昨日の敵は今日のトラップ
そして、夜が明けた。
心身の疲れとは逆に神経が立っていたからか、つばめは早朝に目覚めた。枕元の携帯電話を引き寄せて操作し、時刻を確かめてから、また布団に潜り込んだ。暖まった布団から半分だけ顔を出して天井を見上げ、つばめは一瞬ぎょっとした。佐々木家の自室ではなかったからだ。少し間を置いて、ここがどこなのかを思い出した。
船島集落に程近いドライブインの経営者であり、吉岡りんねの母親であった、吉岡文香の自宅だ。そこに至るまでの経緯も思い出されてきて、つばめは布団から出るのが心底嫌になった。起きてしまえば、文香が呼び付けた吉岡グループの人間によってどこかに連れ去られてしまうだろう。けれど、このまま眠り続けていても、事態が好転するというわけではない。むしろ、悪化する。吉岡グループの良いようにされてしまえば、つばめの生体組織を使って遺産が悪用されないとも限らない。掛け布団を少し捲って腕を出し、指折り数えてみる。
ムリョウ、タイスウ、アソウギ、ナユタ、アマラ、ゴウガシャ、コンガラ。美野里に奪われたのは、ムリョウ、ナユタ、ゴウガシャだ。アマラは美野里に唆されたつばめが機能停止させてしまった上、道子の電脳体が宿っている女性型アンドロイドごと政府に押収された。アソウギを収めたタイスウは佐々木家に置いてあり、それが美野里に奪われるのは時間の問題だろう。ゴウガシャは弐天逸流の御神体の分身であり、異次元に存在している弐天逸流の本部を根城にした美野里達の手中にあるのは確実だ。つばめが相続したとばかり思っていた財産も、名義は祖父のものにままになっていた。柳田小夜子に渡された私物の中に入っていた現金は、一万円にも満たない。つばめの名義の預金通帳や多額の現金が入ったポーチも、佐々木家の自室にあるが、それを取り戻しに行く勇気などない。
「よく眠れた?」
枕元にあるふすまが開かれ、声を掛けられた。つばめが体を起こすと、昨日とは打って変わってフォーマルな服装の文香が立っていた。やり手のキャリアウーマン、と言わんばかりの白のスーツに身を固めていて、化粧も髪型も随分手が込んでいた。ドライブインにいる時は、一昔前の化粧に着古したトレーナーと色褪せたジーンズを着ていたのだが、別人のように様変わりしていた。りんねの母親だけあって文香は目鼻立ちがはっきりとした美人なのだが、丁寧なメイクでその美貌が何倍にも引き立っている。
「ケバいでしょ。私もね、本当はこういうのは趣味じゃないの。でも、示しが付かないから」
朝御飯が出来ているからね、洗面台はあっちにあるから、服も乾いたからここに置いておくわね、と矢継ぎ早に言ってから、文香はつばめの枕元に折り畳んだ服を置いていった。礼を言う暇もなかった。つばめはふすまを少し開け、冷え込んだ空気が漂っている廊下に顔を出した。板張りの廊下に面した窓からは、いつもと変わらぬ針葉樹の森が見えた。ふすまを閉めてから、綺麗に洗濯された自分の服を着込み、洗面台に向かった。
四隅に錆が浮いた古びた鏡に向き合い、用意されていたタオルで顔を洗ってから、ヘアブラシを借りて寝乱れた髪を整えたがクセ毛だけはどうにもならなかった。ヘアゴムでいつものようにツインテールに縛り、気の抜けた顔をしている自分と見つめ合ってみた。ひどい顔だ。
文香と食卓を囲み、揃って朝食を摂った。炊き立ての御飯と小松菜の味噌汁と焼き鮭と、ほんのり甘い卵焼きがテーブルに並んでいた。つばめが黙々と食べていると、先に食べ終えた文香が眺めてきた。
「あの」
少しやりづらくなったつばめが目線を彷徨わせると、文香は頬杖を付いた。
「いいのよ、気にしないで」
「私、そんなに吉岡りんねに似ていますか?」
「それもあるけど、あの子がちゃんと大きくなっていたら、こんな感じだったのかなって思っちゃって。ダメねぇ、それだけは考えないようにしていたのに」
文香は目元を押さえようとしたが、マスカラとアイシャドーが落ちるので手を下げた。
「八時になったら、迎えの車が来るわ。それまでに準備をしておいてね」
お茶を淹れてくるわね、と文香は腰を上げた。ほうじ茶の茶葉を急須に入れる文香の後ろ姿を横目に、つばめは箸を進めた。ややこしい事情さえなければ、文香とつばめは親戚の叔母と姪なのだから、そう思われることは意外ではないからだ。それどころか、うっすらと嬉しさを覚えていた。親戚付き合いとは、こういうものなのだろうか。
その後、時間ぴったりに迎えの車がやってきた。山奥には似付かわしくないメルセデス・ベンツだった。文香と共に後部座席に乗ったつばめは、乗り心地の良さに感心しつつ、車に身を委ねた。それから二時間半近くのドライブを経て東京に到着したが、ほとんど乗り物酔いしなかったのは、ひとえに車の快適さと運転手の巧さによるものだと改めて思った。寺坂が荒々しく乗り回すスポーツカーとは天と地ほどの差がある。
都内の高級住宅地に至り、その中でも特に広い敷地を有する邸宅にベンツが滑り込んでいった。純和風の正門を通り抜けて正面玄関に向かうと、使用人らしき人々が待ち構えていた。文香はやりづらそうに眉根を顰めたが、表情を整えた。後部座席のドアが開かれると、文香が先に下り、つばめは私物の入った紙袋を抱えて下りた。
八畳間ほどの広さがある玄関に入って靴を脱ぎ、スリッパに履き替えた。廊下がとにかく長く、部屋数もやたらと多く、下手をすれば迷ってしまいそうだった。そんなつばめの内心を察したのか、私も久々に来たから部屋の位置を忘れちゃったわ、と文香はばつが悪そうに肩を竦めた。奥へ奥へと進んで辿り着いたのは、床の間だった。ふすまが開かれた途端、つばめはぎくりとした。二つ並んで敷かれた布団の上に、二人の人間が横たわっていたからだ。その顔には白い布が掛けられて、枕元では線香が細い煙を上らせていた。つばめが臆していると、文香は先に床の間に入った。
「思った通りね」
「この人達って、一体」
「今し方まで、私と夫を演じていた肉人形よ」
文香は感情を表に出さないようにしているのか、横顔が強張っていた。気分は悪いけど、と前置きしてから、文香は二人の遺体の枕元にストッキングに包まれた膝を付き、顔に掛けられた薄布を剥がした。文香に良く似た顔立ちだが派手な化粧をした中年女性と、恰幅の良い中年男性だった。
「これも全て、佐々木長光の仕業よ」
薄布を戻し、手を合わせてから、文香は使用人に勧められた座布団に正座した。つばめも腰を下ろす。
「やっぱり、そうだったんですか」
「なんだ、解っていたのね。まあ……隠そうともしていないから、いずれ察しが付くだろうとは思っていたけど」
文香は一つため息を零してから、話を切り出した。
「私が佐々木家に関わるようになったのは、二十年ほど前のことよ。あの頃、私はとんでもない馬鹿な女でね、毎晩毎晩遊び呆けては端金を稼ぐために汚い商売をして、それはそれは薄汚い生活を送っていたわ。そんな時、私に目を掛けてくれたのが夫よ。あの人もつばめちゃんのお父さんと同じで佐々木長光に対して反抗的で、若い頃から家の金を持ち出しては都会に出て遊び暮らしていたのよ。そうでもしないと、正気が保てなかったのね。家庭環境が異常だったから。で、私はあの人に気に入られて水商売を止めて、自転車操業だった借金も肩代わりしてもらって、中退した大学にも通ってそれなりの教養と常識を身に付けて、普通の女になった時、あの子が出来たの」
過去を懐かしむように、文香は下腹部をさすった。
「あの人は、すぐに結婚しようって言ってくれた。私の名字を名乗って、佐々木長光とは縁を切るって言った。あの男から離れることは金に窮するっていう意味でもあったけど、真面目に働けばなんとかなるし、私も夫も多少の苦労は気にしなかったの。当たり前の家族になれば、嫌なことも忘れられるって思ったから。でも……」
言葉を切り、何度か深呼吸してから、文香は仏壇に収まっている小さな骨壺を見つめた。
「私は、あの子を死産したのよ」
「え……」
ならば、つばめを陥れようと画策していた吉岡りんねは、一体。つばめが絶句すると、文香は肩を震わせる。
「正確には、繋留流産。お腹にいるんだけど、成長しなくなったの。今でも覚えている、昨日まで元気に私のお腹を蹴っていたのに、全然動かなくなっちゃったの。そんなの嘘だ、あの子はちょっと大人しくしているだけだ、って思おうとしてもね、やっぱり解るのよ。母親だから。お腹の中から出すのは辛いけど、そのままにしておくのもダメだから、病院に行って出す処置をしたの。普通に出産するみたいに陣痛が来て、痛くて苦しいのに、あの子は生きていないなんて信じられなかった。夫はね、ずっと傍にいてくれたの。仕事も休んで、一緒にいてくれたの。おかげで随分と救われたわ。それで、出てきた子にね、名前を付けたの。もう一度巡り会えるように、りんね、って」
つばめは俯き、膝の上で拳を固めた。文香は幾度も瞬きし、上擦り気味の声で話を続ける。
「でも……あの男は、あの子を死なせておかなかったのよ。金を使って病院に手を回して、あの子の小さな小さな亡骸を奪っていった。りんねをコンガラで複製して、ゴウガシャで命を与えて、アソウギで強引に成長させた、私達の娘の体に、自分の意識と自我を取り込ませたラクシャを使って乗り移ったのよ。一週間後に戻ってきたりんねの体はますます小さくなっていて、氷みたいに冷たかった」
文香は顔を覆い、背を丸める。表情は窺い知れなかったが、指の間から覗く唇はひどく歪んでいた。
「私達はなんとかしてりんねを解放してあげようとしたけど、無駄だった。佐々木長光はりんねだけじゃなく、私と夫の複製も作ってそれも遠隔操作するようになったのよ。ラクシャの内部にアマラの情報処理能力も記録してあったから、どんなことでも出来たの。私と夫の複製体を使い、佐々木長光は吉岡グループを立ち上げたわ。本物の私達はどうなったかって、そりゃ捨てられたのよ。反抗的で利用価値がないから。だけど、夫は私と違ってすこぶる優秀な人だから、ハルノネットに入り込んで昇進に昇進を重ねて、今じゃ代表取締役よ。でも、そこまで地位を上げても美作彰の手元に渡ったアマラを取り上げることも出来なくて、アマラの暴走も止められなくて、道子さんの命だって守れなかった。何も、守れなかった」
長年の苦悩を絞り出しながら、文香は語る。つばめは耳を塞ぎたくなったが、出来なかった。体が震えてしまい、手が動かなかったからだ。
「でも、複製体で自我が産まれないはずのりんねが、佐々木長光の支配から逃れようとするようになった。切っ掛けがなんだったのかは私達にも未だによく解らないけど、りんねは自分の意思で行動し始めた。だけど、それが佐々木長光にとって面白いわけがないわ。だから、自殺に見せかけて殺したの。もちろん、佐々木長光の意志が宿ったラクシャは傷一つなかったけどね。それから、複製体として産まれてからきっかり三年後に、佐々木長光はりんねを処分するようになったのよ。複製体のあの子が自我に目覚めるまでに必要な時間が、三年だから」
文香は、床の間を示す。一段高い板張りの床には、仏壇のものよりも一回り大きい骨壺が四つ並んでいた。
「右から順に、りんね、まどか、たまき、めぐり。といっても、私と夫が後から付けてあげた名前だけど。せっかく自我に目覚めたのに、りんねのコピーのままじゃ可哀想でしょ? 佐々木長光は、あの子の外見の年齢をいじくり回して大人にしてみたり、子供にしてみたり、思春期にしてみたりとオモチャにしていたわ」
「……じゃあ、今まで私が会って、話していたのは、五人目で」
つばめが途切れ途切れに呟くと、文香は頷いた。
「そうよ。五番目の子は自我の芽生えが早くて、学校でお友達を作ってきたの。そんなこと初めてだから、私も嬉しくて使用人の格好をして屋敷に紛れ込んだこともあったぐらいよ。でも、自我の芽生えが早かった分、あの子は自分がどういう存在で何のために作られたモノなのか、自覚するのも早かった。三年目の日を迎える前に自分から電車に飛び込んで粉々になった。そのことを誤魔化して、お友達に嘘を吐かなければ行けないのがどれだけ辛かったか、私の振りをした偽物がそれらしい顔をして話している様を見るのが、どれだけ憎らしかったか」
「ミッキー、じゃなくて、小倉美月さんのことですよね」
「ええ、そうよ。美月ちゃんはつばめちゃんともお友達なんですってね」
「ごめんなさい、私、今まで、そんなの」
そうと知っていたら、出来ることがあっただろうに。つばめが悔いると、文香はつばめの肩に手を添える。
「気にしないで。私達の問題に、つばめちゃんが巻き込まれただけなんだから」
つばめと目を合わせながら、文香は表情を一変させた。苦悩に満ちた母親の顔から、仕事の顔に切り替わる。
「遺産絡みの争いで散々な目に遭わせてきたのに、こんなことを頼むのは虫が良すぎるっていうのは百も承知よ。つばめちゃん、手伝ってくれないかしら。ただとは言わせないわ」
「手伝うって、何を」
「決まっているでしょ、佐々木長光をやり込めるの。いいようにされていたとはいえ、一から十まで好き勝手にされていたわけじゃない。目の前で娘を弄ばれているのに、引き下がるとでも思う?」
覇気に満ちた目を見開き、文香はスーツ姿でも目立つ胸を張る。気の強い性分なのだ。
「ハルノネットだって小さな会社じゃないし、やれることは山ほどあるわ。大体、相手は頭の煮詰まった田舎の老人が一人だけなのよ? そんな輩に、私達の前途有望な人生を蹂躙されて、大人しくしているわけがないじゃない。むしろ全力でぶん殴ってやりたいわ! 自力で! 遺産にしても、佐々木長光が管理者権限の持ち主だなんてのは嘘よ嘘、ペテンでハッタリでインチキでフェイクで、まーとにかく嘘なんだから、ねっ!」
と、文香に凄まれ、つばめは座布団からずり落ちかけた。
「え、あ、はあ」
だが、その根拠はどこにあるのだ。つばめが呆気に取られていると、文香は立ち上がった。
「それじゃ、別の部屋に行きましょうか。他のお客さんにも、つばめちゃんと会ってもらいたいし」
「……はい」
つばめは文香に言われるがままに立ち上がり、彼女に続いて床の間を出た。気が強い分、感情の起伏が大きいのだろう、文香は先程までの湿っぽい表情は引っ込んでいた。だが、そんな態度を取れるようになるまでは随分と辛い思いをしたはずだ。つばめに対しても、暖かな感情だけを抱いているわけがない。産まれることすらなかった娘と比較して苦悩したに違いない。それを思うと、今一度、つばめの胸中は痛んだ。
床の間を出た後、渡り廊下で繋がった離れに向かった。文香は不躾に障子戸を開き、中に入っていった。つばめは渡り廊下に残り、事の次第を見守っていた。数分後、文香が障子戸の隙間から手招きしてきたので、つばめはそれに従って中に入った。板の間の奥には畳敷きの和間があったが、床を埋め尽くすほどの量の本やスクラップブックが散乱していて、足の踏み場がなかった。それを跨ぎながら進んでいくと、日当たりの良い縁側に見覚えのある男が寝そべっていた。ヘビと化した下半身を持つ男、羽部鏡一である。
「ふおあっ!?」
ヘビの下半身を見て心臓が跳ねたつばめが変な声を出すと、羽部は鬱陶しげに目を上げた。
「なんだよ、その品性の欠片も感じられない悲鳴は。この僕に対する侮辱にしては、低俗すぎやしないか」
「な、な、なっ」
つばめは戸惑うが、文香はしれっと羽部に話し掛けた。
「どう、羽部さん。情報の整理と分析は進んでいる?」
「情報って言っても、資料がどれもこれもいい加減でジャンル分けすらされていなかったんだから、面倒で仕方ないんだけど、何もしていないのも暇すぎて、この優秀という字の意味として辞書に載るべき僕の頭脳を持て余すのが勿体ないから仕事をしてやっているけどさ。新聞の切り抜きは年代別だけど、掲載紙別じゃないし、全くもう……」
ぼやきながらも着実に仕事をこなしているのか、羽部の手元のノートにはみっちりと文字が書き込まれていた。
「あんたと旦那の稚拙な仮説は大筋では合っているけど、要点を想像で補完しすぎだよ。確かに佐々木長光が遺産を作動させる際に使っていたのは本人の生体組織でもなければ声紋でも指紋でも網膜認証でもないけど、それが管理者権限を持っていないっていう意味には直結しないからね。当人の生体組織があれば、物凄く嫌だけどこの僕が舐めれば情報が掴めないわけじゃないんだけど、生憎、佐々木長光の遺骨は手元にないからね。吉岡りんねの複製体が生産される以前にべらぼうな値段で売買されていた生体安定剤の化学式があれば、もっと解りやすいんだけど、フジワラ製薬はそんなにザルじゃないからなぁ。かといって、今からフジワラ製薬に行く時間もないし」
「時間がないって、どういうこと?」
つばめが尋ねると、羽部は面倒そうに返した。
「なんだよ、そんなことも解らないのか。いいかい、今、佐々木長光の手元には遺産がゴロゴロある。広辞苑の馬鹿という項目の下に名前を書かれても文句を言えない立場である君が、備前美野里に唆されたせいで、だ。君の家にある遺産、つまり、ムリョウ、タイスウ、アソウギ、アマラ、ナユタ、は確実に奪われたと思っていい。弐天逸流の本部は船島集落の裏側とでも言うべき異次元だったからね。だが、それだけでフカセツテンが動かせるわけがない」
「フカセツテンって何?」
初めて聞く単語につばめが問い返すと、羽部の背後にある文机に載っているコップから返答があった。その中には拳大の種子が水に半身を付けていて、赤黒く細長い触手でコップの下に置かれた携帯電話を操作した。
『フカセツテンって言うのは、弐天逸流の本部がある空間を包んでいた宇宙船の名前だよ。あ、ちなみに僕は高守信和の本体。今後ともよろしくね』
「高守って……あの人? 桜の木の下にえげつない地雷原を作った、あの人!?」
つばめが種子を指すと、触手が上下した。
『そうそう、その人だよ。嬉しいなぁ、ちゃんと覚えていてもらえて』
「え、ええー?」
ますます混乱してきたつばめは頭を抱えそうになったが、最も重要な質問を投げ掛けた。
「で、その、フカセツテンっていう宇宙船が何をするの? ハリウッド映画みたいに世界各地の主要都市を襲撃して破壊の限りを尽くした挙げ句に地球が滅亡する一歩手前になって唐突なラブシーンが挟まれて御都合主義の奇跡が起きて世界が救われてUSA! ってなるの?」
「御約束だなぁ」
羽部は唇の端を曲げたが、笑みとは程遠い表情だった。
「答えは簡単、燃料補給だよ。フカセツテンは宇宙船だ、だから動力源が必要だ。コジロウの本体であるムリョウは本来はフカセツテンのエンジンだけど、エンジンはそれだけで動くものじゃないし。だけど、フカセツテンの動力炉に放り込んで燃焼させるものはガソリンでもなんでもない、管理者の生体組織だよ。ラクシャに強制的にシャットダウンされているけど、ムリョウは完全に機能停止したわけじゃないからね。君の血でも何でも放り込まれれば、あいつは条件反射で作動して膨大なエネルギーを生み出し、フカセツテンを起動させるだろうさ」
「で、でも、私はここにいるし、体も大丈夫だし」
「馬鹿だなぁ。こいつさえ取り戻してしまえば、そんなもの、いくらでも複製し放題じゃないか。管理者権限のレベルは半分に劣化するけど、それでも充分すぎる」
そう言って、羽部は縁側の床に無造作に箱を転がした。十センチ四方の正方形の箱で、艶のない黒一色だった。箱には繋ぎ目もなく、蓋もなく、模様もなかった。金属なのか鉱石なのかは定かではないが、質感は硬質だ。
「このコンガラで、あいつは君を無数に複製するはずだ。この僕だったら、間違いなくそうするね。最高純度にして遺産が拒否反応を起こさない、唯一無二の燃料なんだから」
これが、コンガラ。つばめは本を跨いで縁側に出ると、床板に転がされている箱を拾った。見た目に反した軽さで、重みはほとんどない。手触りは冷たく、手応えは硬かった。他の遺産に比べると仰々しさはないが、無機質故の底知れなさがあった。だが、こんなもので本当に人間も複製出来てしまうのだろうか。
ならば、試してみればいい。無機物を複製するだけなら支障は出ないだろうと踏み、つばめはコンガラを携えて、最も手近な位置に落ちていた本を一冊拾った。吉岡グループの系列会社が起こした不祥事を追求する内容の本で、攻撃的なタイトルが表紙を彩っていた。つばめはその本を手にしたまま、コンガラを握り締めた。
「作って」
黒い箱が薄く発光した。その光がコンガラの真上で収束すると、つばめが手にしている本と全く同じ本が完成し、コンガラの上に落ちた。つばめは複製された本を広げ、本物の本と比べてみると、中身も相違なかった。いい加減な開き方をしていたせいで少し折れたページの端も、日焼けした背表紙も、カバーの折り目も、何もかもが。
それがどれほどの脅威なのか、つばめはすぐに思い知った。一刻も早くお金を貯めて独り立ちしたいと思っていたから、真面目に社会科の勉強をして社会の仕組みを理解していた。いかなる物資にも、生産者が存在し、製造工程を経て加工され、あらゆる輸送ルートで流通した末に消費者に手元に辿り着く。だが、コンガラはそういった工程が一切ない。製造コストもなければ、材料を調達する必要もないのだ。よって、コンガラが全ての物資を生み出すようになってしまえば、経済が破綻するのは目に見えている。遺産同士の互換性を利用して、アマラやラクシャを通じてコンガラに情報を与えれば、核兵器ですらも複製出来てしまうかもしれない。
これを奪われてはいけない。
昼になると、離れに人数分の食事が運ばれてきた。
バターの香りがする柔らかな卵に包まれたオムライスとフレンチドレッシングを掛けられてクルトンがトッピングされたレタスサラダ、透き通った黄金色のコンソメスープだった。羽部にも同じメニューが出されたが、植物も同然の状態である高守には何もなかった。そんな相手の前で食べるのは少し気が引けるので、つばめは水差しに入っていた水を高守のコップに足してやった。
腹が膨れると、頭にも栄養が回ってきた。徐々に疑問も湧いてきて、つばめは食後の紅茶を傾けながら、目の前に並べた二冊の本とコンガラを睨んだ。恐らくは祖父の意思が宿っているであろう無限情報記録装置、ラクシャは、どうやってコンガラを奪いに来るのだろうか。中に収めている異次元ごとフカセツテンを動かすにしても、東京までの所要時間はどれくらいなのか。また、フカセツテンの再起動に掛かる時間はどれくらいであって、フカセツテン自体の規模も不明だ。また、フカセツテンがただの輸送船なのか、戦艦なのか、それすらも解っていない。フカセツテンがSF映画に出てくる異星人の宇宙船のような攻撃力を持っていたら、手の打ちようがない。
「ちっとも解らん!」
頭の中でこねくり回していても仕方ないので、つばめはレポート用紙を一枚もらって書き出してみた。それを羽部に渡すと、羽部は心底嫌そうに顔を背けたが、渋々つばめの書いた紙を受け取った。一通り目を通してから、羽部は座椅子の背もたれに寄り掛かった。尻尾の先で縁側の床を軽く叩きながら、顎をさする。
「そりゃまあねぇ。今のところ、最大の脅威はフカセツテンであって佐々木長光本人じゃないけど、そのフカセツテンを操れる立ち位置にいるのは佐々木長光だから、結局は奴のウィークポイントを探るしかないんだよ。フカセツテン自体は君がいればどうにでもなるし、攻撃力があるってまだ決まったわけじゃないし、佐々木長光が手当たり次第に襲撃する理由がないじゃないか。そりゃ、君んちのクソ爺ィが世界征服でも目論む時代遅れで世間ズレした悪役ごっこをする馬鹿だとしたら有り得る話だけど、生憎、そんなのはうちの社長一人で充分だ。それに、シュユが奴をどう思っているか、も解らないしね。本当にシュユが奴を拒絶しているのであれば、コンガラで船島集落を複製して異次元を造り上げたばかりか、叢雲神社を隔てて隣り合わせたりはしないはずだ。そうだなぁ……目を離したくはないけど決して近付きたくはない、ってところかもしれない」
「シュユって生き物なの?」
つばめが高守に問うと、高守は触手でティーカップに角砂糖を入れながら答えた。
『厳密に言えばね。但し、それは僕達の知る生物の括りからは少し離れている。僕は図らずもシュユの分身となって弐天逸流を切り盛りしていたんだけど、その間、シュユは自分のことをほとんど僕に教えてくれなかった。問い詰めようかと思ったこともあったんだけど、シュユに拒絶されたら僕は生きていけないから、深入りはしなかった。けど、彼は秘密主義を貫いたわけじゃない。僕達の概念で理解出来ないことを噛み砕いて説明出来るような道具が手元になかったから、言うに言えなかったからってのもあるだろうね』
「てぇことは、宇宙人なの?」
『物凄くざっくりと表現すれば、そうなるね。さっきも言ったけど、シュユは生物には入らないんだ。生物だと断定するために必要な構成成分である、水、蛋白質、脂質、炭水化物、核酸、そのどれもを備えていないんだよ。僕が意識を宿している種子だって、外見は植物に見えるけど中身はそうじゃないんだ。ゴウガシャもだけど、分子構造だけ見ればシリコンと言うべきものなんだけど、触れた感じや構造は植物に限りなく近いんだ』
「植物なのにシリコンって変じゃない? あれって鉱物じゃなかったっけ?」
つばめが首を傾げると、つばめのティーカップに紅茶のお代わりを注ぎ、文香が言った。
「つまり、本来はシュユの分子構造はまるで違うんだけど、こっちの宇宙に出てきた時点で分子構成がこっちの宇宙に合わせたものに変換された際にシリコンになった、ってことじゃないかしら」
「大体そんなところだね。他の遺産にしてもそうだ。姿形に囚われちゃいけないってことだ。目に見えているものが全てではない、真価は見えないところにあるのさ」
この僕みたいに、と羽部は付け加え、つばめが疑問を書き出した紙をぺらぺらと振った。
「だからって、遺産をどうにかしたからって宇宙がひっくり返るわけじゃないし、物理的法則を書き換えられるわけでもないし、神の領域に至ることが出来るわけでもない。だってそうだろ、遺産は現行の地球文明の延長線上にある代物ばっかりじゃないか。ムリョウはエンジン、タイスウは保存容器、アマラはインターネット、ナユタは核融合炉、アソウギは遺伝子工学、ラクシャはハードディスク、コンガラは工場、フカセツテンはロケット。つまり、シュユとその片割れであるクテイが地球に持ち込んだ遺産は、どれもこれもオーバーテクノロジーなんかじゃないんだ。ちょっと発展した現代文明なのであって、超未来のハイテクなんかじゃない。だから、彼らも神なんかじゃないし、珪素生物と言うのもちょっと違うね。だって、単体繁殖は出来ないんだろ? 繁殖して個を増やしている時点で、生物の範疇からは逃れられていないじゃないか」
「あれ、でも、先生は単体繁殖出来るって言っていたような。てか、そもそも先生は何者なんだっけ」
「それは一乗寺昇のことか?」
羽部に聞き返され、つばめは頷いた。
「うん、そう。詳しく説明すると長くなるから省くけど、大ケガしたら女の人になっちゃって、自分でそう言っていた」
「あいつの資料、ある?」
羽部は文香に問うと、文香はぱんぱんと手を叩いた。
「もちろん。持ってこさせるわよ」
すると、すぐさま使用人がやってきた。離れの傍でずっと待機していたのだろうか。文香が手短に命じると、使用人は足早に母屋に戻っていった。ついでに飲み終わった紅茶のポットも持ち帰っていった。
「アソウギでもそこまで汎用性は効かないよ。話は少し戻るけど、この僕が佐々木長光が管理者権限を得ていないと言い切った理由がそこにあるんだ。アソウギがいじくれる染色体の本数も限られていて、性別を左右する染色体は特に重要だから切り貼りしないんだ。その証拠に、この僕は女にはならなかった。この僕と融合したヘビはペットとして飼っていたグリーンパイソンのメスだったんだけど、この僕はなんともない。卵も産まないし」
『となると、また事態が変わってくるね。一乗寺さんの出生には弐天逸流が深く関わっているから、僕も彼女の動向を把握するように努めていたけど、彼女の正体までは突き止められなかったからなぁ。三十年近く前に弐天逸流に入信してシュユと交配した女性がいることは僕も知っているし、一乗寺さんがその長姉であり、弟がもう一人いることも知っているけど、弐天逸流とは深く関わらせたくないから遠ざけたんだ。今の僕と同じ立場にあった祖父がね』
「その理由は?」
文香が聞き返すと、高守は触手の尖端を緩く振った後、タイピングした。
『覚えていないな。その頃の僕は弐天逸流にそれほど興味がなかったし、祖父も僕を敢えて弐天逸流に引き込もうとは思っていなかったようだしね。まあ、結果としてこうなっちゃったわけだけど』
「ああ、届いた届いた。はい、これ」
文香は離れに戻ってきた使用人から資料を受け取ると、分厚いファイルを羽部に手渡した。
「これ、一乗寺姉弟が養子になっていた病院のカルテ一式。経営破綻しかけていたから、買収した時に買い取ってやったの。佐々木長光の手に渡ると面倒かなーって思って。お役に立てるかしら」
「充分だよ。ああ、でも、ちょっと一人にしてくれる? 高守も持っていってくれる? 集中したいから」
羽部はカルテから目も上げずに追い払う仕草をしたので、つばめはむっとした。
「まだまだ聞きたいこともあるし、話さなきゃならないことだってあるのに」
「この珠玉であり究極であり至高である僕が君の与太話に付き合ってあげたばかりか、話を聞いてあげたし、意見も爪の先程度だけど拾ってあげたし、説明してあげたんだから、むしろ五体投地で感謝されるだけじゃなく末代まで崇め奉ってもらいたいぐらいだよ。害虫よりも鬱陶しいから、さっさと視界から失せてくれる?」
淀みなく出てくる羽部の自画自賛と罵倒の数々に、つばめは更に苛立った。
「別にあんたに会いたくて来たわけじゃないし、用事がなかったら近付きたくもないし! 大体、なんでいっつもそんな態度しか取らないの! 性格悪すぎじゃないの!?」
「ほらほら、あっちのお部屋に行きましょう。高守さんも。つばめちゃん、あの子のことを起こしてあげて」
高守の入ったコップを手にした文香に背中を押され、つばめは離れを後にした。だが、羽部は振り向こうともせずにカルテを読み漁っていた。一度気が入ると、それに集中するタイプらしい。理屈っぽくて偉そうで自尊心の固まりである羽部に対して好意は全く抱けないが、頭が良いのは本当だった。自慢するだけのことはある。だが、それとこれとは違う。いくら頭が良くとも、他人を蔑ろにしていいわけがない。それに、やっぱりヘビだけは苦手だからだ。
今更ながら、つばめは怖気立った。
長い廊下を通り、曲がり、奥の間に通された。
畳が敷き詰められた広間の中央に布団が敷かれ、そこで一人の少女が眠っていた。人形のように整った顔付きにまだらに脱色した長い黒髪、折れそうな細さの首、透き通っているかのような白さの頬。それは、五人目の吉岡りんねだった。長い睫毛に縁取られた瞼は固く閉ざされ、細い吐息に合わせて胸元が上下していた。りんねの枕元に控えていた使用人は退室し、つばめと文香、そして高守だけが残された。
「ここにいるってことは、やっぱり、この子は吉岡りんねだったんだ」
つばめが呟くと、高守が返した。
『そうだよ。色々と事情があってね、御鈴様を演じていてもらったんだ』
つばめが布団の傍に正座すると、文香は高守の入ったコップを水差しの載ったお盆に置いてから、りんねの顔に手を伸ばした。文香の指先が色白の頬をなぞった瞬間、文香は得も言われぬ声を漏らし、目を潤ませた。それは、つばめに食事を作ってくれたり、優しい言葉を掛けてくれた際の好意とは根本から異なる掛け値なしの愛情だった。言葉を出すのも惜しいのだろう、泣き出すのを必死に堪えながらりんねを愛でている。髪を撫で、呼び掛け、涙を数滴零した。それほどまでに愛されているりんねが羨ましくもあり、妬ましくもあり、つばめは目を伏せた。
「お願い、つばめちゃん」
文香はりんねの白い手を布団から出し、胸元に横たえた。つばめはその手を握り、命じた。
「起きて」
つばめの手の中で、華奢な指が曲がった。呼吸が少し速まり、手足が布団の下でびくついた。睫毛が震えて瞼が薄く開き、瞬いた。唇も動き、頬に徐々に血色が戻ってくる。瞼が開き切ると、眼球が動き、りんねの視線が布団を囲む者達を捉えた。だが、文香には留まらず、つばめを見据えた。次の瞬間、りんねは布団を跳ね上げた。
「んだてめぇっ!」
つばめの手を振り払って飛び退いたりんねは、長い髪を振り乱しながら壁際に逃げた。
「つか、なんだよここ! 俺、さっきまで事務所にいたんじゃねぇのか! 一体何がどうなってやがる、てめぇのせいか、そうなんだな、つばめ!」
りんねは荒い語気で叫び、敵意を込めた眼差しでつばめを睨んできた。が、高守の種子に気付いた。
「……いや、違うか。高守がここにいるってことは、クソヘビ野郎も連れてこられたんだな」
『理解が早くて助かるよ、御鈴様』
高守が手早く文章を打ち込むと、りんねは無造作に水差しを取って、コップに入れずに直接呷った。
「んで、俺はどうすりゃいいんだよ。つばめの所有物にだけは成り下がらねぇからな、俺は他の連中とは違ぇし」
『それは僕だって同じさ。一時的に利害関係が一致しているだけだから、手を組むことにしたんだよ』
高守が答えると、りんねは舌打ちした。
「俺も付き合わされるのかよ? ウゼェな」
二人のやり取りを見、文香は硬直していた。文香が思い描いていた愛娘とは言動が懸け離れていたからだろう。つばめもりんねの外見と内面のギャップに戸惑ってはいたが、美野里の事務所での戦闘で目にしているし、りんねの言動には既視感があったので割り切ることが出来ていた。ある程度の想像も出来たが、それはあくまでも想像の範疇であり、それが現実に起きたとは到底思いがたい。しかし、こうやってりんねの言動を目の当たりにすると、つばめはこう思わずにはいられなかった。そして、それを口に出さずにはいられなかった。
「何があったか知らないけど、なんで藤原伊織みたいな言動になっちゃったの? 頭打ったの? それとも二人で階段からゴロゴロ転げ落ちて精神だけ入れ替わっちゃったの? だとしたら、藤原伊織はどこに行ったの?」
「んだよ、まだ説明してなかったのかよ。クソが」
嫌みったらしく眉根を歪ませたりんねに毒突かれ、高守は触手を曲げた。
『ちょっと忙しくてね。改めて紹介するけど、こちらは御鈴様。弐天逸流の新たな御神体であり、ネットで売り出し中の新人アイドルさ。でも、つばめさんの予想は当たらずとも遠からずだよ。御鈴様は、瀕死の藤原伊織君と御嬢様が融合した結果出来上がった人物なんだ。つまり、肉体は御嬢様だけど精神は伊織君なんだよ』
「え?」
「え、ええええええー!?」
つばめ以上に文香が驚き、りんねに詰め寄った。
「じゃあ、りんねはそこにはいないの? せっかく会えると思ったのに、やっと家族になれるって思ったのに、あなたはりんねじゃないの? また、りんねの格好をした別人なの? どうしてなの? なんでそんなことをするの!?」
「これは、俺とりんねの意思による結果じゃねぇよ。だが、りんねの精神は死んでねぇし、俺もりんねの体を好き勝手に使っているわけじゃねぇ。アイドルごっこも、りんねの許可を得た。つか、このケバいババァ、誰だ?」
りんね、もとい、伊織が文香を指して不思議がると、文香は泣きそうになったので、つばめは慌てて説明した。
「吉岡りんねのお母さんだよ!」
「あ、あー! えっと……なんか、すんません。こんなことになっちまって」
すると、伊織は納得した後に態度を改め、布団の上に座り直した。伊織なりに責任を感じているのだろう。文香は納得も理解もしがたいようだったが、佇まいを整えた。
「詳しい事情は、後でゆっくり説明してもらいますからね」
「俺の知っている範囲になりますけど、いいっすか?」
「ええ、もちろん」
頷いた文香の横顔は険しかったが、それは恐怖や戸惑いによるものではなく、覚悟が据えられていた。これから先、何が起きても受け止めるつもりでいるのだ。
『じゃあ、要点だけを掻い摘んで説明するけど……』
そう前置きしてから、高守は複数の触手を使ってタイピングし、ホログラフィーモニターに二日間の出来事を箇条書きしていった。次々に羅列される出来事に、伊織は驚き、困惑し、呆れ、そして嘆いた。
「馬鹿かてめぇは。つか、途中で姉貴が裏切っていたって気付けよ、なんで人の忠告を無視しやがるんだ!」
伊織に正論をぶつけられ、つばめは臆しかけたが言い返した。
「じゃあ、あんたはどうなの! 吉岡りんねが行方不明になって、助けてーって電話が来たら、信じるでしょ!」
「それは……なんだ、時と場合に寄りけりじゃねーの?」
痛いところを突かれたのか、伊織は口籠もる。高守は触手を一本伸ばし、伊織の細腕を叩く。
『御嬢様への忠誠心の表れじゃないか、恥じらうことでもないよ』
「ウッゼェなーもう」
伊織は照れ隠しに高守の触手を弾いてから、つばめに向き直った。
「大体の筋は解った。遺産絡みのゴタゴタの黒幕はつばめのクソ爺ィで、弐天逸流の本部に乗り込んできてシュユを操ったのもそいつで、俺達をこんな目に合わせやがった切っ掛けを作ったのは全部クソ爺ィってことだな。んで、遺産を掻き集めて変な宇宙船を動かして、コンガラを奪いに来るんじゃねーのっつー話だな。けど、いつ襲われるのかってビクビクするのは性に合わねぇ。いっそ、誘いを掛けようぜ。俺のデビューライブ、ぶちかますんだよ」
好戦的に頬を持ち上げた伊織の言葉に、つばめと文香は戸惑うが、高守は乗り気だった。デビューライブをすることが、なぜ佐々木長光を挑発することになるのだろうか。この一大事に、そんなことをしている暇があるものか。つばめは意見したくなったが、文香がすっくと立ち上がった。
「そうと決まれば、早速会場を押さえてくるわ! 観客も半日で掻き集めてあげる! なんだってしてやるわよ、私はりんねの味方なんだから!」
さあ忙しくなってきたわ、と言いながら、文香は足早に去っていった。つばめは彼女の潔さに圧倒されてしまって、制止することすら出来なかった。伊織も高守も同様で、ぽかんとしている。気も強ければ決断も早く、こうと決めたら即決してしまう性格なのだろうが、それに伴った利害を計算しているのだろうか。どのジャンルにも言えることだが、大規模なイベントを行うためには、それ相応の準備期間が必要だ。増して、大会場でのライブとなれば。
「でも、なんでライブなの? それって何か意味あるの?」
つばめが変な顔をすると、伊織は髪を荒い仕草で掻き上げた。それでも、美貌は翳らない。
「弐天逸流っつーか、シュユの原動力は信仰心なんだよ。だから、俺は信者の数を増やすためにアイドルごっこをしてシュユを叩き起こすはずだったんだが、てめぇのクソ爺ィが引っかき回したせいで予定が狂ったんだよ。だが、これは断じて俺の意志じゃねぇからな、高守と弐天逸流の連中が俺とりんねを仕立て上げただけなんだからな! それだけは勘違いするじゃねぇぞ、寺坂とか一乗寺とかに変なことを言ってみろ、首を飛ばしてやる!」
次第に羞恥心に駆られたのか、伊織はつばめに食って掛かってきた。つばめは半身を引き、苦笑する。
「大丈夫だって、余計なことは言わないから。まあ、その……大変だね、お互いに」
「だとしても、だ。クソ爺ィがシュユを動かすための信仰心を集められねぇ、っつー保証はねぇ。本部にいた弐天逸流の信者共は高守が外に逃がしたし、そこら中に散らばっている信者共と俺のファンの洗脳はそう簡単には解けないだろうが、クソ爺ィにはバックボーンがいる。そうだろ?」
伊織は高守に話を振ったが、つばめが答えた。
「あ、それは吉岡グループだよ」
「だったら、なんで逃げねぇんだよ。ここがりんねの実家で、あの小母さんがりんねの母親なら、吉岡グループの肝と言っても過言じゃねぇ。他の連中が生死不明だっつっても、なんで敵の懐に飛び込むような真似をしやがる。俺はともかく、てめぇには人を殺してまで生き延びる覚悟も度胸もねぇだろ。アホか」
「無茶言うなっ! 泥だらけだったし疲れていたしお腹空いていたし、長い物にぐるぐる巻きにならなきゃ、あのまま行き倒れていたかもしれないんだもん! 大体、もう誰が敵か味方かなんてあってないようなもんじゃんか! 敵か味方かで相手を括っているようじゃ凌げる状況も凌げるわけがない! 文香さんは私を利用したいから助けてくれたんだろうから、私も文香さんと吉岡グループを利用し返してやるつもりで連れてこられたに決まってんでしょっ! 逆らう余力がなかったのも事実だけど!」
羽部に対する苛立ちを伊織の罵倒で煽られたつばめは、中腰になって語気を荒げた。
「遺産が手元になかったら、私が役に立たない人間だってことはよぉーっく知っている! ただの人間が出来ることなんて限られているんだから、回りにあるものを利用するっきゃないだろ!」
「お……おう」
つばめに気圧され、伊織は仰け反った。その反応に満足し、つばめは座り直して腕を組む。
「解りゃいいんだよ」
『で、その、吉岡グループが佐々木長光のバックボーンだっていう証拠は?』
「説明するよりも、実物を見せた方が早いよ」
つばめは高守の入ったコップを手に取り、立ち上がった。伊織は訝しげだったが、腰を上げた。ふすまを開けて広間から出ると、似たような景色が続いている廊下を見比べたが、どこから来たのか解らなくなった。広間の外で控えていた使用人に声を掛け、床の間への道順を尋ねると、親切なことに案内してくれた。
長い廊下を歩き、曲がり、曲がり、再び床の間に辿り着いた。伊織と高守は、薄布を顔に掛けられて横たわった二体の複製体と五つの骨壺を目にした途端、つばめの説明がなくとも悟ったようだった。伊織は慟哭を押し殺して拳を固め、高守は触手を萎れさせた。二体の物言わぬ肉塊が、人間の形をしていて人間と同じ成分で出来ていても人間として得るべきものを何一つ得られずに命を落とした者達が、佐々木長光の業を如実に伝えてくれた。
祖父は、人を人とは思っていないのだと。
広間に戻ったが、皆、言葉少なだった。
曲がりなりにも寝起きだからだろう、伊織は終始ぼんやりしていた。時折眉根を顰めていたので、頭痛がしていたのかもしれないが、薬が欲しいとは言わなかった。それだけ、りんねの肉体を大事にしているのだ。艶やかな朱塗りの盆に置かれたコップの中で、高守は触手を丸めて縮まっていた。筆談のために長時間酷使していた携帯電話はバッテリーが切れかけていたので、つばめは使用人に頼んで高守の使用機種に対応した充電ケーブルを借りて、手近なコンセントに繋いで充電してやった。つばめは頭を目一杯動かして、どうすればこの流れを利用出来るか、ということを考えていた。考えすぎてカロリーの消費が激しくなったのか、やけに早く空腹を感じた。
祖父である佐々木長光がフカセツテンを動かし、吉岡グループが所有するコンガラを奪いにやってくる。シュユを操っているであろう祖父がコントロールしている正体不明の宇宙船の出現地点は不明だが、遺産同士の互換性を利用してコンガラを見つけ出すつもりだろう。となれば、コンガラさえ手元にあればどこにでも引き付けられる、ということになる。そして、引き付けたフカセツテンの内部にいるシュユを覚醒させるため、伊織が御鈴様としてのデビューライブをすると文香に吹っ掛け、快諾された。シュユさえ覚醒させてしまえば、フカセツテンのコントロールはシュユに戻るからであり、そうなればフカセツテンが内包している異次元に囚われた皆を救い出せるかもしれない。
「待てよ……?」
だが、無理矢理叩き起こされたシュユが機嫌を損ね、フカセツテンが暴走でもしたら。先程の伊織のように逆上して暴れ出さないとも限らないし、シュユに触れなければつばめの管理者権限も使用出来ない。無謀だ。この計画はまともなようでいて、穴だらけだ。第一、フカセツテンのコントロールはシュユ本人が行うわけではない。エンジンはコジロウの動力であるムリョウなのであり、システムの類はラクシャが操ると見て間違いない。そのどちらかを確実に押さえる手段がなければ、まず無理だ。それに、御鈴様の歌によって集まった信仰心がシュユを目覚めさせるという確証はない。シュユは信仰心という名のエネルギーを与えると覚醒するが、覚醒に必要なエネルギーの絶対量までは不明なのだ。高守もそれについては説明してくれなかったし、恐らく伊織も知らないのだろう。知っているのであれば、観客の人数を指定してくるはずだ。
「ねえ、ちょっといい?」
疑問が次々と出てきたつばめは高守を小突くと、高守は気怠げに触手を動かした。
『なんだい?』
「シュユを起こすために必要な信仰心って、具体的に何人分なの? シュユを起こしてフカセツテンをどうにかするとしても、フカセツテンを動かすのはシュユじゃなくて、ムリョウってかコジロウを眠らせなきゃいけないでしょ? その時にシュユの寝起きが悪かったらどうするの、私が生身で突っ込んでいって止めなきゃならないの?」
『尤もな質問だね。これまで、弐天逸流はシュユを小康状態に保つために継続して十万人分の信仰心を得ていたんだけど、それでもエンジンを暖気させる程度でしかなかったんだ。近頃は、御鈴様が濡れ手に粟でファンの数を増やしてくれたけど、一人当たりの信仰心が薄いからシュユを半覚醒状態に持っていくだけで精一杯だったんだ。だから、シュユを覚醒させるためには最低でも二十万人分の濃い信仰心が必要だね。で、次の質問に対する答えだけど、フカセツテンのコントロールを奪うための手段は手元にあるじゃないか。アマラだよ』
「政府に押収されたよ、道子さんごと。だから、アマラには頼れないんだって」
『まさか、アマラの本体が針だと思っているの? 違うよ、アマラの本体は異次元宇宙を丸々使い切って演算装置にしたシステムとそれにアクセス出来る電脳体のことだよ。彼女はプログラムでも生命体でもないからね、物理的な器なんて邪魔なだけだよ。まあ、今はラクシャがフカセツテンを通じて異次元宇宙とこちらの宇宙の間にジャミングを仕掛けているみたいだから、道子さんも戻ってこられないみたいだけどね。戻ってこられるようだったら、どこにでも現れるだろうし、この僕の携帯にちょっかいを出さないわけがないし』
「え、そうなの?」
『そうだよ。遺産に限らず、道具の使い方はそれを扱う人間の才覚が如実に表れるからね。まあ、道子さんは最早人間ではないし、つばめさんの部下だから、道子さんの優秀さはつばめさんの判断に由来するってこと。つばめさんは道子さんを一人の女性として対等に接していたし、自由も与えていたし、何より彼女の意志を尊重していたんだ。だから、彼女はアマラとしての能力を遺憾なく発揮出来る環境にある。でなかったら、つばめちゃんホットラインなんてものは作れなかっただろうし、コジロウ君ネットワークなんてものも……』
「それ、どこで知ったの」
ホットラインは秘密の中の秘密なのに。つばめが訝ると、高守は肩を竦めるように二本の触手を上向ける。
『僕も遺産の一部だからね、互換性があるから解るんだよ。もっとも、存在を知っているだけであって、ホットラインの中を行き交う情報は解らないけどね。一秒ごとに新たなパターンで暗号化しているから』
「それを使えば、なんとかなるかも! コジロウに命令してムリョウを停止させれば、フカセツテンだって!」
あのホットラインを使えば、コジロウと連絡が取れる。つばめが歓喜すると、高守は諌めてきた。
『そう上手くいくわけがないよ。そりゃ、ちょっと前までは異次元の中でも携帯が通じたけど、それはシュユがシュユ本人だったからであって、佐々木長光がシュユを操っている今は、通じるわけがないよ。とっくの昔に無線封鎖しただろうし、通じたとしてもあちら側からの一方通行だろうさ。つばめちゃんホットラインだって、道子さんがこちら側にいてくれないと通じるようにはならないだろうしね。ホットラインよりもダイレクトにコジロウ君に働きかけるためには、固有振動数を応用した信号波を使うべきだね。それは御鈴様の歌でなんとかなるけど、働きかける際に含める情報が足りないことにはどうにもならないよ。一発でコジロウ君を再起動出来る、魔法の言葉なんてないだろう?』
「それは確かに」
良い考えだと思ったのだが、また行く手が塞がってしまった。つばめが悶々としていると、広間に足音が近付いてきた。それが止まると同時にふすまの外に控えていた使用人が開き、文香が入ってきた。意気揚々としている彼女の背後には、恐縮しきりの美月がいた。が、つばめに気付くと、美月の面差しが見るからに柔らかくなった。
「つっぴー!」
「ミッキー! どうしてここに」
つばめが腰を浮かせると、文香は両手を広げて胸を張った。
「どうせだからド派手に行くわよ、御鈴様のデビューライブ! どっちも前座じゃないわ、ロボットとアイドル、どっちも主役のエキサイティングでエクストリームなライブよ!」
『ハコは?』
「三〇万人は入れる野外ステージを設営させているわよ、突貫工事だけど安全確実にね! 秀吉の一夜城なんて目じゃないわ、一晩でどでかいのを作ってあげる! でね、その観客なんだけど、サクラになっちゃうのが残念ね! 系列会社という会社を休業させて特別手当を出す代わりにライブを見に来い、って命令を出したから! おかげで天文学的な損失が出るけど、そんなもんはすぐに取り戻せるわよ!」
テンションが上がりきっている文香が高らかに語った内容に、伊織が声を裏返した。
「んだとぉ!?」
「何よ、三〇万人じゃ不満? 夫に言付けしてハルノネットの中でも特に強力なサーバーをフル稼働させてネットでも生中継してあげるから、一〇〇万人は見るかもしれないわねー? それだけの人数に見られちゃうのよ、その前で歌うのよ、どう、ゾクゾクするでしょ? 私なんか想像しただけで身震いしちゃったぐらいよ! うちの娘可愛い、って!」
「そっちかよ」
俺じゃなくて、と伊織が若干不満がると、文香はしたり顔になる。
「当たり前でしょ? あなたの素性がどうあれ、うちの娘に良からぬことをした男に間違いないんだから、心配なんてしてあげるもんですか。りんねの繊細な体を大事にしてくれているのは嬉しいし、感謝しているけど、それとこれとは別なんだから。事が全部終わったら、ちゃーんと話を聞かせてもらいますからね。うちの娘に何をしたのか」
「何もしてねぇっての。つか、なんかする余裕もねぇし」
文香のようなタイプは苦手なのか、伊織がやりづらそうに目を逸らす。
「りんちゃん、だよね?」
りんねの姿をした伊織の存在に気付いた美月が渾名で呼び掛けると、伊織が不審そうに振り向いた。
「んだよ。つか、誰だ、てめぇ」
「うあっ、あっ、私だよ、前の学校で同じクラスだった小倉美月だよ」
美月はちょっとへこたれそうになりながらも名乗ると、伊織は少し考えたが、突っぱねた。
「やっぱり知らねぇ」
「あー、その、話せば長くなるし、訳が解らないとは思うけど……」
つばめは肩を落とした美月に近付き、りんねの肉体に起きた異変と伊織の素性について出来る限り簡潔に説明したが、ある程度遺産争いに接している美月でも混乱したらしく、何度も遮られ、聞き返された。その都度、根気よく説明し直し、渋る伊織にも説明させたが、ますます混乱したようだった。その結果、ちょっと考えさせて、と、美月はふらつきながら広間を出ていった。無理もない、つばめでさえも未だに理解しきっていないのだから。
「一度に与えた情報量が多すぎたのよ、きっと」
廊下の奥へと消える美月の後ろ姿を見、文香は苦笑する。つばめは乾いた笑いを漏らす。
「それもそうですけど、なんでいきなりミッキーを連れてきたんです? 確か、ミッキーは次の興行先に行くって言って、小倉重機の人達と一緒に出掛けたはずなんですけど。その興行先とのスケジュールとか、大丈夫ですか?」
「その辺は大丈夫よー。小倉重機にロボットファイトの興行を持ち掛けたのはうちの子会社だったし、その子会社も今回のライブに関わらせるから。で、収入は出るかどうかは解らないけど、その分の賃金はしっかり支払うし」
「でも、三〇万人の社員を休業させるのはさすがに大丈夫じゃないと思いますけど。てか、どうやって三〇万人もライブ会場に輸送するんですか?」
「休業させるのは、吉岡グループではあるけど佐々木長光のシンパだった子会社が半分以上よ。あの男が大株主になっている会社は、あの男の思うがままだったの。あの肉人形を飾り立てて、それらしく振る舞わせているから、私と夫が表立って吉岡グループに手を出せないのをいいことに、まーやりたい放題だったのよ。肉人形が止まってくれたから、これから一気にグループ内を綺麗にしちゃおうって思っていたんだけど、どうせなら解体する前に有効活用しようかなーって。で、輸送方法なんだけど、私鉄を経営しているからそこを全線使おうかなーって」
自慢げな文香に、つばめは少々気圧された。普通ではない世界に浸って生きているから、文香もやはり価値観が普通とは言い難いようだった。古びたドライブインでラーメンを作っていた姿から、どんどん懸け離れていく。
「しかし、ライブで俺達は何をするんだ? 前座で試合をするにしても、シナリオを組まないことには」
広間に面した庭先から、聞き覚えのある電子合成音声が聞こえた。
「ワシャあ楽しみでならんけぇのう! やっぱりあれじゃろ、ワシらも綺麗な格好をして歌って踊るんじゃろ?」
つばめが縁側に面した障子戸を開くと、そこにはレイガンドーと岩龍が立っていた。レイガンドーは片手を上げて親しげに挨拶してくれ、岩龍は嬉々としてつばめに詰め寄ってきた。
「おお、つばめ! 元気にしちょったか、ワシャあ小夜子にいじくられたおかげで好調じゃい!」
「でも、小夜子さんってまだ一ヶ谷市にいるんじゃ」
小夜子の名であの時の苦い記憶も蘇り、つばめが言い淀むと、岩龍は首を傾げてつばめを覗き込む。
「小夜子とワシャあ別行動じゃけぇ。小夜子はワシのオーナーになったが、オーナーとマスターはまた別物じゃけぇのう。ワシのマスターは、あくまでも親父さんなんじゃ。ほんで、ワシとレイと武公とでトリプルスレットをせぇって社長と小夜子に命令されたんじゃい。盛り上がるのは間違いなしじゃからの! そんでの、東京に入ったらイベント会社の人から連絡が来てのう、吉岡グループが開催するド派手なライブに出ろっちゅうことになったんじゃけぇ」
「というわけで、エンヴィーの衣装を着て出てくれないか? 今回は岩龍が相方になるから」
レイガンドーに懇願され、つばめは目を丸めた。
「え?」
「んじゃ、俺も適当なの歌わねぇーとなぁ。リハやるにしたって、プログラムを組まねぇとならねぇし」
伊織が面倒そうに言うと、高守が進言した。
『一曲目はらぐなろっくんろーる! でどう? テンポが良いから盛り上げやすいよ』
「あれは歌詞がダメだ、クソだ。だったら、五六億七〇〇〇万年の恋、の方が良くね? イントロがどぎついし」
『僕としては、あいらぶアンダーテイカーも捨てがたいんだけどな。ゾンビ化した女の子が墓穴掘り人に片思いするラブソングだから、ゲロ甘な内容だし、キャッチーな歌詞が多いから初見向けだよ』
「だったらいっそ、あるあるハルマゲドン、はどうだ? 世界が終わると思い込んで暴走した馬鹿女の歌」
『いや、あれはダメだよ。中継ぎ向きの曲だよ。だったら、とろりんエントロピーの方が』
「うげぇー、俺、あれ嫌い。百歩譲って、ぽかぽかアポカリプス、だな。あれはまだマシだ」『えー? 僕はその曲は嫌いだよ。ただの電波ソングで君の魅力が半減しているし、曲調が単調で……』
伊織と高守が交わす言葉を見聞きしているだけで、つばめはライブステージに立つ勇気がほとんど削げ落ちた。ロボットファイトの時でさえも大変だったのに、三十万人もの人間の視線を浴びるのはごめんだ。増して、そんな頭の悪そうなタイトルの歌なんて、きっと歌詞も凄まじいのだろう。しかし、それ以外にコジロウを目覚めさせることの出来る手段は思い当たらない。利用出来るものは全て利用すると啖呵を切ったし、手段を選り好みしている余裕はないだろう。エンヴィーの衣装は手元にある。それを着て、ステージに立つ他はなさそうだ。
こうなったら、腹を括るしかない。
御鈴様のデビューライブに関する会議が終わったのは、夜も更けた頃合いだった。
美月に続いて吉岡邸に呼び出された小倉重機の社員達のRECに対する熱気と、吉岡文香の娘可愛さによる並々ならぬ愛情と、ロボットファイター達の物理的な排気熱に当てられ、つばめは疲れ切っていた。つばめと美月が口を挟むことはほとんど出来ず、大人達の意見によってライブのプログラムが決まっていき、進行表が完成して関係者の人数分の印刷が始まっているところだった。全てが突貫工事のライブなので、これから大人達は徹夜で駆けずり回って開場に漕ぎ着けるのだろう。つばめと美月は休んでおけ、と言われたが、眠気が全く起きなかった。長時間の移動による肉体的は疲労はあれど、状況の激動でまたも神経が立ってしまったからだ。
寝間着として貸してもらった薄手のジャージを着たつばめは、割り当てられた部屋から出て最寄りのトイレで用を足した後、屋敷の中をぶらぶらしていた。屋敷の至るところでは明かりが点っていて、高級車が何台も並ぶ駐車場はロボット達が横たえられて臨時の整備場と化していた。正面玄関の門は開きっぱなしで、様々な業者の車両が出たり入ったりを繰り返している。あれよあれよという間に、なんだか物凄いことになってしまった。
居心地の悪さを覚えたつばめが人目を避けながら歩いていると、あの離れが目に入った。他の部屋とは違って、窓から明かりが漏れていない。羽部も自室に戻って眠っているのだろうか。それとも、騒がしさに辟易して他の部屋に移動したのだろうか。そこで、つばめは唐突に思い出した。今回の作戦の要であるコンガラが離れに起きっぱなしだという事実を。慌てて渡り廊下を駆け抜けて離れに飛び込むと、縦長の瞳を備えた双眸が見返してきた。
「なんだよ、やかましいな」
羽部だった。雨戸も障子戸も閉めていない縁側に寝そべっており、都心の夜景を浴びた下半身は爬虫類特有の冷ややかな光沢を帯びていた。それが一層不気味さを引き立て、つばめは思わず唾を飲み下した。
「こ……コンガラは?」
「あるよ。ほら」
そう言うや否や、羽部は尻尾の先で四角い箱を放り投げてきた。つばめは慌ててコンガラを受け止めると、羽部はつばめに背を向けて気怠げに頬杖を突いた。
「用事が済んだのなら、さっさと帰ってくれる? 君みたいなやかましい小動物は、この精密機械すらも臆するほど緻密な僕の思考を妨げるだけだからね」
「何がどうなっているか解っているの? なんか、色々とまた大事になってきたんだけど」
我関せず、と言わんばかりの態度が引っ掛かり、つばめが暗闇の中で見返すと、羽部は尻尾の先を曲げた。
「大体のことは把握しているよ。あの社長夫人が報告しに来たし、庭先が騒がしかったからね。あいつらの駆動音なんて、耳障り極まりないよ。嫌でも大事になるって解る。だけど、レイガンドーの足音が少し鈍かったな。足音が片方遅れ気味だったし、膝でも潰したかな」
「あれ、なんで解るの?」
先日の試合で、レイガンドーは対戦相手にニードロップを放ったが自爆したのだ。部品は交換したのだが、右足のフレームの交換はまだ済んでいない。RECが配信している試合動画を見ただけではそこまでは解らないはずだ。つばめが不思議がると、羽部は舌打ちし、つばめを顧みた。
「なんでもいいから、さっさと消えてくれる? 思い付きそうで思い付かないんだよ」
「今度はまた何を考えていたの?」
「一乗寺昇が過去に殺害した人間の共通点だよ。どいつもこいつも繋がりがないけど、無差別じゃない。無差別に殺すんだったら、目に付いた相手を手当たり次第に殺すはずだけど、いくらか節操があるんだよ。クラスメイトとの交友関係は良好だったことを示す証拠も証言も多くてね。あいつは宇宙人だけど嫌われ者じゃなかったみたいで、結構可愛がられていたみたいなんだよ。それなのに、殺しているんだ。意味が解らないな」
「そんなことを考えて、何になるの?」
「この僕こそ君に聞きたいね。あの連中は、呉越同舟で仰々しい罠を仕掛けてまで取り戻すべきものなのかい?」
「当たり前でしょ。コジロウも、皆も大事だもん。あんたには、そういうのってないの?」
「あるわけないだろ。この僕が最も尊んでいるのは、他でもないこの素晴らしさの結晶と言うべき僕なんだから」
さあ消えてくれ、と再度急かされ、つばめは離れを後にした。ぞっとするほど冷たいコンガラを大事に抱き、母屋に戻って割り当てられた部屋に戻ると、美月が目を覚ましていた。どうせなら、ということで同じ部屋に泊まることにしたのだが、美月も気が立っているのか寝付けていないらしい。つばめが自分の布団に潜ろうとすると、美月が唐突に布団を跳ね上げて起き上がり、おもむろにつばめに縋り付いてきた。
「あーんもうー、どうすりゃいいのー! ライブって何、三〇万人の前でどんな試合すりゃいいのー! てか、お客が全員サクラでもお客はお客だし、三〇万の一割でも三万人だし、その十分の一でも三千人だから、それだけの人数を固定ファンに出来るような試合にしなきゃ勿体ないけど、何すりゃいいんだよぉー! お父さんは私に任せるって言ってくれたけど、それってぶっちゃけお父さんも思い付いてないよね!?」
「あー、うん」
盛大に前後に揺さぶられながらつばめが弱く答えると、美月はぐっと唇を曲げた。
「頭の中ぐちゃぐちゃだし、あの子が本当にりんちゃんなのかすらも解らないけど、ここまでお膳立てされて大失敗なんてのだけは嫌なんだよ! だから、絶対に面白くしないとって思うんだけど、考えれば考えるほど解らなくなってきちゃって! 試合運びだってまだまだ勉強中なのに、レイの動かし方だって! もう、どうすりゃいいの!」
ひとしきり喚いてから、美月は我に返り、つばめを離した。
「あ、ごめん……。本当に大変なのはつっぴーの方だよね、美野里さんが悪者になっちゃったし、コジロウ君だって、あの人達だって……それなのに、私、自分ばっかりで」
「大変なのは誰も変わらないって、私達だけじゃないもん。むしろ、一晩で会場を設営させられる業者の方が」
つばめは苦笑してから、美月と隣り合って座った。美月は膝を抱え、はあ、とため息を吐く。
「そりゃ、そうだけどさぁ。でも、こんなの中学生のキャパじゃ無理だって。大人でもきついじゃん」
「それでも、頑張るしかないよ。最善を尽くして、やれることをやれる限りやらないと、何も出来ないまま何もかもが終わっちゃう。コジロウにも、二度と会えない」
つばめは膝の上で拳を固め、手のひらに爪を食い込ませた。痛かったが、一乗寺、寺坂、武蔵野はその何十倍もの痛みと屈辱を味わったのだ。コジロウも、愚かな主人のせいでただのエンジンに成り下がってしまった。彼らに過ちを償うためには、いかなる手段を使ってでも、フカセツテンを制御下に置かなければならない。だから、敵をも利用して罠を張らなければ、祖父も美野里もやり込められない。
お金が大好きで打算的で相手の顔色を読んで行動するような腹黒い子供。確かにその通りだ。だが、それが何だというのだ。そうでなければ、乗り越えられない局面も多かった。正に、それが今だ。頭が冷えてきて感情の波が収まってくると、生臭く、浅ましい部分が頭をもたげてくる。だが、それでこそ自分だとも思った。
汚れなければ、世の中は生き抜けないからだ。




