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機動駐在コジロウ  作者: あるてみす
 

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20/69

論よりシャウト

 土曜日の早朝。

 鋼鉄製の足が、軽快なステップワークを刻む。

 前方に踏み込んだかと思えば素早く後退し、適度な間合いを取る。土木作業用のアームを転用した二本の腕が空を切り、風が重たく唸る。人間味のない角張ったマスクフェイスは顎を引いているために翳り、ゴーグル型の青いスコープアイには威圧感さえ宿っていた。踏み込むタイミングに合わせて分厚いかかとを浮かせ、コンクリートの床に書かれた十五メートル四方の四角い枠の中で飛び跳ねる。

 汗の代わりに関節からオイルの小さな雫が散り、吐息の代わりに熱い排気が漏れる。人型重機の大型のボディから、スクラップの寄せ集めである人間大のボディに人工知能を移したロボットは、本来の用途からは懸け離れた格闘性能をこれでもかと見せつけてくれた。キレのある鋭いパンチに抉り込むようなアッパー、基本中の基本であるジャブ、関節の駆動域を生かし切ったしなやかな軌道を描くフック。ロボット賭博を目的とした地下闘技場で、長らくチャンピオンの座を守り続けていただけのことはある。だが、今後、それが何の役に立つのやら。

 そんな疑問を抱きながら、羽部鏡一はレイガンドーのトレーニング風景を眺めていた。総合格闘技の教本を手にしてレイガンドーに指示をしている小倉美月は、今までになく生き生きしていた。目の輝きが、声の張りが、身振りの大きさが違う。母親とその親族から弐天逸流の信仰を強要されていた時とは、別人のようだった。

「暖気は済んだぞ、美月。次は俺に何をさせたい?」

 レイガンドーは関節から排気を行ってから、リングに似せた四角形の中を軽く駆けて移動し、コーナーにいる美月の元に近付いた。美月は教本を捲っていたが、唸る。

「んー……。必殺技の一つや二つ、作っておきたいんだけど、何がいいのかなーって思って」

「世界でも目指そうってのか? いいぜ、俺はどこまでも付き合ってやる」

 レイガンドーは軽く笑うと、腰を曲げて美月の手元を覗き込んだ。警官ロボットであるコジロウよりも体格が大きく、二メートル半はある。外装の色は決めかねているのか未塗装の部分が多く、細かな傷が付いた銀色の合金が早朝の日差しを撥ねて輝いていた。それがやたらと眩しく、羽部は顔をしかめながら目を細めた。

「羽部さーんっ」

 美月はサイドテールの髪を揺らしながら駆け寄ってきたので、羽部は面倒臭がりながらも答えた。

「なんだよ、この僕に」

「レイの必殺技、どうしようかなーって思って。何がいいと思いますか?」

「何って、この僕は格闘技なんてものは嗜んだことすらないよ。見たこともないよ。アテにしないでくれる?」

「でも、毎朝外に出て、レイのトレーニングを見に来てくれるじゃないですか」

「そりゃ、この僕は体温が低めだから、日光にでも当てないと優れすぎる脳が動き出さないからだよ。この僕の秀逸な知性がなければ世界は多いな損失を被ることになるからね。ついでに言えばこの家で一番日当たりが良いのは、奇しくも君とレイガンドーが世にも下らないトレーニングを行う作業場前の広場なんだよ。そうでもなかったら、君達のことなんて視界にも入れたくもないよ」

 羽部はまだ冴えていない頭を押さえつつ、いつものように言い放った。アソウギを用いて生み出された怪人は合成された生物の能力を十二分に得る代わりに、その生物の弱点も得てしまう。だから、羽部も低温動物のような体質になってしまったのである。体温が下がりすぎると新陳代謝が著しく低下して冬眠状態に陥る危険性もあるが、ヘビを飼っていた経験があるのでその辺りのノウハウは身に付いている。

「相変わらずだな」

 美月の背後に近付いてきたレイガンドーは腰を曲げ、羽部を見下ろしてきた。羽部はそれを見返す。

「なんだよ、文句でもあるなら言ってみたらどう? ロボット如きに負けるほど、僕の語彙は少なくないよ?」

「文句はないさ。あんたは俺を動けるようにしてくれたばかりか、美月を助けてくれた。だから、それ相応の礼を返すのが道理ってもんだしな。それに、俺はあんたのその底なしの自信が嫌いじゃないんだぜ?」

「は?」

「そこまで自分を買い被れるってことは、それだけ自分に力があるって認めていることだし。実際、羽部さんって凄く頭がいいですしね。私がネット通販で買い付けようとしたレイの部品の性能と値段を比較してくれたし、組み上げる時もどこの部品をどう繋げたら効率良く動力を伝えられるようになるかをちゃんと調べてくれたし。私一人だったら、こんなに効率良くレイを組み上げることなんて出来なかったかもしれません」

 はにかんだ美月に、羽部は居たたまれなくなって目を逸らした。

「ただの暇潰しだよ、そんなの。大体、設計図だけ読めても何の意味もないからね? パワーゲインの計算式だってろくに扱えない君が、人型ロボットを組み上げようってことからしてまず無茶なんだよ。部品の買い付けにしたって、機械部品の相場も知らないのに相手の言い値で買おうとするから、この僕が手を出してやったんじゃないか。馬鹿に無駄金を落とすなんて、それこそ馬鹿の極みじゃないか。解り切ったことだよ」

 どうしてこう、この二人はプラス思考なのだろう。羽部は美月とレイガンドーの種族の違う姉弟を横目で見、苦虫を噛み潰したような顔をした。人の神経に障ることを敢えて口にしている羽部に対して、いちいち好意的な解釈をするような人間とロボットと接するのは生まれて初めてだ。だが、それを嬉しいだなんて思ったことはない。そもそも羽部は他人に好かれるような人間でないことを自覚しているから、好かれないように、心地良い孤独を手に入れるために上から目線に徹している節がある。だから、美月の住まう美作家に来ても態度は一切変えずに、自分がやりたいようにやってきた。美月とレイガンドーの扱いが良くなるように、美月の母親とその親族に口添えしたのは、羽部を拾ってくれた弐天逸流からの依頼であって、れっきとした仕事なのだ。だから、美月がどう思っていようが、羽部は美月とレイガンドーに対して何も思っていない。そもそも、何か思うような相手ではない。

「でも、佐々木さんのコジロウ君って見るからに強そうだし、手合わせするんだったらそれなりに格好が付く技がないとダメかなーって思っちゃって」

 美月はひどく難しい顔をして、教本を開いてみせた。羽部は、丁寧に図解されている打撃技を見やる。

「何だよ、コジロウと殺し合いでもするの? 止めておいた方がいいよ、あれは勝てる相手じゃない」

「羽部さんってコジロウ君も知っているんですか? って、ああ、そうか、佐々木さんと知り合いならそれが当たり前だよね。で、コジロウ君ってどういう感じの格闘プログラムがインストールされているのか解りますか? 普通の警官ロボットなら柔道を応用したプログラムがインストールされているんですけど、コジロウ君は佐々木さんの個人所有のロボットだから、違うんじゃないかなーって。他国の軍用ロボットを転用したのだとしたら、その国の軍の格闘術がそっくりそのまま入っているだろうから、型に填ったボクシングとかじゃ太刀打ち出来ないだろうし」

「この僕は見ての通りの知的階級なんだから、そんな野蛮なことを知っているわけがないじゃないか」

「ですよねー」

 美月は残念がりながらも引き下がり、教本を閉じた。羽部は体温が上がってきたので、母屋に踵を返す。

「適当なところで切り上げて朝食を摂りなよ。でないと、君の母親がまたうるさいからね」

「あ、そうだ。羽部さんって車を運転出来ますか?」

「そりゃあ、まあ。一般教養としてね」

「今日はお母さんも叔父さん達も出かけちゃうから、送ってくれませんか。羽部さんの車は、その、あの変な宗教の人が持ってきてくれたのがあるし。でも、無理にとは言いませんから。本当に」

 美月は教本を胸に抱え、笑顔を顔に貼り付けた。それが癪に障り、羽部は鋭く言う。

「この僕に命令しようだなんて良い身分じゃないか。なんでこの僕が君なんかの足になってくれるとでも思うんだよ、思い上がるのもいい加減にしてくれる? あと、その顔は止めてくれないか、心底苛々するんだよね。この僕の機嫌を窺ったところで、君の母親とその親戚みたいに上手くいくわけがないじゃないか。下手に出ていれば手玉に取れるだなんて考えない方がいいよ、次はないからね」

「あ、いや、そんなつもりは、全然……」

 美月は俯くが、その顔には笑顔がこびり付いていた。レイガンドーは美月の傍に寄り、大きな手で背を支える。

「気にするな、早めに家を出て歩いていけばいい。な、美月」

「うん。ごめんなさい、そうします」

 美月は一礼すると、足早に駆けていった。レイガンドーは羽部を一瞥した後、ガレージに戻って自力で充電を行い始めた。羽部は母屋に戻って一旦二階の自室に戻ると、組み上げたばかりのパソコンを起動させ、弐天逸流宛に美月とレイガンドーの行動を簡潔に書き記したメールを送付した。

 家庭環境が一変し、父親は賭け事で身を滅ぼし、母親は宗教に執心し、自分を蔑ろにしているのだから、美月が自己防衛のために当たり障りのない態度を取るのは当然のことかもしれない。けれど、そんな薄っぺらい盾では、自分すらも守れまい。羽部も過去に他人に対して柔らかい態度を取ってみたことがあったが、気色悪いと言われて一層遠ざけられただけだった。美月は外見は無難だが、地元の子供とは言葉も違えば習慣も違うばかりか、趣味が中学生女子のものからは懸け離れているので、この土地には馴染めないだろう。だから、自衛しようとする。

 それから小一時間後、美月は身支度を調えてレイガンドーと共に外出した。行き先は市街地から離れているので、子供の足ではかなり時間が掛かるはずである。レイガンドーは人間を乗せて歩くように設計されていないから、美月の助けにはならないだろう。そもそも、なんで美月はあんな辺鄙な場所を待ち合わせ場所に選んだのだ。

「選りに選って、あのドライブインなんて指定するんだよ。馬鹿じゃないの?」

 昨夜、美月は佐々木つばめと遊ぶ約束を取り付けた。羽部が話を振ってやると、美月は余程嬉しかったのか嬉々として待ち合わせ場所まで話してくれたのだが、それは一ヶ谷市内の繁華街でもなければジャスカですらなく、船島集落に行く道中にある寂れたドライブインだ。佐々木つばめの側からすれば近場ではあるが、市街地からいくらか離れた場所に住んでいる美月にとっては十数キロ先の場所だ。下手をすれば、日が暮れても辿り着けないかもしれない。途中でレイガンドーのバッテリーが切れたら、どうするつもりなのだろうか。もしも道中で他の勢力に捕獲されて佐々木つばめを強請る道具にされでもしたら、回収する手間が増えてしまう。

「ああもう、面倒臭い!」

 羽部は雑然としたパソコンデスクの片隅に引っ掛けてあったイグニッションキーを取り、吟味に吟味を重ねた服装に着替え、朝食を囲む美作家の人々に適当な言い訳をしてから家を出た。ガレージには納車されたばかりの新車が収まっていて、羽部に運転される時を待ち構えていた。アストンマーチン・DB7、ヴァンテージ・ヴォランテ。

「派っ手」

 渋いダークグリーンのオープンカーは、隣り合って駐車している軽トラックとトラクターを威嚇している猛獣であるかのようだった。弐天逸流には納車する前にそれなりに注文を付けたのだが、まさか二つ返事でスポーツカーを持ってきてくれるとは思ってもみなかった。新興宗教って儲かるんだねぇ、と余計なことを考えてしまう。

 回転の良いエンジンを空吹かしして暖機しながら、羽部は怪人体の自分の体色にどことなく似ているスポーツカーのボンネットを見下ろした。天井にはレイガンドーを吊り下げて整備するためのフックとチェーンがあり、ガレージの三分の一はレイガンドーの部品や工具が山積みになっていて、滑らかな車体にそれらが写り込んでいる。それらを見ていると、いかにレイガンドーが美月に愛されているのかを実感し、にわかに胸が悪くなった。

 苛立ちに任せ、羽部はアクセルを踏み込んだ。



 本当に、これで良かったのだろうか。

 寂れたドライブインの自動販売機コーナーで、赤いビニールカバーが破れかけている丸椅子に腰掛け、つばめは小倉美月の到着を待ち侘びていた。コジロウは出入り口に控えていて、外の様子を絶えず窺っている。桑原れんげは先程自動販売機で買ったアイスクリームを食べていて、満足げに頬を緩めている。

 つばめは腕時計を見やり、約束の時間まで十五分ほどの余裕があることを確かめた。今からでも待ち合わせの場所を変更しようか、と、隅っこに追いやられているレトロな硬貨投入式の公衆電話を窺うが、美月が本当にこちらに向かっているのであればここから動くべきではない。だが、普通の感覚であったら、古臭いドライブインなどではなく、一ヶ谷市内の繁華街かジャスカを指定するだろう。待ち合わせて会ったとしても遊び場なんてないし、佐々木家に美月を招いたとしてもゲーム機の類は一切ないし、妙なことをすれば美月が政府関係者にしょっ引かれてしまうかもしれないし。美月の考えがさっぱり解らず、つばめは悶々としていた。

「何だかなぁー……」

 やはり、美月は吉岡りんね側の人間なのだろうか。そう考えると、わざわざドライブインを指定した理由も見当が付く。レイガンドーを使って奇襲攻撃を仕掛け、つばめを確保するつもりなのだ。だが、美月と出会った時の様子と待ち合わせする時の口振りは至って普通で、悪巧みをしているようには見えなかった。となると、美月はりんねとは縁が切れている、と考えるべきなのだろうか。だが、美月とは生まれて初めて対等な友達になれそうなのに、敵対するだなんて嫌だ。けれど、これまでの経験が危機感を煽り立ててくる。

「いいじゃないの、美月ちゃんのやりたいようにやらせてあげれば。こういう辺鄙な場所じゃないと、つばめちゃんも美月ちゃんも思い切ったお喋りなんて出来ないだろうし」

 れんげは逆円錐型のワッフルコーンに包まれている抹茶アイスを舐め取り、にんまりした。

「そりゃそうだけどさぁ」

 れんげの言うことも尤もではあるが、釈然としない。れんげが食べる様がとてもおいしそうなので、つばめは自分もアイスクリームを買おうかと悩んだが、結局買わないことにした。梅雨の入りなので、少し肌寒いからでもある。

「つばめ」

 磨りガラスの填ったスチール製の引き戸の前に立っていたコジロウが振り向いたので、つばめは反応した。

「ん、なあに?」

「車両の接近を確認」

「どうせ、また寺坂さんが適当に車を転がしてんでしょ?」

 GTカー特有の鋭いエンジン音を耳にしてつばめは毒突いたが、コジロウは否定した。

「いや、違う。寺坂住職の所有する車両のエンジン音ではない」

「えぇー、そうかなー」

 そう言われても、スポーツカーのエンジン音の違いなんてつばめにはさっぱり解らない。コジロウは身構えて戦闘態勢を取ったが、件のエンジン音はドライブインに近付く前に止まり、ドアが開閉する音の後にロボットの駆動音が聞こえてきた。しばしの間の後、それらはドライブインの敷地内に入ってきた。

 つばめはコジロウを伴って外に出ると、見慣れないロボットを伴った美月が息を弾ませて駆けてきた。パーカーにハーフパンツ姿の美月はサイドテールの髪を元気良く揺らしながら、大きく手を振ってみせた。その背後にいる人型ロボットも美月と同じ仕草で手を振ってきたので、つばめが思わず振り返すと、コジロウもそれを真似た。

「佐々木さーんっ!」

「小倉さん、久し振り」

 駆け寄ってきた美月につばめが笑みを向けると、美月は立ち止まり、笑みを返してきた。

「これがレイガンドー! 私のお兄ちゃんみたいなもん!」

「初めまして、佐々木のお嬢さんにコジロウ。俺は今し方御紹介に与ったレイガンドーだ、以後よろしく」

 人型ロボット、レイガンドーは腰を曲げ、つばめと目線を合わせてきた。ジャンクの寄せ集めで完成させたであろう機体は不格好ではあったが、所々露出しているシリンダーが荒々しい力強さを窺わせた。マスクフェイスはコジロウよりも型が古いのか、滑らかさはなく、顔を覆う盾と言うべき形状だ。合成音声はコジロウよりもいくらか年上に設定されているようで、口調も相まって二十代後半の男性のような印象を受ける。

「未成年による人型ロボットの個人所有は法律によって認められていない」

 コジロウは一歩前に踏み出ると、冷徹に言い放った。美月がぎくりとすると、レイガンドーが言い返した。

「出会い頭に随分な御挨拶だな、公僕さん。だが、俺はちゃんと許可を得て稼働しているロボットなんだぞ? 見てみろ、正式な電子文書だ。弁護士の立ち会いの下で美月の親父さんの財産を切り分ける時に、きっちりと名義変更してもらったものなんだ」

 レイガンドーは分厚い外装に覆われた手を広げ、そこにゴーグルアイから投影したホログラフィーを浮かばせる。コジロウは辛辣さえ感じるほど真っ直ぐな視線でその電子文書を見据えたので、つばめはかかとを上げて電子文書を覗き込んでみた。確かにレイガンドーの言う通り、美月がレイガンドーを所有することを許可するという書面が記載されていた。美月の父親であろう小倉貞利から小倉美月に名義変更した経緯もきちんと書いてあり、これならば文句の付けようがあるまい。そう思いながら、つばめはコジロウを見上げた。

「だってさ。だから、あんまり固いこと言っちゃダメだよ」

「……了解した」

 何か言いたげな間の後、コジロウは了承して一歩身を引いた。

「凄ーい、これがレイガンドー? 格好いいね、美月ちゃん!」

 抹茶アイスを食べ終えて手を洗ったのか、れんげがハンカチで手を拭いながら外に出てきた。

「でしょー? ほら見てよ、この両足のサスペンション! デモンストレーション用の軍用機が解体されて放出された部品をネットオークションで買い付けて使ってみたんだけど、具合がいいの! レイはバッテリーを大型にしたから、体重が一〇〇キロを超えちゃったんだけど、このサスならバッチリなんだ! それだけじゃないんだよ、体重移動で発生する運動エネルギーをフィードバックさせて発電させてバッテリーに戻して充電出来る装置も付けたから、余程無茶な動きさえさせなければ、計算上では無充電で十五時間は稼働出来るんだ!」

 それでねそれでね、と美月は興奮しながらまくしたてるが、れんげはにこにこしているだけだった。わー凄いねー、格好良いー、としか言わなかったが、美月は自慢出来るだけでも満足なのか延々と喋り続けていた。つばめは美月の情熱が溢れ返っている話を聞き流しつつ、レイガンドーを眺めた。コジロウ以外の人型ロボットと向き合うのは、これが初めてかもしれない。吉岡一味の設楽道子はフルサイボーグなので、その範疇には入らない。

「何だ、お嬢さん。警官ロボットを持っているってのに、俺が珍しいのか?」

 レイガンドーは片膝を付き、つばめと目線を合わせてきた。そのマスクフェイスを真っ向から捉え、つばめは一瞬戸惑った。コジロウに初めて会った時と同じような感覚を抱くのではないか、と危惧してしまったからだ。だが、少し間を置いても心は跳ねず、胸が痛くなることもなかったので、やはりコジロウだけが特別なのだろう。それを知って安堵する一方、レイガンドーと至近距離で向き合っていてもノーリアクションのコジロウに対し、若干の不満を抱いてしまった。我ながら面倒臭い性分である。

「ん……?」

 すると、レイガンドーが首を傾げた。つばめもそれに釣られ、首を傾げる。

「なあに? どうかしたの?」

「お嬢さんと俺が会うのは、これが初めてなのか? それにしちゃ、俺の対人情報履歴が反応するんだが」

 人間の語彙で言えば、既視感がある、といったところだろう。

「それ、気のせいじゃない? だって、コジロウと会うまではまともにロボットと接したことはなかったもん」

「もしかすると、俺が地下闘技場で戦うようになる前に出た現場で見かけた、ってことかもしれないな。いや、そうだとすると顔認証の履歴がある理由が解らねぇな。お嬢ちゃんは地下闘技場に来て賭け事に興じるような年頃でも育ちでもなさそうだし。だとすると……もしかして、あいつのせいか?」

「あいつって?」

「ああ、そいつはな……」

 と、レイガンドーが説明を始めようとしたところ、つばめは美月のお喋りが止まっていることに気付いた。ふと彼女を見やると、にこにこしているが気まずげなれんげの傍らで、美月がつばめを凝視していた。その眼差しには友人に対する親しみもなければ暖かみも含まれておらず、突き刺さるような敵意が漲っていた。もう一つの視線に気付いて顔を上げると、コジロウもまたつばめを注視していた。こちらはレイガンドーに対する警戒心が籠もっていた。

 山間から、暗雲が垂れ込めてきた。



 山間部では、雨が降ると電波状況が悪くなる。

 山奥の別荘では、それが顕著である。たとえテレビ放送の電波が地上デジタル化されていようと、地形が原因の電波不良ばかりはどうにもならないからだ。吉岡一味の別荘の住人達はテレビにはそれほど執着を持たない人間が多いので、これまではテレビの映りが悪かろうが文句の一つも起きなかった。今はいない藤原伊織と羽部鏡一にしても、テレビはあまり好いてはいなかった。皆が皆、ぼんやりとテレビを見ているぐらいなら、それぞれがやるべき仕事に集中すべきだと考えているからだ。だが、彼だけは違っていた。

 前触れもなく沸き上がった暗雲から降り出した雨を避けるためにブルーシートを被った岩龍は、二階のベランダの窓越しにリビングにある大型液晶テレビを見つめていた。有機エレクトロルミネッセンスによる鮮やかな発色の画面の中では、人命救助のために開発された人型ロボットが外宇宙から飛来した異星体と戦うという一昔前のアニメをデジタルリマスターしたものが放映されていたが、肝心な場面で音声が途切れて映像にブロックノイズが発生した。それも一度や二度ではなく、見栄えのするシーンになった頃合いを見計らったかのように途切れるのである。それを見続けている岩龍は、思考回路に嫌な電流が走っていた。人間で言うところの苛立ちだ。

「どうしてこう、合体シーンの度に電波が途切れるんじゃい!」

 岩龍がいきり立って両腕を振り上げると、テレビの近くを通り掛かった武蔵野がぎょっとした。

「何だ、いきなり」

「どうもこうもない! お天道様はワシが面白うモンを見るんを邪魔しとるんじゃい!」

 リングに入場するボクサーがガウンを脱ぐように豪快にブルーシートを払った岩龍は、蒸気を噴き出した。

「そんなわけがあるか。落ち着け」

 武蔵野が呆れると、岩龍は地団駄を踏む代わりにキャタピラを回転させ、泥を跳ね上げた。

「ええいもうっ! アニメでも見とらんと、退屈で退屈でシャットダウンしそうなんじゃい!」

「いいから、落ち着け。まずは深呼吸、じゃない、吸排気して廃熱しろ。で、電圧を下げろ。解ったな」

 武蔵野はベランダの窓を開けて宥めるが、岩龍は顔を背けた。

「そんなんでワシのアイドリングが治まるわけがないんじゃい!」

「何の騒ぎですか、岩龍さん」

 三階から下りてきたりんねは、眉間に少しばかりシワを寄せていた。岩龍はテレビを指す。

「テレビの映りがブチ悪うてのう、ワシの見たいモンがよう見れんのんじゃい」

「テレビですかぁーん?」

 キッチンから出てきた道子は、相変わらず映像がざらついているテレビと岩龍を見比べる。

「そんな単純な電波なんてぇーん、岩龍さん御自身が受信すればいいじゃないですかぁーん。今時ぃーん、カーナビだってデジタルチューナーを標準装備しているんですからぁーん」

「ほうかのう……」

 岩龍は自身のコンピューターが詰まっている操縦席を見下ろすも、はたと気付き、再びいきり立った。

「カーナビどころかGPSも乗っけとらんワシに、デジタルチューナーなんかあるわけないんじゃい!」

「あらまぁーん」

 道子は苦笑し、そそくさとキッチンに逃げ込んだ。

「いい加減に諦めろ。大体、アニメなんてどれも同じようなもんじゃないか」

 武蔵野は素っ気なく言い、自室に引き上げていった。

「岩龍さん」

 りんねは雨の滴るベランダに出ると、岩龍はベランダに詰め寄ってきた。

「姉御、なんとか出来んかいのう! この通りじゃけぇ!」

 そう言うや否や、岩龍は地面に両手を付いて土下座に似た姿勢になった。といっても、腰の稼働範囲と下半身のキャタピラの都合で前屈と言った方が正しいのだが。

「テレビなんて見ていると、頭が悪くなってしまわれますよ」

 りんねの答えは辛辣だった。岩龍は顔を上げ、スコープアイのシャッターを開閉させる。

「ほうなんか?」

「ええ、そうなのです。いいですか、岩龍さん。テレビという情報媒体は、映像と音声による短絡的かつ直接的な情報を操るので情報操作と言論統制に打って付けなのです。連日連夜報道されるニュースの映像は、一つ残らず編集されておりますので元の映像とは懸け離れたものと化していますし、アナウンサーが読み上げるニュース原稿にしても放送局の思想を顕著に受けているので偏っているのです。公平を期すべきニュース番組でさえも特定の企業の商品の購買意欲を煽るようなコーナーを設けておりますし、実際に人気があるとは思いがたいデビューしたばかりのアイドルが異様に持て囃されているのも珍しくもなんともありませんし、面白くもなんともない芸能人同士のトーク番組が大半です。芸能人のプライベートを知ったところで、何の役にも立たないですから。岩龍さんが執心なさっている特撮番組にしてもそうです。あれはオモチャの購買意欲を煽るのが目的なのであって、ヒーローの活躍を見て楽しむものではありません」

「う、うぅ」

 岩龍は後退し、今にも泣きそうな声で呻く。しかし、りんねは攻勢を緩めない。

「私は元よりテレビは好いておりません。映像による表現技術と俳優の演技力が惜しみなく生かされている映画は評価しておりますが、寒々しさしか感じられない薄っぺらい演出と演技力の欠片も感じられないアイドル紛いの女優や俳優が出演しているテレビドラマに時間を割くぐらいならば、読書をいたします。岩龍さんもそうなさった方が今後のためになりますでしょうから、お勧めいたします」

「そないに言われても、ワシャあテレビが好きなんじゃー! 特に特撮とアニメがのうっ!」

 機体の前後を反転させた岩龍は、涙を散らすかのようにスコープアイの縁に溜まった雨水を散らしながら急加速し、別荘の敷地から飛び出した。お待ち下さい岩龍さん、とりんねから呼び止められたが、キャタピラの駆動音に紛れて聴覚センサーで拾い切れなかった。

 行く当てもなく山道を走り回りながら、岩龍はしゃくり上げるような気持ちで水素エンジンを空吹かしした。りんねの言うことも解らないでもないのだが、単純明快な娯楽を楽しむことの何が悪いというのだ。ロボットは娯楽を楽しんではいけないというのか。それとも、りんねはテレビばかり見ていて仕事をしない岩龍が嫌いなのだろうか。

 雇い主であるりんねから嫌われてしまえば、親父さんに給料を送金出来なくなってしまう。だが、ニンジャファイター・ムラクモを始めとした子供向けの特撮番組やアニメが好きで好きでたまらない。解りやすい人間関係とヒロイズム、見栄えのするデザインのパワードスーツ、煌びやかな変身シーン、性善説が全面に押し出された清らかな精神論。それは地下闘技場で戦い続けていたが故に擦り切れかけていた価値観を一変させるものであり、岩龍の精神年齢の低い人格の隅々にまで染み込んでいた。だから、好きなものを否定されると、岩龍自身も否定されたかのような気がしてくる。キャタピラで雨水を蹴散らしながら、岩龍は無線の受信装置を作動させてテレビの電波を辿っていた。

 いつのまにか、あのドライブインを目指していた。



 降り出した雨は、トタン屋根を激しく打ち鳴らした。

 自動販売機コーナーに戻ってきたつばめは、コジロウの影に隠れながら美月の様子を見やった。レイガンドーは幼い主人を気遣い、このくらいの雨に降られてもショートしたりしない、と言っていたが、美月は返事もせずに俯いていた。れんげは二人と二体を見比べていたが、状況が読めないのか不思議そうに首を傾げた。

 不意に雨雲が瞬き、青白い稲妻が駆け抜ける。ほんの僅かな間の後、崩れ落ちるような爆音が轟いた。それに驚いたつばめは反射的にコジロウの腕を掴み、身を縮めた。まるで夕立だ。れんげはわざとらしささえある悲鳴を上げたが、美月は怯えもせずに黙り込んでいた。元々雷が怖くないのか、それとも雷を怖がるほどの余裕すらないのだろうか。或いは、つばめとコジロウが離れる隙を窺っているのだろうか。

「警官ロボット一体の単価はね、単純計算でも二〇〇〇万は下らないの」

 雨音に紛れかねないほど細い声で、美月は言った。自動販売機の明かりを帯びた横顔は、険しかった。

「民間用のロボットと互換性のある部品も少なくはないんだけど、ほとんどの部品は警官ロボット専用だから生産数も限られていておのずと部品一つの単価も高くなるんだ。警察車両専用の通信設備とか、軍用の探査ロボットでも使用されている各種センサーとかだから、常日頃からボディーガードに守られているような人達じゃないと個人所有なんて出来ないんだ。だから、佐々木さんもきっとそうなんだろうなって、見当は付いていたんだ。見た目は普通そうだけど、凄いお金持ちなんだ、って。昔のりんちゃんみたいに」

 りんちゃんとは、吉岡りんねの通称だろう。つばめは警戒心が増し、コジロウの腕を握る手に力を込める。

「佐々木さんとは仲良く出来ると思ったんだ。仲良くしたいって思ったんだ。だって、こっちに来てから、私、全然いいことなんてないんだもん。学校に行ったって東京から来たってだけでハブられるし、お母さんと親戚の人達は宗教に填っておかしくなっちゃうし、レイと話せるようになったのもついこの前のことだし。だから、佐々木さんと出会えたのは本当に嬉しかったんだ。やっとまともな友達が出来るんだ、って思って」

 美月の細い声が、嗚咽に詰まり始める。

「でも」

 ハーフパンツの裾に、雨粒よりも大きな雫が落ち、丸い染みをいくつも作る。

「どうして、私からレイを取ろうとするの?」

「えっ?」

 ただ、言葉を交わしただけなのに。つばめが面食らうと、美月は肩を震わせる。

「コジロウ君に細工させてレイの所有権を書き換えようとしたの? それとも、ネット経由でレイにアクセスして余計な情報履歴を与えたの? 私のレイに何をしたの?」

「おい、美月。俺は別に何も」

 動揺したレイガンドーが美月を宥めようとするが、美月は吊り上がった目でレイガンドーを睨み付けた。

「私だけの味方だと思っていたのに! 私だけのレイだって、レイだけが本当の家族だって思っていたのに! レイも私のことを見捨てるんだね!?」

「美月、落ち着け。何を勘違いしているのかは知らないが、俺はただ……」

 片膝を付いたレイガンドーは美月を支えようとするが、美月はその手を振り払って後退る。

「いいよ、どうせ佐々木さんに買われちゃうんでしょ! だったら私に触らないでよ、その方が汚れが少なくて売値が上がるから!」

 血を吐くような叫びだった。直後、雷鳴が響き渡り、ガラス戸をびりびりと震わせる。稲妻の逆光を背に受けて息を荒げている美月は唇が切れかねないほど強く噛み締めていて、滂沱している目には警戒心が高じた敵意が宿っていた。その様を見て、つばめは痛感した。美月は吉岡りんねの側に付いているわけではなかったようだが、彼女もまた苦境に立たされているのだと。だから、些細なことで、鬱屈していたものが堰を切って溢れ出したのだ。

 意地を張って強がりたい気持ちがあればあるほど、心がねじ曲がってしまうのは、つばめも身に染みている。強くなろうとすればするほど、誰にも頼らずに生きていこうとすればするほどに、他者から向けられる感情をストレートに受け止められなくなってしまうのだ。そして疑心暗鬼に陥り、抜け出せなくなる。美月も自分を守ろうとするがあまりに身動きが取れなくなっている。つばめは雷に臆しながらも一歩踏み出すと、その分だけ美月は逃げる。

「近付かないで。どうせ、レイさえ買い取れれば、私には用なんてないんでしょ?」

「そんなことないよ」

 つばめは首を横に振るが、美月は信用しない。

「嘘だよ、そんなの! 私に価値なんてないことぐらい、最初から知っているんだから! りんちゃんと仲良くなった時だってそうだった、他の人達は私を通じてりんちゃんと仲良くなろうするだけで、私と友達になろうとするのは一人もいなかった! 仲良くなろうとしても、相手の方から嫌がられた! そりゃそうだよ、他のクラスメイトは馬鹿みたいな金持ちばっかりで、私んちみたいな町工場に毛が生えたみたいな会社じゃないもの! りんちゃんもそうだった、私みたいな何の価値もない人間と仲良くすることで自分の価値を底上げしようとしていたんだ!」

 金切り声を上げ、美月は更に後退ってガラス戸に背をぶつけた。

「お父さんは私を賭け金にしようとした、お母さんは私を連れて逃げてきたくせに私を見ようともしない。それなのに、毎日毎日変な神様を拝んで変なお経を上げている。あの人はちょっとだけいい人だけど、信用出来ない。だから、レイだけいればいいって、レイと一緒なら頑張れるって、でも、そのレイまでいなくなったら、私はどうしたらいいの? どうしろっていうの? りんちゃんに這い蹲ってお金を下さいって言えばいいの? それとも、変な宗教に洗脳されておかしくなれば幸せなの? どっちも嫌。何もかが嫌」

 次第に震え出した美月は、息苦しげに喘ぐ。

「お願い、佐々木さん。レイを奪わないで。他のものはなんでもあげるから、レイだけは」

 言うだけ言って気が抜けたのか、美月はその場に座り込み、声を上げて泣き出した。レイガンドーは美月の傍に近付くと、大きな手で美月の背を優しく抱いた。美月は一瞬躊躇ったが、レイガンドーの胸部装甲に縋り付いて泣き喚いた。つばめはコジロウを見上げてみたが、コジロウは何も言わなかった。何も言うべきではない、と判断した末の行動かもしれないが。

「そんなこと、するわけないじゃん」

 つばめが笑うと、美月はレイガンドーの腕を抱え込み、怯えながら見返してきた。

「嘘だよ」

「嘘じゃないって。私だって、何が何でもコジロウを手放す気はないもん。だから、小倉さんからレイガンドーを奪うだなんて、出来るわけがないじゃん」

「……嘘だぁ」

 美月はレイガンドーの分厚く固い胸に額を当て、呻く。

「あと、価値がないとか言っていたけどさ、それは私も一緒だよ。だって、友達いないし」

 つばめは少々胸が痛んだが、笑顔を保ちながら言い切った。美月はおずおずと顔を上げる。

「なんで?」

「まあ、色々と面倒臭い事情があるからってのもそうだけど、根本的な原因は私の性格のせいかな。自分で言うのもなんだけど、まー、タチが悪いんだよ。女の子同士のねちゃねちゃした関係なんて大嫌いでさ、一緒にトイレに行くのなんて死んでもお断りだよ。あと、お揃いのストラップとかキーホルダーを買うのとか、誰かの悪口で盛り上がるのとか、そういうのが生理的にダメなの。だから、友達がいないの。中学生女子としては致命的でしょ?」

「ん……」

 美月は少し泣き止み、べたべたに濡れた目元を拭った。

「それにさぁ、友達がいないのは寂しいけど、それが原因で死ぬってことはないんだし」

 つばめはコジロウに寄り掛かる。奥只見ダムでの戦闘後に寝込み、散々うなされた末に出した結論だった。

「誰かが死ぬ時は、それ相応の理由と経緯がある時だけなんだよ。悪いことをしたり、悪いことをしている奴が近くにいたり、悪い結果が出るであろう出来事が積み重なっていたり、とかね。だから、一人きりでいても死ぬなんてことはまずないし、その方がずっと身動き取りやすいし。誰かを巻き込むぐらいなら、一人でいいんだ」

 ね、とつばめがコジロウを見上げると、コジロウは僅かに俯いた。

「道理ではある」

「そっか、そうなんだ」

 美月は叫びすぎて涸れた声で、弱々しく呟いた。

「うん。だからさ、小倉さん」

 つばめはコジロウから離れると、美月に手を差し伸べた。美月はパーカーの袖に涙を染み込ませ、気まずげではあったが、恐る恐るつばめに手を伸ばした。レイガンドーは上体を反らし気味にして、少女達のぎこちない触れ合いを妨げまいとしてくれた。コジロウは動かなかった。つばめが美月と目を合わせると、腫れぼったい瞼の美月は何度も逸らしそうになりながらも目線を返してくれた。

 だが、二人の手が繋がる寸前に、別の手が割り込んできた。桑原れんげだった。彼女は貼り付けたような笑顔を保ちながら、つばめと美月の手を弾き飛ばして遠のけた。何事かとつばめが驚くと、美月は目を丸めて硬直した。れんげは二人の間に割り込むと、右手でつばめの手を、左手で美月の手を取った。それからしばしの間の後、二人の手を解放したれんげは、スキップするかのような足取りで自動販売機の前まで移動した。

「ねえ、だから何なの?」

「だからって、何が?」

 つばめが呆気に取られつつも聞き返すと、れんげは小首を傾げた。

「そんなこと言ったって、結局、つばめちゃんは美月ちゃんに嫌われたくないだけでしょ? 生まれて初めて友達になってくれそうな相手を見つけたから、必死なんでしょ? だから、そんなことを言うんでしょ? ふふふ」

 それはそうかもしれないが、だが。つばめが臆すると、れんげは美月に目を向ける。

「美月ちゃんだって、りんちゃんの時と同じでしょ? これといって突出した才能もなければ付加価値もない人間だと自覚しているからこそ、なんとなーく背景が凄そうなつばめちゃんの傍にいたいんでしょ? そうすれば、コジロウ君の管理維持費の恩恵を受けてレイガンドーのアップグレードが出来るかもしれないなー、ってうっすら考えているんでしょ? ね、そうなんでしょ?」

 れんげの言葉に、美月は狼狽えたのか目線を彷徨わせる。

「なんで嘘を吐くの? 嘘じゃない、とか言ったくせに。変なの」

 おトイレ行ってくるぅ、と言い残し、れんげは外に駆け出していった。つばめはれんげを引き留めようとガラス戸を開けて飛び出したが、れんげの姿は見当たらなかった。確かに心の片隅ではそう思っていたかもしれないが、それは本音とはまた少し違う部分の気持ちなのだ。つばめは美月に振り返ると、美月は再び泣き出しそうになっていた。違う、違う、としきりに繰り返していて、レイガンドーが美月を包み込むように抱き締めている。

 とりあえず、れんげを連れ戻して美月に謝らせなければ。そう思ったつばめは、ドライブインの裏手にあるトイレに向かおうとすると、コジロウが駆け出してきた。たかがトイレに行くだけなのに、なんて過保護な。そう思ったつばめは、美月とレイガンドーの傍にいるように言い付けようと振り返った瞬間、雷鳴とは異なる轟音が迫ってきた。

 盛大に泥水が跳ね上がり、視界を奪われた。



 泥水を被る寸前、つばめは抱え上げられた。

 コジロウは瞬時につばめを横抱きにし、タイヤを滑らせながら緊急回避を行った。それから間もなく、泥水の大波は崩れ落ちてガラス戸に襲い掛かる。汚れた染みが広範囲に貼り付き、滴り落ちていくと、ガラス戸の奥で美月が呆気に取られていた。レイガンドーは美月を抱えて守っていたが、忌々しげな仕草で振り返った。つばめは雨水に顔を打たれながらも目を開き、自分の体が泥水に汚れていないことを確認してから、それを捉えた。

 辺りが煙るほど濃厚な蒸気を排気筒から噴出しているのは、全長五メートルの人型重機だった。人型重機は工事現場の作業員が被っているヘルメットに似た形状の頭部を動かし、単眼のスコープアイの焦点を合わせてつばめとコジロウを見据えると、両腕を大きく振り回した。

「ワシのじゃ電波を拾えても受信出来んのじゃーいっ!」

「緊急回避!」

 闇雲に暴れる人型重機の攻撃圏内から退避しようと、コジロウはタイヤを回転させる。が、雨が降りすぎたせいかタイヤがスリップしてしまい、思うように速度が出せない。そうこうしているうちに、人型重機は分厚いキャタピラで濡れたアスファルトを踏み締めながら追い掛けてくる。

「おどれはコジロウっちゅうなんじゃろ、ワシャあ知っとるけんのうー! おどれはブチ強ぇロボットじゃけぇ、テレビのチューナーぐれぇ内蔵しとるはずじゃけぇのう! そいつを寄越しちゃくれんかいのう!」

「テレビぃ!?」

 あまりにも下らない襲撃理由に、つばめが思わず叫んでしまった。コジロウは駐車場の隅に到達したのでカーブしようとするが、大きな水溜まりに突っ込んでしまい、タイヤが滑ってブレーキングが働かなかった。そのため、つばめを高く掲げて膝を付き、両足自体を摩擦させてスピードを殺した。おかげで駐車場の外にある藪には突っ込まずに済んだものの、つばめはコジロウが跳ね上げた水と雨水で盛大に濡れた。

「つばめ、負傷していないか」

 コジロウは立ち上がってつばめを抱え直すが、つばめは水を含んだ前髪を掻き上げた。

「一応ね。濡れるだけなら、まだ我慢出来るかな……」

「ほうじゃのう、おどれらを連れて帰ったら、姉御もワシを褒めてくれるかもしれんのう! そしたら、ワシにテレビのチューナーをくっつけてくれるかもしれんのう!」

 人型重機はコジロウににじり寄り、土木作業用のバケットにもなる手をばちんばちんと打ち鳴らして挑発してくる。先程廃熱してもまだ熱が籠もっているのか、雨水の滴り落ちる機体のそこかしこから湯気が立ち上っている。この人型重機には見覚えはないが、理不尽な動機で狙われる原因は一つだけだ。つばめは雨に濡れて体が冷えたこととは別の理由で頭痛を覚えたが、気を取り直し、人型重機を指差して声を張り上げた。

「あんた、もしかしなくても吉岡りんねの所有物でしょ!」

「なんで解るんじゃい!?」

 と、人型重機は仰け反ったが、すぐに姿勢を戻した。

「だったら話は早いわい、ワシャあ岩龍っちゅうモンじゃい! 以後よろしゅうのう!」

「岩龍だと?」

 すると、ガラス戸を全開にしてレイガンドーが雨の中に飛び出してきた。人型重機、岩龍はキャタピラを停止させ、訝しげな仕草で見知らぬ人型ロボットを見下ろした。が、人型ロボットの個体識別信号ですぐに誰なのか悟り、機体を急速反転させてレイガンドーに向き直った。

「だぁっはははははははは! まだスクラップになっとらんかったんかい、レイガンドー!」

「お前こそ、よくもまた俺の前に顔を出せたもんだな」

 レイガンドーは美月を背に庇い、勇ましくファイティングポーズを取る。岩龍は笑うように単眼を細める。

「姉御にはハードディスクドライブをフォーマットされてもうたが、おどれのことだけはそれ以外の回路にクソみてぇにこびり付いとるんじゃい! 地下闘技場での最後の戦いのことものう! おどれとはもう一度、ぎちっと勝負を付けてやりたいところだったんじゃい! どぅわはははははははは!」

「レイガンドーって、この人型重機と知り合いなの?」

 つばめがレイガンドーに振り向くと、レイガンドーは軽やかにステップを踏み始めた。

「ああ。ボディこそ換装しているが、人工知能の個体識別番号は間違えようがない。奴は岩龍、地下闘技場で俺と何度も戦い合った仲だ。俺も岩龍も元々は人型重機なんだが、まあ、色々あって格闘用のロボットにされていたってわけさ。知り合いなんて綺麗な関係じゃねぇよ。こいつさえいなければ俺のオーナーは、美月の親父さんはロボット賭博で身を持ち崩すこともなかったんだ。それを思うと、俺の回路が熱暴走しちまいそうなんだよっ!」

 両の拳が交互に繰り出され、風切り音と共に粉々に砕かれた雨粒が飛び散る。

「さあ来いよ、リターンマッチのリターンマッチのリターンマッチと行こうじゃないか!」

「ちょっと、レイ!」

 慌てふためきながらドライブインから飛び出してきた美月に、レイガンドーは横顔を向ける。

「安心しな、美月のメンテナンスは完璧だ。多少のウェイト差なんて、俺の経験と格闘センスで埋めてみせる」

「そうじゃないよ、私はレイにそんな命令なんてしていない! 止めてよ、そんなこと! 絶対負けちゃうよ!」

 美月はレイガンドーに縋るが、レイガンドーは拳を掲げて岩龍に据える。

「美月が泣くほど不安になるのは、俺が強いと証明出来ていないからだ。やっと出来た友達と話しただけで嫉妬するのも、何があろうと俺の心が美月から動かないということを、示せていないからだ。だから、俺は岩龍を1ラウンドでノックアウトしてやるよ。そうすれば、美月はもう泣かなくて済むだろう?」

 ウィンクをするように、レイガンドーはゴーグルアイの片方を点滅させる。

「……なんで? だって、さっき、レイにあんなにひどいことを」

 美月が狼狽えると、レイガンドーは目を細めるようにゴーグルアイが放つ光量を絞る。

「俺は機械だからな。今でこそ人間みたいな言動が取れるが、それは上っ面に過ぎないんだよ。気持ちだけで判断するなんてことは出来やしないし、出来たとしたら、それこそ大問題だ。だから、俺は美月を守るために動いているんだ。美月が俺をどう思おうが、生きていくための金を稼ぐために売り払おうが、俺は痛くも痒くもないんだ。だから、あまり気にしないでくれよ。俺の行動理念は単純明快、美月を守る、それだけなんだからな」

 そう言い終えるや否や、レイガンドーは駆け出した。岩龍もまたキャタピラを急速回転させて発進し、先程以上の泥水を巻き上げながら突き進んでくる。このままでは両者が激突する、と思われたが、レイガンドーは両足を曲げた後に思い切り伸ばして跳躍した。水飛沫の帯が伸び、機体が暗雲に吸い込まれていく。

 岩龍はすかさずレイガンドーを薙ぎ払おうとするが、レイガンドーは突き出された腕を軽く蹴って岩龍の懐に飛び込み、腰を捻ってパンチを繰り出す姿勢になった。が、岩龍は急速反転して遠心力でレイガンドーを振り落とすと、圧殺すべく直進してきた。猛烈な速度とパワーで回転するキャタピラは駐車場に落ちていた枝葉を呆気なく砕いて粉砕し、キャタピラの後部に撒き散らす。このままでは、数秒と立たずにレイガンドーも同じ目に遭う。美月は呼吸することすら忘れて立ち尽くし、つばめはコジロウに助けに出るように命じそうになった。

 が、レイガンドーは冷静だった。岩龍のキャタピラは左右で一対になっていて、操縦席を含めた本体がある部分は空間が空いている。レイガンドーはその場に伏せて轢死を回避すると、岩龍の本体の真下で立ち上がり、そのまま駆け上がっていった。土木工事用ロボットには不可欠なスパイクを足の裏から出して岩龍の装甲に噛ませ、一歩、一歩、着実に昇っていく。そして、操縦席のフロントガラスを突き破り、レイガンドーは岩龍の目の前に現れた。

「ハッハァーッ!」

「なんのぉっ!」

 だが、岩龍も負けてはいなかった。レイガンドーの痛烈なパンチを受ける前に後退して距離を取り、右腕の駆動用のシリンダーをピストン代わりに使い、落盤した岩石をも破壊出来る打撃を放った。高く跳躍していたために足場がなかったレイガンドーは逃げる間もなく打撃を浴び、銀色の砲弾と化して吹っ飛んだ。

「コジロウ! レイガンドーを援護してあげて!」

 つばめがすかさず命じると、コジロウは水溜まりを跳ね上げて駆け出した。

「了解した」

 大きく弧を描きながら道路を越えていくレイガンドー目掛け、コジロウは己を発射させた。恐るべき高出力の脚力が生み出した衝撃波が雨水を丸く散らし、僅かではあったが局地的な突風が発生するほどだった。直後、赤いパトライトを光らせる警官ロボットはレイガンドーを横抱きにして確保すると、姿勢制御して道路に着地した。人型ロボット二体分の重量によって、またもや轟音を伴う衝撃波が波状に広がった。

「っと、ちょいヤバかったな。ありがとな、コジロウ」

 コジロウに横抱きにされていたレイガンドーは、コジロウを軽く叩いて礼を述べた。コジロウは彼を下ろす。

「つばめの命令に従ったまでだ」

 レイガンドーはステップを踏んで関節に異常がないことを確かめてから、岩龍と向き直った。

「コジロウ、今の俺とお前の目的は一致している。そうだろう?」

「その認識には誤りがある。本官の職務とレイガンドーの最優先事項は根本から異なる」

「そう固いこと言うなよ。俺とお前の仲じゃないか」

「本官とレイガンドーが個人的な交友を持ったという記録はない」

「じゃ、今から持とうぜ。お互いのマスターを通じた個人的な交友関係ってやつをよ」

 レイガンドーが荒っぽくコジロウの肩を小突くと、コジロウはよろめきかけた。

「だが、本官は」

「今、あいつを落とせなきゃ、俺もお前も木偶の坊だってことだよ。だから、ちょっくら手を組もうじゃないか」

 凱歌の如き笑い声を上げる岩龍を見据えて、レイガンドーは拳を上げる。コジロウは若干の間の後、身構えた。それを了承だと判断したレイガンドーは一笑し、腰を落としてジャブとフックを交互に繰り出した。コジロウはその様を横目で窺いつつも、戦闘態勢を取る。岩龍は両腕のシリンダーを縮めて先程と同等のパワーを誇る打撃を放つ準備を整え、排気筒から高圧の蒸気を噴出させて意気込みを露わにした。

「てなわけだから、何かいい手はない?」

 つばめが美月に問うと、混乱と興奮の極致である美月はしどろもどろに答えた。

「えぇ、ええっと、あのタイプの人型重機は水素エンジンによる高出力が売りだけど、その分燃費が悪いんだ、凄く。パワーゲインはガソリンエンジンと比べるとかなり少ないんだけど、その分部品に負荷が掛かりやすいって言う難点もあるし、でも、その、機体の完成度としては……」

「それだけ解れば充分! てぇわけだからコジロウ、持久戦に持ち込んで!」

 つばめが腕を振り上げながら高らかに叫ぶと、コジロウは答えた。

「了解した」

「あ、レイもそうして! バッテリー切れを起こさないように気を付けてね!」

 つばめに釣られた形で美月が命じると、レイガンドーは笑った。

「そう言われるのを待っていたぜ!」

「そがぁな小賢しい作戦が通じるわけなかろうが! 燃料切れを起こす前にカタぁ付けちゃるわい!」

 岩龍は一層奮起し、二体の人型ロボットに向かって前進した。コジロウは岩龍の射程内に入らないために姿勢を低くして駆けていき、レイガンドーは先程と同じような身軽さを生かした戦法を取った。岩龍は一度に二人を相手にするべく両腕を振り回し、シリンダーを生かして凄まじい打撃を放つがどちらにも命中しなかった。それもそのはず、コジロウとレイガンドーは岩龍の両腕の可動範囲を見極めていて、岩龍の射程からは寸でのところで外れる位置にいたからである。対角線上で動き回る二体の人型ロボットは互いの動きをトレースしていて、コジロウはレイガンドーのファイティングスタイルを模倣した動作で岩龍に打撃を加え、レイガンドーはコジロウの隙のない動作を模倣した機敏な立ち回りで岩龍を翻弄していった。それはまるで、機械同士の荒々しいダンスのようだった。

 岩龍の関節から噴出される熱排気の回数と量が増していき、雨による外部冷却も間に合わなくなっていく。対するコジロウは無限動力炉によって燃料切れを知らず、レイガンドーもまたフィードバックによる再充電のおかげで首の皮一枚をなんとか繋いでいた。饒舌だった岩龍は黙り込むようになり、次第に動作も怠慢になってきた。

 一時間か、二時間は過ぎただろうか。人間の体力では到底耐えられない長さで戦い続けていた三体のロボットは、岩龍が機能停止することで決着が付いた。最後の余力で突き出していた拳をアスファルトに叩き付けた岩龍はスコープアイから光を失い、全ての関節から高圧の蒸気を噴出した後、弛緩した。その外装は雨水と泥とコジロウとレイガンドーの攻撃によって汚れ切り、背部装甲に描かれている昇り龍はいくらか削れていた。

「ヒュー! タイムアップに持ち込んで判定勝ちってところか?」

 レイガンドーは歓声を上げて動きを止めると、関節から蒸気を噴出して廃熱した。

「水素燃料の枯渇による機能停止だ。その語彙に相当する状態ではない」

 コジロウもまた動きを止め、外装を開いて廃熱を行った。二人の周囲には、うっすらと陽炎が現れるほどの高熱が立ち込めていた。戦いを見つめ続けていたつばめが安堵からため息を吐くと、美月は緊張の糸が途切れたのか、その場に座り込みそうになった。水溜まりに尻が浸ってしまいそうになったので、つばめは美月の腕を取る。

「座るんなら、中に行こうよ」

「う、うん……」

 つばめに促されるままに自動販売機コーナーに戻った美月は、手近なベンチに座り、呆然とした。

「今回はそんなでもなかったなぁ。岩龍ってロボットは新手だけど、大したことなさそうだし」

 つばめはアイスクリームの自動販売機でチョコアイスを買うと、美月の隣に腰掛けた。

「質問される前に説明しておくけど、私はね、色々あって馬鹿みたいな額の遺産を相続したの。んで、私の従姉妹で吉岡グループの社長令嬢で超美少女の吉岡りんねと愉快な仲間達が、私をどうにかして遺産を奪おうって画策しているってわけ。吉岡りんねと敵対するのが嫌なら、私と無理に友達にならなくてもいいんだよ。だって、吉岡りんねって強かすぎて敵に回したくないタイプだし、分が悪い方に付かないのが当たり前だから。だからさ、小倉さん」

「私も嫌いなんだよね、そういうの」

 一度深呼吸した後、美月は目元を拭った。

「誰が敵で誰が味方、っていう括りで他人をカテゴリー分けするのって嫌なの。なんとなく。グループを作るのだってなんか嫌だし、仲が良い女子だけで集まるのも苦手なの。だから、私はどっちの味方にもならないし、なりたくない。でも、りんちゃんのことだって心の底から嫌いじゃないし、佐々木さんと友達にはなりたいって思うんだ。そういうのってさ、ダメかな。中途半端だし、自分に都合が良すぎるし」

「ううん、全然。だってそれ、損得勘定が抜きってことなんでしょ? だったら、純然たる好意じゃん」

 つばめがにんまりすると、美月はちょっと照れた。

「そう思ってくれるんだ。れんげちゃんが言ったことは嘘じゃないのに、ウザがらないんだ」

「嘘じゃないからって、それが全てってわけじゃないよ。それに、私はミッキーのことは全然知らないんだもん」

 と、言ってからつばめは慌てた。戦闘が終わって気が緩んだのか、美月に対して密かに付けていた渾名が口から勝手に出てしまった。赤面するつばめに、美月は吹き出した。

「いいよ、そう呼んでも。じゃ、私の方もこう呼んでいい? つっぴー」

「あ……う、うん」

 渾名で呼ばれるのが初めてで、つばめがくすぐったい気持ちになると、美月は両手足を伸ばした。

「また遊びに来ていい? さっきは取り乱しちゃってごめんね。でも、言いたいことを全部言えてすっきりしたよ。今度はさ、もっと楽しい話をしよう」

「うん。あんまり辛いようだったら、うちに家出してきてもいいんだよ。私んちは古くて無駄に広いから、ミッキーとレイガンドーを居候させるくらい、どうってことないし。先生に言えば、転校だってさくっとしてくれるだろうし」

「ありがとう。だけど、それは最後の手段に取っておくね。お母さんを一人にはしたくないし、何から何までつっぴーに甘えるのは良くないし。だから、私、もうちょっと頑張ってみる」

「でも、なんで私の渾名がつっぴーなの? つ、は解るけどぴーってどこから来たの?」

 つばめがちょっと戸惑うと、美月は答えた。

「ほら、ツバメってぴーっと飛ぶじゃない。それだけ!」

 そう言った美月の表情は、いくらか強がりは残っていたが晴れ晴れとしていた。やけに愛想のいい作り笑顔などではなく、美月自身の本音が曝け出されていた。アイス食べよっと、と美月もアイスクリームの自動販売機に向かうと、硬貨を投入してからレモンシャーベットのボタンを押した。

「もう一つだけ、聞いてもいいかな?」

 レモンシャーベットのパッケージを開ける美月の背につばめが問うと、美月は振り返る。

「ん、何を?」

「どうして、待ち合わせ場所をここにしたの? まあ、そのおかげでコジロウとレイガンドーが思う存分岩龍と戦えたわけだから、結果オーライではあるんだけど」

「転校した先の中学校の人達と会うのが嫌だったから。それだけ」

「そっか」

 それ以上、つばめは言及しなかった。気持ちは痛いほど解るからだ。美月は身を翻し、ベンチに戻ってきた。

「さーて、何から話そうかな、つっぴーと」

 ベンチに並んで座り、思い思いのアイスを食べながら、つばめと美月は取り留めのないお喋りに興じた。その間、二人を守る盾であり矛であるロボットはドライブインの外で待機していた。少女達の柔らかな時間を邪魔するまいという配慮と、岩龍が再起動しないかどうかを見張るためだった。岩龍を回収するために吉岡一味の他のメンバーがやってきたら面倒だ、と判断したつばめは、当初の予定よりも早く美月と別れることにした。寺坂でも呼んで一ヶ谷市内まで送ってもらおうか、とつばめは提案したのだが、美月は家人に迎えに来てもらうから平気だと言って、レイガンドーを伴って山道を歩いていった。二人の後ろ姿を見送り、つばめも帰路を辿った。

 外装に多少の傷が付いたものの、コジロウのダメージはごく僅かだ。胸部装甲に貼り付けた片翼のステッカーも無傷で、それがなんだか誇らしく思えた。コジロウから離れないためだという口実で彼と手を繋ぐと、その太い指を二本だけ握り締めて歩いていった。いつのまにか雨は上がり、西日が濡れた草木を輝かせていた。

 桑原れんげのことを思い出しもしなかった。



 水素エンジン始動、バッテリー再充電、再起動。

 岩龍は意識を取り戻して反射的に身構えるも、そこにはコジロウもレイガンドーもいなかった。水溜まりがいくつか残っているドライブインの駐車場は、オレンジ色の街灯に照らされて艶を帯びている。辺りは真っ暗で、夜空を覆う雨雲の切れ間からは星が覗いていた。戦闘の名残であるキャタピラ痕が目立ち、アスファルトが割れていた。岩龍は頭部を回転させて辺りを見回すと、見覚えのあるジープが停車していた。その傍には骨太で大柄な肉体を迷彩服で身を包んだ男、武蔵野巌雄が岩龍を見上げていた。

「やっと起きたか。帰るぞ、岩龍」

「小父貴……。ワシャあ、どがぁしたんじゃ?」

 岩龍がきょとんとすると、武蔵野は口元からタバコを外し、紫煙を吐き出した。

「どうもこうもあるか。いきなり飛び出していったと思ったら、こんなところでガス欠になっていやがって。お前はGPSが付いていないんだから、探すのが面倒なんだよ。二度と勝手な行動は取らないと約束するんだ。でないと、今後、テレビは一切見せてやらんからな」

「そらぁ困るんじゃい!」

「じゃあ、約束しろ。解ったな。お前の機体に水素燃料を充填するのは骨が折れるんだよ」

 武蔵野にタバコの赤く燃える尖端を向けられ、岩龍は渋々承諾した。

「解ったわい。じゃが、テレビの映りは直ったんかいのう?」

「ああ、まぁな。今、面白いものをやっているから、帰ったら見せてやる」

「そらあれかのう、ニンジャファイターの再放送かなんかかのう?」

「いや、違う」

 武蔵野は愛車に乗り込むと、ダッシュボードの灰皿にタバコをねじ込んで火を消した。

「ハルノネットの社長就任会見だ。桑原れんげのな」

「……あ?」

 突拍子もない展開に岩龍が呆気に取られると、ほら、さっさと行くぞ、と武蔵野が急かしてきた。暖気が済んでいたであろうジープは難なく発進すると、夜の山道を走り出した。岩龍はキャタピラを回転させてジープを追い掛け、別荘への帰路を辿りながら、桑原れんげについての情報を照会した。だが、捜せども捜せども出てこない。桑原れんげという人物の情報もさることながら、つばめと美月と共にいたはずのれんげという名の少女の映像も残っていない。機械的にも感情的にも処理出来ない情報に混乱を覚えながらも、岩龍はカーブを曲がった。

 街灯の光を撥ねたバックミラーに、一瞬、少女の姿が過ぎった。

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