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マシンも歩けば棒に当たる

 ため息を吐くのは、何百回目になるだろうか。

 自分の軽率さと浅はかさがつくづく嫌になって、何に対してもやる気がなくなる。吉岡りんねに直談判しに行った時といい、ヘビ男との件といい、もう少し考えてから行動出来ないものだろうか。一呼吸置いてから考えて動けば戦況も少しはまともになるだろうに。ヘビ男が体液として身に宿している遺産、アソウギに迂闊にも生体接触してしまった以上、つばめの価値を確信したフジワラ製薬による攻勢も激しくなるだろう。襲い掛かる怪人の数も確実に増えるだろう、襲撃される頻度も間違いなく上がるだろう、それを考えるだけで気疲れしてくる。だから、目の前の小テストに気が入るわけがない。そもそも、目を向ける余裕すらなかった。

「はあ……」

 徹底的に掃除したおかげで透き通った窓から雲一つない青空を見上げ、つばめは呆けた。

「どれだけ嘆いたって、事態はどうにもなんないの。だから、いい加減に勉強してくれよう」

 教卓で頬杖を付いている一乗寺にぼやかれ、つばめは担任教師を横目に窺った。

「それどころじゃない気がして止まないんですけど」

「あのヘビ野郎の居所は割り出せていないけど、放っておけばそのうち出てくるって。その時にどうにかすりゃいいの、はいこれでこの話は終わり、だからちゃっちゃとテストやっちゃってよ!」

「その時にどうにか出来なかったらどうするんですか。で、怪人百鬼夜行になったらどうするんですか」

「機銃掃射で皆殺しにするだけ。俺らは自衛隊にも顔が利くしね」

「しれっとそんなことを言わないで下さい。でも、その怪人百鬼夜行に掴まった私が食べられちゃっていたらどうするんですか」

「火炎放射と焼夷弾かなぁー。つばめちゃんの肉片がちょっとでも残っていると、後が面倒だしね」

「先生には助けるっていう選択肢はないんですか」

「俺の人生の選択肢はね、攻撃一択だけなの。ひたすらAボタンを連打してんの」

「たまにはBボタンを押して下さいよ」

「えぇー、それじゃつまんないじゃーん。セーブしないで一気にクリアするのが楽しいんじゃーん」

 一乗寺が不満げに唇を尖らせたので、つばめは余計に気が滅入ってきた。

「私は逐一セーブしたい派なんで」

 この男に真面目な話を持ち掛けたのが、そもそもの間違いだった。つばめは心底後悔しながら、テスト用紙の上にシャープペンシルを転がした。テストの内容自体はそれほど難しいものでもなく、これまで学習してきたことの復習の意味合いが強い。なので、気持ちさえ入ればすぐに片付くのだが、なかなか切り替えられなかった。それに、懸念はつばめ自身の失態に関するものだけではないからだ。

「お姉ちゃん、今頃どうしているかなぁ」

 つばめがまたため息を吐くと、一乗寺が笑顔で愛銃を振り回した。

「あのクソ坊主のドタマ、ぶち抜いておけばよかったかもねー」

 今朝方、美野里は寺坂の運転する車に乗って一ヶ谷市内に出向いていった。その理由は、都心の実家の車庫に起きっぱなしになっている自家用車と個人事務所を立ち上げるために必要な書類を受け取るためである。どちらも美野里の父親が経営する弁護士事務所の若手弁護士が、中部地方への出張を兼ねて運んできてくれるのだが、船島集落へ繋がる道が解りづらいからということで一ヶ谷駅前で落ち合うことになった。だが、その駅前に行くまでのバスもなければタクシーも呼び出すだけで金が掛かる、ということで暇を持て余している寺坂を足にした。

 住職であるにも関わらず、暇と金と欲望を持て余している寺坂は何かと美野里に絡んでくる。キャバクラで女遊びに慣れているから、弁護士という堅い職業である美野里をからかうのが面白いのだろうが、良い迷惑だ。美野里も寺坂を鬱陶しがっているのだが、寺坂が佐々木家の檀家である以上は関わりを断ち切れないし、人間の絶対数が少ないために息苦しいほど狭い社会の田舎ではそう無下に出来る間柄でもない。それに、寺坂が無駄に所有しているスポーツカーの数々は、今回のように便利な足になるので突っぱねるのは惜しい。扱いづらい男なのだ。

「お姉ちゃんが無事でありますように」

「よっちゃんがみのりんに張り倒されていますように」

 つばめが至って本気で祈ると一乗寺も釣られて祈った。教室の後ろから二人の様子を眺めていたコジロウは怪訝そうではあったが、二人の視線を辿って窓越しに青空を見上げた。だが、その先にこれといって異常がないと確認すると、またつばめの背に視線を戻した。それ以降もため息が繰り返され、答案用紙は空欄のままだった。

 気が滅入ることばかりだ。



 人型重機、岩龍。

 それが吉岡りんね一味の新戦力であり、別荘の破損箇所を修理してくれるロボットでもあった。その機体は、小倉重機で製造された機体を吉岡グループが手を加えたものである。全長六メートル、上半身は角張った人型のボディで両腕には精密作業を可能とする五本指のマニュピレーターが装備されている。下半身はどんな悪路も走行可能なキャタピラであり、抜群の安定性を誇っている。ガソリンエンジンではなく水素エンジンで動いているので、背面の太い排気筒から噴出されるのは熱した水蒸気だけだ。重機らしく、外装はスズメバチを思わせる派手な黄色と黒に塗装されているのだが、動力部を格納している背面部の外装には派手な昇り龍のペイントが施されていた。

「この昇り龍のペイントは、私の記憶にありませんが」

 別荘のロータリーに出て岩龍を一通り見て回った後、りんねは眉根を顰めた。

「機体の注文書にも記載されていませぇーん」

 りんねの背後に控えている道子は、携帯電話から投影したホログラフィーで注文書を確認し、肩を竦めた。

「趣味最悪すぎだし」

 ロータリーに下りることすら億劫なのか、伊織は二階のベランダから岩龍を見下ろしている。

「ヤクザの入れ墨かよ」

 りんねからは少し離れた位置から岩龍を眺めていた武蔵野が半笑いになると、ガレージの物陰からロータリーの様子を窺っていた高守が声にならない声で呼び止めてきた。真っ先にそれに気付いたりんねはガレージに向かうと、高守はコンクリートが剥き出しになっているガレージの内壁を短い指で指し示してきた。そこには、岩龍の背面の外装に塗装されたものと全く同じ昇り龍のペイントが付いていた。さながら、大型のプリンターでプリントアウトしたかのような正確な絵だった。興味深げに壁の昇り龍を眺めるりんねに、高守は口の中で一言二言呟いてから自身の携帯電話からホログラフィーを投影した。それはガレージの壁に描かれた昇り龍を撮影した画像を元に検索した結果を表示したページで、壁の昇り龍とそっくり同じ構図と配色のイラストの画像がいくつも並んだ。

「つまり、この昇り龍はそちらのイラストを元にして描かれた、ということですね?」

 りんねが検索結果の画像と壁の昇り龍を交互に示すと、高守は肯定した。

「ん」

「問題は、それを誰が描いたか、ということですが……」

 考えるまでもないようですね、とりんねは付け加えて振り返った。ガレージの中にはペンキやスプレー塗料の缶がいくつも転がっていて、パレット代わりに使ったであろうベニヤ板には絶妙な色彩に配合された塗料が残っていた。そして、それらを使って壁に試作を描いた刷毛と筆が何本も散らばっており、刷毛と筆の柄は角張ったものに圧迫されたかのように潰れていた。その形と大きさは、比較するまでもなく、岩龍のマニュピレーターと一致していた。

「岩龍さん。勝手なことをされては困ります」

 ガレージから出てきたりんねが岩龍に近付くと、岩龍はヘルメット状の頭部を動かし、ゴーグル型の視覚センサーで名実共に主である少女を視認すると背面部を誇らしげに叩いた。

「どうかの、ブチ格好ええが! ワシがやったんじゃけぇ!」

「それと、この言語パターンは一体何なのですか? 私が岩龍さんの人工知能を入手した際には、そのような訛りは付いていなかったと記憶しているのですが」

 りんねが不愉快さを露わにすると、あ、と二階のベランダで伊織が反応した。

「あーそれ、たぶん俺のせいじゃね?」

「おどれはそげなことしたんか? ワシャあ、ちぃーとも覚えとらんけぇのぅ」

 岩龍が首を捻ると、りんねは苛立ちを堪えるためにこめかみを押さえた。

「一応聞いておきますが、伊織さんは岩龍さんの人工知能に何をなさったんですか?」

「CSでやってたVシネ見せた。つか、いちいち話し掛けて育てるなんてマジ面倒だし」

「伊織さん、あなたと言う人は……」

「つかお嬢が悪いし。俺らなんかにそいつの教育を任せたのはお嬢じゃねーか」

 りんねに叱責される前に、伊織はさっさと室内に戻ってしまった。

「おどれがワシを親父さんとこから引き離したんか、あぁん?」

 岩龍が上体を曲げてりんねを見下ろしてきたので、りんねは岩龍を見上げた。

「ええ、そうです。あなたの元の所有者から買い上げました」

「あぁっ!? そがぁなこと、親父さんが許したはずがなかろうがぁ!」

 ドスの効いた声を張り上げ、岩龍はりんねに食って掛かってきたが、りんねは一切動じずに言い返す。

「御明察です。私の独断で買い上げました」

「ワシャあ生まれてこの方親父さんとこにおったんじゃ、それをおどれらが無茶苦茶な方法で攫ったばかりかこげな不細工な機体に押し込めおって! 背中にスミでも入れんと気に食わんかったんじゃ! おどれがどんだけワシの設定をいじくろうったって、記憶容量をフォーマットしくさっても、ワシは親父さんのモンじゃけぇのう!」

 岩龍はりんねを握り潰さんばかりの勢いでマニュピレーターを突き出したので、慌てて道子が割って入る。

「落ち着いて下さいぃーん、岩龍さぁーん」

「ワシャあ親父さんとこに帰るけぇのう、止めたって無駄なんじゃい!」

 岩龍はその場で機体を反転させてキャタピラを回転させ、急発進したが、十メートルも進まないうちに止まった。

「ほんで、ここはどこじゃ? 天王山でもなきゃあ、親父さんちの工房でもねぇようじゃが。ちゅうか、ワシはそもそもどこに連れてこられたんじゃ? さっぱり解らんのぅ」

「もしかしてぇーん、岩龍さんのGPSって外しちゃってたりしますぅーん?」

 道子が戸惑っている岩龍を指すと、りんねは答えた。

「ええ。岩龍さんは長距離移動を目的とした機体ではありませんし、単独行動を行うための機体でもありませんし、不要だと判断してハード面からもソフト面からもGPSを撤去したんです。岩龍さんは買い取った時点で人工知能がかなり成長しておりましたし、その上でレイガンドーさんの経験と情緒パターンを移植したので、個性が強くなることは予想済みでした。なので、下手に周辺地域の地形を理解されてしまうと、独りでにお出掛けになってしまうのではと思いまして。人間一人でも勝手に出歩かれたら騒ぎになるのですから、人型重機が単独行動を取るような事態になっては無駄な手間を取ってしまいますからね」

「そう思うんだったら、なんでもう少し従順な性格に設定しなかったんだ、お嬢?」

 武蔵野が真っ当な疑問をぶつけると、りんねは答えた。

「コジロウさんと同じ行動を取っていては、こちらに勝ち目はありません。コジロウさんは極めて効率的な判断能力を備え、徹頭徹尾理性と知性で行動します。恐らく、先代マスターである長光さんがコジロウさんには情緒は不要だと判断してそう設定したのでしょう。下手に情緒を発達させては対人戦闘に支障を来しますし、肝心な時に判断能力が不安定になる危険性がありますから、実に合理的な措置といえます。ですが、コジロウさんの利点はイコールで欠点であるとも言えるのです。なぜなら、現マスターであるつばめさんは直情的で短絡的だからです」

「そりゃ確かに」

 これまでの佐々木つばめの行動を見ていれば良く解る。

「ですので、こちらもつばめさんの突拍子のないその場凌ぎの発想の上を行かなければなりません。ですが、私は中間管理職という立場ですので的確に状況を把握して判断を下さなければなりませんし、感情的な行動に及ぶことなど以ての外です。増して、巌雄さんを始めとした皆さんは立派に成人しておりますし、人生経験もお積みになっておられますから、そう無茶なことはいたしません。伊織さんは未成年ですし、かなり感情的ではありますが、伊織さん御自身のルールに則っておられますから、その枠組みから外れることはありません。ですので、つばめさんの行動は予想外も甚だしいのです」

「だからぁーん、つばめちゃんぐらいに感情的な人員が必要だったーってことですかぁーん?」

「だったら、なんでその役割をロボットなんかに任せたんだ? 普通はそれこそ人間の役割だろうが」

 道子の意見に蔵野が不思議がると、りんねは平然と返した。

「解り切ったことですよ。ロボットは電源さえ落としてしまえば、行動不能に陥らせられるからです。ですが、人間ではそう簡単にはいきません。昏倒させるにしても当たり所が悪ければ脳内出血を起こして死亡してしまいますし、薬剤を投与して昏睡させるにしてもいずれ薬剤に耐性が付いてしまいますからね。こういった灰汁の強い人材は、都合の良い時に動かせるようでなければ扱いづらいではありませんか」

「そりゃあ……まあ……」

 道理ではあるが、非人道的だ。武蔵野がリアクションに困っていると、道子は表情を取り繕った。

「御嬢様の仰る通りですぅーん、あ、あはははははーん」

「先程のやり取りで、岩龍さんの自我が発達しきっていることは良く理解出来ました。新たな機体が気に食わないということは確固たる主観と自意識を得ているということであり、インターネットに接続して検索した画像を元に昇り龍のペイントを背面装甲に行ったのは自己主張の表れであり、元の所有者に対して親子の情に近い感情を抱いているということは情緒が出来上がっている証拠であり、私の意見に反論するということは……」

 岩龍の人格の完成度についてりんねが訥々と語っていると、ガレージから出てきた高守が指し示した。

「……ぬ」

 高守の寸詰まりの指を辿ると、別荘と県道を繋ぐアスファルトにキャタピラ痕が延々と続いていた。話し込んでいる間に岩龍は自我に則った行動を取ったらしく、その巨体は既に消え失せていた。水素エンジンの駆動音と共に半端な訛りの広島弁が聞こえてきて、ワシャあおうち帰るけぇのおーっ、とドスの効いた声で幼児のような言葉を叫んでいた。ロボットにも帰巣本能があるのだろうか。

「おい道子、岩龍の行き先はトレース出来るか?」

 武蔵野が道子に尋ねると、道子は若干面倒そうではあったがネットワークに接続した。

「んーとぉーん、御嬢様が先程仰ったようにGPSの類を全部外してあるのでぇーん、人工衛星を通じてのトレースはまず不可能ですぅーん。衛星写真でなら追えなくもないですけどぉーん、リアルタイムじゃないので当てには出来ないですぅーん。人工知能搭載型ロボットには装備が義務付けられている固体識別信号発信装置を頼りにしてみればぁーん、なんとかなるかもしれませんけどぉーん、なんでそんなことしなきゃならないんですかぁーん?」

「図体がでかくて自我が強いくせに情緒が幼児並みのロボットに暴れられてみろ、壮絶な額の損害賠償が来るぞ」

 武蔵野が真顔で指摘すると、道子は手を叩いた。

「そうですねぇーん! そんなことになっちゃったらぁーん、裁判だけでも一苦労ですぅーん!」

「で、誰があの馬鹿を連れ戻しに行くんだよ? 俺は行かねー」

 ベランダから上半身を乗り出している伊織が、缶コーヒーを片手ににやにやしている。武蔵野は道子に向いたが、御掃除の時間ですぅーんっ、と道子はメイド服の裾を翻して別荘に駆け戻っていった。高守を見やるが、矮躯の男は武蔵野と目が合う前に顔を背けて早々に逃げた。ということは、と武蔵野はりんねと目を合わせた。

「仕方ありませんね。巌雄さん、車を出して下さい。固体識別信号発信装置とキャタピラ痕を追跡し、捜索した後に岩龍さんを回収いたします。帰ってきて頂かなければ、別荘の壁の穴が塞がりませんからね」

 りんねは当てにならない部下達を一瞥し、ガレージに歩き出した。

「俺はベンツなんて上品な車は運転出来んぞ」

「巌雄さんのジープで構いませんよ。車に関しては、それほど執着はありませんので」

 長い黒髪を靡かせながら颯爽とジープに乗り込むりんねの姿は、相変わらず見惚れるほど整っていた。武蔵野は娘と言っても差し支えのない年齢の上司に気を取られかけたが、我に返って、ジャケットのポケットを探ってジープのイグニッションキーを取り出した。予備の拳銃とマガジンをダッシュボードに入れてから助手席に収まったりんねは、シートベルトを締めてから、自身の携帯電話を取り出してラップトップ型のホログラフィーを展開した。すぐさま件の固体識別信号のサーチシステムを検索、ダウンロードし、作動させ、透き通ったウィンドウを幾重にも重ねた。

 迷子のロボット探しなど、すぐに終わればいいのだが。



 新着メール、なし。

 何度となく携帯電話を確認してみるも、結果は変わらなかった。空しさと手数料ばかりが募るが、かすかな希望を手繰り寄せたいがあまりに同じ行動を繰り返してしまう。寺坂善太郎は愛車のボンネットに腰掛けると、アイロンがいい加減に掛かったスラックスを履いた長い足を投げ出した。普段履かない革靴の履き心地は悪く、喉を締め付けてくるネクタイも早々に緩めて胸ポケットにねじ込んでいた。

「えーいコンチクショウ」

 寺坂は力なく毒突くと、項垂れた。昨夜、美野里から車を出してくれないかとメールが届いた時は、それはそれは嬉しくなったものである。よもやデートのお誘いかと舞い上がり、その勢いに任せて手持ちのスポーツカーの中でも最も値の張る、メタリックブルーのランボルギーニ・アヴェンタドールを駆り出した。ついでに下世話な妄想も大爆発してしまい、普段はタンスの肥やしになっているスーツ一式を引っ張り出してアイロン掛けもしてしまった。

 つばめが登校した頃合いを見計らって、めかし込んだ寺坂がランボルギーニを駆って出向くと、美野里は思い切り嫌な顔をした。どうやら美野里は、寺坂が所有している車の中では比較的地味な部類に入るピックアップトラックで来ると思っていたらしく、と散々ぼやかれた。おまけに僧衣でもなければだらしない普段着でもなく、無駄に気合いが入っている服装の寺坂を冷ややかに睨め付けてきた。美野里は行き先を伝えて助手席に乗り込んだが、それきり黙り込んでしまった。道中も会話は一切なく、必要最低限の挨拶を交わしただけだった。

「ちょっと顔が良くて胸がでかくて頭の良い職業だからって気取ってんじゃねーぞ!」

 さすがに腹が立った寺坂は虚空に喚き散らしたが、その怒りは十秒と持たなかった。

「だぁけどそこが好きぃっ! ええいくそう、みのりんめっ!」

 さすがに愛車のボンネットは叩けないので思う存分地団駄を踏み、フラストレーションを発散した。しかし、しばらくすると猛烈に空しくなってきてしまったので、寺坂は鋭角なサングラスを上げて目元を拭った。ため息を零してから顔を上げると、辺りには鬱蒼とした木々が生い茂っていた。船島集落と一ヶ谷市内を繋ぐ峠道の途中にある待機所で愛車を止めてから、かれこれ二三時間は過ぎているのだが、車どころか動物すらも通らなかった。そんな田舎の中の田舎だからこそ、こうして鬱屈した感情を発散出来るのだが、今一つありがたく思えない。

 これが都会であれば、車を飛ばして盛り場に出て昼間から酒を飲んでいただろう。開店時間の早いキャバクラに行って遊び呆けてしまえば、少しは美野里に振られた情けなさが晴れただろうに。車を飛ばしてドライブするのも悪くないのだが、助手席で黄色い声を上げてくれる相手がいなければ面白味が八割減する。

「つばめちゃんでも誘おうかなぁー」

 しかし、それは最終手段である。一ヶ谷市内のパブなどに勤めている女性達に連絡を取ってみて、誰一人反応がなかったら、学校帰りのつばめを攫ってドライブに連れ出してしまおう。美野里の愛情を一心に受けているつばめは、確かに顔形が可愛らしいし子供らしい無邪気さが目を惹くが、寺坂のストライクゾーンからは大外れだ。だが、助手席が空っぽのままスポーツカーを転がすよりは余程マシだ。つばめを連れ出す際にコジロウから反撃を受けるかもしれないが、その時はその時だ。

「なんだ?」

 重量を伴う振動を感じ取り、何事かと寺坂が振り返ると、傾斜もきつければ角度もきついカーブから黄色と黒の巨体が飛び出してきた。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃっ、と安定感抜群の下半身のキャタピラが、冬場の除雪作業によって傷んだアスファルトを削りながら迫ってくる。それは、一ヶ谷市内ではあまり見かけない人型重機だった。人型重機は頭部を回転させて寺坂を見据えると、一気に間隔を狭めてきた。

「うおおおぅっ!?」

 このままでは潰される、と寺坂が逃げ腰になると、人型重機は急ブレーキを掛けて排気を噴出させた。その排気には化石燃料特有の粒子と匂いが一切混じっていなかったので、恐らく水素エンジンを搭載しているのだろう。

「ちぃとお尋ねしちょうことがあるけんのぅ!」

「は?」 

「じゃから、ここがどこなんか教えちゃくれんかのぅ?」

「何、お前、迷子って奴? ロボットなのに?」

 先程の恐怖の余韻も手伝って寺坂が笑いそうになると、人型重機は首を横に振る。

「ワシャあマイゴっちゅう名前じゃなか、岩龍じゃい! よろしゅうな!」

「で、そのガンリュウはどこから来たんだ。そこから説明してくれねぇと、俺はリアクションのしようがねぇんだが」

 寺坂はジャケットの内ポケットからタバコを抜くと、銜えて火を灯した。

「生憎じゃが、そっからまず解らんのじゃい」

 岩龍は首を一回転させてから、気まずげにマニュピレーターで頭部の外装を擦った。

「ワシャあ、この辺の生まれじゃなか。元々は親父さんと一緒になって地下闘技場で暴れくさっとったんじゃが、ある日、変な娘が乗り込んできおってのう。その娘が地下闘技場を台無しにしてワシを買い取った挙げ句、不細工な機体に押し込めおったんじゃ。出来ることなら親父さんとこに帰りとう思っとったんじゃが、ワシが今どこにおるのかが解らないようにいじくられてしもうたみたいでのう。じゃから、まずはここがどこなんか教えちゃくれんかのう?」

「教えたって解らねぇと思うぞー、こんなクソ田舎」

 地面に胡座を掻いてタバコを蒸かす寺坂に、岩龍は両手を合わせてきた。

「この通りじゃけぇ!」

「そこまで言うんだったら、俺の車のカーナビの位置情報を伝えてやってもいいが、その前にちょっと俺の話も聞いてくれよ。誰でもいいから愚痴らせてくれよ、粉掛けまくってんのにバッサバッサ払いまくられる切なさを」

 首が落ちかねないほど項垂れた寺坂に、岩龍はやや臆した。

「な……何があったんじゃ?」

「聞くも涙、語るも涙なんだよ。男ってぇのは悲しい生き物さ。あのな、俺はなぁ」

 寺坂が美野里との一件をぼやこうとすると、新たなエンジン音が近付いてきた。二人揃って顔を向けると、カーブを曲がってジープが現れた。その運転席に収まっているのは迷彩柄のジャケットを羽織った屈強な男で、助手席に座っている少女は上半身のほとんどが隠れていた。男の人並み外れた体格に合わせて内装を作ってあるせいで、そうなっているのだろう。ジープの運転手を視認した途端に岩龍は臆し、寺坂とその愛車の背後に隠れようとした。だが、岩龍自身が巨大なので一切隠れなかった。

 ジープの運転席から下りてきた男は、寺坂を見ると顔を強張らせた。左目から頬に掛けての古傷を隠すかのように掛けているサングラスの奥で、彫りの深い目元に力が籠もった。その身のこなしに隙はなく、ジャケットの内側に装備したホルスターから拳銃を抜けるように手を置いている。一乗寺から見せてもらった書類の記憶を掘り起こし、寺坂はこの男が元傭兵の武蔵野巌雄だと思い当たった。と、いうことは。

「おいお嬢、どうする。あの男は寺坂善太郎だぞ」

 武蔵野は助手席の窓を叩き、少女に問い掛けた。助手席に座っていた少女はシートベルトを外すと、ドアのロックを外した。武蔵野はすかさずドアを開けてやると少女は身軽に下りてきた。長い黒髪が音もなく翻り、銀縁のメガネ越しに寺坂と岩龍を見据えてきた。無駄もなければ媚びもない面差しが、一層美しさを引き立てていた。

 吉岡りんねの姿を目の当たりにした瞬間、寺坂は身動いだ。資料で顔写真を見た時にも美少女だとは思ったが、画質の荒い写真と実物では天と地ほどの差がある。そして、実物には不思議な迫力がある。自身の見た目の良さを意識していないかのような態度を取ってはいるが、その実は顔の角度も立ち位置も計算尽くだろう。フェラーリのじゃじゃ馬か、いや、それよりももっとタチが悪い。化け物じみた馬力とデザイナーの趣味が剥き出しになった、採算度外視のコンセプトカーだ。常人には、まず手が出せない代物だ。

「ワシャあ、おどれらん元には戻らんけぇのう! 親父さんとこに帰るけぇのう!」

 岩龍はガードレールにキャタピラが擦れるまで後退ると、排気筒から汽笛のように甲高く排気を噴出した。寺坂は無表情を保っているりんねと、少々面倒そうに岩龍を眺めている武蔵野と、本気で嫌がっている岩龍を見比べた。しばらく考えた後、自分にとって非常に都合の良いことを思い付いた。

「あのなー岩龍、お前の親父さんと御嬢様の間で売買取引が成立しているってぇことは、お前はきっちり売られたってことなんだ。そりゃ車にしたって元々のオーナーの方が使い勝手も解っているし、何かと居心地が良いだろうが、売った方にも退っ引きならない事情ってのがあるんだよ。岩龍が親父さんの元に帰っちまったら、親父さんと御嬢様が交わした契約がパーになっちまって、それこそ親父さんの迷惑になるだろ?」

 寺坂はタバコを蒸かしつつ岩龍の外装を叩いてやると、岩龍は怒らせていた両腕を下ろす。

「そら、そうかもしれんが、ワシャあ心が納得出来んのじゃい」

「なー御嬢様、こいつをお前らの元に戻せるように説得出来たら、ちょっと俺と付き合ってくれね?」

 岩龍の外装を叩きながら寺坂が笑うと、武蔵野が面食らった。

「何を言い出すんだ」

「半日程度のことさ、悪い話じゃないだろ? こいつはお前らが嫌いだからまともに取り合ってもくれないが、俺にはちょっとだけ懐いてくれたみたいだから、それなりに話が通じる。岩龍もどうせつばめちゃんを襲うためにわっざわざ買い付けたロボットなんだろうし、大事に扱いたいだろ? お前ら、ガキも丸め込めねぇのかよ」

「お前は黙っていろ。でなきゃ、俺が黙らせる」

 武蔵野が左脇のホルスターから拳銃を抜きかけると、りんねがそれを制した。

「お構いなく、巌雄さん。寺坂さん、あなたの提示した条件をお受けいたしましょう」

「上等。但し、俺のやり方に文句言うんじゃねぇぞ?」

 寺坂はにんまりしてから、右腕を戒めている包帯を緩めて触手を数本解放した。それらを伸ばして岩龍の外装に絡み付けると、背後で押さえた悲鳴が漏れ聞こえた。振り返ると、りんねが唇を結んで顔を背けている。気のせいかと思いつつ、再度触手を伸ばして体を引き上げていくと、またも小さく悲鳴が聞こえた。もう一度振り返ると、りんねは顔の下半分を手で覆って肩を縮めている。武蔵野と目を合わせると、武蔵野は肩を竦めた。

 りんねの弱点を知ったことで妙な楽しさを覚えながら、寺坂は岩龍の胸部に下りた。人間が搭乗出来る操縦席があったので、ハッチを開けてから中に入った。重機の熱気と機械油のつんとした匂いが籠もっていて、愛車を整備している時に似た心地良さがあった。寺坂はモニターを作動させ、岩龍の意識を操縦席側に向けさせた。

「なー岩龍、お前、女の子の善し悪しって解る?」

「ワシャあロボットじゃけぇ、おなごの何がええんかさっぱりじゃ」

 予想通りの答えを返してきた岩龍に、寺坂は調子良く言った。

「あれは最高だぜ、甘い匂いがして柔らかくって良い声で鳴いて。褒めてやるときゃーきゃー喜んで、ボトルを入れてやると褒め殺してきて、シャンパンタワーなんかやらかすと奇声上げてよ。だが、それは金の上での関係だからだ。俺みたいな客はな、金を払って女の子にきゃーきゃー言われてんだよ。言われたいからわざわざ高い金を払って、何度も店に通って名刺もらって仕事用の捨てアド教えてもらって同伴してアフター付き合って、そこまでしても滅多に最後まで行けないんだよこれが。だがそれがいい。金をドブに捨てる無駄っぷりが楽しいんじゃねぇか!」

「何を言っとんのかちぃーとも解らんのう。じゃが、寺坂がおなごの扱いに苦労しとるっちゅうんは解るのう」

「それさえ解ってくれたら、こっちのもんだ。いいか岩龍、あそこにいるのはお前の御主人様だ。大金持ちの御嬢様で全国レベルの美少女だ。だが、お前なんかよりも遙かに機械的で絶対零度と言っても過言ではないクールな性格の御嬢様だ。その御嬢様にきゃーきゃー言われてみたいと思わないか? 金も貢がずに、店にも通わずに、ボトルもキープせず、シャンパンタワーもぶっ立てずにだ」

「う、うーん」

 岩龍が訝しげに首を曲げたので、操縦席も曲がった。そこで寺坂は、岩龍のモニターを掴んで揺する。

「いいか岩龍、お前はあの御嬢様にきゃーきゃー言われるチャンスを得ているんだぞ! 御嬢様の命令をハイハイ聞いてやりたくもない仕事をするのはそりゃー面白くないかもしれねぇけど、美少女の尻に敷かれるのもまた悪くないじゃねぇかよ! 俺だって諸事情がなかったら、御布施十年分ぐらいの金を積まれていたら、みのりんがそっち側だったら、御嬢様の下に這い蹲るのも悪くねぇなーって思ってんだもん!」

「ほうかのう……」

 更に岩龍が首を傾げたので、寺坂は畳み掛ける。

「この御時世だ、まともに働いて仕送りすればきっと親父さんだって喜ぶぞ! いや喜ばないわけがない! むしろ大いに羨むかもしれねぇんだからな、だって超絶美少女の手先だぞ!」

「ワシがあの娘ん元で仕事して稼いだ金を仕送りすりゃあ、親父さんが喜んでくれるんかいのう?」

「そうだ喜ぶ! 泣いて喜ぶ! ついでに俺も喜ぶ!」

「……そんなら、ちぃと考え直してみるかいのう」

 姿勢を戻した岩龍が首を曲げてりんねを捉えたので、モニターに怯えた面持ちの美少女が映し出された。こちらの様子が気になっているが正視したくないらしく、視線が彷徨っている。武蔵野はりんねの背後に控えていて、いざという時にはすぐに対処出来る態勢になっていた。まるで忠犬だ。

 手狭な操縦席から出てきた寺坂が触手の右腕を振り、話し合いが済んだと報告すると、りんねは弾かれたように後退って武蔵野の陰に隠れた。やはりこれが怖いのか、とこれ見よがしに触手の本数を増やして振り回してみせると、りんねは寺坂に背を向けてうずくまった。触手を使って操縦席から地面に下りてきた寺坂は、子供染みた意地悪心に任せてりんねに近付いていった。

「御嬢様、岩龍との話し合いは付いた。これで俺と御嬢様の契約は成立ってわけだ、さあデートしようぜ!」

「……っ」

 武蔵野のズボンの裾を掴んでいるりんねはきつく目を閉じていたが、恐る恐る顔を上げた。その目の前に数本の触手を伸ばしてやると、りんねはその場に座り込んでしまった。表情を崩すまいと全身に力を入れているが、それは逆効果で小刻みに肩が震え出した。小動物を追い詰めたかのような被虐的な快感に、寺坂は顔が緩んでしまったが、頭上でチェンバーをスライドさせる金属音が聞こえたので潔く身を引いた。武蔵野はある程度手加減してくれる一乗寺とは違う、やりすぎればすぐにズドンだ。

「で」

 仕方なく触手を引っ込めて包帯を巻き付けてから、寺坂は両手を上向けた。

「御嬢様はどこに行きたい?」

「寺坂さんの提示した条件をお受けするとは申し出ましたが、あなたと付き合うのが私一人であるとは申してはおりません。巌雄さんも御一緒いたします。その条件が呑めないのでしたら、このお話はなかったことに」

 深呼吸して冷静さを取り戻したりんねは、ふらつきながらも立ち上がって見返してきた。

「俺のじゃじゃ馬は2シーターだ、そこのゴツいおっさんはトランクにだって入らないぜ?」

 寺坂が意味もなく胸を張ると、りんねは鋭く睨んできた。

「では、寺坂さんはこちらの条件を受諾なさらないということですね?」

「叔父貴はワシに乗りゃええじゃろ」

 丁度一人乗りじゃけぇ、と岩龍が操縦席のハッチを開いてみせた。りんねは岩龍に言い返そうと口を開きかけたものの、お嬢、と武蔵野に諌められて何も言わずに引き下がった。

「んじゃ行こう! 最速三五〇キロのV型十二気筒の凄さを思い知れよな!」

 寺坂が愛車を示して浮かれるが、りんねは渋々ランボルギーニに向かった。

「仕方ありませんね。巌雄さん、外出が終わり次第、御自身の車を回収しに来て下さいね」

「言われなくとも」

 武蔵野は苦笑いを通り越していて、厳つい肩を情けなく揺すっていた。彼が岩龍の右手に運ばれて搭乗したことを確認してから、寺坂はランボルギーニの助手席のドアを開いてやった。りんねは乗り込みづらいガルウィングをものともせずに助手席に収まると、細い体の上にシートベルトを付けた。助手席のドアを閉めてやってから運転席に乗り込んだ寺坂は、イグニッションキーを回してエンジンを暖機させた。無表情ではあったが苛立ちを隠し切れていないりんねの横顔を見、寺坂は採算度外視のコンセプトカーに試乗出来た喜びを味わった。

 美野里を隣に乗せられたら、その何十倍も嬉しいのだろうが。



 平日の昼下がりということもあり、道の駅は閑散としていた。

 周辺地域に縁のある人物の銅像が立てられている広場の一角で、三人は並んで座っていた。観光シーズンからは少し外れているので大型の観光バスの姿は駐車場になく、大型トラックばかりが目立ち、運転手達はそれぞれの手段で長距離移動の疲れを癒していた。運転席に突っ伏して寝入る者もあれば、軽食スペースで缶コーヒーと新聞を手にして呆けていたり、古い刑事ドラマの再放送が流れているテレビを見つめている者もあった。

 真っ当に仕事をしている人間の顔付きはおのずと険しくなるよな、と痛感しながら、寺坂は笹団子ソフトクリームを舐めていた。ヨモギと笹の風味がする緑色のソフトクリームに粒餡が添えてあるもので、悪くはない。寺坂の右隣に座っているりんねは、黙々とちくわドッグを咀嚼していた。ホットドッグのウインナーがちくわに変わっているだけのもので、ソースは明太子マヨネーズだった。ちくわも明太子マヨネーズも、地元の特産品とは何の関係もないのだが、ただ面白そうだからという理由で採用されたメニューなのだろう。ベンチの右端に腰掛けている武蔵野は寺坂と同じ笹団子ソフトクリームを食べていたが、似合わないことこの上なかった。

「甘いの好きなの?」

 寺坂が何の気なしに話し掛けると、武蔵野は素っ気なく返した。

「それほどでもない。だが、こういう場所にあるアイスは決まって妙な味が付いているから気になるじゃないか」

「それは道理ですね、巌雄さん」

 唇の端に付いた明太子マヨネーズを舐め取ったりんねは、満足げに一息吐いてから、ちくわドッグとセットで注文したコーヒーフロートを啜った。昼時より少し前という中途半端な時間帯なのに、よく食べるものだ。

「で」

 笹団子ソフトクリームのコーンに辿り着いた寺坂が二人に向くと、武蔵野は面倒そうに目を向けてきた。

「で、って何なんだ。話があるなら早く話せ、まどろっこしい」

「御嬢様の目的地ってここで良かったのか?

 もうちょっと走って柏崎に出れば海が見られるし、山の方に向かえばちったぁ良い景色の場所があるのに、なんでこんな中途半端な道の駅なんかで気が済んじゃうの?」

 不満げな寺坂に、りんねは平坦に答えた。

「ええ。ここで構いません。私の目的は達成されました」

 言い終えるや否や、りんねは再びちくわドッグにかぶりついた。その色白の頬は齧歯類のように丸く膨らみ、無心で咀嚼している。寺坂も武蔵野も視界に入れず、ちくわドッグに見入っている。この御嬢様はちくわが大好物らしい、と寺坂は察したが笑うべきか否か迷ってしまった。りんねの横顔があまりも真剣なので、下手に笑いでもしたら足を踏まれかねないと思ったからだ。武蔵野は少々呆れているようではあったが、保護者のような眼差しで好物を貪る上司を見守っていた。かなり穿った見方をすれば微笑ましい家族旅行にも見えなくもなかったが、禿頭でサングラスでスーツ姿の寺坂がいることも相まって、ヤクザの令嬢が屈強なボディーガードに囲まれながらお忍びで遠出した、とでもいうような構図だ。通り掛かる人々は遠巻きに眺めるか、ぎょっとして目を逸らすかのどちらかだった。

「で」

「だからさっさと話せ、無駄に一呼吸置くな」

 残りのコーンを一口で食べ終えた武蔵野が寺坂を急かしたので、寺坂はベンチの背もたれに寄り掛かった。

「だぁーからさぁー、みのりんってばもうマジひどいわけよ。俺の好意をことごとく弄んでさぁ、良いように利用したくせにちっとも見返りを寄越してくれないんだよ! ガードが堅いとかじゃなくて、俺のことを心底ウザがってんだよなぁ。その割に車を出してくれだの貸してくれだの言ってきて、この前の地雷騒ぎの時だって俺に電話してきたし。まあ、あの時は一乗寺の馬鹿野郎がいなかったし、コジロウの調子がイマイチだったから、消去法で俺に御株が回ってきただけなんだけどさー。その後に御礼なんてしてくれねーんだよ、弁当をちょっと分けてくれただけなんだよ」

「そうまでして美野里さんに不満を抱かれるのでしたら、なぜ関係を見直さないのですか?」

 りんねはちくわドッグを食べ終えると、コーヒーフロートに浮かぶアイスクリームを掬って食べた。

「そう! そこなんだよー! 聞きたいか、聞きたいだろ、聞きたくなくても聞いてくれ!」

 寺坂がりんねに身を乗り出して力説しようとすると、すかさず武蔵野が拳銃を抜いて寺坂の禿頭に突き付けた。

「お嬢にみだりに近付くな、生臭坊主が」

「どうせ撃たねぇだろ、それ。解っているっての、それぐらい」

 俺の腕がコレだから、と寺坂が右腕を上げると、りんねは途端に顔をしかめた。武蔵野は舌打ちしてから拳銃を引き、脇のホルスターに戻した。寺坂はにやけながら座り直し、りんねの背後の背もたれに右腕を置く。

「あんたらはあのイカレた信者共みたいに、俺のこの右腕から触手を引き千切っていきたいんだろ? 俺のことをアホみたいに祭り上げはしなくとも、分析して研究していじくり回せば何かしらの価値が生まれるからな。んでもって、その触手の宿主である俺も易々と殺すわけにはいかねぇ。どうせあのクソ宗教の施設から、俺の触手の細切れは回収してあるんだろ? で、そいつに適当に実験して色々と調べが付いているんだろ? あぁ?」

「その通りです。全容解明とまでは至っていませんが、寺坂さんの生体組織についての研究も進んでいます」

 りんねは華奢な肩に触れそうな位置にある寺坂の右腕を気にしつつ、冷淡に返した。

「だから、俺に死なれちゃ困るんだよな? 俺が死んだら触手の正体なんて絶対に解らなくなっちまうし、触手をどうこうして生体兵器か何かを作ることも出来なくなっちまうしなぁ?」

 寺坂は右手を戒める包帯の隙間から、僅かに触手をはみ出させた。りんねは眉根を顰める。

「ええ、そうです」

「ここでもう一つ条件だ。御嬢様」

 少し太めの触手を伸ばした寺坂は、それをりんねの細い顎から喉元に掛けて動かしながら言った。

「俺の触手を一本、切り落としてプレゼントしてやるよ。その代わりと言っちゃなんだが、二度とみのりんには手出ししないって約束してくれよ。俺の触手にも色々あってだな、生体活性が高いやつは本体から切断しても十五時間は生命活動が持続するんだよ。その間に俺の触手と合う体液を輸液出来たら、この勝負、お前らの勝ちだ」

「寺坂さんは随分とギャンブルがお好きなのですね」

「そんなもん、大っ嫌いだよ。酒と女と化け物じみたエンジンの付いたマシンは好きでどうしようもねぇが、運如きに物事の行方を任せるなんて面白くもなんともねぇよ。俺が仕掛けるのは勝てる勝負だけだ」

「では、私共が寺坂さんの触手に適合する体液を十五時間以内に発見出来ないと思っておられるのですね?」

「ああ、もちろん。だって俺の触手は遺産じゃねぇし? 似て非なるものだし?」

 だから御嬢様の体液も通用しないぜ、と寺坂が肉の薄い頬を持ち上げると、りんねは一度瞬きした。

「そうですか」

「で、どうするよ、御嬢様」

 寺坂の勝ち誇った笑みに、りんねは少し間を置いてから返した。

「私も分の悪い勝負は好みません。ですので、寺坂さんが持ち掛けられた勝負はお受けいたしません。運に物事を委ねるのは面白くないという御意見には、同意いたしますので」

「全く、どうしようもねぇ野郎だな」

 そうは言いつつも、武蔵野は駆け引きが始まる前に終わったことを安堵した。ここで無駄な小競り合いを起こしたとしても、利益が生まれないどころか余計な手間が出来てしまうからだ。

 寺坂の言う通り、寺坂の右腕を成している触手の研究はほとんど進んでいない。佐々木長光が寺坂に目を掛けていたことから察するに、触手は遺産絡みの代物であるとは判明しているが、そこから先が行き詰まっている。寺坂の触手のサンプリングを行ったのは弐天逸流だが、十年近く前の出来事であり、研究施設も研究員も持たない彼らではサンプルを良い状態で保存することすら出来ていないだろう。だから、新規のサンプルを得て、吉岡グループの所有する研究施設やフジワラ製薬の研究所で詳細な分析を行えば触手の正体も掴めるだろうが、寺坂に対しては奇妙な協定が作られているので、佐々木つばめ以上に手を出しづらいのが現状だ。

「で」

 寺坂がりんねの肩越しに駐車場を指すと、暇を持て余している岩龍がいじけていた。寺坂のデートに付き合ったはいいが、道の駅は人型重機が退屈を凌げるような場所ではないからだ。情緒が豊かなわりに精神面が幼いのか、ふて腐れたようにそっぽを向いている。人間味溢れる、というか、ロボットにしては余分なものが多すぎる。

「ワシャあ、こげな場所に来とうなかったんじゃい。へんだ」

「構ってやらんと帰らないと駄々をこねそうだが、どうやって構ったものかな。子供の扱いなんか知らねぇよ」

 武蔵野が途方に暮れると、りんねは寺坂に向いた。

「寺坂さん。妙案はおありでしょうか」

「あるわけねぇだろ、そんなもん。だってあいつは御嬢様の部下だぞ、部下をちゃんと育てるのも上司の仕事だ」

 一抜けた、と寺坂が顔を逸らすと、りんねは少々悔しげではあったが同意した。

「道理ではありますね」

 それからしばらく、りんねは考え込んだ。アイスクリームが溶けてカフェオレと化したコーヒーフロートを、ストローで掻き混ぜて啜りながら、マニュピレーターの尖端でアスファルトを削っている岩龍を見つめた。不意に立ち上がったりんねは、コーヒーフロートの入ったカップを武蔵野に手渡してから背伸びをした。

 程なくしてりんねが岩龍の元に駆け出していったので、武蔵野はコーヒーフロートを零さないように気を付けながら追っていった。一人取り残された寺坂はこのまま帰ってしまおうかとも考えたが、岩龍本人に手招きされたのでそうもいかなくなった。吸おうとして取り出したタバコを内ポケットに戻してから、渋々立ち上がった。

 大型トラック三台分もの駐車場を占拠している岩龍の元に駆け寄ると、その足元に昇り龍が大きく描かれていた。アスファルトを直接削って描いたものなので色彩には濃淡はなかったが、掘り具合で微妙な強弱が表現され、龍の眼差しには力が籠もっていて、龍のうねり方に合わせてウロコが波打っている。恐ろしく上手かった。

「御上手ですね」

 りんねが真っ当な評価を述べると、岩龍ははしゃいだ。

「本当か!? ワシもこれは結構イケとると思うたんじゃい!」

「ロボットが絵を描くなんて、聞いたこともねぇぞおい」

 寺坂が不思議がると、武蔵野も同調した。

「全くだよ」

「親父さんがのう、ワシに精密作業を教えてくれとったおかげじゃ。天王山がダメになってしもうても食いっぱぐれんように、って色んなことを教えてくれたんじゃ。ワシャあ親父さんに大層世話になった、あんたがワシにレイガンドーの情緒パターンをインストールしてくれたおかげで、それまで解らんかったことがよう解るようになったんじゃ。それについては感謝するけぇのう。じゃがなぁ」

 龍の長いヒゲを角張った指の角で描き終えた岩龍は、瞬きをするようにアイセンサーを点滅させた。

「そのせいで、色んなことが解りすぎるようになったんじゃ。親父さんはなんでワシを売ってしもうたんじゃろか、とか、新しいマスターはこまいから頼りにならんかもしれんのう、とか、ワシはどんな仕事をさせられるんじゃろ、とか、まあ色々とな。きちっと判断しても、気持ちの方が邪魔をするんじゃい。その気持ちの優先順位が判断を上回っとることも多くてのう、ワシャあ正直困っとるんじゃ。じゃから、もうちぃとだけ待ってくれんかのう。整理が付いたら、ワシャああんたの言うことを聞いて働いちゃる。ほんで、ワシの御給金が出たら、親父さんとこに送ってくれんかのう。ワシがおらんくなってからは困っちょるじゃろうし」

「解りました。そのように手配いたします。御父様思いなのですね、岩龍さんは」

 りんねが受諾すると、岩龍は照れた。

「そがぁなことねぇ」

 それから、りんねは岩龍の荒々しいお絵描きに付き合った後、武蔵野に命じて道の駅の支配人を呼び出させた。駐車場に派手な傷を付けられたことを知ると支配人は大いに戸惑っていたが、りんねが名刺を渡してから駐車場の修理代金を全て引き受けた上で相場の十倍以上の損害賠償金を支払うと言うと、支配人は更に戸惑った。問題があれば吉岡グループの選任弁護士を通して話を付ける、と伝えてから、りんねは岩龍に乗った。

 先程のやり取りで岩龍はようやくりんねに対して心を開いたらしく、しきりに話し掛けている。りんねも態度は冷淡ではあるが、岩龍と会話を弾ませている。つばめとコジロウの頑なな主従関係とは異なるが、これはこれで真っ当な主従関係が出来上がったとみていいだろう。そのまま、岩龍は道の駅から発進していった。ということはつまり、そういうことになるのか。その場に取り残された寺坂が武蔵野と顔を見合わせると、武蔵野は嘆いた。

「勘弁してくれよ、俺はお前みたいな変態触手野郎の助手席に収まる趣味はないぞ」

「俺だって嫌だ、硝煙臭いおっさんとデートするなんてよ! 自力で帰れよ! あと、俺の触手は断じて変態アイテムなんかじゃねぇからな! せめて可愛らしくチャームポイントと言ってくれよ!」

 寺坂が妙に気合いを入れて言い返すと、武蔵野はその言い回しにげんなりした。

「誰が三十過ぎたクソ坊主に可愛げを求めるんだよ。ついでに言えば、お前のミミズもどきがチャーム出来るのはせいぜい池のコイぐらいなもんだろうが」

「なかなかやるな……!」

 寺坂が意味もなく身構えると、武蔵野はますます萎えた。

「お前もな、とでも言ってほしいのか? 付き合いきれん。俺は適当に帰るからお前も一人で帰れ」

「おっさん、そんなんで人生楽しいか?」

 嘲笑混じりの笑みを浮かべた寺坂に、武蔵野は苛立って愛銃のグリップに手を掛けた。

「少なくともお前の人生の十倍は充実しているよ」

 これ以上寺坂に構っていたら埒が開かないので、武蔵野は道の駅のロータリーに面しているバス停に向かった。だが、路線バスが到着するのは一時間後で、行き先はまるで知らない地名だった。こうなったら携帯電話を使って路線図と時刻表を調べて意地でも自力で帰ってやる、と武蔵野が携帯電話を取り出して操作していると、寺坂が不躾に肩を叩いてきた。反射的のその右腕を取って投げようとするが、寺坂の関節のない右腕は捻れただけだった。再度肩を叩かれたので、武蔵野は何かしでかしたら即時射殺するからな、と言い捨ててから駐車場に戻った。

 その後、寺坂の操るランボルギーニ・アヴェンタドールは真っ直ぐ船島集落には戻らずに海沿いへと出ていった。スポーツカーのスレンダーな助手席に巨躯を収めた武蔵野は、海岸線をドライブしながら、寺坂から延々と美野里談義を聞かされる羽目になった。拷問に等しかったが、武蔵野は理性でなんとか耐えきって別荘に戻った。

 無意味に体力を消耗する一日だった。



 夕方の教室に、温かな紅茶の香りが漂った。

 二人分の机をくっつけた上には熱い紅茶が入っている水筒と三人分のコップ、シュークリームが並んでいた。どれもこれも

 学校には存在し得ないものなので、非日常感に溢れていた。いずれも美野里のお土産で、見ているだけで気持ちが浮き立ってくる。つばめは頬を緩めながら、見るからに甘そうなシュークリームを手にした。

「お姉ちゃん、食べていい?」

「その前に、ちゃーんと勉強は終わったでしょうね?」

「終わったってば。さっき来た時はまだ机にプリントがあったけど、ほら、ないじゃん!」

「本当に?」

「明日になれば先生がプリントを返してくれるから、解るって。ね、だからさぁ」

「そうねぇ……」

 つばめが哀願するが、美野里は渋っていた。だが、それも無理からぬことだ、とつばめは自覚していた。美野里が用事を終えて自家用車に乗って船島集落に戻ってきても、尚、つばめは目の前の小テストを解けずにいた。教卓にいた一乗寺も似たようなもので、やる気の欠片もなかった。時折コジロウに諌められもしたが、時間が経つに連れてコジロウも諦めたのか何も言わなくなった。今日は何もせずに帰ろうか、という空気が教室に流れていた頃合いに、お土産のシュークリームを手にした美野里がやってきた。美野里は気まずげなつばめと一乗寺の様子で事の次第を察したらしく、紅茶を淹れてくるからそれまでに終わらせるように、と言って分校を後にした。

 それから小一時間、つばめは慌てふためきながら小テストに取り掛かった。一乗寺もお土産が食べられなくなるのは嫌だったらしく、率先してつばめに教えてきた。おかげで小テストは片付けられたが、美野里が分校に直行してくれなければ、あのまま有耶無耶になっていたことだろう。張り合いがあるとないとでは大違いだ。

「明日からはちゃーんと勉強するのよ、つばめちゃん。はい、食べてよし」

 向かい側の机に座っている美野里が快諾したので、つばめは満面の笑みでシュークリームを囓った。まろやかなカスタードクリームと濃厚な生クリームが二層に入っていて、シュー皮のバターの風味も相まって絶品だった。近頃は洋菓子を食べていなかったということもあり、弛緩するほどおいしかった。

「で、みのりんはよっちゃんにアレやコレやされなかったのね?

 ま、その方が色んな意味で面白いけどさ」

 シュークリームを三口で食べ終えた一乗寺は、にやけながら紅茶を啜った。

「心配してくれてどうも。肝心なところさえ気を抜かなければ、どうにでもなりますから」

 美野里がにんまりすると、つばめは口の端に零れたクリームを舐め取ってから尋ねた。

「そういえば、その寺坂さんはどうなったの?」

「死んじゃいねぇだろ、あのよっちゃんだぞう」

 一乗寺が笑ったので、つばめも釣られて笑った。

「そうですねぇ。あの手の人間がそう簡単にどうにかなるわけないですもんねー」

「どうにかなってくれていたら、それはそれで困っちゃうものねぇ」

 美野里も声を合わせて笑った。だが、コジロウだけは一切反応しなかった。それが当然であるとは解っているが、つばめの胸中を寂寥が過ぎった。コジロウが会話に加わってきたり、笑ってくれたり、物を食べることは出来なくとも同じテーブルに付いてくれたりしたら、どれほど嬉しいだろう。けれど、そんなものはつばめのエゴだ。

 ただの道具、人型の機械、自ら判断して動作する矛であり盾、それがコジロウだ。人間と同じような行動を取ってほしいと願うのは、人間の身勝手な理想でありつばめの独り善がりな感情だ。三人の無秩序な会話を傍観しているコジロウを一瞥してから、つばめはシュークリームの残りを食べた。

 コジロウはこの味を共感出来ないのだな、と思うと物足りなくなった。

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