忘れ物
懐かしさに目を細める。
いいことがあったからこんな場所にきたわけではなかった。
ひとつ、文句を言ってやろうと思って、ついこの間来たばかりの場所にやってきた。
思い出す――あの夏の最後の日を。
「なによ、勝手なことばかり言って」
裏切られたと、そんなことを思った。
知らない道を走っていると、吹き付ける風に生を感じた。
田んぼが並ぶ平地の真ん中に座り込んで、いつの間にか晴れている空を見上げながらため息をつく。
急に走ったせいで、息が上がって苦しい。
その苦しさを、立ち止まったから生まれたその苦しさを、未来に見た。
これから先のことを考える。このまま走って遠くにいってしまってもいい。
もっと先に、荷物だってなくたっていい。
立ち止まったら、また苦しくなる。
「……」
初めてあの人が現れた時のことを思い出す。
心配しているのかどうかはわからなかったが、自分に害を与える人ではないことがすぐにわかった。
表情は硬いのに、口は動いていないのに、なにか心の中でぶつぶつと文句を言うような、そんなことまですぐにわかる。
言ってしまえば、わかりやすい人だった。
おっさんと言うと少し拗ねた顔をする。
本人にその気はないのかもしれないが、話すとすぐに笑う。
この人は、街ですれ違う機械のような人たちとは違うのだと思った。
「――」
それは錯覚だったのだろうか。
裏切られた思いつつ、しかしどこかで彼のことをまだ信じられると思う自分がいた。
機械のような生き方に、彼は苦しんでいた。
苦しんでいるのなら、それはいまの私と同じなのではないだろうか。
ただ抵抗しないだけで、その生き方が苦しいものだとわかっているのなら――。
「……がんばれって、そういうこと?」
助かる道なんてない。
ただ地獄のような死の道を、苦しみながら生きていくことだけが、唯一の道だというのか。
いつのまにか神社の近くまで戻ってきていた。
もう少し、話をしようと思ったのだ。
最後まで聞かなかったのも悪かったし、まだ彼の話は終わっていなかったのかもしれないし――
「お姉ちゃん」
「ん?」
カラカラと自転車を押して、幼い少女が声をかけてくる。
膝に貼られた何枚もの絆創膏は、自転車の練習で何度も転けてしまったからだろうか――。




