身から出たサービス
いつのまにか、友達が遠い存在になってしまった。
少し会わない間に、美月は別世界の住人と化してしまったかのようだ。携帯電話の透明モニターに表示した動画の中では、派手な塗装を施されたレイガンドーが人型重機と壮絶な格闘戦を繰り広げていた。いつものボクシングが主体の格闘スタイルだが、武公との一戦を教訓に大幅に技の種類を増やしたのだろう、プロレス技や関節技も多様して対戦相手を追い詰めていた。リングサイドに立つ美月は声を嗄らして指示を送り、レイガンドーを自在に操って彼を勝利に導いていた。ライトに照らされた美月の顔は生命力が漲っていて、別人のようだった。
「忙しそうだもんなぁ、ミッキー」
つばめは畳に寝そべりながら、携帯電話を操作して動画を閉じた。今、メールを送っても、美月の手を煩わせるだけだろうし、鬱陶しがらるかもしれない。だから、電話を掛けるだなんて以ての外だ。けれど、美月とまたお喋りに興じたいし、近況報告もしたい。遊びには行けなかったが、それはそれは刺激的な夏休みだったからだ。
首から提げたチェーンが動き、しゃらりと鳴る。胸元に乗っていた強化ガラスの筒が転がり、畳に落ちたので胸の上に戻した。結局、新免工業社長の神名円明から贈られたナユタの収納ケースは使うことにした。ナユタを裸で持ち歩くのは危ないし、なくしてしまったら大事だからだ。コジロウは気に食わないようだったが、せっかくあるものを無駄にするのは勿体ないでしょ、と言うと納得してくれたようだった。
気持ちを持て余したつばめが意味もなくごろごろと転がっていると、庭先にいた武蔵野がそれを見咎めた。縁側に近付いてきて片膝を載せると、首から提げたタオルで顔を拭った。今し方までトレーニングをしていたからだ。
「なんだ、締まりのない」
「遊びに行きたーい。でも、ミッキーを誘えなーい」
仰向けになったつばめが拗ねると、隣の部屋で洗濯物を畳んでいた道子が言った。
「ですねー。美月ちゃんのお父さんが立ち上げたロボット格闘技団体のRECは、滑り出しは絶好調ですからねー」
「REC、って何の略?」
録画するわけでもあるまいに。つばめが聞き返すと、道子はタオルを重ねながら答えた。
「ロボットエクストリームクラッシュ、ですねー。壊れることが大前提なんですよ。実際、その通りですが」
「そんなのが受けるのか? 確かに過激だろうが、壊すだけなら車同士のがあるだろうが」
縁側に腰掛けた武蔵野が訝ると、道子はアイロン台を出しつつ返した。
「受けているから、動画の再生回数も物凄いんですって。ロボットと車じゃ迫力が段違いなんですから」
「あれ? でも、ミッキーはお父さんに利用されたから絶縁同然になったんじゃなかったっけ? だから、お母さんに連れられて一ヶ谷に来たって聞いたような」
つばめが首を傾げると、道子はコードレスアイロンを充電台から外し、スイッチを入れた。
「色々あったんですよ、色々」
「まあ、家庭の事情は色々だからなぁ」
武蔵野も同調したので、つばめもなんとなく同調した。
「色々、ねぇ」
便利な言葉である。美月は父親との関係が修復出来たのだろうか、と考え始めてしまうと、美月の様子が余計に気掛かりになってくる。だが、美月は今までつばめに助けを求めてこなかったし、彼女のプライドを尊重しているからつばめの方も美月にやたらと構ったりはしない。どちらもべたべたした付き合いは好まないし、距離感を大切にするべきだと互いに弁えているから、この友人関係は成立しているのだ。
けれど、やはり気になる。メールの一通ぐらいならいいよね、電話だって五分ぐらいなら、とつばめは携帯電話をいじりかけたが、寸でのところで自制した。ここで下手なことをして美月に鬱陶しがられたら、取り返しが付かなくなってしまうかもしれない。つばめはこの数ヶ月で人生の一大事を何度となく迎えているが、美月にとっては今こそが人生の一大事なのだから。
あ、お姉ちゃんにもミッキーのことを話してあげよう、とつばめは上体を起こしかけた。が、すぐに美野里がいないことを思い出して寝そべり直した。気にしないようにしているつもりなのに、美野里がいない事実を思い知ると胸がつんと痛む。寺坂からは心配するなと言われたし、一乗寺からも美野里の行方は捜査中でいずれ発見してあげると言われたが、どうにも落ち着かなかった。美野里がいなくなっただけで、足元が不確かになってくる。
これまでのつばめの人生で、美野里が欠けていたことはない。十年前、一浪した美野里は大学受験に励みすぎて体を壊し、一時期入院していたことはあるが、それぐらいだ。ふと気付けば傍にいてくれて、つばめを構ってくれて、大切にしてくれて、誰よりも何よりも愛してくれる。それが美野里だったからだ。美野里を連れ戻したい、お母さんのようになってほしくない、どんな事情があっても一緒に暮らしたい。そう思うたびに、つばめは切なくなった。
けれど、どうやって美野里を見つけ出せばいいのだろう。道子とアマラの能力でも目星が付けられないのであれば、手の打ちようがない。他の遺産を使うにしても、何をどうすればいいのだろうか。日々、悩みは尽きない。
初秋を迎えても、まだまだ暑苦しい。風通しのいい合掌造りの家であろうとも、日向に入れば暑さは外とはなんら変わらずに力強い。だが、肌にまとわりつく空気の粘り気が弱ってきたので、確実に季節は移り変わりつつあった。夏休みの頓挫した計画を秋にやり直そうかな、と頭の片隅で考えつつ、つばめは上体を起こした。
「ん?」
玄関先に目をやると、巡回に出ていたはずのコジロウが戻ってきていた。彼の場合、人間よりも遙かに高速かつ細密な警備が行えるので小一時間もしないで帰還するのだが、それにしては早すぎる。つばめの記憶が確かなら、コジロウが船島集落周辺の巡回に出たのは十分ほど前だ。つばめは起き上がると、サンダルを突っ掛けた。
「コジロウー、どうかしたのー?」
サンダルの底をぱたぱたと鳴らしながらつばめが駆け寄ると、コジロウは船島集落の入り口である道を指した。
「つばめの私有地への立ち入り許可を要請された。よって、つばめの判断を請う」
「んー?」
つばめは振り返ると、目を凝らし、コジロウが指し示した先を見上げた。曲がりくねった坂道の上には、先程まで携帯電話のモニターで見ていた動画に写っていたトレーラーが停車していた。青と黄色のサイケデリックな配色のコンテナには、〈REIGANDOO!〉の文字が躍っている。ということは、つまり。
トレーラーの助手席から下りてきて手を振っているのは、紛れもなく美月だった。色気のない作業着とサイドテールは相変わらずだったが、元気よくつばめに呼び掛けている。つばめも美月に呼び掛け返してから、すぐにコジロウに許可を出せと命じた。コジロウは頷き、両足からタイヤを出してスキール音を撒き散らしながら駆け抜けていった。つばめは自宅に駆け戻ると、ブラウスにアイロン掛けをしている道子とトレーニングを再開した武蔵野に叫んだ。
「ミッキーが来てくれたー! ひゃっほーい!」
「おい、道子、知っていたのか?」
「そりゃあもちろん。監視衛星と集落の周辺にばらまいた監視カメラとその他諸々で察知していましたし、本物の美月ちゃんとそのお父さんだと判明していましたよ。でも、一から十まで報告しちゃうと、つばめちゃんに変な警戒心を抱かれちゃいそうで」
武蔵野に小声で問われて道子が苦笑する。台所に飛び込み、友人を出迎えるために御茶菓子や茶碗を引っ張り出し始めたつばめの姿を見、武蔵野もまた似たような表情になった。右目以外は常人の武蔵野を除けば、つばめの周囲には化け物だらけだ。それ故に、節度を弁えて能力は使わなければならない。
「ねー、どーしたのー?」
土曜日なのをいいことに昼間まで寝ていたのか、寝起きの一乗寺がふらふらとやってきた。髪は寝癖で跳ね放題で寝間着代わりのジャージは裾から下着がはみ出していて、だらしないことこの上ない。当然、ノーブラである。男ならば、それほど問題はないのだが、今の一乗寺はれっきとした女性だ。
「はいはい、ちょっとこっちに来て下さい。せめて着替えてから出てきて下さいよ、御客様が来るんですから」
道子はアイロンのスイッチを切ってから玄関先に小走りに駆けていき、一乗寺を家の中に連れ込んだ。目が半分も開いていない一乗寺は力なく呻きながら、奥の間に連行されていった。道子のされるがままではあるが、身支度が整うのであればそれでいい。武蔵野も目のやり場に困らずに済むからだ。
嬉々としてヤカンで湯を沸かしているつばめに、武蔵野は一乗寺が来たことを報告した。つばめは戸惑いもせずに来客が増えたことを受け止め、湯飲みの他に軽食も用意してくれた。といっても、それはつばめ達の朝食の余りである。昨夜の夕食の残りの炊き込み御飯をおにぎりにしたものに温め直した豚汁とキュウリのぬか漬けを添えただけではあるが、寝起きの人間にはそれぐらいが丁度良いだろう。
湯が沸いて緑茶が入った頃合いに、美月とその父親が乗ったトレーラーが到着した。つばめが出迎えると、美月は途端に満面の笑みになった。少女達が歓声を上げながら戯れる中、トレーラーの運転席から美月の父親が外に出てきた。船島集落に来るのは乗り気ではなかったらしく、警戒心が見て取れた。
「いらっしゃいませー。美月ちゃんのお父さんですねー」
奥の間から戻ってきた道子がにこにこしながら出迎えると、小倉貞利は身構えた。
「あ、ああ」
「まあ、そう気を張るな。俺達はあんたには何もしないし、あんたの娘にも何もしない。俺達が何者かは解っているんだろうが、だからってむやみやたらに敵視するものじゃないぜ。疲れるだけだ」
まあ上がってくれ、と武蔵野が促すと、小倉は周囲に目を配らせた。
「御邪魔します」
はしゃぎながら連れ立って家に上がる少女達を気にしつつ、小倉の目線が至るところに向いた。武蔵野は無意識にその目線の先を辿っていったが、特に異変は見受けられなかった。だが、後で調べておいても損はないだろう。この男も遺産に関わっているのだし、佐々木ひばり以外で佐々木長孝と最も密接に接したのは小倉だけだ。つばめや武蔵野達が知り得ない情報を掴んでいる可能性は高いからだ。
応接間に通された美月は、次から次へと喋った。つばめもまた止めどなく喋り、互いの身辺に起きていた出来事をこれでもかと語り尽くした。それ以外では、少女同士でなければ通じない語彙やニュアンスで喋り、武蔵野と小倉は道子に何度か通訳を求めたほどである。コジロウはと言えば、庭先に立って主人が談笑する様を見守っていた。主人と護衛の距離を守っているのだ。トレーラーから出てきたレイガンドーも同様で、大人しくしていた。
お喋りが一段落し、お代わりした緑茶も底が尽きてきた頃、美月が急に態度を改めた。それまでは崩していた膝を直して正座すると、背筋を伸ばしてつばめに向き直った。
「何、どうしたの?」
つばめがきょとんとすると、美月は座卓に額をぶつける勢いで頭を下げた。
「お願い、つっぴー! コジロウ君を試合に出してほしいの!」
「試合って、RECの?」
つばめが聞き返すと、美月は顔を上げて両手を合わせた。
「そう、そうなの! 会社に所属しているロボットのスケジュール調整が間に合わなくて、次の興行に出るロボットの頭数が足りなくなっちゃったの! 他の格闘ロボットをブッキングしようにも、武者修行を兼ねた全国興行の時に、手当たり次第に人型格闘ロボットを叩きのめしちゃったせいで修理が間に合っていないの!」
「だから、私のところに来たの?」
「そう! だって、個人で人型ロボットを所有している人間なんて限られているし、しかもその性能が抜群なロボットを持っているのは更に少数だし! てか、コジロウ君以外に考えられないの! ファイトマネーも出すし、メンテナンスも修理費用も全部こっちで持つし、つっぴーの衣装だってどうにかするから!」
美月は目を輝かせて、というレベルを通り越して、ぎらつかせながら迫ってくる。つばめは臆し、身を引いた。
「え? 私の衣装って?」
「うちのルールだと、ロボットのオーナーはセコンドと同等なんです。だから、オーナーも顔出しするんだが、全試合をネットで生放送するから、当然ながら顔が丸出しになってしまうですよ。佐々木さんは事情が込み入っているから、顔出しはするべきじゃないから、隠した方がいいんです。それに、その方が確実に盛り上がるし」
小倉に説明されたが、つばめは腑に落ちなかった。
「盛り上がるって、なんで?」
「ああ、そうか。RECには、まだマスクマンのオーナーがいないんだな?」
武蔵野が手を打つと、小倉は言った。
「そうなんですよ。うちの方向性はプロレス寄りの総合格闘技に定まったので、プロレスの御約束も取り入れていくと決まったんですが、格闘ロボットのオーナーなんてまだまだ絶対数が少ないんですよ。更に言えば、どのオーナーもベビーフェイスになりたがるんです。いや、気持ちは解りますよ、そりゃ俺だって正義のロボットに憧れた延長でこの業界に入った口ですから。ですけど、ヒールがいないと成立しないんですよ、ショービジネスとしては。子供のごっこ遊びじゃあるまいし、正義か悪かで揉めるのは……」
「で、つっぴーとコジロウ君には強烈なヒールになってもらおうと思って」
美月がにんまりしたので、つばめは更に半身を下げた。最早、嫌な展開しか予想出来ない。
「え?」
「本官は公用車であり、商用行為に使用することは法律に違反する」
縁側から上がってきたコジロウが、美月に向けて少々威圧的に言い放った。
「そう、そう! だから、悪いんだけどその話は」
コジロウの援護を受け、つばめが断ろうとすると、奥の間のふすまが唐突に開いた。
「いいじゃーん、俺が許可しちゃうったらしちゃーう!」
そう叫びながら飛び込んできたのは、バニーガールの格好をした一乗寺だった。さすがにハイヒールのパンプスは履いていなかったが、豊かな胸としなやかな腰を強調する黒のレオタードと柔らかな太股を締め付ける網タイツは鮮烈すぎた。ウサ耳のカチューシャを揺らしながら、一乗寺はつばめにしがみついてくる。化粧臭かった。
「許可が出なかったら、俺が適当に上司を脅しちゃう! だって面白そうじゃーん!」
「つっぴー、この人、誰?」
呆気に取られた美月が一乗寺を指すと、つばめは一乗寺を引き剥がしてから答えた。
「一乗寺先生だよ。ほら、寺坂さんのお寺で会ったじゃない」
「え、あ、でも、つっぴーの先生って確か、男の人じゃあ……」
妹さんですか、と美月がおずおずと尋ねると、一乗寺は胸を反らして乳房を見せつけた。
「違うよぉミッキー。俺は俺、男でも女でも俺は一乗寺昇なのだ! どうだぁ、一晩でドンペリ一〇〇本は入れてもらえそうな体だろー! 入れてくれたらサービスしちゃうけどね!」
「何、どういうことなんだ? 佐々木さんの先生は、男っぽい格好の女性だったのか?」
小倉が半笑いになると、美月は困惑して首を傾げる。
「違う、そうじゃない。ちゃんとした男の人だったよ。サイボーグじゃないから、体を乗り換えることなんて出来ないし。確かに言動は同じだし、顔も似ているけど、でも……」
「こいつに関してはあんまり深く考えない方がいい。だから、俺は何も考えないことにした」
武蔵野の真っ当な忠告に、美月は頭が転げ落ちそうなほど捻っていた首を元に戻した。
「……それがいいですね」
「せっかくだからさぁ、俺もラウンドガールとかやりたーい。ね、みっちゃん?」
一乗寺が振り返ると、そこにはメイド服からバニーガールに着替えた道子がポーズを決めていた。いつのまにか、二人分の衣装を揃えていたらしい。この分だと、道子の部屋にはまだまだ衣装があるのだろう。その費用は道子の預金から捻出しているであればいいのだが、と朧気な不安を抱きつつ、女性型アンドロイドの抜群のプロポーションを見せつけている道子に声を掛けた。
「道子さんもやりたいの? ラウンドガール……」
「んー、私はどちらかっていうと演出ですかね。RECの動画を一通り拝見したんですけど、音響と映像のタイミングが合っていませんよね。だから、演出をしているのはその道のプロじゃないですよね?」
道子に指摘され、小倉は苦笑する。
「資金が足りないんでね。お恥ずかしい話、借金だらけで」
「液晶ビジョンとパイロと花火を設置して、ドバーンと豪快なのをやってみたいけど、あれは高いから……」
美月が嘆息すると、道子は親指を立ててウィンクした。
「御心配なく! ホログラフィーと音響でそれっぽいのは作れますから! スポンサーもいますから!」
「ちょ、ちょっと、それって私の?」
つばめが腰を浮かせると、一乗寺が澄まし顔になる。
「コジロウがここぞとばかりに格好良く動かせるんだよ? 見たくないの? コジロウが技を決めるところ」
「いや、別に。だから、別にお金も出さないよ」
つばめは格闘技には更々興味がないからだ。美月はあからさまに落胆し、小倉もまた残念がり、武蔵野はそりゃそうだと言わんばかりの顔になり、ええーっ、と一乗寺と道子は声を揃えて嘆いた。コジロウは警官ロボットであるのだから、その本分を越えた行動は取るべきではないし、コジロウの使い方としては間違っているからだ。美月が大変なのも解るが、それとこれとは別である。友達だからといって、何から何まで許すものではない。
「悪いけど、この話はなかったことにしようよ。コジロウもその気じゃないし」
つばめは佇まいを直し、美月を見据えた。だが、美月も食い下がる。
「ファイトマネーも弾むから! ただとは言わせないから!」
「お金の問題じゃなくてさあ」
「とりあえず衣装だけでも見てみてよ、コジロウ君の改造デザインも!」
身を乗り出してきた美月は携帯電話を突き出し、ホログラフィーを投影して画像を表示させた。つばめはそれだけならばと画像を見、息を詰めた。そこに写っていたデザイン画は、ハーレーダビッドソンを思わせる極太のパイプを何本も生やして黒光りするチェーンを手足に巻き付けた、絵に描いたような悪党のロボットだった。マスクフェイスもゴーグルが細めになっている上、目尻に稲妻のペイントが入っている。両耳のパトライトもカバーが差し替えられ、暴走族が改造車に付けているウィングのようなスケルトンパーツになっていた。カラーリングはダークパープルで、胸部には白抜きでドクロがあしらわれている。コジロウとは似ても似つかない、別物のロボットだった。
けれど、つばめの鼓動は跳ねた。
そして、一週間後。
つばめとコジロウは、悪役として生まれ変わってしまった。つばめの体形を採寸して衣装制作会社に発注された衣装は迅速に出来上がり、手元に届けられた。その費用はつばめが負担した。着るのは自分だけだからだ。高い買い物ではあるが、完全な悪役ロボットとなったコジロウの隣に立つにはそれぐらいはしなければ様にならない。
コジロウの外装の色に合わせたパープルの衣装で、エナメルなのでやたらとテカテカしている。美月は何を思ってデザインしたのかは解らないが、中学生が着る服にしては露出が際どかった。ぴったりと体に貼り付くワンピースに太いヒールが付いたニーハイブーツを合わせ、その下にはレオタードを着るので、全体的な露出度は低いが、胸元にハート型の穴が空いていたり、ワンピースの裾が半透明だったりと、微妙な色気があった。顔を隠すために被るマスクはコウモリの羽をモチーフにしていて、両サイドには羽根が付いている。口元だけが空いていて、目の部分にはメッシュが被せてあるのだが、被ってみると非常に視界が悪かった。
自宅に美月を呼び出したつばめは、届いた衣装を着てみせると、美月は物凄く感激してくれた。つばめを担ぐためなのだろうが、徹底的に褒められるとなんだか馬鹿にされたような気がしてくる。しかし、これは絶好の機会だ。そう判断したからこそ、つばめは美月の話に乗ったのだ。形はどうあれ、つばめが目立つ行動を取れば、つばめと遺産を狙う敵対組織が目を付けるだろうし、その延長でつばめと縁深い美野里にも目を付ける。そうすれば、敵対組織の動きから美野里の足取りを掴めるかもしれない。根拠は弱いが、何も手を打たないよりはマシだ。結果として美月を利用することになってしまうが、背に腹は代えられない。
「で、私のリングネームってなんだっけ?」
つばめが慣れないニーハイブーツで庭をぎこちなく歩き回りながら問うと、美月はここぞとばかりに語った。
「その名もエンヴィー! 七つの大罪の嫉妬ね! でね、エンヴィーは世界を憎む天才科学者でね、シリアスはそのボディーガードロボットとしてエンヴィーに生み出されたの! で、二人は世の中に自分達の存在を知らしめるためにロボットファイトにリングに上がって……」
「ちょい待ち。何、その設定」
つばめが美月を制すると、美月は口籠もった。
「これ、ダメかなぁ? 私は結構気に入っているんだけど」
「シリアスってのはコジロウのリングネームでしょ? で、私はSMの女王様紛いの格好をするわけだから、そういう特撮みたいな設定だと噛み合わないよ。大体、なんでエンヴィーは世界の破壊を目論んでいるくせにロボットファイトのリングに上がってきちゃうの? 普通だったら、逆に地味に活動するもんじゃないの?」
「設定の参考にしたのが格闘ゲームだったのが拙かったかなぁ。あれってさ、世界征服を企む悪の権化がやたらと格闘家を集めて大会を開いて謎のエネルギーを集めてー、ってのが多くて。だから、大丈夫かなって思ったんだけど、やっぱりゲームじゃダメだね。よし、考え直そう」
ところで、と美月がつばめの首に下がったペンダントを指した。
「つっぴー、そのペンダントって何? 面白いデザインだけど」
「あー、これ? 説明すると長くなるんだけど、手放しちゃいけないから、これも衣装に加えていい?」
ナユタの件を一から十まで説明すると時間を食うので、つばめが要点だけを言うと、美月は快諾した。
「お守りってこと? うん、いいよ! エンヴィーにはアクセサリーも欲しいと思っていたから、丁度良いし」
「で、コジロウの方はどうなっているの?」
つばめは苦労して縁側に辿り着き、腰掛けると、ニーハイブーツのファスナーを下ろした。
「お父さんに任せておいてよ。コジロウ君は元々はうちの工場で組み上げた機体だし、警官ロボットの予備の外装の在庫はまだまだあるから、そんなに時間は掛からないよ」
「じゃ、楽しみにしているね。で、肝心の興行はいつだっけ?」
「来月の地域振興祭だよ。ほら、山の上にある運動公園でやるやつ」
「それってさぁ、自治体のイベントだよね。夏祭りの延長みたいな」
「うん、まあね。ネットで宣伝しまくっているし、ブログの記事も頻繁に更新しているから、ファンの人達は多少は来てくれるんじゃないかなーって。大きい箱を借りられるほどの資金もないから、野外にするしかなかったんだ。設備も最低限だし、交通の便も悪いけど、場所が借りられただけでも御の字だって思わなきゃね。夏祭りのレイと武公の一戦が結構受けたおかげではあるけど、夏祭りの時よりもっと盛り上げなきゃ。でないと、会場の設営費すらも回収出来なくなっちゃうから」
急に真顔になった美月に、つばめはいくらか同情した。
「そうだね。だったら、チケット代、もうちょっと引き上げても良かったんじゃないの?」
「最前列の前売りは五〇〇〇円が限界だって。それに、前売りのは特典も色々と付けたから。それ以上だとさすがに……。でも、それより安くすると利益がゼロに等しいから、これぐらいじゃないと……」
「厳しいね」
「厳しいんだよぉ……。予約のチケットだって三分の一も捌けていないし……」
つばめの慰めに、美月はテンションを落として項垂れた。
「そもそも、ロボットファイトのファン層って限られているんだよねぇ。天王山工場の違法賭博に来ていた人達はお金を落としてくれるかもしれないけど、表にはまず出てこない人種だし、また違法賭博が横行したら困っちゃうし。会社が潰れちゃうから。それ以外だと、工業高校とかのロボコン経由でロボットファイトを知った人達とか、ネットの動画を見て填った人達もいるし、そうでなかったら人間同士のプロレスや総合格闘技の流れでロボットファイトに流れてきた人達もいるの。年齢層がバラバラだから、商売の戦略が上手く立てられなくてさぁ。一般人にはまるで知られていない娯楽だから、まずは世間に認知してもらうのが先決なんだけど、これがなかなか難しくて。テレビの放映権だって安くないし、番組を作って放送するとなるとまた色々とハードルが高いし。世の中って大変だ」
「だねぇ。で、ミッキーも試合に出るの?」
「そりゃもちろん。でも、私はこれまでレイと一緒に普通に戦ってきたから、その普通っていうキャラクターを崩せないジレンマもあるんだよ。その衣装だって、本当は私が着たいからデザインしたんだよ。ヒールのロボットが足りないから、アンダーグラウンドで戦っていた頃のキャラを全面に押し出してレイをヒールターンさせる予定だったし。でも、この前の試合でちょっとダーティな技を使っただけでブログが炎上しかけちゃって。だから、当分はベビーフェイスで固定なの。思いっ切りあくどい技とか、結構考えたんだけどなぁ」
「ははぁ」
あの衣装を自分で着るつもりだったのか。つばめが生返事をすると、美月は縁側に仰向けに寝転がった。
「とにかく、エンヴィーの設定を練り直さないことには始まらないね。つっぴー、いいアイディアある?」
「はいはーいっ! 私にいい考えがありまーっす!」
と、唐突に声を上げたのは道子だった。メイド服の裾を翻しながら、軽快に駆け寄ってきた。
「エンヴィーとシリアスは悪の組織に作られた改造人間と戦闘ロボットなんですよ! んで、エンヴィーは他人への嫉妬心が原動力だから、普通の女の子である美月ちゃんをそりゃーもう妬んでいるんです! でもって、その力を利用して世の中に嫉妬を蔓延させようと目論んでいるんです! んで、シリアスはそんなエンヴィーとコンビを組んで戦うために造られたロボットなんですけど、エンヴィーの我が侭に辟易しながらもロボットファイトに付き合ってくれる良い奴なんです! 悪役だけど! で、エンヴィーはRECの乗っ取りも企んでいて!」
「全部は使えないけど、端々を練り込んでから流用すればなんとかなるかも。ありがとう、道子さん!」
美月は勢い良く起き上がると、道子は微笑んだ。
「いえいえ。美月ちゃんにも色々と御迷惑を掛けましたから、恩返ししませんと」
「この後はミッキーのところで、コジロウというかシリアスのトレーニングかぁ。でも、ロボット同士なんだから、格闘用のソフトをインストールしちゃえばそれでいいんじゃないの? コジロウなら適応が早いだろうし」
つばめが不思議がると、美月は手を横に振る。
「人間と同じだって、あの子達も。部品を馴染ませなきゃならないし、何度も何度も技を練習してタイミングを調整しないと大技なんて成立しないし、改造したらその度にテストをして駆動範囲を確かめなきゃ、本番で失敗しちゃうし。レイもそうだけど、毎日毎日ロボットに囲まれていると、なんだか距離感が曖昧になるの。あの子達はお喋りだし、オーナーの設定によっては人間よりも人間臭い性格だから、たまにロボットだってことを忘れる瞬間もあるぐらいだもん。それに、ロボットの強弱は性能じゃなくて、オーナーの力で決まるものだから。まずは場慣れしないと」
「衣装にもね。とりあえず、背筋を伸ばして歩けるようにならないとね」
つばめはニーハイブーツを持ち上げ、太いヒールを睨んだ。ヒールの高さは五センチなので、余程のことがない限りは転ぶ心配はなさそうだが、つばめがハイヒールを履いたのはこれが初めてなのだ。日常的にヒールの付いたパンプスを履いている女性でも転ぶことがあるのだから、用心しなければ。ヒールとして登場するのだから、ヒールに負けてしまったら格好悪いどころの話ではない。
「で、学校の方はいいの? 私が言うのもなんだけどさ」
美月が不安げに尋ねてきたので、つばめは苦笑した。
「先生がいいって言うから、いいんじゃないの? その分、後の授業が煮詰まってくるだろうけど、それは頑張るしかないよ。悪役になるって決めたのは私だし。ミッキーは大丈夫?」
「お父さんが私の担任の先生に連絡してくれて、学年制から単位制に切り替えてくれたんだ。でも、ちゃんと勉強しておかないとヤバいことに変わりはないけど。今の時代、出席日数はそんなに重視されていないからね」
「あー、あれだよね。確か、二〇〇〇年代から自宅警備員が大増殖したせいで、そんな制度が出来たんだよね」
「いっそ通信制の中学に転校してもいいんだけど、この辺にないからねー。田舎って不便だ」
「学校って言えばさ、ミッキーと同じ学校の子が行方不明になっていたよね。あれ、結局、どうなったんだろう」
つばめが何気なく口にすると、美月はぎくりとした。
「あ、うん。そうだね、知らないね」
目を泳がせる美月につばめは少々引っ掛かりは感じたが問い詰めなかった。丁度、道子が麦茶と御茶請けの菓子を運んできてくれたので、それを口にした。道子も同席し、エンヴィーとシリアスの設定のアイディアをこれでもかと語って聞かせてきた。どれもこれも大袈裟なものばかりで、二人の正体は異星人と破壊兵器だの、エンヴィーは未来から来た大犯罪者でシリアスは彼女を拘束するために同行している警官ロボットだの、と。
それからしばらくして、暇を持て余している寺坂が少女達を迎えにやってきた。フェラーリ・612スカリエッティでだ。いかにもセレブ向けの高級車といった趣のスポーツカーだったが、寺坂は不満げだった。攻撃的じゃない、とのことで物足りないのだそうだ。寺坂に寄れば、馴染みのディーラーの元にあったのがスカリエッティだけで、スポーツカーを注文しても納車に半年以上掛かってしまうから、仕方なくスカリエッティを買ったのだそうだ。美月はスカリエッティの後部座席に恐る恐る乗り込み、身を縮めた。つばめは見送りに出てきてくれた道子に手を振り返してから、衣装の入った紙袋を携え、後部座席に乗り込んだ。
向かうは、トレーニング場代わりにしている佐々木家の私有地の一角である。一ヶ谷市内では小倉重機の工場が存在していないのと、それまで美月が暮らしていた親戚の家には戻れないからとのことで一時的に貸し出したのだ。ロボットの整備を行う場所はまた別に確保してあり、廃業した建築会社の倉庫をいくつか借りて、整備工場代わりにしているのだ。コジロウもそこで改造を受けている。シリアスになった彼と会うのは不安だったが、改造済みの彼と向き合った途端にそんな不安は一瞬で吹き飛んだ。デザイン画以上に格好良かったからだ。
恋の欲目は、時として非常に便利である。
それから二週間、つばめとコジロウは練習に明け暮れた。
エンヴィーとシリアスという悪役コンビを成り立たせるには、そのための下地が出来上がっていないと、小学生の学芸会以下になってしまうからだ。まずは人前に出ても照れないように演技とセリフを練習し、あの衣装を着ても挙動不審にならないように度胸を付け、エンヴィーというキャラクターの性格を身に付けていった。つばめが演技の特訓をしている傍ら、コジロウはシリアスとしての改造を加えられたボディでレイガンドーや他の格闘ロボットを相手に様々なプロレス技や格闘技を練習し、習得していった。コジロウのプログラムにインストールされているのは実戦を前提とした格闘術ばかりなので、当初はコジロウも戸惑い気味ではあったが、次第に慣れていくと魅せ方も解ってきたようだった。身軽さを生かした空中技、可動範囲の広い足を利用した投げ技を覚えていき、見せ技と決め技も定まった。その結果、コジロウ、もとい、シリアスというロボットファイターは空中殺法をメインとしたトリッキーな技を操る軽量級のロボットファイターに決まった。
騒々しく、荒々しく、暑苦しく、情熱的な二週間だった。これまでの戦闘で、つばめはコジロウに指示を出して戦ったことはあれども、ほとんどはコジロウ自身の判断に任せていたので、要領を掴むだけでも一苦労だった。つばめの指示のタイミングとコジロウが技を出すためのモーションに入るタイミングが合わず、トンチンカンな指示を出しては技が空振りになることも多かった。また、コジロウは最初から負けることが決定しているヒールなので、受け身の特訓が多かった。当初、つばめはそれに不満を抱いたものの、受け身を身に付けなければコジロウのボディが持たなくなってしまうと説き伏せられて納得した。実際、経験豊富なレイガンドーと技の掛け合いを始めるとその通りで、受け身が未熟な頃は着地のモーションが間に合わず、思い切りコンクリートに叩き付けられて外装が破損したことも多かった。朝から晩まで続く特訓の嵐に骨の髄まで疲れたが、充実した日々だった。
そして、エンヴィーとシリアスの設定も本決まりした。美月と道子が出したアイディアを掻い摘んで練り込んだ結果、エンヴィーは大富豪の御嬢様でありながら過激な性格で、日々の生活に刺激が足りないから自らのボディーガードロボットを改造してRECに乗り込んできた、という設定になった。ちなみに、エンヴィーが手下を使ってRECの本社から契約書を盗ませて手に入れた、という寸劇も用意されている。シリアスの性格は名前通りの堅物で、コジロウと大差のないものにした。本人の性格から懸け離れた性格にすると、ボロが出てしまうからだ。
練習に練習を重ねた末、当日がやってきた。寺坂の運転する車に乗せられて会場まで移動したつばめは、芝生の広がるのどかな市民運動公園に設営された仰々しいリングを見上げ、軽い不安に駆られた。観客席はスタンドではなく平地にパイプ椅子を並べてあるだけで、チェーンとフェンスに囲まれた大型のリングはまだ新しかったが、造りは大したことはなかった。リングのマットにはRECのロゴが躍り、入場ゲートの左右には音響設備とホログラム投影装置が設置されていた。あのバニーガール姿の道子が、嬉々として機材をいじり回している。
「とにかく、今日は頑張ろう」
少々気圧されたつばめが意気込むと、銜えタバコで近付いてきた寺坂が半笑いになった。
「おーおー、せいぜい頑張れよ。相手はショーのプロだがパワーは本物だ、フルボッコにされちまうかもな」
「やってみないと解らないじゃない。それに、私もコジロウも一杯練習したもん」
つばめが言い返すと、自前のジープから降りてきた武蔵野がつばめの背後に立った。
「まあ、なんだ。ベストを尽くせばいいさ。もっとも、相手はベテランだから、1ラウンドも取れないだろうが。だが、よくも一ヶ谷の自治体がロボットファイトの興行なんざ許可したな。行き詰まっているからか?」
「夏祭りの試合が結構評判になったから、味を占めたんだろ。この辺はちったぁ特産物はあっても決定的なものがないから、地域振興の取っ掛かりが見つからなかったからな。で、夏祭りのレイガンドーと武公の試合があったからコアなロボオタが聖地巡礼的なノリでちょいちょい来ていたみたいなんだよ。そいつらが金を落としてくれるかどうかは解らんが、話題になるのは確かだな、局地的だが。まー、当たるかどうか定かじゃねぇゆるキャラなんかを作るよりも、確実と言えば確実だな。もっとも、この片田舎にRECを一ヶ谷に根付かせてくれるほどの度量があれば、の話だが。ねぇな、そんなもん。田舎だし」
寺坂の意見に、武蔵野は同意した。
「昨今、格闘技自体が廃れ気味だからなぁ。客を集めたいんだったら、普通にヒーローショーでもやればいいんじゃないのか? その方が子供受けするだろうしな」
「ちったぁ応援してくれてもいいじゃないの」
大人達の辛辣な言葉につばめがむくれると、柔らかなものが飛び付いた。寺坂の車に同乗してきた一乗寺だ。
「俺は応援しているよー、ちょっとだけだけど! でも頑張ってね、つばめちゃーん!」
「またその格好ですか」
つばめがバニーガール姿の一乗寺を押しやると、一乗寺はその場でくるくると回った。
「だって俺、ラウンドガールにしてもらったんだもーん! お捻りくれよ!」
「ラウンドガールはお捻りをもらう立場じゃないと思うがな」
武蔵野が渋い顔をすると、一乗寺はレオタードの胸元を広げてみせた。大きな乳房が零れ落ちそうになる。
「余裕あるよー? 札束だって入っちゃうよー? なんだったら入れてみるー?」
「下品なことをしないで下さい、お行儀の悪い」
つばめはすかさず一乗寺の手を払い、レオタードも直してやってから、REC本部のテントに引っ張っていった。
「ほらほら、本部はこっちですよ。打ち合わせをしないと、本番でとちっちゃいますよ」
「はーい」
これでは立場が逆だが、いつものことである。つばめは上機嫌な一乗寺を連れてREC本部のテントに向かうと、小倉親子が忙しそうにしていた。スタッフも多く出入りしていて、ロボットファイターが待機しているトレーラーと本部をしきりに行き来している。他のロボットファイターのオーナー達も会場入りしていて、挨拶をしたが、彼らはつばめよりも遙かに年上だった。彼らは、レイガンドーのオーナーであり実力を上げている美月には一目置いている様子が窺えたが、初対面であり初出場のつばめに対しては冷淡だ。当たり前だが、癪に障る。
スタッフの一人から、関係者であることを示すカードを手渡された。ネックストラップの付いたカードケースに入れてあったので、それを首から提げた。他のオーナー達も同じものを下げていた。
「おーす。シリアスのオーナーだな?」
関係者の休憩所のテントから出てきた作業着姿の女性が、つばめに声を掛けてきた。彼女もロボットファイターのオーナーであることを示すカードを首から提げていた。つばめは佇まいを直し、一礼する。
「初めまして、よろしくお願いします」
「まあ、そう気を張るなよ。緊張感は大事だが、遊びはそれ以上に大事だからな」
長い髪を無造作に束ねている長身の女性は、つばめに笑いかけてきた。
「あたしと相棒は途中で乱入するが、いつ乱入するかは楽しみにしておけよな。盛り上げてやるぜ」
「ねえミッキー、乱入戦があるの? そんなこと、進行表には書いてなかったけど」
つばめが休憩所にやってきた美月に尋ねると、美月はウォータークーラーから麦茶をコップに注ぎ、呷った。
「あー、うん。そうなの。でも、そのタイミングを決めるのはお父さんだし、対戦カードもお父さんが決めているから、私は良く解らないの。だから、楽しみなんだ」
じゃあまた後でね、と美月は言い残し、小走りに休憩所を出ていった。つばめはその後ろ姿を見送り、休憩所に用意されている飲食物に手を付けようか否かを迷った。食べ過ぎてしまってはタイトな衣装が台無しだが、何も胃に入れずに立ち回るのは無茶だ。十月に入ったが気温は高いし、コジロウに指示を送るだけでもエキサイトするので体力をひどく消耗するとこれまでの練習で身に染みている。だから、少しでも食べておかなくては。
けれど、緊張しているせいか喉が塞がったような感覚に陥って、胃に入ったのはほんの少しだった。仕方ないのでジュースで血糖値を上げてから、衣装に着替えておこうと更衣室に移動した。といっても、積み荷を出したトレーラーなのだが。試合が始まれば音響と演出を担当している道子の手が塞がってしまうので、つばめのメイクを手伝う余裕もなくなってしまうので、その前に着替えておかなければ。エンヴィーの衣装の入った紙袋を下げてトレーラーに向かう最中、関係者立ち入り禁止のロープの外側に固まっている少女達の姿が見えた。ロボットファイトのファンだとしたら、かなり珍しい。そう思ったつばめが彼女達の姿を目で追っていると、その中の一人と目が合った。
「あの」
すると、目が合った少女に話し掛けられた。つばめは立ち止まり、聞き返す。
「なんでしょうか?」
「今日の試合に、小倉美月って子は出ますか?」
「ああ、ミッキーなら第三試合ですよ」
その相手が自分だとは言えないが。つばめが答えると、彼女は喜んだ。その取り巻きらしき少女達も。
「だったら、小倉さんに伝えておいてくれないですか。皆で応援に来たって!
私達、同じクラスなんで!」
「解りました。で、お名前は?」
「カヤマチヅカです」
その名を耳にした途端、つばめは混乱したが平静を保った。カヤマチヅカ。香山千束と言えば、夏祭りの直後に行方不明になった市立中学校の女子生徒ではなかったのか。他にも複数の少女達が行方をくらましてしまった。郷土資料館で、香山千束の親戚から歪曲した憎悪をぶつけられたことを覚えている。だが、彼女達が見つかったとの続報は聞かなかったし、発見されたのであれば地元紙で取り上げられるはずだ。
きゃあきゃあと黄色い声を上げながら少女達が立ち去っていっても、つばめの心中からは混乱は消えなかった。我に返り、衣装を着て準備を整えなければならないので、トレーラーに入って衣装を広げた。段取りとセリフを書いた台本を何度も何度も読み返し、改めて頭に叩き込んでから、つばめは別人に生まれ変わった。
悪の成金御嬢様、エンヴィーである。
RECが規定したロボットファイトのルールはこうである。
ラウンド制で3ラウンドが五分、ラウンドを二つ先取するかKOするかで勝利。一分間のインターバルはあり。KOの他、レフェリーがロボットファイターが戦闘を行うのが不可能と判断された場合にはTKO、オーナーの判断による棄権もある。KOは、対戦相手が起き上がれなくなった場合の10カウント、対戦相手の両肩をリングの床に付けて3カウントを取った場合の二種類。場外に出た場合、10カウント以内に戻らないと戦意喪失と見なして強制的にKO扱いとなる。人間と同様、金的、目潰し、凶器攻撃は失格となるがルールによっては凶器攻撃は可能となる。ロープエスケープならぬチェーンエスケープもあり。
現段階での階級は、三〇〇キロ以上のロボットはテラトン級、三〇〇キロ以下二〇〇キロ以上のロボットがギガトン級、二〇〇キロ以下一〇〇キロ以内のロボットがメガトン級である。二〇〇キロ以下のロボットの階級はまだ制定されていない。
入場ゲートの端から、つばめは第一試合を行うロボットファイターとオーナーの入場を眺めていた。道子がかなり手を入れたのか、ホログラフィー投影装置から放たれる立体映像は鮮烈で、会場の四方にに設置されている大型スピーカーから流れ出してくる入場曲は腹に響く重低音だった。それに合わせてロボットファイターはポーズを決め、オーナーもまたキャラクターに合わせたポーズを取っている。直後、入場ゲートの両脇から花火が上がった。同時に歓声も上がり、観客席が沸き立った。客席は少々まばらに空いているが、八割は埋まっている。美月の心配は杞憂に終わったようで何よりである。
ロボットファイトの一連の試合は、動画サイトで生放送を配信している。テレビ中継よりも金も掛からず、ファンとの距離も近いので、今の時代に打って付けだ。だが、つばめの顔と声をそのまま流すのはよくないので、道子とアマラの能力で微妙に変えてくれるのだそうだ。試しに加工済みの映像と音声を聞いてみたが、確かにつばめによく似た別人になっていた。
爆発音と共に飛び散った本物の火花が光沢を出すワックスを塗り込んだ機体を煌めかせ、火薬の匂いが危険な戦いを予感させてくれる。ヘヴィメタルに乗って軽くステップを踏みながら、極太のチェーンで四方を囲まれたリングに上がったロボットファイターに、観客席の至るところからフラッシュが焚かれた。何事かとつばめが目を凝らすと、観客席には広角の望遠レンズを備えた一眼レフカメラを構えた人々がいた。
「……何事?」
観客達の仰々しさにつばめが戸惑うと、サイドテールを整えて簡単なメイクをしながら、美月が説明した。
「ああ、あの人達? 撮り鉄みたいなもんだよ、言うならば撮りロボかな」
「試合は見ないの?」
つばめは慣れた手付きでファンデーションを薄く塗っていく美月に振り返ると、美月は肩を竦める。
「試合そのものも好きなんだろうけど、それよりも写真を撮る方が好きなんだよ。物事の捉え方は人それぞれだし、オタクって言っても色んなジャンルがあるからとやかく言うものじゃない、ってお父さんが言っていたんだ。ロボットのキャラクターが好きな人もいるし、ロボットよりもオーナーが好きな人もいるし、純粋に格闘戦を目当てに来る人もいるし、ショーアップされた試合の空気が好きだから見に来るって人もいるだろうし。だから、あんまり気にしないことだよ。私達は徹底的に戦い抜けばいいんだから。それがサービスってもんだよ」
手加減しないよ、と美月が親指でレイガンドーを示したので、つばめは言い返した。
「シナリオ通りに負けるつもりだけど、ギタギタにしないでね? 修理が大変だから」
「大丈夫だって、レイも弁えているから。とにかく頑張ろうね、つっぴー」
美月はつばめを小突いてから、ロボットファイターの待機所に駆けていった。レイガンドーを始めとしたロボット達が暖気を行っていて、シリアスの格好になっているコジロウもその中に混じっていた。彼はロボットファイター達の中では体格が一回り小さく、見劣りして見えた。ロボット達に指示を出して動作を確かめているオーナー達はシリアスをあまり重視していないらしく、目もくれていないようだった。つばめは気後れしそうになったが意気込みで払拭し、オーナー達に混じってシリアスの暖気を始めたが、あの女性オーナーだけはロボットファイターを待機所に連れてきておらず、ロボットファイター達の様子を眺めていた。作業着から衣装に着替える様子もない。乱入するから直前まで秘密にしておくつもりなのだろうが、準備しておいた方がいいのではないかとつばめは少し気掛かりになった。
ラウンドガールとして採用されている一乗寺は、ラウンドごとに数字を表示するホログラフィーパネルを掲げながらリング内に入り、抜群のスタイルを見せつけるためにモデル歩きをしながら四方を巡った。ついこの前まで男だったとは思えないほど様になっていて、細長いピンヒールのハイヒールを履いているのに膝も出ずに背筋も伸びていて足取りもしっかりしていた。あのヒールの半分ほどしかないニーハイブーツでもよろけかける、つばめとは大違いである。俊敏に戦闘をこなせるのだから、優れたバランス感覚が備わっているのは当然だ。
第一試合、第二試合、と滞りなく終了した。細々としたアクシデントもあったが順調に進み、試合が終わるたびに一段と観客席が熱していた。自分なんかが出てあの空気を凍らせやしないか、とつばめは一瞬不安に駆られたが、ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。つばめは腹を括り、マスクを被り直し、エンヴィーと化した。
「続いて第三試合! の予定だが、このロボットファイターは未登録だぁーっ!」
実況席から、リングアナウンサーの声が高らかに響き渡る。エンヴィーは今一度深呼吸した後、背後に控えているシリアスと目を合わせた。彼は主を見下ろし、拳を固めてみせる。入場ゲートの後ろで待機し、ミキサーと無線連絡を取っていたスタッフから合図を送られ、エンヴィーはシリアスを伴って入場ゲートを通った。が、入る直前で肝心な契約書が入ったトランクを忘れそうになったので、それを取ってきてシリアスに持たせてから入り直した。
スモークが焚かれ、ホログラフィーの映像が切り替わる。いかにも悪辣な御嬢様であると印象付けるために加工されたエンヴィーの映像と、その従順な部下であることを示す西洋式の礼をしているシリアスの映像になる。入場曲も選び抜いたものが流れ出す。エンヴィーの衣装に合わせたゴシックメタルだ。
「望んだものは全て手に入れ、欲したものは全て手に入れ、贅の限りを味わい尽くした、世界に名だたる大富豪の御嬢様! その名もエンヴィー!」
シリアスの肩に腰掛けて登場したエンヴィーがこれ見よがしに足を組むと、花火が炸裂し、実況も熱する。
「金も車も宝石も男も手に入れたが、その手にないものはただ一つ! REC王者のベルトだぁーっ!」
シリアスは入場ゲートとリングの中間地点で立ち止まると、エンヴィーを片手に座らせて一礼する。
「そしてエンヴィーの鋼鉄の騎士にして最強の下僕、シーリアーッス! 無謀なる挑戦者だぁーっ!」
再度、花火が点火する。エンヴィーだけでは今一つリアクションが薄かった観客達は、新登場のロボットファイターに対してそこそこの
歓声を上げてくれた。エンヴィーは長手袋を填めた手を伸ばして方向を示してやると、シリアスはリングに向かった。先程の試合の名残である金属片が落ちているリングに昇ると、エンヴィーはシリアスの手中から受け取ったトランクを掲げてみせ、レフェリーから受け取ったマイクを手にして、シリアスの肩に腰掛けた。
「御機嫌麗しゅう、庶民の皆様。ただいま御紹介に与りました、エンヴィーと申しますわ。以後、お見知りおきを。私、生まれてこの方、ありとあらゆる遊びをしてきましたの。といっても、ちゃちなテレビゲームなどではなくってよ。一夜にして数億の金が動くギャンブル、大企業を手中で弄ぶマネーゲーム、男達の心を転がすボーイハント、と上げれば切りがありませんの。ですが、どれもこれも飽き飽きしてしまいましたの。退屈でしたの。ですから、私の下僕であるシリアスでRECのロボットさん達を壊す遊びを思い付きましたの。とっても刺激的でしょう?」
エンヴィーが感情を込めながら自分の設定を語ると、観客からブーイングが起こった。だが、エンヴィーは事前に頭に入れていたセリフを思い出すことで精一杯で、ブーイングを気にしている余裕などなかった。次の段取りもあるのだから、いちいち反応していられない。
「けれど、RECの社長さんは私に契約書を下さいませんでしたの。ですから、こうして手に入れたのですわ!」
トランクの錠を開き、書類を取り出し、エンヴィーはそれを観客達に見せつける。またもやブーイング。
「私とシリアスの項目は書き込んでありますわ。契約を交わすために必要なのは、社長さんの署名と捺印ですけれど、それだけじゃ物足りませんわ。そうですわねぇ……。社長さんの息子も同然であり、RECの看板ファイターでもあるレイガンドーの首でも添えてさしあげましょうかしら」
エンヴィーが高笑いで締めると、ブーイングが大きくなった。
「御嬢様の仰せのままに」
シリアスは胸に手を添え、深々と頭を垂れる。と、その時。入場ゲートの左右に浮かんでいたホログラフィーが切り替わり、レイガンドーと美月の映像となった。そして入場曲もレイガンドーのものに変わった。一瞬、会場全体の空気が静まる。その隙を見計らい、エンヴィーはシリアスを入場ゲートに向かせてから叫ぶ。
「ごめんあそばせ! お先に御邪魔しておりましてよ!」
スモークの後に花火が煌めき、それを掻き分けながら勇ましく登場したのは、美月を肩に載せているレイガンドーだった。レイガンドーは大股ではあるが悠長に歩いて、王者の風格を見せつけた。美月は固定ファンがそれなりにいるらしく、みったーん、みっきーちゃーん、だの何だのと呼ばれ、その都度手を振り返している。
二人もまたリングに上がってくると、エンヴィーとシリアスと対峙した。美月は自分のマイクを押さえ、エンヴィーに笑いかけながら小声で囁いた。いい感じだよ、と。エンヴィーは笑みを返してから、シリアスの肩から下りてリングに仁王立ちした。美月もレイガンドーの手を借りて下り、エンヴィーが投げ渡してきたマイクを受け取った。
「へえ、あなたと彼なのね? この前、うちの会社に入り込んだ不届き者は。おかげで事務室がひどいことになったんだから。そこまでしてRECと契約を交わしたいだなんて光栄だけど、レイガンドーの首はいらないよ。その代わり、あなたのロボットの首を差し出してもらえる? そうすれば、不法侵入と器物破損は不問にするけど?」
美月のセリフが終わり、少しの間が空いた。エンヴィーのセリフが入る予定だったからだ。だが、エンヴィーは緊張が極まるあまりにセリフ自体が頭から飛んでしまっていたので、悠然とした笑顔を作るだけだった。エンヴィーが次のセリフを言い出さないことに気付いた美月は、すかさずフォローを入れる。
「ド派手な入場演出にアナウンスの原稿まで用意させるなんて、うちのスタッフを随分と買収してくれたみたいだね。でも、それも今回限りだよ。次があるとは思わないことだね!」
「俺と美月の、いや、俺達とRECの行く手を阻む輩は誰であろうと決して許しはしない!」
美月がエンヴィーを指し、レイガンドーが得意技のアッパーを放つモーションをすると、観客が沸いた。美月に次のセリフを急かされ、エンヴィーは繋ぎのセリフを忘れてしまったことに今更気付いたが、美月が進行してくれたので次の展開に進めることにした。マイクパフォーマンスはテンポも大事なのだから。
「あらあら、随分と勝ち気ですこと。では、私とシリアスが勝てば本契約をお願いいたしますわ。あなたとレイガンドーが勝つことなんて有り得ないでしょうけど、それがあったとしたら、潔くRECから身を引きますわ」
実際、エンヴィーとシリアスは一回こっきりという約束だからである。エンヴィーの言葉を美月が快諾すると、リングアナウンサーが威勢良く盛り上げてくれた。エンヴィーと美月は観客達に手を振ってから、リングから下りた。二人と入れ替わりでラウンドガールである一乗寺が入り、ROUND1と表示したホログラフィーパネルを掲げながらリングを一回りした後、リングから下りてきた。フルサイボーグのレフェリーが二体のロボットファイターの間に立ち、合図を送ると同時にゴングが打ち鳴らされた。レフェリーはすぐさまコーナーに退避する。
シリアスとレイガンドーは互いの距離を測るためにジャブの応酬を繰り返し、ステップを踏んでヒットアンドアウェイに徹していたが、それもすぐに終わった。美月がレイガンドーにヒールキックの指示を出したからだ。強烈な蹴りを顔面に喰らったシリアスは仰け反りながら後退るも踏み止まり、レイガンドーの上半身にドロップキックを叩き込んでチェーンに振った。凄まじい衝撃を浴びたチェーンとポールが揺さぶられ、雷鳴の如く鳴り響く。
が、その程度のダメージで倒れるレイガンドーではない。追撃を加えようと迫ってきたシリアスをハイキックで迎撃して吹っ飛ばしてから、ポールに追い詰めてボディーブローの後にアッパー、更にアッパー、またもアッパー。
「これは一方的な試合展開! 高級品のボディのチューンがデリケートすぎるからかー!」
ダメ押しの右ストレートでシリアスは項垂れ、両腕をチェーンに引っかけたまま項垂れる。レイガンドーは一歩後退してから両腕を上げ、場を盛り上げる。レイガンドーの必殺技である三連スープレックスの予告を兼ねたアピールで観客を沸き立たせてから、シリアスの胴体に組み付こうと突進してきた。だが、シリアスも負けてはいない。
「おおっとカウンター! これは強烈ぅ!」
シリアスは両足を上げ、レイガンドーの勢いを利用した蹴りを叩き込む。蹴りの反動でレイガンドーがよろめくと、シリアスはバック転を決めながらコーナーから脱してレイガンドーの背後に回り込み、跳躍して足を揃える。
「ドロップキーック!」
背面にシリアスの全体重を受けたレイガンドーがつんのめり、チェーンに突っ込む。トップロープとセカンドロープの間に頭が出る格好になったレイガンドーは、バランサーの具合を調整するべく頭を軽く振った。リング越しに美月とエンヴィーは目を合わせ、互いに合図を送る。シリアスはレイガンドーとは反対側のチェーンに向かって背中から突っ込み、反動を使って加速しながら駆けていく。シリアスが無防備なレイガンドーの背中に組み付き、腰に両手を回してホールドする。そのままレイガンドーはジャーマンスープレックスを叩き込まれ、両肩がリングに付く。だが、ツーカウントになった瞬間にシリアスの胸部を蹴ってホールドを脱し、自由を取り戻したレイガンドーは、シリアスに背を向けて彼の頭を抱えて肩に載せ、前方に大きくジャンプする。このままでは、シリアスは顔面を床に強打してしまう。予定通りの流れとはいえ、エンヴィーははらはらしてきた。
「レイガンドーのダイヤモンドカッター!」
が、シリアスの顔面が床に沈む寸前、シリアスは一瞬早く両足を着けた。そして、空中でレイガンドーの巨体を反転させて姿勢を逆転させ、今度はシリアスがレイガンドーに同じ技を掛けた。
「おいいいっ!?」
思わず、レイガンドーが素の声を上げた。練習ではこんな切り返しをしたことはなく、全くの予想外だったからだ。直後、レイガンドーがダイヤモンドカッターで顔面を強打され、その衝撃の余波で胴体と手足がワンテンポ遅れて波打った。僅かな静寂の後、シリアスの名を呼ぶ声が次々に上がる。
「違ったぁ、シリアスのダイヤモンドカッターだぁあああああっ!」
レイガンドーの頭上に立ったシリアスは、観客席をぐるりと一瞥してから右手を挙げて二本指を立て、額に添える。これが、つばめとコジロウが苦心して編み出したアピールポーズである。だが、レイガンドーがそれを長々と許しておくはずがない。過度な衝撃を受けた際にロボットが緊急回避措置として陥るスタン状態から回復したレイガンドーはシリアスにドロップキックを食らわせて転倒させると、シリアスを担ぎ、ポールの上に昇った。
「あれって大丈夫なんだっけ……?」
二体のロボットの体重を一心に受けて苦しげに軋むポールを見、エンヴィーが懸念を覚えると、ラウンドボードを抱えている一乗寺が近付いてきた。
「特殊合金だから、ちょっとぐらいなら大丈夫でしょ。さーて、そろそろ1ラウンドの終了だけど」
シリアスを抱えたレイガンドーが拳を上げるアピールをしながらポールに昇り、程々に抵抗するシリアスの胴体を抱えていざジャーマンスープレックス、というところでゴングが鳴り響いた。絶妙なタイミングである。待ってましたと一乗寺はリングに滑り込み、ラウンドボードを掲げて歩き回った。美月の時間配分が上手かったおかげで、引きもタイミング良く出来た。シリアスのダイヤモンドカッター返しで流れが変わりかけたが、修正出来た。
若干よろけながらコーナーにやってきたシリアスに、エンヴィーは駆け寄った。どぎつい紫色の外装を開いて蒸気を噴出しているシリアスに冷却水を補充してやりながら、エンヴィーは歓声に紛れる程度の声色で話し掛けた。
「あんまりやりすぎないでよ、試合なんだから」
「戦闘は勝たなければ無意味だ」
「勝っちゃダメなの。いい感じに負けてもファイトマネーは出るし、本気で王座も狙っていないんだし」
いってらっしゃい、とエンヴィーがシリアスの外装を閉じてやると、シリアスはなんだか不本意そうではあったが再びリングに戻っていった。一乗寺がROUND2と表示したラウンドボードを掲げた後にゴングが痛烈に鳴り、一乗寺は軽やかな足取りでリング外に逃げてきた。
急速充電を終えたレイガンドーとシリアスが向かい、パンチとチョップを繰り出しながら距離を測っていたが、二人は太い指を組み合って力比べを始めた。地味な構図だが、両者の力関係を知らしめるにはもってこいである。レイガンドーが押すとシリアスは少し退くが、腰は引けていない。つまり、パワーではレイガンドーが格上だが、シリアスは戦意充分、という意味合いだ。その均衡を先に破ったのはレイガンドーで、強かなヘッドバッドを喰らわせた。その衝撃でシリアスの指が緩むと、すかさずレイガンドーはシリアスを殴り倒し、彼の両足を両脇に抱えた。
「これは豪快! ジャイアントスイーンッグ!」
四角いリングの中央で、鋼鉄の竜巻が唸りを上げる。人間同士であれば相手の平衡感覚を失わせるという意味がある技ではあるが、バランサーが一定のロボットにとってはそれほど意味がない。あるとすれば、パフォーマンスである。十数回、円を描いてから、レイガンドーはシリアスの両足を離した。遠心力に従って放り出されたシリアスはチェーンに突っ込み、外装とチェーンの摩擦で一瞬火花が飛び散る。チェーンが前後に揺れ、ポールの根本すらもぎしぎしと鳴る。レイガンドーはシリアスを挑発するためにステップを踏み、拳を振ってみせる。
少々の間を置いて顔を上げたシリアスは、挑発してくるレイガンドーを見据えた。摩擦で削れた外装を払ってから直立したシリアスは、腰を落として身構えた。あ、これヤバい、とエンヴィーは直感した。この構えはシリアスではない、コジロウそのものだ。彼の感覚では見世物としての試合が理解しがたいのだろう、だから、決定打に欠ける攻撃を繰り返してくるレイガンドーを排除しようと判断したのだ。エンヴィーはリングに駆け寄り、叫ぶ。
「御加減なさい、シリアス! ワゴンセールのロボットに本気を出すことはなくってよ!」
「……了解」
赤い光を灯しかけていたゴーグルから光が失せて、シリアスは自身のキャラクターに合った構えに戻した。美月とレイガンドーもほっとしたのか、二人はエンヴィーに目配せしてきた。コジロウに本気を出されたら、試合の流れや場の空気が滅茶苦茶にされてしまうからだ。
シリアスのレッグシザース、レイガンドーのアームドラッグ、シリアスのランニングニードロップ、レイガンドーのエルボー、と技の応酬が続いた。暖まってきた観客席の雰囲気を壊さないために、一進一退の攻防を繰り広げる必要があるからだ。シリアスがレイガンドーのダウンを取って2カウントで切り替えされた瞬間、高らかにゴングが鳴った。明確な決着を付けずに最終局面に持ち込む。これもまた、予定通りである。
そして、最終ラウンドが始まった。レイガンドーは躍起にシリアスを攻め、シリアスもそれを受ける。プロレス技は受け手の巧さも重要なので、受け身を重視した練習を入念に行ってきた。その甲斐あって、シリアスはレイガンドーの技を引き立てられるようになっていた。問題があるとすれば、シリアス、もとい、コジロウがそれを忘れていないかどうかだ。先程のこともあるので、エンヴィー、もとい、つばめは冷や冷やしながら二人の戦いを見守っていた。結果は解り切っているのだから、その筋書きから外れたことをしないかどうかが心配なのである。
そして、レイガンドーの三連スープレックスが決まり、レイガンドーはシリアスをエビ固めに持ち込んだ。シリアスの両肩がリングに押し付けられ、レフェリーがカウントを取る。シリアスは膝でレイガンドーの顔面を叩きそうになったが、エンヴィーは彼に切り返すなと指示をした。シリアスがその通りにすると、3カウントが終了し、ゴングが荒々しく連打された。その音が鳴り止まぬ間に、リングアナウンサーが叫ぶ。
「勝者、レイガンドォオオオオオーッ!」
すかさずレフェリーがレイガンドーの右腕を挙げさせると、リングに沈んでいたシリアスが起き上がった。どことなく不満げな眼差しをエンヴィーに注いできたので、エンヴィーはシリアスを宥めるために手を振った。愚痴ならば後でいくらでも聞いてやる、だから今は大人しくしておいてくれ、と。口頭で命令出来れば一番いいのだが、試合中なのでそうもいかないのだ。レイガンドーの入場曲が響き渡り、ヘヴィメタルの重低音が骨身に染みる。
と、その時、不意に会場内のライトが点滅した。入場ゲートのホログラフィーにノイズが走って全く別の映像が投影され、入場ゲートにスモークが噴出した。スポットライトも入場ゲートに集まり、何事かと皆の視線が向く。エンヴィーが美月を見やると、今なんだ、と渋い顔をして口を動かしていた。ということは、この瞬間から乱入戦が始まったとみていいだろう。レイガンドーの勝利の余韻に浸っている暇もないまま、スモークを蹴散らしながら巨体のロボットが現れた。いかにも重機らしい黄色と黒のカラーリングに、背中に貼り付いた昇り龍のペイント。これは、もしや。
「どぅーわっはっはっはっははははははははぁー!」
野太い笑い声を上げたロボットは、あの女性オーナーを伴いながら入場してくると、レイガンドーを指した。
「そがぁな若造を仕留めるのに手間を喰うとは、焼きが回ったもんじゃのうレイガンドー!」
「その声、その姿、お前はまさか岩龍!?」
レイガンドーが岩龍を指し返すと、岩龍は女性オーナーを肩に載せて分厚い胸を張る。
「ほうじゃ! ワシャあのう、おどれと決着を付けるために戻ってきたんじゃい! ワシを改造してくれたオーナーもほれ、この通りじゃい! 今度こそ、おどれをスクラップにしちゃるけぇのう!」
けたたましくフラッシュが焚かれ、シャッターが切られる。嘘マジヤベェ、との声が観客席のそこかしこから上がり、岩龍の人気を知らしめられた。上等だ、掛かってこい、とレイガンドーが岩龍を手招く。その隙にシリアスは早々にリングから下りて裏口を通り、会場を抜け出してバックステージに移動した。もちろん、エンヴィーも一緒だ。
待機所に戻ってきたシリアスを座らせて、エンヴィーも手近なパイプ椅子に腰掛けた。途端にどっと疲れと緊張が襲ってきて、手足の先が震えそうになった。マスクを外して浅い呼吸を繰り返していると、レイガンドーと岩龍の試合が始まったのだろう、金属塊同士が激突する轟音が地面を通じて伝わってきた。
休憩所にいた他のオーナー達は、エンヴィーのマスクを外したつばめに近付き、労ってくれた。岩龍の乱入戦までの繋ぎではあったがいい試合だった、初心者にしては上手かった、と褒めてくれた。が、それ以上に厳しいダメ出しをされてしまい、ちょっと泣きそうになった。けれど、悪い気分ではなかった。
「お疲れー」
ゲストカードを首から提げた寺坂がやってきたので、その締まりのない姿を見てつばめは弛緩した。
「ふぁーい。あれ、武蔵野さんは?」
「岩龍の試合を見てから来るとさ。で、あの岩龍は俺達が知っている岩龍だと思うか?」
寺坂はもう一つのパイプ椅子を引き寄せて座ると、片足を膝に載せた。つばめはオーナーの一人から渡された、未開封のスポーツドリンクを開けて口にした。喉が潤うと、少しだけ気分も落ち着いた。
「たぶん。吉岡りんねの別荘から岩龍がいなくなっていたって武蔵野さんから聞いていたけど、ロボットファイターに戻っているだなんて思ってもみなかったよ。でも、どこの誰が改造したんだろう? で、あのオーナーの女の人ってどういう関係なの? 岩龍はあの人を信頼しているみたいだから、付き合いは長そうだけど」
「それについては、後で聞き出そうぜ。それよりも今は、こっちが気になる」
寺坂はジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、ホログラフィーモニターを展開し、動画を映した。その背景は紛れもなくRECの会場であり、熾烈な戦いに火花を散らすレイガンドーと岩龍が中央にいた。画面の上には滝のようにコメントが流れていき、レイガンドーと岩龍の双方を応援するコメントが大半だった。
「おおすげー、視聴者数が一万を超えやがった。大受けだな」
ほれ見てみろ、と寺坂が動画を見せてきたので、つばめは身を乗り出した。
「うわー、本当だ。でも、実感湧かないなー」
「それで、お前は何を考えているんだ?」
寺坂に詰め寄られ、つばめはきょとんとした。
「何って?」
「ミッキーの誘いにほいほい乗って大舞台に出るからには、それ相応の腹積もりがあるはずだろ? お前のことだ、ただで動くわけがないからな。まさか、コジロウと遊びたかったってだけじゃねぇだろ?」
口角を吊り上げた寺坂を、つばめは深呼吸した後に見返した。
「まあねぇ。最初はミッキーと遊びたいから始めたことだったけど、途中からロボットファイトが目的から手段になったんだ。ここんとこ、私を狙う人達の勢いが弱いでしょ? この一ヶ月、何もしてこなかったんだもん。神名さんがうちに来たぐらいで、他は全然。吉岡グループも弐天逸流も大人しいから、私が派手なことをすれば揺さぶりを掛けることになるかなーって思って。そうすれば、お姉ちゃんの行方も解るんじゃないかなって」
「悪くねぇな」
寺坂はつばめのストレートアイロンを掛けた髪に右手を載せ、ぐしゃりと髪を乱した。包帯の下の触手は以前よりも少しだけ硬くなっていた。つばめはニーハイブーツのファスナーを下ろして足から抜き、素足を投げ出した。
「でさ、さっき、ちょっと変なことがあったんだ」
「おう、聞かせろ聞かせろ」
寺坂は椅子を反対にし、背もたれを抱えるようにして座り直す。つばめは少女達がいた場所を一瞥した。
「さっき、ミッキーに会いたいって中学生の女子グループが来ていたんだ。んで、その子の名前を聞いたんだけど、夏休み中に行方不明になった子の名前だったの。だけど、あの子達はまだ一人も見つかっていないよね? 戻ってきたなら戻ってきたで、ニュースか新聞で報道されるはずでしょ?」
「野暮用が出来た」
寺坂は笑顔を顔に貼り付けてはいたが、語気が明らかに重たくなっていた。また来てやるよ、と言い残して寺坂はバックステージを去っていった。その後ろ姿を見送ってから、つばめはコジロウに向いた。コジロウはつばめと目を合わせようとはせず、少しばかり軸を外していた。負け試合を演じさせられたことが余程気に食わなかったのか、友人を利用して敵を煽ろうとするつばめの作戦が腑に落ちないのか。
「言いたいことがあるなら、言ったら?」
化粧ポーチから取り出したシートでメイクを落としながら、つばめが呟くと、コジロウは顔を背けた。
「本官は、つばめの判断に対して意見を述べられるような主観を持ち合わせていない。だが、今回の行動がつばめの身辺に危険をもたらす可能性は非常に高い。よって、今後はより慎重な行動を取るべきだ」
「解っているよ。解っているけど」
つばめだって、出来ることならこんな手段は取りたくはない。けれど、事態を打開するためには、憎むべき敵から攻められなければ掴み所が見つからないからだ。弐天逸流に接触する手段もないし、懐に入らなければ敵の本懐を知ることも出来なければ、打倒することも出来ない。少なからず、つばめは焦っていた。
母親だけでなく、姉まで失うのは耐え難かったからだ。




