毒を以てドロップを制す
気の滅入る仕事ばかりだ。
所轄の警察官だった頃は、青臭い功名心故にこういった難事件に関わりたいと内心で願っていた頃もあったが、現実は映画や推理小説のように格好良いものではない。靴底と神経を磨り減らすだけだ。周防国彦はコーヒーを啜りつつ、捜査資料を読んだ。遺産に関わる争いが収束したが、それ以降周防の仕事は増える一方である。弐天逸流がシュユから株分けされた植物を用いて産み出していた人間もどきは、社会に深く根を張っていたが、シュユと異次元宇宙との接続が切れた際に一株残らず死に絶えた。その際に露呈したのは、遺産を用いた技術の脆弱性と危険性だけではなかった。人間の心根の弱さと浅ましさが剥き出しにされた。
もっとも、それは人間もどきだけに限った話ではない。フジワラ製薬がアソウギを使用して産み出していた怪人達もまた、同様だ。新薬の被験者としてフジワラ製薬に集まった者達は、皆、陰鬱な問題を抱えていた。引きこもり、鬱病、ネットゲーム中毒、自傷、その他諸々だ。
フジワラ製薬の社員がプロパーとして出入りしていた病院の心療内科でカウンセリングを受けていた患者も少なくはなく、あなたの病気に良く効く薬があるがまだ認可されていない、だから被験者になってくれないか、などとフジワラ製薬の社員に言われ、誘われるがままにフジワラ製薬の研究所に連れ込まれていたそうだ。
そう証言してくれたのは、アソウギから解放されて元の姿を取り戻した人々だ。彼らは管理者権限所有者である佐々木つばめの力により、タイスウに保存されていたアソウギから一日おきに八人ずつ元に戻っていったのだが、全員が元通りになる前に遺産は異次元宇宙の彼方に消え去ってしまった。だが、物質宇宙に留まっているシュユが彼らの遺伝子情報を異次元宇宙からダウンロードし、クテイが眠りに付いていた桜の木の根を用いて、彼らに再び命を与えている。
「それでめでたしめでたし、ってのが普通なんだが」
周防はモニターを消したタブレット端末をテーブルに置いてから、上体を反らした。
「この人達って、どうなるの?」
死亡届が出ているんでしょ、と言いながら、一乗寺皆喪はコーヒーメーカーからポットを取った。周防が空になったマグカップを差し出すと、煮詰まり気味の濃いコーヒーを注がれた。
「それなんだよ。一応、一ヶ谷市内にN型溶解症の隔離地域って名目で民家を借り上げている居住区があるから、そこに全員住まわせているんだが、どうにもこうにも。新しく戸籍を作るのも簡単じゃないが、いつまでも宙ぶらりんのままってわけにもいかないし、それぞれの意思もあるが、それぞれの事情の背景もある。問題だらけだ」
周防は髪を掻き上げ、随分と伸びたことに気付いた。内閣情報調査室の職員達の三割が人間もどきになっていた影響で慢性的な人員不足に陥っているので、周防は欠けた捜査員の穴を埋めるために息つく暇もなく仕事に追われている。そのせいで散髪に行く余裕すらなかったのだ。
「俺がまた手伝えたらいいんだけど、そうもいかないしねー」
一乗寺は周防の向かい側に座ると、煮詰まったコーヒーに砂糖を二杯入れる。
「部署が部署だから、他の官庁から捜査員を引っ張ってくるわけにもいかないからな。過労死しないように努力するしかなさそうだ。後片付けが終わるまで、子供を作る暇はないな」
周防が嘆くと、一乗寺はむくれた。
「えぇー、やだぁ」
「やだじゃない。ミナだって、学校があるだろうが」
「どうせ来年になったら、つばめちゃんと美月ちゃんは卒業しちゃうからどうってことないもん。りんねちゃんだって、分校から卒業したら通信制の学校を受験することになっているもん。だから、俺の出番はもうじき終わるの」
「作って産むだけで終わりじゃないだろ。産んだからには、育てなきゃならない」
「頑張るもん」
「この前まで男だった奴にそう簡単に母性が芽生えるとは思いがたいし、何より、お前だから余計に不安なんだ」
「すーちゃん、俺とヤリたくないの? それとも、他の女で抜いてきちゃったの?」
「違う、そういう意味じゃない」
「すーちゃんがそんなこと言うんだったら、もう一緒にお風呂に入ってあげなーい。寝る時に手を繋いであげなーい。行ってらっしゃいとお帰りなさいのイチャイチャをしてあげなーい。とっておきの下着を着てあげなーい」
「最後のは余計だ」
「事実じゃんかよー。それで、明日は何時に出るの?」
一乗寺は甘ったるいコーヒーを啜りながら目を据わらせると、周防は答えた。
「明日からは事実関係を整理するための捜査に入る。だから、日が昇る前に出掛けると思っていてくれ」
「それじゃ、一週間は帰ってこられないってことか。あー寂しい、寂しいったらないやぁ」
「俺もそうだ。だから、大人しくしていてくれ」
「で、何の捜査? 吉岡グループは自殺に見せかけた暗殺を防止するために幹部社員をほぼ全員逮捕してあるし、新免工業は兵器売買のカドで立件してあるからどうにでもなるし、フジワラ製薬はいおりんのお母さんとその恋人の秘書さんから証言を引っ張り出している最中だし、ハルノネットはみっちゃんの作ったネットワークとアルゴリズムを利用して情報を一切合切洗い出している途中だし、弐天逸流は元信者の洗脳を解いている段階だし」
「羽部鏡一が関連していると思われる殺人事件だよ」
「ああ、羽部ちゃんのねぇー。でも、なんで? 今まで、羽部ちゃんの起こした事件って、ほとんど立件されもせずにスルーされていたんでしょ? それなのに、どうして今更掘り起こすの? そりゃ、時効制度はなくなったけどさ」
「羽部が殺していた人間のほとんどが、人間もどきだったからだよ。フジワラ製薬に入社してからは弐天逸流の信者名簿を手に入れていた可能性があるから、それを元にして人間もどきを見つけ出していたんだろうが、それ以前はどうやって生身の人間と人間もどきを区別していたのかが解っていないんだ。まあ、遺産絡みの大事に比べれば、重箱の隅もいいところだが、事実関係を洗えるだけ洗い出しておいた方が今後に役立つかもしれん。些細なことほど、重要な情報だったりするからな」
「気を付けてね、すーちゃん」
「羽部の関係者に聞き込みをするだけだ。だから、危ない目には遭わんさ」
「あんまり深入りすると、ヘビに噛まれちゃうよ?」
一乗寺の尖った眼差しに、周防は頬を持ち上げた。そんなこと、今更言われるまでもない。長年内閣情報調査室で捜査に当たってきたのだから、身に染みている。事件に深入りしすぎて、迂闊にそちら側に引き摺り込まれないように気を張るのは基本中の基本だ。
周防の知る限りでも、羽部鏡一は犯罪史に名を残しかねないほどの人数を殺してきている。そのくせ、羽部鏡一は頭から尻尾の先まで自信に満ち溢れていた。自尊心で心身を塗り固めて、誰も彼もを見下していた。怪人であったことを含めても、羽部鏡一は極めて特殊な事例だ。周防が共感出来る要素など、何一つ見当たらない。だから、覗いたところで底すら見えない深淵だ。
死んだヘビに喰らい付かれるわけがない。
羽部鏡一。フジワラ製薬正社員、薬品開発課所属、研究員。
享年二十六歳。都内の私立大学の生物理工学部、遺伝子工学科を卒業した後、フジワラ製薬に新卒採用され、表向きは新薬の開発を行っているが、その実はアソウギを用いた怪人を開発している研究所に配属される。以降、羽部はアソウギの実験台として研究所に送り込まれた被験者にアソウギを投与し、怪人を生み出す研究に携わる傍ら、自らも実験台となってグリーンパイソンと融合し、ヘビ怪人となる。それを境にして、フジワラ製薬内での羽部の地位は急上昇し、実質的に社長である藤原忠の直属の部下となり、吉岡グループが立ち上げた遺産奪取作戦にも深く関わることとなる。そして、フジワラ製薬、吉岡グループ、弐天逸流を点々としたが、同じ怪人であった備前美野里と交戦した後に、D型アミノ酸の分解酵素を浴びて溶解し、死亡。その後、彼の残留思念をインストールしたムジンの破片を搭載した警官ロボットが、REC所属のロボットファイター、レイガンドーと交戦したとの証言もあるが、公文書には記録していない。出来るわけがないからだ。
周防が知っているのは、その程度のことだ。羽部鏡一がヘビ怪人となった後の出来事は、今は然したる重要性はない。無力な青年に過ぎなかった彼が、いかなる動機で殺人を繰り返し、何人の少女に手を掛けたのか。それが最も重要な案件だ。早朝に集落を出た周防は、愛車のセダンを運転しつつ、一乗寺が朝食にと作り置きしてくれたおにぎりを囓っていた。男だった頃からずぼらだった彼女の料理の腕前は今一つで、おにぎりの具は真っ当なものではあったが、塩加減を間違えたらしく、やたらと塩辛かった。それでも、形だけはそれなりに整っていたので少しは進歩しているらしい。料理の出来はともかく、気持ちがありがたいので、周防は米粒一つ残さずに平らげた。
高速道路から降りて国道を走り、北陸地方の片隅にある田舎町に向かった。羽部の生家の住所は事前に調べが付いていたので、それをカーナビに入力して案内させた。ホログラフィーモニターに表示された矢印に従って進むに連れて道は狭くなり、路地は入り組み、家々も古めかしくなってきた。家の周囲にある田畑には住民と思しき人影がちらほらと見えたが、皆、周防の車を凝視してきた。余所者が珍しいからだろう。
羽部の生家は、狭い集落の最も奥にあった。高い塀に囲まれており、敷地内には年季の入った土蔵があった。だが、手入れが行き届いていないのか、仰々しい瓦屋根の端には苔が生えていて庭は荒れていた。羽部の親類が住んでいるのかどうかも怪しく思えたが、家と隣接している車庫のシャッターは開いており、タイヤに湿り気のある泥が付いた軽トラックが収まっていた。ということは、この家に住人がいるとみて間違いない。
「何か、御用ですか」
不意に、背後から声を掛けられた。周防は咄嗟に脇のホルスターに手を掛け、振り返る。
「この家の方ですか」
「ええ、まあ」
そこに立っていたのは、色褪せたシャツとジーンズを着た、二十代後半の女性だった。色気もなければ飾り気もなく、どんよりとした目で周防を捉えていた。周防はホルスターから手を外し、内ポケットから警察手帳を出した。
「羽部鏡一さんのことで、少しお話を聞かせて頂けませんか」
「どのことですか」
「どのようなことでも構いません」
「あの人、死んだらしいですね。政府の人が、うちにそれを伝えに来ましたから」
「ええ、お気の毒ですが」
「いいことじゃないですか」
笑いもせずに呟いた女性は、どうぞ、と周防を促してきた。周防は女性を注視してくる他の住民達を気にしながら、導かれるままに家に上がった。荒れた外見とは裏腹に家の中は小綺麗だったが、障子が閉め切られているので薄暗かった。細長い廊下を歩くと板が軽く軋み、女性の背では一括りにされた髪が尻尾のように揺れた。
居間に通された周防に、女性が緑茶を淹れてくれた。彼女しか住んでいないらしく、裏庭に干してある洗濯物は一人分しかなかった。女性は砂井久実と名乗った。周防も名乗り返してから、居間と連なっている仏間を見やった。床の間と隣り合っている仏壇には黒塗りの位牌が四つ、並んでいた。擦り切れた生活感が漂っている居間の片隅には、最新型のパソコンと共に大型の電子機器が据え付けられていた。日本製ではないらしく、電子機器には英語のロゴが付いていた。それには、見覚えがあるような気がした。
「失礼ですが、砂井さんは羽部さんとはどういった御関係で」
周防が問うと、久実は両手で湯飲みを包み、薄緑色の水面に目を落とした。
「たぶん、兄妹です」
「では、血の繋がりがないんですか」
「んー……半分、いや、もうちょっと少ないかなぁ。うち、ちょっとややこしいんです。私はあの人よりも一つ年上ではあるんですけど、あの人を産んだのは私の母親じゃなくて、祖父の愛人なんですよ。でも、その愛人さんがあの人を産んですぐに死んじゃったものだから、うちに引き取られて、兄妹として育てられたんです。昼ドラみたいだけど、現実となると嫌なものですよ。私も、私の両親も、あの人をどう扱っていいのかが解らなかったし。祖父はあの人をそれなりに大事にしていたけど、祖父が亡くなってからは持て余されるようになって。羽部っていうのは、祖父の名字です。私の名字は父親のです。だから、違うんです」
久実は眠たげな表情のまま、淡々と語る。
「でも、別に虐待とか、そういうのはなかったんですよ。私も、私の両親も、そこまで冷血じゃなかったから。だけど、あの人は生まれつき他人との付き合い方が下手くそだったみたいで、優しくすればするほど噛み付いてくるんです。あ、物理的にじゃなくて、精神的に。プライドの固まりで、ちっとも融通が利かなくて。自分がこうしたいと思ったことを貫き通すためなら、どんなことでもしていました。誰よりも勉強して、色んな本を読んで、この集落の誰も行ったことがないレベルの高い高校に進んだんです。でも、その頃からだなぁ……」
久実は両手の間で湯飲みを転がし、水面を波打たせた。
「あの人、子供の頃からちょっと変だったのは確かなんですよ。解剖が好きっていうか、生き物を壊すのが趣味っていうか、まあ、そんな感じです。子供が生き物を残酷に扱うのは、まあ、普通のことではあるし、私もちょっとだけは身に覚えがありますよ。でも、あの人の場合、バラした後にじっくり中を眺めるんです。それをスケッチしてみたり、内臓を取り出してみたり、まあ、色々とやっていました。他に遊び相手がいなかったから、そうやって一人遊びをするしかなかったのも確かではありますけどね。私だって、遊び相手ぐらい選びますから」
久実の語り口はぼんやりとしていたが、言葉の端々に羽部への嫌悪感が滲んでいた。
「あの人、高校に通うようになってから、ちょっとだけ活発になったんです。本当にちょっとだけ。その原因は、高校で女の子と仲良くなったからなんです。でも、それはあの人を馬鹿にするために仕組まれたことだって私はその高校に通っている友達から聞いていたので、なんだかなぁって思いながら遠巻きに見ていたんです。で、しばらくしたら、馬鹿にされていることに気付いたみたいで。その女の子にも、かなりひどいことを言われたみたいで。それからどうなるのかなぁって思っていたら、なんか、その女の子の妹が行方不明になっちゃって」
「誘拐されたんですか」
「たぶん、違います。その場で殺したんじゃないかなぁ。で、色々といじくり回してから、その辺に埋めたんじゃないかって。まあ、証拠なんてないですけど。十年も前の話だし、死体も見つかっていないし」
「砂井さんは、どうしてそうお思いになるんですか」
「だって、あの人、よく喋るようになったから。虫とかトカゲを殺して遊んだ後、ちょっとだけお喋りになっていたから、たぶんそれと同じことかなぁって。まあ、その内容はとんでもないので、あんまり聞きませんでしたけどね。まともに聞いちゃうと、こっちの頭がおかしくなりそうなことばっかり喋っていたから」
「羽部さんは……なんというか、突飛な性格でしたからね」
羽部の特異性は、周防も身を持って知っている。周防が苦笑すると、久実は訝ってきた。
「刑事さん、あの人のことを調べてどうするんですか? 立件するんですか?」
「N型溶解症の感染が拡大してしまったことにはフジワラ製薬も深く関係しているので、事実関係を整理するための情報が必要なんです。羽部さんは、特に重要な部署で働いておられましたから」
「そうですか。じゃ、裏山でも掘り返してみればいいですよ。きっと、殺された女の子の骨が出てきますよ。あの人のことを知るには、それが一番確実ですからね」
「それは事実なんですか?」
「それはさっき言いましたよ。証拠もなければ死体もないって。でも、間違いなくありますよ、骨が」
「どうして通報しなかったんですか?」
「だって、私まで殺されちゃうから。それは嫌だから。祖父も両親も死んじゃったから、私がこの家とか土地を相続することになったんですけど、あの人が頻繁に出入りしていた裏山もその中に入っているんです。殺されることは嫌だけど、なんか、あの人のことを気にしているだけでも嫌だから、関わりたくないから」
「だから、何も言わずに黙っていたと?」
「だって、あの人、東京の大学に進学したから。もう二度と帰ってこないって解っていたから、余計に。目を合わせるのも嫌、同じ空間にいるのも嫌、同じ時間を過ごすのも嫌、同じ血が流れているって思うだけでも嫌、あの人の手で触ったものも嫌、あの人に殺された子に関わるのなんてもっともっともっと嫌」
嫌、嫌、嫌。そう繰り返す久実は、薄ら笑いを浮かべていた。羽部と二度と関わらずに済む、解放感からだろう。そこまで嫌われれば、羽部でなくても歪む。周防は寒気を覚えながらも、久実から必要な情報を得ると、早々に家から出た。エンジンが冷え切ったセダンに乗り込み、暖機していると、バックミラーに玄関先に出てきた久実の姿が映った。彼女もまた自尊心の塊だ。だから、羽部を徹底的に見下して自尊心を保っているのだ。だが、久実はそれに気付いていないのか、それとも気付いていないふりをしているのか。
どちらにせよ、羽部鏡一との血の繋がりを感じずにはいられない。周防はハンドルを回してアクセルを踏み、車を発進させた。集落を出るために細い道を通っていくと、住民達がこちらを窺ってきた。異物を拒絶する目で、周防とその車を睨め回している。バックミラーに目をやると、久実が生気のない顔を向けていた。羽部のそれと似通っている吊り上がり気味の目を限界まで見開き、薄い唇を弓形に曲げて八重歯を覗かせていた。
爬虫類が威嚇する様に、よく似ていた。
その後、周防は羽部の高校時代の同級生と接触した。
羽部の生家のある集落から車を小一時間走らせ、隣町の建設会社を訪ねた。事前に電話を入れておいたこともあり、周防はすんなりと社内に通された。手狭な事務所の片隅にある応接セットに座った周防は、事務員の女性が運んできてくれたコーヒーを口にしながら待っていると、作業着に身を包んだ男性がやってきた。胸元の社員証の名前も顔写真も、資料と一致している。周防は腰を上げ、一礼する。
「お仕事中にお呼び立てしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、構いませんよ。大して忙しくもありませんでしたから」
そう言いながら向かい側に腰掛けたのは、紺田悟志だった。背はそれほど高くなかったが、骨太で筋肉質なのでがっしりとしていた。濃く日に焼けた肌と明るい表情も含めて、何から何まで羽部は正反対だった。だが、砂井久実が羽部と最も親しかった高校時代の友人であったと名を挙げたのは、彼だった。羽部と同じクラスの生徒であったという以外の接点が見当たらないように思えたが、表面だけに囚われてはいけない。それもまた捜査の基本だ。
「それで、その、羽部が死んだって本当ですか?」
「ええ、そうです。フジワラ製薬に勤めていてサイボーグ関連の薬剤の開発を行っていたのですが、業務上のミスでN型溶解症に罹患してしまったんです」
周防が白々しい嘘を言うと、紺田は痛ましげに眉を下げた。膝の間で、皮膚の厚い手を硬く組む。
「そうですか……。あの病気って、骨も残らずに溶けてしまうんですよね? 相当苦しかっただろうなぁ……」
紺田は一度ため息を吐いてから、周防を見やった。
「あの、刑事さんは羽部の実家に行ったんですか?」
「ええ、そうですが。羽部さんの御兄妹から、お話を窺いました」
「え、あの陰気なヘビ女からですか?」
「ヘビ?」
羽部には馴染み深すぎる単語に周防が反応すると、紺田は周囲を窺ってから声を低めた。
「羽部の実家の人間はどれもこれも変だったんですけど、俺の知る限り、羽部の姉貴に当たる女が一番変だったんです。羽部の姉貴、いつもヘビを掴まえてきては頭を潰していたんです。どこからそんなものを調達してくるのかは解りませんけど、その現場を見たのは一度や二度じゃなかったんです。といっても、毒ヘビじゃなくて青大将とかの毒のないヘビでしたけど、それでも気味が悪いったらありませんでしたよ」
「それは確かに」
「でも、羽部の姉貴がおかしくなったのは、一度死んだからなんですけどね」
「砂井さんは、サイボーグ化なさったんですね?」
思い返してみれば、砂井家の居間の隅にあった機械は、サイボーグが使用する人工体液濾過装置だ。あの機械と同じものを、サイボーグである寺坂の住まう浄法寺でも見かけていた。周防が察すると、紺田は頷く。
「そうなんです。羽部が中学三年生の頃だったかな……。羽部の姉貴は通学途中に車に撥ねられて、内臓破裂で死にかけたんですけど、すぐに処置を受けたのでフルサイボーグになったんです。その時搬送された病院に常駐してあったサイボーグのボディとかはアメリカ製だったので、N型溶解症の被害を受けずに済んだみたいですけど。で、それからですよ、ヘビを殺すようになったのは。なんでも、いきなり歩道に降ってきたヘビに驚いて道路に飛び出した途端に車に轢かれたからだそうで。だからって、ヘビに八つ当たりするのはどうかと思いますけど」
紺田は乾いた笑いを零してから、背を丸めて組んだ手の上に顎を載せた。
「羽部の話って、なんでもいいんですか?」
「もちろん。どんなことでも構いません」
「だったら、そうだな……。あいつも変な奴でしたけど、悪い奴じゃなかったんですよ。東京の大学に推薦合格して大企業に就職出来たぐらいだから、頭はずば抜けて良かったし、要領も悪くなかったし、運動だって致命的に下手だったってわけじゃありませんでした。周りの人間に愛想の欠片もないので、そのせいでハブられることも何度かありましたけど。でも、俺は嫌いじゃなかったんです」
紺田は組んだ手の上で、建設現場の仕事で日に焼けた頬をぐいと曲げた。
「なんていうか、あいつには自分の世界が最初からあったんです。高校生の頃っていうか、思春期ってのはそれでなくてもごちゃごちゃしていて、自我が中途半端じゃないですか。でも、あいつはそうじゃなくて。自分のやりたいこと、やるべきことが見えていたんです。それがやけに大人っぽく思えて。だけど、あいつは友達なんて必要としないタイプだったし、友達になりかけた人間は羽部の姉貴の友達に追い払われたから、結局、俺もあいつとは」
「追い払われた、ってどういうことですか?」
「羽部の奴は、姉貴とその親にぎちぎちに縛られていたんですよ。その理由は、俺も未だによく解りません。羽部が生まれ育った集落が馬鹿馬鹿しいほど閉鎖的だってのは知っていますけど、深入りするべきじゃないって俺の親も言っていたので、羽部にも問い質さずにいましたけどね。それで、話は戻りますけど、羽部の姉貴のヘビ女は羽部を嫌いだ嫌いだって言っているくせに手元に置こうとするんです。高校の入学願書を捨てられかけたこともあったし、大学の推薦入学だって取り消されそうになったんだそうです。だから、羽部は教師に掛け合って入学願書を高校で保管してもらって、無事に推薦入学出来たんです」
「そうですか。それは大変でしたね。羽部さんの御家族から窺ったのですが、羽部さんの同級生の妹さんが誘拐された事件があったそうですが、その前後はどのようなことがありましたか?」
「誘拐? 違いますよ、あれは事故です」
「と、仰ると」
「そいつの妹がいなくなった日、確かに羽部は高校に来ませんでしたよ。でも、その日、羽部は模試を受けるために遠出していたんですから、いるはずがないんです。証拠ならありますよ、羽部が書いた答案に受験票です。だから、羽部はそいつの妹に近付いてもいません。あいつの通学ルートの途中にある崖道に、そいつの妹のランドセルが転がっていただけなんですからね。たぶん、下校途中にガードレールを乗り越えて遊んでいるうちに足を滑らせて、崖下に滑り落ちたんじゃないですか?」
「ですが、羽部さんの御家族は」
「ヘビ女の言うことなんて、鵜呑みにするものじゃないですよ」
紺田はいやに真剣な顔をして、周防に釘を刺してきた。なぜ紺田はそこまで羽部に思い入れるのだろうか。単なるクラスメイトの一人に過ぎなかった羽部に、どんな感情を抱いているのか。周防は雑談を絡めながら、紺田の証言を引き出していくと、徐々に彼の内情が垣間見えてきた。
紺田は田舎町から抜け出せない自分にコンプレックスを持っていて、頭一つ抜きん出ていて都会に旅立った羽部に嫉妬心が高じた憧れを抱いているようだった。だから、その憧れのせいで羽部の存在自体を肯定してしまうのだろう。紺田から必要な情報を得てから、周防は建設会社を後にした。確かに、ねじ曲がりすぎた人格と常軌を逸した性癖を取り除いて能力だけを評価すれば、羽部は優秀な人材だったかもしれない。だが、それだけで何もかもを許してしまうのはあまりにも乱暴だ。
ヘビを縁取る輪郭もまた、大いに歪んでいる。
高速道路に乗って都心に至り、羽部が住んでいたマンションに到着した。
手近なコインパーキングにセダンを駐めた後、周防はマンションの近隣にあるペットショップに向かった。そこは、羽部がヘビ怪人となる際に材料として使った、メスのグリーンパイソンを買い求めた店である。商店街からは少し離れた路地裏にある雑居ビルの二階に、その店舗があった。爬虫類や両生類をメインに扱っている店で、看板にもヘビの絵が描かれていた。狭い階段を昇って店に入ると、独特の湿気が漂ってきた。
ヘビやトカゲが収まっているケースを横目に周防が奥へ進むと、レジに立っていた店員が声を掛けてきた。何かお探しですか、と愛想良く話し掛けてきたのは、顔の至る所にピアスを付け、緑と黄色のグラデーションに染めた髪を逆立てている青年だった。事前に電話を入れていたので、周防が警察手帳を見せると、店員はすぐに察した。
「ああ、刑事さんですね」
ここだとなんですから、と店員は店の奥を示したので、周防は狭いレジの後ろを通っていった。爬虫類に与える餌である虫が詰まったカゴや、どぎつい色合いのウロコを纏ったトカゲの写真などを横目に見つつ、箱の群れの中を通っていくと、事務所に辿り着いた。狭いですけど、と店員は言い、周防にパイプ椅子を勧めた。店員は事務机の椅子に腰掛けてから、店長の古部令司です、と名乗った。
「この店、俺一人でやっているんですよ。昔から爬虫類が好きで好きでどうしようもなくて」
外見は仰々しいが中身は純朴なのか、古部はちょっと照れ臭そうに笑った。その際に、Tシャツの襟元からヘビが牙を剥いて威嚇しているタトゥーが垣間見えた。
「ええと、御電話を頂いてから調べたんですけど、あのお客さんは、確か……」
古部は雑然とした事務机に積み重ねてあるファイルを取り出し、開き、ページを広げた。
「ああ、あったあった。これですね、メスのグリーンパイソン。四年前の五月十二日に買っていったんです、羽部さんが。うちの店に何度も通い詰めて、この個体のケースをずっと眺めていたから、随分気に入ってくれたんだなぁって思って、俺も結構嬉しかったんですよ。うちで繁殖させたやつだったんで、尚更」
「羽部さんは、それほど熱心にこの店を訪れていたんですか?」
「そうですよー、でなきゃ覚えていませんって。最初の頃は、新卒採用されて上京してきたばっかりだったから、服も態度も垢抜けていなかったんですけど、五月頃になって仕事に慣れてくると一気に弾けちゃったみたいで、余計によく覚えているんです。それまでは地味なジャケットにジーンズ、って感じだったんですけど、いきなり原色まみれの服装になったんで。でも、その頃はまだ髪は普通だったかな、うん、そうだった」
古部は痩せぎすの腕を組み、首を傾げる。
「で、その、羽部さんと色々と話したんですよ。グリーンパイソンの飼い方とかもそうですけど、俺、ずっと一人で店にいるわけですから、話し相手になってもらいたかったってのもあるんです。仕事のこととか、世間のこととかも、まあ適当に話していたんですけどね。で、そこで、なんだっけなぁー」
履き古したスニーカーを履いたつま先を振りながら、古部は薄暗い天井を仰いだ。
「そうそう、あれだよ。恋人の話。いや、俺はこんなんですから、そういう相手は何年もいませんけどね。羽部さんもまあ似たようなもんだったんですけど、あの人、女性が怖いんだ、って言っていたんですよ。でも、怖がっているのを知られるのは嫌だから強い態度に出る、そうするとまた遠巻きにされる、っていう悪循環だってことも。んで、その話は一度限りだったんですけど、それからしばらくして、羽部さんの住んでいるマンションの住民が行方不明になった事件があったんです。んで、俺は、怖いっすねー物騒っすねー、って世間話として話したんですけどね、羽部さんはなんだか上機嫌だったんです。べらべら喋っていたし。買っていったグリーンパイソンが大きくなって懐いてきたのが可愛いって話もしていたんで、たぶん、それだと思うんですけどね」
古部はリング状のピアスを填めた唇を曲げ、尖り気味の顎をさする。
「んで、それから、この近辺で若い女の子が行方不明になる事件が頻発するようになるんですけど、その度に羽部さんは饒舌になっていくんです。元々語彙の多い人だったんですけど、立て板に水って感じで喋るようになってくるとややこしい語彙も増えてきて、表現がやたらと大袈裟になってきて。いや、それはそれで面白かったんで、別に俺は嫌いじゃなかったですよ。はい。んで、なんだろ、そうそう、羽部さんがぶっ飛んだのは、それからもうちょっと後のことだったかな。あの人、髪を脱色するようになってカラコンも入れるようになったんです」
そしたらもう、と古部は骨張った肩を竦める。
「何も怖いものはなくなった、これからはもう大丈夫だ、あの子も喜んでいる、と言ってきたんです。グリーンパイソンの子が本格的に懐いてくれるようになったんだな、って思ったんです。大きくなってきたら飼い方も変わってくるから、その辺のことを今度から教えますねって約束して別れたんですけど、羽部さん、それきりうちの店には来なくなって。マンションは引き払っていなかったみたいで、たまに近所を歩いている姿は見かけたんですけど。恰好の話し相手がいなくなっちゃって、俺は暇になっちゃったんですけど、あの人にも事情があるだろうから問い詰めるのもなんだしなーって思って、話し掛けず終いだったんです。で、羽部さんが何かしちゃったんですか?」
「N型溶解症に罹患して亡くなられたんです」
「えっ? N型って、あっあの病気ですよね!? 吉岡グループとその関連会社が製造したサイボーグを使ったら、生体部品に付いていた病原菌で感染症を起こして、溶けて死んだってやつですよね? つーことはあれなんすか、羽部さん、サイボーグだったんですか?」
「いえ、サイボーグではありませんよ。羽部さんはフジワラ製薬でサイボーグ関連の薬剤を開発していたのですが、業務上のミスでN型溶解症に罹患してしまったんです」
「そうっすか……。うっわー、マジショックだわー……。俺の周り、サイボーグはいなかったから、対岸の火事としか思ってなかったから……。あー、そうだったんすかー……」
「N型溶解症は病原菌が脆弱なので、人間同士の皮膚接触で罹患する危険性は皆無なのですが、羽部さんの生前の行動を把握しておくために聞き込みをしているんです。念には念を入れておくべきですので」
「はあ……そうっすか。で、今、ふと思ったんですけどね、羽部さんがどぎついファッションをするのって熱帯の毒虫みたいだなぁって。毒があるぞ、死ぬぞ、ヤバいぞーって色だったから。だけど、そうやって周りに示してくれるだけ良心的だよなーって。だって、羽部さん、マジでヤバかったから。でも、そのヤバさが結構好きだったんですけど」
古部は羽部の死に余程動揺したのか、語尾が弱まっていた。その後、周防は羽部が購入したグリーンパイソンに関する資料や情報を聞き出してから、周防はペットショップを後にした。向かった先は、羽部が上京後に住んでいたマンションである。周防の記憶が確かならば、古部が言っていた通り、四年前にこの地区では若い女性が行方不明になる事件が頻発していた。無論、それは事件として捜査されたが、羽部鏡一の名は容疑者として上がらなかったと記憶している。羽部と失踪した女性達の接点が見出せなかったからか、それとも。
マンションに入った周防はエレベーターに乗って八階に到着すると、羽部のかつての住まいである八○五号室に到着した。不動産屋から入手しておいた鍵を使ってドアを開けると、埃っぽく饐えた匂いが漂ってきた。現場保存のために手を付けるなと地元の警察署に命じてあったため、誰も立ち入らなかったせいである。冷蔵庫の中身が腐敗していなければいいが、と内心で願いつつ、周防は靴の上にビニールカバーを掛けて室内に入った。
そこは、異形の空間だった。エキセントリック、サイケデリック、といった単語がよく似合う、どぎつい原色で奇妙な形をしたオブジェが至る所に飾られていた。気が狂ったような絵が描かれたタペストリー、爬虫類の剥製、動物の骨を組み合わせて作られた壁飾り、人体模型、骨格模型、そしてヘビを飼っていたであろう水槽、血をぶちまけたような赤黒いカバーが掛けられたベッド、生活感のない台所、やけに巨大な冷蔵庫、見事に磨き上げられた包丁、鉈、斧、ナイフ、注射器、刃物刃物刃物刃物刃物刃物刃物刃物。どこをどう見ても猟奇殺人者の部屋だ。
「あの野郎……」
思わず毒突いてから、周防は一度深呼吸した。こういう時こそ、現場の雰囲気に宛てられてはいけない。羽部の抱いていた狂気の片鱗を感じたからといって、毒されてなるものか。一乗寺にも釘を刺されているのだから。
「俺は仕事をするだけでいいんだ」
だから、余計なことを考えてはいけない。趣味が悪すぎるリビングと隣接している部屋に入ると、ノートパソコンがあり、均等に埃を被っていた。羽部の部屋は電気料金を滞納した末に止められているので、電源が入らないことは承知の上だ。周防はそれを踏まえて持ってきたバッテリーを接続し、ノートパソコンの右隅にあるダイオードが光を放つまで待ってから電源を入れた。程なくしてモニターが明るくなり、ホログラフィーが投影された。
ログイン画面が現れたのでパスワードをクラックするツールを用いてログインし、デスクトップを表示させるとメールが届いていることを示すテキストボックスが出てきた。それをクリックするとメーラーが自動的に起動し、山のようなメールが受信された。その送信者はいずれも羽部鏡一であり、携帯電話から自身のパソコンに画像を送信していたらしい。データ容量が大きいのか、この御時世にしては珍しくメールの受信に手間取っているので、その間に他のフォルダを調べてみることにした。
デスクトップに並んでいるアイコンを手当たり次第にクリックして開くと、次から次へと画像が溢れ出した。ペットのグリーンパイソンを撮影した写真も多いが、少女達の写真はヘビの写真を遙かに上回る量であり、質も高かった。少女達の写真は一人一人できちんとフォルダを分けられていて、写真の内容によって分類されていた。小分けされたフォルダのタイトルを見ただけで、周防は胃液が迫り上がってきそうになった。
頭部、腕、足、胸、腹部、内臓、骨、神経、指、爪、性器。欲望の赴くままに少女達を手に掛けた羽部が、性欲を満たした後、証拠隠滅を兼ねて、死した少女達を解体していく様が手に取るように解ってしまう。その様を仔細に撮影しただけでなく、写真を分類しているところも含めて、頭痛がするほどおぞましかった。仕事柄、人間が肉片と化している写真や現場や実物は見慣れているが、こうも目にすると、さすがに気分が悪くなる。
それでも、周防は意地で調べ続けた。最も古いフォルダに収まっていた最も古い写真には、くたびれたピンク色のランドセルが映っていた。ランドセルに掛かっている影は若干小柄だったが、それが誰なのかは考えるまでもない。それらの奥にある崖に面したガードレールは、下から上へ布を押し当てて砂埃を拭い去った痕が付いていた。
明らかな、殺人の証拠だった。
膨大な画像と文書ファイルを眺めていくうちに、解ったことがある。
羽部鏡一が自身の歪んだ性癖を自覚する決定打となった出来事である。それは、姉である砂井久実が交通事故で肉体に重大な損傷を受けたことだ。腹部を強打して内臓がほとんど破裂してしまったが、幸いなことに頭部は傷が少なく、脳も無事だった。そして処置を受け、フルサイボーグと化した。その際に羽部は、久実の首から下の肉体を目の当たりにしていた。肉体を荼毘に付して処分するか否か、を家族に決めさせるために行われる措置で、普通であれば損傷の激しい部分は露わにせず、比較的傷の少ない手足などを部分的に見せるだけだ。
だが、羽部は砂井久実の魂を失った肉体を全て見た。棺桶に入れられて荼毘に付される前に、一度、実家まで運ばれた際に蓋を開けて観察した。子供の頃に虫やトカゲを掴まえては解体して遊んでいた頃と変わらず、単純な好奇心だったのかもしれない。デジタルカメラで撮影された写真の数々は、ピントもひどくずれていて、アングルも平坦なものばかりだったからだ。その出来事を境に、水面下に潜んでいた羽部の猟奇性が完全に開花した。
最初に殺した、高校の同級生の妹である小学生女子の写真は特に数が多かった。その頃は殺し方も不器用で、手順も悪かった。口を塞いで手足を縛り、なるべく血を流さないように窒息死させてから、幼い肉体を舐め回すように観察してから解体していった。太股の肉を削ぎ落として細切れにしたものも撮影されていたので、恐らく、少女の肉片を口にしたのだろう。食人を好む性癖は、アソウギによる怪人化とは関係なしに持っていたようだ。
それから、羽部は次々に少女達を捕らえては手に掛けていく。息絶えた少女達を存分に蹂躙した後、その血肉を切り刻んで食する量も増えていき、砕いた骨から零れた髄液を啜ったであろう後の写真もあった。そのうちに、羽部は本能的に気付いたらしい。常人とは違う味がする、人間もどきが存在している事実を。
「……くそぉ」
ひどく咳き込んでから、周防はトイレのレバーを曲げた。電気は止まっても、水道料金は自動引き落としになっていたらしく、トイレは上下水道が通じていて水が流れてくれた。それがありがたくもあり、恨めしくもあった。胃液の味がする口中を濯いでから胃液混じりの水を吐き捨て、再度レバーを曲げて水を流してから、周防は再びパソコンに向かった。本当は逃げ出したくてたまらないが、そんなことでは捜査が滞る。仕事が終わらなくなる。
それから、羽部は解体した少女達を食しつつ、人間もどきと常人を区別する方法を独学で見つけた。人間もどきはシュユの分身と言えるゴウガシャを用いて生み出されているため、人間とは生体構造が全く違う。一見しただけではその違いは解らないし、だからこそ、今の今まで人間もどきは社会に紛れていた。だが、人間ではない生き物は区別が付いていたらしく、羽部の飼っていたグリーンパイソンは人間もどきの匂いにひどく反応した。羽部はそれを知ると、グリーンパイソンをカバンの中に入れて片時も離さずに街中を出歩き、グリーンパイソンの鋭い嗅覚に反応した人間を追い掛けては居場所を突き止めるようになった。表計算ソフトを使い、人間もどきと思しき人物の名前と住所をリストアップしたファイルをいくつも作っていた。そのファイルの中身と政府が入手した弐天逸流の信者名簿と照会してみると、八割以上が一致していた。羽部の読みは正確だったのだ。
弐天逸流の信者達は、ゴウガシャの能力を使って人間もどきとして蘇らせた家族や友人や恋人の存在を世間に知られたくないという負い目があった。弐天逸流の洗脳が弱いと尚更で、取り戻したはずの幸福の不自然さに臆し、破滅に怯えながら暮らしていた。羽部はそこに付け入り、少女や若い女性ばかりを狙って手に掛け、捕食した。
「羽部……。なんて奴だよ、お前は」
周防は嫌な汗が滲んだ手をスラックスで拭ってから、また別のフォルダを開いた。今度は、フジワラ製薬の研究所でアソウギを用いた改造手術を受け、怪人になっていく過程の写真とレポートが現れた。被験者は次々にアソウギに対する拒絶反応を起こして倒れ、発狂し、溶解していったが、羽部だけは最後まで自我を保ち続けていた。怪人と化すための材料として選んだ、ペットのグリーンパイソンも最後の最後まで可愛がっていたらしく、緑色の細長い体を羽部の腕に巻き付けている写真も残っている。だが、その次の写真では、グリーンパイソンはアソウギの海に浸されて溶けていた。更にその次の写真には、ヘビ怪人と化した羽部自身の姿が収まっていた。
フジワラ製薬は、完成された怪人である羽部を重宝していた。羽部と伊織以外の怪人達は、湯水のように高価な生体安定剤を投与しないと形すらも保てないほど不安定だからだ。だから、フジワラ製薬の社長である藤原忠は、羽部を繋ぎ止めておくためにどんなこともした。被験者という名目で掻き集めた少女達を羽部に差し出し、研究との口実で蹂躙させ、解体させていた。その結果、アソウギに関する研究が著しく進んだこともまた事実ではある。
藤原忠と密接に関わるようになった羽部は、次第に藤原伊織に対して敵対心にも等しい感情を抱くようになったようである。完璧な怪人、地球上の生物からは逸脱した生物である伊織に危険な実験を持ち掛け、怪人にすらも至らなかった化け物を殺して喰えと命じたり、生体安定剤に毒性の強い薬品を混ぜてみたりと、これでもかと虐げていた。藤原忠はそれを咎めもしなかった。伊織は羽部の悪意を耐えきった。汚泥と毒物と塵芥を煮詰めていくかのように、アソウギを軸とした狂気が濃く、強く、深くなっていった。
それと並行して、羽部は自身の親族について調べ回っていたらしい。戸籍謄本をスキャンした画像が複数あり、公文書には羽部は砂井家の養子であると印されていた。祖父の愛人が産んだ子だ、と砂井久実は言っていたが、祖父は羽部を息子だとは認知していなかった。ならば、羽部は誰との間に産まれた子供なのだ。周防でさえも不安になったのだから、当の本人である羽部は尚更だった。探偵や興信所に頼んで更に深く調べてもらった結果、羽部はおぞましい事実に直面した。羽部の父親は戸籍上の祖父ではあることには変わりなかったが、産婦人科で羽部鏡一を出産したのは、祖父の実の娘である砂井久実の母親だった。つまり、久実と羽部はれっきとした男女の双子であったが、兄妹としては育てられなかった。そればかりか、愛人の子として扱われて、産まれながらに差別されて生きてきた。その理由は、祖母の面影を残す娘と孫に祖父が偏愛を抱いていたからだった。砂井家の誰とも関係のない羽部という名字は、祖父の知人の名字だったようだ。羽部は産まれて間もない頃に羽部家の養子となったが、再び祖父の手元に戻され、理不尽極まりない環境で育てられたのだ。
羽部が女性に対して恐怖を含んだ執着心を抱いた理由が、少しずつ見えてくる。彼は母親を求めていた。父親も求めていた。家族そのものを求めていた。けれど、羽部はそれを得られないこともまた自覚していた。血族だけで完結している閉じた一族である砂井家から逸脱しきれないことも承知していた。誰も愛せないことも、愛されないことも、愛という感覚自体が理解出来ないことも。故に、これまで以上に死体愛好にのめり込んでいった。
「そのくせ、女々しい初恋なんかしやがって」
一通りフォルダを開けて目を通した後、周防はデータをダウンロードし終えたメールを開き、添付されていた画像を見て毒突いた。小倉美月の写真ばかりだったからだ。どうやって隠し撮りをしたのかは定かではないが、羽部は事ある事に美月の写真を撮ってはパソコンに転送していたらしい。いずれ帰宅してから整理するつもりだったのか、ピントがずれていてもお構いなしだった。美月の笑顔、美月の寝顔、美月の横顔、美月の後ろ姿、美月美月美月、小倉美月の洪水だった。こんなものをレイガンドーが目にしたら、さぞや怒り狂うだろう。
スライドショーのように美月の写真を閲覧していくと、次第にカメラアングルが変わってくる。舐め回すような視線で撮影していたものが、次第に距離を置くようになり、美月の部位だけではなく全身も収めるようになった。ぎこちない好意が端々から滲み出ていた。携帯電話を手放す直前に撮影された写真には、アイドルじみた衣装を着た美月がつばめと御鈴様と談笑している後ろ姿が映っていた。美月に近付きたくとも近付けない羽部の心中のもどかしさが、手に取るように伝わってきた。その写真を最後に、羽部の痕跡は途絶えていた。
大量のデータを圧縮してメモリースティックにダウンロードさせると、それを抜き、内ポケットに入れる。周防は心中の苦味に苛まれ、奥歯を噛み締める。一生理解出来るはずもなければ、理解したいとも思っていない相手なのに、羽部の苦悩が理解出来てしまう。ほんの少しだけまともな側面があっただけなのに、針で小さな穴を穿たれただけなのに、羽部の禍々しさまでもが飲み込めてしまいそうになる。それが、どうしようもなく怖い。
一旦、内閣情報調査室本部に戻り、画像の山を捜査資料として提出しなければ。部屋から出た周防は、道路に面した通路に立つと、タバコを銜えて火を灯した。狂気が圧縮された空間から解放された直後だからだろう、都会の喧噪がとても優しく感じた。現場保存のために靴に被せていたビニールカバーを外し、丸めながら、周防は偏頭痛をに苛まれていた。自分自身が倒錯していることを自覚した瞬間から芽生える愛があるのだと、周防は身を持って知っているからである。一乗寺昇、もとい、一乗寺皆喪に惹かれるようになった原因が異常だったからだ。
無邪気な連続殺人鬼。悪意のない殺意。好意の果ての殺戮衝動。それらを抱えて生きていた少女、もとい、少年が政府の手によって暗殺者に仕立て上げられていく経緯を資料で見た時、背筋がざわめいた。一乗寺の中性的な外見と殺人鬼らしからぬ明るい笑顔が、どうしようもなく周防の興味を惹き付けた。磨き上げられた刃物を美しいと感じるような、機能美を追求されたデザインの拳銃に色気を覚えるような、そんな感覚に陥った。それが何から何まで歪みきった恋だと自覚するまでには時間が掛かったが、自覚してからは雪崩れ落ちる一方だった。
羽部は美月を捕食したいと願いながらも、愛するが故に喰えなかった。周防は愛して止まない一乗寺を守ってやりたいと願いながらも、乱暴に扱わずにはいられなかった。だから、解ってしまう。周防の背後で巨大なヘビが鎌首をもたげ、牙を剥いているような気がしてならない。その正体は、言わずもがなだ。
これ以上深入りしては、頭から飲まれてしまう。
内閣情報調査室本部で報告と資料の提出を終えた後、周防は帰路を辿った。
一ヶ谷市内に設置されている検問を通り抜けるのがいつになく億劫で、一刻も早く帰りたくてたまらなかった。集落に到着し、一乗寺と同居している合掌造りの古い家に戻ってくると、玄関に明かりが付いていた。ガレージに愛車を入れていると、廊下を小走りに駆ける軽い足音が近付いてきた。愛して止まない女の気配だけで、周防は場違いな疼きを覚えてしまい、猛烈な自己嫌悪に陥った。ガレージのシャッターを閉めてから玄関の引き戸を開けると、そこにはエプロン姿で満面の笑みを浮かべている一乗寺皆喪が待っていた。
「おっかえりなさぁーい!」
主人を出迎える小動物のように飛び付いてきた一乗寺を受け止め、周防は彼女を抱き締めた。
「ただいま」
「すーちゃん、あのね、今日はね」
夕食の内容について自慢げに話し出した一乗寺を、周防は強引に黙らせた。唇を塞いで体を引き寄せ、その体温と柔らかさを貪った。息苦しげに一乗寺は藻掻くが、それを力ずくで押さえ込む。そうすることで、少しでも羽部の残滓から浴びた毒気を洗い流したかったからだ。周防が体を離すと、頬を紅潮させた一乗寺は濡れた唇を押さえた。
「だぁから、言ったでしょー……」
「すまん」
周防が平謝りすると、一乗寺は呆れ気味に咎める。
「羽部ちゃんはね、俺達とどこか似ているんだよ。だから、アソウギにも馴染んだ。すーちゃんだってそうだよ。俺に惚れちゃうぐらいだもん、心の底がぐにゃって曲がっているんだよ。それがぴったり填ったから、俺はすーちゃんに惚れたし、すーちゃんも俺に惚れたの。羽部ちゃんだって同じだよ。だから、心配だったんだぁ」
「すまん」
「で、何か解ったの?」
一乗寺はころりと態度を戻し、いつも通りに甘えてきた。周防は彼女により掛かり、重たい口調で返す。
「解りたくないことばっかりが解ったよ。おかげで疲れちまった」
「大丈夫。すーちゃんは羽部ちゃんとは違うから」
一乗寺に頭を軽く叩かれ、周防は少し緊張が緩んで半笑いになった。
「だといいがね。それで、夕飯は何なんだ?」
「んーとね、肉にはうんざりしていそうだなーって思って、焼き魚と根菜の煮物にしてみたんだけど」
「ああ、そりゃ最高だ」
「じゃ、着替えてきてね! スーツのままだとアレだし! きゃっふー!」
一乗寺は子供っぽく歓声を上げると、浮かれた足取りで明かりの付いている台所へと駆けていった。その足音が遠ざかっていってから、周防は腰を上げた。二人で寝起きしている部屋に行き、スーツを脱いで部屋着に着替えてから台所に行くと、一乗寺は忙しなく準備をしていた。一乗寺が二人暮らしには大きすぎる冷蔵庫を開ける瞬間、周防はぎくりとしたが、その中身がごく普通の食料品だと知って安堵した。
羽部の部屋の冷蔵庫には、人間もどきと常人を綺麗に解体して部位ごとに分けてある肉が、臓器が、骨が、眼球が、冷凍または冷蔵保存されていたからだ。それ以外のものは、フジワラ製薬が製造していたD型アミノ酸を含んだスポーツドリンクと、赤いカプセルである生体安定剤しか入っていなかった。改めて、羽部は常人ではなかったのだという事実を叩き付けられた。そして、ベランダの片隅には鉢植えがあり、そこには華奢な女性の手首が腐葉土に植えられていた。爪にパールピンクのマニキュアを塗っていた女性の手首の切断面からは細い根が生えていて、乾燥して裂けた皮膚の間からは葉が伸びていたが、長期間水を与えられなかったために萎れていた。頭部らしきものが埋まっているプランターも視界の隅に見えたが、正視出来なかった。
羽部の部屋で散々味わわされた毒気が周防の心身から抜けるまでは、もうしばらく時間が掛かりそうだ。夕食に並んだ料理は、焼き魚は少々焼けすぎていて、レンコンとニンジンの煮物は火が通りきっていないらしく、歯応えが硬かったが、どちらも味は真っ当だった。だから、経験を積めば改善されていくだろう。
夕食を終えて風呂にも入ると、気持ちが切り替わってきた。風呂から上がった周防が居間に戻ると、パジャマに着替えてタオルを被ったままの一乗寺が、テレビの前で膝を抱えていた。周防は彼女の隣に腰掛けると、肩に腕を回してやった。それだけで嬉しいのか、一乗寺はにこにこしながら寄り掛かってきた。
「んー、なあに? さっきの続きでもしちゃう?」
「そりゃまた後でだ」
「なんだ、結局するの。ふふ、すーちゃんも好きだね」
でもそこが好き、と一乗寺は笑いながら、周防が肩に添えた手に自分の手を重ねてきた。
「すーちゃん。俺、すーちゃんが好きになってくれるから色んなことが好きになれるんだよ。羽部ちゃんもさ、そんな感じだったんだよ。ミッキーが羽部ちゃんのことをちょっと好きになってくれたから、羽部ちゃんも普通の好きってのが理解出来るようになったんだ。俺達みたいなのはさ、普通ってのが理解出来ないわけじゃないんだ。理解出来るようになるために必要な経緯や、学習や、経験がないからだよ。経験しないと解らないことなんていくらでもあるし、感情の機微なんて特にそうだよ。りんねちゃんとかいおりんと接していると、余計にそう思う。皆、産まれてきた時は空っぽなんだよ。その穴に何を詰めていくかで、どうなるかが決まるんだよ。そういうのって、体が人間だろうが人間じゃなかろうが関係ないんだ。だから……羽部ちゃんは、最初からその穴がヘビの形をしていたんだよ」
一乗寺は周防の胸に頭を預けながら、上目に見上げてきた。
「だからさ、すーちゃん。あんまり羽部ちゃんに入れ込まない方がいい。今度こそ喰われちゃうよ」
「言われなくても、そうするつもりだ」
「今度、一緒にどこかに出掛けようよ。休暇取ってきてよ。これだけ働いたんだもん、お休みをもらったって文句は言われないはずだよ。二人で色んなことをして、色んな場所に行って、色んなもので埋めていこうよ。そうすれば、俺とすーちゃんの心の根っこのぐにゃってしているのが、ちょっとはマシになるかもしれないし」
「手始めに旅行にでも行こう。上の連中を脅してでも、休暇をもぎ取ってきてやる」
「うん、それがいい! 温泉宿とか行きたい! だったら、どこに行くかを決めないとね!」
わーいわあーい、と一乗寺は子供っぽくはしゃいだ。周防は彼女が被っているタオルを押さえて、濡れ髪を乱してやった。全身で好意を振りまいてくる一乗寺を受け止めてやりながら、周防は釣られて笑っていた。どこに行こうかと喋り続ける一乗寺に相槌を打っているだけでも、心中が解れてくる。穏やかな世界に引き戻される。
理解出来ないものが恐怖の対象となり、恐怖を乗り越えようとせんがために危害を加えるようになることは、どの世界に置いても珍しいことではない。羽部に限った話ではなく、誰しもが持っている感情だ。だが、その恐怖の対象と通じ合えるようになったら、計り知れないカルチャーショックを受けるだろう。それをやり過ごせるか否かは、当人の問題だ。周防はそれを受け止め、嚥下した。だが、羽部はそうせずに堕ちていった。
ただ、それだけの違いだ。




