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機動駐在コジロウ  作者: あるてみす
 

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好きこそもののジャンキーなれ

 フジワラ製薬の裏金を投じて新免工業が開発した特注のサイボーグは、巨大だった。

 新免工業が最も大規模なシェアを誇っている製品は、軍用サイボーグに他ならない。分厚い積層装甲と高出力のモーターを搭載しているにも関わらず、ボクサーのような軽快なフットワークと多角関節による柔軟性が売りである。元々製造していた工業機械や重機より、今となっては軍用サイボーグの売り上げの方が高くなりつつあるほどだ。それだけ、世の中には争いが絶えない証拠でもあるのだが。

 そして、この男もまた争いに身を投じようとしている。武蔵野は出来上がったばかりのサイボーグボディを見上げ、不可解な気持ちに陥った。新免工業が製造、販売している軍用サイボーグは、基本的には人間大の大きさで発注されている。使用者の注文によっては、手足の長さや、モーターやシャフトの規格を変えることもあるが、人間離れした体格になることはほとんどない。宇宙開発用のサイボーグボディですらも、エネルギーの浪費を避けるために全体的に小型化している。だから、藤原忠が造らせたサイボーグボディの大きさは、異様だった。

「無駄が多すぎるぞ、これ」

 武蔵野はサングラスを外し、古傷の残る目元をしかめた。三メートル強の厳つい機体がビンディングで固定され、壁際に直立していた。丸太のように太い両腕には最新式の光学兵器が据え付けられ、筋肉質を通り越して外骨格に包まれたようなデザインの胸部は圧迫感すら与えてくる。二〇〇キロ超の機体を支える両足には、サイボーグには不要であろうスラスターまで取り付けられている。これではサイボーグと言うよりも戦闘ロボットだ。それも、素人考え丸出しの、見栄えはいいが実践に不向きなタイプだ。人型の機体はオールマイティなものであり、それ故に武装は必要最低限でいい。光学兵器にしても火器にしても弾が切れてしまえば重量を増やすだけのモノになり、バッテリーの消耗が激しくなるだけだからだ。

「我々もそう言ったんですけどねぇ」

 新免工業のサイボーグ開発部の社員は、渋い顔をした。何日も帰宅していないのか、作業着が垢染みている。

「でも、どうしても大型化するって聞かなかったんですよ、あの社長さんは。そりゃ、機体を大きくすればバッテリーも物理的に大きく出来ますし、充電量も増えますけど、これほど大きい機体だと通常のサイボーグとは電力消費量が桁違いなんですよねぇ。通常であればフィードバックした稼働時の余熱を使って再充電し続ければ数日間は無補給でイケますけど、これはちょっと……。なんか、こう、美しくありません」

「だろうな。機能美ってのがない」

「解ります? 解ってくれて嬉しいですよ、武蔵野さん。でも、あの社長さんは、そういうのは全然で……」

 骨の髄まで疲れているのか、社員はそれだけのことで泣きかけた。無理もないだろう、通常業務のサイボーグの開発と研究と平行して特注品の設計図を引き、藤原忠が金に物を言わせて叩き付けてくるデタラメな注文と部品の製造を行う工場との折り合いを付け、更には藤原忠の御機嫌取りもしなければならないのだから。

「もうしばらくの辛抱だ。あの社長の脳髄をこの機体に乗せて同調させ、仕事に就かせたら報われる」

 武蔵野は他人事とは思えないので、彼を慰めた。

「ですけどね、その同調テストが出来るのはもう少し先になっちゃったんですよ。補助AIと社長さんの脳波をシンクロさせて各種設定を施してもらって、人工体液に対する免疫反応の有無もチェックする段階は終えたんですけど、また変な仕事が入っちゃいまして。おかげで、こっちのプランはぐちゃぐちゃですよ」

「上の仕業か?」

「それ以外に考えられますかぁ? こっちにはこっちの事情があるのに、ちっとも慮ってくれないんだから」

「で、その、変な仕事ってのは何なんだ。まさか、あの社長を実戦に投入するわけじゃないだろう。いくら本人の意識が高いとはいえ、所詮は絵空事の悪役フェチでしかない。紛争地帯で何年も警備会社に勤めていた俺や鬼無とは訳が違う。だとしたら、俺の方も御免被るからな」

「それだったらまだいいんですよ、補助AIの設定次第である程度は誤魔化しが効きますから。でも……」

 社員は徐々に表情が暗くなり、俯いた。

「うちの会社、なんでショー用のサイボーグなんて取り扱っていたんでしょうねぇ。それさえなかったら、あの社長さんが変なことを考えずに済んだだろうし、うちの上層部だって取り合わずに済んだはずなのに。気が滅入りますよー、何が悲しくてあんなにふざけた外見のサイボーグを造らなきゃならないんですか。機能美からは遠ざかるどころか、光の速さで機能美の方が逃亡していますよ。あー、やんなっちゃう」

「ショー用ってことは、特撮のやつも扱っていたのか?」

「あれ、武蔵野さんって知りませんでしたっけ?

 まあ、そういう専門分野向けのを扱っているのは子会社ですから、すぐに気付かないのも無理はないかもしれませんね。ヒラタ造型、って会社なんですけど」

 そっちの社長が平田さんなんですよ、と社員が付け加えてきたが、武蔵野は動揺を隠すことに集中していたために記憶に残らなかった。ヒラタ造型といえば、ニンジャファイター・ムラクモでサイボーグアクターの機体だけでなく衣装や怪人の着ぐるみも手掛けている会社だ。大人の目から見ても精巧でテレビ映えするデザインが多いので、最近はムラクモの本編だけではなくそちらも気になりつつあった。だが、それが新免工業の子会社だったとは。

「で、その、あの社長さんがヒラタ造型に一方的に話を付けちゃって、今度撮影するムラクモの怪人の中の人をやるって言って聞かなくて……。って、どうしましたか、武蔵野さん?」

 社員に訝られるほど、武蔵野は変な顔をしていたらしい。近頃では、SNSを覗いてはニンジャファイター・ムラクモのコミュニティで楽しげに語り合っているファン達を見ては羨んでいた。彼らと共にムラクモの魅力を語り明かしたい気持ちはあれども、仕事が仕事なのでむやみやたらにインターネット上に発言を散らかせない。だから、りんね達に隠れて岩龍を言い訳にして録画したムラクモを何度も見返して満足していたのだが、そのムラクモに、あの藤原忠が出演してしまうのか。しかも、怪人となって。

「おい、その撮影はいつだ」

 こうなったら物理的に阻止してやる。武蔵野がサングラスを掛け直すと、社員は半笑いになった。

「終わりましたよ? とっくの昔に」

「は?」

「いや、だって、特撮って撮影が終わった後に映像を加工する方が大変なんですよ。金も掛かるし。CG技術が発達した現代であっても、一コマ一コマ調節していかなきゃならないことには変わりありませんから。加工するのは背景やエフェクトだけじゃないですからねぇ。クロマキーにしてある背景だけを差し替え、ってわけにはいきませんし」

「ほ……放映日時はいつだ?」

「来週ですけど。なんですか、武蔵野さん。そういうキャラだったんですか、意外だなぁ」

 社員はぐちゃぐちゃと話し掛けてきたが、武蔵野はそれを一切合切無視して携帯電話を取り出した。来週に放映される回は、宇宙山賊ビーハントの幹部の一人である紅色のタカノシンが、上司からも部下からも追い詰められた末に地球のスーパーに逃げ込み、滑って転んだ拍子に宇宙妖怪を生み出すためのエネルギーの固まりである妖怪羊羹をチクワに突っ込んでしまうというギャグ回なのだが、生まれる妖怪というのがチクワ入道だった。

 次回予告の映像を見ただけでもチクワ入道のデザインは素っ頓狂だった。吉岡りんねが愛して止まない練り物、ちくわと妖怪の輪入道を組み合わせたデザインなのだが、輪入道の顔を囲んでいる車輪が、ちくわで出来ている。更に、その車輪の四方からは円筒形の手足が伸びている。もちろん、これもちくわだ。確かにこんなものをデザインさせられた挙げ句に造らされては、軍用サイボーグも手掛ける技術者としては泣けてくるだろう。そして、そんな外見の怪人を演じるアクターになろうと申し出た、藤原忠も大概だ。怪人自体に憧れを抱いていたようだったから、怪人の外見は二の次だったのかもしれないが。

「お嬢には言わないでおこう」

 様々な感情が過ぎったが一巡して妙に落ち着いた武蔵野が呟くと、社員は頷いた。

「それがいいと思います。武蔵野さんの話と鬼無さんが送ってくる監視映像を総合すると、あの御嬢様は潔癖な感じがしますからね。御嬢様が唯一デレる相手であるちくわが、こんなへんてこりんな怪人にされていたと知ると、怒りますよ。表には出さないけど、その分強烈に」

「とにかく、今日のところは帰る」

 武蔵野は嘆息してから、携帯電話のホログラフィーを消してポケットにねじ込んだ。

「鬼無さんによろしくお願いしますねー」

 社員に見送られながら、武蔵野は新免工業の工場を後にした。外に出てから愛車のジープに乗っても、頭の混乱はなかなか収まらなかった。通常の作業用サイボーグの製造工場と同じラインを使って藤原忠専用のサイボーグを製造しているため、工場の駐車場には作業員達の自家用車が止まっていた。一ヶ谷市から二つの町と一つの市を越えた町にあるのだが、ここは一ヶ谷市よりも発展していないので、工場の周囲は見渡す限りの田畑だった。交通の弁も悪いので、作業員達のほとんどが自家用車を所有している。

 気分が落ち着くまでは武蔵野はジープのエンジンを暖め、それから工場を後にした。車が行き交っている県道に出てから国道に向かっていったが、チクワ入道のことが頭を離れなかった。そのうちに、チクワ入道に対する期待がやけに高まってしまった。あの変な怪人はどんな動き方をするのか、必殺技は何なのか、ニンジャファイター達はチクワ入道に対してどんなリアクションをするのか、などと、考え出したらきりがなかった。

 いつも以上に、日曜日の朝が待ち遠しくなった。



 そして、日曜日の早朝。

 予想外の展開に、武蔵野は戸惑うしかなかった。道子がいなくなったので、代役として高守が作ってくれた純和風で真っ当な味付けの朝食を取った後、りんねは自室には戻ろうとしなかった。それどころか、ベランダからリビングを覗き込んでくる岩龍と共に大型テレビを見つめていた。武蔵野は気のない振りをしつつも、人一倍熱心にテレビを窺っていた。高守はといえば、自分の世界に閉じ籠もっていたいのか、朝食の片付けを終えると地下室に籠もりきりになった。前番組である幼児向けアニメが終わり、二分後、ニンジャファイター・ムラクモが始まった。

『テレビを見る時は、部屋を明るくして離れてみるが良いぞ!』

 ニンジャファイターのリーダーである水神のムラクモは、龍をイメージしたポーズを決めながらお決まりのセリフを述べた。

 そしてアバンが始まると、今回の主役である紅色のタカノシンが、宇宙山賊ビーハントの首領とその恋人である女幹部怪人から成績不振を叱責されていた。勧善懲悪が大前提の特撮なので怪人達は負けるのが仕事ではあるのだが、タカノシンはあまりにも負けが込んでいた。

 タカノシンは鷹がモチーフなので外見は格好良いのだが、三枚目でありギャグ要員なので、負け方も悲惨なものばかりだった。だから、項垂れながらも次こそはと意気込んだタカノシンが、下級戦闘員であるビーブー達の巣に通り掛かると、ミツバチがモチーフであるビーブー達はエフェクトの掛かった甲高い声でタカノシンを非難し始めた。上司が悪いと部下も大変だよねー、などと。そして、少し長めのアバンが終わり、問題の本編が始まった。

 彼らの発言に驚き、よろめいたタカノシンは、野太い泣き声を上げながら、宇宙山賊ビーハントのアジトであり宇宙船であるブラックネスト号から逃げ出した。そして、辿り着いた先が、こぢんまりとしたスーパーマーケットだった。そのスーパーマーケットでは、以前に家出を企てた宇宙妖怪がアルバイトをしていたこともあり、宇宙妖怪に対する敷居はやたらと低かった。だから、所在をなくしたタカノシンがうろついていようと店員も客も咎めない。

 そこに現れたのは、ニンジャファイターとしての武装を解除して素顔に戻っている鬼蜘蛛のヤクモであった。平安時代に命を落とした姫君の魂と女郎蜘蛛の怨念が現代人に転生したという設定なので、ヤクモの私服は和柄のワンピースだった。

 敵も現れないようだから、今日こそは付き合ったばかりの恋人のために手料理でも振る舞ってやろう、とモノローグで語っているが、その恋人と会おうとすると必ず戦闘が始まるので、これは定番と化した前振りである。買い物カゴをぶら下げたヤクモが通り掛かると、タカノシンは逃げ惑い、練り物の陳列棚に追い詰められてしまった。だが、ヤクモはタカノシンに気付いていないのでタカノシンの一人芝居である。戦闘が起きたら店に迷惑が掛かってしまう、とタカノシンは悪役らしからぬ殊勝さで練り物売り場から逃げ出すのだが、その時、懐から妖怪羊羹が転げ落ちてちくわの袋に突き刺さった。妖怪羊羹のラベルには、おどろおどろしい輪入道のイラストが描かれていた。直後、ぼふんと白い煙が立ち、チクワ入道が生まれた。

『どぅーわっあっはははははははははっ!』

 堂々とした振る舞いで、藤原忠が演じるチクワ入道は見得を切る。

『と、とりあえず笑っておけば掴みとしては充分だワ! ワシはチクワ入道だワ!』

 語尾のワが変に上擦っていたのは、藤原なりにキャラ付けをした結果なのだろう。

『だがしかし、ワシは何をすればいいのか解らんのだワ! 誰か教えてくれんのかワ!』

 最後の語尾はかなり強引だった。武蔵野が頬を引きつらせるが、岩龍とりんねは食い入るように見ていた。

『何もしなくてもよろしい! ええいもう、私はまたあの人に会えぬのか!』

 チクワ入道に愚痴混じりの啖呵を切ったのは、鬼蜘蛛のヤクモだ。ニンジャファイターの変身アイテムであり、宇宙妖怪に対抗するための霊力増幅装置である勾玉型のメカが付いたブレスレット、マガタマックスを掲げた。

『ファイターチェーンッジ!』

 その掛け声と共にマガタマックスのボタンを押し、赤い光が放たれると、ヤクモの変身バンクが始まった。着物風のワンピースの上から、ヒヒイロカネを加工して造り上げたアーマーが装着されていき、鬼蜘蛛に相応しい八つの目が付いたヘルメットがヤクモの顔を覆い隠した。ヤクモは見事な宙返りを決め、視聴者に向けて糸を放ってから妖艶なポーズを決めた。

『ニンジャファイター、鬼蜘蛛のヤクモ! 推参!』

『とりあえず外に出るんだワ! と、言ってその場でジャンプするとっ!』

 そう叫びながらチクワ入道がジャンプすると、ヤクモが飛び掛かろうとした。直後、場面が転換し、二人の居場所はスーパーマーケットから河川敷に一瞬で切り替わった。特撮の御約束である。

『妙に広いところに出るんだワ! ふはははははははーっ!』

『待てぇいっ、チクワなんだか輪入道なんだか解らない奴めが!』

 はしゃぎながら河川敷を駆け抜けるチクワ入道を、ヤクモが追い掛けていく。

『ええい、あの人との逢瀬を阻むとは悪辣の極みだ! 必殺っ、糸車!』

 ヤクモは腰に提げていたヨーヨーに似た武器を投げ付け、チクワ入道を白く細い糸で戒める。あっという間に両腕を縛られたチクワ入道は、ぐうっ、と唸ってたたらを踏む。ヤクモは糸を引き絞りながら、チクワ入道を睨む。

『私の純情を踏み躙った罰を受ける覚悟は出来ておるだろうな?』

『出来ているわけないんだワ! そんなもんっ、出来ている方が怖いのワー!』

 そう叫ぶや否や、チクワ入道は両腕を引っこ抜いて自由を取り戻し、河川敷を駆け出した。ちくわが両腕のカバーの役割を果たしていたらしく、本来の両腕はちくわの内部に収納されていたようだった。

『三十六計逃げるにしかずなのだワ! って一度言ってみたかったんだワー!』

『待てぇいっ!』

 ヤクモはチクワ入道を追い掛けるものの、すぐに立ち止まって変身を解いた。そして、チクワ入道が残していった二本の極太で巨大なちくわを見つめた。見るからに作り物ではあるのだが、焼き色といいちくわ本体の色味といい、宇宙妖怪の体の一部ではあるが、どことなくおいしそうだ。ヤクモもそう思ったらしく、チクワ入道の忘れ物を拾うと、遠い目をしながら独り言を言った。

『そうだ……。今夜はあの人に、おでんを作ってあげようぞ』

 そこでAパートは終了し、アイキャッチの後にオモチャのCMが始まった。

「そんでもって、小父貴。ヤクモ姉さんの彼氏はまだ子供じゃろうに、おでんで喜ぶんかいのう?」

 岩龍が武蔵野に尋ねたので、武蔵野は出来る限り素っ気なく答えた。内心では、感想を言いたかったのだが。

「喜ぶだろうさ。あの二人は相思相愛なんだから」

「ほうかいのう? ワシャあ、カレーやらハンバーグやらの方がええと思うんじゃがのう。転生前は立派な御侍さんじゃったかもしれんが、転生後のヤクモの彼氏はまだ十歳じゃろ?」

 岩龍は首を捻っていたが、CMが開けるのを待つためにテレビに向き直った。

「……素敵」

 画面を凝視していたりんねの言葉に、武蔵野は動揺した。

「え? あ、だ、何がだ?」

「決まり切っております。チクワ入道さんです!」

 いつになく力を込めた声を張り、りんねは武蔵野に振り返った。色白な頬が、心なしか紅潮している。

「素敵だとはお思いにならないのですか、巌雄さん? チクワ入道さんが登場するという情報をネット上で目にしたので初めてニンジャファイター・ムラクモを視聴しましたが、チクワ入道さんはレギュラーではないのですね? そうなのですね? 一話限りの怪人なのですね? それはとても惜しいことです、この世の損失です、チクワ入道さんは幹部怪人に昇格して宇宙山賊ビーハントの野望に荷担すべきです、そうはお思いになりませんか!」

 りんねは武蔵野に詰め寄ってきたので、武蔵野はやや臆した。武蔵野の予想としては、ちくわをふざけた怪人にするだなんてちくわに対する冒涜だ、と辛辣な文句を連ねるのだと思っていたのだが、正反対だったとは。

「制作側に掛け合いましょう」

 りんねが携帯電話を取り出して電話を掛けようとしたので、武蔵野は慌ててそれを止めた。これまでの出来事で、吉岡グループとりんねの持つ資本主義の権力を思い知っているから、りんねがスポンサー側に口添えすれば特撮番組の一つや二つ、シナリオを大幅に変更出来てしまうだろう。だが、そんなことをすればこれまで積み重ねてきたストーリーが台無しになるばかりか、ファンが嘆き悲しむ。武蔵野も嘆き悲しむ。

 自分の主観を出来るだけ排除しながら、武蔵野がそういったことを力説すると、りんねは冷静さを取り戻したのか携帯電話をポケットに戻した。Bパートが始まると、りんねは再びテレビを凝視した。余程、チクワ入道が気に入ったのだろう。やはり彼女もまだまだ子供なのだ、と思う反面、チクワ入道のサイボーグアクターが藤原忠だと知ったら、どうなってしまうだろうか。夢を壊されたと怒りを燃やしてニンジャファイター・ムラクモを打ち切りに追い込むのか、チクワ入道に惚れ込んだ自分を否定するのか、チクワ入道そのものだからと藤原忠を吉岡一味に引き入れるのか。いずれにせよ、ろくなことにはなるまい。

 Bパートの終盤に差し掛かると、チクワ入道はニンジャファイター達によって追い詰められるも、タカノシンと合流して戦況を巻き返した。だが、それもほんの一時で、チクワ入道はタカノシンに見捨てられた形で採石場に取り残されてニンジャファイター達と戦わざるを得なくなった程なくしてチクワ入道は必殺技のラッシュを受けて爆砕してしまうが、物陰から様子を窺っていたタカノシンが芋羊羹を投げ付けると、チクワ入道は生き返って巨大化した。しかし、ニンジャファイター側もダイダラーという名の巨大ロボを呼び出して応戦してきたので、チクワ入道は最後の言葉を叫びながら再び爆砕した。御約束の展開の連続だが、特撮番組を見慣れていないりんねには衝撃的な展開だったのか、チクワ入道が爆死した後も、呆然としながらテレビを凝視し続けていた。

 そして、ニンジャファイター・ムラクモの二十四話は終わった。



 チクワ入道が爆死してからというもの、りんねの行動がおかしくなった。

 それまでは日々規則正しく行動し、秒単位でタイムテーブルが組めるほどの完璧な行動パターンが出来上がっていたのだが、ニンジャファイター・ムラクモの放映が終わってからは自室から出てこなくなってしまった。食事時には高守が作った食事を差し入れると器が空になって帰ってきたが、リビングにも顔を出そうとしなかった。何から何までりんねらしからぬことばかりで、武蔵野はすっかり調子が狂ってしまった。

 監視カメラや盗聴器を駆使してりんねの行動を隅から隅まで把握している、鬼無克二にも連絡を取って確認してみたが、自室に籠もったりんねは、一心不乱に読書に耽っているか、何もせずに呆然としているかのどちらかなのだそうだ。実際、物音も話し声も聞こえてこなかった。月曜日になればまともになるだろう、と武蔵野は思っていたのだが、りんねの心の傷は予想以上に深かったのか、週が開けても出てこなかった。


 それから、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、と経過し、気付けば土曜日になっていた。このままでは、りんねは完全に引き籠もってしまうのではないか。たかがチクワ入道が爆死しただけなのに、と、武蔵野は呆れ返ってしまいそうになったが、自分に置き換えて考えてみた。事前情報もなしにレギュラーキャラが死亡したら、自分が思っている以上にショックを受けるに違いない。もしも、それがニンジャファイターの一員であれば。その中でも武蔵野が最も気に入っている、鬼蜘蛛のヤクモが戦死したりしたら。或いは、宇宙山賊ビーハントに拘束されて洗脳されて悪役側に回ってしまったりしたら。一週間か、それ以上は引き摺ってしまうに違いない。だから、武蔵野はりんねの様子を見守ろうと決めた。あまりにもひどいようであれば、実力行使も辞さないが。

「と、いうわけなんだが」

 冷房が効いていても機械熱で蒸し暑い、鬼無のプレハブ小屋を訪れた武蔵野が事の次第を説明すると、大量のパソコンに囲まれている上に数十本のケーブルを己のサイボーグボディに接続している鬼無は、冷ややかな反応を示した。鏡面加工のつるりとしたマスクフェイスではなければ、呆れ顔を浮かべていたことだろう。

「馬ッ鹿じゃないですかー? 御嬢様も、武蔵野さんもー」

「馬鹿とはなんだ、馬鹿とは」

 少し苛立った武蔵野が言い返すと、鬼無は細長い指でぱたぱたとキーボードを叩いた。

「てか、チクワ入道なんて大して受けなかったじゃないですかー。ニンジャファイターの実況スレもそんなに伸びてはいなかったですし、SNSのホットワードにもならなかったし、検索ワードの上位にも昇らなかったレベルの雑魚中の雑魚でザッコザコしすぎる怪人ですよー? スレも立たなかったしー。たぶんソフビにもならないレベルじゃないですかー?」

「お前、お嬢の監視をしながら何をやっているんだ」

「そりゃ決まってますってー、ネットの巡回ですー。今の俺は自宅警備員みたいなもんですからね、盗撮は楽しくてたまらないですけど、映像に動きがあるかどうかはソフトで割り出せるんでー、そのソフトが反応するまでは基本的に退屈なんですよねー。だから、撮り溜めしておいたアニメとかを消化しつつ、ネットをぐるぐるっとー」

「良い身分だな、おい」

 武蔵野が毒突くが、鬼無には嫌味は通じなかった。

「俺もそう思ってますー。新免工業に就職して良かったなー、って」

「で、チクワ入道は置いておいて、あの社長はどうしている」

 冷房が効いているのかいないのか解らないほど暑苦しいので、武蔵野は首筋に滲んだ汗を拭った。

「元気ですよー? あの人、サイボーグの操縦が意外と上手みたいで、チクワ入道みたいなクセの強すぎるボディもちゃんと動かせてましたしねー。もっとも、サイボーグ慣れしていないと脳が死ぬほど疲れちゃうんで、今頃はクールダウンの最中だと思いますよー。各種センサーとの接続を切って精密検査、って段階ですねー。だけど、その合間にメールが来るんですよー。俺のこと、メル友だとでも思ってんでしょうかねー」

「知るか、そんなこと。だが、無下にはしていないだろうな」

「そりゃまあ、書類の上では俺達と同じ実働部隊の隊員扱いですしー、 機嫌を損ねられたらいざっていう時に肝心な仕事をさせられませんからねー。まー、返信の文面は決まり切っていますけどー」

 こんな具合に、と鬼無はノートパソコンのモニターを示したので、武蔵野は身を乗り出した。そこには藤原忠からの情熱的ですらある長文のメールに対する返信が表示されていたが、へー、それは凄いですね、と二行だけだった。ビジネスライクですらない、鬼無のやる気のなさだけが曝け出されている。これで藤原は怒らないのだろうか、と武蔵野は一抹の不安に駆られたが、前後のメールのやり取りに目を通してみると、藤原のテンションの高さと鬼無のテンションの低さは全く変わらなかった。要するに、藤原は鬼無にメールを読んで反応を返してもらいたいわけではなく、メールを送り付けることで満足しているらしい。だから、鬼無の脱力した返信に怒りもしないのだ。

 なんて非生産的な。だが、それで双方がやりやすいならそれでいいのかもしれない、と武蔵野は妥協しつつ、藤原のいきり立つような文面のメールに目を通し続けた。チクワ入道のサイボーグアクターとして撮影現場に向かう前日はハイテンションの極みで、エクスクラメーションマークが全ての行で乱舞していた。これが五十路を過ぎた子持ちの男がしたためるメールなのか、と武蔵野は頭痛すら感じた。伊織はまだしも、その父親は理解しがたい。

「鬼無。今、メールを出せるか」

 武蔵野が言うと、鬼無は首を捻った。フェンシングのフェイスガードを思わせるフェイスカバーが天井を映す。

「そりゃー出せますけどー、あの社長さんに何か御用ですかー?」

「チクワ入道がどうなったのか、聞いてみてくれないか」

「撮影が終わったら、さっさと引き上げて制作会社の倉庫行きだと思うんですけどねぇー。ガワだけ外して。ああいう特殊な形状のサイボーグボディは特注品ですからー、ガワは出来るだけ安く仕上げて中身を使い回せるように改造するのが定番なんですよー。っと」

 鬼無は武蔵野の質問をそのまま書き込んだメールを送信したが、一分もしないうちに返信があった。

「オゥフ、相変わらずの早さー。チャットじゃないんだからなー、もう」

 鬼無はぶつぶつ言いながらも藤原忠からの返信メールを開き、妙に文面の長いメールを読み、要約した。

「えーっとですね、チクワ入道のガワはサイボーグボディごとヒラタ造型の倉庫にあるんだそうですよー。で、これがその倉庫の中の写真だそうですよー」

「お、おお」

 思わず、武蔵野は前のめりになってしまった。それもそのはず、藤原のメールに添付されていた画像にはニンジャファイターシリーズで活躍した怪人達がずらりと並んでいたからだ。初代に登場した幹部怪人を始め、劇場版でしか登場しない怪人のものや、ニンジャファイター自身のサイボーグボディもあった。その中に、チクワ入道がひっそりと佇んでいた。古き良きナパームを使っての撮影を行ったからだろう、両手足に填っているちくわが煤けている。

「お嬢に画像だけでも転送してやるべきか?」

 武蔵野が携帯電話を取り出すと、鬼無は人差し指を曲げて顎に当たる外装を引っ掻いた。

「んー、それはどうでしょうねー?」

「なんでだ、悪いことじゃないだろう」

「悪いことじゃないからこそ、なんか、嫌ぁな予感がするんですよー。って、言ってみたかっただけかもー」

「藤原忠みたいなことを言うな」

 とりあえず画像だけでも保存しておこうと、武蔵野は携帯電話をノートパソコンに近付けた。鬼無は渋りつつも操作し、藤原忠からのメールに添付されていた画像を武蔵野の携帯電話に転送した。

 そして、武蔵野は鬼無が引き籠もっているプレハブ小屋を後にしたが、鬼無は腰を上げることもしなければ見送ろうともしなかった。ローペースのランニングをして別荘に帰還すると、りんねが久し振りにリビングに下りてきていた。いつもと変わらぬ涼やかな面差しで紅茶を傾けていて、身だしなみも整っていた。チクワ入道の一件など、最初からなかったかのようだ。なんだか拍子抜けした武蔵野は、クールダウンしようとキッチンの冷蔵庫を開けた。

 すると、冷蔵庫の中から大量に袋が雪崩れ落ちてきた。ちくわに他ならなかった。全部で五段ある棚は全てちくわに占領されていて、冷凍庫にも、野菜室にも、冷蔵庫の空間という空間がちくわに支配されていた。武蔵野はちくわの山に埋もれていた麦茶のボトルを取り出し、と不安に駆られながら振り返ると、りんねはちくわを御茶請けにして紅茶を飲んでいた。小綺麗なケーキ皿に横たわる斜め切りのちくわは、シュールだった。

「お嬢、それはないだろう」

 武蔵野がげんなりすると、りんねはケーキフォークでちくわを差し、口にした。

「何か問題がございますか、巌雄さん」

「大いにあるだろ! ありすぎて、どこから突っ込んだらいいのか解らないくらいだ!」

 動揺した武蔵野に対し、りんねはちくわを咀嚼した後に紅茶を傾けた。

「ちくわの損失で受けた傷は、ちくわでしか癒せないと判断した結果です」

「なんでそういう理屈になるんだ!」

「ペットを失った飼い主は、再びペットを飼うことで喪失感を癒しているではありませんか」

「ペットロスとチクワ入道を同列に扱うことからしてまず間違っているだろ、間違っているって思ってくれよ!」

「でしたら、ちくわロスという造語を作ってさしあげます」

「そういう問題じゃない!」

「では、どういう問題なのか、仔細に説明なさって下さい」

「説明するだけ馬鹿馬鹿しさが増すだけだ!」

 武蔵野が必死になるも、りんねは意に介さずに、またもちくわで紅茶を飲んだ。アフタヌーンティーでサンドイッチを食べる、ということは武蔵野も知っているが、それとこれとは根本的に異なっている。味を想像するが、どう考えてもちくわと紅茶が馴染まない。魚の風味と塩辛さと、紅茶の香りは相容れない。道子のトンチンカンな味付けの料理といい勝負だ。いや、あんなものと勝負出来るモノがある方がどうかしているのだが。

 これは本格的に拙いことになってきた。今更ながら危機感を覚えた武蔵野は、ちくわの山を冷蔵庫に戻してから、麦茶を呷った。水分が体内に染み渡っていくのを感じ取ってから、自室に戻った。携帯電話の中に保存されているチクワ入道の写真を展開し、これをりんねに見せるべきか否かを迷った。りんねはチクワ入道が作り物であることは解り切っているだろうから、だから何なのですか、と一蹴されるのが関の山だ。だが、りんねを現実に引き戻してやらないことには、今後の仕事にも差し障りが出る。

 武蔵野は汗を流してから着替えると、腹を括った。チクワ入道如きでヤキモキしていることが、そもそも馬鹿らしくてどうしようもないのだから、さっさと事を収束すべきだ。携帯電話をポケットにねじ込んでから再びリビングに入ると、りんねは携帯電話を操作していた。が、武蔵野に気付き、手を止めた。

「巌雄さん、何か御用ですか」

「あのな、お嬢。あいつは」

「今し方、宇宙山賊ビーハントの方々と連絡を取りました。チクワ入道さんの雇用契約についてです」

「……あ?」

 予想の斜め上の展開に武蔵野が答えに窮すると、りんねは満足そうに目を細めた。

「ニンジャファイター・ムラクモがお芝居であることは百も承知です。ですので、チクワ入道さんはストーリーの上では爆死してしまいましたが、現実では生き長らえているのです。異星人を相手に商談を行うのは初めてではありますが、吉岡グループの資金力を持ってすればどうということはありません」

 もう、どうにでもなれ。武蔵野はりんねを説き伏せるのを諦め、再び自室に引き上げた。だが、ニンジャファイター・ムラクモの悪役である宇宙山賊ビーハントと、どうやって連絡を取ったのだろうか。制作会社だろうか、サイボーグアクターだろうか、或いはその所属事務所だろうか。きっと、相手が吉岡グループの社長令嬢だと知って、お情けでりんねと話を合わせてくれたに違いない。大体、宇宙山賊ビーハントが実在しているわけがないのだから。

 もっとも、実在していたならしていたで、是非とも会いたいものだが。



 対する佐々木つばめは、何事もなく一週間を終えた。

 ハルノネットの一件のせいで授業計画が詰まっていたので、半ドンで土曜日も登校したのである。転校してきたばかりの藤原伊織も、欠席することもなければ授業をサボることもなく登校し続けて勉強に勤しんでいた。必要以上は会話しようとしない伊織と、無駄にお喋りな一乗寺が摩擦を起こしかけることは多々あったものの、つばめはそれが過熱する前に二人を引き離した。場合によっては、コジロウの力で物理的に引き離し、事が大きくなる前に阻止していた。おかげで、平穏無事な学校生活が送れていた。

「はい、これ」

 帰り支度を始めた伊織に、つばめは一枚のプリントを差し出した。

「んだよ」

 伊織はそれを受け取ると、触角を片方曲げた。

「夏休み前の家庭訪問のお知らせ、だってさ。何を今更、って感じだけどさ」

 先生は何度も家に上がり込んでるじゃん、とつばめがぼやくと、伊織はあぎとを少し広げた。

「だよな」

「で、今日の授業はどこまで理解出来た?」

「大体は。つか、一度は習ったことばっかりだし。俺にとってはマジ復習だし」

「それなのに、学校に来るの?」

「ウッゼェ」

 途端に伊織は顔を背け、あぎとを噛み締めた。少しでも突っ込んだ質問をすると、すぐにこうだ。つばめは若干残念に思いつつも、通学カバンに折り畳んだプリントを入れた。伊織は寺坂のお下がりである使い古しのショルダーバッグを肩に引っ掛けると、引き戸を開け、一度身を屈めてから廊下に出た。

 窓を見上げると、程なくして伊織が夏の青空に吸い込まれていった。黒い外骨格に覆われた肢体が見事な放物線を描きながら遠ざかっていくと、その着地点の木がかすかに揺れた。それ以降は、目で追えなかった。つばめは暑く湿った梅雨明けの空気が流れ込んでくる窓枠に寄り掛かり、伊織が消えた空を仰いだ。

「可愛くないなぁ」

 つばめが漏らすと、コジロウが平坦に言った。

「藤原伊織は可愛いという評価に値する個体ではないと判断する」

「でも、コジロウは可愛いからいいの」

 つばめが笑むと、コジロウは身動いだ。

「その理由が見受けられない」

「そういうところが可愛い!」

 つばめがコジロウを小突くが、コジロウは戸惑ったのか、やや目線を下げた。可愛い、と評価されても、それに対するリアクションが思い当たらないのだろう。そういった無機質な部分が彼の魅力であり、頑なな態度も一巡すれば愛嬌に変わってしまう。そう思ってしまうと、今まで以上に彼が愛おしくなってくる。身支度を調えたつばめは、戸惑いが処理しきれないコジロウの手を引き、下校した。

 コジロウの硬く太い指は、夏に向かいつつある外気と機械熱を含んで暖まっていた。つばめの体温よりもいくらか高めなので、真夏になったら触れるのを躊躇うほどの高温になるだろう。けれど、そうなったとしても、手を繋ぐのを止めたいとは欠片も思わない。

 手を繋いで登下校するのは、いつのまにか習慣と化しているからだ。最初の頃は、常に傍にいた方が襲われた時も対処しやすいから、と言い訳がましいことを言っていたが、今となってはそんな口実は必要ない。近頃ではコジロウも弁えていて、つばめが手を伸ばすと人差し指と中指だけを伸ばしてくれる。

「先週も今週も、襲われなかったね」

 真昼の高い日差しが、濃く、短い影を生み出している。

「だが、油断は出来ない」

 歩幅が違いすぎるので、コジロウが一歩歩くたびにつばめは二歩歩く。

「まさか、吉岡一味が夏休みに入ったってわけじゃないよねぇ」

「攻勢を緩め、つばめの油断を誘う戦略である可能性も否めない。よって、警戒レベルは下げられない」

「うん。夏休みになったら、一緒に出掛けようね」

「その場合でも同様だ」

「解ってるってぇ。それでも、やりたいこととか行きたい場所とか一杯あるんだ!」

 つばめが繋いだ手を振ると、コジロウは右腕の力を抜いてくれたらしく、つばめの仕草に応じてコジロウの右腕が前後に揺れた。その気遣いが嬉しくて、つばめは頬が緩んできた。パトライトと同じ色の赤いゴーグルアイがつばめを見下ろしていて、滑らかな強化プラスチックには笑顔の少女が映り込んだ。

「で、さ」

 つばめはコジロウの指を一層強く握り締め、目線を彷徨わせた。コジロウは訝しげに、上体を曲げる。

「何だ、つばめ」

「そういうの、つ……」

 付き合ってくれるよね、と言いかけて口籠もり、つばめは意味もなく赤面した。付き合うといっても、それは男女交際のことではなくて行動についての言葉なのに、口にしようと思うだけで照れ臭くなった。コジロウは文面通りの意味でしか捉えないだろうし、つばめの葛藤など知る由もないだろうが、だからこそ余計に羞恥に駆られる。だが、言葉にしなければ、コジロウは解ってくれないのだ。だから、つばめは意を決して言い切った。

「付き合ってくれるよね!?」

 気合いを入れすぎて叫んでしまい、つばめは猛烈に恥ずかしくなってしまった。これでは告白したも同然ではないか。赤面したつばめは俯き、繋いだ手を緩めかけると、コジロウの指が曲がった。つばめの手が外れないようにと人差し指と中指を慎重に曲げ、接続部分に挟まないように位置を調節してくれた。

「了解している」

 腰を屈めてつばめと目線を合わせたコジロウは、逆光でマスクフェイスを翳らせながら頷いた。つばめは更に赤面してきて目眩すら起こしかけたが、意地と根性で踏み止まった。そうと決まれば、コジロウと一緒に出掛けるための計画を立てなければ。嬉しさのあまりに顔が崩れそうなほど笑みが込み上がり、歩調も早まった。

 夏休みはもうすぐだ。



 翌日。武蔵野はりんねに命じられ、一ヶ谷駅に赴いていた。

 無論、宇宙山賊ビーハントの使者と落ち合うためである。りんねらしからぬ行動の連続に戸惑ってはいたものの、ニンジャファイター・ムラクモの関係者であるならば、ムラクモに関する話を聞けるかもしれないとの期待も胸の内で燻っていた。しかし、浮かれてしまっては年長者としての立場もなくなるばかりか、武蔵野巌雄という人間の沽券にすら関わってくる。外人部隊や警備会社という名の傭兵部隊に所属して前線を渡り歩き、至るところに古傷が残る男が特撮番組にうつつを抜かしていいはずがない。現実の生臭さをこれでもかと思い知ってきたのだから、作り物の綺麗事まみれのヒロイズムなど真っ向から否定すべきなのであり、鼻で笑うのが正しい。

 だが、好きなのである。ニンジャファイター・ムラクモを初めて見たのは、遺産の所有者である佐々木長光が死に瀕しているから遺産を所有する組織と一戦交えることになるかもしれない、と新免工業から連絡を受け、紛争地帯から日本に引き揚げてきた時だ。早朝、成田空港に降り立って待合室のテレビを退屈凌ぎに眺めていると、それが始まった。

 ニンジャファイター・ムラクモの第七話で、鬼蜘蛛のヤクモが初登場した話だった。地獄の釜の蓋が開いたことによって宇宙の片隅に生まれた悪の権化、宇宙山賊ビーハントと、その略奪と虐殺を阻止してこの世の平和を守ろうとするニンジャファイター達の間に颯爽と現れたのが、鬼蜘蛛のヤクモであった。当初、彼女は敵か味方か解らないポジションに立っていて、ビーハントの怪人達を倒してしまうとニンジャファイターが取り戻した秘宝を盗み、逃げ去ってしまった。

 なんとなくストーリーの続きが気になった武蔵野は、新免工業が仮住まいとして与えてくれたマンションにて、再びニンジャファイター・ムラクモを見たのだが、鬼蜘蛛のヤクモは秘宝の力を使い、古びた神社の御神体にされていた恋人の魂を解放した。が、霊力を持たない人間に過ぎなかった恋人は、蘇るや否や秘宝の力で暴走し始める。と、同時にビーハントの怪人が秘宝を奪い去っていき、打ちひしがれたヤクモを倒してしまった。

 そこへ登場するのが、正義の味方であるニンジャファイター達である。水神から転生した戦士であるムラクモは穏やかな青年で、ヤクモの失敗を咎めはしたが一途な愛を評価してくれた。他のメンバーは不満げではあったが、ムラクモがそう言うのならと一応許してくれた。

 そして、妖怪だった前世の記憶と共に元々高かった霊力を全て解放したヤクモは、ムラクモからマガタマックスを受け取ってニンジャファイターに変身し、ビーハントの怪人を見事打ち倒したのである。恋人の魂も改めて昇天し、少年に転生した結果、数話後にヤクモと運命的な再会を果たして恋人同士になった。ファンの間ではヤクモ編とも称されている七話から十話は、武蔵野の一番のお気に入りだ。

 どうせ会うなら、その鬼蜘蛛のヤクモがいい。他のニンジャファイター達も格好良いし好きなのだが、ヤクモの魅力には敵わない。転生して間もないために少年となった恋人と再会した、ヤクモの可愛らしさは筆舌に尽くしがたい。などと、どうしようもないことを考えていると、武蔵野の乗っているジープの窓がノックされた。

「……あんたか」

 相手の身分を問い質す前に、武蔵野は全てを理解した。パワーウィンドウを下ろして見上げると、そこにはチクワ入道その人が立っていた。一ヶ谷駅前を行き交う人々は遠巻きにしていて、携帯電話のカメラで撮影してくる人間も少なくなかった。武蔵野はニンジャファイター・ムラクモの関係者に会えないことに落胆したが、顔に出さないように尽力しつつ、改めてチクワ入道を見上げた。

「お嬢があんたのことをやたらと気に入っちまってな」

「ふははははははっ! と、笑っておけばとりあえず格好が付くのは間違いないのだワ!」

 チクワ入道に扮した藤原忠は胸を張ろうとしたが、顔が填った輪に手足が生えた体形なので胸自体がなかった。

「とりあえず、乗れよ」

 武蔵野が後部座席を示すと、チクワ入道は横向きになり、後部座席のドアを開けた。乗り込もうとするが、輪っかの直径の方が後部座席のドアよりも広いらしく、何度入ろうとしてもぶつかってしまい、乗り込めなかった。ううっ、とチクワ入道が情けない声を漏らしたので、武蔵野は運転席から下りた。

「乗れないなら乗れないとさっさと言え!」

「それを言ったら、武蔵野君の沽券に関わるような気がしていたのだワ」

「そのくらいのことで自尊心が傷付くような人生は送っちゃいない。あと、その語尾を止めてくれないか」

「チクワ入道として呼ばれたからには、ワシはチクワ入道として振る舞うべきなのだワ!」

「その割には口調が落ち着いてないぞ。カマっぽくなってきやがった」

「あ、言われてみれば本当なのだワ。ああっ」

 チクワ入道は言われて気付いたが、語尾に合わせた口調の女っぽさを直せなかった。武蔵野は藤原忠扮する宇宙妖怪を別荘まで連れて行かなければならないのかと思うと気が滅入ってきたが、りんねの命令である以上は従う義務がある。そういう雇用契約だからだ。

 その後、武蔵野はチクワ入道をどうにかしてジープに乗せようと奮闘したが、チクワ入道はどうあっても後部座席には入らなかったので、幌を外してトランク部分に座らせた。その結果、幌がないせいで走行中は強烈な風が吹き付けてきてオープンカーのような状態となり、特撮用のサイボーグなのでやたらと重量のあるチクワ入道のせいで後輪が潰れてしまったが、どうにかこうにか走行した。急カーブの多い山道に差し掛かると遠心力に従ってチクワ入道が外に転げ落ちそうになったが、チクワ入道自身の踏ん張りでなんとか持ち堪えた。

 いつもの数十倍も気を遣った運転をしたため、別荘に到着した途端、武蔵野はどっと疲れた。反面、チクワ入道である藤原忠はサイボーグなので肉体的な疲労は一切感じていないどころか、吉岡りんねに会えるのだとはしゃいですらいた。少し前までは商売敵であった相手なのだが、美少女だからか。

「ようこそいらっしゃいました、チクワ入道さん。御苦労様でした、巌雄さん」

 別荘の玄関先では、りんね自ら出迎えてくれた。武蔵野は意外に思いつつも、来客を示した。

「というわけで、連れてきたが」

「ふはははははははっ! ワシこそがチクワ入道なのだワ!」

 チクワ入道は体を傾けながら玄関に入り、ちくわの填った両腕を掲げて己を鼓舞した。

「まあ……」

 悩ましげなため息を漏らしたりんねの表情は恋する乙女のそれだった。ちくわに恋をするなよ、と武蔵野は言ってやりたかったし、その中身は伊織の父親なのだと教えてやりたくもなったが、意地でそれを堪えた。おかげで無意味に力んでしまい、右手に握り締めたイグニッションキーが手のひらに食い込んで痛かった。

「では、こちらへどうぞ」

 天使のような微笑みを浮かべたりんねは、チクワ入道をリビングに導いた。この女も笑うことがあるんだな、だがその相手はちくわで入道でおっさんなのだ、と思うと、武蔵野は不意に笑えてきたがこれも堪えた。

「おお、チクワ入道じゃのう!」

 すると、裏庭で一人遊びをしていた岩龍が戻ってきて、ベランダの窓からリビングを覗き込んできた。チクワ入道は身動ぎかけるも、自分のキャラクターを解り切っているので、チクワ入道らしく切り返した。

「ふははははははっ、我こそは宇宙山賊ビーハントの宇宙妖怪、チクワ入道なのだワ!

 おぬしは何者だワ!」

「ワシャあ岩龍っちゅうんじゃ、よろしゅうのう!」

 岩龍が一つ目のスコープアイのシャッターを狭めると、チクワ入道は頷いた。

「うむ! 宇宙山賊ビーハントの野望はまだまだ潰えていないのだワ! 次こそは、憎きニンジャファイターに痛い目を見せてやるのだワ!」

「その前にワシが叩き潰してやるけぇのう、首を洗って覚悟しとけぇよ、ってビーハントの首領に伝えておいてくれんかのう。ニンジャファイター達がピンチの時は、ワシが正義の味方になっちゃるけぇのう!」

 子供っぽく意気込んだ岩龍に、チクワ入道は癪に障ったのか言い返した。

「正義の味方になんぞならんでもいいのだワ! 大体、君は悪役側のロボットなのだワ! それなのに正義の味方に感情移入するだなんて、万死に値するのだワ! そこに正座するのだワ、悪役の何たるかを外部記憶装置からも溢れるほどにみっちり教え込んでやるのだワ!」

 チクワ入道がベランダの窓を開けて岩龍に詰め寄ろうとすると、りんねがキッチンから戻ってきた。

「チクワ入道さん。粗茶でございますが」

「う、うむ」

 話の腰を折られたチクワ入道は、大好きなニンジャファイターを否定されたことでむっとした岩龍と睨み合いながらもソファーに腰掛けた。道子が暮らしていたこともあって、この別荘の家具はサイボーグにも対応した仕様なので、特に問題はない。あるとすれば、クッションの減りが異様に早くなるぐらいだが。

 上機嫌のりんねが差し出してきたのは、華やかな香りの紅茶とちくわの天ぷらだった。高守に手伝ってもらったのだろうか、からりと揚がっている。これにはさすがにチクワ入道、もとい、藤原忠も戸惑った。不安げに視線を上げて武蔵野を窺ってきたが、武蔵野は素直に喰えと合図した。チクワ入道は覚悟を決めると、太い指でぎこちなくティーカップを持って啜ってから、ちくわの天ぷらを箸で突き刺して口に運んだ。

「旨いのだワ」

 それはそうだろう、りんねのために吉岡グループから送り届けられるちくわは高級品なのだから。武蔵野も何度かりんねに勧められるがままに食べたことがあるが、魚のすり身の味と香ばしさが程良い味わいだった。だから、そのちくわの天ぷらが不味いわけがない。もっとも、道子はそういった素材の味をグルカ兵の如く抹殺していたが。

「チクワ入道さん。私はチクワ入道さんを雇用したいと思いまして、宇宙山賊ビーハントの方々と電話でお話ししたのですが、宇宙山賊ビーハントは山賊であって会社ではないから不可能だ、とのお返事を頂きました」

 りんねは紅茶でちくわの天ぷらを食べながら、残念がった。

「それは仕方ないのだワ。宇宙山賊なのだから」

 チクワ入道もちくわの天ぷらを食べていたが、その様は共食いにしか見えない。

「ですが、個人としての御契約ならいかがでしょうか。お給料は弾みます」

 この程度に、とりんねが契約書を差し出すと、チクワ入道は囓りかけていたちくわを取り落とした。武蔵野もチクワ入道の頭越しに契約書を見、目を疑った。日給、三〇万。月給ではないかと見直したが、やはり日給だった。業務内容は至ってシンプルなもので、遺

 産相続争いに荷担する必要はなく、別荘の住人になってくれるだけでいい、とのことだった。チクワ入道は一旦箸を置いて紅茶を飲み干すと、不意に立ち上がって武蔵野の手を掴んだ。

「御不浄を拝借するのだワ!」

「どうぞ、ごゆっくり」

 りんねに朗らかな笑顔で見送られながら、武蔵野はチクワ入道に引き摺られてリビングを後にした。抵抗出来るほどの余力がなかったのだ。行き着いた先は一階の廊下の奥で、チクワ入道は武蔵野を放り投げてから頭を抱えようとした。が、頭が輪に一体化しているので、輪の上半分を手で掴んだだけだった。

「武蔵野君、これは非常に由々しき事態なのだワ……」

「お嬢の暴走を止められそうにはないが、あんたが雇われるとなると、俺達の側としては悪い話じゃないがな」

 武蔵野は諦観した結果、新免工業の立場と藤原忠の成すべき業務内容に照らし合わせた発言をした。

「だがっ、それだとワシの信念に反するどころか腸捻転を起こすのだワ! 大体、そういう感じのハートフルな展開の役者はワシじゃない奴がするべきなのだワ! だから、ワシは雇われるわけにはいかないのだワ! 御嬢様の手中に収められてから行動に出るだなんて、そんな三文芝居の裏切りはごめんなのだワ!」

 チクワ入道はきっと目を吊り上げた、かのような気持ちで武蔵野を睨み付けてきた。が、武蔵野も睨み返す。

「仕事の効率とあんたの信念、どっちに比重を置くべきか解っているだろう。仮にも管理職だったのならな」

「そんなものは決まり切っているのだワ! 信念のない仕事なんてつまらないのだワ!」

「俺が言いたいのはそういうことじゃない、個人的な価値観を抑えて局面を見通してだな」

「視野を広くしたがために肝心なことを見逃すのはごめんなのだワ!」

「だから……」

 会話は成立しているが、話が通じない。武蔵野が苦々しく思っていると、廊下の窓の外から岩龍が顔を出した。

「小父貴、何をぎゃあぎゃあ騒いどるんじゃ?」

「あー、その、なんだ」

 武蔵野は少し考えてから、要点だけをぼかした説明をした。

「チクワ入道の野郎は、お嬢に雇われたくないんだとよ。お嬢はその気だから、俺は反対するつもりはないんだが」

「ワシもごめんじゃけぇ。ニンジャファイターを倒そうとする奴なんかと、一緒に仕事はしたくないけぇのう」

 岩龍は目を据わらせ、チクワ入道に凄んできた。が、チクワ入道は怯まない。

「ワシだって口調が若干被っている奴と馴れ合うのは嫌なのだワ!」

 窓越しに睨みを利かせている人型重機とチクワ入道は、あまりにも可笑しかった。どちらも真剣であるからこそ、奇妙極まりない。武蔵野はまたも表情を押し殺すと、深呼吸して気分を落ち着けてから考えた。チクワ入道に扮している藤原忠が吉岡一味に加わり、りんねの寵愛を受けるようになってくれれば、新免工業の今後の攻勢が非常にやりやすくなる。藤原忠は息子である伊織を己の手で始末することを望んでおり、伊織を挑発して、誘き出したいがためにりんねも手に掛けようと目論んでいる。りんねと伊織を始末出来れば、新免工業は佐々木つばめとコジロウに戦力を集中出来る。そうすれば、確実に新免工業の目的が果たせる。

 新免工業と契約を結び、特注品の戦闘サイボーグとなって戦うと決めたからには、新免工業側の決めたシナリオに従って動いてもらわなければ支障が出る。藤原忠の意を汲んだ作戦でもあるのだから、尚更だ。ちくわに焦がれるりんねの気持ちを利用するようで若干気が咎めるが、それはそれだ。あくまでも仕事なのだから。

「でしたら、こうしたらいかがでしょう」

 不意に声を掛けられ、武蔵野とチクワ入道がぎょっとして振り返ると、にこやかなりんねが立っていた。

「チクワ入道さんは常人の理解を超えた存在ですから、この世界での物理的法則は通用いたしません。ヒヒイロカネを使用して生み出された武器でなければ、宇宙妖怪にはダメージを与えられないことから察するに、チクワ入道さんは異次元宇宙に存在しているものとみていいでしょう。ですので、試用期間を設けて、コジロウさんと戦って頂こうと考えました。宇宙妖怪は通常兵器が通用しないのですから、コジロウさんと一戦交えられても平気でしょうし」

 それはあくまでも劇中の設定であって、現実とは無関係なのだが。武蔵野はサイボーグ化したばかりで実戦経験が皆無の藤原忠のためにもそう言ってやりたかった。ここで無理をして、補助AIと機体に過負荷を掛けた挙げ句にフィードバックしたダメージで脳に損傷を受けでもしたら後が面倒だからだ。だが、チクワ入道に成り切っている藤原忠は一歩も引かないどころか、りんねの申し出を受けた。

「やってやろうじゃないのだワ!」

「まあ、なんて頼もしい御言葉でしょうか」

 りんねがうっとりと目を細めると、ふはははははっ、とチクワ入道は無意味に高笑いした。これで、もう引っ込みすら付かなくなった。しかし、チクワ入道がコジロウと戦って無事でいられるものか。きっと、武蔵野はその茶番劇にも付き合わなければならないのだろう。一発でKOされる様が目に浮かぶようである。りんねはと言えば、チクワ入道の一挙手一投足に悩ましげなため息を零している。だが、ちくわだ。輪入道だ。そして、おっさんなのだ。

 何一つ理解すべきではない、ということだけは理解出来た。



 更に翌日。

 山盛りのちくわを頬張ってはいたが、りんねの表情は冴えなかった。それもそのはず、コジロウに襲い掛からせたチクワ入道は、コジロウが振り下ろした鮮やかなチョップで倒されてしまったからである。そもそもチクワ入道は実戦向きではないサイボーグなのであり、遺産による絶大なパワーと数々の戦闘経験を持つコジロウが相手では勝負にすらならないことは解り切っていた。だが、りんねは譲らなかったし、チクワ入道自身も引かなかった。その結果が、この有様である。武蔵野は賞味期限が近付きつつあるちくわを機械的に消化しながら、リビングに目をやった。

 そこには、コジロウのチョップで真っ二つにされたチクワ入道のサイボーグボディが転がっていた。藤原忠の生身の脳が収まっているブレインケースは、駆動部分の配置の都合で左寄りになっていたので無傷だった。藤原忠の正体が知れると困るので、武蔵野は早々にブレインケースを回収して新免工業のサイボーグ技術部に届けたのだが、問題はチクワ入道のサイボーグボディだった。りんねが頑なに回収を拒み、別荘に持ち帰ったのだ。もちろん、製造元であるヒラタ造型に掛け合って即金で買い上げた。

「儚い恋でした……」

 切なげに睫毛を伏せたりんねに、武蔵野は咳き込んだ。

「こ、恋だったのかぁ!?」

「全てに置いて理想の御方でした。ああ、それなのに」

「おいおい」

 武蔵野が頬を引きつらせると、りんねは一度瞬きした後、口調を改めた。

「と、つばめさんの言動を元にした行動パターンを取ってみましたが、あまり参考にはなりませんでした。私が愛して止まないちくわを原型に作られたチクワ入道さんでなら、と思ったのですが、成果は上がりませんでした」

「……おいおい」

 では、今までの言動は。武蔵野が同じ言葉を繰り返すと、いつもの澄まし顔に戻ったりんねはちくわを囓った。

「まさか、私が本気であのような行動に出たとお思いなのですか?」

 嘘に見えなかったのだが、と武蔵野は言いかけたが、ちくわと共に飲み込んだ。

「先日のアマラの一件の切っ掛けとなった、美作彰さんの桑原れんげに対する妄執にも言えることではありますが、無機物、或いは概念に偏愛を抱く経緯と理由と心境のいずれもが理解しがたかったのです。一個の人格を持った人間であればまだしも、美作彰さんは概念の固まりである桑原れんげに己の概念を乗算した結果、道子さんに己の妄執を強要するに至りました。人間の行動理念は不可解なものばかりではありますが、突出して理解出来ない事象でした。ですが、人間の心理構造について知るためには不可欠だと判断しましたので、常日頃から理解しがたいと思っている、つばめさんのコジロウさんに対する言動をトレースして自分なりにアレンジを加え、演じてみたのですが、一層不可解さが増しただけでした。無益な時間を過ごしてしまいましたね」

 りんねは甘辛く煮付けられたちくわを箸で切り、囓った。

「……む」

 背を丸めて朝食を食べていた高守も同意したのか、小さく頷いた。

「ですが、巌雄さんはどうお思いになりましたか?

 巌雄さんは年齢を重ねておられますので、男女経験はそれなりにおありですよね?

 私は恋愛感情に振り回されるつもりはありませんし、そもそも異性にそういった感情を覚えることはありませんし、繁殖を目的としない性交は一切行わないつもりですので、男女の機微を感じ取れるような経験も主観も持ち合わせていないのです。ですので、巌雄さんの御感想を窺いたいのですが」

 ちくわの輪切りがたっぷりと混ぜ込まれた炊き込みご飯を盛った茶碗を持ち、りんねは武蔵野に話を振った。

「俺か?」

 ストレートな質問に武蔵野が少々慌てると、りんねは醤油と出汁の染みた御飯を口にする。

「ええ、そうです。他に誰がいらっしゃいますか? もっとも、風俗店で春を売る女性達しか相手にしたことがないのでしたら、質問自体をなかったことにいたしますが」

「大人を馬鹿にするもんじゃない」

 武蔵野はりんねの言葉のきつさに辟易しつつも、冷めた緑茶を傾けた。恋の記憶、と言われて思い出せるのは、彼女のことだけだ。それ以前に感じた薄っぺらい恋慕や、性欲に由来する感情の揺らぎなんて、子供騙しもいいところだった。本物の恋と呼べる感情は、彼女に対するものしかない。

「惚れようと思って惚れられるようなものじゃない。手を出すべきじゃない相手ほど、いい女に見えちまうんだ。それに気付いた時には、もうお終いなんだ。振りをしているうちにその気になることもあるかもしれないが、所詮はごっこ遊びだから、熱が上がるのも早いが冷めるのも早い。だから、お嬢が実験してみたことは間違いじゃないんだが、それじゃ解るものも解らねぇよ。だが、なんでお嬢は佐々木つばめの真似をしようと思ったんだ?」

 先程の腹いせも込め、武蔵野はりんねを見返す。だが、りんねが動じるはずもない。

「今後の業務を執り行いやすくするためです。それ以外の理由が必要ですか?」

「出来れば、あってほしいね」

 武蔵野はそう言い捨て、朝食に戻った。飽きもせずにちくわを食べ続けるりんねを視界の隅に入れていると、彼女の横顔と重なり合いそうになる。何度忘れようとしただろう、何度振り切ろうとしただろう、何度思いを遂げようとしただろう。だが、その度に武蔵野は自分を制してきた。それが自分の役割であり、仕事であり、立場なのだと解っていたからだ。どこかで一歩でも踏み外していたら、今の状況はない。

 その選択が正しかったのか否かは、これから判断が付く。過去が未来に報いるのか、過去が未来を裏切るのか。いずれにせよ、正しかったのだと信じて進んでいくしかない。藤原忠のブレインケースが新免工業に届いたのならば、あの男は巨体の戦闘サイボーグとして生まれ変わって、遺産相続争いに絡む戦いに躍り出てくる。一度倒れたドミノを止める術はない。どこまでも、崩れ落ちていくだけだ。

 今度こそ、止めてはいけない。

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