藪を突いてヘイトを出す
仕事を与えられた。
備前美野里に回収され、部下になってからというもの、毎日暇を持て余していた周防国彦にとっては願ってもない話だった。新免工業を裏切り、備前美野里の部下となったフルサイボーグの戦闘員、鬼無克二が傍受していた通信電波の中に行方不明であった羽部鏡一と寺坂善太郎の会話が紛れていたからである。
不可解な点も多い。羽部の名義の携帯電話の発信場所が備前美野里が経営する弁護士事務所であったことと、名義は羽部でも携帯電話の本体の持ち主は寺坂善太郎であったことだ。しかし、周防は政府の人間ではないし、捜査員ではないから、細かい理詰めを行って真相を究明する必要はどこにもない。公安と警察が組み立てているシナリオに添った報告書を書き上げる必要もなければ、シナリオには不要な捜査資料を秘密裏に破棄する必要もなければ、捜査上の事故という名目で殺害するべき犯罪者も存在していない。備前美野里の指示に従わなければならないが、かなり自由な行動が取れる。公務員だった時代に比べれば、天と地ほどの差がある。
「それで、俺達は誰を殺せばいい」
ガバメントのグリップを握り締めながら、周防はリーダーを見やった。
「手当たり次第に。なんでしたら、全員でも構いませんよ。相手が人間であろうがそうでなかろうが、容赦することはありません。彼らは既に死亡届が提出されておりますし、そうでなければ行方不明者として扱われているからです。ですから、法的には彼らは死しています。死亡届が提出されていない人々がいたとしても、そこは裏から手を回してしまえばどうとでもなるものです」
いつものスーツ姿で、備前美野里は薄い笑みを湛えていた。鎖骨の間では、水晶のペンダントが光る。
「てか、どこから突っ込むんですー? ヘビ野郎とクソ坊主の通信電波の発信源を辿ってみましたけどー、これって超近所じゃないですかーやだー」
戦闘服を着込んだ鬼無はノートパソコンのホログラフィーを指し、立体的な地図のある地点を示した。赤い逆三角のマークが浮かんでいる地点が通信電波の発信源だが、それは船島集落の一角だった。その下には神社があることを示す鳥居の地図記号が付いていて、叢雲神社、との注釈も添えられていた。
「叢雲神社の周辺一帯もちょっと調べてみたんですけどー、ここってなんにもありませんよーこれー? 第二次大戦中に作った防空壕とかー、洞窟とかー、隠し通路とかー、そういうのは全然ー。ヘビ野郎の話が本当だと仮定してもー、弐天逸流の本部が収まっちゃいそうな地下空洞とかもないっぽいですよー?」
鬼無が両手を上向けると、美野里はかすかに目を細めた。
「ありますよ。常人には目視出来ないだけです」
「えー? そういう中二病的な異世界ネタですかー? うわー」
鬼無が茶化すが、美野里は穏やかに受け流した。
「克二さんの主観ではそうかもしれませんね。コンガラによって複製された船島集落一帯の空間と地形は、船島集落と隣接した異次元に存在しているのです。鏡と実物が隣り合っていなければ、正確な鏡像が結ばれないのと同じ理論です。ですが、その異次元に誰もが立ち入れるわけではありません。弐天逸流を統べる異形の邪神、シュユの許可を得られなければ認識することすら不可能です。弐天逸流の信者となった人々でさえも、シュユのお眼鏡に適って上位幹部となれる者はごく一部に過ぎません。それはシュユが手足として使える能力を持った信者の選定を行っているからでもありますが、異次元は通常空間とは物理的法則が少々異なっております。その影響を受けずに行動出来る信者だけを上位幹部として引き入れ、使役しているのでしょう」
「俺達はどうなんだ。その変な空間に入れなかったら、何の意味もないが」
周防の疑問に、美野里はにこやかに答えた。
「問題ありませんよ。国彦さんも克二さんも、異次元での行動は充分に可能です。お二人が御使用になる武器弾薬は大量に御用意してありますので、どうぞ心置きなくお使い下さい。弐天逸流の本部に到着したら、私はシュユとの交渉に参りますので、お二人は御自由に暴れ回って下さい」
「言われなくとも」
周防が銃弾を詰めたマガジンをベストに指すと、鬼無はけたけたと笑った。
「コマンドー状態ですねー解りますー。でなきゃ、リアルFPSかなー」
「それでは、私は準備に参りますので、十五分後に地下の駐車場でお会いいたしましょう」
そう言い残し、美野里は一礼した後に部屋から去っていった。鬼無はその後ろ姿に手を振っていたが、美野里の足音が遠ざかると態度を一変させた。目の下を押さえて舌を出すような仕草をした後、ノートパソコンのキーボードを忙しなく叩いて入力した。死ね死ね死ね死ね死ね。
「異次元とかさー、そういうのはアニメだから許されるのであって三次元で言うのは痛すぎー。てか、あの女、何を言い出すかと思ったら電波な超展開ー? てか、あんな神社から異次元に行けるわけがないしー。確かに神社の鳥居を潜ったら神の世界とか妖怪世界とかはありがちだけどー、それって伝奇ファンタジーものでも定番過ぎてもう飽き飽きなんですけどー?」
鬼無は力強くリターンを押し、死ねを連呼した文章をSNSに投稿した。
「何にせよ、船島集落に突っ込めるんであればそれでいい」
一乗寺に近付けるのだから。周防が傷跡が付いた頬に触れると、鬼無は嫌がった。
「俺ってストライクゾーンが広い方だから結構イケるんだけどー、リアルで性転換萌えってのはないわー。いくら体が女になったってー、元々は男じゃーん。性転換もののエロ漫画とかで女体化した主人公が友人とかに欲情されるのはよくあるけどー、あれって主人公が女体化したから欲情するんじゃなくてー、主人公がたまたま女体化してくれたから欲情している事実を隠さなくても済むようになっただけー、って気がするー。つまり潜在的ホモ、みたいなー? 薄い本が厚くなるな!」
「お前の言っていることは相変わらず解らんが、俺は別に同性愛者じゃない」
「えー? だって、すーちゃんって一乗寺が男だった頃から萌え萌えズッキュンだったんじゃないのー?」
「一乗寺は元から男だったわけじゃない。あいつは本来、女なんだよ」
周防がやや語気を強めると、鬼無は首を曲げた。
「えぇー? でも、あいつの戸籍をひっくり返してみても、そんなの全然だったしー」
「俺も最初はそう思ったさ。だが、マスターが俺に流してきた情報によれば、一乗寺は元々女として産まれてきたんだよ。弐天逸流の信者と、シュユの間に出来た子供として」
「え、えーえーえー? それってなんですか、つまりマリア像とファッ」
と、言いかけた鬼無を押さえて黙らせ、周防は続けた。
「まあ、そんなところだ。俺だってどういう理屈でそうなるのかは信じられないが、資料の上ではそうなんだ。一乗寺の母親はとある高級官僚の一人娘で、見合いが破断して気落ちしているところに弐天逸流に誘われて入信したんだが、余程シュユと相性が良かったんだろう、他の連中よりも洗脳のレベルが異常に高かった。神として信奉するだけでは飽きたらず、シュユと子供を作ろうとしたんだ。だが、弐天逸流が信者に寄越す御神体のゴウガシャの姿を見れば解ると思うが、あんなのとまぐわえるわけがない。そもそも、どこにナニがあるか解ったもんじゃない。だが、その女は本部に潜り込み、シュユと一線を越えた。そして産まれたのが一乗寺、更にその三年後には弟が一人産まれているんだが、その時に女は死亡した。一人だけならともかく、二人も化け物の子供を産んだとなると体が耐えきれなくなったんだ」
「あー、異種姦あるあるー。てかー、一人産んで無事だったってことがまず有り得ないんですけどー」
「まあな。弐天逸流の間でも一乗寺とその弟は持て余されていたようだが、仮にも神と交わった女が産んだ子だから無下にはされなかった。一乗寺はそれなりにまともに育っていたが、弟は産まれながらに免疫系の重篤な病気を煩っていて、自分の足で歩くことすら出来なかった。本部では満足な治療を受けさせてやれないため、姉弟は本部から弐天逸流の信者が経営する病院に移された。その際に姉弟は院長の養子になり、一乗寺の名字をもらった。その後、一乗寺は普通の人間であるような顔をして生活を送ったが、人格が破綻していた。善悪の区別がないのは当たり前で、道徳観ゼロで倫理観もなく、欲望を止めようともしなかった。学校では自分の席には十五分も座っていることが出来ず、誰のものだろうが食べ物があれば口に入れ、気に入らない相手がいれば文句を言うより先に殴り付けた。だが、成績だけは良かった。元々の頭は良いんだ。だが、精神構造が人間じゃないんだ」
一乗寺の学生証だ、と周防が自身の携帯電話からホログラフィーを映し出すと、鬼無は腰を曲げて興味深そうに覗き込んできた。そこには、満面の笑みを浮かべるセーラー服姿の少女が写っていた。輪郭が丸く幼いが、一乗寺には違いない。関東の公立中学校の校名と校章の下に、名前が印刷されていた。一乗寺ミナモ。
「あれ? 昇じゃないのー?」
鬼無が不思議がると、周防はホログラフィーを消した。
「それは弟の名前なんだ。もっとも、その弟の方は病院にプロパーとして出入りしていたフジワラ製薬の職員に拉致されて怪人に改造されたが、失敗作に終わって藤原伊織に処分された」
「へー、ちょっと面白いかもー」
鬼無は姿勢を戻すと、手近な椅子に腰掛けて長い足を投げ出した。
「だがな、その際に一乗寺ミナモは上半身を喰い千切られているんだ」
「え?」
これには鬼無も驚いたのか、語尾を伸ばさなかった。周防は腕を組む。
「そうなんだよ。改造された後、弟は一度病院に戻されたんだが、その時に学校帰りの一乗寺と鉢合わせ、怪人の衝動に任せて捕食したんだ。すぐさまフジワラ製薬の戦闘員が飛んできて弟を取り押さえて連行したんだが、現場には公立中学校のスカートを履いた下半身しか残っていなかったんだ。正確には、肋骨から上だな。臓物と血肉が散らばる部屋に転がる下半身は、司法解剖の後に火葬される予定だったんだが、死亡三時間後に下腹部が異常に膨張した後に出産した。三二〇六グラムの、立派な新生児をな」
「え、えぇー?」
「一乗寺に妊娠の兆候はなかったし、あったとしても養父母が気付いているはずだ。仮にも医者なんだから。だが、死んだ一乗寺は誰の子とも付かない新生児を出産したんだ。だが、話はこれからが本番だ。保育器に入れられて栄養剤を投与された新生児は驚異的な速度で成長し、七日で一乗寺と全く同じ姿となり、一ヶ月も経つと記憶までもが完全に再生された。あいつは自分で自分を産み直したんだ」
「え、え、えぇー?」
鬼無が仰け反りながら頭を抱えると、周防もこめかみを押さえた。
「俺だって理解に苦しむ点が多すぎる。だが、そうなんだ。あいつはそういう生き物なんだ」
「エイリアン的なナニかですかー?」
「そうであることを祈らずにはいられないよ。万が一にも神の子だったら、俺が宗教をでっち上げなきゃならん」
高揚が押さえられず、周防は笑いを噛み殺した。鬼無は少々呆れているようではあったが、周防の態度が彼のお気に召したのか、声を合わせて笑ってくれた。この男が同調出来るほど自分も歪んできたのかと思うと、周防は薄ら寒くなったが、それ以上の解放感を味わっていた。一乗寺という不可解極まりない生物を生み出した弐天逸流の本部に乗り込み、信者達を駆逐すれば、必然的にシュユが残る。そのシュユを使えば周防も一乗寺と同じ高みに至れるかもしれないが、そんなことをしてしまっては何の意味もない。
周防はあくまでも人間として、人間の目線で、人間の感覚で、超常の存在である一乗寺を想っている。同じ次元に上り詰めるという選択は簡単だが、人間の生理では受け付けられないおぞましさや不可解さこそが、一乗寺の魅力であり真価なのだ。それを自ら捨ててしまうのは、あまりにも惜しい。嫌悪を内包した欲情の奥深さと心地良さを知った今となっては、人間であり続ける理由が強くなる一方だった。
それから十数分後、出動命令が掛かった。周防と鬼無は美野里と共に用意された車に乗り込むと、至るところに武器と弾薬が詰め込まれていて、クーデターでも起こすかのような有様だった。美野里は助手席に乗って運転手に行き先を告げ、足を揃えて座った。後部座席に鬼無と隣り合って座った周防は、手狭な車内で武器の整備を行っていたが、地下駐車場から出た直後、スモークシートが貼り付けられた窓越しに建物を見上げてみた。
ビルの壁面にはLEDで、YOSHIOKA、との文字と会社のロゴが光り輝いていた。つまり、今し方まで周防と鬼無が軟禁されていたのは吉岡グループの支社だったのだ。それはイコールで美野里が吉岡グループと密接な関係を築いているという証拠でもあるが、備前美野里はつい先日まで佐々木つばめ側に付いて吉岡グループと敵対していた。彼女もまた、ダブルスパイだったのか。周防も、鬼無も、美野里も、似たような立場ということだ。
周防は己の本性を偽れなくなったから美野里を操るマスターに従っている。鬼無の真意は読みづらいが、ゲーム感覚で殺戮を繰り返したいからこそ新免工業から離れたのだろう。美野里の行動理念の軸も、実の妹も同然である佐々木つばめに対する愛情故のものなのか、マスターに対する忠誠心なのか、それ以外のものなのかが定かではない。均衡もなければ統一性もない面々で、本当に弐天逸流の本部を襲撃出来るのだろうか。
「移動って暇すぎー」
長い手足を縮めて後部座席に収まった鬼無は、胸ポケットから携帯電話を出してホログラフィーモニターを投影し、手早く操作して動画を漁り始めた。緊張感の欠片もない上に公私の区別もない行動に周防は苛立ちかけたが、鬼無が再生した動画を見て咎める気が失せた。それは、先日ネット配信されたロボットファイトのハイライトシーンをまとめた動画で、バニーガールの格好をしたラウンドガールの映像も多かった。プロポーションは大分変わっているが、顔の作りからして間違いない。一乗寺だ。肉感的な肢体を惜しみなく衆人環視に曝し、諜報員の職務を完全に放棄している。笑みを振りまいてポーズを決める彼女の姿を、表情を、横目に凝視した。
「不用心っつーか、なんつーかー。こいつらって、自分の立場を解ってんですかねー?」
鬼無は一乗寺には興味がないのか、指を滑らせてシークバーを操作して動画を早送りし、エンヴィーとシリアスのシーンに切り替えた。周防は物凄く残念だったが、顔には出さないように尽力した。
「だってほら、これって佐々木つばめじゃないですかー。ちょこっと顔と声は編集してあるけどー、俺達は見慣れているから丸解りっつーかー、マスクだけど隠す気ゼロっていうかー。だからー、このシリアスってロボットの中の人は十中八九コジロウっていうかー」
悪辣な外見のロボット、シリアスの肩に載るマスク姿の少女を指して鬼無が言うと、バックミラーに映る美野里の目が動いた。周防は叱られるかと思ったが、美野里は目を逸らし、何も言わずに頬杖を付いた。
「これって面白いのかなー? 動画の再生回数は多いけどー、ステマかもしんないしー」
鬼無はネットスラングだらけの独り言を零しながら、動画に付けられたコメントを閲覧し始めた。並行してSNSの検索も行っているらしく、いくつものウィンドウが重なり合い、文字と映像と画像が乱立し、情報が大量に流れ込んできていた。一乗寺の動画はとてつもなく気になるが、任務前に携帯電話をいじるのは周防の主義に反するので衝動を堪えた。バニーガール姿の彼女が脳裏に焼き付き、一層、濁った劣情が生臭さを増していく。
深夜の国道を、黒塗りのワゴンが駆け抜けていった。
怠惰な時間だった。
本堂の天井から逆さまに吊り下がりながら、羽部はそんなことを考えていた。十数メートル下の床には、御鈴様を演じ続けて疲弊して熟睡していた伊織の枕元から拝借した携帯電話が落ちていたが、重力に従って加速し、床板に激突した小さな機械は粉々に砕け散っていた。目線を動かすと、携帯電話の破片を背にして祭壇に向かっている高守信和は背を丸めているだけだった。音に反応することもなく、経文を広げて黙読している。
「あのさぁ」
羽部はヘビと化したままの下半身を活用し、梁と柱を伝ってするりと本堂に下り、祭壇に近付いた。
「この素晴らしい僕が話していたことも、この僕がしようとしていることも、解ったはずだろ? ノーリアクションだなんてこの優秀さを形作った僕に対して無礼極まりないじゃないか、不敬罪で処刑レベルの罪じゃないか。君がシュユの組織片を培養して育て上げた畑に入り込んで、この僕の食べ残しである少女達の骨を使って人間もどきを勝手に造り上げたばかりか、物資を搬入する際に開いた出入り口から外に出して、勝手に行動させたんだから。少しは驚いてくれないと、こっちも張り合いがなさすぎて退屈極まりないんだけど?」
『いいんだ、これもシュユの意思だから。羽部君を回収して弐天逸流に引き入れたのも、羽部君の行動パターンが予想出来ていたからさ。羽部君が裏切らないなんてことは有り得ないんだから、裏切られるのが前提で僕達も行動に出ていたんだ。敵も引っ掛かってくれたしね』
高守は袖口から出した携帯電話からホログラフィーモニターを浮かび上がらせ、文章を入力した。
「ああ、そう」
利用するつもりが利用されたのか。羽部が渋面を作ると、高守は更に文章を打ち込む。
『羽部君は御鈴様を守ってやってくれないか。その力があるのは、君だけだから』
「な、なんだよ。解ってきたじゃないか、低脳のくせに」
高守の言葉に羽部が口角を緩めかけると、高守は更に文章を連ねた。
『それと、君が御鈴様に仕掛けた細工にも手を加えておいた。これならきっと上手くいく』
「んで、敵ってのは? 佐々木つばめ? 吉岡グループ? それとも政府?」
珍しく他人から褒められたので若干挙動不審になりつつも、羽部が問うと、高守は答えた。『全部だよ。だけど、それを統括しているのは他でもないあの男だ。シュユから伴侶を奪い、能力も遺産も奪い取り、全てを自分の思い通りにしようとしている、死に損ないだよ』
いつになく感情を込め、高守は携帯電話のボタンを叩いて文字を入力した。この矮躯の男が感情を露わにするのは希なので、羽部は少々驚いた。すると、不意に微震が起きて梁から埃が零れた。羽部が訝ると、高守は小さな目を細めて太い眉根を寄せた。携帯電話を懐に戻してから、祭壇の下に手を差し入れ、二振りの刀を取り出した。
「今、聞くのもなんだけど、どうして弐天逸流はシュユを崇める新興宗教になったのさ。資料に寄れば、元々は剣術の流派だったそうじゃない。道場の師範の腕前は最高だったけど、経営手腕がなさすぎたから? で、借金まみれで首が回らないどころか転げ落ちそうになった時にシュユと出会ったから?」
羽部がやる気なく述べると、高守は二振りの刀の鍔を押し上げて刃を確かめて、答えた。
『まあ、大体そんなところだね。凄腕だけど経営手腕が壊滅的だったのは、僕の祖父だよ。佐々木長光と付き合いがあったから、その流れでシュユと出会ったんだ。いや、押し付けられたと言うべきかな。祖父は日々廃れつつある実践的な剣術を世間に認めてもらいたくてたまらなかったから、ベタ褒めしてくれる佐々木長光を盲信してすらいたんだよ。だから、こんなにも巨大な化け物を押し付けられても喜んでいたよ。他の家族は嘆きに嘆いて、祖父の元から離れていったけどね。だけど、僕の父親はそうじゃなかった。だったらいっそ、この化け物を活用しようと決めて、佐々木長光から使用方法を聞き出してきたのさ。僕の母親は、僕が産まれてしばらくした頃に逃げ出したから顔も知らないけどね。それから父親は新興宗教の教祖になり、シュユを使って次々に信者を集めて道場を建て直したけど、その頃には父親も剣術を忘れていたんだ。だから、僕はシュユの植物を使って死んだ祖父を蘇らせ、剣術を徹底的に教え込んでもらった。シュユを倒すために』
高守はぱちんと鍔を戻すと、シュユを仰ぎ見た。
『でも、失敗した。祖父も二度目の死を迎えた。だから、僕は罰としてシュユの苗床になった。けれど、後悔してはいない。おかげで解ったことが色々とあるし、ちょっとは自分に自信が持てるようになったしね。御嬢様の部下になったのも、御嬢様を守り通すためだ。佐々木つばめはもちろんだけど、御嬢様も大事な御方だからね』
ず、と再び揺れが起きた。本堂の梁に積もっていた埃が雪のように舞い散り、太い柱を軋ませる。高守は法衣を脱ぎ捨てて着物と袴姿になると、帯に刀を差して立ち上がった。閉ざした観音扉の向こうからは、信者達のざわめきが聞こえてくる。羽部は不本意ではあったが、高守の指示に従っておこうと決めた。伊織とりんねが融合した御鈴様が重要であることは羽部も解り切っているし、彼女を外界に出すために寺坂に連絡を取ったのだから。自我を持つ前からラクシャに宿る意識によって操られていたりんねは、脳が無垢なままだった。故に、羽部はその脳にムジンのプログラムを一つ残らずインストールさせ、ムジン本体のデータは削除した。それもこれも、羽部がごく一部ではあるがアマラと繋がっているからこそ出来た芸当だ。
今一度、大きな揺れが訪れた。地震によく似ているが、この土地は異次元であり地盤とは分断されているので、地震が起きるとは思いがたい。羽部の疑問を悟ったのか、高守が新たな文章を打ち込んだ。
『シュユが動揺しているんだ。この空間は彼の精神と直結していると言っても過言ではないから、彼の心が揺らげば空間自体に震動が発生してしまうんだよ。シュユに絶え間なく信仰心を与えていたのは、彼の不安や寂しさといった負の感情を和らげるためでもあったんだ。誰だってさ、あなたが必要です、大切なんです、ありがたいんです、って毎日祈られたら悪い気はしないだろう?』
「そりゃ……まあ、ね」
羽部が目を逸らしながら小声で返すと、高守は懐を探って拳大の種子を取り出した。つるりとした硬い殻を備えていて、ヒメグルミの実を数倍の大きさにしたかのような代物だった。それを片手に、高守は綴った。
『羽部君。君の裏切りを利用させてもらうよ。僕と御鈴様を外に連れ出してくれないか。シュユには悪いけど、本部と異次元を犠牲にする。そうでもしなければ、奴をやり込められそうにないからね』
羽部の手中に種子を手渡してから、高守は刀を携えて本堂の外に出ていった。裏切ったのに嫌がられるどころか、逆に利用されてしまうとは、つくづく面白くない。だが、むざむざと殺されるのはもっと面白くない。羽部は紙の感触に気付き、種子を裏返した。セロテープでメモが貼り付けてあったので、それを広げた。
小さな字で、綿密な逃亡計画が書き込まれていた。
船島集落への突入は、驚くほど呆気なく済んだ。
なぜならば、船島集落の住民達が一人残らず出払っていたからだ。それを事前に知っていたからこそ、美野里は今夜を選んで行動に出たのだ。佐々木つばめと友人関係にある小倉美月は、弐天逸流に入信していた母親とその親族が行方不明になった後に父親と生活を共にするようになり、同時に父親が経営するロボット格闘技の興行会社にも深く関わるようになった。興行は順調に進んでいたが、格闘性能の高い人型重機を長年扱っていた小倉重機に比べて他の人型ロボットの所有者達は整備に必要な物資や設備が乏しいため、小倉重機のハイペースな興行に追い付くことが出来なくなってしまった。だが、それはレイガンドーが強すぎたからではない。備前美野里が手を回して物資や人員の配備を怠らせ、レイガンドーの対戦相手達を窮地に陥らせていたからだ。
対戦相手がいなければ試合が成立しないため、必然的に小倉美月は佐々木つばめとコジロウに頼るようになり、佐々木つばめの周りを固める者達も駆り出されることになる。という寸法だった。少々遠回りではあるが、美野里の計画の通りになった。彼女がつばめを囲む人々の性格を熟知していたからこそだ。
おかげで無駄な戦闘をせずに進めたが、周防は物足りなかった。一乗寺に会えるばかりと思っていたから、過剰に戦意が湧いて出てきていたのだが、一乗寺もまたロボットファイトのラウンドガールとして駆り出され、船島集落から一ヶ谷市内に移動していると美野里が伝えてきた。その事実を知ると周防の腹の底に妙な感情が燻った。だが、これから戦闘を始めるのだから余計なことを考えている暇はない、と意地で押し込めてから、ワゴンを下りた。
真夜中の神社には、草木と湿った土の濃密な匂いと冷えた夜気が立ち込めていた。光源はワゴンのヘッドライトと車内のライトのみで、それ以外は周防と鬼無の持つ自動小銃のレーザーサイトだけとなる。戦闘員は周防と鬼無の二人きりで後続車もなく、運転手はワゴンから下りようともしなかった。
「では、始めましょうか」
ストッキングに包まれた長い足を見せつけるような悠長な動作で助手席から下りた美野里は、パンプスのヒールを鳴らしながら神社に向かった。移動中に紺色の戦闘服に着替えた周防はありったけの弾薬を詰め込んだ背嚢を背負い、鬼無もまた紺色の戦闘服に身を包んでいたが、彼の担いだ背嚢の大きさは周防の倍近くあった。細身ではあるが、サイボーグとしてのパワーを充分に持ち合わせている証拠だ。中でも際立っているのは、ガトリング式の機関銃、M134だった。人間の腕力では到底持ち歩けない代物だが、サイボーグならば可能だ。
美野里が懐から取り出したのは、細い木の枝だった。枯れかけた葉が数枚付いている。枝の切り口は瑞々しく、ヘッドライトの切れ端を受けて光沢を帯びていた。船島集落内を移動中に一度ワゴンを止めさせて降車した理由は、この木の枝を切り取ってくることだったようだ。
「古来より、神社とは常世と現世の狭間に位置していると言われております。その名の通りの神の社は、異界より現れる超常の存在を人界で鎮まらせるための施設であり、最も人間に密接している異次元です」
美野里は懐紙に包んでいた木の枝をうやうやしく手にし、頬を寄せた。
「故に、忌まわしき異界の存在はこの神社を境界として定め、その向こう側に鏡写しの異界を造り上げたのです。ですが、こちら側からそちら側に渡る術を持っているのは異界の存在に選ばれた者だけ。けれど、その異界の存在が求めて止まない相手の欠片を差し出したとすれば、どうなることでしょう?」
美野里は鳥居に近付くと、木の枝を鳥居に触れさせた。直後、鳥居に囲まれている台形の空間に波紋が広がり、微風が枯れ葉を舞い上がらせた。美野里が木の枝を鳥居の真下に横たえると、再度波紋が生じ、波の隙間から白い霧が漏れ出してきた。周防は赤外線ゴーグルを被ってみたが、周囲に熱源は一切ないので煙ではない上に、この気候では霧が発生するとは思いがたい。ならば、どこから現れた霧なのだろうか。
さあ、と美野里に促され、周防は自動小銃の台尻で鬼無を小突いた。鬼無はむっとして周防を小突き返したが、美野里が眉根を寄せたので、鬼無は渋々先に歩き出した。大股に霧を掻き分けながら進んだ鬼無は鳥居を通ったが、その足音が突然消えた。銃身が何本も生えた背嚢を担いだ後ろ姿は目視出来ているのだが、足音と駆動音だけが数百メートル先に飛んだかのような感覚だ。すると、鬼無は鳥居の中から顔を出してきた。
「うわー何ですかこれー! 異世界ダンジョン来たコレ! ワクテカが止まらないんですけどー!」
「それでは私達も参りましょう。敵の本陣へ」
美野里が歩き出したので、周防もそれに続いた。うわーうわー、と子供っぽく感嘆しながら駆けていく鬼無の背が遠のいていくが、距離感が曖昧だった。立ち込めている濃霧で見通しが利かないから、というだけではない、音源と光源との感覚が通常とは少し違っているからだ。目視した距離では十メートルほど先にいる鬼無の足音がやたらと遠くなったかと思えば異様に近くなり、至近距離にいる美野里の後ろ姿を照らしているヘッドライトが弱まったかと思えば鮮烈になって、感覚が掻き混ぜられているかのようだった。自分だけは正常な感覚を保っていなければ、と周防は気持ちを引き締めたが、結局、最後まで酩酊感は振りきれなかった。
障壁のような分厚い霧を通り抜けると、ようやく足元が確かになった。鬼無と美野里はなんともないらしく、鬼無はハイテンションを保っていた。これが異次元なのだろうか。周防は赤外線ゴーグル越しに辺りを見回したが、そんな実感は湧いてこなかった。確かに、ここは船島集落に酷似した地形の一帯だが、それだけだ。瓦屋根に漆喰塀の建物が渡り廊下で連なっていて、緩やかな傾斜を上がるに連れて建物が大きくなり、頂点にある本堂が最も巨大な建物だった。弐天逸流の本部であるならば、それ相応のものがあるはずだ。
期待とそれを上回る疑念を抱きつつ、周防は美野里の背後を固めながら進んだ。鬼無は無防備極まりなく、自動小銃をぶらぶらさせながら軽快に歩いている。庭を横切って一般家屋よりも小さめな平屋建ての建物を繋ぐ渡り廊下に差し掛かると、人間が通り掛かった。妙な細い帯が付いた着物を着ている女性だった。
「おっ」
鬼無は女性を目にするや否や自動小銃を構え、引き金を引いた。ダラララララッ、と一息に吐き出された弾丸が女性の頭部を肉塊に変えたのは、ほんの一瞬の出来事だった。悲鳴を上げる間もなく絶命した女性はよろけ、渡り廊下の手すりに突っ伏した。手足を不規則に痙攣させる女性を横目に、鬼無は渡り廊下に飛び込んだ。
「んでー、この後はどのルートで攻略すりゃいいんですー?」
鬼無から無邪気に問われ、美野里はタイトスカートの裾を上げ、渡り廊下の柵を乗り越えた。
「傾斜に添って建物の中から本堂まで昇っていきます。外側からですとシュユによって空間をねじ曲げられる可能性もありますし、この暗闇ですから、迷うかもしれません。ですから、中から攻めた方が確実です」
「だったら、一撃必殺で進んでいかないとな」
周防は襟元に押し込めていたネックカバーを上げて鼻と口元を隠し、赤外線ゴーグルを通常モードに切り替えた。光源が多い場所で使っては、逆に目がやられてしまうからだ。その必要がない鬼無は、笑い続けている。
「うっひょーわっほーきゃっふー。ハイスコア出しちゃうぞーんふふー」
銃声を聞き付けて、渡り廊下の前後から信者達が駆け出してきた。周防はすぐさま後方に向き直り、壁から顔を出した人間にレーザーポインターを据えて確実に撃ち抜いた。五発で五人倒すと、死体が折り重なる。彼らの着物には帯は付いていなかった。続いて現れた三人を殺してから振り返ると、鬼無の担当である前方にも十人近い死体が積み上がっていた。鬼無は飛び散った薬莢を蹴ってから、スキップしながら死体の山を飛び越える。
「最っ高ー!」
「せめて退かしてから進め、歩きづらいだろうが」
壁や床を濡らしている血と脳漿で足場が悪くなっているので、周防は仕方なく美野里に手を貸した。グローブ越しに握った手は細く、やたらと冷たかった。次の建物は信者達の宿舎になっているのか、いくつもの小部屋があり、部屋からは女性や子供がぎゃあぎゃあと絶叫しながら逃げ出してきた。無論、それも殺す。自動小銃を腰の位置に据えた鬼無は連射モードに切り替えて引き金を絞りながら銃身を左右に振ると、一度で二十人近くが死傷した。
「あ、すーちゃん、後ろ」
鬼無が肩越しに後方を指し示したので、周防はすかさずガバメントを抜いて撃った。殴りかかってこようとした女性の首に穴が空き、裂けた動脈から生温い血液が噴出する。赤黒い液体が肩に落ちたが、美野里は眉一つ動かさずに足を進めていった。渡り廊下を抜けて次の建物に至ると、そこは食糧庫を兼ねた厨房だった。大人数の信者達を生かすために必要な食糧は膨大で、段ボール箱が天井まで積み上がっている。熱気が籠もっている厨房では朝食の仕込みをしているらしく、たすき掛けをしている信者達が忙しくしていた。棚には無数の皿や椀が重なり、下拵えが済んだ食材が鍋やボウルの中で山盛りになっている。
大鍋が煮え滾る音と包丁がまな板を叩く音が大きいからか、彼らは異変を感じなかったらしい。周防達が土足で厨房に乗り込むとさすがに気付き、逃げ惑い始めた。すると、鬼無はおもむろに手榴弾を外してピンを抜き、煮え滾る鍋に放り込んだ。四秒後に爆発した途端に具材と共に煮汁が放射状に炸裂し、厨房から逃げそびれた信者達の背中や後頭部に重度の火傷を負わせた。硝煙が混ざってしまったが、この匂いから察するに豚汁だったのだろう。床では信者達がのたうち回り、恐怖と痛みと闘いながら出口に向かおうとする。
「俺、こういう料理とか嫌い」
鬼無は手始めに調理台に載っている皮を剥かれたサトイモの山を狙撃し、崩壊させた。厨房を一周しながら床に銃口を向け、だん、だん、だん、と信者達を一人ずつ確実に殺していった。ニンジンとゴボウが千切りにされたものも狙撃し、無惨に飛び散って天井にまで及んだ。食材からして、明日の朝食は、サトイモの煮物ときんぴらゴボウと豚汁だったのだろう。俺は割と好きだな、と思いつつ、周防は食糧庫から現れた信者を撃ち抜いた。
次の建物は書庫で、所狭しと本が詰め込まれていた。机に向かって帳簿を付けていた信者の後頭部を撃ち抜き、終わった。更に次の建物は学校のような施設で、小さな机がずらりと並んでいた。教室の隅で自習していた子供の信者が鉛筆を置く前に狙撃し、机の下に隠れていた子供の信者の目の前に手榴弾を転がし、大人を呼ぼうと教室から逃げ出そうとした子供の背中に掃射した。更に次の建物は乳児ばかりがおり、彼らを育てるための女性信者達が隅で固まって震えていた。周防と鬼無はマガジンを差し替え、乳児用のベッドに入れられて整然と並んでいる乳児達を全て肉塊に変えてから、再度マガジンを変えて女性信者達を吹き飛ばした。
「手応えもなーい、歯応えもなーい。イージーモードすぎるんですけどー」
鬼無が不満を漏らすと、周防は熱を持った銃身を下げた。
「仕方ないだろう、こいつらはただの信者なんだから」
「先へ進めば、少しはまともになりますよ」
美野里は女性達の死体に目もくれず、進み続けた。更に次の建物に至ると、肉厚の葉を持つ小さな苗のポットが箱に入れられ、棚に並んでいた。この中は温室らしく、空気が一段と蒸し暑い。ここには殺すべき人間がいなさそうだと二人が通り過ぎようとすると、美野里は周防の背嚢を掴み、その中からプラスチック爆弾を取り出した。
「おいおいおい、何をするんだよ。こんなもの、ただの草だろ?」
周防が半笑いになると、美野里は眉を吊り上げた。
「これがシュユの力の源と言っても過言ではないのです。被害を被りたくなければ、早々に退避して下さい」
温室の壁にプラスチック爆弾を貼り付けて起爆装置をセットし、作動させてから、美野里は早足で出てきた。周防は鬼無をせっついて、美野里の後を追っていった。次の建物に入り、超低温で保存されている肉片や骨を引き摺り出して散乱させていると、温室が爆発した。その際の震動は予想以上に強烈で、屋根瓦が荒く飛び跳ねた。低温貯蔵庫の管理者である信者達を無造作に銃殺した後、三人は昇り続けた。
いつのまにか背嚢の中身が半減していて、最初に使っていた自動小銃は過熱しすぎて目詰まりを起こしていた。二人の無感情な殺戮の被害者は、ほんの数十分で数百人を超えていた。中には反撃しようと飛び掛かってくる信者もいたが手酷い返り討ちに遭い、十秒と経たずに生臭い肉塊と化した。だが、周防らに命乞いしてくる者は一人もいなかった。シュユに祈りを捧げながら死んでいく者もいたが、見苦しく泣き喚く者は皆無だった。それだけ、シュユに対する信仰が厚いのだろう。一乗寺の母親もそうだったのだろうか。
信者達がシュユに祈りを捧げるためであろう講堂には、襲撃から避難してきた信者達が一塊になっていた。これ幸いと鬼無は狂喜し、ガトリング式の機関銃、M134を背嚢から抜き出してバレットベルトを突っ込み、バッテリーを作動させて銃身を高速回転させながら掃射を行った。講堂のステージ側に固まっている信者達に向けて扇形に銃身を動かすと、弾丸の嵐が掠った一団から粉微塵になり、赤黒い飛沫が幾度も上がる。最後の金色の薬莢が撥ねて転げ、高熱を帯びた銃身が回転を緩めながら停止すると、鬼無は快感に身悶えた。
「ああんもう最っ高ー! ヤバいんだけどー! 俺強ぇえええええー!」
「よくやるよ」
これがしたいがために、わざわざM134を担いできたのか。鬼無の徹底した快楽主義に少々感心しつつ、周防は講堂のステージ脇にある出入り口に向かっていく美野里を追った。鬼無は弾切れになったM134をその場に放置したまま、二人を追い掛けてきた。うひょーうひょー、としきりに繰り返していてスキップの速度も増している。
講堂と本堂を繋げる渡り廊下に出ると、一人の男が待ち受けていた。着物と袴姿の矮躯の男、高守信和だった。彼の帯には二振りの刀が刺さっていて、右手の刀を抜けるように手を掛けていた。それを見、鬼無は萎えた。
「えー? こんなのがボスキャラなんて最悪すぎるんですけどー。ヌルゲーなんですけどー」
「お久し振りです、信和さん。御元気でしたでしょうか」
二人を脇に控えさせ、美野里が前に踏み出した。高守は目を据わらせ、柄を握る。
「……ぬ」
「あなたはシュユと私が和解するための橋渡し役として採用し、手元に置いておいたのですが、あなたの目的は私の手元から御嬢様を奪取するためだったのですね」
美野里は高守を見下ろし、口角を歪める。高守は鯉口を切り、滑らかな刃を覗かせる。
「ん」
「御嬢様と伊織さんだけでなく、鏡一さんも手元に引き入れたことを存じ上げております。これもシュユの指示なのですね? あの忌まわしくも愚かしい異界の住人のためなのですね?」
美野里の語気が重みを含み、ヒールが敷き板を強く踏み付ける。高守は身動がず、美野里を見返す。
「あれを信じていても、何も返ってきませんよ? あれは己を保つだけで精一杯です、この空間を保ちながら、劣化した分身であるゴウガシャと人間となる苗を作ることしか出来ないではありませんか。信仰心を集めてシュユの能力を回復させたとしても、シュユの機能は全て元通りにはなりません。信じるだけ、時間と労力の無駄ですよ」
高守は首を横に振り、すらりと刀を引き抜いた。左手にも小太刀を携え、三人と対峙する。
「あーもう、じれってー!」
唐突に鬼無が美野里を押し退け、自動小銃を高守に掃射した。が、射線上に立っていた高守は軸をずらして移動すると、小柄な体格を生かして渡り廊下の柵の隅に添って駆け抜けてきた。移動しながら刀を柵に差し込み、切断し、破片を跳ね上げると、刀の側面で弾いて鬼無に叩き付けてきた。恐ろしく素早い動作だった。鏡面加工されたマスクフェイスに痛烈な打撃を喰らった鬼無は仰け反りかけたが、背後の柵を足掛かりにして跳躍する。
「このっ!」
周防が応戦するも、高守は柱を蹴って自在に進行方向を変え、三人の真ん中に突っ込んできた。罵倒を叫びながら拳銃を抜いた鬼無が高守を狙うが、鮮やかに脛を切り付けられ、切断された。切断面は赤らみ、配線カバーが焼ける独特の匂いがかすかに流れた。バランスを失った鬼無が転倒すると、周防は息を飲んだ。
「こいつ……人間か?」
「半分は人間ですよ。ですが、信和さんはシュユと共存しておりますから、シュユの能力の一つである固有振動数を攻撃に転用出来るのです。更にその能力を応用して肉体を強化し、刀に一定の振動を与えて過熱させ、圧倒的な破壊力を得ていらっしゃるのです。そうでなければ、シュユから株分けされた苗を扱えませんからね。その弊害で声を失ってしまわれたようですが、人智を越えた代償としては安価ではありませんか」
たじろいだ周防を横目に、美野里は高守と向き合う。
「私を護衛しないのは契約違反行為ですが、まあ、いいでしょう」
ジャケットを脱ぎ捨ててブラウス姿になった美野里は、一度深く息を吸った。拳を固め、顔を歪め、背を丸める。薄いブラウスに血が滲み、生地が裂けると、一対の透き通った羽が伸びきった。続いて外骨格が迫り出し、黒光りする分厚い外装を受け止めきれずにブラウスが細切れになり、爪がパンプスを貫き、ストッキングが破れ、ブラジャーとショーツの残骸が落ちる。淡い光を放つオーブを各部に備えた黒い人型昆虫は、ぎちりと顎を鳴らす。
「マジムカつくんだけど!」
が、ホタル怪人と化した美野里が爪を繰り出すよりも先に、柵に縋って起き上がった鬼無が左手でナイフを鋭く投擲した。弾丸に引けを取らない速度で空間を駆け抜けた刃は、高守の頭部に届く寸前で切り裂かれ、両断された刃は高守の背後の壁に突き刺さった。赤く過熱した切断面が冷めていくと、鬼無はたじろいだ。
「嘘だろおい、あれ、タングステンなんだぞぉー!? ヴァイブロブレード使いっつっても切れるかフツー? いや切れるか、つかそういう設定の中二病武器だしー! つか結構羨ましいかもー!」
「ブレないな、お前」
どうでもいいことに感心しつつ、周防は気を引き締めた。高守が厄介なのではなくこれまでが簡単すぎただけだ。シュユの恩恵を受けてはいるが人間の範疇からは脱していない信者達は弱いのが当然であって、一乗寺や寺坂のように異常な戦闘力を持ち合わせている方がおかしいのだ。フルサイボーグの鬼無も同様で、ほんの一部分しかサイボーグ化していない上にそれなりの戦闘力しか有していない周防は少々場違いだ。
「けれど、あなたは刀を介さなければシュユの力を扱えません。それを扱う腕さえ、失わせてしまえば!」
羽を振るわせ、美野里が床を蹴る。黒い爪が削った木片が僅かに散り、一足踏み込んだだけで高守の目の前に移動した。高守は小さな目を見開いて両の刀を振り上げ、切っ先を美野里の胸部に埋めようと短い足で踏み込む。天井に張られたコードから吊り下げられた電球が揺れ、二人の体格差の激しい影も揺らぐ。
サイボーグの人工体液と機械油が絡み付いた刀の尖端は、黒い外骨格に突き立てられていた。高守が致命傷を与えるべく、刀を握る右腕に体重を掛けた。だが、刀はそれ以上進まなかった。右腕の根本がずれて骨と筋繊維が滑らかに切られた切断面が覗き、夥しい血が噴出する。刀を握っていた右手が緩んで転がると、高守は額に脂汗を滲ませながら後退る。美野里は胸部に刺さったままの刀を引き抜くと、血痕の残る中左足を曲げてみせた。
「どうとでもなるというものです」
「……ぐぅ」
右腕の根本を押さえながら高守が呻くと、丸まった背が盛り上がり、着物が破れ、触手が蠢いた。寺坂のそれに酷似した異物は太さが均一ではなく、高守の荒い呼吸に合わせて波打っていた。美野里はおもむろに高守の左腕も切り落とすと、刀を庭に投げ捨ててから、本堂に向いた。
「彼の処分はお二人にお任せいたします。その作業が終わり次第、鏡一さんとりんねさんの捜索と回収をお願いいたします。私は、古い友人と語り合ってまいりますので」
本堂の観音開きの扉を難なく開け放った美野里は、底知れぬ暗闇に消えていった。周防は情けない負け方をして苛立っている鬼無を押し退け、脇のホルスターからガバメントを抜いた。左腕の肘から先を切り落とされた高守は、ひゅるひゅると細い息を繰り返しているが、顔色は悪くなる一方だった。放っておいても絶命しそうだが、人間離れした輩なのだ。寺坂の生命力の凄まじさを目の当たりにしているから、高守もまた不死身も同然なのだろう。故に、美野里の指示に従うべきだ。高守の脂ぎったこめかみに銃口を添え、引き金に指を掛けた。
一発、二発、三発。
右足を欠いた鬼無を引き摺り、周防も本堂に入った。
床板には返り血が滴り落ちていて、一直線に奥へと進んでいた。目線を動かして辿ってと、ロウソクの頼りない光が一点に集中している。朱塗りの祭壇には供え物がきちんと並べられ、水も白飯も真新しい。更にそこから目線を挙げると、弐天逸流の信心を一心に受け止めている存在が控えていた。千手観音に似た異形、シュユである。
「お話になりませんねぇ」
美野里の声が頭上から聞こえたので、周防が辺りを探すと、シュユの一際太い触手に美野里は腰掛けていた。鋭い爪が生えた下両足をしなやかに揃え、一対の羽をかすかに振るわせている。触手の一本に爪を立て、高守の血を擦り付けている。艶やかな黒い複眼の上で、触角が神経質に蠢いた。
「これだけ私が譲歩しているというのに、あなたと来たら、相変わらずですね。簡単なことですよ、そのお体を私に明け渡して頂ければ、それでいいのです。信者達ですか? 彼らは蘇らせたところで、役に立ちませんよ。信仰心も必要ありませんからね、私はそれと同等の精神力を調達する伝手を存じておりますので」
地鳴りが聞こえた。前触れのない揺れに周防がよろめくと、美野里は悩ましげに頬杖を付く。
「或いは、この空間を破棄して異次元宇宙へと離脱するおつもりですか? 出来ませんでしょうね、頼みの綱である信仰心を持った信者達が皆殺しにされてしまいましたから。生き残った人々がいたとしても、信じて止まない神様が助けてくれなかったのですから、不信感どころか憎悪を抱いていることでしょう」
きりり、と美野里は血糊がこびり付いた爪先でシュユの触手を引っ掻く。
「信和さんでしたら、国彦さんが止めをお刺しになりましたよ? 忠さんがお作りになった分解酵素の化学式も私の記憶にはございますから、それを元にしてあなた方の肉体に最も有効な分解酵素を作り出し、あなたと信和さんに与えてさしあげましょう。理屈の上では、あなた方は不死身とでも言うべき生命体ではありますが、その生命を維持するために不可欠な生体組織を溶解させてしまえば、生命力の要である再生能力も潰えてしまいますしね。ですが、私とクテイが生み出した個体は、あなたの子株などよりも遙かに有望で、有能で、有益なのです」
おおぉぉぉん、ぅおおぉん、と獣の太い咆哮の如く、風が唸る。本堂が斜めに軋み、梁から分厚い埃が落ちる。
「そう、そうなのですよ。私と彼女の間には、子供がいるのです。驚きましたか?」
地面から突き上げるような震動が発生したかと思うと、床板がひび割れる。ロウソクに明かりが灯っていた燭台がばたばたと倒れて赤い敷布に火が燃え移り、周防は慌てて後退った。意識を取り戻した鬼無もひどく動揺して、勢い余って周防の足に縋り付いてきたので振り払った。非常事態とはいえ、大の男に甘えられたくはない。
「シュユ。あなたはとても悲しい生き物ですね」
美野里は羽を振るわせながら、シュユの目も鼻も口もないつるりとした頭部の前に浮遊する。
「愚者達の偶像となり、我が身を強張らせなければ、長らえることすら出来ないのですから。その点、クテイはとてもとても美しい。故に、あなたの禍々しい腕に囚われていてはいけないのです」
シュユの目の前に複眼を寄せた美野里は、顎を全開にする。敵意を剥き出しにした威嚇だった。途端に揺れが一層ひどくなり、本堂の構造物にまで被害が及び始めた。このままでは屋根の下敷きになる、そんな死に方はごめんだ、と周防は一人で先に退避しようとしたが、ジャングルブーツを掴まれて転んだ。鬼無だった。
「おい、離せよ。後で拾いに来てやるから」
「嘘を嘘であると見抜けない人ではこの掲示板を使うのは難しいー!」
いつになく必死な鬼無は周防の足に力一杯しがみついてきたので、周防は治ったばかりの足で蹴った。
「また随分と古いネットスラングだなぁおい!」
「だ、だって、これって真理じゃないですかー」
首をおかしな方向に曲げられた鬼無は、周防の足から離れると、首を元に戻した。
「そりゃまあ、そうだが」
だが、今はそんなことを議論している場合ではない。周防は鬼無の左足を脇に抱えると、絶え間ない震動に足元を掬われそうになりながらも出口を目指した。観音開きの扉は本堂の基礎が歪んだせいか外れかけていて、それが落下したら脱出する術がなくなってしまう。古びた蝶番のネジは既にいくつか飛んでいるので、落下してくるのは時間の問題である。鬼無さえ運んでいなければもっと早く走れるのだが、途中で投げ捨てれば背中から撃たれる可能性が大いにあるので、周防は病み上がりの身で出せる限りの筋力を駆使し、落下物の中を駆け抜けた。
扉と枠の隙間から這い出した周防は、細身ではあるが体重が恐ろしく重い鬼無を引き摺り出してから石畳目掛けて放り投げた。中身が少しだけ入った一斗缶を投げた時のような金属音を響かせながら、鬼無は
石畳の上を何度か回転しながら遠のいていった。その際に罵倒されたような気がしたが、聞こえなかったことにした。
ぅおおおおおぉぉぉん、うおおおおおぉぉぉん。遙か彼方の山頂から放たれた山彦の如く、大海を行き交う巨鯨が意思を通わせる歌の如く。半壊した本堂の瓦屋根が下から突き上げられ、盛り上がり、柱が抜けて倒れる。猛烈な土埃と濃霧が混ざり合い、視界が完全に奪われる。周防は咳き込みながらも目を凝らし、それを認めた。
千手の神が、直立していた。滑り落ちた瓦が砕け散り、粉塵が高く昇り、噎せ返るような重たい霧に更なる粒子を含ませる。凹凸のない顔が上がり、腕と呼ぶには本数が多すぎるものが柱と天井の残骸を押しやり、夜空の下に現れた。細い触手で肩の上に横たわる美野里を掴んでいたが、素っ気なく投げ捨てた。庭へ投じられたホタル怪人の女は羽ばたくこともせずに、庭木の枝を下りながら地面に没する。
「……国彦さん」
音声ではなく、脳に直接至る音声が聞こえ、周防は身動ぐ。全神経が総毛立ち、人智を越えた脅威に対する畏怖が吐き気すら込み上がらせてくる。こんな化け物を操るような輩の下に付いているのかと思うと、全身が総毛立つほどの寒気が起きる。だが、その選択をしたのは自分なのだと今一度思い直し、周防は答えた。
「なんだ」
「この空間からは、りんねさんの脳波が感じられません。鏡一さんも同様です。仕事を怠りましたね?」
腰を曲げた巨体が、表情の現れない顔を寄せてくる。周防は腰を引きかけたが、踏み止まる。
「俺も鬼無も、御嬢様の居所は知らなかったんだ。高守信和を始末してからすぐに移動して捜索と捕獲を行うのは、物理的に無理だろうが。文句を言うなら、自分の指示の手際の悪さに言うんだな。俺達は戦闘員であって、あんたに気の利いたアドバイスをする秘書じゃない」
「一理ありますね」
不愉快げではあったが、巨躯の御神体は触手をくねらせて周防に向けてきた。周防は堪える。
「どうする、その図体で外に出て御嬢様とヘビ野郎を捜しに行くのか?」
「いえ、その必要はなさそうですね。ムジンの反応は感じられます」
巨躯の御神体はぐるりと頭部を巡らせてから、触手を伸ばし、本堂とは対極に位置している建物を指した。
「あの建物に向かって下さい。アソウギの反応がありますので、鏡一さんに割り当てられていたはずです。そこから、ムジンを見つけ出して回収なさって下さい。ムジンは青く発光する金属板の集積回路ですので、ご覧になればすぐにお解りになるかと」
「ああ、解ったよ」
周防は巨躯の御神体に背を向けてから、足早に歩き出した。ああ待って、と鬼無から追い縋られたが、わざわざ大荷物を担いで歩き回っては体力を無駄に消耗してしまう。死体と血と臓物だらけの建物に添って緩やかな傾斜を下りながら、周防は己の所業を思い知った。今更ながら、無差別殺戮を行った事実に鳥肌が立ってくるが、嫌悪感はそれほど感じなかった。それどころか、これで一乗寺と肩を並べられたのだ、という達成感すらあった。
触手で示された建物に入ると、中は雑然としていた。他の建物は信者達の生活を支える施設だったが、この建物は完全に私物化されていた。大量のメモ書きが貼り付けられた壁や本棚、乱雑に積み上げられた学術書、電源を入れっぱなしになっている最新型のパソコン、デタラメな数字の羅列のようにしか見えない数学式が殴り書きされたホワイトボード。脱ぎっぱなしの服も山となっていたが、原色と蛍光色だらけで趣味は最悪だった。シャツや着流しばかりで、ズボンも靴下もなく、靴も一足もなかった。羽部は下半身が人間ではなくなっているのかもしれない。
「不用心というか、なんというか」
スポーツドリンクの空きペットボトルがいくつも転がるパソコンデスクの前に、金属板の束が放置されていた。それを掴んで数えてみると、一五枚ある。ならば、これがムジンだろう。周防はそれを手に取り、シュユの元に戻ろうと外に出た。血と汗が染みた手袋を外してポケットに入れた時、気付いた。あれほど激しかった地震が止まり、霧が晴れ渡っている。無意識に星の位置を確かめ、叢雲神社の鳥居を潜る前に見た星空と全く同じだと知った。
ここは船島集落の裏側だ。止めどない欲望と際限のない金が集まる男が孤独に余生を過ごしていた集落の裏には、異形の化け物が人心を掌握する異界が造り上げられていた。シュユという名の異形と、ラクシャに意識を移して長らえている男を繋げるものは何なのか。意外と単純なものかもしれない。周防が一乗寺に抱いている歪曲した憧れや執着も、一言でまとめてしまえば、不器用な恋で片付いてしまうように。
世の中、割とそんなものだ。
息苦しささえある濃密な霧を抜けると、闇夜が待ち受けていた。
脱力感さえ覚えるほど楽に事が運び、羽部は拍子抜けしていた。それは伊織も同様で、ぽかんと気の抜けた顔をしながら星空を仰ぎ見ている。これでいいのか、と二人は思わず声を揃えてしまったほどである。今頃は信者達が侵入者達に殺されているかと思うと、ほんの少し気が咎める。平然としているのは、高守だけだった。
高守がメモに書き記していた逃亡計画の内訳はこうである。外界と異次元の出入り口は一つしかなく、船島集落の片隅にある叢雲神社の鳥居と離れの裏側だけだ。故に、侵入者がそこを通り抜けて入ってくるのは明白であり、出入り口の中にも霧が大量に流れ込むとこれまでに行き来した際に経験しているので、霧に紛れて徒歩で静かに脱すれば見つからない、という算段だった。事実、その通りだった。高守に道案内をされながら、羽部と伊織は霧の中を黙り込んで足音を殺して歩いていったところ、侵入者達と擦れ違っても気付かれなかった。相手は三人、一人はハイヒールを履いていた女で、残りは人間とサイボーグの戦闘員だった。今頃、彼らは人間ではない信者達を相手に猟奇の限りを尽くしていることだろう。
『さて、行こうか』
羽部の携帯電話を拝借して文字を打ち込んでいるのは、細い触手を伸ばしている種子だった。
「ちょい待てよ、色々と聞きてぇんだけど」
伊織は植物を制してから、霧が少し零れてくる鳥居を親指で指した。
「まず、てめぇは高守なのか?」
『そうだよ。僕の親株はこれでね、あっちの体は子株だったんだ。あの方が便利ではあったんだけど、事態が事態だから切り捨てざるを得なくてね。だから、しばらくは君達の世話になるよ。よろしくね』
軟体生物のように赤黒い触手をくねらせながら、高守の意思を宿した植物は答えた。
『鳥居の下にある桜の枝は、ちゃんと回収しておいてね。でないと、異次元の入り口が開きっぱなしになって、あの人達も出てきてしまうから。そうなったら、信者達の分身が犠牲になった意味がないよ』
「あー、おう」
伊織は屈み、鳥居の下に横たえられている桜の枝を拾った。すると、鳥居から流れ出していた霧が消え失せ、深い闇を薄らがせていた白がなくなった。それどころか、今し方出てきたはずの霧の立ち込めた道もなくなった。羽部も不思議に思ったらしく、顔を突っ込んでみたり、手を入れて動かしてみたり、尻尾の先を鳥居に出し入れした。
「どういう仕掛けなの、これ? この聡明さを絵に描いたような僕でもちょっと察しが付かないんだけど」
『それは僕にも解り切っていないけど、シュユが心を開く相手がクテイだけ、ってことなんだろうね』
「クテイ? 誰だよ、そいつ」
伊織が聞き返すと、高守は目玉に似た果実のヘタを少し掻いてから、打ち込んだ。『シュユの伴侶、とでも言うべき存在かな。彼らの事情については、僕は少ししか知らないんだよ』
「んだよ、役に立たねぇな」
舌打ちした伊織に、高守は更に打ち込んだ。
『とにかく、移動しよう。でないと、あの人達の部下が来てしまうかもしれないからね』
「信者共はどこに行ったんだよ。つか、ここ、船島集落だろ? 出入り出来る道路は一本しかねーのに、どうやってつばめ達に見つからないように逃がしたんだ? てか、行く当てなんてあるのかよ」
伊織が疑問をぶつけると、高守は簡潔に答えた。
『道路は一本しかないけど、山道ならいくらでもあるよ。僕が御嬢様の部下だった時に、山道に道標になるロープや目印をいくつも置いておいたから、それを辿って市街地に向かっているはずだよ。弐天逸流の支部はそこかしこにあるし、連絡手段も持っているから、どこにでも行けるよ。そのまま弐天逸流を見限って元の暮らしに戻ってくれてもいいよ、って伝えておいたから。来る者は拒まず、去る者は追わず、ってね』
「あー、そうかよ。で、俺達はどこに行くんだよ」
「そりゃ生臭坊主のところでしょ。電話を掛けてアポを取ったからには」
伊織に急かされた羽部が返すと、高守は手早くボタンを叩いて応じた。
『そうだね。だったら、寺坂君の車を借りよう。事情を説明すれば、きっと解ってくれるさ』
「だからクソお坊っちゃん、生臭坊主の浪費と怠惰の象徴であるスポーツカーのキーの置き場を知らない? この中で生臭坊主と関わりが深いのは、クソお坊っちゃんだけだからねぇ」
「は? 知らねーし、そんなもん。つか、俺、あいつの車になんか興味ねーし」
『最寄りのつばめさんの家にあるのは美野里さんの電気自動車だけだし、彼女の車なんかを借りたら色々と面倒なことになりそうだしね。御嬢様の体が丈夫であれば、徒歩で移動出来たんだろうけどね。だから、寺坂君の車を借りるのが最も安全な選択であって』
「家捜しすることになるかもしんねーぞ。寺坂の部屋なんてカオスだし、スペアキーだってどこにあるんだか」
伊織が面倒くさがると、羽部は肩を竦める。
「でも、歩いていくよりはマシだろう?」
「まーなー」
『僕達は誰からも歓迎されないだろうけど、やるべきことをやらなきゃならないからね』
「この崇高にして高貴な精神の僕が、下劣な他人から好意を寄せられないってだけで心を痛めるとでも?」
「つか、マジどうでもいいし」
集落はこっちだね、と高守が触手で進行方向を示したので、二人はそれに従って進んでいった。辺りは真っ暗で街灯すらないため、頼れるものがないからだ。高守が筆談のために使っている携帯電話の明かりも、いつまで持つかは解らない。現状と同じである。羽部はタイヤ痕と車の余熱がかすかに残る砂利道の上を這いずりながら、肩の上で触手を伸び縮みさせている種子を振り払いたい衝動を堪えた。
高守が弐天逸流側の計画と羽部の裏切りを摺り合わせてしまったため、裏切り損ねてしまった。弐天逸流を散々虚仮にしてから陥れるつもりでいたのに、これでは消化不良だ。肩透かしだ。拍子抜けだ。無用な荒事から回避出来たとはいえ、物足りない。多少なりとも自分の能力を評価された嬉しさはあれども、思い通りに事が運ばなかった不満が腹の底に溜まり、羽部は薄い唇を曲げて毒牙を覗かせた。
面白くない。




