をしてみるべきなのでは、と近頃考えている。それが当たるかどうかは解らないが、バクチを打ってみる試しはある。

 三体のロボットのやり取りを横目に、小倉は作業を続けた。小倉の頭越しに言い合う、血肉ならぬムジンを分け合った三兄弟は、格段に語彙が増えていた。感情の振り幅も明らかに大きくなっていて、言葉を聞いているだけでは彼らが機械だと言うことを忘れてしまいそうになる。それこそ、若き日の小倉が夢見た世界だ。

 今でこそ、会社経営に専念するために、社員に岩龍と武公のオーナーを努めさせているが、機会があれば再びリングに上がりたい。岩龍と武公のどちらかか、小倉が一から設計して造り上げたロボットファイターを操って、娘が鍛え上げたレイガンドーにチャンピオンベルトを懸けた試合を挑みたい。

 それを願えるだけでも、幸福だ。



 更に翌日、小倉重機は休日を迎えた。

 部署によっては納期や諸々の都合で休日出勤している社員もいるが、小倉が直接取り仕切っているRECとそれに関連している部署の社員達は一斉に休暇に入った。社長である小倉貞利も例外ではないが、休みといえども、次の興行に関する雑事が頭からどうしても離れなかった。だが、仕事と私生活を上手く切り替えなければストレスが溜まってしまい、結果として仕事に支障を来してしまうので、小倉は支社工場に行きたい気持ちをぐっと抑えて自宅に籠もっていた。妻は幼い息子の世話に追われ、娘も弟を可愛がりたい盛りなので、父親にはあまり関心を向けてもらえないのは寂しかったが、それもまた仕方ないことである。

 特にやることもないので、縁側に座って残雪が散らばる庭先をぼんやりと眺めていると、玄関に人影が近付いてきた。モーター音が伴わない滑らかな駆動音に正確な体重移動、無駄という無駄を一切合切省いた淀みない動作、そして白と黒の外装。佐々木つばめに伴われて小倉家の敷地に入ってきた警官ロボットを注視すると、血の巡りが悪かった脳が一気に活性化した。何度見ても、惚れ惚れする出来映えだ。

「あ、小父さん」

 柔らかな薄黄色のダウンジャケットにジーンズを履いてスノートレッキングシューズを履いているつばめは、縁側の小倉に気付くと方向転換してきた。相変わらず毛先が跳ねているツインテールを揺らしながら歩く少女は、小倉の記憶の中の姿よりも少しばかり背が伸びていて、心なしか顔付きも大人っぽくなっている。それだけ、時間が流れている証拠でもある。つばめの背後に付き従い、コジロウも近付いてくる。

「やあ、久し振りだな」

 小倉が挨拶すると、御邪魔します、と一礼してからつばめは駆け寄ってきた。

「お久し振りです。ミッキーとは毎日メールや電話をするけど、小父さんには滅多に会わないから、懐かしい気分さえしますよ。お父さんは別でしょうけどね」

「それで、何か用かな。美月と護なら、奥にいるが」

「ええとですね」

 つばめは肩に掛けていたショルダーバッグを開け、中を探り、一枚の書類を取り出した。

「政府から許可をもらってきました。なので、RECに出られます。色々条件があって面倒臭いようですけど、コジロウというかシリアスの人気が今でも健在だってことと、私の存在を全面に出しても守りきれるんだぞーっていう政府側のアピールと、まあ、他にも細かい事情はあるみたいなんですけど、政府と私の利害が一致したので」

「本当か?」

「嘘じゃないですよ。で、またシリアスとエンヴィーで出てもいいですか?」

「そりゃもちろん。となると対戦カードが随分変わるぞ」

 ちょっと座ってくれ、と小倉が縁側を指し示すと、失礼します、とつばめは縁側に腰掛けた。コジロウはつばめの前に立って、待機している。高揚と興奮を必死に押さえながら、小倉はつばめから手渡された書類を舐めるように見直した。確かに、つばめが言った通りのことがしたためてあり、公安や内閣情報調査室などの人間の署名も本物である。ややこしい制約もないわけではないが、あのシリアスがRECに出場出来るのあれば、そんなものは社長の権限でどうにかしてやろうではないか。

「で、タカはなんて言っている」

 小倉は一通り書類の中身を読み込んでから、つばめに問うた。曲がりなりにも未成年なのだから、保護者からの許可が下りなければ何の意味もない。つばめは弾けるような笑顔を見せる。

「暴れてこいって! なんだかんだで、お父さんもRECは好きですから。CSで毎週放送されているRECの番組は全部録画してディスクに焼いてあるし、ロボットファイターの関連グッズは買い集めちゃうし、この前から発売されるようになったロボットファイターのフィギュアだってもちろん買っちゃうんです。で、この部分の再現度が低いだの塗装の発色が微妙だのなんだのと文句を言いつつ、絨毯爆撃のように全部買い込むんです。で、たまーに夜中に一人で試合の再現をして遊んでいたりするんですよ、これが」

「あのタカがか?」

「あのお父さんが、なんですよー。おかげで笑うに笑えなくて、どうしようかと」

 つばめは余程可笑しかったのか、肩を揺すっている。小倉が真偽を問い質そうとコジロウに目をやると、コジロウは赤いゴーグル越しに小倉を見据えながら、平坦に答えた。

「つばめの証言は全て事実だ」

「そうか、そうかぁ」

 あの、感情を表に出さない長孝が。小倉が笑いを堪えきれずに背中を引きつらせると、つばめは真顔になった。

「でも、お父さんには言わないで下さいね? 私が見ちゃったことは知っているとは思うんですけど、それを本人に指摘しちゃうのはあまりにも可哀想だし、いい歳した大人がロボットで遊んじゃいけないってことはないんで」

「それもそうだな、黙っておいてやるさ」

 小倉が笑いを収めると、つばめはコジロウを窺った。

「で、その、コジロウをシリアスにチューンするのってどのぐらい掛かりますか? シリアスが登場出来るシナリオに変更するのも。台本が決まっていないと、エンヴィーの演技の練習も出来ないんで」

「そりゃ、俺がどうにかしてやる。今のところ、レイとブラックボマーの抗争が主軸になっているが、ノンタイトルマッチを組むのはそう難しいことじゃない。審査と面接待ちのロボットファイターもいないわけじゃないが、そいつらはまだ使い物になるレベルじゃないからな。機体の耐久性能ももちろんだが、オーナーとロボットファイターのキャラクターが出来上がっていない限りはリングには上げられない。目立ってナンボのものだからな。シリアスは外見と性格のギャップが大きいってことで受けたわけだし、そんなシリアスを顎で使う高慢な御嬢様のエンヴィーもなかなか強烈だったから、またすぐにリングに上げられるさ。だが、コジロウを大幅にスペックダウンさせないと試合にならんということは解ってくれ。コジロウのままだと、パワーも何も強すぎてなぁ」

 小倉がコジロウを眺めながら顎をさすると、コジロウはつばめと目を合わせてから応じた。

「つばめの許可が下るならば、本官の機体性能を一時的に低下させることを了承する」

「そりゃもちろん。対戦相手のロボットファイターを叩き潰しちゃったら、オーナーさんが可哀想だし」

 つばめが頷いたので、小倉はレイガンドーとコジロウ演じるシリアスのノンタイトルマッチについて構想を練ろうとしたが、休日であることを思い出して我に返った。ここ最近は忙しかったので、今日はまともに休むべきだと考えていたはずなのだが、シリアスとエンヴィーの件を先延ばしにするのは勿体ないと感じてしまった。だが、ここでつばめとコジロウを突っぱねて帰すのはあまりにも惜しい。小倉が逡巡していると、つばめが謝ってきた。

「あっ、そうですよね、今日ってお休みですもんね。お父さんが休みなら、社長の小父さんが休みじゃないわけがないですもんね。御仕事の話なんて、また今度にするべきでしたね」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ」

 子供に気を遣わせてしまった気まずさで、小倉は苦笑した。つばめは立ち去るべきか否か迷っているらしく、視線を彷徨わせたので、ちょっと待っていてくれ、と言ってから小倉は縁側から腰を上げた。来客に何も出さないわけにも行かないので、適当に見繕うために台所に行った。今日は道子が家事手伝いには来ていないので、台所は少し雑然としていた。美月も呼ぶべきかと辺りを見回すと、美月は護を寝かし付けている最中に自分までも寝てしまったらしく、居間で突っ伏していた。無理もない、長距離移動と興行の合間に勉強しているのだから、疲れも溜まる。

 息子が大人しく寝入っていることを確かめた後、娘の背中に毛布を掛けてやり、小倉は菓子鉢と急須と茶碗を盆に載せ、縁側に運んでいった。それをつばめに出してやると、つばめは礼を述べながら熱い緑茶を口にした。小倉もそれで喉を潤しながら、再び胡座を掻いた。コジロウは相変わらず突っ立っていた。

「改めて、ありがとうございます」

「なんだ、唐突に」

「だって、小父さんがお父さんの与太話に乗っかってくれなかったら、今のコジロウはなかったんですから」

 つばめに深々と頭を下げられ、小倉は恐縮する。

「止せよ、大したことじゃない。俺はタカの設計図のロボットを造って、政府からの受注を受けて、自分の名義で警官ロボットを売り捌いたんだから、礼を言うべきは俺の方だ。おかげで、随分と儲かったからな」

「でも、コジロウを造ってくれたのは小父さんと小倉重機の社員さん達ですから」

「といっても、量産機とコジロウだとかなり仕様が違うがな。うちの会社で造ったのはフレームと外装と各種ギアぐらいなもんで、他の細かい部品はほとんどタカの手製だ。ムジンのエネルギーを動力に変換して各部位に伝えるためのアクチュエーターなんか、俺の頭じゃ絶対に思い付かないし、俺の腕じゃ到底造れん」

「え、そうなんですか」

「タカはそんなことも教えてくれないのか?」

「教えてくれないというか、うちで仕事の話はほとんどしないし、私も聞き出すのはなんだなぁって思っているんで」

「シャイというか、気難しいというか、照れ屋というか……」

 小倉が半笑いになると、つばめも似たような顔になった。

「それがうちのお父さんですからねぇ……」

「この際だ、タカが今まで何を造ってきたのかを教えてやろう」

「わあい、ありがとうございます!」

「タカから話してくれるのを待っていたら、何十年掛かるか解らんしな」

 三〇年分もあるのだから、長話になりそうだ。小倉は興味津々のつばめの視線に少々戸惑いつつも、春の日差しに暖められた縁側にて、佐々木長孝と出会った経緯から話し始めた。高校時代の人型二足歩行型機械同好会の時点からして初耳だったのか、つばめは目を丸くしていた。コジロウはつばめに手招かれて縁側に座り、小倉の話に聴覚センサーを傾けていた。きっと、一から十まで録音しておくのだろう。

 高校時代に小倉と共に生み出した自主製作ロボットに関する悲喜こもごも、長孝が都内の製作所に就職した後に取ったロボット関連の特許の数々、長孝が外注されて書いた設計図によって生み出され、現代社会に貢献している工業用ロボット、ロボット、ロボット、ロボット。異常な環境に産まれ落ちたが安易に屈折せず、やりきれなさを才能にぶつけてエネルギーに変換していた男の人生の結晶であり、情熱の集大成がロボットなのだ。

 話していくうちに、小倉は長孝が人間に対して深く強い憧れを抱いているのだと知った。これまでに長孝が造ってきたロボットのほとんどが、完全な人型だったからだ。非人間型のロボットを外注された場合には、その通りのものを生み出していたが、長孝が独力で生み出しているものは全て人型ロボットで、二本の手足を備えていた。人間とそうでないものの合いの子として生を受けた長孝は、人間の振りをするために人工外皮を被って、常人の真似事をしながら生活していたが、長孝の苦悩は想像しても余りある。だから、人間に馴染む姿をしたロボットを造ることで、長孝は間接的に世間に混じり、精神の安定を保っていたのだろう。

 ロボットは人間の良き隣人であり、人間が生み出した新たな種族であると同時に、人間ではない者達を救う術でもある。つばめに長孝のことを話してやりつつ、小倉は長孝にとっての自分の存在と、自分にとっての長孝の存在について頭の片隅で考え込んだ。行き違ったこともあれば、感情を露わにしない長孝に苛立ったこともあったが、長孝がいなければ今の小倉も小倉重機もRECもない。そして、娘の良き友人も存在していない。長孝にとってもそうであればいいと思ったが、思うだけに止めた。そういうことは、口にするのは野暮だからだ。

 行動で示せばいいだけのことだ。



 一ヶ月後。

 ドーム球場の中央に組んだ特設ステージ目掛けて、カクテルライトが放たれる。大音響で入場曲が流れた途端に一万人を超える観客達が一斉に沸き立ち、観客席が揺れ、凄まじい歓声が上がる。暗転させた会場内の中では際立って目立つホログラフィーの中で、メイン戦を行うロボットファイターのPVが流れる。光沢のあるダークパープルの外装にパイプとチェーンが過剰装飾され、胸部装甲には毒々しいドクロが白抜きでデザインされた機体。それこそがコジロウ演じるシリアスであり、二年半の時を経て電撃復活を果たした伝説的なロボットファイターである。

 タイムテーブル通りに興行が進行していることに安堵しつつ、小倉は入場ゲートの裏側で待機している、コジロウ改めシリアスと、佐々木つばめ改めエンヴィーを窺った。入場ゲートの先では最前列の席の観客達が立ち上がり、ロボットファイターとオーナーの入場を今か今かと待ち侘びている。復活に伴って再発売されたシリアスとエンヴィーのTシャツや、エンヴィーのレプリカマスクを付けたファンも少なくない。

「わぁお」

 以前よりもほんの少しだけ露出度が増したボンテージ風の衣装を身に付けたエンヴィーは、マスクの下で派手なマスカラを付けた目を瞬かせた。メイクも濃くなっていて、口紅の色はシリアスのボディーカラーに合わせた濃い紫になっているので、さながらビジュアル系ロックバンドのようでもあった。

「こりゃヤバいね。チャントもシリアスの方がずっと多いわ」

 レイガンドーの足元で、彼の外装に顔を映して前髪を手直ししながら、美月がぼやいた。

「でもまあ、それぐらいじゃないと張り合いってもんがないよね。ギリギリまで追い詰めてよ、で、負けてやるから」

「うわあ上から目線」

 エンヴィーが生温く笑うと、美月は営業用の顔に切り替える。

「レイは絶対的な世界王者だけど、その世界王者でも勝てるとは限らない、最強のライバルになってほしいんだよ。岩龍と武公はどちらかっていうと悪友みたいなもんだし、最近は岩龍と武公もちょっとキャラがベビーフェイス寄りになってきたから、ガチガチのヒールに責められないとレイも箔が付かないしね。だから、エグい攻撃してね?」

 その分やり返すけどね、と明るい色味のグロスを塗った唇を上向けた美月は、女子高生風の衣装が見劣りするほど、肝が据わった顔をしていた。この二年半の間に数十回の試合を経験し、その回数だけ勝利と敗北も経験し、観客席から、ネットから、ありとあらゆる賞賛と罵倒を浴びているのだから、下手な大人よりも逞しくなるのは当然の結果である。じゃ、お父さん、後はよろしくね、と言い残して美月はレイガンドーの肩に載った。

「そうだ、お父さん、写真撮って! んでお母さんにメールして、護にお姉ちゃんの勇姿を見せてもらうの!」

 美月がレイガンドーの肩の上でポーズを決めると、レイガンドーも拳を掲げてみせる。

「美月がそう言うなら、俺も撮ってもらおうか。可愛い弟のためだ」

「そんなことをしている時間があるかよ」

 そうは言いつつも小倉は携帯電話を構え、娘と息子同然のロボットファイターを撮影し、手短な文章を添えて妻のメールアドレスに送信した。その様子を見てエンヴィーはにやけていたが、スタッフから入場しろと急かされて表情を切り替えた。御嬢様らしい優雅な仕草でシリアスに手を差し伸べると、シリアスは跪いた。

「では参りましょうか、シリアス?」

「仰せのままに、御嬢様」

 シリアスの肩に載ったエンヴィーは扇を広げて口元を隠し、一つため息を零してから深呼吸をすると、それまでは十六歳の少女らしい幼さが残っていた目付きが鋭くなった。リングアナウンサーの煽り文句が終わった頃合いに入場ゲートの両脇から花火が上がり、火花と爆音が入場曲を貫いた。オイルをオイルで洗う戦場へと向かう少女達の背中を見送ってから、小倉は高揚する気持ちを抑え、次の試合の準備のためにバックヤードに向かった。

 出番を終えたロボットファイター達が収められているスペースでは、人工外皮を被って作業着を着た佐々木長孝が、損傷の激しいロボットファイターを解体する作業に精を出していた。仕事熱心なのはいいことではあるが、娘の晴れ舞台を見ずに終えてしまうのだろうか。最前列の関係者席を空けておいたんだがな、と思いつつ、小倉もまた作業用の手袋を填め、腰関節が見事に潰れているブラックボマーを解体する作業を始めた。他の社員達は忙しく、手が空いていないからだ。ブラックボマーは先程の試合で岩龍と対戦した際にパイルドライバーを決められたのだが、受け身に失敗してしまったのだ。

「試合を見に行かなくていいのか? 俺が完璧に整備したレイと、お前が完璧にチューンしたシリアスの一戦だぞ、生で見るべきじゃないのか。それと、リングに上がったエンヴィーは見物だぞ。あの衣装が良く映えるんだ」

「俺は俺の仕事をするだけだ」

 人工外皮を被っているためにいつも以上に表情が読みづらい長孝は、バールを使って破損した外装を剥がすと、折れたシャフトと割れたナットの間で火花を散らしているケーブルを切断し、バッテリーも抜いた。

「そうかい。だが、気が向いたら見てくれよ。何せ、レイは俺の傑作だからな」

 長孝の横顔を一瞥してから、小倉は口角を上向けた。長孝は僅かに手を止め、義眼を動かす。

「あらゆる面に置いてシリアスはレイガンドーに負けていない。勝機はこちらにある」

「そいつはどうかな? 多少シナリオがあるとはいえ、レイとシリアスの試合はノンタイトルマッチだから勝敗までは決めていないんだよ。だから、俺にもどっちが勝つかは解らん。俺は見るぞ、レイが勝つと信じているからな」

「シリアスが負けるわけがない」

「だったら付き合えよ、タカ。それとも、自分の息子が負けるところを見たくないだけか?」

「解った。一度だけだ」

「じゃ、さっさとブラックボマーを片付けて試合を見に行くぞ。でないと、特等席が無駄になっちまう」

「ああ」

 長孝は触手を使えないのがもどかしそうではあったが、的確に解体作業を行っていった。レイガンドーとの抗争を経て岩龍と一騎打ちを行った巨体のロボットファイター、ブラックボマーを設計し、デザインしたのは他でもない長孝である。その名の通りの重量級の機体でありながら、爆撃機のように空中技を繰り出せるほどの強靱なジャンプ力と空中でも姿勢制御が狂わない高精度の水平装置を備えている。産まれて間もないので人工知能の人格は未完成ではあるが、それを生かし、片言で喋る寡黙な巨漢というキャラクターで売り出している。

 機械油で汚れた手袋の甲で額に滲んだ汗を拭いながら、小倉は充足感に満たされていた。長孝と並んでロボットをいじるのは、何年振りになるだろう。この男がいなければ、自分は今頃どうしていただろう。現実逃避がしたいがあまりに誘われるがままにアンダーグラウンドの世界に足を踏み入れたことはさすがに後悔しているが、あの経験がなければ、RECを立ち上げる勇気は起きなかった。警官ロボットを受注生産して資金を稼いでいなければ、長年の夢は燻っているだけだった。何か一つでも欠けていれば、小倉重機は、RECは、今の小倉貞利はいない。

 躓いたとしても、道を間違えたとしても、選択を誤ったとしても、それらを糧にして立ち上がればいいだけのことだ。それは、これからも変わらない。浮いた分だけ沈み、沈んだ分だけ浮き上がる、天からの采配といっても過言ではないほど出来すぎた人生ではあるが、過信せずに全力を尽くさなければ。傍らの友人と肩を並べ、胸を張り、家族を支えていくためにも、地に足を着けて前を見据えなければ。

 明日のスポーツ新聞の一面が楽しみだ。

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