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29日 23時30分

 

 鳥居をくぐる。

 走って、彼女の特等席まで向かった。


「……」


 そこには何もない。

 何も残っていない。

 ブルーシートも、虫カゴも、鞄も、捨てられたままだったパンも――よしこの姿も、そこにはなかった。


 神社の中心にあった木が、ずいぶん大きくなっている気がした。

 昨日までの光景とはあまりに違っている。


「自転車だ。そうだ、自転車は――」


 神社を飛び出し家に戻る。

 玄関の前には、心配そうに俺を待つ立川と彩が立っていた。


 二人の脇を通り抜けて、家の裏に止めたはずの自転車を探す。


「ある」


 俺を追いかけてやってきた立川は、さしていた傘の中に俺を引き込む。

 彩は自転車に近づくと、そっと、ハンドルに触れた。


「見たことある気がする」


「どこで見た」


「わからないけど、ずっと昔――」


「神社か?」


「そう、神社。自転車があるのを見つけて見に行ったら、だれかがいて、その時はなにもなかったんだけど、次に行った時に神社の外を歩いてたから思い切って話しかけた」


 その記憶は、おっちゃんの話に繋がるものがあった。

 そして、俺の今日の話につながってしまうところがある。

 俺と喧嘩みたいなことをしてよしこは神社を飛び出した。

 そして戻ってくる頃、たまたま彩に出会う。

 ただ一つを除けば、それはありうる話だ。


 まるで俺だけが過去の時間にいたそのことだけは、信じられない。


 たまたま同じ名前、その名前は偽名だったのだろうが、それが同じになることなんてありえない。

 今になって、彼女との会話がいかに噛み合っていなかったのかと気付き始める。

 俺が携帯を出した時、よしこはそれはウォークマンか? と言った。

 そんなこと、普通に考えて妙である。

 ガラケーのことを知らない学生はいるのかもしれないが、そもそも今の時代、見たことのない機械を見てウォークマンかと聞くのはおかしい。

 スマートホンか? と聞くのが普通なのではないか。


 カセットテープはまだいい。

 それを好んで使う人は確かにいるだろう。

 しかし、友達より遅れたけど手に入れたというのは変だ。

 今の学生が、カセットテープ好きが一人ならまだいるのかもしれない。

 他にも複数人ともなると妙である。

 録音するのも、やはり変になってくる。

 いまはインターネットがあるのに、わざわざ足音が残ったままのテープで我慢するのはおかしいではないか。

 取り直しはいくらだってできるはずである。


「なんだよそれ」


 髪型。

 聖子ちゃんカットと言われるそれは、松田聖子というアイドルの髪型である。

 ブームのように広がったその髪型は、しばらく若い女性達の髪型を独占していたらしいが、数年後、松田聖子本人の髪型変更により廃れていく。

 俺からしてみれば、その髪型は古いものでしかない。

 よしこ自身も、古いということを否定はしなかった。

 だから何も思わなかった。


「それって、何年前だ」


「私がたぶん5歳だから、34年くらい前だと思う」


「82年か」


 もしその年に松田聖子というアイドルの髪型が変わっていた後ならば、よしこがもう古いと思っていても変ではない。


 話は途中だった。

 まだ俺には言い残した言葉があった。

 死んだような道にも、生きている実感を覚えることはあるのだと、それだけは伝えてやりたかったのだ。

 強くなる雨に、俺は彩を帰らせて、立川と家に入る。

 彼女の夏の終わりがどうなったのかが気がかりでしかたがなかった。


「立川」


「……なんです?」


「明日から手伝って欲しいことがあるんだよ」


「いいですよ」


 即答である。


「いいやつだな、お前って」


「ええ。私もそう思います」


 満面の笑みで立川は答えた。

 よしこは偽名である。

 そしておっちゃんが知っていた名前はそれだけだ。

 死んだのは本人である可能性は低い。

 まだよしこはどこかで生きているかもしれないのだ。


 見つけてやろう。

 そんなことを思う。

 まだこれが現実の本当のことなのかなんてわからないが――なんだか俺には、よしこと俺の数日間は偽物ではない実感があったのだ。


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