表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機動駐在コジロウ  作者: あるてみす
 

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/69

親しき仲にもラインあり

 箱を開けると、ビニール袋に包まれた新品の精密機械が収まっていた。

 つばめが分厚いカタログと散々睨めっこし、性能と機能を吟味しつつも本体のカラーリングとデザインも見比べ、あれにしようこれにしようと頭痛がするほど悩んだ末に決断して手に入れた、携帯電話だった。ハルノネットや吉岡グループを始めとした大企業が主力商品として販売しているのは、接触感知型のホログラフィーが展開出来る機種で、厚さ数ミリ程度の金属板のような外見の携帯電話である。だが、つばめの琴線に触れたのは、そういった最新世代の機種ではなく、一昔前に流行した機種だった。

 それは、透明なガラス板をフレームを填め込んだ形状のスマートフォンの進化形で、ホログラフィーは投影出来るがそれに直接触れて操作出来る範囲が狭く、ラップトップ型のホログラフィーを投影して操作する、というようなことは出来ない。透明なガラス板を囲んでいる金属枠にしか記憶容量もないので、保存出来るファイルの数も少ない。といっても、情報圧縮技術がかなり進んでいるので、メモリーの単位はテラバイトなのだが。

「うわー、すっげー」

 つばめはビニール袋から携帯電話を取り出すと、それを透かしてみた。よくよく目を凝らすと、光ファイバーを加工して更に透明度を上げたものがガラス板の中に仕込まれているのが解るが、一見しただけでは長方形のガラス板に過ぎない。それを囲んでいる金属枠も薄っぺらく、どこにどういった部品が入っているのかは見当も付かない。

「その機種は使い勝手はいいですけど充電池の持ちが悪いですから、充電にはくれぐれも気を付けて下さいね。で、これが説明書なんですけど、紙媒体の方が良いと思ってこっちにしました」

 古式ゆかしいメイド服に身を包んでいる道子は、つばめの前に分厚い説明書を差し出してきた。辞書よりも厚みがあり、手にしてみるとずしりとした重みが手首に堪える。つばめはそれを広げ、目次を眺めてみる。

「これってさ、全部覚えなくてもいいんだよね?」

「そりゃあもう。携帯なんて、電話とメールが出来て写真が撮れてSNSにさくさく通信出来ればいいような機械ですから、使わない機能の方が多いですよ。だから、つばめちゃんが必要だと思う項目だけ覚えておけば充分ですよ。解らなかったら、私の方にダイレクトに通信して下さいね。せっかくのつばめちゃんホットラインなんですから」

 そう言いつつ、道子は左手の親指と小指を立てて顔の横に上げた。携帯電話のジェスチャーである。

「……その名前、どうにかならないの?」

 つばめは軽く羞恥に駆られながら、新品の携帯電話の電源を入れた。軽快な電子音と共に、光が灯る。

「何事も解りやすい方がいいんですって。それに、私がアマラを利用して遺産同士の互換性を活用した独自のネットワークを形成しなければ、他の企業や何やらにつばめちゃんの情報が筒抜けになっちゃうんですから。どうせなら異次元宇宙に存在している量子コンピューターも使ってみたかったんですけど、そこまでやっちゃうとアマラの情報処理能力を無駄遣いしちゃいますし、最優先すべきは彼らですからね」

 道子は振り向き、薄暗い和間に寝かされている人々を見やった。年齢も性別も様々で、薄手のビニールを敷いた布団の上に寝かされている。彼らは、皆、青白く血の気の引いた肌色にうっすらとした滑り気を帯びていて、死体と見間違えそうだ。彼らの奥に横たえられているのは、金属製の棺、タイスウだった。その中に収められている遺産、アソウギを体液として取り込み、怪人となってしまった彼らは、諸々の事情で再びアソウギに溶けた。そんな人々をアマラの情報処理能力を用いてアソウギの機能を働かせ、本来あるべき姿に戻したのである。

「遺伝子の情報量は膨大ですし、アソウギによって改変された染色体や塩基配列を調べて元に修正して、テロメア細胞も年齢に応じた長さに揃えなきゃならないですし、大変ですよ。おかげでヒトゲノムの解析が大いに進みましたけど、量子アルゴリズムに変換出来るような言語でしか算出出来なかったので、公表は出来ませんね。それを公開したら人間という種の解明も進みますし、遺伝病も粗方対処出来そうなんですけど……」

 ちょっと気まずげな道子に、つばめは携帯電話をいじりながら同調した。

「だよねぇ。そもそも遺産の存在が公表されていないわけだから、説明のしようがないし」

「それでですね、アソウギを一滴残らず排出して元の姿に戻った方々をフジワラ製薬が保養所を改装して造り上げた療養所に、政府の所有する車両やヘリコプターで搬送して頂いてそれ相応の処置を施してもらわないといけないんですけど、ちょっと問題が発生しまして」

 道子は頬に手を添え、ため息を吐く。

「フジワラ製薬が手を引いたら、今度はその影に隠れていた変な組織やら何やらの影が出てきちゃったんですよ。フジワラ製薬が怪人を作っている、ってことは表立って知られてはいませんでしたけど、裏を返せば裏の世界では常識みたいなもんだったんです。でも、伊織さんが強すぎたし、アソウギの扱い方は誰にも解らなかったから、誰も直接的な手出しはしてこなかったんです。ですけど、伊織さんは対外的には生死不明になってアソウギの所有権がフジワラ製薬から離れた途端、まー、皆さんは躍起になっちゃいまして。怪人に対して変な情熱を抱いているのって、伊織さんのお父さんに限った話じゃないんですねぇ。相手にする方は面倒極まりないですけど」

「そ、組織?」

 つばめが目を丸くすると、道子はへらっとした。

「吉岡グループに比べれば、吹けば飛ぶような組織ですって。資金力もなければ人材も足りない、そのくせ野望だけは人一倍、って感じのばっかりですよ。でも、元々は大陸のテロ組織やらマフィアだったりするので、戦闘の実力はそこそこなのがまた厄介なんですよ。一つを制圧したら十は出てきますね。台所の悪魔と同じです」

 ゴキブリ扱いされるほどの組織なのか。つばめの呆れ顔に、道子はにっこりした。

「ですが、さすがに政府の方もちょっと手が足りなくなってきたのだそうで、コジロウ君をお借りしたい、とのことです。大丈夫ですって、前回は私が大暴れしたから人的被害が出ちゃいましたけど、今回は味方ですから。コジロウ君と元怪人さん達の安全確保のためだったら、戦闘機だってハッキングして落としちゃいますよ?」

「携帯を買ってもいい、って政府の人から許可が出たのは、それがあったからかぁ。これとコジロウが交換、ってことになるのかなぁ……」

 つばめは携帯電話を握り締め、コジロウを窺った。夏の日差しが強くなるに連れて勢いを増した雑草が生い茂る庭で、大柄な警官ロボットはしゃがみ込んでぶちぶちと雑草を毟っていた。その傍らには、根本から抜かれた雑草が小山を築いている。そこかしこから降り注ぐアブラゼミの鳴き声が、蒸し暑さを増長させている。だが、佐々木家は造りが古い家なので風通しが良く、冷房を付けていなくても過ごしやすかった。

「で、そのゴタゴタっていつ?」

 つばめが問うと、道子は即答した。

「今日の午後からです。一乗寺さんを通じて政府側にも話を付けて、フジワラ製薬とも折り合いを付けた結果、今日の午後が最も好都合なんだそうです。まあ、コジロウ君と元怪人さん達を餌にして変な組織を一網打尽、って下心がアリアリなのが丸解りなので、敵がそう簡単に引っ掛かってくれるかなーって思っちゃいますけど」

「コジロウが帰ってこられるのはいつ頃になるの?」

「元怪人さん達が八名、移送先の療養所は分散させたので三箇所、変な組織はざっと数えて六つ、ということなので、コジロウ君の自由が効くのは数日後になりますね。だって、コジロウ君が一体いれば、警官ロボット一〇〇体以上の戦力になっちゃうんですから。でも、その間はつばめちゃんの警備がすっかすかになっちゃいますよ。てなわけで、話は最初に戻りまーす。つばめちゃんネットワークを利用して、コジロウ君とその同型の警官ロボットを同期させるネットワークを作っちゃいました」

「それもコジロウネットワークって言うの?」

「いえいえ。こっちは用途が違いますからね。正式名称は、国家保全及び国有資産を護衛する人型特殊警察車両の上位個体による下位個体の管理及び遠隔操作専用回線、って言いまーす」

「で、コジロウが留守の間は、そのコジロウネットワークで他の警官ロボットが私を守りに来るのか」

 正式名称を覚える労力を惜しんだつばめの発言に、道子は笑った。

「あはは、そっちにしちゃいますか。でも、その方が解りやすくていいですよね。そういうことですから、型番とスペックは違いますけど中身はコジロウ君の警官ロボットがちゃんと傍にいますから、つばめちゃんは安心して下さいね」

 そう言われても、安心出来るものだろうか。つばめは氷が溶けてきた麦茶を傾けつつ、文句一つ言わずに草毟りを続けるコジロウの背中を見つめた。バッテリーや計器類を詰め込んであるバックパックは大きく、見るからに重量がある。タイヤが内蔵された脛を曲げて膝を付き、雑草だと判別した草を抜いては投げ、抜いては投げ、を延々と繰り返している。つばめの視線に気付き、コジロウが振り返った。マスクフェイスが翳る。

「つばめ、所用か」

「ううん、なんでもない」

 コジロウの胸部装甲に貼り付いている片翼のステッカーが、一瞬視界に入った。つばめはそれから目を逸らすと、麦茶のコップから滴った結露の輪が出来ている座卓に突っ伏した。そうあるべきだ、そういうものなんだ、とつばめも理解している。コジロウは元来警官ロボットとして開発されたロボットで、遺産を守ることで莫大な税収も守れるのでつばめとその祖父を守っていたのだ。だから、コジロウが政府からの要請を受けて出動するのは至極当然であって、元怪人の人々を安全に移送して社会復帰出来るように手を回す手伝いをするのは必然だ。なので、コジロウが傍にいないのが寂しいだとか、家事が捗らないだとか、我が侭を言ってはいけないのだ。

 コジロウネットワークの下位個体である一般の警官ロボットも、コジロウの意識が宿っているのであればコジロウに他ならない。それに、つばめも少しは大人にならなければ。夏祭りでの激闘で吹っ切れたのか、レイガンドーと共に独り立ちする道を選んだ美月のように。だから、妥協するしかない。

 つばめは宿題をするからと言って居間から自室に戻ったが、障子戸を締めた途端に悔しさのあまりに目頭が熱くなった。妥協なんて出来るわけがない。背伸びをした言い訳を自分に言い聞かせてみても無駄だ。コジロウと一緒に出掛けることを一番楽しみにしていたのは他でもないつばめであり、そのために準備をしてしまったのだから。

「どうすんだよぉ、これぇ」

 つばめは押し入れを開け、上段のパイプに吊してある買ったばかりの服を睨み付けた。いかにも夏らしい、淡い水色のワンピースだ。少女漫画から抜け出したような可愛らしいデザインで、胸元もギャザーで膨らませてあり、裾はたっぷりとしたフリルが付いている。それに合わせたデザインの鍔の広い麦わら帽子やサンダルまで買ってしまったので、もう後戻りは出来ない。朴念仁であるコジロウには可愛いと言ってもらえないとしても、つばめの自尊心が少しばかり満たされる。それなのに、それを見せるべき相手と一緒に出掛けられないなんて。勇気を振り絞って、付き合ってくれ、とまで言ったのに。

「私の馬鹿野郎ーっ!」

 居たたまれなくなってふすまを閉めたつばめは、羞恥のあまりにその場に座り込んだ。意識しすぎて空回りすることほど、恥ずかしいものはない。先程滲みかけた涙が本格的に出てきたので、つばめが膝を抱えて唸っていると、障子戸に大柄な影が過ぎった。ぎし、と縁側の床板が軋み、好いて止まない彼が庭から上がってきた。

「つばめ、異常事態か」

「なんでもない! ないったらない! あるわけあるかぁーっ!」

 つばめは障子戸越しに背を向け、コジロウに八つ当たりした。コジロウはつばめをあまり刺激するべきではないと判断したらしく、それ以上は話し掛けることはなかった。床板を下りて庭に戻っていったので、草毟りを続行するのだろう。コジロウの足音と駆動音が遠のいてから、つばめは猛烈に自己嫌悪した。

 コジロウは悪くない。悪いのは彼が出動するような事態を発生させた変な組織であって、舞い上がりすぎて準備を整えすぎた自分なのだから。それが解っているからこそ、腹立たしくて仕方ない。つばめはホラー映画の怨霊のように唸りながら頭を抱えた。毎度のことではあるが、なぜ、自分はこんな恋をしたのだろうと苦悩する。

 けれど、気持ちを抑えきれないのだ。


 翌日。

 弁護士事務所に出勤する美野里と道子の乗る車に同乗させてもらって、つばめは一ヶ谷市内に出た。美野里は涙目になるほど心配してきたが、助手席に乗る道子がそれを宥めてくれた。つばめは名残惜しげな美野里に手を振って見送ってから、一ヶ谷駅前のロータリーを歩いた。先日の夏祭りでつばめの顔と名前が一致したからだろう、以前にも増して注目されるようになった。だが、好意的な視線は一つもない。

 それが当たり前だ。いつだってそうだ。無条件につばめを好いてくれる人間なんて、そういるものじゃない。諦観とそれを上回る面倒臭さを抱えつつ、つばめはコジロウの下位個体である警官ロボットとの合流地点である駅前交番に向かった。遠巻きに交番を覗き込むと、一体の警官ロボットが直立していた。コジロウと全く同じ型のロボットではあるが、コジロウとはどこかが違った。彼の背後には、真新しいポスターが貼り付けられていた。捜しています、との大きな赤文字の下に、制服姿の少女達の顔写真が五つ。つばめの記憶が正しければ、彼女達は美月と同じ中学校に通っている生徒だ。だが、つばめはそんなことは今の今まで知らなかった。新聞の記事になっていなかったし、テレビでも一切報道されていなかったからだ。

「あー、君が?」

 つばめの様子に気付いたのか、中年の制服警官が出てきた。つばめは佇まいを直す。

「佐々木つばめです。よろしくお願いします」

「上から話は聞いているけど、正直言って迷惑なんだよね。そういう特例ってさぁ。こいつがいないと出来ないことが山ほどあるんだよ、今の社会はね。それなのに、君一人の身柄を守るために警官ロボットを一体貸し出してくれ、だなんてなぁ。代車を回してくれることにはなっているけど、こいつはうちの勤務で馴染んでいるからなぁ……」

 制服警官は余程面白くないのか、不愉快げにつばめを見下ろしながら愚痴を零す。

「お生憎ですが、その警官ロボットを使わざるを得なくなったのは私の責任じゃなくて相手方の責任ですから。この資本主義社会で国家が企業に陵駕されている事実を知らないわけではないでしょう。んで、私はその最たる被害を受けているわけです。で、私は一市民であって未成年であって、法治国家なので原則的に武器の携帯が禁じられているわけです。でも、襲われちゃうんです。だから、自衛のためには警官ロボットを使わなきゃいけないんです」

 失礼します、とつばめは制服警官に一礼してから、警官ロボットを見上げた。

「コジロウ……だよね?」

「機体のスペック、型番号、個体識別信号は異なるが、つばめがコジロウと呼称する個体に相違ない」

 と、警官ロボット、もとい、コジロウが頷いてみせると、つばめは手を差し伸べた。

「じゃ、行こう」

「了解した」

 いつものようにコジロウは手を伸ばすと、人差し指と中指だけをつばめに向けた。つばめはその硬くも冷たい指を二本握り締めるが、指の曲がり方と動作がほんの少し違っていた。やはり、彼に良く似た別人なのだ。それが尚更、自分の滑稽さを浮き彫りにしてくる。相手が本物のコジロウでないとなると、気合いを入れてお洒落をする意味もないと思ったのだが、せっかく買い込んだ服を無駄にするのは勿体ないとも思ったので、淡い水色のワンピースに鍔の広い麦わら帽子を被り、必要物資を詰め込んだトートバッグを肩から提げていた。

 目的地を目指し、隣り合って歩道を進んでいった。夏休みの自由研究のために、一ヶ谷市の郷土資料館に行こうと予定を立てていた。じりじりと照り付ける太陽とアスファルトから跳ね返る熱が、サンダルとスカートを履いた足に直撃する。日除けのために鍔の広い帽子を被ってはいるが、家に帰り着く頃には、手足がすっかり焼けてしまうことだろう。対するコジロウはと言えば、つばめに余計な熱を与えないための配慮なのか、外装を開いて廃熱板を展開していた。時折背後に蒸気を噴出しているので、途中で冷却水を補給させなければ、つばめよりも先にコジロウが脱水症状を起こしかねない。

「そんなに熱が籠もっちゃうの?」

 つばめが少し笑うと、コジロウは蒸気と共に廃熱を行った後、答えた。

「この機体は本官の機体とは根本的に構造が異なり、動力源も異なる。バッテリー式ではあるがモーターの過熱が出力に応じた温度であるため、定期的に廃熱を行わなければ動作不良を起こす危険性がある」

「それじゃ、コジロウの動力源のムリョウってそんなに熱効率がいいんだ」

「そうだ。各関節の駆動による廃熱をフィードバックし、動力に変換することも可能だ」

「他にも違うことってある?」

「各種センサーの範囲が狭い。傍受出来る無線の周波数も少なければ、暗号回線の数も少ない。各関節の駆動範囲と外装の耐久性は本官の機体と相違はないが、フルパワーでの稼働時間は百分の一にも満たない」

「なんか不満そうだね」

「本官にはそのような主観は存在していない」

「そうかなぁ?」

 つばめは首を傾げ、コジロウを覗き込む。だが、コジロウはつばめと目を合わせようとしなかった。

「存在していない」

「じゃ、センサーが鈍いから、私がこういう格好をしてもなんとも思わないんだ」

 つばめはコジロウの手を離して一歩前に出ると、ワンピースの裾を掴んで広げてみせた。コジロウはつばめの服装を眺めるように視線を動かし、平坦に答えた。

「本官には、つばめの語彙に相当する主観を持ち合わせていない」

「御世辞でもいいから、褒めてくれたっていいじゃない。これ、結構高かったんだからね?」

「値段の高い衣服を身に付けている人間は賞賛すべきなのか?」

 コジロウに訝られ、つばめはますます苛立って歩調を早めた。

「もういい! どうせ何も解らないんだから!」

 こんなはずじゃなかったのに、そんなことを言うつもりはなかったのに。すぐに後悔が訪れ、つばめは唇を噛んだ。気温三十四度を超える猛暑日だからか、車通りはあれど人間はほとんど出歩いていない。駅前ロータリーはまだしも、郷土資料館に至る道中は田んぼに挟まれた県道なので尚更だ。稲を青く波打たせながら吹き渡ってくる風は、僅かな爽やかさを与えてくれるも、余韻も残さずに過ぎ去った。


 徒歩十五分の距離を歩き、郷土資料館に到着した。タオルで滴り落ちるほどの汗を拭ってから正面玄関から室内に入ると、背筋が逆立つほどの冷気が肌を舐めていった。外気との落差のせいだろう。つばめは一度身震いした後に呼吸を整えてから、コジロウと連れ立って受付に行って入場料を払った。学生は三〇〇円、ロボットは無料。

 パンフレットを広げ、順路と展示物を確かめる。順路の最初にあるのは、一ヶ谷市内の地層から発掘された縄文土器と石器だった。その次に平安時代の落人伝説。更にその次は戦国時代に一ヶ谷市近辺を収めていた大名の歴史と年表。そして、江戸時代、明治維新、戦中戦後、と続いて現代に至る。

「うーん」

 手近なベンチに腰掛けてパンフレットと睨み合い、つばめが唸ると、向かい合う形で立っているコジロウが背中を曲げ、つばめの手元を見下ろしてきた。顔が近付きすぎたので、つばめは慌てて身を引いた。

「どうした、つばめ」

 顔を上げたコジロウと至近距離で目が合ってしまい、つばめは気まずさで顔を背けた。

「自由研究の範囲、どうしようかなって。でも、コジロウにはそんなの関係ないもんね」

「本官では判断を付けかねる」

「そう言うと思ったよ」

 つばめは無意味に早まった鼓動を気にしつつ、パンフレットを改めて見下ろした。一ヶ谷市について知れば自分のルーツである佐々木家と、祖父である佐々木長光についても知ることが出来るのではないか、と思ったからだ。だが、そのどこが要所なのかが解らない。祖父とは少なからず付き合いがあった大人達に聞いてから行動した方がよかったのかもしれない、と今更ながら思ったが後の祭りである。

「何かお困りですか?」

 前触れもなく声を掛けられ、つばめは反射的に背筋を伸ばした。コジロウは上体を起こし、条件反射で身構えるも、声の主が郷土資料館の学芸員だと知ると構えを緩めた。つばめが向き直ると、半袖のポロシャツにスラックスを着た三十代の男性が立っていた。首からは学芸員であることを示すカードを下げていて、人当たりの良い顔立ちに親しげな笑顔を浮かべていた。つばめはベンチから立ち上がり、一礼する。

「どうも、こんにちは」

「御丁寧にありがとうございます。僕はこの郷土資料館の学芸員、滝口と申します」

 胸に下げたカードには、滝口宗助、と印されていた。

「確か、佐々木長光さんの御孫さんですよね?」

「はい、そうですけど」

 誰に知られていても驚く必要はない。つばめが薄い反応をすると、滝口は順路を示した。

「よろしければ、御案内いたしますが。自由研究のお手伝いになればいいんですけどね」

「よろしくお願いします」

 つばめが再度頭を下げると、滝口も頭を下げ返した。

「こちらこそ」

 つばめが姿勢を戻すと、コジロウが視界に入った。滝口からは僅かに目線を逸らしているように思えたが、それはつばめの視線とコジロウのゴーグルの方向が合っていないから、そう見えただけかもしれない。滝口に促されるままに順路を歩き始めると、コジロウもつばめの少し後ろを付いてきた。つばめと滝口の間に割り込もうとしなかったのは、滝口が無害な人間だと判別したためだろう。さっきのことが気まずいと思っているのだろうか、いやまさかね、とつばめはコジロウを気にしつつも、順路を辿っていった。

 まずは縄文時代からだ。



 縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代。

 更に奈良時代を経て、平安時代にまで至った。一ヶ谷市内の畑から発掘された貝殻、土器の破片が発掘された地層の写真、埋葬されていた人骨の一部、翡翠の勾玉、などの遺物が展示されたガラスケースの前を通っていくと、滝口が展示物に関することを事細かに説明してくれた。話も上手く、解りやすいので面白かった。

 奈良時代から平安時代に推移すると、平家の落人伝説のコーナーが設けられていた。一ヶ谷市一帯が本条藩と称される以前の出来事で、戦乱によって後ろ盾を失った姫君が流浪の果てに八重山に落ち延びたものの、妖怪に喰われてしまった、とのことだった。その八重山とは、船島集落を囲んでいる山の一つである。妖怪絡みの伝承はそれだけには留まらず、戦国時代に入って本条藩が立藩し、七代目の藩主が家督を継いだ頃にも妖怪が登場していた。藩主が正室との間に世継ぎを設けて間もなく、雨に紛れて女郎蜘蛛が本条城を襲い、世継ぎを奪って八重山へと逃げ込んだのだそうだ。だが、女郎蜘蛛が糸を張っている八重山に足を踏み入れることは出来ず、世継ぎの命も危ぶまれた。そこで立ち上がったのが、七代目藩主である荒井久勝である。荒井久勝は女郎蜘蛛から恋慕されていることを利用し、本条城の天守閣に女郎蜘蛛を誘き寄せて切り伏せ、世継ぎを取り戻した、のだそうだ。

 そこまで聞けばハッピーエンドだが、続きがあった。荒井久勝は女郎蜘蛛との戦いで深傷を負い、腹心の部下である早川政充に世継ぎを任せてから息絶えた。世継ぎである赤子は早川政充に連れられ、他の土地で生き長らえるが、武将として初めて出陣した戦で討ち死にしてしまった。その地は、奇しくも本条藩の藩内であったという。

「……超絶バッドエンドじゃないですか」

 滝口の解説を聞き終えたつばめが率直な感想を述べると、滝口は苦笑した。

「昔話がどれもこれも綺麗に終わるわけじゃないですからね」

「で、その蜘蛛妖怪の昔話と、うちの御先祖様がどう繋がるんですか?」

 つばめは滝口を見上げ、訊ねた。佐々木家の先祖が妖怪伝説に関わっている、と滝口から聞かされたからこそ、妖怪伝説を事細かに説明してもらったのである。自由研究の議題にするには丁度良い、と思ったか

 らでもある。

「荒井久勝は、女郎蜘蛛と若い頃に一度出会っているんですよ。そのことは荒井久勝自身の日記に書き記してありますし、本条城から持ち出されて民家の土蔵に補完されていた書物にも一節があります。ですが、荒井久勝は一人で女郎蜘蛛を撃退出来たわけではありません。荒井久勝の兄嫁に当たる佐々木みつの弟、つまり、義理の甥に当たる侍の力を借りて打ち倒したのです。もうお解りだと思いますが、それが佐々木家の御先祖なのです」

「はぁ」

 そう言われても実感は湧かない。つばめが生返事をすると、滝口はガラスケース内の古書を示した。

「佐々木みつとその弟の侍はそれからしばらくして亡くなったそうですが、佐々木家は元々他の藩の家系でしたので途絶えることはなく、現在まで脈々と長らえてきたのです。それが、長光さんであり、つばめさんなのです」

「へぇ……」

 朧気ではあるが自分のルーツを知ることが出来たからか、つばめは訳もなく胸が熱くなった。祖父の葬儀に出た時にも感じ入ったが、歴史まで知るとなるとそれ以上の感慨に耽る。巻物に書き記された佐々木家の家系図も横長のガラスケースに張り出してあり、つばめはゆっくりと歩きながら線を辿っていった。佐々木家の当主、その妻、その間に生まれた何人もの子供、そのまた子供、子供、子供、子供、子供、子供。家系図は江戸時代中期で途絶えてはいたが、その下に自分が続くと思うと、ますます胸が熱くなった。

 先祖と自分の間には、つばめの両親も含まれている。それを思うと、つばめは訳もなく切なくなった。本当の両親に会いたいという気持ちは、いつも心の隅に押し込めている。あまり意識しないようにしていれば、寂しいと思わずに済むからだ。けれど、時々居たたまれなくなる。血の繋がりという線が断ち切られて、つばめだけが放り出されたかのような感覚に襲われてしまうのだ。

「なんか、凄いですね」

 つばめが家系図を見つめていると、滝口が背後に立った。

「その家系図を始めとした佐々木家の資料を寄贈して下さったのが、他でもない長光さんなんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ、そうなんです。おかげで、随分と研究が捗りましたよ。資料が増えると、その分だけ伝承を検証出来る角度も増えますからね。荒井家の資料は、早川家の末裔の方々が寄贈してくれたものが多いのですが」

「その、早川家はどうなったんですか?」

「一ヶ谷市内にはいらっしゃいますが、あまり詮索しない方がよろしいと思いますよ。つばめさんの御先祖様は荒井久勝に貢献なさった御侍ではありますが、つばめさん御自身は厄介なことに巻き込まれていますからね」

 滝口に穏やかな口調でたしなめられ、つばめは引き下がった。

「ですよねぇ。この街の人達には、私のこともお爺ちゃんのことも良く思われてないですし」

「良くも悪くも保守的ですからね、こういう土地は。仕方ないですよ」

 滝口はつばめに先を促した。つばめはそれに続いて歩き出したが、一定の距離を保ち続けているコジロウが気になって振り返った。目が合いそうになるとまた逸らされた。つばめは試しに後ろ向きに歩いてみるが、それでも彼はつばめと視線を合わせようとしなかった。彼なりに怒っているのだろうか、それとも気を遣っているのだろうか。

 つばめは釈然としないまま、江戸時代から現代へと続く展示物を眺めていった。一ヶ谷市が発展するまでの道程は長く、明治維新を迎えても農業と林業で細々と生き長らえていて、大正、昭和初期まではそんな感じだった。林業をしていたおかげで鉄道が開業するのは早めだったが、それ以降は頭打ちだった。戦争に出征する若者を見送る一族、集団就職に出向くために蒸気機関車に乗り込む少年少女、山の斜面に作られた千枚田、といった白黒写真のパネルが続いていったが、昭和中期から高度経済成長期に入るとカラー写真になった。高速道路の開通を記念する式典の様子、整備された田畑を空撮した写真、一ヶ谷駅に向かって高架橋を通る新幹線、市町村合併によって統合された中学校に通う子供達、などなど。現代に移り変わると、新設された真新しい市役所、リニア新幹線の開通、生徒数の減少で廃校になった小中学校、という内容になっていった。

「あの、これって」

 その中でも異彩を放つパネルの前でつばめが立ち止まると、滝口が言った。

「若い人は知らないでしょうね、この騒ぎのこと。もっとも、僕も自分の親から聞いたんですけどね」

 謎の流星、落下。当時の新聞記事を引き延ばして作られたパネルを見上げ、つばめは怪訝に思いながらもそれを読み取った。今から五〇年前のことだ。七月十六日の夜更け、一ヶ谷市上空を青白く光り輝く物体が横切った。それは船島集落に落下したと思われたが、その痕跡は一切なく、目撃証言だけだった。その後、政府や専門家による現場検証が行われたが、物証は発見されなかった。地面の焼け焦げもなければ大穴も見つからず、流星の破片も落ちていなかった。謎が謎を呼ぶ事件ではあったが、時が経つに連れて騒動は収束した。と、ある。

「長光さんが船島集落一帯を買い上げて私有地にしたのは、それから三ヶ月後だったんです」

 滝口はパネルに見入っているつばめの横顔に、目を向ける。

「あの出来事があるまで、佐々木家は武士の末裔ではありましたが一般的な農家と変わらない生活を送っていたんです。長光さんも、勉強熱心で純朴な青年だったそうです。結婚して間もなかったそうですが、お嫁さんは都会から来た方で体もあまり丈夫ではなかったそうで、佐々木家との折り合いが上手くいっていなかったと。だから、長光さんは交通の便の悪い船島集落から引っ越そうと考えていたようですが、あの流星が落ちてきてからは考えを改めて、佐々木家の跡を継ぎました。そればかりか、唐突に莫大な資金を手に入れてきて、船島集落の土地を買い上げてしまいました。ですが、長光さんは誰にも理由を話そうとはしませんでした。つばめさんは御存知ありませんか?」

「いえ、全然。お爺ちゃんと会ったのは、お通夜の時が最初で最後でしたから」

 つばめが手を横に振ると、滝口は残念がった。

「そうですか。長光さんと交流のあった寺坂も口を割ろうとしませんでしたから、余程重大なことなんですね」

「寺坂さんとお知り合いなんですか?」

「ええ。僕と寺坂は中学校の同級生で、高校時代は連んで遊んでいましたけど、今は……」

「会わない方が良いと思いますよ。色んな意味で」

 語尾を濁らせた滝口に、つばめは忠告した。滝口は肩を竦める。

「ほとぼりが冷めたら一度は会いたいと思っていますけどね。でも、それはまだまだ先のようです」

 そろそろ本題に入るべきだ。つばめが自由研究に使えそうな資料を集めようとノートを広げると、またもコジロウがそっぽを向いていた。ケンカをしたつもりはなかったのに。

「ところで、この前の夏祭りで中学生が行方不明になっていることを御存知ですか?」

 滝口の語気が冷え込み、業務用の笑顔が消えた。つばめは駅前交番の貼り紙を思い起こし、頷く。

「ええ、まあ」

「皆、あなたと同じ年頃の子達ですよ。あの馬鹿げたロボット同士の格闘技が始まる頃までは、携帯電話の電波も通じていましたし、姿を見た人達も会話した人達もいたのですが、あの大騒ぎの後からぱったりと足取りが途絶えてしまったんです。何か、御存知ありませんか?」

「いえ、何も」

 知るわけがない。知っていたとしたら、行動に出ている。つばめが首を横に振ると、滝口の表情が一変した。

「あの中には僕の姪がいるんですよ。小生意気ではあるけど可愛い子で、君なんかよりも余程出来た子なんです。それなのに、なぜ帰ってこないんです? 政府の人間も大勢うろうろしているのに、なぜ捜そうとしないんです? それなのに、なぜ佐々木家の人間だけが特別扱いされるんです? おかしいでしょう?」

 平静さを保とうとしているが、滝口は次第に語気が上擦っていった。つばめは、やや身動ぐ。

「私だって、特別ってわけじゃ」

「警官ロボットがボディガードに付くような人間の、どこが特別じゃないと? 地上げ屋も顔負けのやり方で、先祖代々受け継いできた土地を買い取った血も涙もない人間の孫が普通だと? 笑わせるな!」

 押し殺していた理性が途切れたのか、滝口が怒鳴った。

「佐々木の人間がいる限り、ろくなことがないんだ! 変なことばかりが起きる、人が死ぬ、誰かが消える、化け物が出てくる、唸るほど金を持っているくせに地元に落とそうともしない! いい加減にしろよ!」

 頭に血が上ったのか、滝口の顔色は赤らんでいく。が、それとは対照的に、つばめは徐々に冷静さを取り戻してきていた。変なことが起きるにしても、それをイコールで佐々木家と関連付けるのはおかしいのでは。女子中学生達が行方不明になった事件もそうだ。結び付けるために必要な情報が見当たらない。たとえ巡り巡って関係があったとしても、つばめが彼女達に直接手を下したわけではないのだ。八つ当たりもいいところだ。

「どうする、コジロウ?」

 つばめがコジロウを小突くと、コジロウはつばめと滝口の間に割り込み、身構えた。

「対処している」

「僕に手を出してみろ、他の人間が黙っちゃいないんだからな!」

 威勢のいいことを言いつつも、滝口は腰が引けていた。結局、口で言うのが精一杯だからこそ、つばめとコジロウに暴言を吐いたのだろう。先程までの愛想の良さからは打って変わって、卑屈な態度が剥き出しだ。滝口という人間の本性を思い知り、つばめは落胆した。やっと、一ヶ谷市の住民でも普通に接してくれる人間に出会えたと思ったのに、蓋を開けてみれば他の人間達と同じだったとは。悲しくなるよりも先に、情けなくなってきた。

 すると、受付にいた女性職員が血相を変えて階段を駆け上がってきた。何事かと滝口とつばめが振り返ったが、コジロウだけはノーリアクションだった。女性職員は余程動揺しているのか、呂律が回っていない。滝口は女性職員がやってきた途端に態度を改め、表情を取り繕った。

「何かあったんですか? 急病人ですか?」

「い、いえ、その、ええっと、とにかく見て頂ければ解りますぅっ!」

 涙目になった女性職員が正面玄関を指したので、つばめは階段から正面玄関を見下ろした。窓越しに見えたものを捉えても、すぐには脳が理解しなかった。滝口は、ひい、と引きつった悲鳴を上げてよろけた。

 なぜなら、郷土資料館の正面玄関に警官ロボットが大量に押し寄せていたからだ。十体や二十体などではなく、駐車場が見通せないほどの数の警官ロボットが突っ立っている。つばめが唖然としている間にも、その数は増える一方だった。自動ドアを開けて入ってこないのは、いかなる建造物にも無許可では入れないから、なのだが、それが異様な圧迫感を生み出していた。つばめがぎこちない動作でコジロウを仰ぐと、コジロウは腰を曲げてつばめと目を合わせてきた。いつもと変わらぬ無表情なマスクフェイスが、今ばかりは空恐ろしい。

 一体、何を考えているのやら。



 同時刻、都内某所。

 予想を遙かに上回る制圧の早さに、誰もが呆気に取られていた。それは周防も例外ではなく、彼の行動の早さを目で追うだけで精一杯だった。佐々木つばめから借り受けたコジロウは、政府の権限を使って周防が下した命令と作戦を充分に飲み込んではいたが、まさかそれを小一時間で全て済ませてしまうとは思ってもみなかった。

 戦闘員も民間人も負傷者はなく、周囲の被害も最小限。但し、フジワラ製薬の療養所に移送される最中であった元怪人達を狙った犯罪者達は、生きてはいたが多大なダメージを受けていた。手足を折られ、武器を砕かれ、車を破壊されていた。政府側としては、組織同士が潰し合ってくれることも計算に入れていたのだが、コジロウはそれが行われる前に全ての組織の戦闘員と関係者を叩きのめしてしまった。効率的ではある、が、しかし。

 元怪人の人々を乗せたヘリコプターが、手近なビルのヘリポートから離陸する様を確認してから、周防はコジロウを見やった。ある組織が最後の足掻きとして、政府関係者目掛けて突っ込ませてきた爆弾を満載した車両を一刀両断したままの格好で直立しているばかりか、右腕に爆発物を抱えていた。大型のバンを破壊すると同時に摘出、確保するとは人間では到底無理な芸当だ。普通の警官ロボットでは、爆弾ごと自爆するのが限界だろう。

「これ、どう思う?」

 一発も撃たず終いに終わった拳銃をホルスターに戻した周防が呟くと、一乗寺は笑った。

「楽でいいんじゃないのー?」

「だとしても、これはなぁ……」

 一騎当千、国士無双。三国志めいた単語が脳裏を過ぎり、周防は頬を引きつらせた。コジロウのスタンドプレイが始まったのは、元怪人の人々を餌にして複数の組織を誘き寄せる作戦が成功した直後だった。通常では政府関係者の行動と戦況を事細かに把握して必要最小限の行動しか取らないはずのコジロウが、今日に限って前に出た。そればかりか、出過ぎていた。元怪人達の輸送用のヘリコプターとの合流地点に差し掛かってから行動に出る予定だったが、コジロウは後方支援とのタイミングを調整することすらせずに進み、タイヤを使って超高速で壁を上り詰めて組織のスナイパーを倒し、倒し、倒し、襲撃者達が乗っている車両に突っ込んだ。その間、三〇秒足らず。

 そして、一時間以内に全てが終わってしまった。これでは、内閣情報調査室直属の戦闘サイボーグで編成された特殊部隊の出番がないどころか、出動させたSATは銃口を上げる間すらなかったほどだ。楽ではあるし、味方側の損害がゼロで済んだのは何よりだが、歯痒さがある。オーバースペックのロボットであるコジロウに頼ることに慣れてしまいかねないからだ。実際、現場の人間達にそんな空気が漂いつつあった。優れた機械に対する畏怖と人間の限界に対する諦観、そして実戦の恐怖から免れられた安堵感だった。

 爆発物をロボットで構成された爆発物処理班に預けてから、コジロウは外装を開けると蒸気と共に熱を噴出した。僅かに陽炎を帯び、白と黒の機体が揺らぐ。銃創の付いたマスクを上げ、任務完了、との平坦な言葉を発した。

「事後処理、面倒臭そー。すーちゃん、お願いっ」

 一乗寺の頼み事に、周防は辟易した。

「たまにはまともに仕事をしてくれ。夏休みなんだから、お前も体の自由が効くだろ?」

「夏休みだからこそ教師は忙しいんだってばぁ。今度、いおりんの家庭訪問に行かなきゃならないしぃ」

「藤原伊織を民間人に預けること自体が正気の沙汰じゃないが、その家庭訪問だなんて悠長すぎるぞ」

「大丈夫だってぇ。いおりんはアソウギごとつばめちゃんの所有物になったわけだし、よっちゃんはあれでいて結構腕が立つし、フジワラ製薬はいおりんのことなんか見限っちゃったみたいだし、政府も政府でいおりんみたいなのは持て余しているしー。だから、現場の判断でどうこうした方がいいんだってば」

「藤原伊織の主食を忘れたわけじゃないだろう」

「人間を喰うからって悪人ってわけじゃないでしょ? 俺の感覚だと、いおりんは悪い奴じゃないよ。ただ、体の方がアレなだけって感じ。だから、固定観念を持つのは良くないと思うけど?」

「殺人と食人が悪くないはずがないだろうが。大体、お前の感覚なんて信用出来るか」

「ひっどーい。傷付いちゃうなぁ」

「宇宙人に傷付くようなメンタルがあるか」

「じゃ、みっちゃんのことは見逃してくれるんだ? うっわー、やっさしーい! すーちゃんってば素敵!」

「そんなわけないだろうが。設楽道子こそ、野放しにするべきじゃない。だが、現行の法律では電脳体を罰するための法がないんだ。脳も吹っ飛ばされちまったし、戸籍も死亡済みだしな。だから、佐々木つばめの手元に置かせて俺達が監視するしかないじゃないか。佐々木つばめ専用回線なんて代物を無許可で作ったばかりか、コジロウとその同型の警官ロボットを同期させるためのネットワークも作りやがった。そのどちらも政府側に一部を開放してはくれたが、それが何になる。せいぜい、女子中学生と警官ロボットが馴れ合う様子を合法的にストーキングが出来るだけだ。設楽道子もだが、連中は遺産の中身を明かそうとしないくせに俺達を利用しようとしているんだ」

「そりゃそうでしょ。手の内を明かしちゃったら、つばめちゃん達は商売上がったりなんだもーん。それにしても、今日のすーちゃんは御機嫌斜め四十五度にすっ飛んでるねー? もしかして二日目?」

「馬鹿言え」

 周防は一乗寺の軽口に切り返しつつ、搬送されるために応急処置を受けている犯罪者達を眺めた。

「新免工業に動きがあった。戦闘サイボーグの鬼無克二が本社の警備から地方の支社の警備に転属したが、その転属先にはいなかった。大方、船島集落に来ているんだろうが、尻尾が掴めていない。設楽道子でも利用出来たらいいんだが、そうもいかないからな。手掛かりを掴んだら、すぐに教えてくれ。飛んでいく」

「手掛かりを掴ませる前に行動に出ると思うけどなぁー、新免工業は。やらかすことも見当が付かないわけじゃないけど、どうする? 泳がせておいた方がよくない? フジワラ製薬とハルノネットと同じでさ」

「その根拠は」

「面白そうだからっ!」

 ウィンクしながら舌を出した一乗寺を、周防は本能的に張り倒した。

「ちょっと黙ってろ!」

 ひどーい、と拗ねてみせた一乗寺を無視し、周防はコジロウの様子を窺った。すると、コジロウは軽く俯いた態勢で沈黙していた。左耳のアンテナに手を添えている仕草は、携帯電話で会話している人間のようだった。

「あれ、傍受出来るか?」

 周防がコジロウを指すと、一乗寺は自前の携帯電話を取り出したが渋った。

「えー、そういうのは良くないよー。だって、慎ましやかでプラトニックな中学生の恋愛の様子を覗き見するなんてこと、ダメに決まってんじゃーん。すーちゃんのドスケベ」

 と、言いつつも、一乗寺はコジロウが使用している回線を割り出した。これもみっちゃんにしてもらったんだ、と説明しつつ携帯電話を操作し、佐々木つばめ専用回線の中の一つである対コジロウ専用回線に接続した。一乗寺の携帯電話が相手であれば音声が暗号化されないように設定されている、とも説明してくれた。一乗寺が携帯電話を耳に当てたので周防もその近くに耳を寄せた。少々甲高くなっているが、佐々木つばめの声が聞こえてきた。

『だから、何をどう思ってあんなことしたの? 普通にすっごく困るんだけどさ』

 どうやら、妙な事態が発生したらしい。それに対し、コジロウは答える。

『本官の判断に誤りはないと判断する』

『だーからっ、その判断自体が間違いなんだって! いつもとは性能が違うボディに意識を入れているのが不機嫌そうだとは思ったけど、だからってアレはないでしょ、アレは! 私はハーメルンの笛吹男か!』

『つばめは女性だ』

『そういうことじゃなくて、とにかく、ここに集めた子達を元の持ち場に戻して!』

『本官は、量産型の人型特殊警察車両一体ではつばめの身の安全を保証出来ないと判断する。よって』

『にしたって、やり方ってのがあるでしょ。全くもう、過保護なんだから!』

 そう言い終えて、つばめは通話を切った。周防は一乗寺と顔を見合わせた後、コジロウを窺った。通話が切れたからか、左耳のアンテナから手を外したコジロウは、徐々に俯いていった。どことなく肩も落としているように見え、銃撃や粉塵で汚れた背中はそれ以上に煤けているように思えた。感情がない、とは思いがたい光景だった。

「もしかして、やたらとコジロウの仕事が早かったのって、つばめちゃんが無事かどうかが気が気じゃなかったから焦りまくったからー、だとか? うっわー、かぁーわぁーいーいー」

 一乗寺は身を捩りながら女子高生のようなイントネーションで感嘆したが、周防にはそうは思えなかった。むしろ、薄ら寒くなってしまった。コジロウには感情が発生しない、人間的な情緒が形成されるために必要なアルゴリズムがプログラムされていない。そもそもコジロウは無限動力炉であるムリョウに手足を付けたようなものであり、ロボットと言うよりも剥き出しのエンジンに近い。コジロウを原型にした量産型の警官ロボットは、コジロウの余剰エネルギーが多すぎるエンジンこそ再現出来なかったが、人間に極めて従順で情緒や躊躇を徹底的に排除してある人工知能を再現することは可能だった。だからこそ、量産型の警官ロボットは全国的に普及し、その台数は一千体を越えようかという勢いである。おかげで、日本国内の治安はかなり改善された。

 その膨大な数の量産機を遠隔操作出来るコジロウに絶対的な命令を下せる佐々木つばめは、事の重大さを理解しているとは到底思えない。一乗寺から受けた報告に寄れば、設楽道子とアマラの能力を使用して、佐々木つばめ専用の堅牢なセキュリティのネットワークまで造り上げたそうだ。つばめ側からはこちらのネットワークのどこへでも接続出来るが、こちら側からはつばめ側に接続出来ないという構造なのだ。佐々木つばめが世間に愛想を尽かしてクーデターでも何でも企てたとしたら、不可能はない。決して裏切らない最強の兵士、電脳世界と現実を行き来することが出来る亡霊、生き物を改造出来る液体、使途不明だが物理的な破壊は不可能な箱、そして莫大な資産。

 それらに対して、一乗寺は危機感を抱かないというのか。倫理観どころか、危機感も欠如している。周防は苛立ちすら覚えながら、落胆したように両肩を落としたままのコジロウの傷一つない背部装甲を一瞥した。

 それにしても、コジロウは何をやらかしたのだろうか。



 正しく、数の暴力だった。

 コジロウが瞬時に掻き集めた警官ロボット達を目の当たりにした滝口は、先程までの態度からは一転して怯えてしまった。その上、コジロウが自身のメモリーに保管していた映像を郷土資料館の職員達に開示したので、それを見られたことで一層縮まった。つばめは館長と他の職員から懇切丁寧に謝罪されたが、女子中学生達が行方不明になったことと本当に無関係なのか、と問い詰められそうになったので、美野里の名刺を渡した。途端に職員達は口を噤んだので、つばめはうんざりしてきた。自由研究の課題を調べに来ただけなのに。

 一般の来館者の邪魔になるので、つばめは郷土資料館の館長に了承を得てから警官ロボット達を第二駐車場まで移動させた。その道中はさながら大名行列で、つばめは前後左右を警官ロボットに固められてしまい、周囲の様子を窺うことすら難しかった。第二駐車場は郷土資料館からは離れていて、道路を渡って田んぼに囲まれた交差点を曲がった先の高架橋の下にあるのだが、その間、もちろん衆人環視に曝された。

 何事かとスピードを緩めた車は数知れず、通行人は誰もが立ち止まっては携帯電話などで写真を何枚も撮影し、中には見物に来いと人を呼び出した者もいた。その気持ちはつばめにも解らないでもなかったし、興味を持たれるだけであれば無害だからだ。もっとも、大量のコジロウはそう思っていないらしく、少しでも異変があると察知すると警戒態勢を取っていた。そのせいで、徒歩五分の距離が異様に長く感じられた。

 第二駐車場に辿り着いたつばめは、郷土資料館から出る前に自動販売機で買った炭酸入りのスポーツドリンクを飲んだ。まだ冷たさは保たれていて、炭酸の刺激とクエン酸の効いた味が爽やかだった。ペットボトルを口から外して大きく息を吐いてから、手近なベンチに座った。目の前には、警官ロボット達がずらりと並んでいる。

「ねえ、コジロウ」

 つばめが問うと、先頭に立っていた警官ロボットが一歩前に踏み出した。

「所用か、つばめ」

「専用回線の使い方って、そんなんでいいの? そりゃ、助けてくれたのはありがたいけど」

 つばめが汗の垂れる額をタオルで拭うと、コジロウの意識が最も強く作用しているであろう一体が言った。

「法律には違反していない」

「公務執行妨害とか、公共物の無断利用とか、私物化とかには引っ掛からないの?」

「つばめの護衛に関しては、超法規的措置が適応される」

「でも、人の迷惑とかをちゃんと考えてよね? 駅前交番にいた警官ロボットを貸してもらったのだって、かなり無理があったんだし。それなのに、コジロウがこの子達を強引に掻き集めちゃったもんだから、その数に比例した交番ががら空きになっちゃうじゃない。その間に管轄内で人間の警官が対処出来ない事故や事件が起きたら、一体どうするの? そんなの、いくらなんでも責任取れないよ」

「それについては問題はない。警官ロボットが欠けても通常業務に支障を来さない派出所や警察署を選別した上で、待機状態にあった警官ロボットを起動させ、使用した」

「予備の子達ってこと? それでも充分問題じゃんか」

「問題はない。つばめを護衛するためには、本官に相当する戦闘能力を持つ人員、或いはロボットでなければならない。だが、現時点では本官に匹敵する性能を持ち得た人員もロボットも存在していないため、本官の性能を大幅にダウングレードさせた警官ロボットを大量に導入した。質量によって性能差をカバー出来ると判断した」

 警官ロボットの声色は至極平坦で、コジロウの声に良く似ていた。だが、何かが違った。それがつばめの不信感を煽り立ててきて、今し方まで感じていた苛立ちも怒りも引っ込んでしまった。先程まで、つばめがコジロウだと認識していた警官ロボットはどこに行ってしまったのだろう。彼のことはまだコジロウだと思えていた。動きに微細な違いはあれども、頑なな態度や口調はコジロウそのものだった。だが、やはり彼ではない。

「本官はつばめを護衛しなければならない」

「うん、解っている。それがコジロウの仕事だし、コジロウはちゃんとした理由があるから私を守るんだもん。でも、物には限度があるじゃない。コジロウが一番解っていそうなのに、どうして今日に限ってそうなの?」

 つばめは目を逸らすが、ベンチを囲んでいる警官ロボットのつま先が視界に入った。

「人間の悪意に限度は存在しない」

 一体の警官ロボットが片膝を曲げ、つばめと目線を合わせた。つばめは、渋々目を上げる。

「大丈夫だよ。誰に何を言われても、私は気にしないし」

「つばめが意に介さなくとも相手はそうではない可能性が非常に高い。そういった事例によって発生した傷害事件、殺人事件は数多くあり、未然に防ぐことが出来た事件も決して少なくはない。本官は、地域住民の間に蔓延しつつある佐々木家に対する偏見が増長し、犯罪が発生することを危惧している」

「ありがとう、心配してくれて。だったら、最初からそう言ってくれればいいのに」

 彼の真意を知ったつばめは、納得すると共に安堵し、片膝を付けた警官ロボットのマスクフェイスを小突いた。

「つばめは本官の判断の誤りを説いていた。優先すべきはそちらだと判断したからだ」

「んじゃ、差し当たって命令するけど、この子達を元の持ち場に帰らせてよ。でないと、私も身動きが取れないし」

 つばめが両腕を広げて警官ロボット達を示すと、片膝を付いていた警官ロボットは頷いた。

「護衛に必要な戦力が大幅に減少するが、つばめの命令であれば遂行する」

「それで良し」

 つばめが快諾すると、警官ロボット達は一斉に発進した。脚部からタイヤを出して道路に出ると、散り散りになって逃げ水の光るアスファルトを駆け抜けていった。集まるのもあっという間だったが、別れるのもあっという間で、警官ロボットの大群はものの数分で退去していった。後に残ったのは、彼らの体温とでも言うべき蒸気混じりの廃熱と、剥き出しの地面に整然と並んでいる足跡だった。立ち込めた砂埃を払ってから、つばめは再度喉を潤した。

「で、コジロウ。あの子達との通信を封鎖してくれない? 私も携帯の電源、切るからさ」

「了解した」

 一体だけ残った警官ロボットは左耳のアンテナを押さえた。つばめもショルダーバッグから携帯電話を取り出し、電源ボタンを長めに押した。程なくしてモニターから光が失せ、ただの透き通った板になった。

「自由研究だけじゃないんだからね。夏休みはまだまだ先が長いんだし、一緒に出掛けようって思った場所は一杯あるんだから。写生しに出かけなきゃならないし、読書感想文に使う本を選びに図書館にも行きたいし、調べ物の宿題だってあるし、山ばっかりで飽き飽きしているから一度は海に行きたいし、泳ぎたいし、それ以外にも色々あるんだからね。今回みたいにコジロウの仕事と私の予定がかち合っちゃうことはあるかもしれないけど、今日みたいなことは二度としないでね」

 約束、とつばめが小指を立ててみせると、警官ロボットはつばめの動作を真似た。 

「了解した」

「いくら意識が同じでも、コジロウだらけだと困っちゃうし。だから、コジロウは一人だけでいいの」

 つばめが伸ばした細い小指と、その十倍以上の太さがある角張った小指が近付いていく。軽く背伸びをしてかかとを上げたつばめの指が、機械熱を帯びた金属製の指に触れるかと思われた、正にその瞬間。雷鳴にも匹敵する猛烈なスキール音と共に第二駐車場に滑り込んできた物体が、砂混じりの土埃を巻き起こしながら蒸気を多量に含んだ排気を噴出した。つばめがぎょっとしていると、土埃が晴れ、その正体が解った。

 白と黒の外装の至るところに銃創と思しき傷と焼け焦げが付き、タイヤがバースト寸前にまで磨り減っているが、胸部装甲に片翼のステッカーが貼り付いているので、コジロウに間違いなかった。彼は強烈な光を放つゴーグルを上げて警官ロボットを注視すると、途端に警官ロボットは機能停止して倒れ込んだ。つばめは驚き、飛び退く。

「なっ!?」

「……つばめ」

 排気音でくぐもっているせいか、コジロウの声色は若干重たかった。

「な、な、何?」

 ずっと離れた場所で戦っているはずなのに、どうして。つばめが混乱していると、コジロウは少々よろけながら歩み寄ってきた。一際激しく排気を行った後、コジロウは鋭い動作でマスクフェイスを上げた。弾丸が掠ったのだろうか、赤いゴーグルの右端にはクモの巣状のヒビが走っている。一歩、一歩、肩を上下させながら迫ってくるコジロウは、威圧感の固まりだった。元々の体格のせいもあるが、殺気立っているように思える。彼には感情が存在していないのだから、そんなことはないはずなのだが。俯きがちで翳ったマスクフェイスが上がり、視線がつばめを射抜く。

 更に歩み寄ってきたコジロウは、右手を挙げた。つばめは混乱した挙げ句にベンチに昇り、高架橋の支柱に背を当てて身を固くした。すると、コジロウはつばめの肩の傍に右手を当て、ようやく動きを止めた。

「……大丈夫?」

 つばめは少し首を傾げてコジロウを覗き込むと、コジロウは吸気した後に答えた。

「問題はない。外装の破損、部品の摩耗、いずれも軽微だ」

「もしかして、自力でここまで帰ってきたの? 仕事は?」

「任務は全て完了した。武装組織を鎮圧し、犯罪者は全て逮捕した。よって、フジワラ製薬による生体改造実験の被害者の移送には問題はない。よって、本来の任務に戻った次第だ」

 コジロウの声色には波があった。まるで、ひどく焦っているかのように。

「やっぱり、今日のコジロウ、変だよ。機嫌が悪かったし、妙なことをするし、急いで帰って来ちゃうし」

 つばめは少々びくつきながらも、目の前にある彼のマスクフェイスに触れた。火傷しそうなほど熱かった。 

「どうして?」

 高架橋を通り抜けていった大型のトレーラーの轟音が、セミの声を蹂躙して去っていく。排気ガスが混じった熱風が届き、つばめの汗ばんだ肌を舐めていく。二人の視線が交わるも、コジロウは答えてくれなかった。答えられないとでも言うのだろうか。肉体に見合った硬質な精神を持っている彼らしくもない。

「ならば、なぜ、つばめは本官の下位個体に無線を封鎖させた。携帯電話の電源を切った」

 間を置いて、コジロウが問い返してきた。つばめはそれに答えようとしたが、逡巡した。今、ここで好きだというのはとても簡単だ。周りには誰もいない、警官ロボットは機能停止している、コジロウしかいない。伝えるのであれば、今しかない。どうせ感情のないコジロウには恋愛なんて理解出来ないだろうし、つばめの独り相撲なのは百も承知だ。一言、言ってしまえば気が晴れるし、この不毛な恋に踏ん切りが付けられるだろう。

「もしかして、妬いたの? 自分の分身に?」

 まさか、そんなことがあるはずがない。つばめが冗談めかして言うが、コジロウは顔を背けただけだった。否定の言葉を述べようとしない。

 二人の間に、ぼってりと暑く重たい空気が漂う。

「本官は」

 コンクリートの支柱に押し当てた右手を握り締め、コジロウは今一度排気を行う。ため息のようだった。

「つばめの期待に応えられない。本来の任務を遂行出来ない。よって、最善を尽くすべきだと判断し、アマラの能力を利用した下位個体とのネットワークを形成し、出動中であってもつばめの護衛を行えるようにした。だが、量産型の機体では性能が格段に劣る。よって、本官が判断する最善は尽くせないと判断し、早急に帰還した次第だ」

 コジロウは、赤いゴーグルの下のレンズを動かしてピントを合わせ、つばめの服装を捉える。

「前回の反省点を生かすべき事態であったにも関わらず、本官は情緒的な判断に準ずる返答が出来なかった。よって、つばめの服装について評価出来なかった」

「あ……」

 彼なりに気にしていたんだ。つばめは、春先のデートでもコジロウに服装を見せたが評価すらされなかったことを思い出し、頬が熱くなった。可愛いと言ってもらえるだなんて思っていないが、せめて似合っているとは言ってほしいと思っていたことも。だが、そんなことを自己申告出来るほど、つばめは自惚れられる性分ではない。それに、彼の意志を酌んでやらなければ勿体ない。つばめは躊躇いがちにワンピースの裾を抓み、持ち上げた。

「に、似合う?」

「繊細だ」

 少々の間の後、コジロウはワンピースに対しての評価を述べた。それを着ているつばめに対するものではないのは解り切っているが、つばめは一気に顔が火照った。目眩すら起こしそうだった。好きだ。好きだ。好きだ。

「さ……さっきの質問、まだ、答えて、なかったよね?」

 つばめがしどろもどろになると、コジロウは頷いた。

「そうだ。行動の理由の説明を」

 けれど、いざ言おうとすると喉が詰まり、頭に血が上ってくる。目眩まで起こしかけるほどの照れと高揚に駆られ、つばめは何度も口を開閉させた。その度にコジロウが怪訝そうに首を傾げるので、つばめは目線を彷徨わせたが、意を決した。どうせ言えないのなら、行動で示すしかないではないか。

 コジロウの余熱が籠もるマスクフェイスを両手で掴み、身を乗り出した。ひび割れたゴーグルに映り込んだ自分の顔はひどく情けなかったので、それを正視しないためにきつく目を閉じる。高架橋のざらついた支柱から汗に濡れた背中を剥がし、首を伸ばし、顔を傾け、浅く唇を開きながら生々しい傷が残るマスクに重ねた。

 数秒の間の後、つばめはコジロウを突き飛ばした。心臓が破裂するかもしれないと危惧するほど暴れ回り、鼓動がうるさい。コジロウのマスクの硬さが染み付いた唇を一度舐めてから、つばめは絶叫しながら逃げ出した。

「こういうことだぁああああーっ!」

 もう、どうにでもなれ。つばめは汗なのか涙なのか定かではない雫を散らしながら、一心不乱に駆け抜けた。彼が背後から追ってくる気配を感じたが、振り返ることなんで出来るわけがなかった。達成感の一方で、羞恥心によって生み出された暴力的な衝動が沸き起こり、それを晴らすために走った。前なんか見ずに、ただただ走り続けた。

 ついに、捧げてしまった。


 更に翌日。

 あの後、散々走り回った挙げ句に半泣きで美野里の法律事務所に辿り着いたつばめは、美野里と道子から猛烈に心配されて慰められた。恥ずかしさと照れ臭さとコジロウに対する気持ちが渦巻いた胸中は一向に落ち着かず、良く冷えた麦茶を飲んでも、まだ煮え滾っているかのようだった。途切れ途切れに事の次第を説明すると、美野里はなんだか複雑そうな顔をしてつばめを抱き締めてくれ、道子は、破壊的に可愛いですねぇ、と笑った。

 つばめの行方を追い掛けてきたつばめも美野里の法律事務所にやってきたが、つばめはコジロウとまともに顔を合わせられるわけがなく、夕暮れに自宅に戻ってきても同じことだった。それは、夜が明けても変わらなかった。

 障子戸越しに差し込んでくる朝日を浴びながら、つばめは布団に座り込んで呆けていた。夜中の蒸し暑さと、勢い余ってコジロウにファーストキスを捧げてしまった余韻で、上手く寝付けなかった。だから、寝苦しさで目が覚めては浅い眠りに落ちてはまた目が覚める、を繰り返していた。浅い眠りの合間に見た細切れの夢は、とんでもないものばかりだった。半分以上は覚えていないが、最も強く頭に焼き付いているのは。

「なんで私が妖怪だったんだよ……」

 滝口に教えられた妖怪伝説のせいだろう、つばめが蜘蛛妖怪となって戦国武将のコジロウを追いかけ回している夢を見てしまった。つばめは上半身は人間で下半身は巨大なクモという姿で、コジロウはと言えば本来のロボットの姿の上に立派な当世具足を着込んでいた。外装の上に外装を付けているので妙ではあったが、それはそれで格好良かった。だが、戦国武将のコジロウは妖怪退治で名を馳せた滅法強い武士、という設定で、つばめは何度となくコジロウに斬り殺されかけた。その度に逃げては追い、追っては逃げられ、近付けても斬られそうになり、と不毛な追いかけっこを繰り返していた。だが、現実もそんなものなのだ。

「はぁ」

 寝癖のせいで一層飛び跳ねている髪を押さえつつ、つばめは嘆息した。好きだなんて言えないし、言ったところで何がどうなるわけでもない。完全な自己満足だ。それでも、好きだと言いたくてたまらなくなる。

「どうしてこうなっちゃったんだろう」

 つばめは眠気の残る頭を気にしながら、腰を上げた。いっそのこと、戦国武将のコジロウに斬り殺されてしまえばよかった。そして、コジロウの腕の中で果ててしまえばよかった。そうすれば、潔く諦められるだろうに。だが、彼にはそんなことは出来ないだろう。つばめを守るようにプログラムされているからであって、それ以上でもそれ以下でもない。つばめの期待に応えられない、とコジロウが嘆いたのも、つばめが彼に対して横柄な態度を取りすぎているからだ。そんなものは恋でもなければ好意でもない。鏡写しの自分に過ぎないのだ。

 一線を越えてしまうべきではなかった。コジロウに人格と感情を求めすぎている自分が嘆かわしかった。彼は機械なのであって、道具なのであって、盾であり矛だ。それなのに、思い通りにならないからと一方的な感情をぶつけて困らせてしまった。好きだからと言って、何もかもが許されるわけではないのに。

 好きになればなるほど、辛くなる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ