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26日 12時45分

 

 その駅で降りるのは俺一人だった。

 どのあたりで席を立つのかはなんとなく体が覚えている。

 当たり前の話だが、新幹線から特急、そしてこの田舎電車では乗り心地はあまりに違う。

 左右に揺られ過ぎてまともに立っていられないような電車。

 夜遅くには下手をすれば週に一度鹿と衝突してしまう電車。

 ともかく、やっとキィと耳につく音を立てて電車は止まった。


 運転手がやっと立ち上がって、握っていた切符を渡す。

 もちろん扉は自動では開かない。

 開と書かれたボタンを一回押して――そういえばやけに固いんだと思い出し、強く押し込む。

 プシュっと扉が開いた。

 エアコンというものはやはり素晴らしいものだなと思う。

 もうすぐ13時になるこの時間帯はなかなかの暑さだった。


 電車が去っていくのをなんとなく見送って、駅に立ちすくむ。

 コンクリートをただただ固めただけのようなちっぽけな駅には、改札はないし、自販機もない。

 待合室は一応あるが、エアコンも扇風機もないくせに、蜘蛛の巣だけは常備しているそんなところに長居したくはないものである。

 ホームに直接繋がっている階段を降りれば、そこは車が少しだけ止められる駐車場。

 といっても、車を止める白線はないし、長い間止めるような場所ではない。

 ここで昔は売店をお婆ちゃんがやっていたが、いつの間にかその面影はなかった。

 普通の民家に変わっている。


 ガラガラとキャリーバッグを引き、家に向かう。

 緩やかな坂だ。

 昔はこの坂で自転車の練習をしたものである。

 と、そんなことを思い出す間もないままに家に着く。


「はあ……」


 着いてしまったというのが正しいか。

 気が乗らない。

 いつでも引き返すことはできた。

 実際敦賀駅で一時間ほど電車を待っているうちに、引き返す電車は通ったわけで――。

 いい機会だとは思っていても、やはり何か引っかかりがあった。


「……」


 インターホンを押そうかどうかと悩んで、結局そのまま家に入った。

 鍵が閉まっていないということは、中に母がいるということだろう。

 まあ自分の記憶の中では、家の鍵を閉めたことなんて滅多にないのだが。

 泥棒なんて、畑の猿や猪くらいのものである。


「ただいま」


 居間で大口を開けていた母を見つける。

 どこかで買ってきたどら焼きを、口を開けたまま皿に戻した。


「あんた何? 帰ってきたん?」


「悪いかよ」


 立ち上がったと思うと、結局どら焼きを一口齧って冷蔵庫のある台所に向かった。


「いま緑茶ないけど、麦茶でも大丈夫か」


「もう好き嫌いなんてない」


 29にもなれば、好みは変わる。

 豚カツが好きだった俺は、たとえ何歳になっても何枚も食べられると思っていたが、いまになっては一枚でもなんだか辛いものがある。

 そんなこと自分には絶対にないと思っていたのに。


「帰ってくるなら連絡せんと、なんの用意もできん。昼ご飯は?」


「敦賀でおにぎり買って食べた」


「なんや」


 自分の分のコップには氷を入れ、俺の分のコップには何も入っていない二つのコップを机に並べる。

 氷が苦手なことはどうやら覚えているらしい。

 なみなみお茶を注いで「ほい」と差し出される。


「で、なんで帰ってきたん?」


「知らん」


「なんやそら。仕事は? まさかやめてきたってことはないやろね?」


「それは心配しなくていい」


 母は俺の学生ジャージをきて、パタパタと広告入りの団扇を扇いでいる。

 伸ばすと面倒だと昔から肩までもない髪は、昔に比べて少し白髪が見え隠れといったところ。

 まあもう51にもなれば、白髪の10本どころじゃ済まないだろうし。


「休暇だよ。一週間くらいここにいる」


「は? 母ちゃんいまから仕事やで? 晩ご飯は?」


「近くにコンビニできてないの? 7年だぞ。ほら、敦賀の駅にもセブンイレブンできてたじゃないか。この辺にもセブンイレブンできてないのか?」


「コンビニひとつ建つ間に栗ができそうやね。もうすぐ三本目もできるかもやわ」


 その言い方はよくわからないが。


「パン作ってや。あんたの好きやし」


「晩飯にパン食うのか?」


 どら焼きを半分皿に置いて、母はまた立ち上がった。

 ぽいぽいと服を脱いで、仕事服に着替えている。


「そや、父ちゃんに挨拶しなよ」


「後でな」


 面倒だから気が向いた時にする。

 どうせ帰る時に無理やりやらされるのだろうし。


「適当でいいか?」


「あんぱんの中身ツナマヨのやつでええわ。じゃあ、いってきます――冷蔵庫にスイカあるから、食べたかったら自分で切ってよ。今切るか?」


「いいよ。遅れるからはやく行きな」


「そやね」


 ばたばたと家を飛び出していく母を見送って、やっとお茶を飲み込んだ。

 麦茶は昔と味が変わらない。

 喉になにかが引っかかる感覚が、昔から苦手だった。

 もう大丈夫だと思っていたが。


「うげ」


 どうやらこの麦茶は今も苦手らしい。


 携帯にまたメールが来ていたことを思い出し開いてみると、やはり立川だった。

 どうでもいい話にどうでもいい言葉を返すうちに、ただしりとりをするという敦賀駅の一時間は、なかなかに苦痛だったが、ひまつぶしにはなった。


『着いた』ととりあえず送って、寝転がる。

 風が気持ちいい。

 パンを作ることにそれほど時間はかからない。

 いまから昼寝したとしても、母が帰ってくるまでに十分作れるだろう。

 とりあえず携帯にタイマーをセットして――5時ごろでいいはずだ――そのまま眠りにつく。

 久しぶりの自然の風は、あのオンボロエアコンと違ってギィギィと音はしない。

 蝉の音ばかりはすこし気にかかるが、そう考えているうちにあっさりと眠ってしまっていた。



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